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異世界に転生したら村八分にされた 作者:狐谷まどか

間章 サルワタ動乱編

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186 サルワタへの帰還 後編


 俺の名前は吉田修太、三二歳。
 気が付けば外交使節の大使閣下などという大仰な肩書を手に入れてしまった異邦人である。
 元いた世界で外交官になるためには、有名国立大学を出て官吏になるための国家試験をパスしてようやく達成できる狭き門だ。
 それにも関わらず、現実の俺は大学中退。
 しかも在学中からアルバイト三昧の生活をしてきたので、英語どころか日本語も所々怪しいんじゃないかと思っている様な有様だ。

 その俺が、異世界で外交官として交渉の席に座っているのだ。
 その席はなぶる風と河の濁流に翻弄されて、いささか居心地の悪いものだった。
 ニシカさんが船酔いに悩まされているのも何となくわかる。
 その不安定な揺れと傾きは、リンドルを発ってゴルゴライに近付けば近づくほど酷いものになっていた。
 聞けばこの河の下流域は濁流になっている場所がいくつもある難所地帯なのだとか。
 そして外交においても。
 これから目の前の交渉相手が何を切り出してくるのか、俺は戦々恐々とした居心地の悪さがあった。

「閣下は聞くところによりますと、女神様のお遣わしになった聖使徒さまであるとか」

 改めて個室にふたりきりになったところで、その交渉相手たるオッペンハーゲン公商会のリンドル副商館長クロードニャンコフとご対面だ。
 そう話を切り出してきたクロード氏は、眼をすぼめながら俺に言葉を投げかけて来るのだった。

「あるいは、全裸を貴ぶ部族の戦士とも。その武辺は辺境に並ぶものがないとも言われているそうですな。数々の悪党をその手で仕留めてきたとか」
「ははあ。騎士修道会の人間にかかりますと、全裸を貴ぶ部族の出身である俺などは守護聖人の扱いですからねえ。公式にはそういう立場かも知れませんが、俺としてはどこにでもいる田舎者だと思っていますよ。これからも親しくクロードニャンコフさんと会話出来る事を期待しております」

 全裸を貴ぶ生活をしていたのはサルワタの森からブルカに旅立つまでの事で、ほんのふた月そこそこの期間だったはずだ。
 今では上等の服を一時期は着用していたし、それがデブや触滅隊との戦の中で台無しになる事はあったけれど、今でもお仕着せのそれなりのおべべを身に着けている身分だ。
 こうして服を身に着けて久しくなると、あまり自分が全裸を貴ぶ部族だと言われても、いちいち怒らなくなるから不思議なものだ。
 心の余裕と言うやつかね。

「しかし、女神様のご加護があったかどうかはともかくとして、世間では今閣下のお噂はそういう事になっております。また、屈強な悪党やワイバーンなどをその手で仕留められてきたのは、事実なのでしょう」
「確かに、何人かの難敵を殺した事はありますし、ワイバーンやバジリスクも倒したことは事実ですねえ」

 この男は何を言いたいのだろうかと、笑顔を向けながらもクロード氏を俺は観察した。
 木の机の上で上品に手を組んでいる彼は、この個室へと入る前に数千の兵士を対ブルカ辺境伯への援軍として送り出してくれる事を口にしたのである。
 この密談の最後に、出来る事ならばその言葉を文面に残しておきたい、などと考えるのは俺としてはまずい事なのだろうか。

「ブルカ伯のミゲルシャールがこの辺境に入封してきたのは、わがオッペンハーゲン男爵家の後でした。もともとは一介の騎士であった男なのが、宮廷で並ぶ者のない功績を打ち立てましてね」
「ほう、並ぶも者ない功績とは」
「むかし彼は、隣国との戦争のためにご出征なされた時の王太子殿下の供回りをしていたのです。親衛隊というやつですよ」
「ほう……」
「戦争については商人のわたしどもには詳しくわからない事ですけれど、」

