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無職転生 - 異世界行ったら本気だす - 作者:理不尽な孫の手

第8章 青少年期 特別生掌握編

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第七十八話「白い仮面 前編」

 最近、俺は恐れられている。
 魔法大学に通うほぼ全ての生徒からだ。

 最初はそれがわからなかった。
 単純に避けられているのだと思っていた。

 例えば、ガラの悪そうな奴らが向こうから歩いてくる。
 俺は奴らに対し「絡まれないように端でも歩こうか」と思う。
 しかし、なぜか向こうの方が先に気づいて廊下の端にどくのだ。
 たまに窓の外を見て「今日はいい天気だなー」とか言いだす奴もいる。
 雨なのにだ。
 俺は「絡まれなくてラッキー」と思っていた。
 まさか、向こうもそう思っていたとは……。


 自覚したのは、解毒魔術の授業の帰りだった。
 最近、俺は4年生の過程にある中級の解毒魔術の授業を取っている。
 とりあえず、そのことについては、置いておくとして。

 授業を終えて廊下に出ると、ゴリアーデを見かけた。
 ゴリアーデ。
 そう、入学初日にパンツ泥棒冤罪で俺を糾弾した肉弾系女子だ。

 彼女は体がでかいので目立つ。
 同時に向こうも俺のことを見つけたらしく、目があった。

 一応、会話したこともあるし、向こうは先輩だ。
 挨拶の一つでもしておかなければ失礼だろう。
 そう思った俺は、ついでに入学初日の事をあらためて謝ろうと思い、近づいた。

 すると彼女はビクリと身を震わせて、視線を逸らした。
 その広い肩幅を狭めながら、おどおどとした態度でつま先の方を見ていた。

「ゴリアーデ先輩。入学初日の件なんですけど」

 俺がそう切り出すと、彼女はカタカタと体を震わせ始めた。
 そして、か細い声で、言った。

「あ、あの時は、その、悪かった……です、すいませんでした、勘弁してください……」

 入学初日と明らかに違う態度。
 俺も戸惑ってしまった。
 なんか俺が恐喝か何かをしているみたいだ。

「えっと……いえ、その、謝るのはこっちの方で、でしてね。
 その、寮の規則については覚えたので、えっと、もうあんな事は……」

 しどろもどろになっているうちに野次馬が集まりだした。

---
「おい、見ろよ。ルーデウスだぜ」
「入学初日の件って、まだ根に持ってるのかよ……」
「ゴリアーデさん、可哀想……」
「規則破ったのは自分なのに、なんて奴だよ……」
「馬鹿っ、聞こえたらどうすんだ」
---

 周囲の声は、同情と批難が入り混じったものだった。
 ゴリアーデが涙目になり始めた。
 俺も涙目になりそうだった。

 おかしい。なんだこれは。
 視線が痛いんだが。

「ニャんだ、ニャんだ、喧嘩か?」
「昼間っから血気盛んなの」

 丁度その時、リニアとプルセナが通り掛かった。
 後から聞いた話によると、二人はゴリアーデと同学年だそうだ。
 二人は俺の姿を見て、そして涙目のゴリアーデを見た。
 そして、得心がいったように、ははんと頷いた。
 そして、ドヤ顔をしつつ、割り込んできた。

「ボス、そのぐらいで勘弁してやるニャ。
 ゴリアーデも悪気はなかったニャ。
 同じ獣族として、ここはあちしらの顔を立てて欲しいニャ」
「ほら、さっさと行くの。これに懲りたら二度とボスの気に障る事をしない事なの。お前は運がよかったの。ナンバーツーのこの私が通りかからなければ、お前は八つ裂きだったの」
「あ、は、はい……!」

 ゴリアーデは助かったとばかりに二人に頭を下げ、
 その広い背中を小さく見せようと頑張りながら足早にその場を去った。

「ほら、お前らも散るニャ!
 見世物じゃニャーぞ!」

 リニアの言葉で、野次馬は蜘蛛の子を散らすようにいなくなる。
 俺もほっと一息。

「プルセナ、さっきのは何ニャ?」
「さっきのってなんなの?」
「ナンバーツーはこのあちしニャ」
「最近はボスの舎弟が増えてきたから、馬鹿なリニアには務まらないの」
「プルセナも成績は同じぐらいニャ」

