第二百三十六話「異世界転移魔法装置」
空中城塞、地下15階。
階段を降りてすぐにある、広いエントランスホール。
そこに、その魔法陣はあった。
転移魔法陣。
しかし、その形状は、俺の記憶にあるものとは、似ても似つかない。
そのうえ、素晴らしくでかい。
直径にして50メートル、高さ1メートルはあるだろうか。
4方1メートル、高さ10センチほどの石版。
それが10枚ずつ積み重ねられ、さらに縦横に50枚ずつ並べられているようだ。
さらに、魔法陣の上に、巨大なアーチがかかっている。
そのアーチの内側にも、びっしりと文様が刻まれている所を見ると、あれも魔法陣の一部なのだろう。
極めて立体的な魔法陣。
いや、魔法装置とでもいうべきか。
「ほう……これは、クリフが悔しがりますな」
ザノバが、感嘆の声を漏らした。
その魔法装置は圧倒的に巨大なだけでなく、精緻で、緻密に描かれている。
少なくとも、俺やザノバでは描くことは叶うまい。
最近、魔法陣についてあれこれと研究しているロキシーでも、難しいだろう。
クリフならあるいは……しかし、クリフとてこれほどの魔法陣を描いた経験はあるまい。
「素晴らしい出来だろう」
ペルギウスが、己の手柄であるかのように胸を張った。
しかし、その気持ちもわかる。
己の弟子がこれほどまでの作品を作ったのであれば、転移魔術を教えていた身として鼻が高くなるのは当然だ。
ペルギウス本人も製作に関わっているのだろうしね。
「どうだ、オルステッド」
「これほどとはな……驚いた」
オルステッドもまた、その魔法装置を見て感心していた。
25000枚の石版による、立体的な魔法陣。
いくらオルステッドといえども、見たことは無いか。
狂龍王とやらが残した自動人形も、パーツ数はせいぜい50程度で、一つ一つのパ―ツもさほど大きくは無かった。
ナナホシはどれだけ大きくなっても構わない、とばかりに大きくした魔法陣を組んだのだろう。
「だろう。見ろ、あのアーチを」
「あれも、一部か? 繋がってはいないようだが」
「いいや、違う。あれは成功を確かめるための装置だ。転移魔法陣は、使用後に魔力の残滓が残ることは知っているな」
「ああ」
「それは、転移魔法陣の種類によって変わる。それを測定することで、異世界転移に成功したのかどうかを判定するのだ」
「……そんな事が出来るのか」
「ふふふ、博識な貴様に物を教える日が来るとは思わなんだぞ」
「…………いや、そんなことはない、俺はお前から、色々と学ばせてもらった……色々と、な」
「ふん。お為ごかしを。出会った時から全てを知ったような顔をしていたくせに」
ペルギウスとオルステッドが仲良さそうに話している。
オルステッドの鼻をあかしてやったぜ、ってペルギウスに対し、
オルステッドの声音は懐かしそうな感じだ。
辛そうでもある。
「ルーデウス」
ナナホシが振り返り、俺の所にやってきた。
「ひとまず、簡単なものから送ってみるわ。そこから、転移魔法陣特有の魔力の残滓を見て、成功判別魔法陣を異世界転移用に調整をする。それに成功したら、次は生物を、最終的には私を。いい?」
「いいけど、転移事件が起きるとかは、勘弁ですよ?」
「大丈夫。そこは、大丈夫」
ナナホシは、繰り返し、大丈夫と口にした。
逆に不安だ。
一応、詳しいレポートは先ほど手渡されたが、量が膨大すぎて、目を通しきれていない。
だが、ナナホシはここまでに、転移事件を起こさないための実験を繰り返してきた。
俺だって、シルフィだって、それを手伝った。
「自信はあるのか?」
「あります」
なら、信じてやろう。
自信はあるらしいしな。
「じゃ。やろうか」
「はい。じゃあ、まずは林檎から……」
ナナホシは、予め用意しておいたのだろう。
部屋の隅においてあったカゴから、林檎を取り出した。
それを持って魔法装置へとよじ登り、とことこと歩いて魔法装置の真ん中へと置いた。
「ペルギウス様、お願いします」
「うむ」
ペルギウスが魔法陣の反対側へと移動する。
いや、ペルギウスだけではない。
下僕たちがぞろぞろと動き、それぞれ等間隔に、魔法陣の周囲に並んでいく。
シルヴァリルだけが、アーチの根本へと移動した。
「ルーデウスはこっちに」
俺はナナホシの指示で、ペルギウスのちょうど反対側へと立つ。
そこには、ここに両手を置いてください、と言わんばかりの手形の枠が二つ描かれていた。
「合図をしたら、ここから魔力を流し込んで。ありったけ」
「了解」
言われ、手を置く。
なんか、ドキドキしてきたな。
振り返り、シルフィの方を見てみる。
