II 微笑、冷笑
ほのかに伝わる、シェイドの腕のぬくもり。
――あれから、多分30分は経ったんじゃないかな。
だけどワタクシ倉澤ありすの、時計も持ってない、きつく目隠しされて周りも見えない、というかなり絶望的かつ不便な状態はさっきからちっとも変わらない。
カツ、カツ、カツ。
私の身体は、そのままシェイドにゆらゆらとお姫様抱っこされながら、少しずつ牢から移動している。
でも目が見えないから、周りを見て判断したわけじゃない。
彼の乾いた床を踏む足音が一定のテンポを刻みながら私達のいる空間に響いていることが、しっかりとそれを証明しているんだ。
――そういえば、ここはまだ地下?
どこに出たのかはわからないけどまぶたに映る真っ暗度は変わらない。
時間の経過的に言わせてもらえば、そろそろ地下から脱出してても良い頃のはずじゃないかなーと思ったりもするんだけど。
この際、もうとことん頼ってしまえと思いきって私は少し身を起こし、さっきから黙々と歩き続けるシェイドに向かった。
「……ねぇ、シェイドッ」
「んー、ありす嬢、呼んだ?」
「今私たちが歩いてる所ってまだ地下なの?」
「ううん、違うよ。あぁ、言うの忘れてたけど今はもう城の『ある場所』へつながる特別通路の中なんだ。この通路なら特別な人しか入れないから城内のトランプ兵に見つかる確率も低いしさ」
……え、特別通路って何? あえて普通の通路は歩かないの!?
ま、まぁ気にしちゃ駄目だよね! 少なくとも女王の部屋に行くよりは安全なんだろう。
余計な疑いの芽を生やさないためにも、私は小さく首を振ってその心の迷いを頭のなるべく隅っこのほうへ吹き飛ばした。
そういえば抱えられたまま少しずつ移動しているうちにいつの間にかあの地下牢で体験した、うんざりするほど肌にしつこくまとわりつくジメジメ感が感じられなくなったような。
――ちなみに現在私の五感(一部使用不可能だけど)に届くのは、うっすらとした薔薇の香りと乾いた空気、そして革靴が小さく床を踏む音と、シェイドの甘くとろけるような香水の匂いだけ。
乙女の本能なのか、無意識のうちに口をポカンと開いたままうっとりぼんやりとその香りに酔いしれていると、ふと穏やかな低い声色でシェイドは自分の腕の中にすっぽりと収まった私に、囁くように語りかけた。
「……ねぇ聞いてよ。実は俺ね、ありす嬢はもう餓死して死んじゃったかと思ってたんだ」
「ええ!? な、なんでそんな不吉なことを」
「だって一週間も牢の中に閉じ込められてて、しかもその間飲まず食わずだよ? 修行僧じゃあるまいし、よくそんな状況で生きてたね。君の生命力は実に素晴らしいと思う」
――ん、飲まず食わずで一週間?
思わず自分の耳を疑ってしまったが、彼は今まぎれもなく【一週間】と言ったはず……。
「え、嘘、じゃ私一週間も牢にいたの?」
「うん……あ、もしかして、それ今知ったとかいうオチ?」
「悪かったわね! 言っとくけど私今の今まで気絶してたんだから!」
「わぁ、それはお気の毒。でもその割には全然元気みたいだけど」
そう言うと彼は楽しそうにフフッと笑い、目・腕・足をきつく縛られて不自由な私の身体をしっかりと抱えたまま、一定のリズムで革靴を鳴らしながら乾いた空気が立ち込める特別通路を黙々と歩き続ける。
……元気そう、か。
確かに私、薔薇の国に来てからだいぶ性格が壊れてきた気がします。
◇
――カツ、カツ。
……カツン。
突然、順調に辺りに響いていたシェイドの足音がピタリと止まった。
静まり返った特別通路の中、私は目が見えない状態。
なので、もちろん何も確認できないというわけで。
「ね、ねぇ何かあったの?」
「……」
私が尋ねたというのに、何故か彼は不気味なほど黙ったまま一向に口を開かない。
やがてどこからかふと湧いてきた嫌な沈黙が私達の周りをじわじわと侵略していく。
もしかして、エースとかに見つかった?
嘘。もしエースに見つかったなら、またあの不快な牢に逆戻り? それか速攻打ち首?