 事情を聞こうと思って向き直ると、
 二人は恒例となっている漫才を始めていた。

「ほら、二人とも喧嘩しないで、ナンバーツーは二人いてもいいでしょう」
「ボスはわかってニャいな。組織の序列はしっかりしておかニャいと」
「そうなの、重要な事なの」

 ふむ。獣族にとって、序列は大事な事であるらしい。
 が、そもそも俺は組織を立ち上げたつもりはない。
 どっちがナンバーツーでも構わない。

 それはさておき。
 とりあえず、二人には感謝だな。
 お礼に今度、何かプレゼントでもしてやろう。
 魚か何かでいいだろうか。

「しかしボスの逆鱗に触れるとは、ゴリアーデも馬鹿だニャ。
 ニャにされたんだ?」
「いえ、入学初日にパンツ泥棒とまちが……」
「あっ! あれか! パンツ泥棒はボスだったのか!」
「……ファックなの」

 いきなり軽蔑の視線を送られた。
 最後まで言わせろ。
 冤罪だ。冤罪。
 また絶望と屈辱をプレゼントしてやろうか。

「そういえば、前にゴリアーデが自慢気に話してたの。
 腰抜けの一年坊がフィッツに庇ってもらってたって。
 腰抜けはあいつなの。滑稽なの」
「自分を馬鹿にした相手を見逃すとは、ボスは寛大だニャあ……。
 でも示しがつかないから、今度あちしがきちんとシメといてやるニャ」

 シメるとか。
 お前ら不良をやめて優等生になったんじゃなかったのか。

「やめてくださいよ。余計な敵を増やしたらどうするんですか」
「はぁ、ボスは上昇志向が足りないニャ。今ならあちしらと組めば、アリエルを倒して寮を掌握できるというのに」
「そうなの、ボスはフィッツに勝てるから学校のトップになれるの」

 どうにも、獣族って奴らはトップに立ちたがるな。
 本格的なニューリーダー病患者なのかもしれない。

「寮を掌握して、学校のトップになって、それでどうするっていうんですか」

 俺はトップなどどうでもいい。
 基本的に、喧嘩はしない主義で行こうと思っているしな。
 人の上に立つって事は、恨みを買う可能性もあるって事だ。

 この世界では、道を歩いていたら、いきなり心臓を貫かれるって事もある。
 だから、出会う相手全てにへりくだるぐらいがちょうどいいのだ。

「学校のトップにニャったら? そうニャあ……年の初めに女子寮全員から一枚ずつパンツを徴収するなんてどうニャ?」
「それがいいの。ボスは棚に飾るぐらいパンツが好きだから、きっと嬉しいの」
「嬉しく……ねえよ?」

 パンツは好きだけど。
 べ、別に好きだから飾ってるわけじゃねえし。
 顔も知らない女子のもらっても嬉しくは……ねえよ?
 例えば、顔知っててもゴリアーデさんのは嬉しくねえよ。

 でも、たまに可愛い子いるからなぁ。
 好みじゃなくても……。
 例えば、リニアやプルセナのだったらちょっと嬉しいかも。
 こいつらちょっと獣臭いけど、なんだかんだ言って結構美少女だし。
 モフってると女の子の匂いするし。
 いや、でもしかしな。

 そう、そうだ。フィッツ先輩だ。
 フィッツ先輩はそういう行為は嫌うだろう。
 だからダメだ。
 うん。
 よし。
 惑わされんぞ。
 去れ、マーラよ。

 危ない所だったな、まだ見ぬ女生徒たちよ。
 俺が病に犯されていなければ危ない所だったぞ。

「有象無象のパンツになど興味はありません、やるならお二人でどうぞ。もっともフィッツ先輩に迷惑を掛けるようなら、僕は敵にまわりますがね」
「うぐ……ま、まぁ、ボスが大人しくしてるってんニャら、それに従うニャ」
「……そうなの、言いなりなの」

 と。
 そんな出来事があって。
 ようやく自覚できた。
 どうやら、俺は恐れられているらしい。

 自覚できてしまえば「何故だ」とは思わなかった。
 学園一の実力者(フィッツ)を倒した。
 問題児(とくべつせい)を従えた。
 そして、学校を恐怖に陥れた魔王を倒した。一撃で。
 最後のが、特に効いたようだ。
 そりゃあ、怖がられもするだろう。