彼女はほえーって感じで魔法陣を見つつ、ザノバとぼそぼそと話している。
彼女らも魔法陣についてはかじっているので、興味はあるのだろう。
エリスは会話には加わっていない。
いつものポーズで、なんか誇らしげにアーチを見上げている。
単純にでかいものが好きなだけだろう。
その後ろにのっそりと佇むオルステッドは……。
「ペルギウス様! 始めてください!」
「うむ」
と、いかん、集中しよう。
集中ったって、魔力を注ぐだけみたいだが。
でも集中だ。
「……開始する」
ペルギウスと下僕達が、一斉に魔法陣に触れた。
次の瞬間、魔法陣の縁が、ボウっと光りだす。
しかし、端の方だけだ。
端の方の精緻な魔法陣が光を強くしていくが、中央付近は暗いまま。
失敗か?
「ルーデウス」
「はい」
言われ、両手から魔力を注ぎ込む。
瞬間。右手が魔法装置に張り付いたかのような感覚に陥った。
凄まじい勢いで魔力が吸われていくのがわかる。
なぜか右手だけだ、左手からも魔力は吸われているが、右手に比べて弱い。
左手も強くすべきか?
と、思った瞬間、左手から吸われる魔力の量が爆発的に増えた。
代わりに、右手から吸われる量が減る。
右手、左手、右手、左手。
魔力を吸う力が交互に変化する。
よくよく感じ取れば、指先や掌の魔力を吸われる量も、少しずつ違う。
だが、機械的ではない、人為的な何かを感じる。
その操作をしているのは……ペルギウスか。
顔は見えないが、起動だけが仕事ではない、ということだ。
そして、その補助に下僕。
起動だけして全自動ではなく、操作もする、やはり魔法装置か。
魔法陣は輝きを増していく。
青に、緑に、白にと色を変えつつ、部屋の中を圧倒的な光で満たしていく。
もはや、眩しくて何も見えないぐらいだ。
これが魔法陣の光量か。
これほど光る魔法陣は見たことがない。
否。
一度だけ見た。
これは、転移事件の……。
パツッ――。
音がした、光が消えた。
否、完全には消えていない。
アーチだ。
アーチの光だけが、ボンヤリと周囲を照らしている。
そして、そのアーチの真下。
魔法陣の中央。
リンゴがあった場所。
かつてリンゴがあった場所。
そこには、青白い何かが残っていた。
青白い、粒子のようなものだ。
それはフワフワと周囲を漂い、ゆっくりと消えた。
「実験、成功です」
「……」
シルヴァリルの言葉に、誰も答えない。
彼女は返事を待たず、近くにあった紙に、何かを書き込んでいる。
「これから、魔力の残滓を分析し、異世界転移への確実性を高めます。ただ、この分析に関しては、すでにデータがありますので、そう時間が掛かる事ではありません」
ナナホシの説明を聞きつつ、俺は魔法陣から手を離した。
「ルーデウス。大丈夫?」
聞かれ、俺は先ほどの魔力を思い出す。
たった一回。ほんの一分か二分の起動で、あの魔力消費。
何回かやれば、すぐに枯渇するだろう。
「大丈夫だけど、何回もは無理だな」
「そう……お疲れ様です。基本的には、1日か2日に1回のペースでやっていくつもり。今日はゆっくり休んでください」
ナナホシはそう言って頭を下げて、ペルギウスの方へと走っていった。
研究チームと、あれこれと話をしながら、メモをとっている。
今回の結果をレポートにまとめ、次の実験に活かすのだろう。
異世界への転移システム自体はできている。
あとは、あのアーチを完璧に仕上げ、さきほどの魔力の残滓と思わしきものを解析しつつ、転移する物体をよりナナホシに近いものに変化させていく。
それに、あと一ヶ月かそこら。
ギースが動いている中、それだけの時間を取られるのは困りものだが……仕方ない。
ここは一つ、ペルギウスを仲間にいれようとして失敗した、ぐらいの心積もりで頑張るとしよう。
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実験が始まり、二週間が経過した。
俺は家と空中城塞を行き来しながら、実験を続けている。
実験では相当な魔力を使っている。
それが一日で回復しきっているかどうかは微妙な所だ。
実験のためにも、もしこのタイミングで誰かが襲ってきた場合に備えても、
極力、魔力は使わずに過ごそう、と決めた。
そう決めると、あっという間に手持ち無沙汰になった。
いや、やることが無いわけではない。
ザノバと人形の経営についての話をしたり、
ロキシーと魔導鎧の改良点について話をしたり、
石版を使って、各地の協力者と情報交換をしたり、
オルステッドと今後について結論のでない話をしたり、と。
暇な日は少ない。
