第四十七話「パウロとの再会」
--- パウロ視点 ---
オレは酒場で飲んでいる。
もうすぐ夜という事もあり、団員以外の客が増え始めている。
逆に、団員は減っている。
そんな中、俺はテーブルの一つに座り、延々と飲み続けていた。
不機嫌さが漂っているのだろう。
誰も近づいてこない。
「よう、探したぜ?」
と、思ったら声を掛けられた。
顔を上げると、サル顔の男が口の端をあげている。
この顔を見るのは一年ぶりだ。
「ギース……てめえ……どこ行ってやがった」
「おうおう、なんだなんだ、相変わらず不機嫌そうだな」
「当たり前だ」
チッと、舌打ちして、頬を触る。
まだ痛みが残っている。
ルーデウスに殴られた所だ。
見栄を張ったが、治癒術師にヒーリングを掛けてもらったほうがよかったかもしれない。
クソッ、ルーデウスめ。
何が「魔大陸とかいって、僕の魔術に掛かれば余裕でしたよ」だ。
そんだけ余裕なら、人探しぐらい出来るだろうが。
それどころか、大王陸亀の喰い方について延々と語りやがって。
何が「もし土魔術で土鍋を作ることを思いつかなければ、一年もあの糞不味い焼肉を食い続けうることになりましたよ」だ。
食材なんか探す暇があったら、別の事が出来ただろうが。
くそ。
挙句、オレが浮気してるだと?
ふざけやがって。
転移してこの方、女の事なんざ一切考えたことなんてねえ。
自分が何もしなかったことを棚に上げてオレの事を責めるたぁ。
ふざけやがって。
何が知らなかっただ。
お前がきちんと魔大陸を調べてりゃ、
今頃ゼニスかリーリャのどっちかとは再会できたかもしれねえってのによ。
ふざけやがって。
「ヘヘッ、その様子じゃあ、まだ会ってねえみてえだな」
ギースは何が嬉しいのか。
ヘラヘラと笑いながら、何かを注文していた。
どうせ酒だろう。
この男は炭鉱族のタルハンド以上に酒好きだった。
「パウロ。おまえよ、明日冒険者ギルドに顔だせよ」
「なんでだよ」
「面白ぇ人物と会えるぜ」
面白い人物。
オレの不機嫌が直る相手。
ギースが今日顔を出した理由。
そして、今日出会った人物。
三つを照らしあわせると、おのずと答えは出た。
「ルディか?」
聞くと、サル顔は口を尖らせ、ポリポリと頭を掻いた。
「なんでぇ、知ってたのか?」
「会ったんだよ」
「その割にゃあ、あんまり嬉しそうじゃねえな。
喧嘩でもしたのか?」
喧嘩。
まあ、喧嘩か。
喧嘩にもなってなかったが……。
くそっ、思い出したらまた疼いてきやがった。
「何があったんだよパウロ、話してみろよ」
ギースは、その人のよさそうな顔で、椅子をオレの隣に移動させてきた。
こいつは昔から、他人の悩みを聞くのが上手な奴だった。
今回も、おせっかいを焼いてわざわざ聞いてくれるらしい。
「ああ、聞いてくれよ……」
と、オレは先程あったことをギースに話した。
出会えて嬉しかった事。
けれども、何か話が噛み合わず、ルーデウスに今までどうしていたのか聞いたこと。
すると、ルーデウスがあまりにも楽しそうに旅の話をし始めたこと。
くだらない自慢話を延々と聞かされたこと。
そんな自慢より、もっと別の事ができただろうと指摘したこと。
逆ギレされたこと。
女のことを指摘されてカチンときたこと。
喧嘩してボロ負けしたこと。
ギースは、各所で相槌を打ちながら、うんうんと頷き、
あー、と同意してくれたり、
なるほどなあ、と納得してくれたり。
そんな感じで聞いていたが、最後に言った。
「お前さ、息子に期待しすぎじゃねえのか?」
「…………あ?」
オレは自分でもマヌケな声を上げたと認識していた。
期待しすぎた?
なにを?
誰に?
