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無職転生 - 異世界行ったら本気だす - 作者:理不尽な孫の手

第6章 少年期 帰郷編

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第五十九話「ターニングポイント2」

 赤竜の下顎。
 ただ一本道が続く渓谷。
 聖剣街道のようにまっすぐではない。
 だが、分かれ道のない一本の道である事には変わらない。

 国境と国境の間にある、どこの国のものでもない領域。
 ここを抜ければ、アスラ王国である。


 そいつは、普通に歩いてきた。
 一本道の向こうから。

 銀髪、金色の瞳、特に防具はなく、何かの皮で作られた無骨な白いコートを身に着けていた。
 馬に乗るでもなく、馬車に乗るでもなく、ただ歩いてきた。
 男である。
 俺の印象としては、せいぜい「目つきの悪い奴だな」という程度だ。
 酷い三白眼だったのだ、この男は。

 それよりも、目に止まったのは。
 彼の脇。
 そこに、黒髪の少女が一人。
 どこかで、会ったような気がするが、思い出せない。

 この世界は純粋な黒髪が少ない。
 黒に見えても、よく見ると焦げ茶だったり、
 やや灰色に近かったりする。
 髪の色で他人を覚えているつもりは毛頭ないが、
 黒髪なら覚えていてもおかしくは無い気がする。 
 だというのに、思い出せない。

 この少女がことさら目に入ったのには理由がある。
 その顔。

 顔に、仮面が付けられていたのだ。
 特徴があると言えばあるし、
 特徴がないと言えば無い。
 真っ白で、何も書いていないし、何の装飾もされていない仮面だ。
 例えるならば、ダーティマスクのような仮面である。
 ただ、目立っている。

 この世界において、こんな仮面をつけているやつはいなかった。
 ファッションではないだろう。

「……!!」

 少女に見とれていたから、というわけではないが、
 この時の俺は、御者台に座るルイジェルドの顔が蒼白になっている事に気づかなかった。
 エリスもそうだ。
 男が一歩近づいてくるたびに、その表情を険しくし、
 剣の柄を握る手が真っ白になるほど、力を込めていた。

 男は俺たちの姿を認めると、おや、と首をかしげた。

「うん……? お前、もしかしてスペルド族か?」

 男の三白眼が細められる。
 それを見て、俺は疑問に思った。
 今のルイジェルドは髪はなく、額の宝石も隠している。
 どうしてわかったのだろうか。
 俺にはわからない、にじみ出るスペルド臭でも発しているのだろうか。
 などと思いつつ、ルイジェルドに振り返る。

「知り合いです……か……?」

 俺の問いかけは、途中で途切れかけた。
 ルイジェルドの顔が違った。
 いつもと、あまりにも違った。
 白い肌から一切の血の気が引いていた。
 冷や汗をだらだらと流し、槍をつかむ手がブルブルと震えている。
 これは……この表情には見覚えがある。

 恐怖だ。

「ルーデウス、絶対に動くな、エリスもだ」

 ルイジェルドの声は震えていた。
 俺はわけがわからないまま、無言で頷いた。
 エリスは顔を真っ赤にして、今にも飛び出しそうだ。
 手も足も、ブルブルと震えている。
 怯えているのか?
 それもあるが、それ以上に、エリスは彼に敵意を持っている。

 しかし、俺は知らない相手だ。
 俺が知らない間に、二人はこの男に出会っているのだろうか。

 俺はとりあえずなりゆきを見守る。

「ん? その声、ルイジェルド・スペルディアか。
 髪が無いから一瞬わからなかったぞ。なぜこんな所にいる?」

 男は無造作に近づいてくる。
 ルイジェルドが槍を構えた。
 俺にはわからない。
 なぜルイジェルドがこの男をこれほどまでに警戒しているのか。
 わからない。

 とりあえず二人が恐れているので、魔眼を開眼する。
 はっきり言って、軽い気持ちだった。

 <男の姿が何重にもブレている>

 ブレすぎて輪郭がハッキリしない。
 なんだこりゃ。

「ん? そっちの赤毛はエリス・ボレアス・グレイラットか。
 もう一人は……誰だ? まあいいか。
 なるほど、読めたぞルイジェルド・スペルディア。
 子供好きの貴様は、例の転移によって魔大陸に飛ばされたこの二人を、
 ここまで送り届けたということだな」

