III 選択肢はふたつ
――これは、悪夢?
背後には燃え盛る家。味方は三人のみ。
だが目線の先にはこちらが圧倒的に不利になるとわかるくらい大量の敵。
初めて見たトランプ兵。醜すぎるその姿に、私は吐き気を覚えた。
三十人いるかいないかと思われるトランプ兵全員が手に黒い槍を持っていて、血の気が全く感じられない土色の顔をしてる。
おまけに顔半分がぐちゃぐちゃに腐食してる者や変形してる者もいて、はっきり言わせて貰えば――バケモノ。
「最悪ッ……」
細く震える声が、私の口から漏れた。
気持ち悪さと苛立ちが徐々に沸き上がる。この人たちが許せない。
リオとハルは女王とエースのほうに銃口を向けて、眉をひそめる。
「――エースたちが、この家に火を」
「なんだ暗殺者、わたしの行いに怒っているのか? だがそれは見当違いというヤツだ。何故なら……全ての原因は倉澤ありすにあるのだから」
「何言ってんだハゲ! お前ついに脳みそも筋肉になっちまったのか!?」
偉そうなエースの態度に腹を立てるハル。
彼が怒るのも無理はない。だって、今回の放火で一番被害をうけたのは紛れも無いハルなんだから。
するとそれを聞いたエースは眉間に深くしわを寄せ、手に持っていたたいまつを家のほうへ思いっきり投げ入れると、うなるような低い声で言葉を発す。
「乱射兵……お前はいつもそうやって感情に任せた発言をするが、さすがに今は相手が悪いぞ」
「うっせぇ黙れハゲマッチョ! お前のせいで俺の自慢の家が燃えたんだ、黙ってなんかいられるかっつーの!」
二回も『ハゲ』と言われさすがにプツンときたのか、エースの額にはぼこっと太い血管が浮き出てきた。
……えっと、エースの口元がわずかに『わたしはハゲじゃない。スキンヘッドだ』と動いたような気がしたのは私の気のせい?
睨み合うハルとエース――いや、ハルはエースの迫力に圧倒されちょっと逃げ腰。
だけどそんな彼らをよそに、リオと女王は表情を変えず静かに互いの姿を見つめている。
「……久しぶりだな、暗殺者。私の側近ごときが調子に乗りおって」
「えぇ、確かに僕は貴方の側近です。けれど調子に乗ってるつもりは全くありません」
「生意気な男が」
「本当の事を述べてるだけです」
空気が重い。怒りの念が至る所で渦巻いている。
たいまつを投げ入れられたことにより火の勢いは増し、白い煙に混じって灰もちらほら舞い踊る。
私はクラウスと共に三歩くらい下がったところで立ち尽くしたまま、というか、私の身体が脳からの『動け』という信号をシャットアウトしてるんだ。
リオとハルは険しい表情で一歩ずつ踏み出し、紅の女王の一行へ接近していく。
行かないで。奴らは狂ってる。近づいたら首を切られて殺されちゃう。
そう叫びたくても肝心の声が出てこない。やがて私の額にじんわりと冷や汗のようなものが浮かんできた。
女王は怪しく光る金の鎌を構えたまま、まるで天に響かせるかのように、高らかに声を上げる。
「この女王にたてついた愚かなお前らに選択肢をやろう! 大人しくありすを引き渡すか、ここで我が下僕のトランプ兵とエースに皆殺しにされるか、好きなほうを選ぶが良いっ!!」
女王がそう叫びきったとき、その場に奇妙な沈黙が訪れた。
沈黙の中、崩れ落ちる屋敷の音が嫌に響く。
パチ、パチと耳障りな音がする。
背後に伝わる熱気が不愉快だと感じてきた頃、リオが底知れぬ怒りを含んだような声で叫んだ。
「……そうやって家を燃やしたり大声で脅しをかけたら僕らがあっさりとありすを譲ると思ったんですか? 一応言っておきますが、僕らはそこまでヘタレじゃありませんよ」
――もしかしてリオも、家を燃やされたことに怒ってる?
真紅の瞳には憤怒の炎。銃口は相変わらず女王へと一直線に向かう。
するとハルも勇気を振り絞り、かのマシンガンを構えたままリオに続いて女王のほうへ大きな声で叫んだ。
「そうだこの首切り女王! お前の思い通りになる俺らじゃねぇんだよ、覚えとけッ!」
「――おい乱射兵、陛下になんて口の聞き方を!」
「待てエース……。どうやらこいつらは私たちに虐殺されることを望んでいるらしい」
「ひっ、人をドMのように言うなバッキャローッ!」
顔を真っ赤にしながら怒るハルに対し、女王はエースの肩に手をおいて鼻で笑う。
なんでそんな余裕の表情? 女王軍ってそんなに強いの?
エースと女王はおいといて、私はこのトランプ兵たちが戦っているところは見たことがないから何ともいえない。
けれど、リオの表情から余裕は感じられないことは確かだった。
「本当にありすを渡す気はないのだな?」
「えぇ。男に二言はありません」
「そうか……それならお前ら全員殺して奪い取るまでだ。行くぞ、我がトランプ兵達よ!」
女王が鎌を掲げ、漆黒の空に向かって吼える。
すると次々と醜いトランプ兵の口から『オオオォォォッ!!』いう、地鳴りに匹敵するくらい激しいうなり声が上がって。
あまりの迫力に気圧され一歩後ずさりすると、次の瞬間女王側にいた者達が一斉に私たちのほうへ駆け出してきた。
――嘘でしょッ!? ちょっと待ってよ!