だが、出歩いてばかりだったこの一年半と比べると、楽な感じはある。
通信石版から、各地の傭兵団や人形販売の状況に判断を求められる時もあるが、シャリーアには、意見を聞ける者も多く、俺自身がゼロから考える必要もない。
その上、移動に費やす時間は少ないし、寝る前になれば子供たちとも接することができる。
心が読めているというゼニスに一日の出来事を話してみたり、
遊びにきたエリナリーゼとクリフについて話してみたり、
ララに言葉を教えるのを手伝ってみたり、
ルーシーの勉強を見てやったり、
アルスに泣かれたり、ジークのおしめを取り替えたり。
悩む事の少ない日々。
これが、年中無休で働いていたサラリーマンが久しぶりに長期休暇を取った時のような気分なのだろうか。
オルステッドが最近シャリーアからあまり動かない理由も、なんとなくわかる。
これで大丈夫なのかと思う時もあるが、人には休暇が必要だし、俺も少し休むべきだったのかもしれない。
これで、あとは深夜のベッドの楽しみがあれば最高なんだが、
禁欲のルーデウスは目的を達するまでは我慢の子だ。
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さて、そんなこんなで一ヶ月。
実験は、あっという間に終了した。
実験は実に順調だった。
実験が進むにつれて、異世界へと送られるものは果物から生物へと変化。
生物もどんどん大きくなり、その都度、魔法陣は何度も何度も調整を加えられた。
最終的にはナナホシのゆうに3倍はあろうかという大きさの馬が、異世界へと送られた。
アーチによる測定の結果。
馬は『異世界かつ海抜10メートルから30メートル以内の陸地』に転送されたとわかった。
海抜10~30の陸地。
それが、こちらから設定できる限界だ。
あの魔力の残滓から日本に飛んだかアメリカに飛んだかがわかるわけではない。
こちらの世界同士の転移魔法陣のパターンから異世界に適応出来るのは、『陸に飛んだか海に飛んだか』、『陸の高さはどの程度か』といったものだ。
とはいえ、海抜10~30の陸地なら、転移した瞬間に即死する確率はぐっと低くなるだろう。
異世界といっても、俺達の知っている世界かどうかはわからない。
もちろん、向こうから、ペットボトルやらなんやらを召喚したため、可能性は高い。
だが、それでも確証は無い。
俺たちの知る世界によく似た別世界、って可能性もある。
仮に俺たちの世界だとしても、海抜10~30の陸地という曖昧な設定なら、遠い異国の地に飛ばされる可能性が高い。
さらに、そこから徒歩での家路。
大量の食料と水、防寒具、向こうで金銭に換えられそうなものを持って転移すれば、日本に辿り着ける可能性は十分にあるとはいえ……過酷な道だ。
だが、ナナホシは行くらしい。
彼女はすでに覚悟を決めている。
次は、ナナホシ本人を送る。
俺の魔力のことも考え、本番は三日後となった。
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最後の実験が終わった日の二日後。
ナナホシが、俺の家に来た。
「最後に、あなたの家のお風呂に入りたい」
という事だが、あくまで建前だろう。
「なんだったら、お別れパーティでもしようか?」
「いえ、それはいいわ」
ナナホシはそう言いつつ、うちの風呂場へと消えていった。
今は、風呂場にひとりきりだろう。
彼女の本音は何かわからない。
本番前に気持ちを切り替えたいのか、
それとも、単にお別れを言いたいのか。
この世界の思い出として、俺と一晩過ごしたいのか、だとしたら今から風呂場に乱入し……いやこれは無いな。禁欲のルーデウスの余りある色欲がもたらした妄想だ。実際にやったらシルフィがむくれてしまうだろう。
昨日、シャリーアに滞在している面々には別れの挨拶に行ったようだから、挨拶系だろう。
この世界で暮らす最後の晩に、うちの家族への挨拶を選んでくれたのだ。
なら、俺にできるのは、アイシャとリーリャにこっそりと、いつもより豪勢な食事を頼んでおくぐらいだ。
主に芋系だな。
今日はノルンも帰ってくるようだし、ささやかながらも、温かく送り出してやろう。
「こら、待ちなさい」
「やーだー」
なんて考えつつ、シルフィと一緒にジークの面倒をみていたら、ルーシーがリビングに飛び込んできた。
全裸だ。
そのまま、俺の膝の上に飛び乗ってきた。
「パパ、助けて!」
これはどういうイベントだろうか。
全裸の女に助けを求められるなんて。
いつからルーシーはこんな魔性の女になったんだ!