 訳知り顔で頷く男に、エリスがびっくりした声で叫ぶ。

「な、なんで私の名前を知ってるのよ!」

 エリスの言葉に、俺はさらに混乱した。
 知らない相手なのか?
 初対面なのか?
 いや、エリスの事だ、忘れていてもおかしくはない。

 とはいえ、この世界では銀髪はほとんど見かけない。
 この特徴的な三白眼と、
 エリスとルイジェルドだけが感じているらしい、何か異様な感覚。
 一度会えば、さすがに覚えているはずだ。

「貴様は何者だ! なぜ俺の名前を知っている!」

 ルイジェルドが男に槍を突きつけた。
 ルイジェルドの知り合いでもないらしい。

 エリスとルイジェルドは、男を知らないという。
 俺も男を知らない。
 男も俺を知らない。
 だが、男はエリスとルイジェルドを知っている。

 まあ、それならそれでもいい。
 ルイジェルドは有名だ。
 中央大陸ではそれほど名前が売れていないが、
 魔大陸に行けば、彼の名前と顔を知っている人物は大勢いる。
 エリスについてはわからないが、
 赤毛の美少女剣士となれば、当てずっぽうで言って当たる事もあろう。

 が、おかしいのはそこではない。
 あからさまにおかしいのは、そんな所ではない。
 態度だ。
 温度差とでもいうべきか。
 男と二人の態度が違いすぎるのだ。

 男の態度は極めてフレンドリーだ。
 声音も、どちらかというと、思わぬ所で旧友に出会ったかのような嬉しさが滲み出ている。

 対するルイジェルドは、今にも襲いかかりそうだ。
 しかし、手を出していない。
 明らかに敵としてみているのに、攻撃を仕掛けていない。
 理由はわからない。

 常に先手を取ろうとするエリスだって、動けないでいる。
 ルイジェルドに動くなと言われたからというだけではあるまい。

「奇妙なところで会ったが……元気そうだな。ならいい」

 男は槍を突きつけるルイジェルドをまじまじと見ていたが、
 やがて、自嘲気味に笑い、一歩後ろへと下がった。

 それを見て、仮面の少女がぽつりと呟く。

「いいの?」
「今の時点では仕方がない」

 俺には理解できない、主語の抜けた会話をした後、

「邪魔したな」

 男は、俺達のすぐ脇をゆっくりと歩いて去ろうとする。
 黒髪の少女がその後を追う。
 ルイジェルドは視線を外していない。
 もちろん、エリスもだ。

「俺の事は……そのうち分かる」

 最後に、ぽつりとそう言った。
 意味深だ。

 この男は何かを知っている。
 俺は直感的にそう思った。
 この男からは、人神と同じような感じがする。

「待って下さい!」

 気付けば、呼び止めていた。
 男は振り返る。
 意外そうな顔だ。
 そして、ルイジェルドとエリスも、びっくりした顔で俺を見ている。

「どうした。なんだ、お前は?」
「あ、どうも。ルーデウス・グレイラットです」
「聞いたことが無いな」

 初対面だしな。

「いや、グレイラットか。親の名は?」
「それより、そっちは名乗らないんですか?」
「ふむ……まあ、構わんか。
 俺はオルステッドだ」

 オルステッド。
 聞き覚えのない名前だ。
 死んであの世で詫び続ける人と同じという事しかわからない。
 ルイジェルドを見ると、やはり知らないようだ。

「あの、二人とは知り合いなんですか?」
「いいや、まだ知り合ってはいない」
「まだ? どういう意味ですか?」
「お前は知らなくてもいい。で、親は?」

 突き放したような言葉だった。
 こちらの質問には答えてくれないくせに、質問には答えろというのか。
 まあいい。
 俺はその程度の事で腹は立てないのだ。

「パウロ・グレイラットです」
「……ふむ?
 パウロに息子はいないはずだ。
 娘が二人きりのはず」

 なんと失礼な。
 いるんですよ、父親によく似た息子が一人。
 魔大陸まで出稼ぎに出てた馬鹿息子が。

「……うん?」

 そこでオルステッドは何かに気づいたように首をかしげた。
 ゆっくりと俺に歩み寄ってくる。

「それ以上近づくな!」
「ああ、わかっている」

 しかしルイジェルドに威嚇されて、距離を保つ。
 やや距離を置きつつ、まじまじと俺の顔を見てきた。
 俺はその視線を正面から受け止める。

「お前、目を逸らさないな」
「あなたの目つきは怖いので、今にも逸らしたい所です」
「ふむ、つまり、恐怖は覚えていないのか」

 男の眉根が寄った。

「ふーむ。おかしいな。お前と出会った記憶が無い」

 俺もない。
 初対面だ。
 オルステッドなんて名前も知らない。
 容姿にも見覚えがない。
 しかもワケのわからない事ばかり言う。
 この次に、ようやく、俺の理解できる単語を吐いた。

