第二百三十七話「ナナホシの行末」
ナナホシの帰る日がやってきた。
転移魔法陣の間に現れたのは、俺とペルギウスと下僕達のみだった。
見送りがないのは、ナナホシの希望だ。
別れは済ませたというからには、少なくとも会える人物には会ってきたのだろう。
編成はいつも通りだ。
俺が魔力タンクとなり、ペルギウスたちが制御する。
ナナホシは、魔法陣の中心に立っている。
大きなリュックを背負った旅装姿で、俺の方を向いて立っている。
あのリュックの中には、考えられるあらゆる事態を想定して、色んなものが詰め込まれている。
といっても、俺もナナホシも、向こうの世界で海外旅行などしたことはない。
なので、どこででも換金できそうなものや、ナナホシ本人の身分証、向こうで使えるかどうかわからないが、魔力結晶+スクロールといったものまで。
旅をしていた頃に必要だと思うものは、大体持った。
あとは、知恵と勇気でなんとか乗り切るしかないだろう。
「……」
ナナホシは俺を見て、俺はナナホシを見た。
言葉は無い。
言葉は、この間、十分に交わした。
もう、必要ない。
「ルーデウス! 準備はいいか!」
ペルギウスの言葉で俺は転移装置に手を触れた。
方法はいつも通りだ。
これまでに何度も実験という名の練習をした。
全てが成功したとはいえなかったが、失敗したら原因を洗い出し、二度と同じ失敗をしないように調整した。
俺もペルギウスも、十分にベテランだ。
まぁ、俺の場合はベテランといっても、所詮は魔力を流すだけの役割だが。
「こっちはオッケーです」
「ナナホシ、いいな!」
ナナホシがペルギウスに向かい、頷いた。
「はい、ペルギウス様、今まで、お世話になりました!」
「礼は必要ない。我も、面白い術式を学ばせてもらった」
ペルギウスとナナホシの別れも、それだけだった。
二人はすぐに視線を外した。
ナナホシは俺の方を向き、ペルギウスもまた、下僕へと目配せをした。
「では、始める」
ペルギウスの言葉で、転移装置が起動した。
手順はいつも通りだ。
ペルギウスと、その下僕たちが一斉に魔法陣へと手を触れる。
魔法陣の端がポウッと光り出したのを確認し、俺はタイミングよく魔力を供給する。
凄まじい勢いで魔力が吸われていくが、慣れたものだ。
そして、俺から魔力が供給されるのに呼応するように、魔法陣が輝きを増していく。
青に、緑に、白にと色を変えつつ、魔法陣が光を放つ。
凄まじい光量の中、俺はただ、魔力の供給にミスをしないように心がけていた。
実験を繰り返したお陰で、どういうタイミングで魔力を供給するかはわかるようになった。
ムラなく、無駄なく、しかし決して足りなくならぬように、確実に魔力を注いでいく。
魔法陣はいつも通り、黒い輝きを放ち……。
あれ?
黒い色なんて、今までにあっただろうか。
なんだか、嫌な予感がする。
「ルーデウス!」
ペルギウスの叫びが聞こえる。
黒い輝きが強さを増していく。
続けるべきか、やめるべきか。
制御を担っていない俺には、判別がつかない。
「ペルギウス様! 指示を!」
「もっと魔力をよこせ――!」
俺は指示通り、魔法陣に注ぐ魔力を増やした。
足から脱力し、視界が霞むほどの膨大な魔力を注ぐ。
魔法陣の黒は変わらない。
だが、何かが溢れだしそうな感覚が、俺の腕に伝わってくる。
こんなことは初めてだ。
ヤバイんじゃないか。
どうする、俺の独断で魔力の供給をやめるべきか?
だが、ペルギウスはもっと魔力をと言った、彼を信じて――。
――パヂッ……!
