旅の夜。
その日の晩、俺とシエーナ用の天幕が張られた。
ハリーの主張により、ラターシュで購入したものだ。
一番上等なのを買ったので、天幕と言うより、軍用の幕舎に近い。
魔物除けに良い、とされている生地で、内側には革が張ってあり、丈夫そうだ。
特殊な革らしく、防音効果もあるそうだ。
地面には、毛皮が敷かれ、簡易ベッドまである。
贅沢だ、と断ろうとしたら、侯爵が贅沢をしないと他の誰が贅沢をするのか、と返された。
似たような事を、フィリップやキートスに言われた気もしたが、何故か反論できず、後はハリーの為すがまま、と言った感じに色々買い揃えのだ。
騎士団や傭兵が狩った魔物の素材などを、買取にくる商人用だろう。
意外と種類も豊富だった。
「なんか、一気に旅って感じじゃなくなったね。」
ベッドでごろごろしながら、シエーナが呟いた。
かまってちゃんオーラが、頬を打つ。
俺は、折り畳み式テーブルで、日誌を書いていた。
表題はまだない。
「貴族らしく、もないか。これでも、まだ貧相なんだろうな。侯爵としては。」
「男爵でも、もうちょっと豪勢なんじゃない?」
「そう、かな。いや、そうだな。俺の実家は、確かにもっと豪勢だったよ。マルガンダの屋敷より、なんと言うか、華があったな。」
マルガンダの屋敷は、貴族として最低限のものしかない。
そんなものより、領主として必要なモノを優先した、と言うのもあるが。
流石に、この幕舎は快適だ。
どこか罪悪感のようなものが、胸の内に燻っているが、のんびりとしているシエーナを見ると、やはり無理を強いていたと思う。
奴隷だった過去を、忘れる事はない。
それでも、引き摺るような真似は、もうしまい。
エルロンドの事もある。
「貧相、って言われないギリギリのラインだものね。服だって、そんなに良いの着てなかったのに、なんで攫われたのかなぁ。」
気楽なもの言いだ。
たまに、こちらを測るようにして、シエーナはこんな言い方をする。
多分、結婚してしばらくの間、それを不快に思っていたのが、顔に出ていたんだろう。
シエーナは、あの豚公爵が不穏な動きをしている事を知らない。
「もう、攫われてくれるなよ。街の外ならイェーガーだが、街中は必ずハリーかバックスに護衛を頼め。」
日誌を書く手を止めて、シエーナの眼を見る。
この話題に触れるのは、あれから初めてだ。
傷が治るまで、敢えて避けていた。
痛々しい姿で、話したくなかった。
顔に傷跡が残っている今でも、大差ないのだろうが。
かなり、血を流していたらしく、正直、今でも馬に乗ると、少し眩暈がする。
魔法医であるハリーが、偶然ラターシュに居なければ、俺はおそらく死んでいた。
「ごめんなさい。」
しょぼくれた声。
思わず上がりそうになった口角を、なんとか引き締める。
「心配で、気が狂うかと思った。いや、狂ってた、か。」
初めて人を斬った。
あの時、なんとも思わなかった自分がいる。
その事を受け入れている、自分もいる。
不思議だとは、思わない。
「ごめんなさい。」
開いたままだった日誌を閉じた。
雑多な覚書のような内容だが、領地の経営に区切りがつけば、まとめるつもりでいる。
その時、俺は幾つになっているのか。
「良い。済んだ事だ。無事でいてくれて、良かった。」
俺も、ベッドに転がる。
シエーナの背中に回り、後ろから抱きしめた。
「うん。」
消え入るような、か細い声。
耳が、赤い。
慣れないものだ。
夜の時も、未だに恥らう素振りを見せる。
だが、今夜はお預けだ。
激しい運動は、にっくき主治医兼秘書兼次期家宰候補に、止められている。
「アルも、無茶しないでね?」
今、とってもしたいんですけどね。
その日の夜は、シエーナが随分と頑張ってくれた。