「お前、もしかして、人神(ヒトガミ)という単語に聞き覚えがあるんじゃないのか?」

 これはそう、ようやくだ。
 ようやくなのだ。
 ようやく分かる単語が出てしまった。
 ハッキリ言おう。
 油断していた。
 今まで誰にも言わないようにしていたのに。
 ふと他人の口から、
 しかもワケの分からない男の口から出てしまったせいで。
 会話をつなげる共通言語になると思って、
 あ、それなら俺でもわかる、と。
 ただそんな軽い気持ちで。
 言ってしまった。

「あります、夢にヒトガミってのが出てき……」

 唐突にビジョンが見えた。

 <オルステッドの貫手が俺の胸を貫く>

 まるで瞬間移動のようなスピードで、俺の胸を貫く。
 回避できない。
 一秒では、短すぎる。

「ルーデウス!」

 貫くビジョンは一瞬にして消え、ルイジェルドが俺の目の前に割り込んだ。
 貫手はルイジェルドによって止められ、俺は仰け反って後ろに倒れた。
 ルイジェルドの肩越しに、男が見下ろしてくる。
 冷たい眼だった。

「そうか、人神の手先だったか」

 冤罪だ。


---


 ルイジェルドが叫んだ。

「逃げろ! ルーデウス!」
「邪魔だ、ルイジェルド」

 ルイジェルドが槍を振るった。
 俺は動けなかった。
 そもそも、逃げる時間はなかった。

 ルイジェルドがやられるまで数秒。
 彼が赤子のようにひねられるのを、ただ黙って見ているしか無かった。
 ルイジェルドは強い。
 強いはずなのだ。
 エリスは結局、この旅の間、彼から一本も取れなかった。
 五百年分の戦闘経験が、彼を無敵たらしめているはずなのだ。
 王級以上の強さをもつ男のはずなのだ。

 そのルイジェルドが負けるのは、俺の眼にもハッキリとわかった。
 魔眼で見ながら、その一部始終を見届けた。
 時間にすれば、せいぜい10秒といった所だろうか。
 オルステッドは決して、ルイジェルドより速いわけではなかった。
 ただ、一手ルイジェルドが動く度に、ほんの少しだけ、ルイジェルドが劣勢になった。
 それが一秒間に三回から四回、繰り返された。

 ルイジェルドは動く度に墓穴を掘った。
 少し、また少しと追い詰められていく。
 攻撃を受ける度に少しだけ体勢が崩れ、
 攻撃を仕掛ける度に少しだけ後手に回った。

 技量。
 まさに技量としか言い様がない。
 俺にでもハッキリとわかるように、オルステッドはルイジェルドを切り崩した。

 オルステッドが圧倒的に上回っているのだ。
 俺の眼から見ても、ハッキリとわかるほど。

 鮮やかな手管だった。
 できうる限り最小限の動き、かつ最速でルイジェルドを無力化する。
 それを実現できるとすれば、あんな動きになるだろう。
 ルイジェルドの間合いを完全に見切り、
 槍の有効射程内より常に内側に身を置いて。

 得意な距離へと熟達の連携で押し出そうとするルイジェルド。
 それをあざ笑うかのように崩し、よろめかせ、隙を作り出し、
 決して食らってはいけない攻撃をガードさせた。

 おそらく、殺そうと思えば、出来ただろう。
 しかし、奴はそれをしなかった。
 気絶させたのだ。
 あのルイジェルド相手に、手加減していたのだ。

 そして。
 ルイジェルドはどうしようもなくなった。
 何の手立てもなくなった。
 詰みだ。

 ルイジェルドの鳩尾に深々と拳が刺さり、次いで二発目、顎先に拳が掠めた。
 三発、ルイジェルドの意識を刈り取る拳が、こめかみを撃ちぬいた。
 二回転して地面に落ちた。
 ルイジェルドは動かない。
 死んではいないが、動かない。

