II 筋肉男の強制拉致
「――ありす?」
「ん? どうした白兎」
「いや……ありすが僕を呼んだ気がしたのですが」
「うえぇっ!!? ……白兎、ついにお前恋の病にかかっちまったのか……」
「ハル、変な事言ってると脳天ぶち抜きますよ」
「すまん」
リオは今の事が少し気になって周りをぐるっと見回してみるが、やはり一面紅い花園。
地に咲く大量の紅い薔薇は2人の様子をあざ笑うかのように、風で不規則に揺れている。
その光景が苛立ちを徐々に増幅させ、思わずハルなんかは薔薇に向かって顔をイーッとしていた。
そして肝心のありすの姿なんて、花の大群のどの角度から見ても影すら見当たらない。
「やれやれ……どーすんのさ白兎っ。きっと薔薇畑にはありすはいないぜ?」
「そうかもしれませんね。でも、彼女が行くところなんて予想もつかないし」
薔薇の国のことを何も知らない彼女が、どこかを目的地にして動けるはずがない。それはつまり彼女の行動の予測不能を意味している。
何も出来ない自分をひっそりと責めリオは途方に暮れていると、ふとハルが何かを思いついたように手を叩いて、突如口走った。
「じゃさっ、クラウスの所行こーぜ!」
「え、一体何故その必要が?」
「だってもしかしたら何か知ってるかもしれないし」
「……いや、でもその確率はかなり低いじゃないですか」
「でも、ゼロじゃあないだろ」
「……まぁ」
「決まりっ! じゃあ早速お茶会場に行こう。多分アイツはそこにいる」
それって、ただ単にハルがクラウスに会いたいだけでは?
白兎はひっそりとそう思ったが、あえて口には出さない。
半場無理やりの状態でハルはリオの腕を珍しく引っ張り、クラウスのいるお茶会場へ向けて薔薇畑をせっせと歩き出した。
◇
「クラウス……もう私、大丈夫だよ」
「……本当に?」
「うん」
ほんの少しだけだが落ち着くことが出来た私は彼女にそう伝えた。
するとまだ多少心配そうな顔をしながらも、クラウスはゆっくりと私の身体から手を離していく。
やがて彼女は、私の茶色の瞳と自分の桃色の瞳を静かにあわせると、諭すような声で私に語りかけてきた。
「いくら私が今更女王様に抗議したって、ゲームが終わるわけではありません。なら、次に私が願うことはなんだと思いますか?」
「……そんなの、わかんないよ」
私に消えてもらうこと? それが貴方の2番目の願い?
どちらにせよ良い答えなんて返って来るはずはない。だって私はあなたの願いを潰す者なんだって、さっき知っちゃったから。
クラウスの艶やかな髪が、風でふんわりと揺れた。
「ありす様、それはあなたがゲームを終えた時も元気な姿でいることですわ。それが私のふたつめの願い」
「えっ――なんで」
「あなたが大好きだからに決まってます」
そう言うとクラウスは柔らかく微笑む。
木漏れ日が優しく降り注ぎ、少しの間お茶会場に静かな時間が訪れた。
「応援してます、ありす様」
「クラウス……」
「ただし、お願いがありますの」
「え?」
「薔薇の国の住人がもし殺し合いをしそうになっているのを見たときは……その方たちを止めてあげてくださいな。私は所詮無力な兎。だけどあなたは高貴な存在。きっとありす様の言うことなら皆聞くはずですから」
クラウスは私の横に立ったまま、少し寂しそうに顔をうつむかせていた。
……悲しそうな顔。私まで胸が苦しくなる。
そうか。私が何か行動を起こせば、ゲームはひとりも犠牲者を出さずに終わるかもしれないんだ。
その言葉が脳内に回った瞬間、決意に似た感覚が芽生えた。
「……わかった。私も頑張るから!」
「ありがとうございます、ありす様。お優しい方」
こうして、ようやく私たちはもう一度見つめあって笑みを浮かべることが出来た。
さっきの重苦しい雰囲気は徐々に元の雰囲気に溶け込んで消えていき、再び暖かな空間が私たちをゆったりと包み込む。
やっぱりクラウスといるときぐらいは、こっちの雰囲気の方が良い。
心に溜まる不安などを、ちょっとの間だけでも全部さらっていって欲しいから。
するとクラウスは、傍らに置いてあるさっきのティーポットをそっと手にとって、にこやかに目を細める。
「何かしんみりとしてしまいましたわね。お茶会、もう一度やり直します?」
「うん、それ良いと思う!」
「残念だが楽しい時間はこれで終わりだ」
声がした。
クラウスの甘い声ではなく、もちろん私の声でもない、低くうなるような声だった。
「……誰?」
第三者は、私たちの近くに音もたてずにずしりと立っていた。
男。スキンヘッドで顔の彫りはとても深く、一言で表すなら……いかつい。
衛兵隊員みたいな黒い服を着ていて、腰には長くも短くもない剣が3本装備されている。
体型はリオやハルと違い、スマートとはとても言えなさそうな筋肉質というのが服の上からでも一瞬見ただけで伝わってきた。
それに、顔的にも彼は完璧に十代ではない。若くても、20代前半ってところ。
しかし男を見ると、さっきまで愛らしい笑みを浮かべていたクラウスが突如顔を真っ青にしガタガタと震えだした。
花柄のティーポットが次第に彼女の手から離れていき、しまいには思いきり落下して地面へ紅い紅茶の花を咲かす。
ボーガンにもめげずに向かっていった彼女がこんなにこの人を怖がるなんて、この人……一体何者なの?
