第六十二話「災害の現実」
難民キャンプ。
そこは閑散としていた。
規模としては、村サイズ。
あるいは魔大陸ならギリギリ町といえるかもしれない。
だが、活気はなかった。
全体的にひっそりとした空気が漂っていた。
規模に対して、人も少ない。
急造で拵えたであろうログハウスの中には人の気配がある。
滞在している人間は少なからずいるようだが、活力は感じない。
空気が淀んでいた。
そんな難民キャンプの中央。
冒険者ギルドのような場所に、俺達は赴いた。
難民キャンプの本部と入り口に書かれている。
中に入る。
人はそれなりにいたが、やはりここも陰鬱としていた。
いやな予感しかしなかった。
「ルーデウス、あれ……」
エリスの指差す先に、今回の件で行方不明になった者の名前が乗った紙があった。
細かい字で、ビッシリと名前が書き込まれている。
村や町毎に、五十音順に。
その一番上には、フィットア領領主。
ジェイムズ・ボレアス・グレイラットの名前で、
『行方不明者・死亡者の情報を求む』と書いてある。
「あとにしましょう」
「うん」
凄まじい量の死亡者数。
そして領主の名前がサウロスでない事。
その二つに不安を覚えつつ、俺達は建物の奥へと進んだ。
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カウンターでエリスの名前を告げると、受付のおばさんは、すぐに奥へと引っ込んだ。
そして、凄い勢いで一組の男女を引き連れ、戻ってきた。
見覚えのある男女だった。
片方は、白髪に髭を蓄え、執事然とした顔をしつつも、
やや裕福そうな町人じみた服装をした、壮年の男。
アルフォンス。
もう一人は、チョコレート色の肌に剣士風の格好をした女。
「ギレーヌ!」
エリスが喜色満面の笑みを浮かべ、彼女に向かって走った。
尻尾でもあるのかと思えるほど嬉しそうだった。
俺も嬉しい。
ギレーヌの情報はなかったが、彼女も元気そうだ。
パウロの所に情報がいってなかったのは、この一年ですれ違いになったからかもしれない。
ギレーヌもまた、エリスの顔を見て、顔をほころばせた。
「エリス、いや、エリス様、よく無事に……」
「……もう、エリスでいいわよ」
ギレーヌはしばらく嬉しそうな顔をしていたが、すぐにその顔を曇らせた。
アルフォンスもまた、エリスを気の毒そうに見ている。
まさか……。
不安な気持ちが俺の心中を襲う。
「エリス……奥で話そう」
ギレーヌの声が硬い。
尻尾もピンと立っている。
彼女が緊張している時の顔だ。
エリスの帰還をただ喜ぶ顔ではない。
「わかったわ」
エリスも、その顔を見て、何かを悟ったらしい。
ギレーヌについて、建物の奥へと歩いて行く。
俺もそのまま付いて行こうとすると、
「ルーデウス殿は外にてお待ちください」
「え? あ、はい」
止められた。
アルフォンスの言葉に、俺は頷く。
そうか、俺も一応雇われ人という立場だから、重要な話は聞かせてもらえないのか。
「だめよ、ルーデウスも一緒」
エリスの口調は強かった。
有無を言わさぬものである。
「エリス様がそうおっしゃられるのであれば」
エリスの口元はいつにもましてギュっと引き締められ、
手も白くなるほど握られていた。
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俺達は無言で短い廊下を抜け、執務室のような部屋に入る。
中央に置かれたソファ、部屋の端に置かれた花瓶にはバティルスの花。
部屋の奥には余計な装飾のない、安っぽい執務机が置かれている。
エリスはソファに、誰にも言われる事無く腰掛けた。
そして、俺の手を取り、隣に座らせる。
ギレーヌはいつもどおり、部屋の隅に立っていた。
アルフォンスはエリスの正面に立ち、執事然とした仕草で礼をする。
「おかえりなさいませ。エリスお嬢様。
お嬢様が帰還なされることはすでに連絡を受け、我ら一同首を長くして……」