何かがはじけた。
そして、ブレイカーが落ちたかのように、魔法陣が光を失った。
一瞬だ。
普段なら、ある程度はゆっくりと光が消失していくが、今回は一瞬だった。
まるで、何かに魔力を吸い取られたかのように、いきなり消えた。
「……」
全てが消えたわけではない。
部屋の四隅においてある燭台は、光を放っている。
だが、部屋の中は、唐突にパソコンの電源が落ちたかのような静寂に包まれていた。
そして、無論。
言うまでもなく。
ナナホシはその場に残っていた。
魔法陣の真ん中で、所在なげに。
誰もが呆然としている。
俺も当然、下僕達も表情はわからないが、困惑の気配が伝わってくる。
「……なぜだ!」
ペルギウスが叫んだ。
「なぜだルーデウス・グレイラット!」
「えっ?」
俺?
「なぜ、途中で魔力の供給を切った!」
切った?
どういうことだ。
「俺は、ちゃんと魔力を供給しました」
「ならば、なぜあのような……」
魔力の供給が消えたってことか?
でも、俺は魔力を切っていない。むしろ、増やした。
どういうことだ。
俺の手から、突然魔力が放出されなくなったとでもいうのか?
でも、それにしては、体には膨大な魔力を消耗した時の疲労感が残っている。
「魔力が切れたのなら、魔法陣は光を失うはず」
「そうだな……確かに魔力はあった……だが、我の方には流れてこなかった……まるで何者かが魔法陣を乗っ取ったかのような……」
魔法陣を見ると、一部が割れているように見える。
装置のどこかに虫でも入り込んでショートしたか?
いや、そんな馬鹿な。
そんなヤワな作りではないはずだ。
「ぬぅ……」
ペルギウスが思案げな表情で顎に手あてた時、
ナナホシが、魔法陣から降りた。
「……」
ナナホシは無言だった。
無言でリュックサックを降ろし、夢遊病患者のように、魔法陣の間から出て行った。
ペルギウスを見る。
彼は、相変わらず思案げだ。
心なしか、下僕たちも、オロオロとしているように見える。
どうしよう。
失敗の原因は知りたいが……。
いや、ここは、ペルギウスに任せよう。
俺はナナホシを追いかけた。
---
ナナホシは自室のベッドに座っていた。
肩と頭が落ちている。
俯いていて顔色は窺えない。
姿勢全体から、疲れと諦念がにじみ出ているように見えた。
対する俺は、失敗のショックは少ない。
「……」
正直な話。
失敗するかもしれない、とは思っていたのだ。
未来から来た俺の言葉だ。
彼は『最後の最後で失敗する』と、言っていた。
その最後とやらが今なのか、それとももっと後なのか。
いつ、どこで、何をどう失敗するのか。
そのへんは、わからない。
今回のがそうなのか、それとも違うのか。
今になって聞いておけばよかったと思う所だが、悔やんでも仕方ない。
その上、未来の俺は、フォローに失敗したとも言っていた。
失敗して、ナナホシがどうなったのか。
その辺は言葉を濁していたが、悲しくやるせない結末に終わったのは間違いないだろう。
つまり、今だ。
今、ここで、俺が、落ち込んだナナホシを、うまくフォローしなければならない。
でも、どうフォローすればいいのだろう。
失敗なんて誰にでもある、くよくよせずに次に期待しようぜ、とか……ありきたりだ。
未来の俺だって、それぐらいは言っただろう。
いや、未来の俺はかなり荒んでいたようだから、言わなかったかもしれない。
逆にもっとひどいことを言って、ナナホシを追い詰めたかもしれない。
だいぶ酷い奴だったようなので「どうせ帰れないんだから、俺の女になれ」とか言って襲ったかもしれない。
……失敗例を知りたい。
や、自分で考えなければ。
正解と間違いがあると、どうしてもそれを知りたくなるが、俺の言葉でナナホシを慰めねば。
ええっと……。
いつもはどうしてるっけな。
シルフィの時は、こう、隣に座って。こう、肩に手を回して。
「そうやって三人口説いたの?」
みると、ナナホシが顔を上げ、じっとりとした目で俺を見ていた。
