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無職転生 - 異世界行ったら本気だす - 作者:理不尽な孫の手

第20章 青年期 ザノバ編

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第二百九話「誰もがみんな空回り」

 戦いはなし崩し的に始まった。
 まだ戦う気はなかったが、始まったのなら迷うわけにはいかない。
 俺はスイッチを切り替えた。

「うおおおおお!」

 まずザノバが飛び出した。
 相手は七大列強だが、ザノバはそんな事実をものともしなかった。
 何の技術もなく、ただまっすぐに走り、愚直に攻撃を仕掛けたのだ。

 棍棒が唸りを上げて死神に迫る。
 死神はそれを余裕をもって回避した。

 だが、ザノバが攻撃を当てられない事は、俺は予見している。

 ザノバの攻撃は一撃必殺。
 当たればクリティカルだが当たる可能性は極めて低い。
 そいつを命中に導くのが、俺の仕事だ。
 俺は死神が回避するであろう場所に、すでに泥沼を設置していた。

「おっと?」

 泥沼に足を取られ、体勢を崩す死神。

「『氷撃』」

 そこに、ロキシーが放った魔術が叩き込まれる。
 死神はとっさに剣で受け流すも、体勢はさらに崩れた。
 畳み掛けるようにザノバが襲いかかった。

 不死魔王ですら身動き出来なくなるほどの怪力。
 そこから放たれる殴打は、容赦なく階段の踊り場に穴を開ける。

 死神はさすがというべきか、それを回避していた。
 だが、誰の目にも、彼が攻勢に移れないのはわかった。
 尻もちをつき、足の裏が地面を捉えていない。
 剣先はあらぬ方向を向き、左手は肘が接地している。
 今が攻め時だ。

 死神の顔は驚愕に彩られていた。

「まさか、こんなはずは……」

 その呟きを聞いて、俺はイケると踏んだ。
 ロキシーに目配せをして、一歩前に出る。
 ザノバもまた、止めを刺すべく死神に迫る。

 両手を死神に向ける。
 ザノバの攻撃が当たればよし。
 当たらなければ、予見眼にて回避方向を特定し、そちらに電撃を叩き込む。
 麻痺した所に、左手の魔道具から岩散弾をぶち込んでフィニッシュだ。
 それすらも回避されるようなら、今一度ロキシーが牽制をして体勢を崩し、当たるまで続ける。

 特に申し合わせたわけではないが、必殺の連携となった。
 奴は袋のネズミだ。

「むぅっ!」

 ザノバの一撃が死神に見舞われる。
 だが、俺は信じられない光景を目にしていた。

 なんと、死神は受け止めていたのだ。
 ザノバの怪力を。
 棍棒を、素手で。
 すさまじい膂力だ。伊達に七大列強とは言われていない。
 だが、ここまで。
 受け止めた腕が折れているのは、俺の目にもハッキリと映った。
 チェックメイトだ。

「ザノバ、どけ!」

 俺の叫びで、ザノバが弾かれたように横に飛んだ。
 俺の右手から、紫電が走る。

 バリンと中空に音を残す稲妻は、死神を舐めた。
 直撃。
 死神は全身を硬直させ、ガクリと横たわる。
 ガイコツのような顔がこちらを向いている。
 何をされたのか理解出来ていない顔。
 電撃は闘気で防御しても、麻痺させることが出来る。

 トドメだ。
 俺は岩砲弾を放つべく、左腕のパーツへと魔力を注ぎ込んだ。

「『ショットガン・トリガー』」

 王級とも、帝級とも言われる岩砲弾が群れを為してが死神へと飛んだ。
 岩砲弾はオルステッドにも認められた、俺の撃てる最高の必殺技。
 当たれば、オルステッドですらダメージを負うほどの威力だ。
 この姿勢、このタイミング。
 死神といえど回避は出来ず、当たれば死なないにしても、大ダメージは免れまい。

