第10話 黒兎によるGrand-Guignol。
白い兎は紅い眼を持つ
黒い兎は青い眼を持つ
これは、薔薇の国に古くからある言い伝え。
決して交わらないはずのふたつの存在。正反対の兎。
――幸福のあとには、必ず不幸が待っている。
僕がそれに気付いたのは、いつだっただろうか?
貴方を想わなければ、僕は楽になれたのに。
◇
「クラウスまだかー」
「ちょっと待って、もうすぐ終わります……」
リオとハルは現在クラウスに背を向け、両手でしっかりと目を覆っている。
――なぜならクラウスが、ネグリジェから黒いドレスに着替えているから。
「完了ですわ。お待たせいたしました、目隠しをお取りになって」
クラウスがネグリジェを投げ捨て合図すると同時に、ふたりはそっと手を離し、クラウスのほうに身体を向けた。
「……あのなぁクラウス。いくら一緒にいるのが俺らだからって、年頃の男のそばで生着替えすんのは良くないぞ?」
「そうですよ三月兎……ハルなんて鼻の下伸ばして指の隙間から貴方の着替えを覗いてましたよ! おぉ怖い、思春期特有の行動ですね」
「んなわけねーだろアホォッ! だいたいいくらスタイルが良かろうが、幼馴染のお色気シーンなんか見たって興奮しねーし」
「こらハル黙らっしゃい!」
「え、ちょっ、なんで俺が怒られなきゃなんねーの!?」
この二人のやり取りを見つめながら、相変わらず仲が良いな、とリオは思った。
同じ幼馴染でもシェイドとリオの様子とは大違いだ。
三人は今――いまだに薔薇の森の入り口近辺をうろついている。
放火という予想外の不幸に見舞われたハルの家から離れ、薔薇の森に足を踏み入れたところまでは順調だった。
が、そのあとありすの進んだ方向を彼らは知らない――というわけで、結局その場から動くに動けなくなってしまったのだ。
それに薔薇の森は馴れ親しんだ住人でも迷ってしまうほど耕地面積が広く、むやみに夜中にさまようと暗くて危ない。
これも、彼らが動けない理由のひとつだ。
「ハル、君はこの近くに住んでたんでしょう? 森の中の案内くらいぱぱっと出来ないんですか?」
「無茶いうな。俺が極度の方向オンチだってことはお茶会場に行く途中にしっかり証明したはずだろ! それにありすがどこに行ったのかわかんなきゃ話にならねぇじゃん」
「でも、ずっとここにいるわけにもいきませんわ……女王様とありす様を一刻も早く見つけ出さないと」
いい方法が思いつかずただただ途方に暮れる三人。
暗い森に沈黙が訪れ、無情にも時は過ぎていき、足元で軋むいばらの音がさらに虚しさを引き立てる。
ついにこの状況に耐えかねたリオは、首から下がった金色の懐中時計を片手で弄びつつ口を開いた。
「仕方ないですね、不眠不休で地道に探すしか――」
「くぇー」
ハルでもクラウスのものでもない間抜けな声にせっかく言いかけた言葉をさえぎられ、驚いたリオは鳴き声のしたほうへ顔を向ける。
彼につられるようにハルとクラウスも顔を上げると――リオの頭上すれすれを、一匹の茶色い鷲が飛んでいた。
「くぇー」
――ふざけた鳴き声とは不釣合いな、美しく凛々しい姿。
ハルはその大きな鷲を見つめ、思わず息をのむ。
「……よーし、朝飯の材料が飛んできたぜっ!」
「空気を読みなさい馬鹿ハル」
思ったことをそのまま口に出しただけなのに、呆れたリオによって頬をぎゅっとつままれた。
おぉっと、これは肉体的にも精神的にも大ダメージ! ハルは今にも泣き出しそうだ。
――鷲はやがて少しずつ降下し、せわしくリオの周りを飛び回る。
身体が大きいぶん羽音の大きさも通常の倍で、翼から放たれる風の勢いも強い。
髪は乱れるはワイシャツははためくはでリオは非常に鬱陶しそうな顔をしながら、真紅の目でひたすら鷲の動きを追う。
「この鷲……撃っていいですか」
「待て待て待て、鳥肉にするのが目的ならまだしも動物虐待はよくないって」
「罪のない鷲を鳥肉にするのも十分虐待ですわ……」
「なんか無性にイライラするんですよね。この鷲の身体から、香水の塊みたいなあの男に似た匂いがする」
「おいおいお前の嗅覚は犬並みか!? 兎のくせになんて奴」
ハルのツッコミを無視し、リオは険しい表情を浮かべ無言で鷲を追いかける。
そして鷲は、飛ぶことをやめない。鷲の翼が乾いた空気をたたく勢いは次第に強さを増していく。
何がしたいんだ。リオはいい加減、我慢の限界に達していた。
――すると鷲はリオの一瞬の隙をつき、うまくくちばしを使ってリオの首からするりと金の懐中時計を奪い取った。
「あっ――!」
「くぇー」
懐中時計の鎖をくちばしにくわえ、鷲は勝ち誇るかのように大きく羽音を響かせる。