……確かに、これじゃ口説きだ。
「失礼」
ナナホシの肩のあたりでホバーハンド現象を引き起こしていた手を膝の上に戻す。
「あの、ナナホシさん。ちょと、お時間、いいデスか?」
「なに? 忙しいんだけど」
「まぁ、そう言わずに……一人になった時ってのはね、誰かに心の膿を吐き出すことで、少しでも楽にならなきゃいけない、問題は何も解決しないけど、その後に問題に取り組む時に、心が病んでるか否かで効率も……」
と、ナナホシの方を見た所で、彼女の膝の上で一冊のノートが開かれているのが目に入ってきた。
ページ内に書かれているのは日本語だ。
『最終段階で失敗した際の仮説』
と書かれている。
「予め、あなたに失敗することを聞いておいてよかったわ」
ナナホシはそう言いつつ、ノートの文字を指でなぞった。
「もし何も知らずに失敗していたら、魔法陣の不備についてばかりに頭がいった所よ」
ナナホシは顔を上げた。
その顔には、落ち込んだ気配は見られない。
先ほど見た疲れと諦念は、勘違いだったらしい。
やはり、ナナホシも、失敗を頭の片隅においていたらしい。
じゃあ、慰める必要はなかったのだろうか。
いや、落ち込んでないはずはないと思うんだが……。
なんて考えていると、ナナホシがまた顔を伏せて、ノートに視線を落とした。
「ねぇ、前にこの話をした時の私の仮説、覚えてる?」
仮説、仮説ね。
なんだっけ、聞いた気はする。
なんか、荒唐無稽な奴だ。
あんまり覚えていない。
「ごめん。なんだっけ」
「……」
ナナホシさんの目がまたじっとりした。
ごめんよ。
「じゃあ、かいつまんで話すけど……」
ナナホシの説明が始まった。
といっても、ノートに書いてあるものを読むだけだ。
「まず、フィットア領の転移事件(私の召喚)は、本来なら起きるはずが無かった」
「なぜ、本来なら起きるはずのない事が起きたのか、私はあなたが未来から来たと聞いて、未来の誰かが私を過去に送り込んだ……いえ、私を『過去に置いた』のだと考えた」
「いないはずの人間を過去に置いた事で、歴史が変わった。世界の総魔力量の辻褄もあわなくなり、領土が一つ消滅するほどの『辻褄合わせ』が起きた」
ああ、そんな話、聞いたことがあるな。
だが、当時は別の事でいっぱいいっぱいで、あまり覚えていなかった。
荒唐無稽な話だが……。
そんなのを元気よく話し始めるということは、本当にショックを受けていないのだろうか。
いや、そんなはずあるまい。
ちょっと錯乱しているのかもしれない。
付き合ってやるか。
「ここまではいい?」
「ああ」
ナナホシがノートをめくる。
するとそこには「誰が何のために」と書かれていた。
「ここからが本題。
私は未来の誰かが歴史改変をしたと過程した。
なぜ『未来』なのか。
それは当然、オルステッドの存在があるから。
彼は『過去』から送られてきて、『現在』でループしている。
現在では、オルステッドは誰にも介入されず、勝利するまでループする最強の存在よ」
オルステッドは彼の親、初代龍神が送り込んだのだったか。
そして、その初代龍神は、オルステッドに一定期間をループする秘術を掛けた。
オルステッドの予想では、このループを脱するにはヒトガミを倒すしかないという。
今のところ、まだ倒せてはいないようだが、いつかは倒せる。
確かに最強だ。
「私は、私たちが送り込まれたのは、この龍神と人神の戦いに関係があると思ってるのよ」
「それは、どうして?」
「私が転移した直後、最初に出会ったのがオルステッドだったからよ。その後、私はあなたと出会い、あなたはオルステッドの運命を大きく変えた。私達はオルステッドのループに介入したのよ」
オルステッドはヒトガミを倒すためにループしている。
どっちが勝つかはわからない。
だが、もし敗北する方が、何らかの手として、過去を改変したとしたら。
勝つための布石として、俺とナナホシを置いたとしたら……。
敗北するのはどっちだ?
