第二百四話「カロン砦」
謁見の翌日。
俺は出立の準備をザノバに任せ、宿に戻った。
ロキシーと合流だ。
ロキシーは完全武装のまま、宿の一室に待機していた。
けだるそうだったが、俺の姿を見るとすぐに立ち上がり、駆け寄ってきた。
「大丈夫でしたか? 連絡がなかったので心配していましたが……」
「はい。何事もありませんでした」
彼女は朝食がまだだというので、宿屋の一階で食事を取りつつ、謁見の内容を伝える。
パックスがヒトガミの使徒である可能性が低い事。
ヒトガミの意図がわかりにくい事。
王竜王国の国王が怪しい事。
起こったことと、気になった事を全て。
「……ふむ」
ロキシーはスープをカチャカチャと飲みつつ俺の話を聞いて、難しい顔をした。
「正直、寝不足であまり頭が働かないのですが……」
「ですよね」
目の下にうっすらとクマもできているし、全体的な動きも鈍いな。
たった一晩の徹夜でと思うかもしれないが、前日まで移動しっぱなしだった。
その上で戦闘態勢。慣れた冒険者でも、やっぱり疲れるもんだ。
「戦いは無し。
パックス王子は理知的に。
ヒトガミの名前は出てこなかった……。
これでは、何も判別できませんね」
さすがのロキシーでもわからないか。
俺の説明も足りていないかもしれない。
「戦いがなかったのなら、わたしも行っておけばよかったかもしれません」
「どうしてですか?」
「自分の耳で聞けば何かわかったかもしれませんから」
ああ、それはあるかもしれない。
俺は謁見中、ヒトガミの罠や、死神についてばかり考えていた。
自分の予想してない方向に、なぜだと首を捻ってばかりいた。
なら、別の思惑について考える頭が必要だったのかもしれない。
その頭がロキシーだったのかもしれない。
まあ、過ぎた事を言っても仕方がない。
「……ヒトガミの罠、どこにあるんでしょうね」
「うーん……罠はオルステッドの考えすぎで、実は何の関係もなかったのではないですか?」
「仮にそうだとしても、最悪のケースを想定して動きましょう。軽視すると、俺たち家族の首を締める事にもなりかねません」
救世主になるというララが泣き叫んだのも気になるしな。
今のところ、ヒトガミの気配はないが、何かあるかもしれない。
何かだ。
「そうですね、軽率な発言でした」
ロキシーはぺこりと頭を下げた。
「仮に罠だとして、呼び出して叩くだけなら、罠とはいえないでしょうから、何かを隠しているのだと思います」
「何かを……例えば?」
「例えば……今朝方、ジンジャーさんが情報を持ってきてくれました」
「ほう」
ジンジャーの姿は見えないが。
彼女も裏で動いているということだろう。
「現在、北のカロン砦には、たった500の兵しか詰めていないという話です」
「500」
数字だけ聞かされても、多いのか少ないのかわからないな。
500しか、という言い方を見るに、少ないのだろうけど。
「対する敵の戦力は、約5000だそうです」
そりゃひでえ。
十倍も差があるのか……。
勝ち目は無いじゃないか。
「それについては聞きましたか?」
「…………いえ」
少なくとも、俺はその話を聞いていない。
ただ行けと言われただけだ。
「私もジンジャーさんから聞いただけの話ですが、
パックス王子はカロン砦が最小限の兵力で持ちこたえている間に、
後方にあるリコン砦に傭兵を集め、迎え撃つつもりだという話です。
その戦略については聞いていますか?」
「……いいえ」
初耳だ。
だが、そうか。
カロン砦は捨てるのか……。
表向きはザノバを迎え入れて、使い捨てる。
ザノバが死ぬまで敵軍を引き止めるのに貢献している間に、自分は自分で戦力を整えられる。
パックスがザノバを邪魔に思っているのなら、まさに一石二鳥だな。
「また、ルディへの罠にもなりますね」
「と、いうと?」