 そんな前置きをしながら、彼は居住まいを改めて言葉を続ける。

「かつて国境線を超えて深く突出したわがオルヴィアンヌ王国の侵攻部隊は、そのまま敵の要衝のある街を包囲した事がありました。このままいけば、敵の要衝とその周辺の領土をわが国王陛下の新たな領地として併呑できる。そういう風にみなが考え、結果的に油断していたのでしょうね」
「ふむ」
「時の王太子殿下もまた、次の国王陛下となるためにはどうしても確かな戦功が必要でした。国家とはすなわち国王陛下そのひとだ。臣民の忠誠が得られない国王陛下に諸侯は従いません。だからこの街を包囲した殿下の指揮する軍勢は、是が非でも勲功を立てて、自分が次期国王に相応しいというところを、臣民に知らしめる必要があったのでしょう」

 そんな戦いがあったのが遥か三〇年以上も前の事らしい。
 いったん敵国の国境線近くを守る戦略要衝の街を包囲したまではいいけれど、なかなかこれが強固に守られた城塞都市だった。
 包囲を続けて兵糧攻めをするにも、やはり時間との戦いと言うものがある。
 敵国の籠城策が続けば、当然敵の援軍がやって来る事もあるだろう。
 あるいは味方の軍勢が疲れからか徐々に規律を失っていくという事も考えられるし、長引く在陣生活で不衛生からか病気が蔓延する事もあったらしい。

 王国軍というのは基本的にふたつの組織にからなっている。常備兵という位置づけで貴族の子弟とその郎党を集めて作られた兵団と、各地の領邦を収める諸侯の領軍だ。
 前者はブルカに駐屯している王国ブルカ兵団がそれに該当するわけだが、常設軍の王国兵団は諸侯の思惑にも季節にも左右されずに戦線に送り込める代わりに、兵力としてみればたしたものじゃなかったらしい。
 逆に領軍というのは諸侯の率いる軍隊であるから、戦争に際して領民から広く兵士を徴募して、数を揃えるわけである。
 諸侯の支配領域が大きく人口も抱え込んでいるのであれば軍事力は圧倒的な数となるのだろうが、季節が農業によって労働力を要する時期になると、この領軍の主力は解散してしまう事になった。

 そこで第三の軍事力として期待されるのが傭兵だ。
 俺も詳しく知らないのだが、サルワタ傭兵としてセレスタで雇い入れた傭兵のみなさんは、こうして軍事力を必要とする諸侯たちに自らの武力を売り歩いているひとたちだった。
 ただし戦争が無ければなかなか出番もないわけで、そうなると日常の生活では商人や貴族の護衛を引き受けたり、遠い土地まで遠征に出かけるのだと言う。

 ミゲルシャールは、当時騎士としてこの傭兵部隊を借り受けたいと王太子殿下に意見具申したのだとか。
 きっと俺たちの元いた世界風に言えば、外人部隊の隊長さんというところだろうか。

「完全に伸びきった兵站と、緩みきった規律。当然の様に疾病も流行りだして兵士の脱走までも包囲軍では見られたそうです。恐らくは包囲されている側の敵国の軍勢も同じ様な有様だったはずですが、この時にミゲルシャールは上手く立ち回ったのですよ」
「すると敵の援軍が到着した時に、見事に王太子殿下をお守りして反撃をしてみせたとか、そういう事かな?」
「まあ、そういう事です。伝承によればですよ。彼は傭兵部隊を率いると言う、国軍からも領軍からも指揮系統から離れている事を利用して、敵の援軍到着が間も無くであるという情報を掴んで戦略要衝の街に少人数で潜入してみせたんですよ」
「ほう、それはまた豪胆だ……」
「傭兵は戦争商売ですからね、ただ包囲作戦に参加させていると不満もどんどん募っていくもんなんですよ。戦果を挙げなければ彼らも収入が得られないので、何としても武功を立てると騒いでいる傭兵たちを焚き付けて城に奇襲をかけたわけです」

 その時すでに敵国の戦略要衝の街には援軍が迫っていた。
 敵の籠城勢力は、王国軍の包囲網を切り崩すべく、援軍が突撃を敢行するタイミングに合わせて総構えの城塞都市から反撃部隊を送り出すつもりだったらしい。
 それで街の市壁の城門前に集結しているところを、あべこべに裏をかかれて傭兵部隊に奇襲されてしまったのだと言う。
 その都市を守っている諸侯もまた、部下に対してまだまだ自分たちは負けていないんだという姿勢を見せる必要があって、その切り込み隊の先頭にいたのが不幸だった。
 もぬけの殻になっている城の中に侵入を果たしたミゲルシャールの傭兵隊たちは、さんざん城内で文官女官を相手に暴れまわった。