「オレが? ルディをか?」
「だってよ、よおっく、考えて見ろよ」
戸惑うオレに、ギースはたたみかけるように言葉をつなげる。
「あいつは確かにすげえよ。無詠唱で魔術を使うヤツなんざ見たことがねえ。
何十匹という魔物を一人で退治したって聞いた時にゃ、そりゃ背筋が震えたさ。
ルーデウスは、それこそ、百年に一人の天才ってヤツなんだろうよ」
そうだ。ルディは天才だ。
天才なのだ。
本当の天才だ。
小さい頃からなんだって出来る奴だった。
一時期はわりとダメな所もあるのかと思ったが、
あのフィリップが娘をやってもいいとさえ言ったんだ。
オレの事をあれだけこき下ろしたフィリップが、だ。
「おう、そうさ。あいつはスゲぇぜ。なんせ五歳の時には……」
「けど、まだガキだ」
ぴしゃりと遮られて、オレは黙った。
「ルーデウスは、まだ11歳のガキだ」
ギースは噛み締めるように、もう一度言った。
「お前だって、家を出たのは12歳の時なんだろ?」
「ああ……」
「12歳未満はガキだって、お前、昔から言ってたもんな?」
「なんだよ、それがどうしたっていうんだよ」
ルディはもうオレより強いんだぞ。
確かに今日は酒は飲んでたが、
それを差し引いたって、アイツは強くなっていた。
酔っていたとはいえ、オレは本気だったんだ。
本気で、使いたくもねえ北神流『四足の型』と、剣神流『無音の太刀』まで使ったんだ。
それなのに、オレの剣はアイツのかぶっていたパンツのヒモを斬っただけだ。
ルディは全然本気じゃなかった。
それが証拠に、団員は全員、軽傷で済んでいた。
手加減抜きで戦って、手加減されて負けたんだ。
会わなかった間にどれだけ強くなったかはわからねえ。
ただ、ルディは七歳の時にはもうオレよりずっと賢かった。
腕っ節がオレ以上に強くて。
頭もオレ以上にいい。
なら、オレ以上の事が出来たっておかしくねえだろ。
歳がなんだってんだ。
「パウロ、お前、11歳の頃は何してた?」
「何って……」
確か、家で剣術を習っていた。
毎日、毎日、親父に叱られる毎日だった。
一挙手一投足、全てに文句を言われ、殴られた。
「その頃のお前に、魔大陸で生きていけつって、出来たか?」
「ハッ、ギース、そりゃ前提がおかしいぜ。
ルディはな、強い魔族に護衛についてもらったんだ。
人間語も魔神語も、獣神語も出来て、
Aランクの魔物だって一人で倒しちまうっつー、
化け物みたいな奴に護衛についてもらったんだ。
オレじゃなくたって魔大陸縦断ぐらい出来るさ」
「できねえな。お前は出来ねえ、絶対に出来ねえ。もし、今のお前で魔大陸に行っても一人じゃ帰ってこられねえ」
断言されて、オレは鼻白んだ。
ギースは相変わらず、ヘラヘラと笑ったままだ。
こいつの笑みは、相変わらず苛つく。
「ハッ! じゃあなおさらじゃねえか! オレにできねえ事をやった。天才だ。ルディは天才だ! オレの息子は天才だ。もう立派に一人前だ。オレが何を言うこともねえ。能力のある奴に、能力に見合った仕事を期待するのは、間違っているか? ええギース、オレは間違っているか?」
「間違ってるね。お前はいつだって間違ってる」
ギースはヘラヘラと笑いながら、運ばれてきたビールを一気に飲んだ。
「ぷはっ、うめえ。やっぱ大森林じゃこういうのは飲めねえからな」
「ギース!」
「わかってるよ、うるせえな」
ギースはドンと木のコップを置く。
そして、急に真面目な話になった。
「パウロ。お前、魔大陸には行ったことねえんだろ?」
「……それがどうした」
オレは魔大陸に行ったことはない。
そりゃ、もちろん、人から聞いたことはある。
危険な土地だって噂だ。
道を歩けば魔物が出て、魔物を食わなきゃ生きていけない。
だが、魔物が多いぐらいなら、どうにでもなる。
「知っての通り、俺は魔大陸の出身だ。
で、その俺に言わせりゃあ、魔大陸ってのはヤバイ」
「そういや、お前からそんな話を聞いたことはなかったな。どうヤベぇんだ?」
「まず、街道がねえ。道はあるが、
ミリス大陸や中央大陸で言われてるような、
魔物の数が少ない安全な道ってのは存在しねえ。
どこを歩いていても、Cランク以上の魔物が襲い掛かってくる」
確かに魔物は多いと聞いていたが、Cランク?
中央大陸じゃ、森の奥にしか出てこないような相手だ。
群れるか、特殊な能力を持っている奴が多い。
「そりゃいくらなんでもフカしすぎだろ?」
「いや、本当の事だ。俺は今、一切嘘を言ってねえ。
魔大陸ってのはそういう大陸だ。とにかく、魔物が多いんだ」
ギースの目は本気だった。
だが、この男はこういう目をしながら、案外簡単に嘘をつく。
騙されるものか。
「そんな大陸で、優秀とはいえ実戦経験の無い子供が放り出される」
「……おう」
実戦経験が無いってのは、ルディの事か。
いわれてみりゃあ、あいつが誰かと戦ったって話は聞いたことがねえ。
ただ、人攫いはうまい事撃退したって聞いたし、
距離さえ開ければギレーヌでも勝てないかもしれないって話は聞いた。
オレはギレーヌ以上の剣士を知らない。
アイツが近づけないってんなら、適切な距離を置いたルディに勝てる奴は世界で1000人もいない。
だから実戦経験が無いなんてのは、関係ない話だ。
かの北神二世、アレックス=R=カールマンだって、
実戦経験無し、初めての実戦で剣帝を斬り殺したって話だ。
「で、そこに助けてくれるって大人が現れる。魔族、それも強いヤツだ。スペルド族。知ってるよな。あのスペルド族だ」
