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無職転生 - 異世界行ったら本気だす - 作者:理不尽な孫の手

第15章 青年期 召喚編

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第百五十一話「不死魔王との決闘」

 不死魔王アトーフェラトーフェ。

 この魔王は、有名である。
 歴史に顔を出し始めたのは、第二次人魔大戦の頃。
 《五大魔王》不死のネクロスラクロスの娘として、魔族側の急先鋒となる。
 知能は低いが、極めて高い戦闘力と耐久力を持つ、残虐非道な魔王として人々に恐れられる。
 だが、その知能の低さゆえか、補給路を分断されて部下が全滅。
 人族に捕らえられ、封印される。

 復活したのはラプラス戦役の前。
 魔神ラプラスの手によって復活し、ラプラス側の魔王としてその名を轟かせる事となる。そしてラプラス戦役後、北神カールマンに敗北し、その軍門に下ったと言われている。

 一説によると、北神カールマンと魔王アトーフェは子を残し、それが北神カールマン二世となったと言われている。

 一説によると、北神カールマンは、魔王アトーフェに、己の剣術を教えこんだとも言われている。

 また、別の一説によると、北神カールマン二世に剣術を教えたのは、魔王アトーフェであると、そう言われている。

 つまりアトーフェは。
 百戦錬磨の経験を持ち、初代北神直伝の剣技を持ち、そして不死の肉体を持つ。

 絶望的だ。


---


 目の前にはアトーフェ。
 周囲は黒鎧たち。
 退路は塞がれ、アトーフェはやる気満々の表情で剣を構えている。

「さぁ、四人全員で掛かってくるがいい」

 アトーフェは、攻め込んではこなかった。
 剣を構えたまま、俺達の様子を探るように見ている。
 その目は真剣そのものだ。
 彼女の力なら、あるいは俺たちを蹂躙する事も可能だろうに。

「……今度は不覚はとらんぞ。オレは物覚えがいいのだ」

 そう言いつつ、爛々と輝く目で俺とザノバの方を交互に見ている。
 警戒されているのだ。
 ザノバの怪力と、俺の電撃を。

 魔王とはいえ、俺達の攻撃が全て回避されるわけではない。 
 だが、ダメージを負っているようには見えない。
 ザノバの拳で粉々に砕け散った頭部も完全に復活しきっている。

「さぁ、使ってみろ、今度はうまく受け流してやる」

 自信がありそうだ。
 今度は回避される気がする。
 この世界の剣術には魔術を打ち返す技がある。
 北神流については詳しくないが、でも仮にも魔王だ、俺程度の魔術は受け流してしまう気がする。

 一応魔眼は開いているが、1秒先が見えた所でどうにかなる相手なのか?
 どうする。
 ……まずは隙を作るべきだ。
 けれど、隙をつくって、それで、どうするんだ。

 そもそも、俺の魔術は通用するのか?
 最大レベルの岩砲弾だって、ノーガードのバーディガーディを殺せたわけじゃない。
 ましてアトーフェは構えている。
 防御されたら、どんな魔術でも……。

「ルーデウス」

 ふとエリナリーゼが耳打ちをしてきた。

「クリフだけでも、転移魔法陣に逃がしましょう」

 その言葉に、俺はクリフを見た。
 クリフは気丈な目でアトーフェを睨みつけていた。
 けれど、その足は震えている。
 戦力にはなりそうもない。

「お茶と、草と、メモ。三つ持っていけば、ナナホシは確実に助かりますわ」
「そうだな」

 そうだ。
 うん。そういう目的で来たのだ。
 ナナホシを助ける。それが目的だ。
 目的があるなら、目的を果たすのが一番だ。
 一番だが……。
 それでも、俺は、生きて帰りたい。
 ここで負けても、死ぬことはないけど10年も家族に会えないなんて、嫌だ。

「救援を要請するのも手ですわ。ペルギウスはアトーフェとの因縁もあるでしょうし、きっと助けてくれるはずですもの」

 ペルギウスと12の使い魔。
 なるほど、確かに彼なら、助けてくれるかもしれない。
 なにせ、ラプラスを封印した英雄だ。
 あんだけ偉そうにしてたんだし、アトーフェとも戦えるだろう。