「突撃のために市壁の門を開いたところでこんな出来事が起きたものだから、あっさりと王国軍を引き込む事に成功したんだそうですね。まもなく敵の援軍が到達するという間一髪のタイミングでその戦略要衝の都市は陥落しました。あのまま戦争が長引いていれば、間違い無く王太子殿下は絶体絶命の危機にさらされていたでしょうしね。ミゲルシャールという老人は、運のいい男なのです」

 そんな風に言葉を締めくくると、クロード氏は手元に置いた酒杯にぶどう酒を並々と注ぎはじめる。
 ひとつはまず俺に差し出し、もうひとつは自分自身に。
 船に乗り込んでしばらくした時に、これを呑んだニシカさんは非常に「美味い」と漏らしていた。

「このぶどう酒は先ほどニシカ夫人にお出ししたものと同じものですが、今は確かにオッペンハーゲンを代表するぶどう酒として、近郊では知られています。しかし、このぶどう酒の味が安定するまでには長い年月がありました。それこそ、ミゲルシャール卿がブルカに入封する以前、四〇数年にわたり試行錯誤した結果の美酒なのですよ」

 何が言いたいのかわからないクロード氏は、そう言って陶器の酒杯をくるくると回して見せると、鼻の前にいち度運んで匂いを嗅いで見せる。

「わたしがまだ子供だった頃は、この酒もこれほど美味なものではありませんでした」
「つまり、不味いものも試行錯誤を続ければ、やがては名酒と呼ばれる様な味になるという事ですかね」
「その通りです。また逆に、強運の持ち主と言われていたブルカ辺境伯ミゲルシャールは、ブルカ入封の時こそ、その強運の絶頂でした」

 敵の街をぐるりと包囲していたと言っても、その戦線はいつ崩壊してもおかしくはない状態だった。
 その時に傭兵たちの功名心を利用して傭兵隊を率いて、絶妙のタイミングで街の城を攻めたのだ。
 あのままただ包囲を続けているだけならば、敵の援軍と城内の軍隊に挟撃されて、王太子殿下はご戦死なさっていた可能性すらもあったのではないかと過去を振り返りながら、クロード氏は一枚の金貨を手の中で弄んで見せる。

「あの戦いによって王太子殿下は名をお上げになり、先のオルコス五世国王陛下へとなられたのです」

 おっ? オルコス五世と言えばこの辺ではあまり流通していない大ぶりの金貨になっている人物ではないか。
 この国の人間はあまり国王の名前を口にしないので、誰が王様なのかなどそもそも知らなかった。

「その先王陛下の実績を盤石のものとしたミゲルシャールが、勲功一等としてブルカに領地を与えられたのですよ。しかしミゲルシャールに厚い信任を置いていた先王陛下も、すでにこの世にはおりません」
「……なるほど」
「人間の運というものには必ず波があります。運がいい時もあれば悪い時もあり、ここが人生のどん底だと感じた時には、やがてそのぶり返しで絶頂も迎えるのです。辺境の開拓では先々代の陛下の時代から中心的役割を担って来たわたしの実家オッペンハーゲン男爵家こそ、本来ならば辺境伯の叙勲を受ける事が内定していたのですが、その叙勲はミゲルシャールによって内定を奪われてしまった」
「…………」
「この試行錯誤を繰り返して来たぶどう酒の如き、辛酸の味わいを舐め続けてきたオッペンハーゲンこそが、次の辺境伯となる事を、父は望んでいます」

 色々と遠回りな話をしていた様だが、オッペンハーゲンがタダで三〇〇〇もの兵士を差し出すわけではないという事がようやくわかった。
 オッペンハーゲンは辺境伯の爵位を求めているという事か。
 爵位とは領地に附属する称号である。なんて事を以前にアレクサンドロシアちゃんが言っていた事があった。
 そうしてみると、ブルカの領地をまるまる自分たちに寄越せと言っているのか。