「前置きはいいわ、言いなさい。誰が死んだの?」
エリスは執事の言葉を遮り、この場にいる誰よりも強い口調で問いかけた。
誰が死んだの、と。
言葉をオブラートに包むことなく尋ねた。
その姿勢は正しく、目線は強い。
しかし、彼女の心中に不安が渦巻いている事を俺は知っている。
なぜなら、俺の手がギュッと握られているからだ。
「それは……」
アルフォンスは言葉を濁した。
この反応だと、サウロスか。
エリスはおじいちゃん子だった。
なんでもかんでもサウロスの真似をしていた。
それが死んだとなれば、さすがのエリスも落ち込むだろう。
アルフォンスは絞りだすように、告げた。
「サウロス様、フィリップ様、ヒルダ様……お三方共に、お亡くなりになりました」
その言葉を聞いた瞬間、俺の手が握りつぶされた。
走る激痛。
だが、痛みよりも、アルフォンスに告げられた事実に、脳が混乱していた。
何かの間違いだろう。
まだ三年弱。
そう、まだ三年も経っていないのだ。
いや、もうすぐ三年も経つというべきか。
「間違い……無いのね?」
エリスの震えた声での問いに、アルフォンスはこくりと頷いた。
「フィリップ様とヒルダ様は共に転移し、紛争地帯にて亡くなられました。
これはギレーヌが確認しております」
ギレーヌがこくりと頷く。
「そう……ギレーヌはどこに転移したの?」
「フィリップ様方と同じく、紛争地帯です」
ギレーヌは多くを語らなかった。
紛争地帯を徒歩で突破する最中、フィリップとヒルダの遺体を発見した。
ただ、そう語った。
遺体の状態や、見つけた時の状況を語らなかった。
ただ、その表情から、酷かったのがわかった。
何がひどいかはわからない。
死体の状態が酷かったのか。
死体の状況が酷かったのか。
それとも、もっと眼を背けたくなるような何かを見たのか。
耳を塞ぎたくなるような何かを聞いたのか。
エリスは、「フン」と鼻息を一つ。
俺を握る手がブルブルと震えている。
「それで、お祖父様は?」
「…………フィットア領転移事件の責任を取らされ、処刑されました」
「馬鹿な」
俺は思わずつぶやいていた。
「なんでサウロス様が処刑される必要があるんですか?」
あんな天災の責任をとって処刑?
馬鹿言うな。
どうしようもないだろ。
それとも、未然に防げたっていうのか?
兆候だってなくて、いきなりだったじゃないか。
それを、責任?
「ルーデウス、座って」
「…………」
俺はエリスに手を引かれ、座らされる。
いつの間にか立ち上がっていたのだ。
頭の中では、言い表せない感情がグルグルと回っていた。
激痛のせいでうまくまとまらない。
手が痛い。
いや、俺だってわかっている。
兆候がなくても。
未然に防げなくても。
人は死んだし、領地にある畑や、そこから取れる作物は消滅した。
損失は計り知れない。
不満は大きく、糾弾もされよう。
誰かがその避雷針にならなければならなかった。
生前の日本でも、何か起きれば、すぐに責任をとって総理が辞任していた。
当時は、責任を取るなら事態の収拾が付くまで面倒みろよと思ったものだが、
同時に、いい方法なのかもしれないとも思っていた。
死ぬことで、人々の不満を抱えていなくなる。
次の椅子には、期待できそうな人物を据える。
そうすれば、多少なりとも溜飲は下がる……。
それだけじゃない。
きっと、貴族連中の間の権力争いも関係している。
サウロス爺さんがどれだけの力を持っているのかは知らない。
だが、失脚すれば殺される程度には、力を持っていたのだ。
そう無理やり納得することもできる。
できるが……。
しかし、それでこの現状なのだろうか。
閑散とした難民キャンプ。
人気のない本部。
国が本気でフィットア領を再建しようとしているように思えない。
サウロスが生きていれば、
あるいはもっと活動的に動いてくれただろう。
あの爺さんは、こういう時にこそ役立つ人物のはずだ。
