IV 薔薇の国の秘密
『――姉と弟? すごい意外、一人っ子かと思ってた』
たしかこれが、リオの口から家族構成を聞いた俺の第一声だったと思う。
それを聞くとリオは苦笑いを浮かべながら、ぺたりとバルコニーの床に座り込んだ。
『でも、実質この世に形を成してるのは姉と僕だけです。弟は生まれなかった』
『……じゃあなんで自分に弟がいるってわかるのさ』
『存在してるんですよ。彼は僕の、カラダの中で』
――意味がわからない。それが本心だった。
リオの身体の中に弟がいる、なんて突然聞かされて『へえ、そうなんだー』で納得できるわけない。
俺が訝しむような視線をリオに向けると、リオは真紅の瞳をすうっと細めて笑う。
『意味、わからないですか?』
『当たり前じゃん』
『……長くなりますから、シェイドも座ったほうがいいですよ』
リオはぽんぽん、と地面を叩いて俺に腰をおろすように促したんだ。
あ、頭こんがらがってきた? 俺もそのときはそうだったよ。
だから俺は素直に従いリオの隣に座って、首を傾げるだけ。
薔薇の香りを乗せた風に吹かれ、リオの透き通ったふわりと髪が揺れたのが何故か印象的だった。
――間もなくして、リオは静かに自分の生い立ちについて語り出した。
ロザヴォーグ家。
薔薇の国でも群を抜く名家で、ロザヴォーグ家に生まれた子供はありとあらゆる者から祝福されるという。
――だけど華やかなのは表面だけ。本当は、深い深い謎に包まれた家系だった。
ロザヴォーグ家に生まれる子供は決まっている。
それは、双子。男の双生児。
ただ、このふたりには決定的な違いがある。
先に生まれる子は、真紅の瞳と白い兎の耳。
そして――あとに生まれる子は青い瞳と黒い兎の耳を持って生まれてくる。
背丈も顔もまったく同じ。ただ、それだけが違う。
そしてもうひとつ。
彼らの性格は必ず真逆になる。
白兎の子は穏便で平和主義。全てを受け入れるような慈悲の心を持つ。
それと逆に黒兎の子は気性が荒く、身勝手で暴力的。
だから薔薇の国の大人はもちろん――彼らの両親でさえも白兎のみ可愛がり、黒兎のことは突き放した。
なぜこのような理解しがたい現象が起こるのかは解明されていない。
が、どうあがこうがこれが白兎と黒兎の生まれながらの宿命。
白兎は愛され死ぬまで幸福の道を辿り、黒兎は拒絶され死ぬまで孤独の道を辿る。
このようなことが何十年も、何百年も続いていた。
『……そんなの初めて聞いた』
『当たり前です。僕の先々代くらいから、黒兎は表社会から隔離され今ではもう無いものとされてましたから』
『じゃあ何、もしかしてリオのお父さんも双子で、その弟ってかリオの叔父さんも黒兎とかいうオチ?』
『――ええ、でも叔父は僕が生まれる何十年も前に亡くなったそうですよ。白兎は長命だけど、黒兎は非常に短命らしいです』
当時はロザヴォーグ家がどんなにすごい家柄か知らなかった俺にとって、リオの口から次々と飛び出す言葉を頭の中で整理するのにひどく時間がかかったというのは、言うまでもない。
だけどリオは混乱する俺を放って、延々と話を続けた。
*.+。*.+。*
「――それで、その続きは?」
「ん、聞きたい?」
「……シェイド」
「ごめんごめん。怒らないでよ」
むっとした顔でシェイドを見ると、彼はピアスだらけの猫耳をぱたぱた動かしながら笑う。
いっそ首輪ぎゅっと締めたろか。そしたら少しはひねくれた性格も直るかもしれない。
が、私がそんなことを考えてる間にシェイドはベッドにごろんと寝転がって、再び続きを語りだした。
*.+。*.+。*
リオの叔父にあたる人物、そして黒兎である青年がある年ひっそりと亡くなった。
だけど住人達はそのことを知らない。