オルステッドだ。
彼は、勝てないからループしている。
つまり、未来のオルステッドが、俺たちを呼び出した可能性。
「でも、オルステッドじゃない。彼には出来ない」
そうだな。
なぜなら、オルステッドは、過去の改変などせずに、勝つつもりだった。
仮に出来るのだとしても、オルステッドが改変するのであれば、自分がループしている間ではなく、それより過去に置くはずだ。
例えば、第二次人魔大戦でラプラスを分裂させないようにする、とかね。
あるいは、もっとループ数の多いオルステッドが、過去ループの自分に介入した可能性もあるが……。
それをする理由はわからない。
「ヒトガミにも出来ない。ヒトガミはこのループでも勝利するはずだった……って、オルステッドも言ってたし」
オルステッドはギースの存在に気づいていなかった。
ゆえに、あと少しで勝てると思っていた。
自分が小さな石に蹴躓くとは、思ってもいなかったはずだ。
このループ、俺達がいなければヒトガミは勝利しただろう。なら、ヒトガミに過去を変える必要はない。
「じゃあ、誰が、何のために?」
「そこが本題。これは、あくまで仮説でしか無いのだけど……」
ナナホシは、ノートに書かれた名前に、ポンと指を置いた。
そこには、『篠原秋人』と書かれている。
そして、そのすぐ下には『黒木誠司』とも書かれていたが、それは大きくバツがうたれ、その脇に『ルーデウス・グレイラット』と書かれている。
「昨日、あなたの正体を知って、思い出したの。あの時、私はアキ……篠原秋人に抱かれていたけど、黒木誠司はあなたに助けられて、トラックの進路の外にいた。つまり、転移していないんじゃないかって」
「あの場でトラックに轢かれた三人。
そのうち、二人はこの場に揃っている。
でも、残り一人は、この世界には、いない」
「そして、あなたは私が転移するより十年前に転移した……。
つまり、あの場で同時に転移した三人は、それぞれ別の時間に転移したんじゃないかって」
俺は転生なんだが……。
まあ、そう大きくは変わらんか。
「あなたが私より前、なら、私より後に転移してもおかしくない。
そう、篠原秋人は今からずっと未来に転移した。
そして、篠原秋人はオルステッドに出会った。
このループで、初めて、オルステッドに変化が起きたのよ。
そして、篠原秋人を仲間にしたオルステッドはヒトガミに勝てないことを悟り……勝利するために動いた」
未来の人物が、過去を改変した。
「……それが、フィットア領消滅につながったと? 篠原秋人って人物は、過去の改変が出来る超能力者なのか?」
「出来ないわ。でも、私たちがこの時代に色んな人と出会ったように、彼も色んな人と出会ったはず。
それこそ、歴史の改変ができるような力を持った、誰かと……」
神子。
そんな単語が頭をよぎった。
ザノバの怪力を見ていた時はあまりピンと来なかったが、
ミリスの神子は、相手の目を見るだけで記憶を見た。
あるいは、歴史を改変できるような力をもった神子がいても、おかしくはない。
「オルステッドは、そんな誰かに心当たりはあるって言ってたか?」
「言ってたわ。『物体の時間を巻き戻す神子』がいるって」
物体の時間を巻き戻す……か。
少し想定していたのとは違う。
違うが、しかし時間に関係した神子なのは間違いない。
「ただ、その神子は誰よりも運命が弱くて、何も出来ないまま死んでしまう……」