 バーディガーディに聞いた話になるが。
 彼の闘気を纏った漆黒ボディに傷を入れられるのは、剣神流にして王級並の剣技を持たなければダメらしい。
 王級。
 すなわちギレーヌやルイジェルドクラスでようやく戦いになるレベルという事だ。
 そうした肉体任せの戦い方だから、バーディガーディはある一定の攻撃力を持つ相手にはまるで相手にならんらしいが……。

 それはさておき。
 その話を信用するなら、俺の岩砲弾は、すでに王級並の威力を持っているという事になる。
 知らない間に、俺の岩砲弾もずいぶん高い火力を持つようになったものだ。

 もっとも、威力だけだ。

 俺はバーディガーディの言う所の闘気を纏えてはいない。
 闘気とはやはり、世の剣士が何気なく纏っているモノであるらしい。
 しかし、どれだけ鍛えても、俺の肉体がエリスやルイジェルドのような速さや筋力になることはない。
 筋肉は増えるが、それだけだ。
 結局の所、俺が高いのは攻撃力だけなのだ。

 魔眼やら何やらで、そこらの相手には勝てる。
 魔力総量もラプラス並に持っている(らしい)。
 しかし、肉体は普通なのだ。

 もっとも、一般生徒はそんな事がわかろうはずもない。
 攻撃力が王級なら、肉体もそれに準じていると思われているかもしれない。
 魔王以上の存在。
 俺が一般生徒の立場だったら、関わりあいになりたいとは思わない。

「ボスはもっと自信を持つニャ。きっと例のあれも自信を持てば解決ニャ!」
「そうなの、でも解決しても襲うのはリニアだけにして欲しいの」

 というのは、リニアとプルセナの言葉。

 自信か。
 息子の引きこもりは俺の自信の喪失からきているものなのだろうか。
 言われてみると、そんな気がする。
 オルステッドに敗北し、エリスに振られ、
 力を見せられないまま、失意に落ちた。
 自信を取り戻せば、あるいは立ち上がるのかもしれない。

 確かに、今は自信を取り戻すには絶好の機会かもしれない。
 生徒は俺を恐れている。
 試しにリニアとプルセナを引き連れて歩いてみると、生徒の海が割れる。
 生前はこんな立場に立った事がない。
 新鮮だ。
 肩で風を切って歩く立場とでも言うのだろうか。
 まるで院長先生の回診のようだ。
 あるいはモーゼか。

 実にいい気分だ。
 どきな、俺の廊下に立つな……。

 と、調子に乗りかけた所で。
 ふと、思った。
 もしかすると。
 生前に俺をイジメていた奴らも、こんな感じで調子に乗っていたのだろうか、と。

 …………。
 ……。

 ちょっと嫌な事を思い出した……。
 あまり調子に乗らないようにしておこう。
 ニートには戻らんぞ俺は。


---


 そんな日々を送っていたある日。
 俺はいつも通り、図書館で調べ物をしていた。

 調べれば調べるほど、転移と召喚についての共通点は増えた。
 呼び寄せるのと、送り出す。
 この違いはあるものの、魔法陣の形から、発せられる光まで。
 あらゆるものが似通っていた。

 これは本格的に召喚について学ぶ必要がある。
 そう思ったのだが、この大学には、専門的に召喚魔術を教えている教師はいない。
 魔術ギルドまで行けば使える人物はいるようだが、せいぜい初級か中級。
 さしさわりのない使い魔や、ほとんど自我を持たない精霊を呼び出す程度。
 専門的な知識は聞けるわけがない。
 付与系なら上級まで扱える人物がいるようだが、
 付与と召喚はかなり違うものだし、転移について聞いても、答えは返ってくるまい。

 ジーナスはこの学校の教師陣について自慢していたが、口ばっかりだ。
 とはいえ、こうした世界では、仕方のない事なのかもしれない。
 考えてみれば、冒険者時代にも召喚魔術師というものは見なかった。
 召喚魔術師は、絶対数も少ないのだろう。
 あるいは結界や神撃同様、どこかの国が技術を独占しているのかもしれない。