何故なら、その頃から黒兎はロザヴォーグ家の地下に閉じ込められ、誰にも存在を悟られず孤独な一生を過ごすことになっていたから。
リオの父親は実の弟であるその人物を誰にも悟られず薔薇の国のはずれに埋めた。
黒兎を世に出してはいけない。もしそんな愚行を行えば、国の破滅にも繋がりかねない。
それくらい、ロザヴォーグ家の人間にとって黒兎は《脅威》だった。
――黒兎の死から数年。
時は流れ、リオの母親となる女性がリオの父親の子を身ごもる。
リオの父親は恐怖と同時に覚悟を決めたらしい。
きっとこの腹から生まれてくるのは、愛されるために生まれてくる子供と、自分達をおびやかすだけの存在である子供。
何十年も何百年も前からそうだ。それが揺らぐはずがない。
名前ももう考えた。
リオとローシェス。先に生まれてきた子が『リオ』。
住人に気づかれないよう夜な夜なひっそりと黒兎を閉じ込めるための地下牢を整理して、リオの両親は【そのとき】が来るまでひたすら待ち続けた。
――だが、どうしたことか。
生まれてきたのはなんと、白い兎耳に青い瞳の娘。
リオの両親は驚いた。そして、恐れた。
一体何が起きたっていうんだ、これは一体何故なんだと相当パニックになったらしい。
そりゃそうだ、今まで揺るぎなかったものが突然崩れだしたんだから。
それでも、生まれてきたのは黒兎じゃない。白兎だ。
結果オーライって感じ? 結局リオの両親はその娘に『リカ』と名づけてうんと可愛がった。
――人って幸せが続きすぎちゃうと、不幸を忘れちゃうんだよね。
数年経って、リオの母親はふたたび身ごもった。だけど、何も思わなかった。
きっと次に生まれてくるのも白兎の子だ。黒兎は、私たちの時代で終わったんだ。
きっとリオの両親はそんな事を考えてたんじゃないかな。
――そして次に生まれてきたのは、白い兎耳に真紅の瞳の息子。
待望の男の子。両親はその子供に『リオ』という名前を授け、ひどく喜んだ。
リカにリオ。
愛らしい娘と息子に囲まれ、彼らの両親は幸福を噛みしめてただろう。
――だけど、世の中そんなうまくできてないんだ。
リオの両親はある日、幸福の絶頂から奈落の底へ叩き落されることになる。
きっかけは本当にささいな事だったらしい。
駄々をこね言う事を聞かない4歳のリオを、リオの父親が軽く叩いた。
ただ、それだけのことだったのに。
――その瞬間から、運命の歯車は音を立てて狂いだした。
叩かれた頬を押さえ、リオが父親を睨む。
そのときのリオの目はとても4歳児のものとは思えないほど鋭かったらしい。
その目つきを見てカッとなった父親が、口を開こうとしたそのとき――リオの耳が突然黒く染まりだした。
白と黒のコントラスト。真紅の瞳はいつの間にか青い瞳へ。両親は思わず目を疑う。
『僕の身体を傷つけるものは、誰であっても許さない』
それからは地獄。
まるで黒兎のような姿に変貌を遂げたリオが、家の中にある凶器という凶器を振りかざし父親に襲い掛かった。
泣き叫ぶリカ。必死でリオを止めにかかる母親。
【黒兎】の呪いは終わってなんかいなかった。
この世に形を成さなかった代わりに、黒兎は白兎であるリオと身体を共有することになってしまったんだ、と。
なぜ。どうしてこんなひどいことに。ついには両親までもが泣き叫んだ。
――リオはしばらくすると、元の白い姿に戻ったらしい。
どんなに凶暴いえど所詮は4歳。狂気に体力がついていかなかったみたい。
だけど疲れ果て眠るリオを見つめ、両親はひどく落胆する。
リオの中にもうひとつの心がある。
それはきっと、生まれてくるはずだった――でも生まれなかった『ローシェス』の魂。
生まれた子が白兎なら、溢れるほどの愛を与えてあげる。
生まれた子が黒兎なら、遠ざけ一生牢に閉じ込める。
じゃあ、ひとつの身体にふたつの魂が宿ってしまった場合は?