「ああ」
スペルド族。
その事に関しては、正直、半信半疑だ。
魔大陸にだってスペルド族はもうほとんど残っちゃいねえって話だしな。
「右も左もわからない状態で手を差し伸べてくれる存在。
弱っている所を助けてくれる存在。
けど、スペルド族は怖い。
なにせ断りゃあ何されるかわかんねえしな。
そりゃ、その手を握っちまうだろう」
「……まあ、そうだろうな」
「で、助けてもらっているうちに、賢いルーデウスはこう思うわけだ。
こいつの狙いは一体なんなんだ、ってな」
確かに。
ルーデウスなら、思うだろう。
オレじゃあ気付かないが、そういうことには敏い奴だ。
かつて、リーリャを助けた時も、
子供とは思えないような敏さを見せた。
「でも、相手の目的なんざわかるわきゃねえ」
だろうな。
相手の狙いがわからないから、ギースみたいなヤツが生きていける。
「今は助けてもらっているが、
いずれは切り捨てられるかもしれない。
と、そこでルーデウスは考える。
切り捨てられないように恩を売ろう、とな」
「なんだそりゃ? 恩? うまくいくのか?」
「茶化すなよ。恩って言い方があれなら、情に訴えるとか、
仲間意識を芽生えさせるとか、そんな感じでいい」
仲間意識を芽生えさせるか。
なるほどな。
そうすると、ルディの行動も頷ける。
守ってくれるという魔族にゴマすって、
いざという時のために自分の腕も磨いておく。
合理的だ。
ルーデウスは、最も安全な道を選んでいると言える。
ふん、さすがだな、やるじゃないか。
「チッ、それだけ考えられるのに、なんでそれ以上の事ができねえんだ」
ポツリと漏らすと、ギースは指を広げた。
それを一つずつ折っておく。
「初めての土地、初めての冒険、
いくら賢いったって、知らねえことばかりだ。
騙されないために、自分も学んでいかなきゃならねえ。
その上で、いつ裏切るかわからねえ魔族相手に気を配り、
すぐ後ろには守らなきゃいけない妹分……」
ギースは淡々とした口調でいいつつ、指を全て折った、
そして、最後にこう、締めくくった。
「これで転移した別の奴らまで探し出したってんなら、
そりゃ超人だぜ、超人。
"七大列強"に数えられていてもおかしくねえ」
七大列強か。
懐かしい名前を聞いたな。
昔は、オレもそれだけ有名になりたいと思っていたっけか。
親の贔屓目抜きで見ても、ルディはそれになれる実力はあると思うがな。
「明らかにオーバーワークだ。
ルーデウスがいくら天才といった所で、
人間にゃ、限界がある」
「限界ギリギリの奴が、なんであんな楽しげに冒険の話を語るんだ? ありゃ、どう見たって迷宮に遠足気分で入って浅い所で遊んで帰るお貴族様だぜ?」
ルディが、もし本当にきつかったというのなら、あんな言い方はしないはずだ。
旅の辛い所、苦しい所。
そういう所を語るはずだ。
けど、ルーデウスはそんな所は一切語らなかった。
「そりゃ、お前を心配させないためだろ」
「…………は?」
また間抜けな声が出た。
「なんでアイツが、オレの心配なんてしてんだ? ダメな親父だからか?」
「そうだ。お前がダメな親父だからだ」
「チッ、そうかよ。そうだろうな、オレはくっだらねえことで酒に逃げちまうような弱い男さ、天才様の目には、さぞ哀れに映ったんだろうな」
「別に天才じゃなくたって、今のお前は哀れに見えるぜ、パウロ」
ギースはため息をついた。
「自分の顔は自分じゃ見れねえだろうから言うけど、お前、今ひっでぇ顔してるぜ?」
「息子に同情されるような顔をか?」
「ああ。今のお前となら、喧嘩別れせずに済みそうだ」
哀れすぎて何も言えなくなっちまうからな、とギースは付け加えた。
オレは自分の顔に触れる。
何日も剃っていないひげがジャリっと音を立てた。
「なあパウロ、もう一度言わせてもらうぜ」
ギースは念を押すように、言った。
「お前は、息子に期待しすぎだ」
期待して、何がいけないんだと思う。
ルディは生まれた時からなんでもうまくやった。
オレは父親面しようとして、それを引っ掻き回しただけだ。
ルディには、オレは必要なかった。
「なあ、パウロよ。なんで素直に再会を喜ばねえんだ?
いいじゃねえか。ルーデウスがどんな旅してきたって。
脳天気にのんびり旅してきたって。
女とイチャコラ旅してたって。
お互い元気で会えたんだ。まずはそれを喜べよ」
「…………」
そうだ。
オレだって、最初は喜んだはずだ。
「それとも、体のどっかを失って、目もうつろな息子に会いたかったのか?
死体になって再会って可能性も大いにあったんだぜ?
いや、魔大陸なら死体も残らねえな」
ルディが、死ぬ?
あの元気なルディを見た後では、現実味のない話だ。
だが、ほんの数日前。
オレはその想像をして、陰鬱としていたのではなかったのか?
「あーあー、かわいそうになー。
すっげぇ苦労して旅してきて。
せぇっかく父親と再会したってのに。
その父親は酒浸りのクズなんだもんな。
こりゃ、オレだったら縁を切るな」
チッ、芝居掛かった口調で喋りやがって。
「わかったギース。お前のいうことはもっともだ。けど、一つ、不思議な事がある」
「なんだ?」
「なんでルディは、ブエナ村の情報を知らなかったんだ?
ザントポートにだって伝言は残したはずだ」
ギースは、「そりゃあ」と言いかけて、苦い顔をした。
これは、コイツが何かを隠している時の顔だ。
「運悪く、みつけらんなかったって事だろ」
「……ギース、お前はどこでルディを見つけたんだ?