 でも、なんか俺、一人、召喚術に詳しい人を知ってるような気がするんだよな。
 どこで聞いたんだっけか。
 会ってれば思い出せると思うのだが。
 まあ、思い出せないって事は、出会ってないって事だろう。

 さて、図書館にあった召喚に関するめぼしい文献は大体読破した。
 これ以上、独学では学べる事もないだろう。
 ゆえに、やや行き詰まりを感じていた。
 そんな折、フィッツ先輩が見つけ出してくれた。

「ルーデウス君。ようやく見つけたよ、この学校にも一人、召喚魔術を専門的に研究してる人がいたんだ!」
「おお!」
「ジーナス教頭と、ゲオルグ校長に聞いたんだ、誰だと思う?」

 フィッツ先輩はイタズラでも思いついたように、ニヤニヤと聞いてきた。

 学校にも一人。
 まず、教師では無いだろう。
 生徒の中にも、召喚を学ぼうとする者はいたが、
 上級、聖級以上となると皆無だったはずだ。
 一体、どこにいるというのだろうか。

「……魔術ギルドの方ですか?」

 魔術ギルドなら、召喚術をメインで使う者もいるだろう。
 その研究員が、この学校を根城にして研究しているのかもしれない。

「うーんと、魔術ギルドのA級ギルド員だって話は聞いたね」
「ほう」

 俺の調べによると、魔術ギルドはA級で支部長クラス。
 S級で幹部クラスという事になる。
 確か、ゲオルグ校長はSで、ジーナス教頭がBだ。

「A級って、魔術ギルドの支部長と同じランクじゃありませんでしたっけ?」
「うん。驚きだよね」

 B級であれば、魔術学校を作るためのノウハウや資金援助なんかを受けられるとか聞いたような気がする。

「それで、誰なんですか?」
「ルーデウス君も名前だけは聞いたことあるはずだよ」

 名前は聞いたことがある……?
 はて、俺の知り合いに魔術ギルドのA級ギルド員などいない。
 しかし、フィッツ先輩の口にした名前は、俺も何度か聞いたことのある名前だった。

「特別生のサイレントさ」


---


 特別生・サイレント。
 彼がこの学校に残した功績は計り知れない。

 まず、食堂のメニューの改善。
 アスラ王国からの食材の輸送ルートを確立し、
 本来なら北方大地で食べられない食材も使えるようになった。

 また、独自の料理として、ケリースープというものを作り出した。
 じゃがいもや人参、玉葱といった食材を鍋で煮た後、十数種類の香辛料を混ぜあわせたスパイスを投入。
 とろみのついた茶色いスープにパンをひたして食べる、というものだ。
 要するに、カレーである。
 俺の舌が覚えているカレーの味とはだいぶかけ離れているが、しかし、レシピはカレーによく似ている。

 制服を考案したのもサイレントだ。
 彼はアスラ王国のデザイナー、工房とツテを持っており、
 そこに制服を作らせた。
 制服を作る事で、雑多な種族の集まった野卑な学校というイメージを払拭。
 学校全体のイメージアップに成功した。

 それから、黒板と呼ばれるものを考案したのもサイレントだ。
 真っ黒に塗りつぶした板に、石灰で作ったチョークで文字を書く。
 それだけの事であるが、授業がスムーズに進むようになったと好評である。

 他にも探せばまだまだある。
 本当に些細な部分にサイレントの考案したものが使われていたりするのだ。
 その功績を認め、魔術ギルドは彼にA級ギルド員の称号を与えた。

 さて。彼の作り出したもの。
 全て覚えがある。
 この世界の住人が知らず、そして俺が知っている物。

 いくら鈍い俺でも、なんとなくわかる。
 サイレントがどういう存在なのか、予想がついていた。

 が、その時はまだ、俺はその単語を口にだそうとはしなかった。
 なぜか。
 わからない。

 自分という存在を、特別に見たかったのかもしれない。
 この世界において特別な存在だと思いたかったのかもしれない。
 別の世界の記憶を持つ唯一の存在だと。
 だが、考えてみれば、俺一人であるはずがないのだ。

 正直に言えば、俺はサイレントという存在にビビっていた。
 出来れば接触したくないと思っていた。
 同じ条件で、自分よりうまくやっている奴を見たくないと思っていた。
 あまつさえ、そんな奴に出会って「君はこんなに恵まれた環境で何を遊んでいたんだい?」なんて聞かれでもしたら、いたたまれない気持ちになってしまっただろう。