 勝った。

「………………え?」

 そう思った次の瞬間。
 岩砲弾が掻き消えた。

 中空で砂のようになり、死神に降りかかったのだ。
 理解出来なかった。

「おお、助けに来てくれたのですね! 死神様!」

 ランドルフがそう言って、俺の後ろを見た。

「!」

 新手!?
 死神?
 じゃあ今戦っていたのは!?
 最初の自己紹介の時にミスリードさせられた!?
 俺は後ろを振り向いた。

 誰もいなかった。
 月夜に照らされた階段があるだけだった。

「ルディ!」

 ロキシーの叫びが聞こえた時には、俺は突き飛ばされていた。
 腰のあたりに青い髪が見える。
 ロキシーに突き飛ばされたのだ。
 なぜだろう、と疑問に思う前に、俺は空中でロキシーを抱くように姿勢を変えた。
 背中から階段に落ちる。
 魔導鎧がガキンと音を立て、床に落ちた。
 ダメージは無い。

「えっ……」

 仰向けになって階段の上を見上げる。
 まだ何が起こったかわかっていないザノバと、剣を振りぬいた姿勢の『死神』がいた。

 死神は何事もなかったかのように立っていた。
 電撃で麻痺していたのではなかったのか?
 体勢を崩していたのではなかったのか?
 おかしい、なんでだ。

「ルーデウス殿、死神は常に後ろに立つものですよ」

 余裕の表情、余裕の言葉。
 それで理解が追いついた。
 演技だ。
 電撃でしびれていたのも、体勢を崩したのも、わざとだった。
 俺に背後を振り向かせるための……。

 ああ、くそ、ミスったな。
 オルステッドに、ランドルフはそういう戦い方をするって聞いていた。
 油断していたつもりはなかったけど……。

 それにしても、さっきのは何だ。
 岩砲弾がかき消された。
 いや、見覚えがある。
 あれはマナタイトヒュドラと戦った時と同じ現象だ。
 てことは……。

「吸魔石か」
「おや、一度でタネがバレるとは……さすが、侮れませんね」

 死神はそう言いつつ、手のひらを広げた。
 革製の篭手の掌部分に、吸魔石がハメこまれていた。
 先ほどは気づかなかったが、あれで吸い取ったのだろう。
 そういう手の内があるとは聞いていなかったが……。
 ていうか、あの吸魔石、俺がベガリットから持ってきたヤツじゃなかろうな……。
 王竜王国の騎士なら、そういった装備を集めていても不思議ではない。
 そして、それをオルステッドが知らなかったとしても、だ。

 まあいい。
 少し油断したが、七大列強にそう簡単に勝てるとは思っていない。

 魔術が効かないとなると戦いにくいなか、吸魔石の特性は知っている。
 吸魔石はその方向に手を向け、魔力を込めて初めて発動できる。
 つまり、手の平さえ向けられなければいい。

 背後に回るか。
 踊り場が狭いのが難点だな……。
 でも、三人いれば出来ない事は無いはずだ。
 見たところ、吸魔石は一つ、俺とロキシーで前後から同時に魔術を放てば、さらにそこにザノバの追撃が入れば……。

 いや、そんな簡単じゃないだろう。
 でも、ダメなら、別の方法を試せばいい。
 トライアンドエラー。
 倒すまで続けるのだ。

「ロキシー、ザノバの後ろ側に回りこんでください」
「……」

 返事がない。
 そういえば、さっきからロキシーが動かない。
 手がぬるっとした。
 肩口のあたりに、何か変な感触がある。

「……ん?」

 なんだこれ。
 赤い。

「ロキシー……ちょ……嘘でしょ?」

 ロキシーのローブが切られて、その下から、赤い血が流れだしていた。
 心臓が早鐘を打つ。

 走馬灯のように、昔の場面が思い浮かんだ。
 俺を突き飛ばして死んだ男の姿。
 倒れて動かなくなった男。
 パウロ。
 最後に俺に手を伸ばした、パウロ……。
 パウロみたいに。

 ロキシー……!
 そんな、え?
 嘘だろ。

「嘘だ! ロキシー!」
「……嘘じゃないですから、傷口を触らないでください、痛いです」

 気づけば、ロキシーにじとっとした目を向けられていた。

「あ、はい」

 大丈夫そうだ。
 ロキシーを離すと、彼女は小声で治癒魔術を唱え、傷を治した。
 ほっとした。
 心臓に悪い。

「おや、確かに致命傷だったはずですが……」

 死神は顎に手を当て、不思議そうに首をかしげていた。
 ぞっとするような事を言ってるが、ロキシーはこの通り、ピンピンとしている。
 猿も木からなんとやらだ。
 ロキシーを仕留めた気でいたらしいが、残念だったな。
 俺の寿命が縮んだだけの結果に終わったぜ。

