III 虐 殺
――場所は薔薇の森の奥。
目の前にはオジサン。
後ろには突如現れた『ハンプティー』と名乗る男。
冷たい冷たい瞳を、眼鏡の奥に隠し持つ男。
背中に変な違和感があり、なんだか気分が落ち着かない。
せっかくオジサンと会話を楽しんでたのに、彼の出現によって、それを中断させられたって事を根に持ってるっていうのもあるけど……何よりあの冷たく不快な視線が再び自分に向けられるのが怖くて、私はわざと彼のほうを見ないようにした。
「ありちゃん、気分が悪いのかい?」
「……ううん。気にしないで」
――色んな意味で気分が悪いなんて、オジサンには言えない。
なんとか気持ちを安定させようと、私は自分の腕でそっと身体を抱える。
自分の温もりでもいいから、何か熱を持つ暖かいものにすがりついて、落ち着きを取り戻したかった。
「オジサン……この人何者?」
ハンプティーに聞こえないように小声でそっとオジサンに問い掛ける。
するとオジサンは腕を組んで『うーん』と少し考えたあと、小声で私に返答してくれた。
「ハンプティーはね……軍人でもあるけれどそれなりに有名な資産家でもあり、薔薇の国にある施設によく多額の寄付をしているらしい」
「『らしい』って、なんでそんな曖昧なの?」
「おじさんはよく知らないんだが、ハンプティー本人がそう言っていたからさ」
「そ、そんなあてにならない情報をバカ正直に信じちゃ駄目だって!」
「……しかし、なんでもかんでも疑ってかかるのはおじさんの性分に合わなくてね」
――だからって、いくらなんでもそれはないだろ!
人がいいのかただ天然なのかわからないけれど、オジサンのその考え方にはいまいち賛成する気になれない。
だっておかしいでしょ。こんな態度悪くて冷たい表情してる人が施設に寄付とか考えられない。嘘もついていいものと悪いものがあるってことを知れ、この変態眼鏡ヤローめ。
……人を見かけで判断しちゃいけないって言うけど、相手がこの人の場合は別!
私はハンプティーを訝しむ。
この人は明らか嘘をついてる。だから、彼を笑顔で出迎えたオジサンの考えが正直理解できなかった。
「――ありすちゃん」
急に名前を呼ばれ、背筋がぞくっとした。
恐々と振り向くと、ハンプティーが口角を引き上げて私をじっと見つめている。
……目は、やっぱり笑ってない。
「何か用ですか」
「君はどうしてこんな森の奥に来たの?」
「貴方には関係ないと思うんですけど」
「……」
私があからさまに嫌そうな顔をして答えると、ハンプティーは口角を引き上げるのをやめた。
――【蛇に睨まれた蛙】ってこういう状況のことを言うの?
無言で、無表情で、ただ私を見下ろしてくる彼に恐怖し気がつけば指先すら動かせなくなっていた。
銀縁の眼鏡の奥でうごめく――銀色の瞳が私を狙う。
リオの真紅の瞳やハルの紫色の瞳とは違う、暖かさを感じられない無機質な瞳。
これと比べたらまだ、女王様の瞳のほうが人間っぽくて可愛いげがあると思う。
冷たい、嫌な雰囲気を本能で拒絶してしまう。
嫌だ
いやだ
声が、喉でつかえて出てこない。
――黙り込んでしまった私では相手にならないと、ようやく悟ったか。
ハンプティーはゆっくりと視線を私からオジサンに移動させ、ふたたび口を開いた。
「……芋虫、倉澤ありすは何故ここに?」
「なんだかねぇ気の毒なことに、一緒にいた白兎たちとはぐれてしまったらしいんだよ」
「いつからここに?」
「……ふぅむ、ざっと二時間くらい前かな」
「ずっと二人で?」
「そうだとも。白兎達がここに来るまでおじさんがありちゃんを匿わなきゃいけないんだ」
――ちょっとちょっと、そこは真面目に答えちゃ駄目でしょ! 何やってんだこの小さいオッサンは!!