「よし、じゃあ、そういう方向で……クリフを、説得できますか?」
「やってみせますわ」

 エリナリーゼがクリフの元へと下がる。

 俺と、ザノバと、エリナリーゼで、突破口を作る。
 そこをクリフが走り抜けて、転移魔法陣へと入る。
 クリフがペルギウスを説得して、その間、俺たちは耐える……。

 できるのか?
 耐え切れるのか?
 そして、クリフにペルギウスの説得が出来るのか?
 クリフが説得に手間取っている間に、敗北して契約とやらをさせられてしまうんじゃないのか?

 それでも、クリフが戻れば、ナナホシは助かる。
 あいつは助けたい。
 それが目的できている。
 でも俺も、帰りたい。
 ああ、くそっ。堂々巡りだ。
 落ち着け。

 まず、アトーフェを、どうにかして一時的に動けなくする。
 その隙に、周囲を囲む黒鎧たちを魔術で蹴散らし、クリフを逃がす。
 その時に、状況次第で俺たちも逃げられるなら、転移魔法陣に逃げ込む。
 よし。
 これでいこう。

 アトーフェは倒せないだろうが、周囲の黒鎧たちは別だろう。
 今度は本気だ。
 全滅させるつもりでいくんだ。
 いけるな。
 やれるよな。
 やろう、やる。
 殺る。
 この場にいる全員を皆殺しにしてでも、俺は帰る、よし。
 いいな、できるな。
 今度は口だけじゃないな。

「ご心配めされるな、師匠。魔王アトーフェは、余が命に代えても抑えます」

 ザノバは肝が座っていた。
 落ち着いていた。
 頼もしい。
 こういう時のコイツは、どうしてこうも男らしいのだろうか。
 劇場版なのだろうか。
 俺が女だったら惚れていてもおかしくない。

(でも、逃げ切れるかどうか、僕は足もそんなに早くないし、荷物もあるんじゃ……)
(追撃はわたくしとルーデウスで必ず阻止しますわ。クリフは後ろを振り返らず、何も考えず、一歩二歩と数えながら走りなさい。転ばないように)
(僕も戦闘に参加した方がいいんじゃ……)
(4人で戦っても勝てませんわ。救援を呼びにいくのも、立派な戦闘ですわよ)
(そうか……うん、わかった……)

 クリフたちの声が聞こえる。
 ここから、転移魔法陣への入り口まで、歩数にして30歩ほどか。
 近くもなく、遠くもなく。
 だが全力で疾走できる距離だ。

「説得できましたわ」

 少しして、エリナリーゼが戻ってきた。
 クリフを見る。
 彼は真面目な顔で頷いた。
 使命感を帯びた男の顔だ。
 自分ひとりで逃げるという顔ではない。

 救援を呼びにいくのも戦闘、か……。
 エリナリーゼの言葉のうまさが羨ましい。

「わたくしとザノバ、二人でアトーフェに隙を作りますわ。
 それに合わせてルーデウス、あなたが周囲の黒鎧を抑えてくださいまし」
「ああ」

 打ち合わせは終わった。
 アトーフェへと、向き直る。
 彼女は剣を構えたまま、こちらを睥睨していた。

「オレに勝てる目星はついたか?」

 彼女の後ろに、敵はいない。
 30歩。斜面で、足場も悪い。
 クリフは転ばず、走り抜けることができるだろうか。
 いや、やってもらわなければ。

「ザノバ、エリナリーゼさん、まずは俺が魔術で先制します」
「了解しましたわ」

 俺はアトーフェに向けて、杖を構える。
 使うのはいつも通り、岩砲弾だ。
 単体への火力なら王級魔術である『雷光』の方がいいだろうが、この距離では俺たちも全員巻き添えとなる。
 自分の魔術で全滅なんて、アホな結末は避けたい。

「ふぅ……」

 深呼吸をして、杖に魔力を込める。
 アトーフェは動かない。
 俺が無詠唱で魔術を使うのを知っているだろうに、こちらの動作を止めるつもりはないらしい。
 好都合だが……。

 <アトーフェが剣で岩砲弾を弾いている>

 魔眼には、アトーフェが俺の魔術を受け流している姿がありありと映っている。 
 ダメだ。俺の岩砲弾も相当なレベルだと聞いたが、アトーフェには、通用しないらしい。
 なら、電撃か?
 一番警戒されているであろう魔術を使うのか……?