 さぁ、試合再開だ。

「ん?」

 と、そこでロキシーの首からピキリと音がした。
 見ると、出発前に彼女にあげた首輪がひび割れ、みるみるうちに砕け散った。

 続いて、彼女の指。
 そこにハマっている指輪も、砕けた。

「……………………」

 あれはそう。
 『致命傷を受けると身代わりになる魔力付与品マジックアイテム』と、
 『物理攻撃に対するバリアを張る魔力付与品マジックアイテム』だ。

「ああ、ソレでしたか……なぁるほど」

 ゾッとした。
 背筋に氷柱を打ち込まれたかのように寒気が襲った。
 死神から強風が吹いているような圧力を感じた。
 この風は知っている。
 臆病風だ。

 わかっていても止まらない。
 思わず、ロキシーをギュっと抱きしめた。

「る、ルディ……?」

 ダメだ。
 ここまでだ。
 俺が想定していたのはここまでだ。
 あの首輪は、予め用意していたものだ。
 だから運じゃない。
 ここまでは、想定の範囲内だ。
 でも、ここからはどうだ。

 一撃で即死級の攻撃を放ってくる相手。
 トライアンドエラー?
 こんな相手に、何度トライ出来るっていうんだ。
 コンティニューは無い。
 今ので使いきった。
 これ以上、こいつとやると、誰かが死ぬ。

 勝てない。
 七大列強に正面から挑んで、勝てるはずもない。
 大体、なんで七大列強に、真正面から挑んでいるんだ。
 オルステッドも、真正面から挑むなって言ってたじゃないか。
 そうだ、最初からそうだったんだ。

「ザノバ! ダメだ! 撤退しよう!」
「師匠!?」
「こいつには勝てない! 一式を取りに戻って再戦するんだ!」

 ザノバは棍棒を構えたまま、二歩下がった。
 そして、肩越しに俺を見てくる。

「いえいえ、なかなかいい勝負をしていますよ。
 特に、さっきのなんか危なかった。
 もう一度やられれば、防ぎきる自信はありませんね。
 奥の手も使わされてしまいましたし……」

 死神が囁く。
 確かに、さっきは行けそうな気がしたが、きっとこれは嘘だ。
 オルステッドも言っていた。
 奴は誘うと。
 攻撃を誘う、防御を誘う。
 今のこの言葉だって、きっとそうだ。

 いや、それとも本当なのか?
 例の幻惑剣とやらは使わず、素で言っているのか?
 今のはあからさますぎる一言だった。
 誘うと見せかけて……。
 ええい!

 もう、こいつの言葉は何も信じられん。
 一つわかることがある。
 今の俺には死神は倒せない。
 一瞬で、俺の心に、そう刻まれた。

 だが、ザノバはそうは思わなかった。

「なら、師匠はそこで見ていてください。余は一人ででも戦い、突破し、弟に会います!」

 ザノバが突進した。
 俺の目には、それがスローモーションで映った。
 時間が遅れ、音が消え、世界が色あせた。

 一歩、二歩と走るザノバ。
 予見眼の中で、すでに死神は動いている。
 先ほどのぎこちない動きが何だったんだと思えるほどの速度。
 眼にも止まらない、俺の動体視力では到底とらえられない速度。
 時間が戻る。
 剣閃が走った。

「ザノバ!」

 斬撃は、ザノバの脇腹から入り、肩口へと抜けた。
 逆袈裟。
 鎧が粉々に砕け、ザノバは天井へと吹っ飛んだ。
 ザノバは勢い良く天井にぶち当たり、そのまま俺の目の前にドシャリと落ちてきた。
 音はまだ聞こえない。
 全ては夢の中のようだ。

「はぁ……はぁ……」

 動悸が激しい。
 大丈夫なのか?
 鎧は砕けている。
 分厚い胸当て部分と、肩当てがガラスのように粉々だ。
 一体どういう斬撃を放てば、金属がこうなってしまうのか、皆目見当がつかない。