相変わらず目の前で無限に広がる暗黒と彼の突然の静止のせいで、ふと考えたくもないような不吉な予感が脳内をよぎった。
口の中がカラカラに乾いて、嫌な汗が一筋すぅっと頬を伝う。
なんとかその何ともいえない恐怖を打ち消したくて反射的にシェイドに出来るだけ身体を寄せた。
――だが、彼から発せられたのは意外な一言。
「さ、ありす嬢。今俺達の目の前にあるドアを開けたらもう城の外だ。……って言っても、見えないか」
「……え、本当? 早すぎやしない?」
「んー、一応牢出てから1時間くらい経ったはずなんだけど? じゃ、ドア開けるために片手だけ自由にしなきゃいけないから、担ぐね」
「……う、うんッ」
現在の私の中には一週間前の私のように『大の男に担がれるのなんてイヤ!』なんて恥らいは全くといって良いほど消え去っている。
するとシェイドはよいしょっと私の身体を自分の左肩へ乗せあげると、どうやら自由になった右手で目の前にあるそのドアを押したらしい。
まるで作られてからかなり年季の入ったモノのように危なっかしくギイィと軋みながらそのドアは開き、やがてその隙間から冷たい風がぶぉっと勢いよく私達に覆いかぶさってきた。
そしてまさにその風は、17年間ずっと感じてきた、懐かしい自然のような匂いのするまぎれもない外の風。
……夢じゃない。
本当に、目の前は外なんだ。
外が今目の前に広がっている事が何故かとても嬉しく思えてちょっとだけ涙が溢れ出した。
だって、一度は本気でもう二度と外の空気に触れられないんじゃないかと思うくらい絶望のふちに立たされていた。
だけど今私はこうして外界へつながるドアの前に、顔はまだわからないがシェイドという人物と共にいる。
――ヒャッヒャッヒャッ、ざまぁみろマッチョエース! そして女王様!
私は牢から抜け出してここにいるぞー!
……と、まぁ我ながら馬鹿なことを考えたな、とそのあと少しだけ反省したけれど、それくらい私の心は喜びと感激でいっぱいだった。
その恐ろしく高いテンションのまま、私は自分のわき腹辺りにあるシェイドの頭に向かって柄にもないほど感謝の言葉を呪文のように唱え続ける。
「あぁ本当にありがとうっ! シェイドは私の救世主! メシア! いや、もはやキリストと言っても良いよ!」
「馬鹿、メシアもキリストも救世主も全部意味一緒じゃん。ほら、外出るよ」
そう言うとシェイドは止めていた足をもう一度ゆっくり踏み出して、ついにドアの敷居をくぐった。
ドアをくぐったその瞬間、外で吹き続ける風がスゥッとなでるように私達の身体を包み込み、しばらくすると別れを告げるかのように横をするりと通り過ぎて開きっぱなしのドアへ流れ込んでいく。
何処からか運ばれたほのかな薔薇の芳香。穏やかな風。
担がれた状態でも不思議と不快感が芽生えてこなくなるほど、その空気はとても爽快で気持ちの良いものだった。
少し歩いたかと思ったら、突然また足を止め、シェイドはもう歩こうとしない。
ではきっとここは、さっきシェイドが言っていた『ある場所』なのだろう。
そろそろ目隠しとか邪魔なものを外してもらって、今私はどこにいるのか知っておきたいなとちょっと考えてみた。
「お願いシェイド、そろそろこの手足を縛ってるものとか目隠しとか外してくれない?」
……だがシェイドは、何も言わない。
もし「それは駄目」とか言われたら本気で困る。
ちょっと、そこは何とか承諾してくださいよシェイドさんっ!?
彼の肩に背負われたままの私の頬を、冷たい風が穏やかに撫でる。
担がれた身体にシェイドの微弱ながらも暖かい体温がほんの少しだけ届く。
彼の返答を待つ間が、なぜかすごく長く感じられた。
「んー……でも俺の顔は俺が良いって言うまで見ちゃ駄目だよ。約束できる?」
「できるできる」
「……わかった。じゃ外してあげる」
するとシェイドは自分の肩から私の身体を慎重に地面に下ろすと、そっと仰向けで寝かせた。
横たわった地面は何故か平らで固い。きっと、芝生とかいばらとかそういう類のものではなくもっと現代的なもので出来ているんだと思った。
……じゃあ、ここは一体何処なんだろう?
