吐露。
小さな光が見えた。
近づくにつれて、光は大きくなり、その近くに二つの人影があるのがわかった。
パウロとシエーナが、焚き火を挟んで座っている。
二人とも、こちらをジッと見つめていた。
「お帰りなさい。」
シエーナの隣に腰を下ろすと、ポツリと呟くようにシエーナが言った。
バックスは、パウロの隣だ。
炎に手をかざす。
冷え切った手に、痺れるような感覚が戻ってくる。
焚き火の近くは、こんなに暖かいものだと、俺はこちらに生まれてから始めて知った。
エアコンや、灯油やガスのストーブなど、当然こちらにはない。
暖房器具としての魔道具もあるにはあるが、庶民の手に届くような値段ではなく、火鉢で炭や乾燥させた家畜の糞を燃やして暖をとるのが一般的だ。
「ねぇ、アル。」
シエーナが、視界の端でこちらを見つめている。
俺は、焚き火から目を離さない。
夜道で、考えていた事は、なんだったのか。
今更、振り返る事に、どんな意味がある。
どうして、俺は何度も確認するかのように、過去を思い起こすのだろう。
自分が、何をしたいのか、よくわからない。
「アル?」
「聞こえてるよ。」
「じゃぁ、返事してよ。」
シエーナの声は、震えていた。
目だけ、そちらに向けると、シエーナはぽろぽろと涙をこぼしている。
「すまない。」
言うと、ほとんど同時に、シエーナの掌が飛んで来た。
騎士達と剣の稽古をしている俺からすれば、これぐらい避けるのは容易い。
だが、あえて頬で、それを受けた。
中々、いい音がした。
「人が、どれだけ心配してると思ってるの。」
叫ぶような、シエーナの声。
あぁ、割と本気で怒ってる。
仕方ない。
それぐらいに、俺はクズなのだろう。
「すまない。」
それしか、俺が言える言葉はない。
「どうして、何も言ってくれないの。」
揺れる炎の向こうで、パウロとバックスが、ジッとこちらを見ている。
二人とも、思わず背けたくなるような眼をしていた。
「いなくなるかと、あなたが死ぬんじゃないかと、本当に思ったんだから。」
震えている声で、消え入りそうなぐらい小さく、シエーナは言った。
そうできたら、どれほど楽か。
だが、そんな事は許されない事ぐらい、今の俺にもわかる。
「すまない。」
それしか、言葉が出て来ない。
「謝られたって、あなたの事はわからない。どうして、独りでいるの?こんな近くに、私はいるのに。」
言葉も、出て来なくなった。
沈黙が続く。
苦痛でしかない時間だ。
心の何処かが、抉られたような気分だった。
ただ、耐える。
時間さえ経てば、何事も過ぎ去っていく。
奴隷時代に、学んだ事だ。
「パウロ、バックス、外して頂戴。」
「しかし」
「早く。」
シエーナの低い声。
珍しく、有無言わせぬ迫力がある。
二人は同時に立ち上がり、一礼して闇に消えた。
それからまた、酷く重い沈黙が続く。
炎を見つめたまま、俺は動かなかった。
「私だけでも、話せないの?」
どれほど時が経ったのか。
沈黙を破ったのは、またシエーナだった。
「過去を、思い出していた。俺が、奴隷だった頃、王都に戻って来た頃、エリーゼの事や何もなかった領地、君と出会った時の事。そして、これからの事を。」
「それで?」
「それだけさ。毎日、毎日、何度も何度も、それを繰り返してる。ただ、それだけだ。」
「どうして、そんな事してるの?」
「わからない。気がついたら、考えている。」
「どんな事を考えてるの?」
「言っただろう。今までの事と、これからの事だ。」
何故か、責めらているような気分だ。
今すぐにでも、逃げ出したい。
早く、終わらせたい。
「そうじゃなくて。何て言うのかな。今までの事とか、これからの事を、どう考えてるのかなって。」
「どうと言う事もない。どうしようもない男だと、自分を見つめているだけだ。」
「そんな事ない。あんなに頑張ってたじゃない。」
「それが、どうした。今じゃ、この様だ。あまりにも情けないじゃないか。」
「それをわかってるなら」
「やめてくれ。シエーナ。」
「だって」
「わかってるんだ。君の言う通り、頑張っていた。成果も、ついて来たと思う。あの何もない野原だったこの土地に、こんな村が幾つもある。それだけでも、フィリップやキートス、マンシュタイン達がやって来た事は、賞賛を浴びるに相応しいだろうさ。だが、俺がやった事なんざ、それに比べれば欠片にも満たない、小さなもんだ。」
「そんな事は」
「ない、と本当に言えるのか。俺はただ、あの屋敷で紙切れを眺めていただけだろうが。それで、何もかもわかった気に、自分が何かやったようなつもりでいた。いや、そんなつもりに、ならなければいけなかった。それすら無ければ、耐えられるものか。」
あの、孤独に。
家臣や民の期待に。
エルロンドの眼差しに。
得たモノを、また失う事を繰り返す恐怖に。
恐かった。
失望される事が、恐ろしくて仕方なかった。
億劫だった。
クソ面白くもない書類に毎日毎日、眼を通さねばならない日々が、たまらない程に億劫だった。
愛される事も、愛する事も、もうたくさんだった。
エリーゼが逝った、あの瞬間は、あの顔は、今でもハッキリと思い出せる。
どこかでそれを、エルロンドに重ねてはいなかったか。
あの息子を失いたくないと思うと同時に、生まれてこなければ、もっとエリーゼと共にいられたと、どこかで思っていなかったか。
浅ましい。
こんなどうしようもない人間が、何を語り、何を成し、誰を想う権利があると言うのだ。
「大丈夫だから。誰もそんな事、思ってない。」
エリーゼの手が、俺の背に触れる。
「だから、お願いだから、遠くにいかないで。」
また、シエーナは泣いていた。
いや、俺が泣かせているのだ。
「戻れるだろうか。」
呟いてから、自分の言葉の意味を考えた。
何処に、戻ると言うのだ。
そもそも、戻れる資格が、俺にあるのか。
「きっと、大丈夫。だから、泣かないで。」
言われて、目元に触れた。
確かに、濡れている。
気づかなかった。
顔を、シエーナに向ける。
彼女も、頬を濡らしていた。
微笑みながら、シエーナは泣いていた。