「それを、篠原秋人が助けた、と」
カチリと何かがハマるような感覚。
その篠原秋人とやらが、その神子に出会った。
さらにオルステッドと出会い、神子の能力を増幅させるような魔道具を開発とかしたと仮定したらどうだろう。
ナナホシは、ペルギウスと協力し、より強力な転移装置を作り上げた。
俺はクリフやザノバと出会い、魔導鎧を作り上げた。
それらと同じように、だ。
そして、その能力を使い、過去を改変した……。
「…………でも、それと今回の失敗は、どう繋がるんだ?」
「それよ」
ナナホシはまたページをめくった。
そこには、『もし帰れなかった場合の自分の未来』と書いてあった。
「私、思ったのよ。私が篠原秋人を探したように、篠原秋人も私を探したんじゃないかって」
「……ほう」
「まぁ、仮説にすぎないんだけど……。
私は『未来において篠原秋人と帰る事になっているから、今はまだ帰れない』。
もしくは『何かを作るまでは、帰る事が出来ない』。
あるいは、その両方じゃないのかって思うのよ」
つまり、なんだ。
整理してみよう。
未来。
何らかの理由によって、篠原秋人という人物が召喚された。
篠原氏は、色々あってオルステッドと協力関係になる。
だが、今の状態ではヒトガミに勝てないと知った。
探ってみると、原因は過去にあった。
そのため、神子の力を増幅させて、過去を改変した。
……恐らく、そこで召喚されたのが、俺だ。
そのタイミングで、ヒトガミは、俺の子孫に殺される未来を見た。
そして、篠原秋人はオルステッドと、そして俺の子孫と共にヒトガミを倒したのだ。
しかし、そこで問題が起きた。
元の世界に帰る方法が無いのだ。
そこで、篠原秋人は再度、神子の力を使った。
召喚されたのは、家に帰りたくて帰りたくてたまらないナナホシだ。
彼女は、家に帰りたい情熱をもって、転移魔法陣を作った。
ただ、その時、何か無理をしたのかもしれない。
だから、フィットア領が消滅した……。
と、そう考えると、篠原秋人に対して苛立ちが湧いてくるな。
この仮説が正しければ、フィットア領が消滅したのは篠原秋人の自分勝手な理由だ。
あくまで仮説にすぎないけどな。
いや……。
だとしても、彼を責めることは出来ないか。
もしかすると、篠原秋人は極限まで追い詰められていて、過去を改変しなければ、どうにもならなかったのかもしれない。
敗北濃厚な状況の中、大事な何かを守るため、決死の覚悟で過去を改変したのかもしれない。
俺はこの世界にきて、大事なものが増えた。
妻に、子供に、妹に。
彼女らを守るために、オルステッドの配下となった。
オルステッドは意外にいいやつだったが、もし彼が心の底からの悪党だったら。
俺に命じるものが、非道なものばかりだったとしたら。
俺はきっと、それに、家族を守るためならその命令に、従っただろう。
それと一緒だ。
一番大事なものってのは、人によって違うのだから。
「なるほど……で、ナナホシ。その仮説が正しいとするなら、お前、どうするんだ?」
「そうね……もし『何かを作るまでは、帰る事が出来ない』のだとしたら、その役割は果たしたと思うの。あの転移装置の完成でね。これ以上、何か作るつもりはないし」
役割……か。
ナナホシの役割が転移装置の完成なら、俺の役割はなんだろう。
オルステッドを勝利に導くことか?