やがてシェイドは、少し屈みこんで私の手足を固く結んでいる『何か』を足から手の順番で素手で思いきり引きちぎった。
バキッという力強い音がその場に轟き、途端にばらりと『何か』は裂け、一週間も無理矢理そろえられていた可哀想な私の両手両足は晴れてようやく自由の身となった。
嬉しいけど、複雑な心境。だって――
「どうせなら目隠しを先に取ってほしかったのに」
「焦っちゃだめさ、ありす嬢。どうせ俺が良いっていうまで君はどこにも逃げられないんだから。ほら、手足は自由になったんだからとりあえず立って」
私がぶーっと不服そうな顔をしていると、シェイドは笑いながらよいしょといきなり思いきり私の両腕をひっぱってその場に立たせる。
「……ぅっぎゃあっ!」
あまりにも突然のことだったので危うく私の身体は前につんのめりそうになると、さすがに少し焦ったのかシェイドは慌てて手を伸ばし、私の両肩を素早く掴んで支えてくれた。
彼が踏み込む音が少しだけ響き、微妙な沈黙が流れた。
「……おーっと、危なっかしい」
「い、今のは完璧貴方のせいでしょうがッ!」
「はいはい、すいませんね」
うつむいた状態でふらつきながらも何とか私が自分の力の身で固い地面を踏みしめるのを確認すると、シェイドは靴音も鳴らさずしなやかに私の後ろに回って目隠しの結び目に手をかけた。
「さぁいよいよ念願の目隠しを取るよ。覚悟はいい?」
「……うん」
彼の手が私の髪に少し触れたと感じた次の瞬間、まぶたの上の違和感がフッとなくなり、ぱらりと目隠しが地へくるくる舞って落ちた。
瞳に何も縛るものがなくなったと認識した私はうつむいたままゆっくり慎重にまぶたを開いていくと。
……目の前が、何故か暗い。本当に真っ暗。
うそっ、し、失明!? い、いや、さすがにそれはないでしょ!
うつむいた状態のまま慌ててぶんぶん首を振り、深呼吸して冷静を取り戻すと、まだ顔を見せてくれないシェイドに向かって小声で呼びかけた。
「……今、何時?」
「深夜3時くらいかな。俺は夜行性だからこの時間帯は好きだけど」
よし、どうりで暗いはずだ。むしろ明るいほうがおかしい。
スーハースーハー息を吸い込んでは吐いてだいぶ落ち着きを取り戻した頃、うつむいた顔を恐る恐る上げていく。
徐々に上がる目線の中に最初に映ったのは、ほこりと呼ばれるようなものは一切なく綺麗に整備されているとわかる、粒子の砂や汚れすらない真っ白なコンクリートで出来た地面。
茶色の瞳を駆使して目線だけで現在位置を確認すると、どうやらその地面が広がる広場らしき場所の中心に私達は立っているようだった。
ここの広さは――例えて言うなら体育館の半分の広さというのが一番しっくりくるんじゃないかな。
多分、私の後ろにはさっきくぐったドアがあるはず。
少し先には、高くも低くもない白いレンガの塀がこの広い地面の周りをぐるっと囲っているのが見える。
そして何よりも、ここには物体として表現できるものは白い塀と地面以外何もない。
それ以外に私の視界の大半を占めるのは、満天の美しい星が輝く大きな暗い空だけだった。
――確かにここは外だけど、何だコレは、としか言いようがない場所に私達は立っている。
「……えーっと、ここは城の何処?」
「城の地上20階にある第3バルコニーって場所だよ。ここなら城の裏手に位置してるから、エースも女王も滅多に来ないんだ。実はここ俺と俺の幼馴染のお気に入りの場所なんだよね」
バ、バルコニー?
ベランダとは言わないの?
……あぁそうか、広くてただ洗濯物を干すためにあるわけでない高級なところはベランダとは言わないのか。
ひとり虚しく納得してうんうん頷いていると、シェイドがクスクス笑う声が聞こえてきた。
正面を向くのをやめ今度はふと足元に目をやると、目隠しに使われていたと思われる黒い布や私の手足を縛っていた『何か』がバルコニーの床にバラバラになって散らばっていた。
私の手足に絡み付いていたソレは……何十本ものいばらのつる。
これじゃ確かに……ちょっとでも動けばいばらの棘が刺さって痛いはずだ。
でも自分の手足をよく見れば、縛られ赤くなった跡や何箇所か切り傷はあるけれど、運良く血まみれグロテスクにはなってない。これはなんて奇跡だ。
背後以外一通り見回した後、とりあえず一旦状況確認を中断しコホンと咳払いをする。
よしと言い、私はさっきからずっと後ろに立って黙っているシェイドに向けて、正面を向いたままついに交渉にかかった。
「さぁ、シェイドッ。そろそろ、貴方の顔を見ちゃ駄目?」
「……見たいの?」
「そりゃあ見たいともっ。シェイドは一応私の命の恩人だからね」
「……じゃあ、3秒数えたら後ろ振り向いていいよ」
わかった、と言い再び下を向くと、靴をトントン鳴らしながら思いきり息を吸った。
今瞳に映るのは無残ないばらの残骸と目隠しの布。でもこれが3秒後にはシェイドの顔へと変わるんだ。
なんとなくドキドキする。一体、彼はどんな顔をしているのだろう?