ザントポートで見つけたんじゃないのか?」
ギースがこの一年間どこにいたのか、俺にはわからない。
だが、ルーデウスは北から来た。
北でギースが活動できるようなでかい町といえば、ザントポートぐらいだ。
ザントポートには、きちんと伝言が残っている。
それにあそこには、団員が駐在しているはずだ。
魔大陸から誰かが渡ってきた時、その人物から情報を得るためだ。
冒険者なら、冒険者ギルドに寄らない理由はない。
「俺がルーデウスに会ったのは、ドルディア族の村だ。
ビックリしたぜ、何せ、聖獣に襲いかかったって嫌疑を掛けられて、
全裸で牢屋に入れられてたんだからな」
「獣族に全裸で牢屋って……マジかよ」
ギレーヌから聞いた事がある。
ドルディア族にとって、
全裸にされる、檻に入れられる、鎖に繋がれる、冷水を掛けられる、
といった事は、この上ない屈辱なのだ。
他人に対しては滅多な事ではやらないし、やられたら死ぬまで覚えている。
冗談でギレーヌに水を掛けた時、本気で睨まれた。
「そ、それで、どうなったんだ?」
「なんだ、ルーデウスから聞いてねえのか?」
「魔大陸を旅したって話しか聞いてねえんだよ」
そうだ、なんでザントポートで伝言を見なかったのか。
一番重要な部分は聞いていなかった。
なんでだ……。
ああ、オレが聞かなかったんだ。
ちくしょう。
なんでオレってやつはいつもこう、短気なんだ。
落ち着け。
ルディは優秀だ。
優秀なのに、情報を得ていなかった。
その事を、もっと冷静に考えるべきだ。
ザントポートまで行けば、嫌でも耳に入ったはずなんだ。
つまり、ザントポートで何らかの事件に巻き込まれたって事だ。
ドルディア族に捕まるような事件。
大事件じゃないのか。
もう二、三日もすれば団員の一人が情報を持って帰ってくるが、
何か事件が起きたんじゃないのか?
「いや、俺も詳しいことは知らないんだけどよ、
大森林のミルデット族ん所にいた時にな、
ドルディアの村に人族のガキが捕まったって噂を耳にしたのよ」
「ん? ちょっとまて、お前、今、どこにいたって?」
ミルデット族?
確か、獣族の一種だったはずだ。
ウサギみたいな耳を持つ種族だ。
「ミルデット族の村だ。族長がいる所だから、結構でかいんだが――」
ギースの説明は、長く、うっとおしかった。
正直、途中で「もういい」と言いたくなるような長さだ。
だが、今日もまた、ルディの話を最後まで聞かず、重要な部分を知らずに終わったばかりだ。
同じ失敗ばかりしているオレでも、さすがに同じ日に二度も繰り返さねえ。
話が終わった。
整理してみると、
「ギース、つまりお前は、大森林の各種族に、人族の迷い人がいたらミリシオンまで送ってくれって言って回ってたのか?」
「おう。ヘヘッ、感謝してもいいぜ」
「してもしきれねえよ……」
たまに、大森林の方からオレを頼ってくる難民がいると思ったが、
そうか、そういうカラクリだったか……。
「ま、んな話はいいんだよ」
「……ああ」
後で詳しく聞かせてもらうが、今は置いておく。
「人族の子供ってことでピンときた俺は、
早速ドルディアの村へと移動した。
自慢じゃねえが、俺は顔が広い。
ドルディアの村にだって何人も知り合いがいる。
その知り合いの一人、懇意にしてる戦士の一人に頼んで、
同じ牢屋に入れてもらうように仕組んでもらったのよ」
「ちょっとまて、なんでお前が入る必要がある?」
「いざとなったら、逃げ出すためよ。
獣族の牢屋ってのは、外より中からの方が逃げ出しやすいからな」
ギースの脱獄の腕は俺も知っている。
イカサマで捕まっても、何気ない顔で出てくる男だ。
「で、な。捕まった人族の子供が、哀れに泣き叫んで絶望してるかと思ったら……ぷくく」
「なんだ、どうなってたんだ?」
「全裸で余裕こいて寝転んで『ようこそ。人生の終着点へ』だぜ?