あるいは、ギースを殺す事、その一点に集約しているのかもしれない……と、考えるのは、今はギースの事で頭を悩ませているからか。
もしかすると、ギース以外にも隠れヒトガミシタンがいるかもしれないし。
「けど、私は帰れなかった。てことは『まだやることがある』からだと思うの」
「うん」
「これは願望が強いのだけど、そのやることというのは『未来において篠原秋人を元の世界に送り返すため』じゃないかなって思うの」
「うん?」
「だってそうでしょう? 装置は作った。でも使い方がわからないのでは、彼だって帰れない」
まぁ……。
うん、仮に俺のような魔力タンクがあったとしても、魔法装置だけじゃ難しかろう。
ペルギウスもその時には、生きてる可能性低そうだし。
でも、その考え方は、ご都合主義がすぎるのではなかろうか。
マニュアルを作れば済むことだ。
「あるいは、『すでに未来には私がいる』のかもしれない」
ああ、そっちの方がスッキリするな。
タイムパラドックスが起きるから、帰れない、と。
ここで帰ったら、未来のナナホシは存在しえない。
未来が過去を変えたというのなら、未来の方が優先されているようだし、だから魔法装置は意味不明な動作をして停止してしまう。
「でも、私は、このままだと、80年は生きられない。病気の事もあるしね」
ナナホシはそう言って、部屋の隅にある湯のみに目をやった。
忘れがちだが、ナナホシはドライン病にその身を侵されている。
異世界のエイズ。
現在、ソーカス草から作った茶を日常的に飲むことで、その症状は抑えられている。
しかし、いつ、どんな病気にかかるのかはわからない。
まして80年ともなれば、生き延びる可能性は低くなる。
「どうするんだ?」
「だから」
ナナホシは言った。
その解決方法を。
「ペルギウス様に頼んで、時間を止める事にするわ」
ペルギウスの配下。時間のスケアコート。
触れている相手の時間を止める事が出来る能力を持った、ペルギウスの精霊。
その力を使えば、ナナホシは生きながらえる。
ずっと、というわけにはいかないだろうが、
ペルギウスがスケアコートを遊ばせておくわけにはいかない時期ってのは、ラプラスが復活した時だ。
ラプラスは予定通りなら80年後、最低でも50年後に復活する。
そして、オルステッドはラプラスを倒さねばヒトガミの元に至れず、篠原氏がそれを手伝うというのなら……。
ナナホシはバッチリのタイミングで目覚める事になる。
「それでルーデウス。あなたには、頼みがあるの」
「……頼み?」
なんだろう。
「私の存在を、篠原秋人が見逃さないように、何か手を打ってほしいの。
本に残すとか、石碑を立てるとかでもいいから。
それから、転移魔法陣について、禁忌ってされてるけど、できれば世の中に公表して、研究を進めて欲しいの」
「……その必要、あるのか?」
「仮説が全部合ってるとは限らないでしょう? というか、全部合ってる方がおかしいのよ。8割は妄想だと考えて、保険を掛けておくの。仮説が間違っていた時、80年後になって、ちゃんと私が帰れるように」
今回の仮説、俺としては信憑性は高く感じた。
全部が正解というわけではないだろうが、何かが当てはまっている感覚はある。
だが、そうだな。
すべてあっているとは限らない。
篠原氏が転移してくるとも、限らない。
ナナホシが帰れない理由が、本当は魔法陣の不備によるものかもしれない。
現在は完璧だと思っているが、何かブレイクスルーがなければ解決できないような問題が残っているのかもしれない。
「もちろん、私も年に何回かは起きて、状況は見るつもりだし、その間に色々と変わって、また別の事をしてもらうかもしれないけど……」
状況は変わるもの。
今の仮説が正しいとも限らない。
そして、俺はナナホシが帰るのに、出来る限りの力を貸してやりたいと思っている。
俺が、生きているうちは。
