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異世界に転生したら村八分にされた 作者:狐谷まどか

第7章 戦場でお会いしましょう

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208 仮初めの盟主 前編


 秋分の祝祭日を迎えたその日。
 華やかな祭りの雰囲気に包まれたリンドルの表通りとは裏腹に、卸問屋の集まっている市場の動きは完全に停止状態になっていた。
 理由は簡単だ。
 盟主連合軍の作戦準備が完了たのである。
 物資調達がいったん落ち着いたからというのがひとつ。
 それから作戦開始直前に情報漏えいを警戒して、活発な行動を控えているからだろう。
 当然、商人たちはどれだけ戦争が長引くかもわからないので、売買を手控えて大人しくしているというのもあった。

「街にはこんなにひとが溢れているのに、市場はあべこべに静まり返っているのですねえ」

 リンドル聖堂の宿舎を出て家族のみなさんで街に繰り出したところ、周辺を見回しながらカサンドラがそんな言葉を口にしたのである。
 上等のおべべが板についてきた俺の大正義奥さんも、今だけはお貴族さまの正妻婦人というより年頃の娘らしい表情で、周りを興味津々に観察しているのだ。

「本当ですね義姉さん。飲食店だけは開いているけれど、街のひとや兵隊さん相手のお店ばかりが賑わっていますねえ。服屋さんや食料品店は、開店閉業状態ですよう」
「ぼく知ってるよ。今一番活気があるのは娼婦の館なんだ」

 姦しい奥さんたちは、互いに身を寄せ合ってキャッキャと言い合っている。

「エルパコちゃんもそういうお店に興味があるのですか?」
「ぼくはむかし男の子だったから、誘われた事があるよ」
「……えっエルパコちゃんはそういうお店に行った事があるのですかあ?! お義姉ちゃん怒らないから、言ってみなさいですよう!!!」
「ないよ」
「そ、そうですか、ないのですか。残念ですよう」

 けもみみはむかし誰かに娼館へ誘われたことがあったらしいが、その時は行かなかった様だ。
 妙に興味津々の顔で食いついたタンヌダルクちゃんだったが、ぼけーっとした顔でけもみみに否定されてうなだれていた。

「シューターさんならそういう事にもその、お詳しいのではないでしょうか?」
「えっ俺?」
「はい。何事も学のあるシューターさんですから、きっと娼館という場所がどういうところなのかもお詳しいと思ったのですが。違いましたでしょうか……?」
「どれぇもそういう所に行くのですかあ?」

 えっ俺?!
 正妻に加えてようじょにまでいきなり話題を振られたものだから、俺はどう反応していいのかわからなくなって、わけのわからない事を口走ってしまう。

「宗教上の理由で、俺はエッチなお姉さんがいる夜のお店に足を運んだことは無かったのさ……」
「ふうん。宗教上の理由なの? お前はそれほど宗教熱心な人間には見えないけれど」
「お、おい雁木マリ、察しろよ……」
「つまりシューターはこのファンタジー世界に来る前、童貞をこじらせた包茎だったわけね」
「悪いかよ」
「いいえ、何だか嬉しいだけだわ」

 何が嬉しいのか雁木マリはメガネの向こう側にニヤニヤした眼を浮かべながらそんな事を口走った。
 嬉しがってるんじゃねえ!
 宗教上の理由などいと言っているが、当然それは方便である。
 空手をやりながらバイト生活をしていたフリーターの俺が、エッチなお姉さんがいるお店に行く生活的余裕などこれまではなかったのだ。
 強いて言うならセレスタの繁華街で、酌婦のお姉さんがいる場所にけもみみやニシカさんたちと足を運んだ程度の経験だ。

「どうなんだお兄ちゃん。娼館などに興味はないのか」
「いやあ、そんなところに行く理由が今はありませんからねえ……」

 そんなアレクサンドロシアちゃんの言葉につられる様に、奥さんたちの視線が一斉に俺に集まるのを感じた。
 これだけ妻のいる身分になって、その上娼館に足しげく通っているなどと発覚したら、大正義カサンドラはきっと冷たい視線で恐ろしい笑みを浮かべる事だろう。
 俺はまだ死にたくないのでそんな事はしない。