もう何を言い返していいのかわかんなかったっつーの!」
ギースはゲラゲラと笑った。
「笑い事じゃねえだろ」
「笑い事だね。
俺は一目みてわかったもんよ。
こいつはパウロの息子だってな」
それの何が面白いっていうんだ。
というより、それのどこに俺の息子と断定する部分があるんだ。
「昔のお前そっくりだぜ。
初対面でもふてぶてしい所とか、
無駄に偉っそうな所とか、
獣族の女を口説こうとして、
『発情の臭いがする』なんて見透かされてよ、
それでも懲りずにエロい目で見てる所とかよ!」
ギースは何がツボに入ったのか、またゲラゲラと笑った。
昔の事をほじくられると背筋が痒くなる。
「ま、確信を持つまでには、もう少し時間かかったけどよ」
ギースはそう言って、ビールを飲み干した。
「ま、そういう事だからよ。
あいつが情報を知らねえのは、仕方ねえんだ。
ザントポートには寄らなかったって話だしな」
「ん? まてよギース、お前、同じ牢屋に入ってたんだよな、じゃあ」
こいつが説明すれば。
「親子の間でわだかまりはあるかもしれねえが、
ここは俺っちの顔を立てて、仲直りしといてくれや」
ギースは早口でそう言って、席を立った。
「おい、まてよ、まだ話は終わって……」
「あそうだ。
言い忘れてたけどな、魔大陸にはエリナリーゼ達が向かったみたいだぜ。
ザントポートで男を食いまくった長耳族の噂を聞いたから間違いねえ」
「エリナリーゼが?」
あいつは、一番俺のことを嫌っていると思っていたが……。
「ヘヘッ、なんだかんだ言って、あいつらもお前の事、そんなには嫌いじゃねえんだよ」
最後にそう言い残して、ギースは酒場を出て行った。
もちろん、金は払っていない。
あいつはそういう奴だ。
まあ、今日の所はいいだろう。
奢ってやる。
これだけ飲んだら、
俺も今日は寝るとしよう。
そして、明日にでもルディと話し合うか……。
「もう飲むんじゃねえぞ。明日、素面で『夜明けの光亭』にいけ、いいな」
と、ギースが戻ってきた。
「わぁってるよ!」
釘を刺されて。
オレはため息をついて杯を置いた。
考えてみれば、最近のオレは飲み過ぎていた。
なんでこんなものに逃げていたんだか。
やるべきことは、まだまだ残ってるだろうに。
「あの……パウロ団長、お話、終わりましたか?」
などと思っていると、一人の女が申し訳なさそうに縮こまっていた。
誰だと思った。
酔った頭で彼女の顔をまじまじと見てみる。
すると、それが団員の一人、ヴェラであるとわかった。
「ヘッ、なんだよ、今日は随分とおとなしい格好じゃねえか」
「ええ、まあ……」
ヴェラは曖昧に頷くと、先ほどまでギースの座っていた席についた。
今日の彼女は、いつものような攻撃的かつ刺激的な格好はしていない。
どこにでもいるような、普通の地味な町娘の格好をしている。
「昼間の喧嘩、もしかして、私のせいなんじゃないかと思って」
「お前のせい? なんでよ」
「いや、その、私が、こんなだから……その、
ご、ご子息が、勘違いされたんじゃないかな、って」
「関係ねえよ。どうせあいつは、お前のそのでっけぇ胸を見て、邪推したんだ」
ヴェラが普段から薄着をしているのは、理由がある。
昔は普通の冒険者だった彼女だが、
あの転移で装備も無しにミリス大陸に飛ばされ、
盗賊に捕まって慰み者になった。
普通なら心を閉ざしてしまいそうな酷い目にあったが、
彼女は凄まじい精神力でそれを乗り切った。
しかし、乗りきれなかった女もいる。
ヴェラの妹であるシェラがそうだ。
あの子は、男の視線を受けると、未だに震えが止まらなくなる。
そんなのは、団員以外にも。何人かいる。
ヴェラはそんな子たちを男の視線から守るため、
男の視線が自分に行くように、いつもあんな格好をしている。
また、似たような目にあって沈んでいる他の女のケア係としても優秀だ。
レイプされた女の気持ちがわからない俺にとって、
無くてはならない部下の一人だ。
もちろん、肉体関係は無い。
あるわけがない。
「わかったら行け」
「……はい」
ヴェラはしょんぼりしながら、女が集まっている席へと戻っていった。
「ったく……」
よくよく周りを見てみれば、
オレのことを心配そうに見てる目の多い事、多い事。
「変な顔で見てんじゃねえよお前ら!
明日には仲直りするよ!」
俺は最後にそう言って、席を立った。
---
部屋に戻ると、そこにはノルンが一人で寝ていた。
オレはテーブルにおいてある水差しから、水を一杯、コップへと汲んだ。
ごくりと飲む。
ぬるま湯は、オレのドロドロになった胃袋にすとんと落ちた。
ゆっくりと酔いが醒めていく。
昔から、オレは酔いにくい体質なのだ。
大量に飲めば泥酔できるが、長時間は残らない。
頭がゆっくりと醒めて来るのを自覚しつつ、
毛布を抱きしめるように眠るノルンの頭をさらりと撫でた。
ノルンはかわいそうな子だと思う。
こんな父親の近くで言いたいこともあるだろうに、
文句一ついわずに、健気に振舞っている。
もしノルンが死ねば、オレは生きていられない。
「んうぅ……お父さん……」
ノルンが身動ぎをした。
起きてはいない。寝言だろう。
彼女は平凡な子だ。
ルディとは違う。
オレが守ってやらないと……。
「……」
もしルディが平凡だったら。
ルディもまた、ここで寝ていたのではなかろうか。
家庭教師には行かず、ずっと実家で過ごして、
転移した時に、オレの裾でも掴んで、
僕にもノルンを抱かせてよ、なんて言っていたかもしれない。
平凡なルディだ。
平凡な11歳のルディ。
俺はそれを、守るべき対象として、こうやって……。
足が震えた。
ギースが「11歳のガキだ」といった理由がようやく理解できた。
そうだ。
平凡だろうが、天才だろうが。
何が違う。
同じじゃないか。
もし、ノルンが天才だったら、オレは同じことを言ったのか?
ノルンに、何も知らず、ただ呑気に旅をしてきたノルンに。
あんな事を、言ったのか。
お前にはもっと期待していたなんて、言ったのか?