「しかしですねえ、ブルカ伯の支配地域は広大だ。こればかりはわれわれ国王の臣下たる貴族が決める事ではありませんよ……」
「そこは理解しております。父が求めているものは、王都中央における影響力の行使です。名目でも辺境伯となる事が出来れば、その宮廷における序列も代わりますからね」
「つまりミゲルシャールを打倒した後に、ブルカの領地をそっくりそのまま寄越せと、そういうわけではないのですね」
「それは当然、対ブルカ連合軍の中で実際に功績を遺した領主こそが切り取るべき事でしょう」

 今その事をこの場で決めるのは不可能と言うものです。と笑ってクロード氏は言ってのけた。

「援兵三〇〇〇の見返りは、国王陛下に対してオッペンハーゲン男爵を辺境伯に格上げするための上申をお願いしたいと思っています。サルワタのアレクサンドロシアさまは今、辺境でもっとも勢いのある方だ。禍々しい野牛の軍勢を引き連れ、ゴルゴライを切り取られ、」

 確かに俺たちは、ほとんど被害らしい被害も出さずにゴルゴライ準男爵領を掠め取った事があるね。

「さらにスルーヌ領を併呑し、」

 え? スルーヌってどこの領地だよ。確か地図上で見た事がある名称だったが、俺は女村長の命令でそんな領地を攻撃した事はないぞ?

「クワズ領もまたアレクサンドロシア卿に恭順を誓ったと商人どもの噂で持ちきりです」
「ちょっと待ってくれ、スルーヌとクワズの事は知らない。俺たちには何も知らされていないぞ、何かの間違いではないのか?」
「はははっ。商人というのは情報が命ですからね、僅か十日もすれば辺境東北部の勢力図はおおいに変化する時世なのです」

 それは、サルワタの森の開拓村で連続殺人事件が起きた事と、何か関わり合いがあるのだろうか。
 戸惑っている俺は出来るだけその事を顔に出さないように努力した。
 努力したけれども、どれだけその事に意味があったかどうか今の俺にはわからなかった。

「今の勢いがあるアレクサンドロシア卿のお言葉であれば、宮廷の諸大臣たちも無視することはできない影響力となるでしょうからね。その際にひと言、辺境諸侯の総意としてオッペンハーゲンを次の辺境伯に推すと言って頂ければ、これは非常にありがたい」
「わ、わかりました。言葉だけでよろしいのならば、俺は持ち帰って奥さんに相談してみましょう」

 しかし本当に言葉だけで済む様な簡単な口約束というわけにはいかんだろ。
 今の言葉を思い返してみろ、このクロード氏はさらりと「辺境諸侯の総意として」などと言いやがった。
 つまりこの件を引き受けると言う事は、少なくとも反ブルカ連合軍に参加した領主たちの意見を纏めなくちゃいけないという、厄介を背負い込んだことになる。
 そして女村長は激情家だと俺たち家族はみんな思っている。
 なかなか、政治向きの交渉には向いていないんじゃないのかな……

「しまった! そうなると俺が辺境諸侯とお話合いをする事になるじゃねえか……」
「リンドルの御台さまとご昵懇(じっこん)のシューター閣下の事です、それは簡単な事なのでは?」
「うおほん、げほん、ゲフン!」

 そんな事までこのお貴族商人は知っているのか?!
 ぶどう酒を口に運んだところでそんな事を言われてしまったものだから、俺はむせる。
 確かにマリアちゃんとはそういう仲になったばかりだが、俺たちの行動を監視していたというのか……

「夜に聖堂から閣下がお出かけになる姿を、わが商館の者が見ておりましたが……どうやらわれわれの推測は事実だった様で?」
「ご冗談が過ぎますよ、クロードニャンコフさん。俺たちは内密の話をしに行っていたんだ」
「なれば御台マリアツンデレジアさまにもご内々にご助言をなされませ。今回の主導権はリンドルが握る形になりましたが、わが家中は王国本土へ指向しておりますれば、アレクサンドロシアさま、マリアツンデレジアさまのご両人と争う事にはならないでしょう」
「わかった。その件も盟主会談が行われる際には、可能な限り取り成すようにしましょう。しかしセレスタ領主さまや、そのほかの方々にまで俺は口を挟む事は出来ませんからね?」
「もちろん辺境の実力者であるご両人だけでも構いません」