いや。それは全部建前だ。
そんな事は俺にとっては些細なことだ。
エリスの気持ち。
それを考えると、どうしても、心が穏やかではいられない。
エリスの家族はもういないのだ。
フィリップとヒルダの死がいつ伝わったのかはわからない。
サウロスの死より先だったのか、後だったのか。
サウロスは生きていた。
最後の一人といえるだろう。
殺さなくてもいいだろう。
あの災害で。
転移事件で。
どれだけの人間が死んだと思っているのか。
百や二百で効かない数が死んでいるのに。
どうしてわざわざ、生還した人を殺すのか。
せっかくエリスが帰ってきたのに。
ああ、くそう、考えがまとまらない。手が痛い。
「ルーデウス殿、お気持ちはわかりますが……。
これが、今のアスラ王国です」
そんな言葉ひとつで片付けていい問題じゃないだろう。
アルフォンス。
あんたは自分の主君を殺されたんだぞ。
ギレーヌ。
お前は自分の命の恩人を殺されたんだぞ。
そう言ってやりたかった。
「…………」
しかし、言葉は出ない。
エリスが何も言わないからだ。
この場で、俺が喚いても仕方がない。
世話になったとはいえ、親戚筋に当たるとはいえ、俺にとってサウロスは他人だ。
家族が何も言わないのに、俺がとやかく言っても仕方がない。
「……それで、どうするの?」
エリスは、珍しく、叫びもせず、暴れもせず、静かに問いかける。
「ピレモン・ノトス・グレイラット様が、エリス様を妾として迎え入れたいとおっしゃっております」
ギレーヌが殺気を発したのが俺にもわかった。
「アルフォンス! 貴様は、あんな話に乗るつもりか!?」
ギレーヌの怒号。
鼓膜が破れるのではないかと思う獣声。
「あの男がなんと言ったか覚えているだろう!」
激高するギレーヌに対し、あくまでアルフォンスは冷静だった。
「ですが。フィットア領の今後を考えるのであれば、多少の不自由は……」
「あんな男の元に嫁いで幸せになどなるものか!」
「クズでも名家でございます。望まぬ婚姻でも幸せになった例は数多くあります」
「そんな前例など知らん! お前はエリスの事を考えているのか!?」
「私が考えているのはボレアス家とフィットア領の事でございます」
「そのためにエリスを犠牲にするつもりか!」
「必要とあらば」
唐突に言い争いを始める二人。
俺は呆然と二人を見上げていた。
気づけば、エリスが立っていた。
俺の手を離し、両腕を組み、足を開いて、顎をつきだし、立っていた。
「うるさい!」
ギレーヌが耳を手で抑えるほどの大音声。
最近、ほとんど聞かなかった、エリスの本気の大声。
しかし、元気はそこまでだった。
「……すこし、一人にさせて。考えるから」
しおれた声を聞いて、二人はハッとなったようだ。
まず、アルフォンスが真っ先に部屋から出た。
ギレーヌが名残惜しそうにエリスを見て、部屋から出る。
そして、俺が残った。
俺は、彼女になんと声をかければいいのか、迷っていた。
「エリス……その……」
「ルーデウス、聞こえなかったの? しばらく一人にさせて」
有無を言わさぬ口調だった。
俺は少しばかり、ショックを受けていた。
考えてみれば、ここ数年でエリスに拒絶されたのは、初めてだったかもしれない。
「……わかり……ました」
俺はぺこりと頭を下げると、背中を向けるエリスを見てから、部屋の外へと出る。
そして扉を閉める寸前、グスッと鼻をすする音が聞こえた気がした。
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アルフォンスは、俺達のために部屋を用意してくれた。
本部の近くにある家で、恐らく難民用なのだろう、狭い部屋が4つ、連なっていた。
俺はそのうちの一つに、自分の荷物を運び入れ、エリスの荷物を隣室に運び入れた。
旅装から町用の格好に着替える。
不恰好な縫い跡のあるローブをベッドに放り投げ、部屋を出る。