 しかし、フィッツ先輩から名前を聞いた時、俺は即座にサイレントの元に赴く決意をした。

 調子に乗っていたのかもしれない。

 そうだ。
 俺はこの頃、調子に乗っていた。
 神子に弟子入りされ、師匠と呼ばれ、
 学校一の不良に勝利し、ボスと呼ばれ、
 学校一の天才に哀れみの目を向けられ、
 魔大陸の魔王に勝利し、友と呼ばれ、
 全校生徒に恐れられて。
 調子に乗っていたのだ。

 無論、調子に乗らないようにと心では思っていた。
 だが、やはり知らず知らずのうちにテングになっていたのだろう。
 これだけできていれば、上から目線で見下される事はない。
 無意識中に、そう思ったのかもしれない。


---


 居場所はジーナス教頭に聞いた。

 研究棟の三階。
 最奥。
 サイレントはそこにある三つの部屋を借りきっている。
 その三部屋をぶちぬいて研究室にし、ほとんどそこから出ずに生活しているという。

 俺は、あえて一人で、その研究室を訪れた。
 理由はわからない。
 本当なら、フィッツ先輩と一緒に行くべきだっただろう。
 だが、なぜか一人で行かなければいけない気がした。

 扉を前に、深呼吸を一つ。
 覚悟は出来ていた。
 サイレントが俺と同じ『転生者』であっても。
 俺は決して、怯むことはない。

 軽くノックをする。

「……どうぞ」

 すると短く、やや苛ついた声による返事があった。
 俺はドアに手をかけ、ゆっくりと押し開いた。


 部屋の奥、大量の本や紙束が散乱し、各所に何に使うかわからない魔道具が放置され、
 そして、大量に置かれた魔力結晶や、魔石が山と積んである研究室。

 その奥に座っている人物。
 そいつが振り向いた瞬間、俺は絶句した。

「あら、また会ったわね」

 そいつは、黒髪だった。
 そいつは、女だった。
 そして、忘れもしない。
 絶対に忘れない。

 のっぺりとした、白い仮面をつけていた。

「ギャアアァァァァァ!」

 俺は叫び声を上げて逃げ出した。

 あの白い仮面の少女。
 オルステッドと一緒にいた。
 名前は思い出せない。
 そう、オルステッド、オルステッドだ。
 転生者と相対する覚悟は出来ていた。
 だが、オルステッドと相対する覚悟は出来ていない。

 死にかけた時の恐怖がまざまざと蘇る。
 あの瞬間、ほとんど感じなかった恐怖心が、白い仮面を見た瞬間に再生される。
 肺を潰された時の苦しみ。
 何をしても無力化される無力感。
 心臓を貫かれた時の痛み。
 そして、死を目前にした時の、恐怖。

 全てが再生され、俺は逃げた。
 逃げて、逃げて、逃げた。
 どこを走っていたのかわからない。

 後ろを振り返る。
 なんと追いかけてきていた。
 白い仮面が、追いかけてきていた。

 俺はさらに逃げる。
 転びつつ、まろびつつ、酔っぱらいのように頼りない足取りで逃げる。
 こんな時のために逃げ足だけは鍛えてきたはずなのに。
 俺の足はいうことを聞いてくれない。
 魔王と対峙した時でも震えなかったのに。

「……っ!」

 ふと、階段の下にフィッツ先輩の姿を見つけた。
 彼なら、彼なら助けてくれる。
 そう思い、ふっと気を緩めた。

「ふぅ、人の顔をみていきなり悲鳴を上げて逃げるなんて、失礼じゃない?」

 ぽんと肩を叩かれた。
 振り返ると奴がいた。
 俺の体は驚愕と恐怖でビクンと痙攣し、
 次の瞬間、足を滑らせて階段から転げ落ちて、無様に気絶した。


---


 誰かに頭を撫でられる感触で目を覚ました。

 優しい手だった。
 その手からは何かが流れ込んできて、俺の血の巡りの悪い部分を解消するような。
 そんな感覚があった。

 手の持ち主に視線を動かしてみると、フィッツ先輩がいた。
 俺を撫でているのはフィッツ先輩だった。
 フィッツ先輩の手は暖かかった。
 そして男とは思えないほど細く、繊細だった。