「師匠。絶対にフォローに入りますゆえ、余を信じてくだされ」
「……ザノバ」

 頼もしい言葉。
 ……俺も腹をくくろう。

「よし、行きます!」

 最大まで溜められた岩砲弾を放つ。
 砲弾はキュンと音を立て、アトーフェへと飛んだ。

「見切ったぁ!」

 アトーフェが残像を残して動いた。
 ほんの少し、腕を動かし、剣の位置を変えただけ。
 しかしその刹那、剣と岩砲弾が接触し、すさまじい火花が飛んだ。
 岩砲弾は方向をそらされ、アトーフェの遥か後方、岩の斜面へと着弾した。すさまじい土埃が上がる。
 やはりダメか。

「うおおおおぉぉぉああああ!!」

 次の瞬間、ザノバがアトーフェに向かって何かを投げた。

「うにゃああぁぁ!?」

 その何かは叫び声を上げながらアトーフェへと向かって飛ぶ。
 アトーフェは喜々とした表情でそれを迎撃しようと剣を構える。

「見切っ……あ?」

 アトーフェは投擲された物体を剣で切り裂こうとして、その動きを止めた。
 直後、投擲物はアトーフェの顔面に着弾した。

「あぶあっ!?」
「うごぉ!?」

 アトーフェの顔にべちゃりと張り付いたのは……。
 ザノバの肩に乗っていたキシリカだった。

「ええい! 臭い! 風呂ぐらいはいれ馬鹿野郎!」
「妾だって好きで……うひゃあぁぁ!?」

 アトーフェはキシリカを掴み、天高く放り投げた。
 キシリカは包囲の外へとすっ飛んで、べちゃりと落ちた。

「まったく、なんてものを投げてよこすんだ……ぬっ!?」

 アトーフェが呆れた声を上げた時。
 ザノバは拳を握り締め、アトーフェの懐へと入り込んでいた。
 エリナリーゼが影のように追従している。
 しまった、俺も見とれてしまった。

「オレの懐に入るか、その意気やよし!」
「うおおおおぉぉぉ!」

 ザノバが拳を放つ。
 身の毛もよだつほどの威力のある拳が、風を切りながらアトーフェへと迫る。
 アトーフェは篭手を使ってあっさりと……。

「うぉお!?」

 受け流せなかった。
 ゴォンという凄まじい音と共に、アトーフェがたたらを踏む。
 篭手は不気味な形にひしゃげていた。

 ザノバはさらに追撃を仕掛ける。
 大きく踏み込み、アトーフェの胴体に向けて拳を――。

「あまいわぁ!」

 アトーフェが不自然な体勢のまま、大剣を振るった。
 ゴキンというすさまじい音を立ててアトーフェの足がひん曲がり、
 しかし勢いは無くならず、ザノバの胴体に剣が叩きつけられた。

「ぐっ……ううぅ」

 ザノバが苦悶の表情を浮かべ、膝をついた。
 あんな表情をするザノバは初めてだ。
 俺の岩砲弾をくらっても、痒ささえ感じないザノバが。
 一撃で……。
 アトーフェはそれを睥睨し、フフンと鼻息を吹いた。

「なかなかいい体を持っているようだが……覚えておくがいい。絶対の防御など無いのだ、それを我が夫カールが……」
「ハァッ!」
「むっ!」

 セリフの途中。
 ザノバの背中を踏み台にするように、エリナリーゼが飛び掛った。
 遠心力をもった斬撃は的確にアトーフェの首筋、素肌の部分を捉えていた。

 しかし、その斬撃はキンッという音と共に弾かれる。
 人の肌が立てる音ではない。
 闘気による防御か。

「まだ!」

 エリナリーゼは攻撃の手を緩めない。
 盾を構えつつ、ステップを踏んで刺突を繰り出す。
 剣から不可視の衝撃波が飛び、アトーフェに叩きつけられた。
 だが、 アトーフェは微動だにしなかった。
 そよ風で砂が目に入ったかのように、不愉快そうに眉を顰めただけだった。