哀れだ。自分が哀れすぎて泣けてくる。
せっかく私が隠し通そうとしていたことを、オジサンはハンプティーに笑顔で語り尽くしてしまった。
「ふぅん、二人か」
ハンプティーは、ひとり頷いた。
……あぁ意味ない。意味ないよ。これじゃ私の努力がすべて水の泡じゃないか。
私がガクッと肩を落とすと、オジサンは『どうしたんだい?』と言って小首を傾げる。
――やってられん。頼むから、こういうところで空気を読んでほしい。
「そうだそうだ、おじさんいいこと思いついたぞ」
「……え?」
「ありちゃんとおじさんとハンプティーの三人で白兎を待つのはどうだい!? 三人なら、ありちゃんも心強いだろう」
――オジサンはにこにこしながら私とハンプティーに目配せをしたけれど、私は『うん』なんて言えるはずなかった。
この眼鏡男を交え三人でリオたちを待つなんて、絶対無理。ううん、もし心が許しても身体が拒絶するよきっと。
私は両手でしっかりとバツマークを作り、笑顔のオジサンに向かって全力で『無理です、本能で受け付けません』とアピールした。
「あのねオジサン、私それ勘弁――」
「悪いが、オレには芋虫達と談笑するつもりなんてない」
――私の言葉を遮ったのは、まさかのハンプティー。
にこにこしていたオジサンの顔から笑顔が消えた。
『え?』と呟き、オジサンは目を見開いて自分の遥か上方にあるハンプティーの顔を凝視する。
オジサンの視線に気づいたハンプティーは、銀縁の眼鏡を外しそっと自分の軍服のポケットにしまいこんで、はーっと息を吐く。
「……芋虫。お前、馬鹿だろう?」
――ハンプティーの態度が急変した。
あまりの豹変ぶりに、私とオジサンは固まった。
おいおい今さっきの敬語キャラはどうしたんだ!? リオとキャラが被るからやめたのか!?……ってそんなわけないってのはわかるけれど。
私たちは黙る。というより、言葉が見つからない。
だって『馬鹿だろう?』って聞かれて『はい、私は馬鹿です』って返すヤツはまずいない。
沈黙が訪れて、あたり一面無音になる。
小鳥のさえずりさえも聞こえない、本当に寂しい空間。
森の中の雰囲気は、息が詰まるほど暗く重かった。
――しばらくして、ハンプティーが自分の腰あたりに手を伸ばす。
「芋虫、お前は大事なことを忘れている」
「なんだい、ハンプティー……」
「今この国は【アリス争奪戦】の最中なんだ!」
――オジサンがもう一度言葉を発するのより、ハンプティーの手の動きが一瞬だけ速かった。
乾いた銃声が、森の中に響いた。
ハンプティーの手に握られているのは猟銃
たった今、彼の人差し指によって引き金を引かれた
弾の軌道はそれることなく一直線――呆然とするオジサンめがけて突き進む。
「――ぃやああああッ!!!」
私が叫ぶのとオジサンの身体が吹っ飛ぶのは、ほぼ同時だった。
オジサンの小さな身体が大きな鉛の弾をくらい、すさまじい勢いで破裂した。
オジサンの身体から噴出した血が、ぬるいぬるい赤が、雨のように私の身体に降り注ぐ。
どうして
どうして
どうして、なの
「ぉ……オジッ……」
舌が回らない。声も喉で押し潰されて、うまく出すことができない。
オジサンの身体は一瞬にして、物言わぬぐちゃぐちゃの肉塊となった。
もはや原形すら留めてない、真っ赤な真っ赤な塊がひとつ。
――そこにはもう、オジサンの面影は全くと言っていいほどない。
「ああぁっ……!」
手を伸ばし、オジサンだったものを両手でおもむろにすくいあげた。
するとオジサンの身体はぐにゃっと崩れ、私の手からぼとぼと零れ落ちていった。
恐ろしい光景に、私は顔を歪める。
「な……なんでぇっ」
大量の涙が、絶えることなく頬に流れる。
手が震えるたびにオジサンだった塊はどろどろになっていって、オジサンの着ていた燕尾服の残骸だけが、不自然に手の中に残る。