 ふたたび貴族めいた上品な微笑を浮かべたクロード氏は、

「さて、起請文(きしょうもん)を記しても? この際わたしとしても実家に何かの証拠を持ち帰らなければなりません。閣下も奥さまたるアレクサンドロシア卿に、何か形になるものをお持ち帰りにならなければならないでしょう」

 彼はそう言うと、俺の前で酒杯に残っていた味わい深いぶどう酒をひと息に煽り呑んだ。
 なるほど、俺が知らない間にアレクサンドロシアちゃんもサルワタの周辺で軍事行動を起こしていたのだな。
 戦争とは外交の一手段である。
 そして戦争は血を流すだけを指すものではないと、以前女村長は俺に言っていたけれど。
 今回はその血を流す戦争をして、スルーヌという土地を平定したという事か。

「了解だ、では書面にて合意の確認事項を記しましょう。俺とあなたとに一通ずつ、文章の代筆と確認をさせる人間を呼んでくるので、少々お待ちを」

 俺が了承を得てから立ち上がると、個室の扉を開いた。
 男装の麗人ベローチュを探さなくては。ニシカさんのところにいるだろうか。
 そんな事を考えながら、扉の外で俺が見た人間の姿は……

「あれ? カレキーウォールズさんじゃないか。何でこんな所にあんたがいるんだ」
「おやそういうあんたはサルワタの色男閣下じゃないか。娘を紹介するから、ちょっとこっちに来なさいよ」
「え? え?」

 そこにはリンドル両替商の女主人カレキーウォールズさんと、見知らぬ女性の姿があった。
 カレキーおばさんと同じ様にドワーフの血を色濃く受け継いでいることがわかる、女性にしてはがっかりとした体つきの人間がいた。太っているのではなくて、きっと骨格がしっかりしているのだろう。
 なるほど親子と言うが、嫌いじゃない。エキゾチックなお姉さんだ。いいね!
 ペコリとしてみせた彼女は俺にこう言った。

「はじめまして、モエキーウォールズです。母がいつもお世話になっています」

 それで、どうしてウォールズさん親子がここにいるの??

     ◆

「モエキーウォールズはあたしの四女でね。どういうわけか子供は娘ばかり生まれて、それぞれに婿を取らせて店舗を任せたりしていたんだけれど、この子はまだ結婚していなくてね」
「お母さん、何も今そんな事を言わなくてもいいかも……」
「アッハッハ。ご主人さまになるひとだ、こんな事でいちいち恥ずかしがっている場合じゃないよ」

 カレキーおばさんが唐突にそんな事を言いながら、娘を見やって豪放磊落に笑っているではないか。
 娘さんがものすごく困惑して、気恥ずかしそうな顔をしていらっしゃる。
 ドワーフの女性という字面だけのイメージだと、俺はジンターネンさんみたいなのを連想してしまった。
 強くたくましく太ましい。
 確かにカレキーおばさんについてはその姿を体現している様に見えるけれど、モエキーおねえさんはうちの奥さんたちにはない、また違った愛らしさが感じられるのだった。

「モエキーさんは年頃のレディだから、お母さんとしても心配をしておられるのですよ」
「まあ……」
「ああそうさ。この際だから地縁だけじゃなく、リンドルの外に縁の輪を広げておこうと思ったのさ。シューターさまの本領サルワタでは城下街の整備をするという事だろう? だったら人間もこれからたくさん集まって来そうじゃないか。これはわたしからサルワタ領へのご融資、人材の先行投資というやつさ」
「はあまあ、そうかもしれませんけど……」

 自分の縁談は自分で決めたいかもです、などとモジモジしているエキゾチックお姉さんを尻目に見ながら、俺はふと気が付く。
 でもあれ? カレキーおばさんは長女夫妻をサルワタに送り出し、自分はもう齢だからといくらか遠慮気味の発言をしていた気がするんですけど。
 その辺りの事について質問してみると、

「わたしかい? こっちもいい機会だから、この際思い切って次女の夫婦に店舗を任せる事にしたのさ。それで自由の身になったわたしも、体が元気なうちに見分を広げようと思ってねえ」

 むかしはこれでもオッペンハーゲンやセレスタ、岩窟都市までお金の回収に言ったものだけどね。などと笑っているカレキーおばさんだ。

「では長女ご夫婦はご一緒ではないんですねえ」
「いんや。長女と婿は、そっちの船室で待機しているよ」
「そうかもです」
「後で紹介しますよ。とはいってもふたりとも寝不足が祟ったのか、船酔いになっちまったんですよ」