「わたしも戦争は初めてですが、かつて一人の聖級魔術師が1000人の兵を押しとどめた、という記録を読んだことがあります」
そんな記録があるのか。
一騎当千。
聖級魔術の規模を考えばわからなくもない。
「わたしは王級。ルディは帝級相当。
二人が砦に赴けば、かなりの時間、持ちこたえられるはずです」
うむ。
5000人ともなれば一気に殲滅する事は難しいかもしれない。
いきなり全軍で突撃してくれば魔術で一気に殲滅するだけだが、
向こうだって情報収集ぐらいはする。
王級、帝級の魔術師がいるという情報はどこかで漏れるだろう。
そんな砦に、固まって突っ込むなんて馬鹿な真似はすまい。
あるいは突っ込んできたとしても、
5000人もいれば、相当数の魔術師もいるだろう。
そんな魔術師たちに一斉にレジストされれば、いくら聖級魔術でも無効化される可能性がある。
いや、無効化されたらもう一発打てばいいだけの話なんだけど。
「しかし、魔力総量には限りがあります。疲弊もするでしょう」
その程度で俺の魔力総量が切れるとは思えないが。
ともあれ、戦っていくうちに疲労は貯まるだろう。
魔力総量も無限ではない、使った分だけ減るはずだ。
「その疲弊した所を狙って『死神』を送り込み、確実に……という可能性はどうでしょうか。罠っぽく思えませんか?」
「おお、確かに」
「それから」
さらに、ロキシーはスプーンを指先のように立てた。
先生のポーズ。
「使徒は三人と言いましたね」
「はい」
「王竜王国の王はパックスをやや無理矢理、王にした。ゆえに間違いないとして……。
その段階では敵国が攻めてくるかどうかはわかりませんよね?
ルディだったら、どこに使徒を配置しますか?」
どこに配置するって……。
あ、敵国か!
シーローンは王竜王国の属国みたいなものだ。
攻め入ればリスクを犯すことになる。
国内でも反対意見は出るはずだ。
それを押し通すための使徒。
カロン砦を攻めてくる国の王族……いや、将軍あたりがいいか。
「ヒトガミに助言をもらいながら、俺たちを疲弊させ、死神を使って確実にか……確かに」
ロキシーの予想を聞いたお陰で、俺の方でも少し考えがまとまった。
ヒトガミの使徒の可能性が高いのは二人。
一人は王竜王国の王。
もう一人は、カロン砦に攻めてくる敵国の偉い人。
じゃあ、三人目はどこの誰だろうか。
アスラ王国の時だと……ルークだった。
てことは正直、ザノバあたりが怪しいが。
昨日話した感じでは、使徒っぽくはなかった。
じゃあ、ジンジャーとか。
アスラ王国での編成を考えると、死神あたりも怪しい。
もしくは、パックスの隣にいた、あの王女様の可能性もある。
今まで、ヒトガミは二人以上の駒を使ってこなかった。
となれば、今回も二人で、最後の一人は別の場所で次の手に向けて動いている可能性もある。
つまり、三人目がいない可能性だ。
色んな可能性があるな。
三人目はまだ判別できない。
しかし二人は大体固まった。
やはり、ロキシーは頼りになる。
「仮に、カロン砦が虎口だとするなら、どうしましょうね」
「……そうですね。ひとまず、相手の思惑に乗らないことが重要だと思いますが……」
「カロン砦に行かないのが一番ですよね」
けど、ザノバはすでに行く気まんまんだ。
止めても行くだろう。
一人でも行くだろう。
でも、パックスが兵力500しかない場所に、ザノバを送り込んだ、という事は説得の材料にもなる。
パックスはザノバを殺そうとしている……というほど強い感情は持っていないにしても、死んでもいいとは思っている。
使い捨てようとしているのだ。
無論、その理由だけじゃザノバは止まるまい。
ザノバは出掛けに、「国を守るのが義務だ」と言っていた。
なら、敵が攻めてくる状況で「帰ろう」と言っても、頷かないだろう。
まてよ……じゃあ、その5000の敵をなんとかすれば、ザノバも満足するか?