鷲のくちばしの下で振り子のようにゆらゆら揺れる、自分の大切な時計。
――それを見た瞬間、リオの中で何かが切れた。
「……ほぉ。そっちがその気なら、地獄を見せてやりますよ」
「し、白兎様、なんで腰から銃を引き抜いてるんですのっ!?」
「やだなぁ、決まってるじゃないですか。この不届き者をこの世界から抹消します」
「おまっ……今の発言かなり危ねーよ!」
「問答無用」
静かに怒るリオをとめることができる人物は、あいにくこの場にいない。
リオは両手に一丁ずつ黒い銃を構え、時計をくわえる鷲に狙いを定め容赦なく発砲した。
森に乾いた銃声が何度も轟く。が、鷲は軽々と銃弾を避け、懐中時計を揺らしながらそのままどこかに向かって真っ直ぐ飛び出した。
「くぇー」
「待ちなさい盗っ人――いや、盗鷲!」
「お、おい白兎ッ! どこ行く気だよ」
「時計を取り戻しますっ……早くついてきて下さいよ二人とも!」
「えぇ!? ありす様はどうなさるのですかっ」
――しかし、戸惑うクラウスの声は、時計を取り戻すことに必死なリオの耳には届かなかった。
リオは鷲を走って追いかけて、どんどん薔薇の森の奥へと進んでいく。
徐々に豆粒のように小さくなっていくリオの後ろ姿。ハルとクラウスはあ然としながらも、仕方ないかとため息をついて、リオと鷲のあとを追った。
――走ること数十分。
鷲を追うことに夢中になっている三人は、自分でも気付かないうちに森の奥まで足を進めていた。
奥に進めば進むほど薔薇の数が多くなり、闇も深さを増し、いばらのつるがしつこく足に絡みつく。
「止まりなさいそこの鷲ー!」
「くぇー」
「あぁもう、いい加減にしないとハルが言ってた通り朝ご飯の材料にしますよ!」
「ま……待ってくれ白兎ッ……」
リオは走り様に鷲に向かって発砲するが、鷲はひょいとそれを避ける。的が小さく動きが素早い敵ほど厄介なものはない。
そしてハルとクラウスは大幅に息を切らし右へ左へふらつきながら、ひたすらリオのあとを追っていた。
「なんでお前そんなに体力あるんだよ……化け物かっつーの……」
「僕は一応暗殺業もやってますからね、毎日のんきにお茶すすってる君とは鍛え方が違うんです」
「げっ、聞こえてたんか!」
「地獄耳なんです、すみません」
――そのときリオが突然、鷲を追う足をぴたりと止めた。
「ぶはッ!」
「きゃんっ」
それなりにスピードを出して走っていたハルとクラウスは、急に目の前に立ち塞がったリオの背中に思いきりぶつかる。
「い、いきなり止まるんじゃねーよバカ!」
「……崖が」
リオはそう呟き、下のほうをじっと見つめる。
強打した顔を押さえながらハルとクラウスも下に目をやると、リオの足元ギリギリのところで底の見えない深い深い闇が広がっているのが見えた。
驚きの光景に、三人は目を疑う。
「……あっぶね、あと一歩で人生終わるところだった」
「薔薇の森に崖なんてあったんですね。私こんな奥まで来たことないから知りませんでしたわ」
突如出現した崖の存在に戸惑いを隠せない三人。
すると、どこから現れた鷲が時計をくわえたまま――崖の底に向かって急降下していった。
「あっ!」
「し、白兎様の懐中時計が」
鷲の姿はあっという間に闇に吸い込まれ、ついに見えなくなった。
ハルはふとリオに目をやる――と、彼が背中から怒りのオーラを放出させていることに気付き、ヒィッと情けない声を漏らす。弱い。
「……三月兎、君の特殊能力は僕の同じでしたよね?」
「えぇ、同じ【ジャンプ】ですわ。私は女ですから白兎様ほど長い距離は跳べませんけれど」
「……よし」
「お、おい、まさかここから崖下に向かって跳ぶぜ☆みたいな馬鹿なこと言い出さねーよな!?」
「三月兎、ハルの帽子を預かってやって下さい」
「はい」
「ちょ、聞けやい」
ひとり騒ぐハルを無視し銃をふたたび腰に収めたあと、クラウスは黒い帽子を、そしてリオはハルの身体をお姫様だっこで抱える。
真紅の瞳と桃色の瞳がばっちり合った瞬間、ふたりはこくんと頷き、同時に地面を蹴った。
「う、うそだろぉぉぉぉッ!!!」
「黙ってないと舌を噛み切りますよ」
――猛スピードで崖下に向けて下降する三人。
ジャンプの使えるリオとクラウスは余裕、だがハルは滝のように涙を流しながら必死でリオの首にしがみついていた。
「……ぇぐっ、白兎のばかーッ!」
「悪口言うなら手を離します」
「やだやだやだ無理無理無理ッ!!!」
「ハル、男児たるものそんなめそめそしてはいけませんわ」
いやいや、その前にお姫様抱っこにツッコミをいれるべきでは?
