ラターシュの市場。
「魚、魚が安いよ!ほら、そこのお嬢様、お一ついかが!」
「さっき潰したばかりの、仔羊だ!早いもの勝ちだぞ!」
「うちの畑で獲れた野菜はどうだい!この大きさ、凄いだろ!今なら一つ銅貨三枚だよ!」
高くもなく、安くもない宿で一泊した俺は、今シエーナとパウロを連れて、ラターシュの市場にいる。
あちこちから、叫びに似た声があがり、大変賑やかである。
まだ、日の出から間もないと言うのに、人でごった返していた。
人々の表情は明るい。
むしろ、気迫のようなものすら感じられる。
「凄いな。うちの領地で、こんな場所があるとは。」
言うと、パウロは苦笑した。
「マルガンダの市場も似たようなモノですがね。ここと違って、商人同士の取引が大半ですが。」
あれ。
「そうなのか?」
「ええ。ダルトンでも、正確な規模を把握しきれないぐらいには、賑わいますよ。」
知らなかった。
だが、考えて見ればローヌからの荷は、一度はマルガンダを通るのだ。
当然、と言う気もする。
「なんで知ってるの?パウロ。」
「それは勿論、アルマンド様の護衛として、マルガンダの事情には精通していないといけませんから。いつ何処でどんな輩が現れるか、わかりませんしね。時折様子を見に」
「嘘おっしゃい。あなた、ちょっと前に出来た娼館に出入りしてるからでしょ。」
「お、奥様」
「ティナも感づいてるわよ。」
「えっ。」
パウロの顔に、脂汗が浮かぶ。
シエーナは、パウロの嫁と仲が良い。
と言うか、うちに関係している女性陣のまとめ役みたいな事をやっていたらしい。
曰く、パウロの嫁であるティナは、普段物静かだが、パウロを完全な支配下に置くほど、しっかりした女性だそうだ。
「ど、どうか家内には内密に。」
「別に良いけど、すぐにバレちゃうと思うよ。」
ちなみに、俺は娼館通いなどしていないし、今後もするつもりはない。
シエーナだけでなく、アイラもいるし、他の女が欲しければ、囲えば良いのだ。
二人目の嫁や、側室、妾も、むしろ増やせと言われているぐらいだからな。
「アルは、行っちゃダメだからね。」
いや、行かんよ。
口にしかけたが、何も言わずに苦笑で返した。
彼女は、ジッと見つめてきて目を離さない。
言って欲しい言葉はわかるのだが、照れ臭い。
昨日の夜も、やたらと身体を密着させて来たしなぁ。
久しぶりのベッドと、押し当てられる柔らかさで、俺はすぐに寝てしまった。
今夜は、気合いを入れて励み、それを答えにすると言う事にしておこう。
「わかってる。」
ふい、と顔を逸らし、人混みを掻き分けるように、前に進んだ。
旅に必要なモノは、オーズとアルファドが買い揃えてくれる事になっている。
よって、俺が買わなければならないモノや、俺個人で欲しいモノがあるわけでもない。
だが、どんなモノが揃っているのかは、この地の領主として見ておきたい。
しばらく、店の品揃えや、客と商人のやり取りを眺めながら歩く。
パウロはぶつぶつと何か言っていて、シエーナは寄り道したがって、俺を困らせた。
特に、シエーナがやたらと関心があるらしい雑貨店は何件も周って、その度に感想を聞かれた。
ぶっちゃけ、どうでも良い。
俺は、食べ物の種類がどれだけあるかとか、金属製品の値が吊り上ってないかとか、そういった事を見たいのだ。
雑貨は、多少手先が器用な者であれば、そこそこのモノが作れる。
木工品が大半だから、大量に作れるし、輸送も楽な方に入る。
結局、日が傾くまで、シエーナに付き合わされた。
途中、気に入った彫細工が施された木の匙と、木彫のペンダントを買って、ご満悦である。
「楽しかったぁ。」
夕暮れ。
冷え込んできたが、繋いでいる手は、暖かい。
傾いた太陽が作った影が、シエーナの表情に妖しいほどの色気を漂わせていた。
背筋が、ぞくりとするような、そんな表情だ。
思わず目を逸らしてみると、盛況だった市場は、徐々に人が減っている。
これからは、歓楽街が賑わう時間だ。
「ね、酒場行ってみない?あぁいう所、入った事がないし。」
大きく、繋いだ手を振りながらシエーナは期待のこもった目で、俺を見た。
背後で、同じ目をしている赤髪の男は、まぁ見えなかった事にしておこう。
「あぁ。荷物を置いたら、行こうか。バックス達も、呼んでやろう。」
「やった。良かったわね。パウロ。」
「いや、俺は。」
「良かったな。パウロ。」
「は、はい。ありがとうございます。」
主君夫婦から、笑顔で言われて、珍しく畏まったパウロを、二人で小さく笑った。