「奥義『砕鎧断』に手応えなし……」

 死神の言葉で、世界に音が戻った。
 確かに。
 確かに、よく見ればザノバの体には傷一つ無い。
 鎧の下に来ていたチュニックはバッサリだが、肌は青い痣ができている程度だ。

「うぅ……ぐぅ……」

 ザノバがうめき声を上げながら、上体を起こした。
 階上にいる死神を睨みつける。

「さすがは神子、やっぱり切れませんか」

 死神はガイコツのような笑みを貼り付けたまま、見下ろしている。
 そして、ゆっくりと剣を鞘に戻した。

「でも私、剣神ではないので、斬ることにこだわりはないのです……たしか火魔術は効くのでしたよね? パックス陛下から、そういう話は伺っています」

 ああ、こいつ魔術も使えるのか。
 でも、ザノバの身につけた鎧は火を無効化……。
 いやダメだ。
 こんな砕けた状態で、効果が発揮できるとは思えない。

「……」

 ザノバが立ち上がった。
 まだやろうと言うのか、棍棒を拾い、階段に足を掛けた。
 ロキシーも立ち上がっている。
 俺を守るかのように、一歩前にでて、ザノバを援護するため杖を構える。

 俺も立ち上がった。
 ザノバは頑固だ。
 死ぬまで戦い続けるかもしれない。
 もちろん、殺させるわけにはいかない。
 ロキシーもだ。
 彼女が死んだら俺は死ぬ。
 俺の精神は死ぬ。

「まだやるのですか?」

 ランドルフは、無表情でこちらを見下ろしている。
 特に構えているわけでもないし、魔術を詠唱するわけでもない。
 余裕の立ち姿だ。
 向こうから攻撃を仕掛けてくる気はないらしい。

 くそっ、何がいい勝負だ。
 むしろ、手加減してもらった感覚すらある。
 奴は、俺の岩砲弾を無効化した。
 最初から魔術を無効化する術を持っていたのだ。
 であるにも関わらず、他の魔術で俺の行動を釣った。

 まだ、他にも奥の手を隠しているかもしれない。
 オルステッドは何と言っていた?
 攻めるべき時に守り、守るべき時に攻める?
 じゃあ、俺がいまこう思っているのは、奴の思惑通りって事か?
 わからない。
 どう動けばいいのかわからない。

 首輪は無い。
 鎧も無い。
 相手の手の内はわからず、攻撃は致命傷となる。
 『魔導鎧・二式改』で奴の攻撃を防げる保証もない。

 ダメだ。
 どう考えてもダメだ。
 一度撤退しなければならない。
 ザノバをどうする?
 説得しよう。
 ダメなら後ろから攻撃し、気絶させよう。
 そして、一式の所まで戻り、それで闘う。

「ザノバ、今のでわかっただろ。ただまっすぐに攻めても、殺されるだけだ」
「しかし、師匠。パックスが」
「死神は待っていた、まだ時間はあるはずだ。確実を取ろう」

 ザノバの動きに迷いが見えた。
 彼も、勝てない事を悟っているようだ。

「お帰りになるのですか?
 しかし、恐らくですが……陛下の方ももうすぐ終わりますよ?」

 これは罠だ。
 聞く必要はない。

「ああ、一度出直させてもらいます」

 問題は、逃してくれるかどうかだな。

「いきなり襲いかかった事は謝罪します。だから、今は見逃してくれませんか?」

 下手に出つつ、息を整えつつ、様子を伺う。
 戦いながら今まで通ってきた道を逃げ、魔導鎧の所まで。
 そこで再戦だ。
 追ってこないなら、それでも良し。

「はぁ、それは構いませんが……」

 あ、いいのか?
 なんか拍子抜けだな。
 どうにも死神の意図が読めない。
 こいつの目的はなんだ?
 聞かずにはいられない。

「死神さん、あなた、ヒトガミからどんな指示をもらってるんだ?」
「別に、どんな指示も。会ったこともありませんので」

 え?