 オルステッドは、一発だけならいつでも打ち込めた。
 二発でも、恐らくは打ち込めた。
 しかし、ルイジェルドの意識を刈り取るには三発必要だったのだろう。

 それがルイジェルドを無力化するのに、最速であると言わんばかりの手際だった。

「さて」
「う、うあぁぁぁ!」

 叫んだのは俺ではない。
 エリスだった。
 彼女は俺の前に踊り出ると、抜刀からの一閃をオルステッドに向け、放った。

「……奥義『(ナガレ)』」

 エリスに対して、オルステッドは手間を掛けなかった。
 ただ、剣を手のひらで優しく受け止めただけだ。
 少なくとも、俺にはそう見えた。
 それだけで、エリスの体は竜巻のように回転し、吹っ飛んだ。
 まるでセ○ントで必殺技をくらった時のような吹っ飛び方だった。

 エリスは奴の視界の外にいた。
 ルイジェルドがやられた瞬間、エリスが死角から放った斬撃。
 それは俺の眼から見ても、申し分ない一撃だったと思う。
 防御を考えない、思い切りのいい斬撃。

 それに対し、奴は返し技を一つ。

 具体的に何をしたのかは、わからない。
 俺の眼には、ただエリスの剣の横腹に手を添えただけに見えた。
 次の瞬間、エリスはキリモミしながら吹っ飛んでいった。
 いや、似たようなものを見たことがある。
 パウロが見せてくれたことがある。
 水神流の技だ。
 あれをもっと、研ぎ澄ませたような感じの動きだった。
 エリスは全ての運動エネルギーを自分へと返されたのだ。

「がはっ……!」

 エリスは岩壁へと激突する。
 岩肌をパラパラと落としつつ、どさりと落ちる。
 彼女も鍛えているし、死ぬことはないと思いたい。
 だが、もしかすると骨折ぐらいはしたかもしれない。

「エリス・ボレアス・グレイラット。
 随分と剣の腕が上達しているな。素質はあると思っていたが……まだ荒い」
「う……うぅ………」

 エリスはうめき声をあげながら、起き上がろうとしている。
 いつもの俺なら、彼女に早く治癒魔術を、と思っただろうか。

 しかし、俺はそれどころではなかった。

 奴の目が俺に向いた。


---


 あっという間であった。
 あっという間に、二人がやられてしまった。


 俺はずっと魔眼を開眼していた。
 一秒先、そこに見えたのは絶望だ。
 俺はどのタイミングで行動しても、返り討ちにあっていた。

 1秒先の俺は、あらゆる急所を潰されていた。
 頭、喉、心臓、肺……。
 それぞれを潰すビジョンが見えつつも、
 さらに奴はその場にいるというビジョンも見えた。

 意味がわからなかった。
 これが本当なら、1秒後、奴は5人いるという事になる。
 動けなかった。
 何をしても、無駄であるとわかってしまった。

 何もできないまま、1秒が経過した。
 奴は目の前にいた。
 動けない俺の目の前に。

 物理法則を完全に無視したのかと思えるようなスライド移動。
 瞬間移動したかのように目の前にきていた。
 中割りの足りないアニメのように、唐突に。
 そして、目の前にきた時には、すでに攻撃の動作を終えていた。
 こんな動きを、昔どこかの格ゲーで見たことがあった。
 全てのキャラが永久コンボか即死コンボを持っている、世紀末なゲームだ。

 気づいた時には、俺は奴の双掌打をモロに受けていた。
 肋骨が8本ぐらい同時に折れた。
 衝撃はあった。
 だが、俺の身体は決して後ろに吹っ飛ぶ事はなかった。
 背中からも同時に攻撃を受けたかのような圧迫感を覚えた。
 ダメージは全て内部へと集約。
 肺が潰れた。

「ごはっ!」

 一瞬にして血が喉を駆け上がり、血反吐を吐いた。

「魔術師は肺を潰すに限るな……」

 膝をついた俺に、奴は何事も無いように、そう言った。
 俺は地面に広がる自分の血を見ながら、
 心のどこかでなるほどと納得していた。
 魔術師は肺を潰せばいい。
 詠唱ができなくなる。
 事実、俺はこの時点で治癒魔術を封じられていた。
 もちろん、肺を潰されればできなくなるのは詠唱だけじゃない。
 生命活動だって維持できなくなる。

