シェバリ。
マルガンダから北に徒歩で半日。
そこで、麦畑の終わりが見えると同時に、町があった。
麦畑に囲まれたその町は、シェバリと呼ばれている冒険者の町だ。
人口は定住している者が二千、此処を拠点にしている冒険者が二百と言ったところか。
定住している者は農民や狩人が最も多く、宿屋、職人、商人、その他と続く。
シェバリの北東にある山で、ダンジョン化した地下迷宮が見つかり、自然と人が集まって町になった、うちの領地には珍しいタイプの町だ。
それほど大きな規模ではないが、マルガンダに近い事もあって、かなりの賑わいがあるそうだ。
地下迷宮の魔物は暗闇を好む動物や昆虫に近い種類が多い事もあってか、魔物が溢れ出す事はない。
俺が発見した神殿と違い、見つけた時には迷宮も周辺の生態系を構築する要素の一つになっていたようで、その山には肉食の鳥っぽい魔物や狼っぽい魔物が多かったりする。
シェバリの地下迷宮からは魔道具は出ないものの、良質の宝石が採掘できたり、化石化した飛竜の骨が見つられてたりして、そこそこ稼ぎやすい迷宮らしい。
特に、化石になった飛竜は新種、というか、うちの領地の固有種らしく、収集好きな貴族や、武器の素材や魔道具の材料として使えないか研究する為、各ギルドが良い値段をつけていた。
「アルマンド様、寄っていきますか?」
パウロが馬を寄せて来た。
俺達は、此処から更に北、ラターシュと言う町を目指している。
今のところ、うちの領内の最北端にある町で、そこからマルガンダを反時計回りに迂回しながら村々を周り、マルガンダの南にある船着場を中心に栄えたソーテルヌへと行く予定だ。
寄る理由も、寄らない理由も特にない。
急ぐ旅ではないし、食糧を始めとする物資は充分にある。
ラターシュまでは、シェバリから半月はかかるが、解放奴隷達が住んでいる村が途中に幾つかある。
屯田兵を率いているメルヴィンが開墾した土地があるので、そういった村がマルガンダの周辺には点在しているのだ。
「行きましょ。出来るならベッドの上で寝たいし。」
「正直ですねぇ。シエーナ様は。」
「私だって久しぶりにのんびりするんだもの。いいじゃない。初日からわざわざ野宿しなくたって。」
「久しぶり、か。そんなに忙しかったのか?」
俺が聞くと、シエーナはちょっとムっとしたように唇を歪ませた。
「誰かさんのおかげで、領地の事とか王国のむずかしーいお話しとか、色々ややこしい事を習わされたのよ。」
あぁ、そうか。
勉強以外は、多分俺に付きっきりだったし、飯と睡眠以外、気が休まる暇もなかったんだろう。
俺の正妻であるシエーナは、俺にもしもの事があった際に、エンリッヒ家を取り仕切る権限を持っている。
フィリップが、今の俺に危機感を抱くのは、何ら不思議な事とは思えない。
「そうか。すまなかった。」
言うと、微笑みで返された。
オーガスタに怒鳴られたのもそうだが、こういう無遠慮さが、救いに思える。
オーガスタとシエーナは、わかってやっているのだろうが、それでもありがたい。
何か言いたげなのがわかるのに、何も言わずに背を向けられるのは、うんざりだ。
「で、どうするんです?」
「寄って行こう。今日は、あそこで宿を取る。」
「大した宿はありませんが。」
「かまわないさ。宿があるだけでも、ありがたい。」
普段では、考えられないほど、のんびりした行程だ。
前にシエーナを伴った視察の時ですら、進めるだけ進むような移動を繰り返していたのだ。
「アル、宿に荷物置いたら、お買い物いきましょ。」
再び進み始めてすぐ、シエーナが声を弾ませた。
ごく普通のデートのお誘いなのだが、エルロンドに何かをせがまれているのと、似たような気分になる。
「余計なモノを買っても邪魔になるだけだろ。」
「冒険者の町なんでしょ、旅に役立つものだってあるわよ。多分。」
「何か欲しいモノでもあるのか?」
「ううん。でも、どんなのがあるか、気になるじゃない。」
なるほど。
モノを買う事が目的じゃなくて、買い物に行く事が目的なんだな。
まぁ、衝動買いにさえ気をつければ大丈夫だろ。きっと。
「そうか。夕食までには、宿に帰るからな。」
「はーい。」
今にもガッツポーズしそうな、満面の笑みのシエーナ。
考えてみると、夫婦なのにデートらしいデートなんか、した事がない。
結婚前に、一度ラフィット家直営のレストランに行ったきりだ。
あの頃は、何をどう利用できるかばかり考えていた気がする。
シエーナにとっては、あれは辛い思い出の始まりかも知れない。
過去は、もうどうにもならないが、今日一日ぐらいは、シエーナの我儘を聞いてやろう。
いくらかの後悔と共に、俺はそう思った。
シェバリの入り口には、簡素な門と門番が二人いるだけだった。
大丈夫なのかと思ったが、マルガンダが近い事もあって、騎士団が頻繁に行き来するし、冒険者が探索ついでに魔物を始末したりするので、この辺りの治安はかなり良いそうだ。
これだけ麦畑が広がっていると、逆に魔物が生息するのは難しいと言うのもあるんだが。
ただ、ゴブリンだけは何処からかやって来て、放っておくと増えるので、五十名ほど傭兵を雇って定期的に討伐させている。
ほとんど新米のような者達ばかりで、狩るのがゴブリンなので、報酬はかなり抑えられているが。
「賑やかだな。」
シェバリの町中は、若い男が多い。
おそらく、探索を休んでいる冒険者だろう。
昼を少し過ぎたぐらいだが、屋台で買い食いしている姿が目立つ。
「冒険者は、今からが昼時ですからね。おれも休みの日は、昼まで寝てたもんです。」
ほう。
昼まで寝てても許されるなど、貴族生活ではほとんどない。
そこだけ見れば、羨ましい限りだ。
「普段、余程の緊張の中にいるんだろうからな。休みぐらい寝て過ごさんともたないだろう。」
実際、冒険者達は飯を食っている動作にさえ、隙がない。
戦闘は本業ではないが故に、戦って勝つよりも、戦いを回避する、もしくは負けても生き残る技術を、彼らは磨いている。
前世とは違い、この世界では町の中でさえ危険が溢れているのだ。
戦わねばならない理由がない限り、逃げた方が良いのは当たり前だった。
実際、傭兵稼業と言うのは、引退できる者は全体の一割ちょっと。
他は戦死するか病死するか、行方不明になるかのどれかである。
「そういや、俺達も昼飯まだでしたね。」
とぼけたように、パウロは呟いた。
視線がチラチラとシエーナに向いている。
そして、シエーナは視線はチラチラと屋台に向けていた。
「宿で食えるだろ。」
言うと、シエーナが絶望の眼差しを発した。
飯ぐらいで、大そうな。
「ま、まぁ、そうでしょうね。」
パウロの言に、ガックリと肩を下ろすシエーナ。
子供か。お前は。
エルロンドは、我が子ながらしっかりした子だと思うが、シエーナと同レベルだと思うとなんか微妙な気分になる。
「つまむ程度なら、買い物の時にでも買えば良いからな。」
花が開くように笑顔を見せるシエーナ。
わかりやす過ぎるし、チョロ過ぎる。
渇いた声で、パウロは笑った。