頬を伝う涙はぽつぽつと手元に落ち、私の手の中の、どろどろの塊と混ざり合っては消えていく。
信じられなかった。こんなのが、あのオジサンだなんて思えなかった。
「……ぁ、貴方なんてことするのよっ!」
こんな状況じゃなかったら自分でも噴き出してたってぐらい、変に裏返った声が出た。
私の怒声は、猟銃を構えたまま無言でいるハンプティーに向けられる。
――が、ハンプティーは無表情のまま。怒りも笑いもせず、泣きじゃくる私に、あの鋭い視線を注ぐ。
「オジサンッ……生き返ってよぉ」
「――うるさい、黙るんだ」
ハンプティーから冷たく言い放たれた一言は、私の胸を突き刺した。
あんたがこんな事しなければ、なんて、言いたくても言えない。
心の奥に、彼に怯えている私がいた。
機嫌を損ねたら殺される
下手に刃向かったら殺される
目の前でこんな残虐なシーンを見せつけられて、平然としていられるはずがない。
私はハンプティーの動き、声、視線、すべてに恐怖した。
すると、私の変化に気づいたハンプティーが、急に穏やかな口調で語りだした。
「ねぇありすちゃん、君は白兎達と出会って平和ボケしてるんじゃないかな?」
「……はぁ?」
「わかるだろう。今は【アリス争奪戦】の最中だってことを」
「なっ……」
「住人同士が殺し合い、君を奪い合う。本来、アリス争奪戦とはそういうものなんだよ」
「そんなの納得いかないわ!」
「じゃあ納得なんてしなきゃいい。偽りの平和に恋焦がれ、偽りの幸福にでも溺れていろ。でもオレは、白兎達がここに駆けつける前に君を連れ去る。オレはそのためにここに来たんだ」
――平和ボケ? 偽りの平和? 幸福?
驚きのあまり、声が出ない。
一体この状況、何回目だろうか。
……なに、この人。私がいつ、平和ボケしてたっていうの?
すると突然、ハンプティーが私の長い後ろ髪をつかみとり、思いきり自分のほうへ引っ張った。
頭部に強烈な痛みが走り、私は悲鳴にも似たうめき声をあげた。
「ふぁっ――離してッ!」
「抵抗なんて考えるな、おとなしくオレについて来い。邪魔者はもう、誰一人としてこの場にいないからな」
ハンプティーはさらに強く私の髪を引っ張って、無理やり私を立ち上がらせた。
その際、私の手からオジサンだった肉塊がいばらの上に飛び散って、地面が真っ赤に染まる。
「やだぁっ、オジサンが……オジサンのからだがぁっ」
「黙れと言ってるだろ!」
銀色の瞳がキッと、泣き叫ぶ私を睨みつけた。私は一瞬にして、叫ぶことも泣くこともできなくなった。
憎しみの感情がふつふつと湧きあがるけど、彼にはあがらえない。
このままじゃ、根こそぎ髪が持っていかれる……ってそれじゃエース状態じゃん! 17歳の思春期女子にスキンヘッドはありえない!
「か、髪は引っ張らないでぇ……」
震える声で、必死に懇願する。
頭皮がジンジンして、ものすごく痛い。
すると意外なことに、私がなんとか体勢を整えたのを確認するとハンプティーは髪からぱっと手を離して、代わりに私の腕を掴んだ。
「来るんだ。下手な行動をとったら――わかっているな?」
ハンプティーは私の目をじっと見て、冷笑を浮かべる。
――わかってるよ、そんな事言われなくても。私だってそこまで馬鹿じゃない。
私の返答を待たず、ハンプティーは私の腕を掴んだまま歩き出した。
オジサンが、オジサンの身体が、どんどん私から遠ざかっていく。
私の手の中に残っていた燕尾服の残骸も、どろどろの肉塊と共に手から滑り落ちていく。
泣きたい。泣けない。かわいそうなオジサンと私。
ハンプティーの強い力に対しなすすべもなく、私はどこかに連れ去られていく。
ねぇリオ
わたしの白うさぎ
どこにいるの
わたしをおいかけてきてくれてるの?
――わたしはいま、くるしいよ。
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