「エ……エースッ……!」
「久しぶりだ、毒使い」
「なんでここにありすがいるとわかったんですのッ……」
「双子を回収したときに聞いた。貴様らがお茶会場に走っていったと」
「ずいぶん……行動が早いですわね」
「そうだな。そして今も、無駄な時間はかけられない。女王陛下にすぐありすを連れてくるように頼まれているんでね。さあ毒使い、速やかにありすを引き渡してもらおう」
するとエースと呼ばれた顔の濃いスキンヘッドの男は目を見開いたかと思うと、瞬間移動のごとき速さで私たちの所へ乱暴に間合いをつめこむ。
私はその衝撃で椅子から勢いよく地へ落下した。
だが、クラウスは恐怖の表情を浮かべたまま、その場から動かない。いや、きっと動けないんだ。
やがてエースは呆然としたままのクラウスの華奢な喉元をガッと強く掴み、彼女の身体丸ごとを片手で思いきり持ち上げた。
「きゃ!」
彼女が持ち上げられたとき彼女の足がテーブルにガツンと思いきりぶつかり、カップから紅茶がこぼれ真っ白で汚れひとつなかったクロスを赤茶色にずぶずぶと染めあげていく。
お菓子の入ったバスケットが空を舞い、中のクッキーがいたるところに飛び散っていった。
テーブルの上の丁寧に磨かれていた食器類は無残にも粉々に割れ、ガラスの破片が私の指先を細かく切り裂く。
わずか一瞬にして暖かなお茶会場は冷たい惨劇の場へと変貌を遂げた。
「……かはっ!」
「ク、クラウス!」
クラウスは喉元から彼の手を引き離そうと必死に抵抗しているが、相手は大の男。
かよわい少女の力なんて、クロアリが人間を噛むときくらいの力にしか思われていないのだろう。エースは喉元を掴む腕を全くゆるめなかった。
やがてクラウスは苦しそうに身をよじりながら苦悶の表情をにじませていく。
私は椅子から落ちた体勢のまま茶色い髪を振り乱して腹の底から叫んだ。
「や、やめてぇっ! クラウスが死んじゃうでしょ!」
「では、毒使いの命と引き換えにありすがわたしについて来るというなら手を離してやる」
「ぁ……す様……だ、めです……エースにつ……ていっては……!」
――あぁもう、次から次へとしつこいなあッ!
私はようやく立ち上がり、エースの腕に混乱しながらも必死で掴まってとにかく揺さぶり、なんとか手を緩めようとさせるがびくともしない。
クラウスは元々白い顔をさらに不吉なほど青白く変化させていく。口には出さないが、もう限界が近づいているのだろう。
彼女は私のほうへ痙攣しながら眼球を動かし、最後の力を振り絞ったような細い声で呟き始めた。
「……ぁり……様、私をおいて……早く逃げて……さいッ」
「はっ、そんなことできるわけないでしょ!?」
「――エースは女王様の忠実な下僕……つ……ていったら、城へ閉じ……められ……」
「余計な事を言うと自分の死期を早めることになるぞ、毒使い」
ぎりぎりと首を締め上げる手に力が込められ、見ていられない。
このままでは本当にクラウスが死んでしまう。クラウスは私の恩人で、大切な友達なのに。
このままじゃいけない。なのに、情けなくも恐怖や震えで私の腕には力が入らないのだ。
……彼女を助ける方法は、残りひとつ。
「……ゎ、私があなたについて行けばクラウスの事は助けてくれるの!?」
「ああ」
「じゃあ私いくらでも貴方について行くから! その手を離して!」
私は一刻も早く彼女を助けたくて、爆発しそうな涙腺を無理やり抑え込み悲痛な声でエースに訴えかけた。
クラウスを助けたい。そのためなら、私はなんだってする。
彼はそれを聞くと眉間にしわを寄せて疑惑の混じった顔で私の瞳を覗き込む。
……怖い。エースは一体今何を心に思っているんだろう。
元々彫りが深いのに、さらに眉間にしわなんて寄せたら彼は完璧悪人面だ。
私はあまりの覇気にさらに恐怖し、筋肉の塊みたいなエースの腕から手を離して少し後ずさりする。
やがてエースは静かに喉をしめる手を緩め、彼女の身体をテーブルのそばへ乱暴に投げ捨てた。
クラウスはようやく解放された喉を押さえ苦しそうにせき込みながら、ガラスやクッキーの散乱した地にぐったりと倒れこむ。
――ついに、今から私一人で戦わなくっちゃいけないんだ。
私は深く息を吸い込んで、ひっそりと心に確かな覚悟を決めた。
「では、ありす。約束は守ってもらうぞ。これからお前はわたしと一緒に城へ行くんだ」
「……覚悟は、出来てるわ」
「なら早く行くぞ。女王陛下がお待ちになっているからな」
そう言うと彼は私の身体を強引に俵担ぎする。
な、何これ!? 大の男にこんな事されたことない。いや、大の男じゃなくったってこんな事されたことない!
恥ずかしさと戸惑いで私は思いきり足をばたつかせ、厚底の黒い靴でエースの上半身をこれでもかという位たくさんの蹴りをお見舞いした。
だが彼の胸板はだいぶ強靭に出来ているのか、びくともしない。
「ねぇちょっと、担ぐのやめてよ!」
「それは無理な要求だな。こうでもしないとお前は逃げるかもしれないし、こっちのほうが城への時間短縮になる。我慢するんだ」
「……ふん!」
徐々に遠ざかっていくお茶会場から、倒れているクラウスが弱弱しい声で「城へ行ったら狂ってしまう」と言ったような気がした。
――このときクラウスのこの忠告をちゃんと受け入れていたら、私はあんな目には合わなかったのかもしれないのに。
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