「お前の剣は非力すぎる! いいか、それは、こうだ!」

 アトーフェが腰だめに大剣を構え、薙ぎ払った。
 その斬撃を、エリナリーゼはバックステップで回避しようとして――。

「っ!」

 あわてて盾を構えた。
 遅れて、ゴガンという音が響き、エリナリーゼが縦に一回転した。
 エリナリーゼは岩だらけの地面をゴロゴロと転がり、猫のように跳ね起きる。
 その眼に浮かぶのは、戦慄だ。

「だが、足運びの筋はいい。オレの所で鍛えれば一端の……」
「うおおおぉぉぁぁぁぁ!」

 アトーフェが何かを言おうとした瞬間、ザノバが起き上がった。
 跳ねるように、両手を広げて、アトーフェへと躍りかかる。

「あああああぁぁぁ!」

 そのままアトーフェに真正面から抱きついた。
 アトーフェの両腕をガッチリと拘束しつつ、ぐっと持ち上げて地面から離す。

「むっ、貴様、このオレに抱きつくとはなんと破廉恥な……ぐぶっ!」

 ザノバが万力のように力をこめると、アトーフェの口から、黒い血反吐が流れ出た。
 締め技は有効なのか!?
 いや、相手は不死魔王だ、一時的なダメージは無いものと見よう。

「師匠! 今です!」
「……!」

 ザノバの言葉に、俺は状況を理解した。
 アトーフェは抑えた。
 チャンスだ。

「クリフ、今だ、走れ!」

 杖にありったけの魔力をこめる。
 使う魔術は、範囲攻撃。
 周囲を囲む黒鎧を、一度に仕留めるつもりで撃つ。

「わかった!」

 クリフが走りだすと、周囲の黒鎧たちがハッとした表情で剣を構えた。
 だが、遅い。

「フロストノヴァ!」

 俺の杖から冷気がほとばしった。
 冷気の塊は地面をバシバシと凍らせながら、俺達を円状に囲む黒鎧たちに到達した。

「なっ!」
「むぅっ!?」

 狼狽する黒鎧たちは、足元から音を立てて凍りついていく。
 もらった……!
 完全に不意打ちだ。
 これでは、受け流すこともできまい。

 と、思った瞬間。
 声が響き渡った。

「――を以って、爆炎を身体に。『バーニングプレイス』!」

 一人の男から、周囲を焼きつくすような熱気が爆発的に広まった。
 まるで、俺のフロストノヴァに対抗するかのように。
 魔術を放った男と、その両脇の黒鎧が、湯気をあげて解凍されていく。

 使ったのは、ムーアだ。
 あの老戦士は、俺が杖を構えた瞬間から詠唱を開始し、そして時間差でレジストしたのだ。
 それにしても、なんて魔力、なんて詠唱速度だ。
 俺だって、決して手加減したわけじゃないのに……。

 だが、ムーアの魔術によって解凍されたのは、彼と両脇の2名のみ。
 他は完全に氷の彫像と化そうとしていた。
 単純な魔力の差で、俺が勝ったのだ。

 そして、俺は、ついに人を殺し……。

「我らが黒鎧を凍りつかせるとは……なんという魔力よ! 全員、バーニングプレイスを唱えよ!」
「はっ! 天と地にあまねく火の精霊よ――」

 ムーアが周囲に向かって叫ぶと、凍りついた鎧たちの中から詠唱が始まった。

 死んでいない。
 誰も死んでいない。

 あの鎧か。
 あの鎧は氷魔術に対する耐性を持っているのか。
 くそっ。
 使う魔術を間違えたか!?