 リンドル郊外には五五〇〇余の軍勢が大本営の周辺に駐留している。
 この兵団はわかれてリンドル川を渡河して数日後には前進を開始する事になっていた。
 そのためにリンドルだけではなく、ベストレやオッペンハーゲン、そしてセレスタの船舶も集結してごった返している有様だった。
 けもみみが指摘した通り、兵士たちも最後の命の洗濯とばかりにこの秋分の祝祭に繰り出していて、きっと娼館の集まっている場所などは大賑わいに違いない。
 俺は行かないけどね……
 絶対ね……

「それにしても、嵐の前の静けさという感じですわね」
「明日には諸侯の軍勢が作戦行動を開始するからな。わらわとガンギマリーどのはゴルゴライに引き上げる事になるがカラメルネーゼ、そなたはどうするつもりなかの」
「わたくしは婿どの護衛騎士という事になっておりますわ。この際はッヨイ子さまの渡河作戦に参加されるシューターさまから、今更お側を離れるわけにもいかないでしょう」
「ふん、そんな事を言ってもわらわは知っているぞ。貴様がお兄ちゃんに何かと色目を使っている事をな……」
「な、何の事かわかりかねますわよ」

 あわてて触手をくねくねとさせている蛸足麗人である。

「タンヌダルクよ」
「何ですかあドロシアさま?」
「そなたはこの女がおかしな真似をしてお兄ちゃんに近付かない様に、しっかりと副官として監視を怠らぬ様にな。もしもシューターを押し倒す様な事があれば報告する様に」
「了解しましたぁ」
「わ、わたくしはその様なドロシアちゃんの様なはしたない真似はいたしませんわ! た、ただ婿どのの夫人になれれば、戦争捕虜を奴隷として独占売買出来るのではないかと思っていただけですわ……」
「嘘をつくな!」

 そんなやり取りが聞こえてくるのを背後に感じながら、俺は何も聞こえないふりをした。
 露店の出ている場所に近付いて、カサンドラとけもみみを相手に「ごらん、とても愛らしいガラス細工が売っているよ。さすが工芸の街だねえ」などと必死に無視を決め込む。

「シューターさん」
「う、うん」
「カラメルネーゼさんは、ガンギマリーさんの後ですからね」
「その前にニシカさんだよね、義姉さん」
「そうですね。何事も順番は大事です」
「えっと、うん?」

 俺の正妻カサンドラはニッコリと笑顔を浮かべてから、ピシャリとそんな事を口にした。
 けもみみまで同調するもんだから、俺はどう返事をしていいのかわからない。
 いったい何の順番だよ!

 一方その頃ニシカさんは……
 長耳仲間の褐色エルフとモエキーおねえさんを引き連れて、視界の端で不味いビールを売っている露店で立ち飲みをして、嬉しそうにしていた。

「うめえ、うめえ!」

     ◆

 奥さんたちとの約束通り登城前に縁日を冷やかした後、俺たちはシェーン子爵の待つリンドル宮殿へとやって来た。
 盟主連合軍の大本営はすでに郊外のマリアツンデレジア別邸へと移されているものの、リンドル領主であるシェーンくんは、ひとまずここでの生活を続けている。
 秋分の祝賀のあるこの日は、街の公式行事という事で午前中は領主義親子とリンドル聖堂の司教たちとが式典を行っていたらしいから、シェーンくんもお飾りとは言えお忙しい身分なんだろうね。

「やあ大儀」

 明日は盟主連合軍の編成完結式が行われて各部隊が作戦行動を開始する事になるので、今日はそのための最終打ち合わせにやってきたのだけれど……
 謁見の間で俺たちを出迎えたのは、いかにもやる気のなさそうな態度のクソガキだった。

 この場にはリンドル側の人間としてシェーン子爵、そして事実上の支配者である御台マリアツンデレジアと、ダアヌ第一夫人にその兄オゲイン卿という顔ぶれが揃っていた。
 こちらは謁見の部屋まで付いて来ているのは俺とアレクサンドロシアちゃんにカサンドラ、そしてタンヌダルクとカラメルネーゼさん、けもみみにニシカさんである。
 恐ろしい事に、謁見の間に入室する事を許されたのは、リンドル宮殿の文武両官とカラメルネーゼさんに男装の麗人を加えた人間の間で密かな交渉によって定められたという、シューターの家族のみという取り決めによるものらしい。
 つまりニシカさんとカラメルネーゼさんは、リンドル宮殿が俺の奥さんだと認知しているという事になる。
 懲りない蛸足麗人と男装の麗人は、必死で自分たちの立場硬めに躍起になっているらしい……