これを断れる奴は男じゃない。
任せろ、龍神でも魔王でもぶん殴ってみせらぁ。
「ルーデウス!」
そこに現れたのは、赤い髪の魔神だ。
彼女もトップレスだった。
いかんぞ、禁欲のルーデウスはそういうのに弱いのだ。急所に当たるのだ。
「ルーデウス。ルーシーを捕まえて。お風呂嫌がるのよ。さっきまで、剣を教えて汗かいたから、入らないとって言ってるのに」
俺はルーシーを捕まえた。
ごめんねルーシー。
でも、運動した後はお風呂に入らないとね。
「やだ! 赤ママ、乱暴だもん!」
「乱暴? エリス……俺はまだしも、子供は叩いちゃダメだよ」
「失礼ね、叩いてないわよ! ちょっと頭を洗うのが……ヘタなだけよ」
そうなの、とルーシーを見てみると、彼女は頬をふくらませつつ「うん、赤ママが頭洗うと、目に痛いの入る」と文句を言った。
そっか、そういう理由か。
ごめんよエリス。
いくら君でも子供は叩かないよね。
「じゃあ、ルーシー、そろそろ、自分で頭洗えるようになろっか」
「…………パパが…………わかった」
ルーシーは何かを言いかけたが、途中で口をつぐみ、エリスに連れられて風呂場へと戻っていった。
「ルディに洗って欲しかったんじゃないかな」
「……ああ、かもね」
でも、今はナナホシが風呂に入ってるからな。
俺が入るわけにはいかん。
あ。
そういや、ナナホシに言ってなかったな。途中で乱入あるかもって……。
いや、知ってるか。
ウチの風呂は複数人で入るってシキタリは、最初に家を建てた時からあった。
今更、誰かに乱入された所で、文句は言うまい。
それからしばらくして、ロキシーとノルンが帰ってきて、ララを連れて風呂に入った。
彼女らと入れ違いになるように、ナナホシとエリス、そしてルーシーがホカホカと湯気を上げながら戻ってきた。
結構な長風呂だったせいか、みんな真っ赤だ。
「あのねパパ。ナナホシおねえちゃんに頭の洗い方教えてもらった!」
「そうかそうか。ありがとうナナホシ」
「どういたしまして」
ナナホシはルーシーの面倒を見てくれたらしい。
風呂の中でエリスとも話をしたのか、険悪な空気は流れていない。
やはり、風呂は偉大だ。
裸の付き合いは平和への道だ。
---
最後に俺とシルフィがアルスを連れて風呂に入り、晩飯となった。
メニューは肉と野菜と米。
そして芋だ。
ポテトチップスに、ポテトフライ。
ジャンクなフードだ。
ナナホシは我が家の食卓の隅で小さくなりながら、
しかし遠慮なく、ポテトを食らっていた。
家に帰れば、いくらでも食えるだろうに。
まったく、食い意地の張った芋女だぜ。
「ご飯、美味しいわね」
彼女はポテトだけでなく、米もうまそうに食べていた。
「空中城塞でも、米は出てくるだろう」
「でも、ここの方が好き……かも」
「そうか」
うちの米はシャリーア産アイシャ米だ。
ブランド名はメイド美人とでも名付けようか。
20歳未満の処女のメイド(が集めた筋肉ムキムキの屈強な男たち)が、汗水たらして作った田んぼで作られた、俺好みの逸品だ。
日本人の舌にあうようにできている。
「こっちの料理も、食べ納めなんだ……ちゃんと噛んで食べるのよ」
「なんでいきなりお母さんみたいな口調になるのよ」
そう言った後、ナナホシはしばらく無言で食べ続けていた。
「……」
いつしか、彼女の視線は、俺ではなく、俺の家族を見ていた。
ルーシーが最近の出来事を元気に語り、それをノルンが熱心に聞いている。
ロキシーがシルフィに、魔法陣についてあれこれと話している。
エリスがララに、アイシャがアルスに、それぞれご飯を食べさせている。
リーリャとゼニスがそれを見守る。
昔からは考えられないほど、賑やかな光景だ。
そんな光景を、ナナホシはじっと見ていた。
やはり実家が懐かしいのだろうか。
そう思っているうちに、食事は終わった。