「むっ」

 クリフが、アトーフェの脇をすり抜けた。

「ムーア、逃すな!」
「ハッ!」

 アトーフェの叫びにムーアが動いた。
 やや遅れて、ムーアの魔術にて解凍されていた黒鎧も走りだす。
 と、黒鎧二人の前に、エリナリーゼが滑りこむように割り込んだ。
 そのまま剣を構え、牽制する。

「ルーデウス! 奴を!」

 ムーアは後ろを振り返らず、クリフを追っている。

 クリフは大荷物な上、鉢植えを持っている。
 ムーアは鎧を着ているが、速い。
 あと7歩ぐらいでクリフに追いつく。
 俺はムーアに杖を向けた。

「岩砲弾!」

 <ムーアはアースウォールを詠唱し、岩砲弾を止めようとする>

 いける。間に合う。
 俺は杖に出来る限りの魔力を込めて、魔術を放った。

「大地の……ぐっ!」

 ムーアは走りながらこちらに手を向け、詠唱しようとした。
 しかし、レーザーのような岩砲弾が腕に突き刺さり、ムーアの腕が鎧ごとはじけ飛んだ。
 片腕となったムーアはよろけ……しかし足は止まらなかった。

「氷の精霊よ、我に力を――『氷結結界(アイシクルフィールド)』」

 ムーアの魔術で、彼の周囲が霧に包まれる。
 スモークを焚いて俺からの銃撃を回避するつもりだ。
 それにしても、詠唱が短い。
 ロキシーみたいに、詠唱を短縮しているのか!?

「ウインドブラスト!」

 俺の杖から風が発生し、霧を吹き飛ばす。
 ついでにムーアも吹き飛ばそうとしたが、
 奴はなんの痛痒もなく、クリフに迫っていく。

 あの黒鎧は、風系統も軽減するのか。
 いや、水と風だけではない、他の系統に関しても軽減されると見るべきか。
 どうする。
 奴はあと6歩で追いつく。
 一撃でしとめなければ、回避されればクリフが――。

 その時、予見眼がとらえた。

<ムーアが走りだしながら、魔術を唱えはじめる>

「死せる大地にあまねく精霊たちよ!
 我が呼びかけに答え、かの者を――」
「乱魔!」

 咄嗟に放ったのは、家で幾度となく練習した魔術だった。
 シルフィと一緒に練習した、魔術。
 それは寸ぷんの狂いなくムーアの作りかけていた魔術に当たり、散らした。

「バカなっ! 乱魔(ディスタブマジック)だと!?」

 ムーアは愕然とした顔で、己が手を見た。
 だが、足は止まらない。
 あと5歩。

 俺は続けて、左手で彼の行く手をさえぎるように、魔術を放つ。
 やはり、使い慣れたものを使うべきだ。
 いかに相手が熟練でも、俺が今まで培ってきた戦術が通用しないわけがない。
 そういうシミュレーションはしてきただろうに。

「泥沼!」

 ムーアとクリフの間に、巨大な泥沼が発生した。
 粘着性の高い泥沼にムーアは足を踏み入れそうになり……。

「むっ……不確かなる神よ! 
 我が呼び声に答え、大地より天を突け!
 『土槍(アースランサー)』!」

 ムーアは即座に、己の足元にむけて魔術を放った。
 彼の足元から、一抱えもある土の槍が突き出る。
 ムーアは斜め方向に伸びた槍を走り、一瞬にして泥沼を飛び越えた。
 ムーアの足が止まらない。
 あと4歩。

 対処される。
 レジストされる。
 こんなのは想定外だ。

「ルーデウス、クリフを! 急いで!」
「わかってる!」

 エリナリーゼの叫び。
 チラリと見ると、彼女はムーアの両脇にいた二人を相手にしている。
 二対一。
 黒鎧は積極的に攻撃しようとはしていないが、しかし抑えるので精一杯か。