 つまり、致命傷だ。

「死んで人神に伝えるがいい。
 龍神オルステッドは、決してお前を生かしてはおかん、とな」

 龍神。
 "七大列強"第2位。

 オルステッドは胸を押さえてうずくまる俺に一瞥。
 踵を返した。

 俺は、それを油断と見た。

 すでに致命傷を受け、敗北どころか死亡も目前。
 その状態でなぜまだ戦おうと考えたのか、分からない。
 視界の端でエリスが立ち上がろうとしていたからだろうか。
 この男が、俺が死んだのを見届けた後、わざわざ二人に止めをさすと思ったからだろうか。

 とにかく、俺は岩砲弾を奴に向かってぶちかました。

 なぜもっと強い魔術を使わなかったのか。
 俺には、もっと上級の魔術も使えたのだ。
 後になってもそれはわからない。
 ただ、おそらく一番使い慣れた魔術を使っただけなのだ。
 出来る限り硬い岩を、出来る限り速い速度で、出来る限りの回転を加えて。

 自分でも驚くほど、その岩砲弾は高威力だったと思う。
 男と俺との極めて短い距離を、岩砲弾は赤熱しながら飛んだ。

 <オルステッドは振り返り、岩砲弾を拳で粉砕する>

 そして、砕かれた。
 パラパラと落ちる岩。
 地面に落ちると、チリンチリンと金属音を立てた。
 オルステッドは自分の拳を見ている。

「今のは岩砲弾か……凄まじい威力だな。
 こんな魔術で俺の体に傷をつけるとはな……」

 オルステッドの手の甲は皮がベロンと剥がれていた。
 かすり傷だ。
 だめだ、岩砲弾では意味がない。
 この男にダメージを与えることはできない。

「肺は潰したはずだが……無詠唱魔術か?
 それは人神から得た力か?
 他には、どんな力を得た?」

 オルステッドは俺を観察するように、見下ろしていた。
 すぐに止めをさせばいいだろうに。
 足をもぎ取ったバッタを見下ろすかのように、冷酷に見ていた。
 苦しい……。

「ゲハッ……!」

 俺は風魔術を作り、無理やり肺の中に空気を送り込む。
 激しくむせる。
 意味がない気がするが、無理やり送る。
 そして、目一杯溜めて、息を止めた。

「ほう。面白い使い方をするな、今のはどんな意味がある?
 なぜ肺を無詠唱魔術で治癒しない?」

 オルステッドは顎に手をやり、俺が苦しむのを興味深そうに見ている。
 俺は朦朧とした意識で、右手で火球を生成しようとした。
 火魔術は、魔力を注げば注ぐほど温度が上がり、規模が大きくなる。
 速度と硬さの岩砲弾がダメなら、熱量と爆発力で……。

「それはもういい。『乱魔(ディスタブ・マジック)』!」

 そんな浅はかな考えは、あっさりとかき消された。
 オルステッドが俺に右手を向けた瞬間、手の先からまとまりかけていた魔力が掻き乱されたのだ。
 手の先から魔力を出せども出せども、形にならず、散った。

 俺は朦朧としつつも、理解していた。
 手から出た魔力に干渉し、かき乱す事で魔術を無効化しているのだと。
 俺にも出来そうだな、とボンヤリと思った。

 右手を封じられた。
 だがまだ俺には左手があった。

 俺はもう片方の手で魔術を構築、
 オルステッドとの中間に、衝撃波を叩き込んだ。

 ドンッと重い音がして、オルステッドが後ろに吹き飛ぶ。
 同時に、俺もまた背後へと飛ぶ。

「むっ、『乱魔(ディスタブ・マジック)』を無効化したのか?
 いや、違うな……多重詠唱の一種か。
 無詠唱でやるとは器用な奴だな……こんな感じか?」

 男は左手で、パチンと指を鳴らした。
 すると、男の足元から五十センチ四方の小さな窓がせり上がってきた。
 銀色で、華美な龍の装飾が施された、綺麗な窓だ。

「ほう、意外と難しいな」

 俺はそれを気にせず、オルステッドに対しできうる限りでもっとも高火力の魔術を放つ。
 イメージするのは、巨大な炎。キノコ雲。
 核爆発。
 力をためてぶん殴るように、俺は愚直に魔力を集中させた。
 エリスやルイジェルドを巻き込んでしまうとかは考えなかった。
 すでに俺には、考える力は失われていた。