せっかく手紙も託したんだからな。
「わかった」
俺は頷いた。
---
その後、もう一度トライしてみた。
今一度、魔法装置を精査した後、ナナホシを送ってみたのだ。
魔法陣に問題はなし。
特に損傷があるわけでもなく、精査した後も正常だった。
だが、やはりできなかった。
まるで何者かに妨害されているかのように、魔力が足りなくなるらしい。
俺の方は問題ないから、ペルギウスが嘘をついているのでなければ、本当に未来から妨害されているのかもしれない。
……ヒトガミの仕業じゃあるまいな。
かくして、ナナホシの帰還は失敗に終わった。
否、終わらなかったと言うべきか。
失敗の後、ナナホシは眠りにつくとペルギウスに告げた。
ペルギウスは反対すると思ったが、あっさりしたものだった。
時間のスケアコートを貸してほしい、しばらく眠りにつくと言うナナホシに対し、ただ、やるせない表情を一瞬だけ見せた後、「そうか」と呟いただけだった。
もしかすると、すでに話は通してあったのかもしれない。
失敗したら、どうするつもりか、ってことを。
「じゃあ、ルーデウス。ペルギウス様、あとの事は、宜しくお願いします」
ナナホシは、最後にそう、あっさりと言って、自室へと消えていった。
これから先、スケアコートの魔力が途切れる度に起きることになる。
月に1回程度だ。
ここ数年のナナホシとの疎遠っぷりを考えると、さほど寂しくは感じない。
ちょっと遠い所に引っ越した、というぐらいの感覚になるだろうか。
寂しくは感じないが、胸には何か別の感情が渦巻いている。
これはなんだろうか。
どうにも、スッキリはしない。
「ルーデウス・グレイラット」
そんなモヤモヤとした気持ちを抱いたまま、ペルギウスに挨拶をし、空中城塞を出ようとした所で、俺は呼び止められた。
「我は運命などという言葉は嫌いだ」
「…………俺も嫌いです」
唐突に言われた言葉。
なぜ今、そんな話をするのかわからなかったが、俺も頷いた。
今までやってきたことが、誰かの手の平の上だったなんて、考えたくもない。
「未来によって過去が定められるなど、馬鹿馬鹿しい。そんなことがあってたまるものか」
ペルギウスは憎々しげに、ナナホシの消えた扉を見た。
「その考え方は、過去を嘲り、現在を貶める言葉だ。我は認めん」
「そうおっしゃる割に、随分あっさりと、ナナホシに下僕を貸し出しましたね」
「ふん」
ペルギウスは鼻息を一つ。
厳しい表情で、俺を見据えた。
「我は、あくまで魔法陣に不備があったのだと考えている」
「……」
「ナナホシはすでに諦めたようだが、我は諦めん。奴が眠りについている間、我があの魔法陣を完成させよう。甲龍王の名に掛けてな」
ペルギウス様はやる気のようだ。
その目には、やや暗いながらも、火が灯っているように見えた。
「だが残念ながら、魔力総量ではお前に遠く及ばん。ルーデウス・グレイラット。力を貸してもらうぞ」
「……構いません。でも、どうしてペルギウス様は、ナナホシにそこまで肩入れするんですか?」
そう聞くと、ペルギウスはふと、我に返ったような顔をした。
なんでだろう、と自分でもよくわからないのか、明後日の方を向いた。
そして、何か心当たりがあったのか、ムッと眉根を寄せた。
「過去にとっては、今が未来だ。過去の自分が今を作った。そして今が未来を作る。我は、弟子の愚かな考えが間違いだと突きつけ、正したいだけだ。ラプラス復活までの、暇つぶしとしてな」
愚かな考えか。
あるいは、ペルギウスには、ナナホシの行動は不貞寝か何かに見えているのかもしれない。
今はダメでも、将来、世の中が変わっていればどうにかなるかもしれない。
甘い考えだ。
「……わかりました。ご協力致します」
「感謝はせんぞ」
「構いません」
そんなやりとりが心地よくて、俺はフッと笑った。
多分、俺が生きている間にナナホシは帰れないだろう。