「でも、さっき、知ってるって」
「私の親戚が、かつて会った事があるので、名前を聞いたことはありますが……それだけですよ。私自身はヒトガミには会ったこともありませんし、話した事もありません」

 するってぇと何かい。

「つまりあなたは、ヒトガミの使徒ではない?」
「使徒が何かは知りませんが……その通りです」

 早とちりか!
 ああ、くそっ!
 最近、空回りが多すぎるなぁ!

「てことは、あなたはパックス王の敵ではない?」
「はい。私はずぅっと、パックス王とベネディクト王妃の味方ですよ。なんせ、あの方たちだけですからね、私の料理を褒めてくれたのは……」
「つまり、部屋の奥でなにか怪しげな儀式をしていて、それの時間稼ぎをしているわけでもない?」
「ええ……小さな女の子のいる場で口に出すのは憚られる儀式ですが」

 死神はそう言いつつ、ロキシーを見た。
 ロキシーは小さな女の子と言われ、憮然とした顔をしている。
 確かに、外見的に子持ちには見えまい。

 それにしても、そうか。
 戦わなくても良かったのか。
 そうか……。
 謝ろう。
 俺の早とちりなんだから。

「それは……申し訳ありませんでした。
 我々もパックス王の敵ではありません。
 突然の襲撃、改めて謝罪させてください」
「いえ、私もうまく説明できず、申し訳ありません」

 逆に頭を下げられた。
 これはこれは、どうもご丁寧に……。

 いやまて。
 こうしているのも、実は死神の手中かもしれない。
 実は彼は即死技の準備をしていて、今こうして話しているのは時間稼ぎ……。
 ってのは無いと思うんだけどなぁ……。
 ああ、ごちゃごちゃしてわからん。
 これが死神の術中なら、俺はいま、完全にハマっている。

 と、その時。

「おや?」

 ランドルフが、フッと力をぬいた。
 でも俺は気を抜かない。
 こいつは隙を見せちゃいけない。

「終わったようです」

 何が終わったのだろうか。
 俺たちの命運か?

「まぁ、そう警戒しないでください。
 私もあなた方を殺すつもりなど無いのですから」
「……嘘つけ、さっき致命傷がどうのとか言ってただろうが」
「はは、確かに……ルーデウスさん、あなた面白いこと言いますね」

 ガイコツに笑われた。
 今の返答の何が面白かったというんだ。

「私はパックス王に、事が終わるまで誰も通すなと命じられました。事が終わったら、その命令も終わりですよ」

 ランドルフはそう言いつつ、剣を鞘に戻した。
 そして、ふぅとため息をつきつつ、椅子に座り直した。

「さぁ、どうぞお通りください」

 罠だろうか。
 背中を見せた瞬間、バッサリという可能性もありうる。

「私に背中を見せるのが嫌なら、どこかに行ってましょうか?」
「いいや、必要ない。信じようではないか」

 ザノバは男らしくそう行って、棍棒を腰に戻した。
 俺も鉾を収めた。

 こうして、戦いは終わりを告げた。


---


 王城最上階。
 王の寝室。
 シーローン王国が贅の限りを尽くした、最高のスイートルーム。
 壁には絵画が並び、美しい彫刻を施された机も備わっている。
 奥の部屋には、幅にして5メートルはあるのではないかという、天蓋付きの巨大なベッド。
 ベッドシーツは乱れており、中心では一人の少女がシーツにくるまっていた。
 青い髪をした少女が、静かに寝息を立てていた。
 王妃ベネディクトだ。
 周囲には服が散乱しており、ベッドの中は全裸であることが伺える。

 また、部屋の中には、嗅ぎ慣れた臭いが充満していた。
 男と女がアレをした時の臭いだ。
 そりゃあ、小さな女の子の前では言えない事だ。
 今の今まで、パックスと王妃は真っ最中だったというわけだ。
 国の一大事に。
 ザノバがこれだけ必死に助けにきたというのに、呑気なものだ。

 パックスはバルコニーにいた。
 バルコニーの手すりから、外を見ていた。
 子供のように短い手足、大きな頭。
 似つかわぬ、醜悪とも言える顔立ち。
 服装はパンツ一枚だ。
 その背中は、貧相な、とは決して言えない程度に鍛えられている。
 また、傷跡も多かった。
 痣の跡や、切り傷。
 その全てが、彼の今までの人生を物語っているかのようだった。