「開け『前龍門』」

 男がぽつりと呟くと、窓が開いた。

 その瞬間、俺の左手から魔術になろうとしていた魔力が、吸い取られた。
 窓枠がバキンと音を立てて割れた。

 同時に、オルステッドの近くで爆発が起こった。
 想定していたものより圧倒的に小さい。
 簡単に回避されていた。

「凄まじい魔力量だ。このサイズの『前龍門』では耐え切れんか。
 まるでラプラス並だな……人神の使徒なだけはある。
 だが、なぜ先ほどから肺を治癒しない?
 俺の油断を誘っているのか?」

 この時、俺の意識は途切れる寸前だった。
 判断力なんてなかった。
 先ほどから満足に息ができていないのだ。
 男はなおも観察するように俺を見ていた。
 目が合う。 

「終わりか?」

 ほんの刹那。
 オルステッドは戸惑う俺に肉薄した。
 すでに打つ手はなかった。

「魔術以外には、何もできないのか?」

 魔術は封じられ、足はすくんで動かない。
 圧倒的な殺意を前に、どうすることもできない。
 視界の端で窓枠が消えていく。

 だが、何もできることがない。

「ごばっ!」

 とっさに出そうとしたのは、ドルディア族の村で習得した、なけなしの咆哮。

「むっ……!」

 俺の動作に、身構えるオルステッド。
 しかし。
 もちろん。
 血反吐を吐いただけで、何の効果もない。

「……魔力だけか。なんのつもりだ?」

 もはや、俺には何もできない。
 魔術は封じられ、体術では勝てる要素が見当たらない。
 あとできる事と言えば、土下座しかない。

「まあいい、死ね」

 が、オルステッドは土下座すらもさせてくれなかった。

「がふっ……」

 超速で打ち出された貫手が、あっさりと俺の体を貫通した。
 拳は確実に心臓を貫いた。
 確実な致命傷。
 俺の治癒魔術では治せないであろう傷。

「あっけないな。
 人神め。闘気も纏えんものを手駒にしたのか。
 どういうつもりだ……」

 引き抜かれる拳。
 そこには、ベットリと俺の血が付いている。

 俺は、立とうとする。
 体が言うことを聞かない。
 意に反し、崩れ落ちる俺の体。

 視界の端で、顔を上げたエリスが、こちらを呆然と見ているのが見えた。
 目が会う。

「あ……ああ、る、ルーデウ……ルーデウス……!」

 薄れゆく意識の中で、俺は冷静に考える。

 ああ、まずいな。
 死にたくない。
 まだエリスとの約束を果たしていないんだ。
 せめて、あと二年。二年待ってほしい。
 そうすれば、俺は心置きなく逝けるのに……。

 ヒーリングだ。
 ヒーリング……。
 魔力を集めろ、傷は一つだ。
 詠唱は出来ない、肺にも穴が開いている。
 だが、出来る、ゆっくりと、魔力を集めるんだ。
 治る、治るさ。
 まだ死ぬわけには行かない。

「うわあああああぁぁああ!」

 エリスが叫ぶ。
 悲痛な叫びを上げる。

「大事な者だったのか?
 すまんなエリス・ボレアス・グレイラット。
 だが、お前もいずれ、わかる日が来る。
 いくぞ、ナナホシ」
「え、ええ……」

 少女を連れて、オルステッドは悠々と歩み去る。
 エリスは立ち上がれない。
 ダメージか、恐怖か。
 それともショックか。
 ただ叫び声を上げるだけで、
 剣もなく、ただ泣き叫ぶだけ。

「ルイジェルド! ギレーヌ! 
 お祖父様! お父様! お母様!
 テレーズ! パウロ!
 誰でもいいから、誰でもいいから助けて!
 ルーデウスが死んじゃう!」

 まずい、意識が薄れてきた。

 まじかよ。
 ここで終わりかよ。

 死にたく……。
 な………い…。


---


「ねえオルステッド、一つ気になったのだけど……。
 こいつ、生かしておいた方がいいんじゃないかしら?」

 意識が途切れる寸前。
 そんな声がきこえたような気がした。
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