「明日行われる編成完結式に伴い、作戦発動の決裁を頂きに来たぞ」
「許可するよ」
「ふむ。もう一件、」
「まだあるの?」

 とても嫌そうな顔をしたお飾りの連合軍盟主シェーン子爵である。
 対面に安楽イスに座して偉そうに足を組んだアレクサンドロシアちゃんに向かって、辟易とした表情で質問を投げかけた。

「五頭の名を連ねた血判による起請文の清書を持参した。オッペンハーゲンのドラコフ男爵によって、この起請文の一通とリンドルで保護しているブルカ伯の工作員を纏めて、王都の宮廷伯に送り付ける手筈となっておる。これはブルカ辺境伯ミゲルシャールの建国独立の悪業を非難する声明であるとともに、その事実を証明するために必要な処置だ」

 女領主は身を乗り出すようにして巻物をポンポンとやってみせると、傍らに立っていたけもみみ介してそれをシェーン子爵に差し出した。
 謁見の間とは言うけれども、上座のクソガキに向かって俺たちが平伏するスタイルではない。
 アレクサンドロシアちゃんがそんな事をする様な性格でもないので、わざわざ謁見室にあくまでわらわたちは対等であると言わんばかりに安楽イスを向き合わせる格好だ。
 女領主がとても高圧的な態度で接する上に、クソガキが苦手に思っているらしいけもみみが巻物を差し出してきたものだから、いよいよクソガキの表情は険しいものになって来た。

「これに署名をすればいいのか」
「血判でな。女神に誓い、国王に罪状を送り出すのだ。これによって盟主連合は一体である事を王国全土に知らしめなければならん」
「…………」

 直ぐにも無表情にもどったシェーン子爵がこくりとひとつ頷くと、すぐさま御台マリアツンデレジアちゃんがそれを引っぺがす様に奪ってしまった。
 小さな机に巻物が広げられて、無言でマリアちゃんがナイフを差し出す。
 これで指先を切って血の捺印をしなければならないわけだけれど、この儀式めいた空間の中でぼんやりとシェーン少年はナイフを眺めていた。

「僕はこの戦争で出馬する必要はあるか」
「必要ない」
「しかし義母さんは戦場に参陣されるのだろう。だったら僕も……!」
「必要ないとわらわは言った」

 顔面を引きつらせる様にしてアレクサンドロシアちゃんを睨み付けたシェーン少年である。
 こういう、にべもない言い返しをするところは、ギムルの「駄目だ」に通じるところがあるね。
 まるで相手にしてないという風に右手をヒラヒラとさせてみせた女領主は、そのまま思った事を口にする。

「リンドルの弱兵ぶりは、遠くサルワタの領地にも届いておる。いわんや貴族軍人ではないお前やオゲイン卿では、戦場に出てもあっという間に負けるのがオチだ」
「そ、それならば義母さまも同じはずだ。義母さまの護衛の騎士どもは、成りばかりは立派な軍装を身に付けているけど、ブルカの商館に踏み入った時には手ひどくやられたじゃないか」
「しかし盟主連合の総司令官が戦場に出ないと言うのでは、醜聞の類であろう。安心せよ、そなたの大好きな義母上さまはわらわの大切な人質だ、そなたが絶対に裏切らぬためのな。辺境不敗の勇将シューターがしっかりと守ってくれるだろうからな。のうお兄ちゃん?」

 のうお兄ちゃんじゃねえ!
 このタイミングでアレクサンドロシアちゃんが俺に話題を振ったものだから、女領主の隣に席をあてがわれていた俺に全員の視線が集中した。
 やめてくださいハードルを上げるのは勘弁してください。

「ぐぬぬ……」
「き、君の大切な義母上は必ず俺がお守りしますので、ご安心を」
「平気で義母さまを人質などと言う人間に安心などできるか。義母さまが傷ひとつでも負ってみろ、許さないからな!」
「シェーンさま、お言葉はその辺りにしてご署名を」
「はい義母さま」

 御台マリアツンデレジアにたしなめられたシェーン少年は、あわてて指をナイフで切ると起請文に捺印した。
 会談はピリピリとした空気の中で要点のみのやり取りで終わったけれど、一見無表情を装っておきながらぶすりとしたものを隠し切れないでいるシェーンが会見終了間際、

「と、義父さまに話がある」

 珍しく俺にそんな言葉を投げかけてきたのだった。
 な、何ですか義父さまって、悪いものでも食べたのでは……?
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