リオの両親が出した結論。それは――
『……悩んだ末に両親は、僕に姉と同じ生活をさせる代わりに、僕にハートのピアスをつけることを決めたんです』
『え、じゃあそれオシャレとかじゃないの?』
『まさか。これは一種の制御装置で、本来黒兎の子がつけるはずだったものです。どういう仕組みなのかは僕にもよくわからないんですが、これをつけている間はローシェスの狂気が表に出ることは絶対にない』
『っていうかさ、二重人格ってわけじゃないんでしょ? だったらなんでリオとその弟は一緒の身体に生まれてきちゃったわけ?』
『さあ、僕にもそれは――ただ』
『ただ?』
『七代目のアリスが関係してるのかもしれませんね』
*.+。*.+。*
「私が……関係してるの?」
「あくまで推測ね。だって、ロザヴォーグ家に異変が起きた翌年にありす嬢が生まれたんだもん。もしかしたら長い間待ち望んでいた七代目のアリスがもうすぐ生まれるかもしれないぞーってロザヴォーグ家の血が騒ぎだして、結果彼らの中で何かが狂ったのかもしれない」
「……でもそれだったら私、直接は関係してないじゃん!」
「そうだね。だからありす嬢が気に病む必要はないと思うよ。それに、証拠もないんだし」
――そうは言われても、やっぱ気になるじゃん。
っていうか言ってることが難しすぎてぶっちゃけよくわからない。
もうちょっとお馬鹿な私でも理解できるように言葉を選んでくれないかな。なんちゃって。
「……じゃあつまり、私たちの前に現れた黒い兎耳のリオは本物のリオじゃなくて『ローシェス』っていう人なの?」
「そうそう。姿はリオ、中身はローシェス。ややこしいね」
シェイドのおしゃべりな口はどうやらまだ止まりそうにない。
小さくため息をついて、私は再び彼の話に耳を傾けた。
*.+。*.+。*
こんなファンタジーじみたリオの出生の秘密を、日頃から疑い深い俺がそう簡単に信じられるはずなどなく。
秘密聞きたさについノリで『信じる』とか言ったけれど、本当の事を言うと半信半疑状態だったんだよね。
『……へえ、大変なんだねリオん家』
『そうですね』
それだけ。
あれだけ長引きそうだった俺らのやり取りは、意外とあっさり終わりを迎えた。
まあいい。リオはリオだ。ローシェスってやつは関係ない。
そのときの俺はリオの秘密を、それくらいにしか思ってなかったんだ。
――時が経つのって、ものすごく早い。
気がつけばまた一年が過ぎて、俺とリオは無事13歳を迎えた。
そんなある日のこと。
『ねえシェイド、たまには違うところに行ってみません?』
バルコニーでいつものように薔薇の香りがする柔らかな風を浴びていると、リオが突然こんなことを言い出した。
驚いたね。だって、ここんとこ数年バルコニー以外の場所で俺らが遊ぶことはなかったから。
『……でもリオ、仕事は?』
『実はですね、珍しいことに今日は紅の女王もエースも他国へ招かれてて不在なんです! それに、トランプ兵くらいならうまくまけますし。行きましょうよ、こんな日くらいしか僕が自由な時間を過ごせることってありませんよ?』
『でも……いいの?』
『僕が行きたいって行ったならいいんですよ。だから、ほら!』
見てるこっちも笑っちゃうくらい可愛い笑顔ではしゃぐリオ。
兎耳をぴょこぴょこ動かして、俺の服まで掴んじゃってさ。あんなリオ見たことない。
負けたね。あの笑顔に負けた。だから俺は不安な気持ちを心の奥に押しこんで、こくんと頷いた。
――今思えば、あのとき俺とリオがバルコニーから動かなければ、俺らの仲が壊れることもなかったのかも。
俺らが向かった先は、薔薇の森。
俺とリオが初めて出会った運命の場所。
夕暮れ時を迎えるまで、俺らは13歳の子供らしく走り回って遊んだ。
はしゃぎながら走るリオと、息を切らしリオを追いかける俺。
真っ赤な夕焼けを背に受け、静かな森にいばらの軋む音と笑い声を響かせる。
もう楽しくて楽しくて仕方がなかった。
こんな楽しい時間がずっと続くと、信じてたんだけどね。
――突然、薔薇の木の陰から誰かが姿を現したんだ。
大柄で、顔は無精ひげに覆われ、薔薇の国にふさわしくない汚らしい身なりをした男が立っている。
じっとりと、舐めるような目線でこっちを見てる。
こいつ、住人じゃない。どこか違う国から来た奴だ。俺はすぐにそう考えた。
思わず俺とリオは走るのをやめて、その怪しげな男から逃げるように後ずさりする。
頭の奥で警鐘。心の中で焦燥。関わっちゃダメだ、逃げろともうひとりの自分が叫ぶ。
――その瞬間、男がリオに襲い掛かったんだよ。
女の子と間違えたのかは知らないけど、男は荒く呼吸をしながらリオに馬乗りになって、胸元の懐中時計を引きちぎる。
笑えない。本当に笑えない状況だったね。
だから俺はすぐさま駆け出して、必死になって男をリオから引きはがそうとしたんだけど。
だけど子供が大人にかなうはずなんかない。俺は簡単に跳ね除けられて後方に吹っ飛んだ。
『リオ、リオ――!』
目の前が真っ暗になる。幸せだった時間は一瞬で悪夢に変わる。
まずい、まずいよ、このままじゃリオが――俺は目に涙をいっぱい溜めて腹の底から叫んだ。
――だけどそのとき。
何を思ったのかは知らないけれど、馬鹿で愚かな暴漢はリオのハートのピアスに触れ――ぶちんとそれを引きちぎったんだ。
目の前の闇が深さを増す。呼吸が止まったかと思った。
一年前に聞いた、あの出来事が脳裏に蘇って。
――気がついた頃には、目の前は黒ではなく赤に染まりきっていた。
森中に響く高らかな笑い声。黒い兎耳。血まみれの暴漢の頭を鷲掴みにして俺の前に立っているのは、リオであってリオじゃない誰か。
――これが、ローシェス。
俺は黒兎という脅威を前にし、ただただ恐怖した。
初めて見るリオの弟。これが呪われた宿命を持つ子か。
嘘だと思っていたことが、一瞬にして俺の中で真実に変わる。
彼はこの世のものとは思えないほど綺麗だった。
だけど、怖かった。
――どうにかしなきゃ。どうにか。とにかく無我夢中。
俺は地面を這うようにして暴漢が投げ捨てたピアスを探し出し、覚悟を決めて正面からローシェスに挑んだんだ。
ピアスをもう一度つければ、もとの状態に戻せば何かが起こるかもしれない。
幸いあいつの手は塞がってる。自分の身の危険なんて関係ない。
リオ、戻って!