想像して、眠れなくなった。
横になる気がしなかった。
宿の外に出て、火事用に貯めてある水瓶の水を、頭から被った。
酒場を出て行った時のルディの顔を思い出して、吐いた。
ルディにあんな顔をさせたのは誰だ。
桶に溜まった水。
そこには、馬鹿な男の顔が映っていた。
世界で一番、父親に似つかわしくない男の顔だった。
「ハッ、こりゃ、ダメかもしれねえな……」
オレだったら、こんな男とは縁を切るね。
--- ルーデウス視点 ---
翌朝。
俺はいささかスッキリした気分で朝食を取っていた。
場所は宿屋の隣にある酒場。
ミリシオンの食事はなかなかうまい。
大森林からこっち、移動すればするほど食事がうまくなる。
今日の朝食は焼きたてのパンと、
スッキリした味わいの透明なスープ。
生野菜のサラダ。
そして分厚いベーコンだ。
昨晩はありつけなかったが、
夕飯にはなんとデザートが付いているらしい。
最近流行りの、幼い魔術師の冒険者譚の詩。
そこに出てくるデザートで、
若い冒険者に人気の甘いゼリーだそうだ。
楽しみにしておこう。
飯を食う。
それは幸せなことだ。
腹が減ると、イライラしてくるからな。
イライラすると食欲が無くなり、
食欲が無くなると、腹が減る。
見事な悪循環だ。
アンドロイドも不機嫌になろう。
「……いらっしゃい」
と、そんな事を考えて、食後にコーヒーのような飲み物を飲んでいると、
酒場の店主がふと入り口に目を向けた。
ゲッソリと窶れた、青い顔をした男が立っていた。
俺はその顔を見た瞬間、
あからさまにビクついた。
男はきょろきょろと店内を見渡し、俺を見つけた。
俺の心中に昨日の感情が浮かび上がり、
何も言われていないのに、自然と目線を逸らした。
「……」
そんな俺の様子を見て、同席の二人は、すぐにこの人物が誰か察したらしい。
ルイジェルドが眉を潜め、エリスが椅子を蹴って立ち上がる。
「誰よあんた」
こちらへと歩いてくる男。
その眼前に、エリスは立ちふさがった。
両腕を組んで、足を肩幅に開いて、アゴをくっと上にあげて。
厳然とした態度で、頭二つは高い位置にある男の顔を睨みつけた。
「パウロ・グレイラット……そいつの父親だ」
「知ってるわ!」
俺がエリスの背中を見ていると、頭上から声が降ってきた。
苦笑するような声だった。
「なんだルディ、女の後ろなんかに隠れやがって、随分と色男じゃねえか」
その声音、その口調。
俺はちょっとだけ、ほっとした。
そうそう。
昔のパウロは、こんな感じで俺をおちょくってきた。
懐かしい。
俺はこの態度を、パウロなりの歩み寄りだと考えることにした。
朝一でわざわざ酒場までやってきてくれたのだ。
俺にだって、話をする余裕ぐらいはある。
「ルーデウスが私に隠れてるんじゃないわ!
私がルーデウスを隠しているのよ!
ダメな父親からね!」
エリスはブルブルと拳を握りしめ、
今にもパウロの顎に向かって拳を振るいそうだった。
俺はルイジェルドに目線で合図をする。
すると、彼は察してくれたのか、
エリスの首根っこを掴んで持ち上げた。
「ちょっ! ルイジェルド! 離しなさいよ!」
「二人にさせてやれ」
「あなたも昨日のルーデウスは見たでしょ!
あんなの父親じゃない!」
「そう言ってやるな。父親なんてあんなものだ」
なんて事を言いながら、この場から立ち去ろうとする。
と、ルイジェルドはパウロの横を通り過ぎる時、ぽつりと言った。
「お前にも言い分はあるだろうが、その言い分が通るのは、息子が生きている時だけだ」
「お、おう……」
ルイジェルドの言葉は重い。
彼は、自分の事を世界一ダメな父親だと考えていそうだしな。
同じくダメな父親に、シンパシーでも感じているのかもしれない。
「ルディ、年上をアゴで指図すんなよ」
「違いますよ。顎じゃないです。信頼のアイコンタクトです」
「似たようなもんだろうが」
パウロはそう言いつつ、俺の前へと座った。
「あれが、昨日言ってた魔族か……?」
「はい、スペルド族のルイジェルドさんです」
「スペルド族ねぇ。随分と気の良さそうな奴じゃないか。
噂と実物は違うってことか」
「怖がったりしないんですか?」
「馬鹿言え、息子の恩人だぞ」
昨日の意見とは随分と違うようだが……。
余計なことは言うまい。
さて、と。
「それで、何をしにきたんですか?」
思った以上に、硬い声が出た。
すると、パウロはびくりと身を震わせた。
「いや……その、謝ろうと、思ってな」
「何をですか?」
「昨日のことだよ」
「謝る必要はありませんよ」
謝ってもらえるのは好都合だが、
俺だって、エリスの胸枕で一晩ぐっすり寝て、きちんと反省したのだ。
「ハッキリ言って、僕はこれまで、遊び気分でした」
最初はともかく、
旅は概ね順調で、
エロいことに気を取られるぐらいには余裕があった。
フィットア領についての情報収集をしなかったのは、間違いなく俺の落ち度だ。
ザントポートでは無理だったが、
ウェンポートでは情報屋と接触していた。
そいつらに聞けば、何らかの情報は得られたはずだ。
聞いて、調べて当然の事を調べていなかった。
俺のミスだ。
「ですので、父様が怒るのも仕方ありません。
この大変な時期に、僕のほうこそ、すいませんでした」