「いーちぃっ」
声色的に年上なんじゃないかな。それで、過去の統計(?)からして多分美形さん。
「にーぃっ」
革靴を履いているんだから、きっと紳士だ。それに仕事帰りとか言ってたし。
「さんっ……!」
3と言った瞬間、私は笑顔を浮かべ黒いエプロンドレスをひるがえしながら、勢いよく後ろへと振り向いた。
――シェイドは、私の期待を大きく裏切った。
彼は、私より年上は年上だけどきっとリオと年齢はそんな変わらない、つまり若い顔立ち。
長くも短くもない黒くサラサラの髪で、瞳はセクシーかつ涼しげな蒼色。で、リオと並ぶくらいものすごい綺麗な顔立ち。
足が長く、しなやかかつすらりとした体型で背は私より頭一個高い。
漆黒のスーツを着こなしているけどどこか邪道に見える。多分それはきっと彼の首についた妖しげな小さな鈴付きの黒い首輪と、指にはめられた大量の指輪のせいだ。
でも、彼の頭を見た瞬間、そんなこと全てどこかに吹っ飛んでどうでも良くなった。
「う、うそッ……」
彼の頭には、普通の人間には存在しないピアスがじゃらじゃらついたピンクの猫耳。
そしてお尻にはちらちらと見え隠れする、ふさふさでピンクとしま模様の尻尾。
【もし僕やハルが側にいないときに貴方の前にピンクと紫のしま模様の耳と尻尾を生やした青年が現れたら】
――薔薇畑でハルと3人で語っている時にリオが言った言葉が、まるで今聞いたかのように鮮明に私の脳内を駆け巡る。
彼は。彼は。
まさか、彼は。
敵を威嚇する猫のごとくぶわっと勢いよく鳥肌と身震いが全身に襲い掛かり、一瞬で口の中がカラカラになる。
極度の緊張と驚愕のため、声が喉からいくら振り絞っても出てこない。
足もまるで棒のように固まって、どんなに脳から命令を送っても動こうとはしなかった。
【迷わず彼の額に銃弾をぶち込みなさい】
気が動転した私は反射的にエプロンドレスのポケットに入っていたリオの銃をすばやく抜き取り、微笑を浮かべるシェイドの額へ冷たい銃口を当てた。
「……何の真似? ありす嬢」
「ぁ、貴方はターゲットは無差別、それでもって薔薇の国で一番危険な快楽殺人者のチェシャ猫なんでしょうっ!?」
殺される。殺される。私は殺される。
バルコニーは私が一歩あとずさって靴が地を擦る音以外、ほぼ無音と静寂の世界。
風で私の長い髪が揺れた。
徐々にガクガクと震え出す手で、沈黙した黒い銃の引き金に指をかける。
だけどそんな状況にも関わらず、チェシャ猫のシェイドは私の顔を見ながらクスクスと笑っていた。
「そう、よくわかったね。俺は薔薇の国のチェシャ猫。コードネームは『幻惑の死刑執行人』だよ。牢からありす嬢を助けたのが俺で、びっくりした?」
冷たく身に凍みる風と、シェイドの甘い香水の香りが静まったバルコニーに舞う。
シェイドの蒼く美しい瞳にゆらめくのは私。
私の茶色の大きな瞳に映るのは額に銃口を当てられてなお笑みを浮かべ続けるシェイド。
さっきまでの救世主は、今はもうただの殺人犯にしか見えない。
【殺らなきゃ、殺られます】
バルコニーは月の光に照らされて汚れのない白い地面は神秘的な美しさを放っているけれど、そんな雰囲気にひたるほどの心のゆとりは今の私の中には存在しなかった。
ねぇ、リオ。
私、本当にこの銃の引き金を引かなきゃいけないの……?
美しい猫は微笑を浮かべ
私に甘い幻惑を見せた
夜の幻
泡沫の惑い
引き金は、この手に。
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