パックスは、カロン砦が持ちこたえている間に、兵力を集めている。
つまり、カロン砦を守りきれば、国は安定するってわけだ。
国を守った事になるんじゃないだろうか。
「……カロン砦には行きましょう。ザノバは助けます」
「わかりました」
「問題は、罠に関してですね」
そう言うと、ロキシーも苦い顔をした。
とりあえず、『一式』は持っていくとしよう。
真正面から打ち破れれば、それが一番なんだがなぁ……。
「まあ、カロン砦につくまで時間はあります。色々考えてみましょう」
「はい、先生」
と、俺達の会話が終わった頃、ザノバの乗った馬車が到着した。
---
ザノバは500という数字を聞いても顔色一つ変えなかった。
むしろ、「まぁそんなもんでしょうなぁ」と嬉しそうに頷いただけだ。
あっけらかんとした態度。
思わず「こいつ、もしかして戦力差の事とかわかんないんだろうか」と思ったぐらいだ。
「いいか、ザノバ、子曰く『十なれば即ちこれを囲み、五なれば即ちこれを攻め、倍なれば即ちこれを分かち、敵すれば即ちよく闘い、少なければ即ちこれを逃れ、しかざれば即ちこれを避く。故に小敵の堅は大敵の檎なり』だ。つまり戦いは数だよザノバ。数の多い方が有利なんだよ」
こちらは砦持ちだが、10倍の戦力差では、持ちこたえることすら困難だ、と。
回りくどく説明すると、ザノバはぽかんとした顔で首をかしげた。
「数が多い方が有利な事ぐらいは存じておりますが?」
「じゃあ、なんでそんな明るいんだよ。10倍だぞ、10倍」
「いやいや師匠、10倍もあるわけないではないですか」
10倍も無いって……。
こいつ、マジかよ。
算数もできないのか?
「こっちは500、相手は5000だぞ? 500の10倍は5000だ。大丈夫か?」
「ふむ……師匠は余を試しているのですかな?」
ザノバはフッと笑った。
小馬鹿にしたような笑いだ。
ぐぬぬ、こんな顔をザノバにされるとは……!
「よいですか師匠」
そして、ベラベラと話し始めた。
「その計算では、師匠とロキシー殿が含まれていません。
聖級魔術師は運用次第では1000の兵に匹敵すると言いますからな。
それを考えればこちらの戦力は最低でも2500。
師匠とロキシー殿が二人とも王級以上であることを考慮すれば、3000以上と見ていいでしょう。
通常、城攻めには3倍の兵力が必要と言われていますが、
カロン砦は特に守りに適した位置にあります。
ゆえに、それ以上の兵力が必要となりましょう。
加えて師匠の魔力総量を考えれば……余裕すらありますな」
「…………」
絶句した。
予想以上の答えが帰ってきた。
こいつ、意外とっていうか、なんていうか。
「ず、ずいぶん詳しいね、ザノバ君」
「余は幼少期、この国の将となるための勉強を叩きこまれましたからな」
国を守るために生かされていた。
って言っても、別に飼い殺しにされてたわけじゃないのか。
そりゃそうだな。
戦場に出て暴れまわらせるにしても、状況判断をする知識を付けさせてやった方がいいだろう。
「師匠は初陣のようですが……ご安心ください。
余は昔、少し戦場に出た事もあります。
師匠とロキシー殿がいるのであれば、むざむざ敵に砦を明け渡すような事にはなりませぬ」
自信まんまんだ。
本当に大丈夫なのだろうか。
大丈夫じゃない気がする。
ていうか、カロン砦に行かない事が、現状ではベストだ。
少し、説得してみるか。
「でもパックスは少なくとも、ロキシーの存在を知らずに、お前を北の砦に配置しようとしたんだよな」
「まあ、そうなりますな」
「俺の魔力総量が凄まじく多い事だって、パックスは知らないはずだ」
「師匠、何が仰りたいのですか?」
まだ前置きの途中なんだが、そんなに急ぐなら結論を言おう。
ずばり、言うわよ。
「お前、捨て駒にされたんじゃないのか?」
「…………」
ザノバは、鳩が豆鉄砲をくらったような顔をした。
ザノバなら、どんな鉄砲も豆鉄砲だろうが、まぁそれはいい。
「確かに、パックスはもうお前の事を恨んでいないかもしれない。
でも、死んでもいいぐらいには思ってるはずだ」
