閑話 とあるメイドの恋心。
本日、二度目の投稿です。
惚れたのは、仕方ない。
状況が状況だったし、自分にとって彼は、救世主そのものだ。
今も、この恋心とは別に、感謝の心も抱き続けている。
「うん。でも、なんであんなの、好きなままでいるんだろ。私。」
キートス・ダルマイヤック。
冷たい細目に、剛直な線を引く唇。
仕事一筋で、倒れても仕事をする狂人。
エンリッヒ侯爵領の重鎮中の重鎮。
お付きのメイドとして、ここで働いて一年近くになっても、恋心は収まるどころか、最近は持て余し気味だ。
身分違いなのはわかっている。
向こうは実質、最高位の貴族であるエンリッヒ侯爵家で辣腕を振るう文官の元締め。
私はと言えば、元奴隷のメイド。
奴隷の前は南の国境近くにある村の、とても貧しい小作人の娘だ。
あの絶望の淵から、私を救いあげてくれたその日の事が、頭を離れない。
他にも、お茶を入れる時に盗み見る、書類と対峙する怜悧な眼。
自分の事は無頓着なのに、他人には時折優しさを見せたりする。
働き始めた頃、仕事に慣れない私を、励まし労ってくれた時の言葉。
異様なまでに働き続け、仕事に厳しく、自分にはもっと厳しい彼の、別の一面だった。
私が特別じゃないのも、わかってる。
きっと、他の奴隷だった子にも優しいんだろうし、態々時間を作って部下の人達を酒場に連れて行ったりしてるのも知ってる。
自分は一滴もお酒を飲まず、執務室に戻ってきて、また仕事をしてるのも、知ってる。
気遣いはできる男だ。
私が作ったご飯、今でもたまに食べずに仕事してる時あるけど。
「ふむ。それは、いかんな。」
「うぇあ!?」
おっと、変な声出た。
「フィリップ様!?」
私の隣に、いつの間にか立っていたのは、エンリッヒ侯爵家の家臣団を束ねるフィリップ・ロスチャイルド。
当主であるアルマンド様を凌ぐ権勢を振るっていると、噂される人物だ。
此処は厨房である。
それも、夜更けだ。
キートスの朝食を仕込んでいたのだけれど、他に人はいなかった筈。
「あぁ、すまぬ。小腹が減ってな。下働きの者たちを起こすまい、と思ったのだが。」
女の戦場である厨房に無断侵入とは、ってそうじゃない。
「何処から、聞いてました?」
何処から口に出ていたのか、覚えてないのが恐ろしい。
恐ろしいが、聞かずにはいられない。
「きーとすだるまいやっくつめたいほそめにごうちょくな」
努めて感情を出すまいとしているのか、無駄にハイレベルな棒読み。
恥ずかしい。死にたい。今すぐ首を吊りたい。
「も、申し訳ありません。分不相応とは思いつつ」
「あぁ、良い良い。そういった感情は、大事にしなさい。うちの連中は、どうもそのあたり堅過ぎる。若い恋、大いに結構。」
その優しさが痛い。心に刺さる。私の寿命、今終わって。
「いい加減、キートスにも所帯を持たせねばならん、と思っていた所だ。丁度良い。」
へ?
「丁度良い、とはどういう意味でしょうか?」
「なに、眼が開いている時は、常に書類を見ておるような男だからな。私が話をまとめて来よう。」
「それって。」
「そういう事だ。」
やっぱり、死にたくない。でも恥ずかしい。
こんな事って、あるんだろうか。
いや、ないない。
「ほ、本当ですか?」
「嘘を言っても仕方あるまい。」
あ、ダメ。頭の中真っ白。
「お願いいたします。」
「うむ、任せておけ。」
頭を下げると、フィリップ様は颯爽と去って行った。
キートスに出すつもりだった小鉢が、幾つか無くなっている事に気付いたのは、しばらく放心した後だった。