 俺はなんとなしに、その手を掴んだ。

「あ、ルーデウス君、起きた?
 心配したよ、いきなり上から転がり落ちてくるから」
「……酷い夢を見ました。白い仮面をつけた女に殺されそうになる夢です」
「えっと……」

 フィッツ先輩が困ったような顔をした。
 なんだ。

 そもそも、ここはどこだ。
 寮の自室じゃない。
 そもそも、寮じゃない。
 でも見たことがある。
 フィッツ先輩の背後にはベッドが並んでいる。
 そうだ、ここは医務室だ。

 俺は体を起こしつつ、首を巡らせる。
 医務室には誰もいない。
 俺とフィッツ先輩だけだ。
 いや、常駐している治癒術師がいた。
 さらに首を巡らせ……。

「うおぉっ……!」

 ベッドの反対側。
 そこに座る人物を見た。
 白い仮面をつけた女を。

 思わず、ベッドから転げ落ちた。
 すると、奴はため息を一つついて、俺を睨みつけてきた。

「失礼ね……なんでそんなに怯えているのよ。
 前に助けてあげたでしょ? ああ、あなた死んでたから覚えてないのね」

 前に、死んでたから。
 やっぱり。間違いない、こいつはあの時のあいつだ。
 オルステッドの脇にいたあいつだ。

「お、オルス、オルステッドは!?」
「ここにはいないわ。彼は忙しいもの」

 仮面の女はこともなげに言った。

 いない。
 オルステッドがいない。
 本当か?
 いや、ウソをついてもしょうがない。
 そうか、いないのか。

「安心しなさい。彼はもうしばらくはあなたを狙わないから」
「しばらくってことは、また時間が経ったら殺しにくるってことですか?」
「そんな予定はないと思うけど……でも、その可能性はあるわね。あなた次第よ」

 今すぐどうにかはならない。
 そうわかった瞬間、自分があからさまにほっとしたのを感じていた。
 俺も現金なものだ。

 俺の様子に、フィッツ先輩が耳の裏をポリポリと掻きつつ、仮面の女に問いかけた。

「えっと、話が見えないんだけど、説明してもらってもいいかな?
 まず、君はルーデウス君とどういう関係なの?」
「どういう関係でもないわ」

 仮面の女はフィッツ先輩に対し、ピシャリと言い返した。
 フィッツ先輩があからさまにムッとしたのがわかった。

「でも、ルーデウス君がこんな慌てふためくなんて初めてみたよ。君、何かしたんじゃないの?」

 フィッツ先輩の口調は強い。
 このダメな後輩を守ってくれようとしている。
 ありがてぇ、ありがてぇ。

「前に会ったとき、龍神にこっぴどくやられたから、その事を覚えてるんでしょ」
「龍神……? 七大列強の?」
「そうよ」
「君が龍神なの?」
「まさか、前に一緒に旅していただけよ」