すさまじい轟音と共に迫り来るトランプ兵。
まずい。このままじゃ本当に殺られるか再び城の牢屋行きだ。
震えだす足元。牢で感じたあの深い沈黙と闇の感覚が脳内で交差し、泣き出しそうになる。
「ありすを捕らえろ!」
「白兎と帽子屋と三月兎を殺せ!」
「反逆者には死を!」
まるで呪文のようにそれを繰り返しながら走るトランプ兵の軍勢は、次第に私たちとの距離をつめていく。
みんな狂ったような目つきで、焦点があってない。
おまけに顔が半分腐っているというのがさらに恐ろしさを引き立てている。
怖い。怖すぎてもう無理。この場になんかいられない!
――気がつけば私の足はリオとハルとクラウスをおいて、トランプ兵たちとは反対の方向へ勝手に走り出していた。
「ちょっ……ありす様、お待ちになって!」
「おい、待てよありすッ」
「ありす!!」
皆が焦ったように私の名前を呼ぶ。だけど、足が言うことをきかない。
脳の信号を完全に無視し、止まることを許さない。
何というか……うまく表現できないけど、焦りと怒りと不安がぶつかって涙が零れた。
◇
「ありすが逃げたぞ!」
ハルの家の裏手。燃える家のそば。
僕らに何も告げず、突如必死の形相で駆け出したありす。
ありすの突然の行動に驚いたトランプ兵のひとりが声をあげ、それを聞いた他のトランプ兵が戸惑い足を止める。
だが僕自身も一体何が起きたのか整理できていないため、下手に動けない。
「ちぃっ……!」
エースはそれを見て舌打ちすると悪人面に拍車をかけ、すばやく腰の剣を一本抜き出しありすの後を追おうとする。
だが、駆け出そうとしたその瞬間紅の女王に思いっきり腕をつかまれ、出端をくじかれた。
「陛下、早く後を追わないと!」
「ありすの元へは私が行く。お前は残った者の始末をしていろ」
それを聞いたエースはいかにも不服そうな表情を浮かべる。
だが、彼にとって紅の女王の命令は絶対。
逆らうことなんて許されない。
数秒の間をおいたのち、エースが複雑な表情で一歩下がる。
するとボンテージ姿の女王が鎌をしっかりと握ったまま彼の横を通りすぎ、すぐにありすの後を追っていった。
――って僕は一体何やってるんだ。すぐに女王の後を追わないと!
首から下がった金の懐中時計を揺らし走り出そうとしたその瞬間――僕の足元に勢いよく剣がとんできた。
見慣れた銀の剣。僕はこれが常日頃から手入れされているものだと知っている。
足元の剣に目をやり、次に『それ』を投げた人物へ顔を向けた。
――不機嫌そうな、エースの顔。
子供が見たら泣きますからその顔やめたほうが良いですよ、と危うく言いそうになったがぐっとそれをこらえる。
今もし僕が彼を挑発したら、この先不幸な結末を迎えても文句を言えないないからだ。
「行かせるか、暗殺者め」
「……」
「わたしは陛下の命令に従い、お前らをここで消す」
どうやらだいぶ――お怒りの様子。そんなにありすの逃走とトランプ兵の失態に苛立ってるのか?
僕はタイミングを見計らいながら再び駆け出そうとしたが、エースがまたもや片手に剣を構えこちらを狙っているのに気づく。
――最早、やるしかないのか――
この危険な状況でこの場から走り去るのは僕の能力を最大限まで引き出しても、おそらく不可能。だったらもう……エースとトランプ兵を倒してありす達の後を追うしか方法はない。
僕は少しだけ肩を落とし、やがて後ろで顔を強張らせたままあ然としているハルと三月兎に顔を向け、言った。
「ハル、時間がありません。こうなったら一刻も早く女王軍を倒してありすを助けに行きましょう」
「――ぉ、おう、了解! 俺も前からこいつらは嫌いだったんだ。これを機にこらしめてやる」
ハルはすぐ、僕の提案に乗り気な態度を見せた。
だが三月兎だけは眉をへの字にし不満そうな顔をしている。
――そうだ、彼女は平和主義者。僕らと違って争いごとは極力避けたがる。
『しまった』と思い小さく後悔していると、ふいに彼女の口から意外な言葉が漏れた。
「……わかりました、私も協力します」
え?
その言葉を聞いて、僕とハルは驚き目を見開く。
すると三月兎は羽織っていたワイシャツをさっと脱いでハルに突き返し、ふんっと鼻を鳴らすという美女台無しの行動をとった。
そんな彼女を僕らはただ戸惑いながら静観していると、やがて黒いワンピース姿となった彼女がハルに向けて手を伸ばす。
「ハル、小型の銃を貸してください」
「……え、お前本気?」
「私も――この家を燃やされたことに少なからず憤りを感じてますの。このままやられっぱなしじゃ腹の虫が収まりませんわ」
――あぁ、彼女も怒っていたのか。
言われてみると確かに三月兎からはいつものほんわかオーラとは違うものが滲み出している。
彼女の勢いに圧倒され、ハルは大人しく渡されたワイシャツを着ながら、黒い銃を三月兎に渡す。
これで準備は整った。
こっちは三人、敵は約三十人で端から見たら僕らのほうが明らか不利だけれど。
「来るか暗殺者」
「えぇ。年下だからって、甘く見ないで下さいね」
睨み合う僕ら。どちらも、一歩も引く気はない。
静かに銃を構え、狙う先は敵の心臓。
こうして燃え続ける白い家を背後に、僕らの戦闘が始まった。 |