 そう言ってカレキーおばさんとモエキーおねえさんは奥の船室を見やった。
 俺たちが先ほどまで交渉をしていた船室が船尾の一等客室とでも言うべきものであるなら、三畳一間みたいな狭い区切りの部屋がこの先にあるわけだが。
 それがねえ、と愚痴めいた口調でカレキーおばさんは言う。

「ご家来さんが急に出仕の命令をくれたものだから、わたしは朝から大わらわさ。これからは旅の出発もあるし、身辺整理の時間をもう少しくれるとありがたいねえ、シューターさま」
「?」
「あすそこにいるご家来さんが、陽も昇らないうちからうちの商会の扉を叩いて。そりゃもううるさいったらない」

 カレキーおばさんはそう俺に説明をしてくれながら、船室の間をウナギの寝床の様に走る廊下の先を指さした。
 家来というのは誰だろうかと思って視線を向けたところ、

「…………!」

 顔中傷だらけ、強面の傭兵の姿がそこにあった。
 しかも明らかに俺の視線を向けられた瞬間、顔を背けやがった。
 俺はその顔にとても見覚えがあるはずだったが、何だろう、ここにいてはおかしい人間だった。
 ここにいてはおかしいというより、生きているはずの無い人間だ。

「モンサンダミー?!」

 生きとったんかワレ!!
 傷だらけの悪そうな顔をバツの悪そうな顔に変化させながら、壁に向かってもたれかかって見せるモンサンダミーに俺はにじり寄る。

「俺ですか、ひと違いですよヤダナモウ。俺はモンサンダユー」
「嘘をつくな!」
「いやこれには色々と事情があるんですぜ閣下。あんまり聞かないでくださいや」

 必死でしどろもどろになっているところを見ると、本当に事情があるらしいのはわかった。

「後でちゃんと説明してくれるんだろうな?」
「き、機会があれば上長に問い合わせてくださいや」
「誰だよ上長って」
「ベローチュさんです」

 俺の奴隷じゃねえか! よしあとで体に聞いてみよう。
 奴隷ならへそピアスを引っ張って尋問だ……
 などと小声でやり取りをしたところで、俺は本来の目的をすっかり忘れそうになっていた事に思い至った。

「と、とりあえず起請文の代筆をやってくれる人間を探しているんだけど、お願いしてもいいかな?」
「それならばモエキー。あんたが早速、お仕えするご主人さまのご命令を引き受けなさい」
「はっはい。わかったかもです!」

 かもじゃないよ、やるんだよ。とカレキーおばさんに命じられながら、俺たちは取り急ぎクロードニャンコフ氏の待つ船へと戻った。
 合意文章を作成しなければならない。

     ◆

 起請文とは、この世界で貴族や商人間でやり取りが成される際の一種の契約書の様なものである。
 モノの本によればむかしの日本人は、ひとが契約を交わす際に誓いの文を書き起こし、それを神仏に誓ったのだそうだ。
 この世界で誓うと言えば、当然その相手は雁木マリたちの信仰している女神様である。
 より本格的な外交文書などを作成する際は、これを三通作るのがならわしだと、クロード氏は俺に教えてくれた。
 二通はそれぞれに契約を交わす相手同士が所持し、最後の一通は聖堂や教会堂に納めるのだそうだ。

「そちらにおられる両替商のみなさんは、こういった借用書を年中交付しておられるでしょうから、そういったものは簡易的に相互で借入と貸出の二通を所持するのみとなります。今回は正式に領主間の調印をする様なものではありませんので、覚書で」