本部へと戻ってくる。
ギレーヌやアルフォンスと少しでも話そうかと思ったが、姿が見えなかった。
探す気力もなかったので、掲示板をボンヤリと見つめる。
この数ヶ月で何度も見た、パウロの伝言があった。
中央大陸北部を探せ。
これが書かれたのは、俺が10歳の時か。
俺はもうすぐ13歳だ。
随分と時間が経ってしまっていた。
死亡者・行方不明者のリストに目を通す。
ブエナ村の欄。
俺の知っている名前が、ずらりと行方不明者リストに並んでいた。
しかし、その半数以上に斜線が引いてある。
ちらりと死亡者欄を見ると、斜線を引いたのと同じ名前が書いてあった。
どうやら、死亡が確定すると、斜線が引かれ、死亡者欄に乗るようだ。
行方不明者の方が若干多いが、それでも死亡者の欄もビッシリと埋まっている。
俺は、行方不明者欄にあるロールズの名前に斜線が引かれているのを見て、眉根を寄せた。
ロールズが死んだことはパウロから聞いている。
その死因については詳しく聞き及んでいないが。
そして、そのすぐ下。
行方不明者欄にある、シルフィの文字。
そこには、斜線が引いてあった。
ドクンと、自分の心臓が脈打つ音が聞こえた。
まさか、と思い、死亡者欄を見る。
ロールズの名前の近くにはない。
上から順番に見る。
だが、無い。
シルフィエットの名前がなかった。
……あれ?
「あの、あれ、こっちに斜線が引いてあって、あっちに名前が無いんですけど……」
不思議に思い、職員に聞いてみた。
「はい、それは生存が確認された方です」
その言葉に、俺は胸の中の何かがストンと落ちた。
そのまま胸を突き抜けて腹に落ち、腹も突き抜けてウンコを漏らすかと思った。
シルフィが生きている。
その事実に、俺はほっとした。
「じゃあ、その、連絡先とかもわかりますか?」
「いえ、それは、実際に本部に来て頂いた方でないと……」
「シルフィエットという名前なんです、調べていただけますか?」
「少々お待ちください」
職員に頼むこと数十分。
「申し訳ありません、連絡先は登録されていないようです」
「そう、ですか」
定住していないか、
もしくは発見した人物がリストを更新したので本人の連絡先が載っていないか、どちらかだという。
あるいは、記入漏れという可能性もあるだろうが、考えまい。
高確率でシルフィは生き延びている。
その事を、今は喜ぼう。
無論、心配もある。
例えば、彼女の髪の色だ。
スペルド族とは少々色合いが違うが、同じ緑。
人神曰く、呪いはスペルド族にしか適用しないようだし、
ブエナ村でも子供たち以外には積極的にイジメられていなかったはずだ。
だが、心ない者は世の中に大勢いる。
どこかで髪のことを言われ、泣いているかもしれない。
いや、パウロ曰く、シルフィは無詠唱で治癒魔術も使えるという。
聞いただけの話だが、すでに一人で生きていけるだけの力は持っているように感じた。
俺と同じように、どこかで冒険者でもしているのかもしれない。
リーリャに礼儀作法を習っていたともいうし、どこでもやっていけるだろう。
あるいは、家族が死んだ事を知らず、探しているのかもしれない。
むしろ、あの転移で生き残ったのなら、その可能性の方が高いだろう。
奴隷とかになっていない事を願おう。
とりあえず俺は、リーリャとアイシャの名前に斜線を引いた。
ルーデウスの名前にはすでに斜線が引いてあった。
エリスがこちらに向かっているという報告はあったようだし、
俺の情報もあったのだろう。
パウロ一家の中では、ゼニス・グレイラットの名前だけが残っている。
やはり、まだ見つかっていないのか。
今度人神が夢に出てきたら、聞いてみるか。
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エリスはまだ部屋から出てこない。
切り替えの早いエリスがこれだけ悩むのは初めての事ではなかろうか。