フィットア領が消滅して、一家がバラバラになった。
その時のパウロの心境を思えば、責める事はできない。
俺は知らなかったおかげで、脳天気でいられた。
悲劇を知らない、幸せな事なのだ。
「いや、そんな事はないだろう。
ルディだって一生懸命だったんだろ」
「いえいえ、全然。余裕でしたよ」
ルイジェルドがいてくれたからな。
リカリスの町を出た後は、比較的楽だった。
魔物に奇襲を受けることもないし、
黙っていてもご飯を捕まえてきてくれるし、
エリスの喧嘩は止めてくれるし。
俺としては楽な旅だった。
実にイージーなオペレーションだ。
「そっか、余裕か……」
パウロが何を考えているのか、俺にはわからない。
ただ一つ言えるのは、
その声が少しばかり、震えているという事だ。
「伝言とやらを見つけられなかったのは、申し訳なかったと思っています。
何が書いてあったんですか?」
「……オレの事はいいから、中央大陸の北部を探せって」
「そうですか。では、エリスをフィットア領まで送り届けたら、
北部を探す事にしましょう」
俺は機械的にそう答えた。
どうにも、自分の言葉が硬いように感じる。
なぜだろうか。
緊張しているのだろうか。
なぜだ。
俺はパウロを許したし、パウロだって俺を許した。
昔通りとはいかないが、今は緊急事態。
緊急事態だから緊張する。
当然か。
「それはそれとして、
フィットア領の現状について、
もう一度、詳しく聞かせてください」
「…………ああ」
パウロの声音も硬く、震えたままだ。
彼も緊張しているのだろうか。
いや、ソレ以前に俺自身も、やっぱり何かがおかしい。
いつも通りに振る舞えない。
前は、パウロとどうやって話していたっけか。
軽口を叩き合うような間柄だったはずなんだが。
「まず何から話すか……」
パウロは硬い声で、
フィットア領で何が起こったのかを話してくれた。
建物がすべて消滅していたこと。
そこに暮らしていた人々がすべて転移したこと。
死者も大勢確認されているということ。
まだまだ行方不明者が多数だということ。
パウロは有志を募り、捜索隊を組織した事。
そのため、冒険者ギルドの本部があり、情報が集まりやすいミリシオンに拠点を置いたこと。
ちなみに、もう一つの拠点はアスラ王国の首都にあり、
そこは、あの執事アルフォンスさんが担当しているらしい。
アルフォンスさんはこの捜索団の総責任者であり、
現在もフィットア領で難民の救助をしているらしい。
そして、パウロは各地に伝言を残した。
俺に、手分けして家族を探すように指示を出していたのだ。
一人前に独り立ちしている、長男の義務として。
年齢的にはまだまだ子供であるはずだが、
俺も精神的には大人なつもりだ。
もしその伝言を見れば、奮起したことだろう。
ゼニスとリーリャ、アイシャは見つかっていない。
もしかすると、魔大陸のどこかで、すれ違ったかもしれない。
そう思えば、俺の行動は悔やまれる。
旅を急ぐあまり、一つの町への滞在を短くしすぎたのだ。
「ノルンは無事だったんですね?」
「ああ、運よく俺と接触していてな」
パウロいわく、転移というのは、
体のどこかが接触していれば、一緒に飛ばされるらしい。
「ノルンは元気にしていますか?」
「ああ、最初は知らない土地でちょっと戸惑ってたみたいだけどな、
今じゃ団員のアイドルみたいになってるよ」
「そうですか、それはよかった」
そうか、ノルンは元気か。
うん、実にイイことだ。
まさに不幸中の幸い。
喜ばしいことといえる。
けど、なぜか、俺の心は晴れない。
「……」
「…………」
会話が途切れた。
妙に間が悪い。
俺とパウロの関係ってのは、こんなじゃなかったはずだ。
もっとこう、軽い感じの関係だったはずだ。
おかしいな。
---
それからしばらく。
パウロは何かを言っていたが、
俺はそれにうまく返すことができなかった。
気のない、硬い返事を繰り返すばかりだった。
いつしか客は俺たち以外にいなくなっていた。
そろそろ、仕込みを始めるから出て行ってくれないかと言われそうだ。
パウロもその気配は察知したらしい。
「ルディ、お前はこれから、どうするんだ?」
最後に、そう聞かれた。
「……とりあえず、エリスをフィットア領に送ります」
「だが、フィットア領には何もないぞ?」
「でも、帰ります」
帰らなければならない。
フィリップも、サウロスも、ギレーヌも、誰も見つかっていないらしい。
帰っても、誰もいないだろう。
だが、戻らなければならない。
なぜか。
それが旅の目的だからだ。
初志貫徹。
まずはフィットア領にたどり着き、その現状をこの目で確認するのだ。
そこから、中央大陸北部に移動して捜索するもよし。
ルイジェルドあたりに頼み込んで魔大陸に戻り、各地を捜索するもよしだ。
一応言語がわかるからベガリット大陸に行くのもいいかもしれない。
「その後、他の場所を探します」
「……そうか」
こうして会話はすぐに途切れた。
何を言うべきかわからない。
「ほれ」
と、その時、酒場のマスターが俺達の前にコップを置いた。
コトリと置かれた木のコップから湯気がたっている。
「サービスだ」
「ありがとうございます」
気付けば、喉がカラカラに乾いていた。
手はギュっと握られており、