「随分騒がしいと思ったら、兄上が来ていたのか」

 パックスが振り返った時、俺は「呑気」という感想を打ち消した。
 その顔は疲れきっていた。
 その顔は諦めきっていた。
 そして、落ち着いていた。

 ランドルフは「心を鎮めている」といった。
 文字通りの意味だったのだろう。
 俺にも経験がある。
 出すものを出して、心を鎮めたのだ。

「陛下、お助けに参りました。
 さぁ、この城を捨て、共にカロン砦へと向かいましょう」

 ザノバがバルコニーの前まで行き、パックスに手を差し出した。
 対するパックスはその手を見て、鼻で笑った。

「助ける? カロン砦? 何を言ってるんだお前は」
「ここは一旦城を明け渡し、別の場所で牙を研いで待つのが良いでしょう。
 兵力さえあれば、城を取り戻すのはたやすいはずです」
「……そして、また繰り返すのか?」

 パックスはザノバを見た。
 ぞっとするほど、冷たい眼で。
 こいつが死神と言われた方が理解が早いぐらいの眼で。

「繰り返す、とは?」

 ザノバの疑問。
 それに対してパックスはフッと鼻で笑った。
 どうせわかるまい、と小声で呟き、バルコニーの外を横目で見る。

「余は、これでも頑張ったつもりだったのだ。
 父上が置いていた、腐りきった大臣を罷免し、別の者を置いた。
 戦争に備えて傭兵も受け入れた。確かに治安は悪くなったが……。
 それも、この国の未来を見据えての事だ」

 パックスはバルコニーの手すりに背中を預け、ザノバを指さした。

「兄上の帰国を許したのもそうだ。
 兄上に無理な願いをしたのもそうだ。
 余なりに、考えた末の結論だ。
 正直、余は兄上の事なんて嫌いだが、神子としての力は認めているつもりだからな」
「存じております。陛下の苦慮は、このザノバにも、十分に伝わっておりますゆえ」

 ザノバの努めて冷静とも言えるような言葉。
 それが、パックスの癇に障ったらしい。
 彼は拳をグッと握りしめ、憎々しげな目でザノバを睨みつけた。

「何が伝わっているだ!
 余の気持ちなど、誰にも伝わるか!
 見ろ、この景色を!」

 パックスは大仰にバルコニーの向こう側を指し示した。
 城の真下には、反乱軍が篝火を焚いているものの、町中はシンと静まり返っている。
 城壁の外には、大勢の人の気配がある。
 篝火が焚かれ、キャンプのようなものが張られている。
 ここから見ると、大軍勢が首都を包囲しているかのようだ。

「あれだけの兵がいるのに、一向に反乱軍を鎮圧しようなどという気配は無い!」
「違います陛下、あれのほとんどは兵ではなく、ただの民。
 それも、どこの馬の骨とも知れぬ冒険者や、商人たちでございます」
「だから何だというのだ! 余がこの国の全てに疎まれているという事実に変わりはあるまい!」

 バルコニーの手すりに拳を叩きつけて、パックスは喚いた。
 俺はその光景を言葉もなく見ているだけだった。
 口出しをしてはいけない。
 ザノバが話さなければならない、そんな気持ちすら湧いてくる。

「陛下、それは違います。決して全てではなくっ……」
「何が違う! 現に、お前も三人ではないか。
 もっと大勢兵を連れてきてもいいのに!
 たった三人!
 そっちの二人も、余を助けるのではなく、お前自身の護衛だろう!」
「それは……」

 違わない。
 俺はパックスを助けるのには反対した。
 シーローン王国がどうなってもいいってのが本音だ。
 ザノバが死んで欲しくないから、ついてきた。

「そうさ! 余は昔からそうだった!
 どれだけ努力しても、誰も認めてくれない!
 ちょっといい結果が出せたかなと思っても、すぐに裏目に出る!
 台無しにされる! いつもそうだ!」