――まともに目も開けていられないほど強い風圧。
髪は乱れ服がめくれあがり、どんどんひどい格好になっていく。
やがて底なしの闇に包まれていたはずの地表が見え隠れし始め――その瞬間、リオとクラウスの足は同時に地についた。
それなりに高いところから飛び降りたのに骨折もねんざもなく、身体は大丈夫。
無事着いたのか、とリオは安心し、ふぅっと息をはいて抱えていたハルの身体から手を離して容赦なく地面に落とした。
「いってぇ!」
「あはははドンマイドンマイ」
「白兎、お前サイテー……兎のパイになっちまえ!!!」
「ハル、帽子を受け取ってくださいな」
「むぅ」
ハルは座ったままクラウスから自分の帽子を受け取り、髪を整えたあとそれを深く被る。
「で、肝心の鳥肉はどこ行ったんだよ」
「鳥肉って……」
「見当たりませんね。地味な色してましたから、多分暗闇に紛れてしまってるのではないかと」
徐々に日は昇って来ているものの、崖下はまだ暗く、何があるのかさえもはっきりとは認識できない。ただひとつわかることと言えば、地面には薔薇がわんさか生えていることくらいだ。
先ほどの鷲の姿は――見当たらない。あの荒々しい羽音さえも聞こえず、この場は話し声以外の音は無いといってもよさそうだ。
リオから手を差し出されると、ハルは黙ってそれを掴んでぴょんと立ち上がる。
「なぁなぁ鷲も見つからないし早く崖登ろうぜー。ここ暗くて気味悪いもん」
「ハル……白兎様の一大事ですのよ? 少しは協力しようとか思いなさいな」
「でもさ、俺らが森に来た本当の理由ってありすを捜すためじゃ――」
「――静かに!」
突如リオが叫び声をあげ、ハルとクラウスは驚いて身を強張らせた。
しばし訪れる沈黙。リオはある一点を凝視し、そこに向かって静かに両手の銃を構える。
「……何か、いる」
リオの口からぼそっと呟かれた一言。
それを聞いて、ハルも腰に手を回しマシンガンに触れる。
リオが足に力をいれると、薔薇の茎がパキッという儚い音を立てて無惨に折れた。
「そこにいるのは誰ですか」
「……」
「名乗らないならこちらから出向きますよ」
返事はない。じれったくなったリオは、細心の注意を払いながら少しずつ『何か』に接近していく。鷲の存在は完全に頭から消え去っていた。
――そばに近寄るにつれ、だんだんはっきりしてくる『何か』の輪郭。どうやら『何か』は、薔薇の上に横たわっているみたいだった。
「誰ですか」
「……その声は、リオ?」
『何か』から聞き慣れた声が発せられ、リオは足を止めた。
待てよ。よく見れば『何か』は白衣とスーツらしきものを身につけているみたいだ。
――漆黒のスーツ。白衣。低くなでるような声。
これら全てを持ち合わせている人物を、リオはよく知っている。
「……はぁっ、なんで崖下にシェイドが!?」
「ごきげんよう、リオ・ロザヴォーグ」
――薔薇の上に横たわる『何か』は、シェイドだった。
それが判明した瞬間、リオはあからさまに『うげっ!』という顔をしながら震える足で二歩、三歩と後ずさり。
そして見事に出遅れたハルとクラウスは後ろからただ黙ってふたりを見つめる。
「どうして――こんな場所に君が」
「あはー」
「質問に答えてくださいよ!」
リオがわめき散らすが、シェイドは彼の声をまるで聞こえていないかのように無視し、左手をスーツの中につっこんで何かを取り出した。
そして次に発せられた言葉は、唐突かつ信じられないものだった。
「――悪いけど、死んでくれないかな?」
シェイドの手に握られているもの――それは一本の手術用メス。
銀色が、わずかな月光に照らされ怪しく輝く。
出会った瞬間に懐からそんな物騒なものを取り出して、何をする気なんだコイツは。まだ頭の中が整理しきれていないのに彼から驚くべき一言が発せられ、いつもは比較的冷静なリオもさすがに困惑する。
「な、何を突然ッ……」
「バイバイ」
――その瞬間、シェイドがリオめがけて鈍く光るメスを投げた。
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