手のひらには汗がベットリとついていた。
同時に、背中や腋下がやけに冷たい事に気付く。
前髪が額に張り付いている。
「なあ坊主。詳しい事はわかんねえが……」
「……?」
「顔ぐらい見てやれよ」
言われて、初めて気づいた。
俺は、パウロの顔を、一度も見ていなかった。
最初に目をそらしてから、一度も、パウロの顔を見ることができなかったのだ。
ごくりと唾を飲み、父親の顔を見る。
不安そうな顔だった。
今にも泣きそうだ。
ひどい顔だった。
「なんですか、その顔は」
「なんだって、なんだよ」
苦笑するパウロの顔には、元気がない。
表情も相まって、こけた頬のせいで別人に見える。
だが、同じような顔を、どこかで見たような顔だ。
どこだったか。
昔だな。
昔。
思い出した。
自宅の洗面所だ。
イジメられて引きこもってから、一年か二年。
まだ間に合うと思いつつも、
しかし、周囲とは決して埋まらない差が出来たと自覚しだした頃。
でも外に出るのは怖くて、焦りと不安ばかりが募った、
一番、情緒不安定だった頃だったはずだ。
なるほど。
そういうことか。
パウロは今、情緒不安定なのだ。
探し人が見つからなくて、
何時まで経っても音沙汰がなくて、
心配して、心配して、
もしかして怪我をしてるんじゃないかとか。
もしかして病気になってるんじゃないかとか。
それともあるいは、もうとっくに……と考えて、
心配して、心配して……。
ようやく現れた俺が、あまりにも想像と違ってあっさりしていたから、
ついイライラしてしまったのだ。
俺にだって覚えはある。
あれは引きこもり始めてすぐの頃だ。
中学時代の知り合いが訪ねてきて、
学校での事をいくつか話してくれた。
自分がこんなに落ち込んでいるのに、
こんなに荒れているのに、
相手があまりにも脳天気に学校生活の事を語って、
俺は胃が痛くなってそいつにキツイ言葉を吐いて、八つ当たりしたのだ。
その翌日、もしあいつが次に来たら謝ろうと思った。
けれど、そいつは来なかった。
自分から出向くことはしなかった。
変なプライドがあった。
思い出した。
この顔は、あの時の顔だ。
「提案があります」
「ルディ?」
「こんな状況です、僕らは大人にならなきゃいけません」
「ああ、まあ、確かにオレは大人気ないとは思うが……何が言いたいんだ?」
心の中がスッと晴れた。
ようやく、パウロの気持ちを理解できた。
そう思えば、あとは簡単だった。
昔を思い出す。
パウロに叱られて、強い口調で言い返した時の話だ。
当時は、仕方がない奴だと思った。
24歳、父親としては若いから、仕方がないと思った。
あれから6年。
パウロは30歳になった。
生前の俺より、まだまだ年下だ。
そして、生前の俺に比べれば、立派なもんだ。
俺はやることもやらず、相手を責めることばかり考えていたからだ。
俺はあの頃とは違う。
そう誓ったはずだ。
最近は忘れていたが、同じ過ちを繰り返さないと。
この世界では本気で生きると、誓ったはずだ。
今回は、規模こそ大きくなったが、同じ事をしている。
6年前と、同じ事をしている。
俺たちは同じ失敗を繰り返している。
成長したつもりになって、前に進んだつもりになって、
ずっと同じ場所で足踏みしていたのだ。
それに関しては、素直に反省しよう。
そして、反省した上で、
「昨日の事はなかった事にしましょう」
俺は、そう提案した。
今回、俺は、傷ついた。
心がポッキリと折れそうになった。
きっと、当時、俺を心配してくれた友人も、そんな気持ちだったのだろう。
そして、そんな気持ちのまま、二度と会わなかったのだ。
今回はそうはならない。
俺はパウロとのつながりを、決して断ちはしない。
「昨日、僕らは喧嘩なんかしなかった。
今、この瞬間、数年ぶりに再会した父と子……。
そういう事にしましょう」
「ルディ? 何言ってるんだ?」
「いいから、ほら、両手を広げて、さぁ」
「お、おう?」
言われるがまま両手を広げるパウロ。
俺はその胸に、飛び込んだ。
「父様! 会いたかった!」
むわりと酒臭さが漂う。
今は素面のようだが、二日酔いなのかもしれない。
ていうか、昔は酒なんて一滴も飲まなかったよな……。
「る、ルディ?」
パウロは戸惑っている。
俺はパウロの肩に顎を載せて、ゆっくりと言う。
「ほら、久々に再会した息子へ、一言あるでしょう」
とんだ茶番だと思いながら、もう一度パウロのゴツい体を力一杯抱きしめた。
顔は痩け、身体も一回り小さくなったような気がする。
俺の身体が大きくなったのもあるだろうが、
パウロも苦労したのだ、俺以上に。
パウロは戸惑いつつも、ポツリと漏らした。
「お、オレも会いたかった……」
一言いうと、何かが決壊したらしい。
「オレも会いたかった……会いたかったんだよ、ルディ……。ずっと、誰も、見つからなくて、死んでるんじゃないかって、思って……お前が、お前の姿、見て……」
見上げると、パウロは涙を流していた。
顔をくしゃくしゃに歪めて。
大の男がみっともなく、しゃくりあげながら、泣いていた。
「ごめん、ごめんな、ルディ……」
なんだか俺も泣けてきた。
俺はパウロの頭をぽんぽんと叩き、しばらく、二人で泣いた。
こうして、俺は約五年ぶりに父親と再会することが出来たのだ。