飛び込むようにリオの耳にしがみついて、ピアスホールがありそうな場所に思いっきりピアスを刺した。
――奇跡ってあるもんなんだね。ピアスを刺した瞬間、リオもといローシェスの動きがぴたりと止まって、黒かった耳がどんどん白くなっていた。
ありす嬢も見たでしょ? リオが黒から白に変わるの。本当、あんな感じ。
『……シェイド』
完全にローシェスからリオに戻ったとき、リオは真っ先に俺の名前を呼んだ。
そして次の瞬間、自分が犯した罪の深さを知る。
ところどころ破けた服に、足元に倒れた屍に、息を切らす俺……そして真っ赤になった自分の手。
それを見たときのリオっていったら、この世の終わりみたいな顔してたよ。そして、ぼろぼろ泣いた。
『まだ、見られたくなかったのに』
リオは泣いて泣いて、泣き崩れた。
決して今のはリオが悪いわけじゃない。事故。そう、事故なんだ。
だけどリオは俺に《ローシェスの姿》を見られたことをひどく悔やみだした。
見てて痛々しかった。だから俺も耐えらんなくなって、何か言おうとした――だけど。
『僕はもう、君と昔のように接することは出来ません。どうか、忘れて』
そう言って、リオは泣きながら俺に背を向けた。
どんなに言葉で引きとめようとしても、リオは立ち止まることなく俺から離れていく。
遠ざかる。遠ざかる。永遠と信じていた絆も、すべて――
*.+。*.+。*
「――以上、俺とリオの過去から秘密についてでした。おっしまい」
「え、それで終わりなの?」
「俺が覚えてる限りではね。それ以来バルコニーにリオは来なくなったし、俺が死刑執行人になって城に住み込みで働くことになってもずっとすれ違ってた」
「はあ」
「っていうか、俺に会ってもまともな会話してくれないんだよね。嫌な顔するか無視するか距離置いて接するかのどれかだよ」
「……いや、でも、それって単にシェイドがリオの嫌がるようなちょっかいを出したからとかじゃなくて?」
「言うねありす嬢! んー……でも、確かにそれもあるかも」
クスクス笑うシェイドを横目に、私はまたもやため息をつく。
「ありす嬢、これで満足かな?」
「まあとりあえず黒兎の正体を聞けたからいいやって感じ」
「そっか。じゃ、俺そろそろ部屋出るね」
そう言うとシェイドはよいしょと起き上がって、そのまますくっと立ち上がった。
ベッドの上に残された私はシェイドをじっと見つめる。すると、シェイドは蒼い瞳を細めて『なあに?』と笑った。
「そういえばさ」
「え?」
「……なんでリオもシェイドも、私がここに連れてこられたって知ってたの?」
それを聞いたとき、シェイドが一瞬だけ無表情になった。
だけどまたすぐに笑顔を作り、彼は言う。
「――ありす嬢、探知機を持ち歩くなら一個より二個だよ」
……あの、会話かみ合ってませんが?
だけどシェイドはそれから一度も私に目をくれず、革靴を踏み鳴らしてそのまま部屋を出ていった。
本当にあの人謎だな、さすがチェシャ猫ともいうべきか。
ひとりになった私は唇を尖らせて、ぼふんとベッドに倒れこむ。
白兎と黒兎。
双子の兄リオと弟ローシェス。
リオの中にローシェスの意志、か。
――ちょっと経ったら、ハルのところに行ってみよう。
|