だが、長いこと旅をしてきて、ようやく帰ってきた故郷には、
迎えてくれる家族も温かい家もなかったのだ。
さすがのエリスも打ちのめされているのかもしれない。
やはり戻って慰めるべきだろうか……。
いや、もう少し待とう。
そう考えつつ、荷物を運び入れた建物に戻ることにする。
戻ったらあれこれしようと思っていたが、することが思いつかなかった。
少し、休むか。
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本部を出て行こうとした時、アルフォンスに呼ばれた。
難民キャンプ本部の一室にて、椅子に座らされる。
目の前にはアルフォンス、右手にはギレーヌが座っている。
二人が座っているのは、エリスがいないからだろう。
俺と違って、きちんと主従関係を理解しているのだ。
「さて、ルーデウス殿、簡潔でよろしいので、報告を」
「報告ですか?」
「はい、この三年間、何をしてらしたのかを」
「あ、そうですね」
俺はアルフォンスに聞かれるがまま、この三年の事を話した。
魔大陸に転移し、ルイジェルドと出会った事。
冒険者として登録し、日銭を稼ぎながら移動した事。
大森林で一騒動あったこと。
ミリシオンでパウロたちフィットア領捜索団と出会い、そこで初めて状況を知ったこと。
情報を探しながら北上し、シーローン王国で一騒動あったこと。
赤竜の下顎でオルステッドと出会ったこと。
主にエリスに関わった事を中心に、極めて簡潔に話した。
アルフォンスは静かに聞いていたが、最後の下り。
ルイジェルドとの別れで、ふと声を上げた。
「……その護衛の方はお帰りになられたのですか?」
「はい、彼にはお世話になりました」
「そうですか、落ち着いたら正式に謝礼をとエリス様に進言しようと思ったのですが」
「そうしたものを受け取る人物ではありません」
「左様でございますか」
アルフォンスは頷くと、静かに俺に目線をあわせる。
疲れ果てた男の目だ。
「さて、ルーデウス殿……。
サウロス様に仕えてきた者も、我々だけとなりました」
「……他のメイドさんたちは?」
「戻ってこない所を見ると、死んだか、あるいは故郷に帰ったのかもしれません」
「そうですか」
あの猫耳さんたちも、全滅か。
もしかすると何人かは大森林に帰っているかもしれないが……。
「サウロス様に世話をしてもらいながら、嘆かわしい事です」
「所詮、金銭だけの繋がりでしかなかったのでしょう」
そう言うと、アルフォンスはポーカーフェイスをピクリと動かした。
きつい言い方かもしれないが、そういう事だろう。
「まだ若いルーデウス殿をここに加えるかは迷いましたが……。
そうした受け答えができるのであれば問題ないでしょう。
あなたはエリス様を守り、無事に送り届けた。
その功績を認め、ボレアス・グレイラット家の家臣団への入団を認めます」
家臣団。
これはそういう集まりであるらしい。
「これより、家臣団の会議を始めようと思いますが、構いませんな?」
会議か。
きっと、転移事件前にも、俺のいない所でやっていたんだろう。
多分、ギレーヌも以前は加わっていなかったに違いない。
今はたった三人しかいないようだが、
かつてはそりゃあもうたくさんの家臣が話し合いをしたのだろう。
「ありがとうございます。それで議題は?」
俺は無駄話をするつもり無く、そう聞いた。
なにせ、すでにサウロスもフィリップもいないのだ。
誰の話題になるのか、なんて決まりきっている。
「エリス様の事です」
ほらな。
「具体的には、エリス様の今後について話しあおうと思います」
「今後、ですか?」
考えてみる。
エリスは故郷に帰ってきた。
しかし、そこには何もなかった。
家族もいなければ、家も無い。
以前のような暮らしには戻れない。
「はい、エリス様の、今後です」
「確かにサウロス様とフィリップ様はお亡くなりになりましたが、
ボレアス家自体は滅んではいないはずでしょう?