けど、もし、仮に、帰れなかったとしても、彼女の面倒を見てくれる人はいる。
そのことが、なんだか嬉しかった。
---
そして、ナナホシは眠りについた。
未来に行ったのだ。
スッキリしたような、モヤモヤが残ったような。
変な感覚が残っていた。
もしかして、俺がいてもいなくても、ナナホシは未来に行ったんじゃなかろうか。
未来の俺は悲しそうな顔をしていたから、仮説とかは明かされず、ペルギウスから自殺したと伝えられた、とか。
まあ、何にせよ、一つの事は終わった。
ペルギウスはまだ研究を続けるようだし、ナナホシも未来で何かするつもりだろうが……。
終わりは、終わりだ。
切り替えていかなければならない。
ナナホシは自分で考え、自分で道を選んだ。
俺も、自分のやるべきことをやらなければならない。
よし。
次は剣神ガル・ファリオンの所だ。
エリスと二人でいこう。
シンプル・イズ・ベストだ。
バックアップがいないのは少し不安だが、剣の聖地はさほど頭のいい奴はいないと聞いている。
なら、拳で話し合える奴だけで行くのがいいだろう。
だが、その前に、オルステッドにも報告しなければなるまい。
ナナホシがどんな選択を選んだのか。
彼女の仮説については、すでに聞いたようだが……。
それでも、結果は報告しなきゃならない。
そう思いながら、俺はオルステッドの事務所へと足を向けた。
「あ、ルーデウス会長! お疲れ様です!」
ロビーに入ると、受付の女の子が頭を下げてくる。
この子は元気だな。
「社長は奥でお待ちです」
「ああ」
返事をしつつ、社長室へと入る。
中に入り、扉を締め、足を肩幅に開き、手を後ろに。
いつも通り、机に座るオルステッドに対し、頭を下げる。
「ご報告があります」
「……聞こう」
「ナナホシの帰還は失敗。彼女は未来に原因があると考え、ペルギウス配下『時間』のスケアコートの能力で、眠りにつきました」
「そうか」
オルステッドはゆっくりとヘルメットを外した。
そしてこめかみに手をあて、長い溜息をついた。
「ペルギウスは何と言った?」
「あくまで自分は魔法陣に不備があると考えているので、魔法陣に改良を施して、ナナホシを帰す……と」
「それだけか?」
「未来によって過去が定められることなど、あってはならない、と」
「だろうな。ペルギウスなら、そう言うだろう」
そう言うオルステッドの声音は、心なしかいつもより感情が篭って聞こえる。
いや、いつも通り、仏頂面に平坦な声なのだが。
「ナナホシの件はわかった。お前はどうする?」
「ひとまず、ナナホシの件はおいおい考えていくとして、
俺の方は、剣神ガル・ファリオンの所に行こうと思います。
いつもどおり、詳細をお願いします」
「そうか……ガル・ファリオンについては、まとめて置いた」
オルステッドは戸棚から、紙束を取り出した。
今回も用意がいい。
ありがたい話だが、むしろ逆な気がするな。
こういう資料を作るのは、俺の役目ではないのだろうか。
いや、いまさらだが。
「ありがたく使わせていただきます」
「資料にも書いてあるが、ガル・ファリオンとの戦いは避けろ」
「はい」
「それから……ん?」
ふと、オルステッドの視線が横に移動した。
釣られて視線を移動させる。
そこには、規則的に石が並んでいる。
墓石のようにも見えるそれは、俺が各地に設置してきた通信石版である。
石版の下には、それぞれ設置した場所の名前が書いてある。
しかし、アスラ王国、ミリス、王竜王国ぐらいの頃はよかったが、魔大陸を転々としたせいか、やけに増えてしまったな。
これじゃ、社長室じゃなくてサーバールームだ。
と、オルステッドの視線は、ある一点へと向けられていた。
石版の一つが、淡い光を放っていたのだ。
対応する石版は、アトーフェの要塞。
書かれた文字は簡潔だった。
『キシリカキシリスを捕獲した』