「……まあ、そうかもしれませんな」
ザノバは頬をぽりぽりと掻きつつ、俺の言葉を待つ。
「そんなのに従う必要は、ないんじゃないか?」
ザノバは、フッと笑った。
なんだそんな事かと言わんばかりの表情だ。
「戦争では、誰かが犠牲にならねばならぬ時があります。最初に犠牲になるのは兵ですが、時には王族も、死なねばならぬ時があるのです」
「でもそれは、パックスの尻拭いだよな。他の王族を全部殺したんだ。お前がやる義理はないだろ?」
「誰かが失敗してもフォローをするのが大事だと、師匠もよく言ってるではありませんか」
ザノバはそう言いつつ窓の外を見た。
窓の外には、傭兵たちにまじり、普通の町人も歩いている。
普通の様子だが、しかし少し不安げな気配をまとっているようにも見えた。
ザノバは出掛けに言っていた。
他国との戦争が自分の義務だと。
なら、王がパックスで、パックスがザノバをどう思っていようが、関係ないのだろう。
……やはり、現時点で説得は無理か。
「わかった。変な事言って悪かったな」
「いえ、師匠が余の身を案じてくださっているのは、よくわかっておりますゆえ」
「そこまで言うなら、カロン砦を守ろう。俺は素人だから、お前の指示に従うよ。なんでも言ってくれ」
ザノバに置いていかれないためにも、そう言っておく。
「おお、ありがとうございます。師匠がいれば百人力ですな!」
よし。
ひとまず北のカロン砦とやらを守りきろう。
そうすれば、パックスも軍備を整えるし、敵国も攻めてこなくなるかもしれない。
時間が経てば、国も安定化するだろう。
国が盤石になれば、ザノバも国を守ったって事で、満足するかもしれない。
あとは王竜王国やパックスの仕事だ。
あれ?
この『王竜王国の属国』って状態から、どうやってパックスが共和制にするんだ?
んー……。
いや、オルステッド曰く、30年後の予定だって話だ。
なら今から30年の間に、また何か事件が起こるのかもしれない。
王竜王国の王が使徒なら、近いうちに崩御するだろうしな。
一度に全てを片付ける必要はない。
ザノバを連れ帰った後、あらためてオルステッドと相談すればいいだろう。
『ザノバを生きて連れて帰る』。
それが今回の俺の目的だ。
忘れちゃいけない。
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砦に向かうメンバーは、俺・ロキシー・ザノバの三人だ。
ジンジャーは、王都に残る。
ザノバが砦に向かうと聞いて少し悩んだようだったが、情報収集を続ける事にしたようだ。
何か、気になる事があるらしい。
王子をくれぐれも頼みますと、頼まれた。
それにしても、たった三人だ。
王子の出陣だというのに、見送りもない、護衛もいない、援軍も無い。
御者台に座るのはこの国の兵士だというが、態度はよそよそしい。
やはりパックスはザノバを捨て駒にしようとしているのだ。
魔導鎧『一式』はザノバの趣味の人形って事にして、パーツ毎に別途で運搬してもらう。
俺たちより、到着は遅れる。
この世界の運送業は、現代日本の運送会社と違ってルーズだしな。
俺の到着と魔導鎧の到着。
その間に何か起こるかもしれない。
心配だ。
魔導鎧『一式』用の大型ガトリング砲だけは自分で持っていくとしよう。
そんなに心配なら着て移動すればいい、とも考えた。
すぐにオルステッドとの戦いの時、魔力切れで死にかけた事を思い出した。
出来る限り、魔導鎧を着るための魔力は、温存させておきたい。
ともあれ、俺達は出発した。
---
戦場へは、大きな街道は通っていなかった。
田んぼのあぜ道のような細い道を、ひたすらに馬車で動く。
農村はあるものの宿場町はなく、時には野宿をしながら北へと向かう形となる。
「……」
道中、最初はヒトガミのことばかり考えていたが、
ふと「これから戦争に行くのだ」という事実に思い至った。
その途端、不安がもたげた。
体がこわばる。
戦争。
殺し合いはこの世界に来てから、まぁ、そこそこ慣れた。
しかし、戦争。