 パックスは大声で喚きながら、次にロキシーを指さした。
 ロキシーは面食らったように体を硬直させる。

「ロキシー! 覚えているか、昔の事だ!」
「え?」
「余が中級魔術を初めて使えた時だ!」

 ロキシーは目を白黒させている。

「余が、自分なりに勉強して!
 訓練して! ようやく中級魔術に成功した時!
 お前はどんな反応を見せた!」
「いえ……その」

 横目でロキシーは見るからに狼狽していた。
 覚えているのだろうか。
 忘れてしまったのだろうか。
 俺にはわからない。

「ため息だ!」
「え……」
「喜んでお前に見せた余に、お前はため息を返したのだ!」
「いえ、それは……」
「『やっとこの程度か』と言わんばかりのため息に、余がどれだけ傷ついたと思っている!」

 ロキシーは目を見開き、下唇を噛んだ。
 まさかとは思うが、本当にため息をついたのだろうか。
 あのロキシーが?
 俺が何かに成功するたびに褒めてくれたロキシーが?

「それでも余はな! お前の事が好きだった!
 お前はまだ、シーローンの中でも、余を認めてくれている方だった!
 だからその後も、お前の気を引こうと頑張った!
 でもダメだった!
 お前はずっと上の空で、余の事など眼中になかった!
 知らぬ男と文通をしていた!
 馬鹿馬鹿しくもなる!
 努力して認められないのに、なぜ頑張ろうという気になるか!
 そうして余が頑張らなくなると、お前はあっさりと余を見捨てた!
 ゴミでも見るような目で余を見て、どうせやっても無駄なんだろうと言わんばかりの指導をして!
 最後にはもういいやと言わんばかりに国を出た!」

 パックスは頭をグシャグシャと掻きむしった。
 当時の事を思い出しているのか、目は充血し、涙が溜まっている。

「そ、それは……申し訳、ありませんでした……その、わたしも当時は……」
「黙れ! 言い訳なんか聞きたくない!」

 ロキシーは押し黙った。
 その表情には、深い後悔が見えた。

 努力というものは、自分のためにするものだ。
 でも、そんな説教臭いことを言える義理は、俺にはない。
 少なくとも、この世界に来てから、俺は認められてきた。
 努力すれば成果が出た。
 成果が出ない時もあったが、ともあれ成果が出た時は認められてきた。
 だから、俺にパックスを説教する資格はない。

「いいさ……実際、余はこの程度だ」

 パックスはそこで、ふっと力を抜いた。

「王竜の陛下は余にシーローン王国を下さったが、このザマだ。
 誰も余を王と認めず、誰も付いてこなかった。
 それどころか、父上の血を引いているかわからぬ者を旗頭に、反乱まで起こす始末だ。
 その混乱で、王竜の陛下に頂いた騎士たちも死なせてしまった。
 王竜の陛下も、さぞや余にガッカリしただろう」

 パックスは自重げに笑い、目からポロポロと涙をこぼした。

「結局、余を認めてくれたのは、ベネディクトだけだった。
 彼女だけが、ありのままの余を愛してくれた。
 言葉は少なかったが、一生懸命、笑いかけてくれたのだ」

 力の限り叫ぶパックスの声は、どうやら階下にも届いたらしい。
 篝火の中から、ざわざわと声が聞こえ始めた。
 下からは、パックスの姿は見えるのだろうか。

 パックスはそれを見て、つまらなそうに言った。

「なぁ、兄上……余は、どうすればよかったのだろうなぁ」
「わかりませぬ。ただ、親兄弟を皆殺しにしたのはやり過ぎだったかと」
「……だろうなぁ。でも、きっと他の兄上たちが生きていたら、こうやって反乱を起こしただろうさ」
「で、しょうな」

 だが、ザノバはそこで首を振った。

「しかし、誰でも失敗はするもの。
 反省し、次に活かせばよいではないですか!」

 ザノバの快活な声が最上階に響き渡る。
 こんな時でもこんな声を出せるザノバは、凄いよな。

「余は生かせないさ。そういう奴だ。
 何度も何度も繰り返すだけだ」

 パックスはゆっくりと首を振った。
 その仕草はザノバとよく似ていた。
 見た目は全然違う二人だが、仕草だけは似通っていた。

 パックスは顔を上げ、俺の後ろを見た。

「ランドルフ」
「ハッ」

 びっくりした。
 いつの間にか、俺のすぐ後ろに、ランドルフが立っていた。
 死神が後ろに。
 心臓に悪い。

「前に話した通りに頼む」
「仰せのままに」
「よし」

 前に話したってなんだろう。
 そう思った次の瞬間。
 パックスがバルコニーの手すりをヒョイと乗り越えた。

「あ」

 ここは五階。
 落ちた。
 え?
 飛び降りた!?
 え?