 仮面の女はどうでもいいとばかりにそう言い放ち、髪をかきあげる。
 今気づいたが、彼女が着ているのはこの学校の制服だ。

「それにしても、ここで再会するとは思ってなかったわ」

 仮面の下から覗く視線は強い。

「でも、『赤竜の下顎』で出会ってフラグを立てて、この学校で再会する。
 そういう因果(ルート)なのでしょうね」

 彼女は懐から、一枚の紙を取り出した。

「3つ、あなたに聞くわ。
 正直に答えなさい」

 有無を言わさぬその口調。
 俺は唾を飲み込んで頷いた。

「一つ目。これに見覚えはあるかしら?」

 手渡される紙を受け取る。
 そこには、

『篠原秋人
 黒木誠司』

 と、書かれていた。


 日本語(・・・)で。


 人名だとすぐに気づいた。
 と、同時に。
 やはりという感情が芽生える。
 やはり、彼女は。

『二つ目、この言葉はわかる?
 三つ目、あなたはどっち?』

 この問も日本語だった。
 ここまでくれば確定的だろう。
 彼女は、俺と同じ存在だ。

 しかし、と俺は考える。
 この紙。
 この名前。
 …………まったく見覚えがない。

 だが、少々戸惑ったが、覚悟はしていた。
 ゆっくりと答えた。
 日本語で。

『どっちでもない。俺はこの名前を知らない』
『そう、言葉はわかるのね』
「え? 何語? ルーデウス君?」

 フィッツ先輩は紙を覗きこみ、焦った声を出す。

「なんでもないわ、彼と私が同郷ってだけよ」
「同郷? そんなはずないよ!」

 フィッツ先輩が否定する。
 なにをもって否定できるのかは知らないが。
 今はそんなことよりも、だ。

『じゃあ、あんたもそうなのか?』

 俺は恐る恐る、聞いた。
 奴は頷く。

『そうよ、私も気づいたらいきなりこの世界に放り出されたのよ』

 そう言いつつ、彼女は白い仮面を外した。

 その瞬間、カチリと記憶がハマった。
 生前の記憶。
 最後の瞬間。
 喧嘩した男女。
 その片割れ。
 女の方。
 それとまったく同じ顔をした少女がそこにいた。

 同時に、疑問が浮かぶ。

 まったく同じ顔。
 あれから15年も経過するのに、そこにはあの時と同じ顔の少女がいた。
 そして、少しだけ、ズレを感じた。
 おかしい。
 なぜ15年も経過している(・・・・・・・・・)のに、同じ顔をしているんだ。
 いや、そもそも、なぜ、同じ顔をしているんだ?
 転生なら、顔は変わってしかるべきだ。

 俺の疑問。
 その答えは、すぐに彼女自身の口から出てきた。

『いわゆる、トリップね。
 私はこのくだらない世界にトリップしたのよ』

 トリップ。
 この意味合いは、転生とは少々異なる。
 俺は、いわゆる転生者だ。
 肉体は別であり、記憶だけを持ってこの世界に生まれた。
 トリップは違う。
 トリップは、いわゆるワープだ。
 年齢や肉体はそのまま、この世界にやってきた。
 奴は……俺とは違うのか?

『私の名前はナナホシ・シズカ。日本人よ。
 最近はサイレント・セブンスターという偽名を名乗っているわ』

 疑問と混乱。
 俺の頭の中はぐちゃぐちゃだった。

 何も言えない俺に対し、彼女はさらに尋ねる。

『それにしてもあなた、生まれはどちらの方なの?
 アメリカ? それともヨーロッパの方かしら。
 白人よね……でも日本語はわかるし。
 もしかしてハーフの方? 在日の外国人とか』

 3つじゃなかったのか、という疑問は無い。
 俺は答えなかった。
 答えなかったが、彼女はさらに話を続ける。

『何にせよ、これで一歩、事態が進展したわね。
 やっぱり生かしてもらっておいて正解だったわ。
 オルステッドが知らないって言った時点で、
 なんとなくそんな気がしたのよね……』

 ナナホシはやや興奮したように言葉を重ねている。
 俺の混乱などお構いなしだ。

『これからよろしくね、えっと、名前教えて?』
『る、ルーデウス。ルーデウス・グレイラット』
『それはこっちでの偽名よね? 本名は?』

 俺は生前の本名を口にしたくはなかった。
 そのため、口をつぐむ。
 すると、ナナホシはわかっていると言わんばかりに頷いた。

『ああ、わかるわ。警戒してるのね。
 わかるわよ。その気持ちはね。
 あんな事があったものね。
 でも安心して。私は味方よ』
『……』
『それにしても、私以外にも来てる人がいるなんてね……。
 私もこの世界にきて『地球人』に会ったのは初めてよ。
 なんだか頼もしいわね』

 ナナホシは俺の手を握る。
 フィッツ先輩の眉が寄った。
 そして、ナナホシは言った。
 嬉しそうな声音で。

『元の世界に帰るため、お互い協力しあいましょう』

 元の世界に帰るため。
 そんな単語に、俺のぐちゃぐちゃの思考がまとまりを持つ。
 出てくる単語はただ一つ。
 『嫌』だ。
 俺は即座に手を振り払い、言った。

『俺は、元の世界になんて帰りたくない』
『えっ……?』

 絶句するナナホシ。

「ルーデウス君もサイレントも……わかる言葉で喋ってよ……」

 そして、日本語のわからないフィッツ先輩。


 医務室には、なんとも微妙な空気が流れていた。
+注意+
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