その字面には、言い知れぬ怖さがある。
殺す事でも、殺される事でもなく、
ただ戦争という現象に対する、怖さがある。
……ていうか、勝てるのだろうか。
先日の説明で、なんとか戦えそうって事は分かったが。
実際に戦争するのは初めてだ。
不安だ。
「師匠、見てください。冒険者の一団がいますぞ。こんな何もない場所であんな重装備をして、どこへ行くのでしょうなぁ」
不安な俺とは裏腹に、ザノバは実に楽しそうにしていた。
何かを見つけるたびに俺に報告し、笑いかけてくる。
スゲー明るい。
これから戦争にいくのだとは思えないほどだ。
「あれは、迷宮探索に赴くパーティですね。
ここらは迷宮が多いのですが、全ての迷宮が町から近いわけではありません。
本気で迷宮を踏破したいパーティは、ああして人の少ない迷宮に足を伸ばすのです」
ロキシーも落ち着いている。
ザノバほど明るくはないが、いつも通りだ。
戦争は初めてだと言ってたはずだが、おくびにもださない。
「おお、さすがロキシー殿。物知りですな」
「わたしも一時期、このあたりの迷宮に潜っていましたからね」
ブルってるのは俺だけだ。
なんで二人はこんなに落ち着いているのだろうか。
俺だけがなにか、安心材料を見落としているのだろうか。
もしかして彼らにとって、俺が安心材料なのだろうか。
だとすると、あまり不安は顔に出せないな……。
「そういえば、ロキシー殿は迷宮単独踏破の功績が認められ、我が国の宮廷魔術師になったのでしたな」
「はい、懐かしい話です」
「迷宮に単独で挑むなど、並の所業ではないと聞きます。
師匠の師匠であれば当然だと思っておりましたが、なぜそのような無茶をなさろうと?」
「え? ええっと、その、探しものというか、なんというか……若気のいたりですね」
「ほう、それは見つかったのですかな?」
「その時は見つかりませんでしたが、後日、見つけたというか、見つけてもらいました」
ロキシーは帽子の影から、チラチラと俺の方を見て言った。
ああ、これは例の話か。
ロキシーが恋人を探して迷宮に行ったとかいう。
「なるほど、青き髪の天才魔術師が結婚相手を探しに迷宮に入ったというのは本当だったのですな」
「そんなはっきりと言わないでください、恥ずかしいじゃないですか」
「良いではないですか、師匠も学校に入学した頃からロキシー殿の事をずっと前から慕っていたようですしな」
「本当ですか? シルフィといい仲だったのでしょう?」
「いや、それがですな、当初は余も知らなかったのですが師匠はロキシー殿の――」
ザノバとロキシーは楽しそうに昔話に花を咲かせている。
普段だったらザノバに嫉妬の一つもする所かもしれないが、
今はどうにもそんな気になれない。
「まぁ、昔からルディはわたしの……ルディ? どうしました?」
気づくと、ロキシーが俺の顔を覗きこんでいた。
顔が近い。
キスでもしようかと思ったが、やめておく。
「いや、ザノバは、戦争に行くのに、随分楽しそうだと思って」
「ハハハ、余も男ですからな! なんだかんだ言って、死力を尽くした決闘や戦は心が踊ります!」
「……」
不安だ。
---
9日後。
カロン砦は、思った以上に立派な砦だった。
遠目に見た外見は石造りの小振りの城といった風情。
どこにでもありそうな感じで、やや頼りないという第一印象だった。
だが、立地はいい。
三角州のような川と川の合流地点に立てられているのだ。
確か、かの有名な墨俣一夜城もこんな場所に建築されたはずだ。
さらに言えば、川より先には森が広がっている。
森を抜ければシーローン王国に入るのはたやすいが、軍隊を率いて森を抜けるのは困難だ。
特にこの世界の森には、魔物が出るからな。
魔物と戦って足止めをくっている間に先回りして、森の出口で魔物と挟み撃ち。
なんて行動も可能だ。
まさに要害の地、というやつだろう。
近づいてみると、思った以上に威風堂々としており、屋上には物見櫓や投石機のようなものも設置されているのも見えた。
500人しか詰めていないと聞いていたので、もっと小さくてちゃっちいのを想定していたが、立派なものだ。