食事が終わった後、ナナホシはしばらく、子どもたちの相手をしてくれた。
裸の付き合いをやったせいか、ルーシーはナナホシに懐いていたし、
アルスはナナホシに抱かれると満面の笑顔で胸に顔を押し付けていた。
ララはいつも通りだが……。
「ナナホシ。今日は泊まっていきなよ」
最終的に、シルフィのそんな発言によって、彼女はうちに泊まることになった。
もうなんか、当然の流れである。
とはいえ、客間を子供部屋にして久しい。
客人の泊まる場所が無いということで、シルフィの部屋を貸す流れになった。
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その晩、ナナホシと話をした。
皆が寝静まった家の中。
リビングで二人、向き合って、窓に映る月と、暖炉の光に照らされながら、ちびりちびりとお酒を飲みつつ。
益体もない話だ。
ペルギウスの趣味とか、シルヴァリルがどれだけペルギウスに傾倒してるか、とか。
オルステッドとペルギウスは不仲だが、互いに認め合ってるように見える、とか。
本当に、益体もない井戸端会議のような話。
「ルーデウスは、もう立派な大人よね」
そんな話をする中、ナナホシはふとそう言った。
「そうかな」
「最初に見た時は、小学生ぐらいの小さい子供で、次に見た時は中学生ぐらいで。
正直、自分よりも年下だって思っていた時期もあったけど……。
でも、最近は大人よね。結婚して、子供も作って」
「結婚して子供を作れば大人ってわけでもないだろう」
大人だの、子供だのってのは、正直俺にはよくわからない。
前世で大きな子供だったのは間違いないが。
「そうね。でも、最近、私よりずっと大人に見える」
「そうかな」
「ええ、子供の事とか、家族の事とか、色々考えてるし……それに比べたら私は全然……何も変わってないわ」
「そんな事ないだろう」
ナナホシだって、昔に比べれば色々と変わった。
昔はもっと、人を寄せ付けなかった。
無敵のサイレント・セブンスター様だった。
「昔のナナホシだったら、うちの子と遊んでくれたりなんてしないさ」
「そうかな……でも、それは、あなたに助けてもらったからってのもあるわ。それまで、こっちの世界の人間と関わろうなんて思ってなかったから」
「元の世界だったら、子供の世話ぐらいはしてくれた?」
「……多分……いや、でも、受験とかを理由に、邪険にしたかも。確か、テストも近かったし」
受験にテスト。
懐かしい響きだな。
「向こうでは、何年経過してるんだろうな」
「…………嫌なこと言わないでよ」
「ああ、ごめん」
こっちに来てから、約15年。
向こうでも15年経過していたら、浦島太郎だ。
転移した瞬間、ナナホシがいきなり15年分の歳を取る可能性もありうるか。
「でも、なんとなくだけど、あまり時間が経過していない気がするんだよな」
「どうして?」
俺は酔った頭で、自分の考えを述べる。
「俺とナナホシがトラックに轢かれたのは、同じ日だろ。
けど、こっちにきたのは、俺の方が10年近く早かった。
じゃあ、多分、向こうとこっちでは、流れる時間が違うんだ。
だから、大丈夫だよ」
「ええ、そう――」
ナナホシは、ふと何かを考えるような顔をして。
「………………………ちょっとまって。トラックに轢かれたのが同じ日って、どういう事?」
あ。
「あの場にいたってこと?」
「えっと、その」
「ちょっとまって、え、ちょっと……」
ナナホシは額に指を当てて、何かを思い出すように眼をつぶり。
ハッと顔を上げた。
「あの時のデブ」
あ、あああ……なんてこった……。
酒のせいか。気をつけていたのに。
ていうか、失礼だな。デブとはなんだデブとは。確かに太ってたけど……。
「うわぁ、そっか、あの人だったんだ、あの人がルーデウスだったんだ……! えぇ、こんなカッコ良くなっちゃったんだ、へぇ……!」