 それに、とクロード氏は俺を見ながらお貴族笑いを浮かべて言葉をつづけようとする。
 お貴族さまの端くれである俺よりも、遥かにお貴族的な笑みが似合っている悔しい。

「仮にも覚書を取り交わす相手が、女神様の守護聖人ですからね。そこは安心というものです」

 プレッシャーをかける言葉を俺にぶつけてきながら、カレキーおばさんの四女モエキーおねえさんの書した文章をしっかりと確認している。

「こっこれで問題はなかったかもですが、一応はご確認を」
「どれどれ……」

 あまり字の読めない俺であるから、そこは死んでいなかったモンサンダミーに男装の麗人を呼んでもらい、中身をしっかりと確認しておく。

「ご主人さま。内容はこれで問題ないかと思います、ここにご署名を」
「お、おう。後でモンサンダミーの件は応えてくれるのだろうな?」
「道中時間がある時にお話しします。本当は少し前にきっちりとお伝えするはずだったのですが、アレクサンドロシアさまの事や、リンドルの御台さまの事がありましたので……」

 そうか。そう言えばベローチュは少し前から、内々に話しておきたい相談があると言っていた気がする。
 確かアレクサンドロシアちゃんから、マリアちゃんを篭絡しろと命令してきた夜だったかな……
 いや、篭絡ではなく命令は「簒奪しろ」だったか正しくは。

 相互に覚書の内容を改めて署名を交換したところで、蝋印を施して筒の中にそれを仕舞い込んだ。
 最後に互いに笑顔を浮かべて、握手をして終わり。

「父や兄についてはお任せください。取り交わした約束は必ず実行させますので、そちらもお忘れなき様」
「わかっています。今はサルワタの本領でちょっと確認しなければならない急用があるのですが、その合間にもしっかりとそちらのご要望は説明して、上手く取り成して見せます」
「ありがとうございます。シューター閣下がただの辺境不敗を誇る戦士ではなく、教養もおありになる方で助かりました」

 どうも嫌味を言われているんじゃないかと苦笑を浮かべながら俺は返しておくと、いよいよ貨客船はセレスタの河岸近くまでやって来たらしい。
 甲板の上をドカドカと走る水夫たちの足音が聞こえて、入港準備を知らせる備え付けの鐘も鳴る。

「閣下、そろそろセレスタの街の河岸に到着する頃ですね」
「その様ですねえ。ベローチュ、急いでハーナディンとニシカさんを呼んできてくれ。まだ気分が悪いと船首にいるままなんだろうか……」
「わかりました。ニシカ奥さまなら律儀にご主人さまのお言葉を守られて、遠くをずっと見ておいででしたよ」

 そんな言葉を残してニッコリ笑う男装の麗人を追い立てて、さっさと迎えに行かせる。
 ウォールズ一家のみなさんも船室で苦しんでおられるらしい長女夫婦を連れて、急ぎ甲板へと上がった。
 外は山がちな風景からいくらか開けた大地の見えるセレスタの近郊にやって来て、その河岸の向こう側には高台をぐるりと街にした市壁の街並みが見えるのだった。
 初秋の風が帰郷に急ぐ俺の心を打つ。

     ◆

「では、次にお会いする時は辺境諸侯が一同に会した盟主会談の時でしょうかね」
「この度は色々とお手数をかけてしまい、本当に申し訳ない。では、盟主会談でまた」

 クロードニャンコフ氏の指揮する貨客船を降りてセレスタ河港に入港した俺たちは、その足で酔ったニシカさんやウォールズ商会のみなさんらを引き連れて、セレスタの軍船に乗り換える。
 軍船は先ほどのオッペンハーゲン公商会所有の貨客船に比べるとかなり小ぶりで、馬は甲板に並べて我慢させるしかない。
 わずか一刻の間をニシカさんやベローチュ、それからウォールズ一家のみなさんたちと景色を眺めているとゴルゴライに到着だ。
 話に聞いていた通りより下流へと近づくにつれて濁流の難所も多かったらしく、ニシカさんは相変わらずひどい悪酔いに悩まされていた。

「なあシューター、オレ様は婿ももらわないうちに死んでしまうのか。答えてくれ」
「大丈夫ですよニシカさん、いざとなったら俺がいい相手を見つけてきますから安心して」

 こんなに弱り切ったニシカさんを見る事が珍しいので、俺も男装の麗人も顔を合わせて不思議な気分になるけれど。
 そうして荒れ狂う濁流の河を渡った後にゴルゴライ領側の船着き場へと到着だ。
 ニシカさんはそれからもしばらく船酔いの影響からか馬上でふらついているままだったけれど、こうしていよいよ俺の奥さん、アレクサンドロシア=ジュメェ卿が統治する支配領域へと帰還したのだった。


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