しかし、そこで動く兵士たちの数は少なく、顔色も暗い。
敵が圧倒的と聞いて、沈んでいるのだろう。
「師匠、ロキシー殿、こちらへ」
俺たちはザノバに率いられ、砦の責任者である部隊長の元を尋ねた。
部隊長は、作戦会議室と思しき場所で、数人の副隊長たちと地図を前に頭を突き合わせていた。
「何者だ?」
「シーローン王国第三王子、ザノバ・シーローンである」
「……!」
彼らは胡乱げな目を向けてきたが、ザノバが名乗った瞬間、すぐに膝をついた。
「シーローン王国騎士ガリック・バビリティ、カロン砦防衛隊隊長を勤めております」
「うむ、今までご苦労。王より文が届いていると思うが……」
「ハッ、先日受け取りました」
「ならば話が早い。翌日から余がこの砦の指揮官となる。良いな」
「……ハッ」
ガリックから、不満気な気配が感じ取れた。
自分がトップから外されるのが嫌というより、こんな奴に指揮権を譲るのか、という感じだろうか。
彼も今まで砦を守ってきたプライドがあるのだろう。
一応仲間なのだから、仲違いしない程度にフォローしといた方がいいんじゃなかろうか。
「とはいえ、余も戦場に出るのは久しぶりだ。ゆえにあくまで補佐的な立場に徹し、実際の指揮に関しては、引き続きガリック殿に頼みたい。良いか?」
「ハッ」
と、俺が何かを言うまでもなく、ザノバがフォローしていた。
うんうん。こういうのはベテランに任せるのが一番だよね。
「さて、さっそくだがガリック殿。兵の士気を上げたい、この砦にいる全兵士を集めてもらおう」
「ハハッ!」
ザノバの言葉により、砦に残る兵士と顔合わせをすることになった。
小一時間後。
砦の外に備え付けられたお立ち台の前に、400名近い鎧姿の軍勢が並んでいた。
50名は砦の上にいる。見張り役だ。
残り50名は、偵察やら輜重部隊の護衛やらで、この場にはいないらしい。
並んでいる連中は誰もが力強く、ふてぶてしく、タフな顔をしている。
思った以上に精悍で、そして壮観だ。
500は少ないと思っていたが、実際に目の当たりにするとそんな気持ちにはならない。
これだけいればなんとかなるんじゃなかろうか。
いや、相手はこの10倍だから、なんともならんのだろうけど。
彼らはザノバが壇上の姿を現すと胡乱げな顔を向けてきた。
誰もが士気が低い。
王族の前だというのに、ヒソヒソと隣と話している者もいる。
「シーローン王国第三王子ザノバ・シーローンである」
「ザノバ殿下! 我ら一同、貴方と共に戦える事を光栄に思います!」
最前に立つ部隊長は胸を張ってそう言ったが、お世辞だろう。
彼自身も、あまりザノバを歓迎していない気がする。
何しにきたんだって顔だ。
「うむ」
ザノバは大仰に頷き、兵士達を見下ろした。
俺があげた全身鎧と棍棒のせいか、何やら様になって見える。
「まず、状況を説明せよ!」
「ハッ! 現在、敵方との小競り合いが続いております。
捕虜を尋問した所、近々、大攻勢に移るつもりであると判明しております」
「なるほど。ならば時間は無いな」
ザノバは、うむと頷いた。
部隊長は、ちょっと不安げな顔だ。
本当にわかってんのかって顔だな。
ザノバは胸と大声を張り上げる。
「まずは諸君らに、援軍の紹介をしよう」
援軍と聞いて、兵士たちの顔が少しだけ明るくなった。
ああ、士気が上がる瞬間って、わかるもんなんだな。
しかし、援軍なんてどこにいるんだろうか。
少なくとも、パックスからはもらっていない。
と、思ったら、ザノバが俺たちの方に目配せをした。
俺とロキシーは促されるように壇上に上がった。
「おい、あれって」
「前に一度……」
「でも確か……」
兵たちがざわめきだした。
そいつらは、主にロキシーの方を見ている気がする。
戦場では女が少ないから、ロキシーに野獣の目を向けているのだろうか。
ロキシーは可愛くて美しい上に神々しいからわからんでもないが……。
女兵士も、ロキシーを見てる。
しかし、男も女も、見ているのは年かさの人物が多い気がする。
三十代から四十代。
「諸君!