ナナホシは口元に手を当てて、目を見開いている。
大変、興奮しておられる。
気持ち悪がられるかと思ったけど、なんか嬉しそうだ。
「アノ、ナナホシ=サン……できれば、そのね、皆にはナイショにしていただけるとね、ありがたいんですが」
「なんで?」
「……なんか、知られたら捨てられそうだし」
「みんな、顔でルーデウスを選んだわけじゃないと思うけど……」
「それでも、秘密にしときたい事って、あるんだよ」
「……そうね」
ナナホシはすとんとソファに座り直した。
わかってくれたのか、あんまりしつこいと、俺が協力してくれないと思ったのか。
「ルーデウスは私と違って、『転生』だもんね」
「うん」
そう、転生だ。
俺は元には、戻れない。
全てを捨てたつもりはないが、でも積極的に見せていくつもりもない。
それに、前世の自分は、少し恥ずかしいと思う。
あのダメな自分あっての今の俺だとは思うが、それでも、恥ずかしいものは恥ずかしい。
「わかった。心に秘めておく」
「……頼みます」
と、前世の事で思い出した。
「おっと、そうだ、忘れる所だった」
「何?」
「正体を知られたついで……じゃないけど、これを、俺の前世の実家に届けて欲しい」
そう言って、俺は封筒を一つ、テーブルの上に差し出した。
やや分厚い封筒には、前世の兄弟たちへの想いがこもっている。
こっちにきて二十数年。
俺も色々あった。
色々あった結果、あの頃とは違うと胸を張って言えるようにはなれたと思う。
違うというだけで、立派になったとかは、口が裂けても言えないが……。
ともあれ、当時のことの謝罪とか、思い出話とか、今の状態とか、そのへんのことを、詰め込んである。
もし、ナナホシが日本に降り立って、しかも転移した先で一日も経過していなかったら、何言ってんだアイツと思われるかもしれないが……。
まあ、それでもいい。
自己満足の範疇だ。
「わかりました」
ナナホシはそれを大事そうに、懐へと入れた。
「必ず届けます」
「頼む」
転移先が日本とは限らない。
転移した後、日本に辿り着けるとは限らない。
だが、それでも彼女は頷いてくれた。
「それから、こっち」
俺はさらに、もう一通の手紙を渡す。
こちらは、先ほどに比べて薄っぺらい。
「もし、向こうで何年も経過してて、頼るアテも、帰る場所も、行く所も無かったら、だけど……俺の前世の兄弟に、お前の事を、ほんの少しの間でいいから面倒見てくれって、書いてある」
「……!」
ナナホシの手紙を受け取った手が震えた。
「そんな……」
「まあ、俺、向こうでは厄介者だったから、とりあってもらえないかもしれないけど……せめてな」
「厄介者だったんですか?」
「ああ、無職の穀潰しだったんだよ」
どうせ、向こうに戻って兄弟に会えば、バレることだ。
「ちょっと、信じられない……」
ナナホシはそう言って、俺の顔をまじまじと見た。
そう言ってもらえるのは、俺が頑張ってきた証拠なのだろうか。
だとすると、嬉しいな。
「でも、もしそうなったら、ありがたく使わせていただきます」
ナナホシはその封筒を大事そうに胸に抱いて、頭を下げた。
「本当に、何からなにまで、ありがとうございます」
ナナホシは明日帰る。
実験は、完璧だ。
あの魔法陣には、一分の隙もない。
だが、だというのに俺の心には、一抹の不安が残っていた。
入念な準備と、何度も実験を重ねて作られた魔法陣。
ナナホシは自信がありそうだし、誰も失敗すると思っていない。
でも、不安要素はある。
一つ、残っている。
今のところ、それをわざわざ言って不安を煽るつもりは無い。
そもそも、そのことについては、ナナホシも知っているはずだ。
なのに言わない。
すでに対処済みだからかもしれない。
「……明日、帰ろう」
だから、俺はそうとだけ言った。
「はい」
ナナホシは頷いた。
思いの強さがあれば、多少のことは押し通せるような気がした。