住む家ぐらいは用意してくれるのではないですか?」
「ジェイムズ様は、風聞を気にされるお方ですので、
エリス様をお引き取りになる事を拒絶なさるでしょう」
ジェイムズ、エリスの叔父か。
現在の領主だ。
確か、フィリップと権力争いして勝った奴だ。
風聞を気にするなら、確かに貴族っぽくないエリスを身内には加えたくないか。
礼儀作法も曖昧だし、貴族の子女としては扱いにくい。
また、彼の元には一応エリスの兄弟がいるはずだ。
他にも何人か、従兄弟が。
エリスがそいつらと問題を起こすのは、想像に難くない。
問題が起こるとわかっていて引き取るほど、エリスに甘くはないのだ。
「もし仮にお引き取りになられた所で、
果たして貴族として扱ってもらえるかどうかも怪しい……。
エリス様が下女のまね事をされるなど考えられません。
ですので、これは却下とさせて頂きます」
その言葉に、俺はこくりと頷いた。
そうだな、やめておいたほうがいい。
エリスもだいぶ丸くなったとはいえ、
荒い気性はそのままだ。
見下されて殴り返さないほど大人になったわけでもない。
「次に、ピレモン・ノトス・グレイラット様より、
エリス様が帰ってきた時に行き場が無いのなら、
是非自分の妾にしたいという旨を伝えられております」
ピレモン。俺の叔父か。パウロの弟。
現在のノトス家の当主だったか。
サウロス爺さんは彼を嫌っていたようだが……。
先ほどの口喧嘩の元となった人物だ。
ギレーヌはと見ると、眉根を寄せて目を瞑っている。
「悪い話ではないのですが、ピレモン様には黒い噂もあります」
「黒い噂、ですか?」
「はい、最近急速に力をつけてきたダリウス・シルバ・ガニウス上級大臣に取り入ろうという噂です」
それのどこが黒い噂なのだろうか。
貴族にも色々あるだろうし、権力者がより上の権力者に取り入るなど、普通ではないのだろうか。
「ダリウス卿は、この数年で力をつけてきた方で、
第一王子を擁立し、第二王女を国外へと追放させた立役者でございます」
ふむ。
わからん。いきなり第一だの第二だのと言われても、
俺が知ってるのはラジオ体操ぐらいだ。
「ピレモン様は第二王女を擁立する派閥に属していたのですが……」
「国外追放となった事で、その力を急速に落としている?」
「その通りです」
あっていたらしい。
要するに、自分ところのボスが負けちゃったので、勝った側に寝返ろうって魂胆だろう。
「それならそれでいいじゃないですか。
何が問題なんですか?」
「ルーデウス殿、いつぞやの、誘拐事件を覚えておいでですか?」
「誘拐事件?」
「本物の誘拐犯にエリス様が攫われた、あの事件です」
俺が提案したやつか。
「あの誘拐犯の裏にいたのは、ダリウス卿です」
「…………ほう」
「ダリウス卿は、一度だけフィットア領においでなさりましたが、
その時、ひと目みた時から、エリス様の事を大層気に入っていたそうです」
「それは、性的な意味で?」
「無論でございます」
で、気に入ったから、サウロスにくれるように言ったが、
あっけなく断られたので、さらおうとしたわけか。
数年越しに明かされる真実。
いや、実際には当時、すでに判明していたのだろう。
相手が大物だから騒ぎ立てなかっただけで。
サウロスはなぜ断ったのだろうか。
……ダリウスが嫌いだからか。
そういう感情で物事を決める事もある爺さんだった。
まあ、どういう基準で決めたのかは、この際どうでもいいな。
「ピレモン様は、恐らくエリス様を妾にした場合、
何らかの理由を付けて、ダリウス卿の所にさし出すでしょう。
ピレモン様はエリス様のことをモノとしてしか扱っておられないようでしたので」
ふむ、ダリウスは変態貴族ってやつか。
アスラ王国には多いらしいが。
求めているのがエリスなら、趣味は悪くないと思える。
悪くないのは趣味だけだが。
「では、却下ですね」
「いえ、ダリウス卿本人については、私としても顔をしかめざるをえませんが、
しかし、ダリウス卿は、今王都で最も勢いのある方です。
エリス様も多少は苦労をされるでしょうが、身分と待遇は保証されるでしょう」