敵は多数、味方は少数。
敵の大攻勢も予想されるときて、
皆の者も、さぞ不安に思っていることであろう。
しかしながら、今回は魔法都市シャリーアより、
非常に強力な援軍を連れて参った」
ザノバが目配せしてくる。
なるほど、援軍ってつまり俺たちか。
そうだな、聖級以上は一騎当千。
俺とロキシー、二人合わせて2000万パワーだ。
「どうも」
ロキシーが帽子を脱いで挨拶をした。
兵達のざわめきが強くなる。
「やっぱり! あれは、宮廷魔術師だった……」
「王級魔術師の――」
「今の教練の基礎を作ったっていう……」
ザノバはドヤ顔をしつつ、ロキシーの説明を始めた。
「こちらはロキシー・ミグルディア。
かつて我がシーローン王国の宮廷魔術師だった者だ。
知っている者も多いかと思うが、現在の対魔術教練の基礎を作った者でもある。
それに、その弟子であるルーデウス・グレイラット。
ふたりとも、王級以上の凄腕魔術師である」
おおおっ、と場がざわめいた。
なるほど。
ロキシーはかつて、この国の宮廷魔術師だった。
兵たちの中には、当時からこの国で兵士をしていたものもいるのだろう。
でもなザノバ。
今のロキシーは、ロキシー・ミグルディア・グレイラットだ。
間違えちゃいかんよ。
まあ、ミグルティアだけの方が通りがいいんだろうけど。
「聖級魔術師は1000人に相当するという話は、諸君らも聞いたことがあろう。
ならば王級魔術師はいかなるものか……!
知らぬ者もいるかもしれぬが、実は過去のラプラス戦役において、一人の王級魔術師が10万の大軍を押しとどめたという記録もある!」
場がシンと静まり返った。
10万はフカしすぎだろ。
俺はそんな話聞いたことねえぞ。
だが、信じた者もいるらしい、俺の方を憧れの目で見ている奴もいる。
「そんな王級魔術師以上の二人に加え、神子であり『首取り王子』の異名を持つ余が、前線にて直々に指揮を取る!」
神子や『首取り王子』という単語で、兵士たちに期待の表情が広がる。
俺がシーローン王国に行った時は忌み嫌われていた異名でも、
戦場となれば頼もしく聞こえるのだろう。
「余は、諸君らに勝利を約束しよう!」
ザノバが拳を握り、叫ぶように宣言した途端、
兵士たちは歓声を上げて、拳を突き上げた。
「オオオォォォ!」
士気は上々だ。
なかなかいい演説だったのではないだろうか。
ザノバは意外と、リーダーとしての素養もあるのだろうか。
今までそんなこと、一度たりとも思った事なかったけど。
王になるには素質が足りないだろうが、将になるには十分といった感じなのかもしれない。
しかし、この攻めにくそうな砦に加えて、二人の王級魔術師。
こちらから攻め出て勝つのは難しそうだが、守るのは容易だろう。
ザノバが自信満々で、兵たちがロキシーを見て歓声を上げるのも、わかる話だ。
拳を上げる兵を見続けていると、不安は薄れた。
ちゃんと修行もしてきたのだ。
頑張ろうじゃないか。