「うおおおおおっ!」

 ザノバが走った。
 間に合うはずもないのに、手を差し伸べながら走った。
 手すりを掴んで身を乗り出し、そのまま手すりを破壊して、落ちていった。

「ざ、ザノバ!」

 俺は慌てて踵を返し、部屋を飛び出した。


---


 パックスは庭で死んでいた。
 ザノバは膝をついてその亡骸を抱き、呆然としていた。

「ああ、師匠、はやく治癒魔術を……」

 ザノバは呆然とした顔でそう言った。
 俺は懐から治癒魔術のスクロールを取り出し、ザノバに貼り付けた。
 五階から落ちたせいか、こいつも打撲の跡がある。

「余ではなく、パックスに……」
「……」

 俺は無言で首を振った。
 パックスはすでに死んでいる。

 頭から落ちたのだろう。
 無残なものだ。
 痛みはほとんどなかったと思いたい。

「そうですか……」
「ああ、残念だが」

 あんな唐突に飛び降りるとは思わなかった。
 でも、最初からそう決めていたのかもしれない。
 周囲は敵だらけで。
 城を脱出しなかったのも、味方がどこにもいないと思っていたからかもしれない。
 それで、数日は悩んだのだろう。
 結果、自分が王になるのを失敗したと悟って。
 最初から、死ぬつもりで。

「師匠……」

 ザノバは、パックスの亡骸を抱いたまま、空を見上げた。
 きれいな満月をバックに城の最上階が見えた。
 王のいない城。
 もぬけの殻。

「余は何をしていたのでしょうな……」
「……」
「もしかして、余はずっと空回りをしていたのでしょうか」
「そんな事はないさ。お前はお前なりに頑張ってたよ」

 ただ、その頑張りはパックスにはわかってもらえなかった。
 パックスは他人に認められたいと言っていたが、
 他人を認めることが出来なかった。
 まあ、それ以前に、ザノバに眼中もくれていなかった感じだが。

 それでも、もっと時間を掛ければ、わかってくれたんじゃないだろうか。
 俺はパックスを、どうしようもない奴だと思っていたが、
 それでも、パックスがザノバを認める日は、あったんじゃないだろうか。

「どうして、こんな事になったのでしょうなぁ」
「…………わからん」

 ザノバはしばらく沈黙した。
 その後、ふと思い出したかのように、俺の顔を見た。

「もしかして、これも、ヒトガミとやらの仕業なのですかな?」

 今回、どこにヒトガミがいたのかはわからない。
 結局、使徒を名乗る奴も出てこなかった。
 ただ、本来ならパックスは、色々あって、この国を共和国にするはずだった。
 それがなくなった。
 関与しているのなら、共和国誕生を阻止された形になる。
 あるいは、ヒトガミの目的は、最初から最後まで、パックスの命だったのかもしれない。
 あいつは未来が見える。
 直接的に殺さなくても、精神的に追い詰めれば、パックスが自殺することはわかっていたのかもしれない。

 そうじゃないにしても。
 今回、ヒトガミがまったく関わっていないにしても。
 思い返せば、俺は最初、ヒトガミの指示でこの国にきたのだ。
 オルステッドいわく、ヒトガミは将来のシーローン共和国が煙たい存在らしいし。

 結果、パックスは王竜王国に行った。
 なら、ヒトガミがパックスをどうにかしようとしていた事には、間違いあるまい。

「そうだな」
「…………そうですか」

 ザノバは、ゆっくりと亡骸を地面に横たえた。
 そして、ゆっくりと、息を吐いた。
 泣きそうな顔に見えるが、涙は流れていない。
 俺だったら泣くだろうな。

 ザノバは最後に、ぽつりと言った。

「帰りましょう」

 俺はそれ以上なにも聞かず、うんと頷いた。
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