「しかし……」
「多少のわがままであれば、ダリウス卿も聞いてくださるはずです。
例えば、フィットア領の領民のために開拓村を作るだとか……」
なるほど。
権力者の女になれば、多少ならその金も使えるということか。
とはいえ、エリスがそんな変態のものになるのは嫌だな。
「他には?」
「他の貴族の方は、恐らくエリス様とは……。
サウロス様やフィリップ様が死んだ以上、エリス様に貴族の子女としての価値はほとんどございませんので」
価値、価値か……。
そういうものなのだろうか。
俺に言わせれば、エリスは単体で十分に価値があるんだが……。
「ルーデウス殿は、いかが為されるのがいいと思われますか?」
「…………僕の意見を言う前に、ギレーヌの意見を聞いてもいいですか?」
唐突の問いに、俺はやんわりとそう言って逃げた。
まだ考えがまとまっていなかった。
「私は、エリスお嬢様はルーデウスと一緒になればいいと思う」
「僕と、ですか?」
「お前はパウロの息子だ。ゼニスもミリシオンの有力な貴族。
身元も血筋もハッキリしているのなら、アスラ王国の貴族になれるはずだ」
いや、それはどうだろう。
なれないと思うが。
そう思ってアルフォンスを見る。
「不可能ではありません。
パウロ殿には今回の一件で功績もありますし、それを利用すれば、
ルーデウス殿を貴族にすることもできるでしょう。
しかし、フィットア領の管理者になれる程となると、難しいでしょうな。
パウロ殿のご子息が権力を持つことをピレモン様が許すとは思えません。
また、エリス様が権力者に嫁ぐことに関し、
ダリウス卿とジェイムズ様がいい顔をするとは思えません」
だろうな……。
まあ、でも、なんとなくわかった。
アルフォンスの考えは、あくまでこの領地の再生なのだ。
「ならば、ルーデウスがエリスお嬢様を連れて逃げればいい」
「フィットア領のことはどうなさると?」
「お前がどうにかしろ」
ギレーヌの言葉は突き放すようだった。
アルフォンスとは根本的に仲が悪いのかもしれない。
「サウロス様が愛したこの土地をエリス様が統治してこそ、
我々の悲願は為されるのではないのですか?」
「それはあくまでお前の悲願だ、一緒にするな。
私はエリスお嬢様が幸せになれれば、それでいい」
「ルーデウス殿と逃げれば幸せになれると?」
「少なくとも、ピレモンに嫁がせるよりはな」
「領民はどうします」
「知ったことではない。エリスお嬢様は元々、そうした分野には何一つ期待されていなかった」
家臣団の半数は意見を違えている。
まとめてみよう。
要するに、
アルフォンスは、エリスにサウロスやフィリップの跡を継いでもらいたい。
そして、この土地を治めてもらいたい。
そのためなら、多少の変態貴族に変態な事をされるぐらいは我慢しろという。
ギレーヌは、そんな事は関係ないから、エリスが幸せになってほしい。
そのためなら、権力や家名なんか捨てて、俺と逃避行しろという。
俺としては、ギレーヌ寄りの考えである。
感情的なものだ。
だって、ここまで守ってきた子が、ブタみたいな奴のモノになるとかイヤだしね。
いや、ダリウスとやらがブタかどうかは知らんが。
それなら、まだエリスと逃避行した方がいい。
俺は権力なんかどうでもいいしな。
しかし、アルフォンスの言いたい事も多少はわかる。
サウロスがやっていた事をエリスが引き継ぐ。
その事に重きを置く考えも、とりあえずは理解できる。
納得はできないが。
まあ、どちらにしてもだ。
「埒が明きませんね」
俺はぽつりと呟いた。
言い争っていた二人が、こちらを見る。
「どういう意味ですか?」
アルフォンスの問いかけに、答える。
「どちらにせよ、決めるのはエリスです。
僕らがこうして話をしていても、何の意味もない。
そんな事より、もっと建設的な話題を探しましょう。
他に何か無いんですか?」
アルフォンスは唖然とした顔で俺をみていた。
ギレーヌもまた、黙り込んでいる。
「無いのでしたら、僕は休ませてもらいます」
その日の会議は、それで終了となった。