「ええい、はなせ、放さんかこの破廉恥漢が! 抱きつくな! せめて殴り合え!」
「死んでも離さんぞ!」

 ザノバはアトーフェから頭突きをくらい、額から血を流しつつも頑張ってる。
 俺がやらなければ。

 他の黒鎧たちも、続々と己の鎧を解凍しはじめている。
 あたりには湯気が立ち上り、うっすらと白く染まっていた。

「くっ」

 どうすればいい。
 どうすればムーアの足が止められる?
 奴は強い。魔術戦の経験値が俺と段違いだ。
 単純な魔術では対処されるだろう。
 もっと強い魔術で吹き飛ばすか?
 ダメだ。どれだけ威力が高くても、クリフを巻き込むような範囲では使えない、それにムーアの対応力に加え、あの鎧があるのでは……。

「……!」

 その時。俺は自分の足元がぬれていることに気づいた。
 先ほどのフロストノヴァの影響だ。
 凍りついた周囲の奴らがバーニングプレイスを唱えて溶かした事で、周囲一体が水浸しになっていたのだ。

 濡れているのは真っ先に解凍したムーアも例外ではない。
 むろん、俺やエリナリーゼの足元にも、水たまりが出来ていた。

 あの魔術は、アトーフェも初見だった。
 ってことは、ムーアも見たことはないかもしれない。
 だが、ここでアレを使えばどうなるか。
 俺も、エリナリーゼも、ザノバも巻き込まれる。
 巻き込まれないのは、クリフだけだ。
 クリフは範囲外にいる。
 巻き込まれない。


 そう判断した瞬間、俺は迷わなかった。


電撃(エレクトリック)!」

 感電死しない、ギリギリの魔力で電撃を放った。

 ムーアに向けて、一瞬で紫電が走る。
 パァンと大きな音を鳴り響き、すさまじい放電現象が起こった。
 紫電は周囲を無差別に舐め、地面に落ちた。
 濡れた地面は電撃をやすやすと周囲に広げ――水に濡れた者たち全てに、通電した。

「ぎゃぁぁぁ!」
「ぐうぁぁ!」
「うおおおぉぁぁぁ!」

 黒鎧たちが煙を上げて倒れる。
 エリナリーゼも、ザノバも、アトーフェも。
 解凍しかけていた者も。
 そして、ムーアも。

 俺も。

「うぐああぁぁぁ!」

 俺の体にも、すさまじい衝撃が走った。
 背筋がのけぞり、関節という関節が、全て逆へと折れ曲がるような感覚。
 死ぬほどの魔力は込めていない。
 だから死にはしないとわかっている。
 だが、目の前が真っ暗になり、意識が飛んだ。

 ■■■■

 気づけば地面に倒れていた。
 気絶したのは2秒もないはず。
 体はしびれて動かない。
 視覚はある。
 どうなった。
 クリフは。

 顔を上げると、片膝をついたムーアが見えた。
 黒鎧の隙間から煙を上げつつ、クリフに向けて残った手のひらを向けている。
 ブツブツと聞こえるのは……詠唱か。
 乱魔を。
 いや、間に合わない。
 俺は左腕に魔力を送った。
 たとえ生身がしびれていようとも、義手は動く。
 左手の義手を開き、手のひらをムーアに向けた。

「『ウインドバインド』!」
「『腕よ、吸い尽くせ』!!」

 ムーアの出した、しなる風の鞭が、一瞬にして掻き消えた。

「なっ!」

 ムーアはバッとこちらを見る。
 表情は兜の下で見えないが、恐らく愕然としているのだろう。
 ざまあみろ。

 クリフは背後を振り返らない。
 あと3歩で転移魔法陣の入り口だ。

 もう、誰も追えない。
 誰も追いつけない。
 アトーフェですらも、痺れている。
 だが、その瞳は見開かれ、虎のような目で俺を見ていた。

「おのれ、やってくれたな。不思議な魔術を使いおって」
「……」
「だが楽しみだ。お前が我が配下に入るのが実になぁ……ククク、貴様のような魔術師を欲しいと思っていたのだ、可愛がってやるぞ、ククク……」

 アトーフェの獰猛な笑みを、俺は目線をそらさず、ただ受け止めた。

 これで、終わりか。
 不死の種族の回復は、俺よりも早かろう。
 もう、逃げられない。
 抵抗すらできない。

 ザノバは気絶してしまった。
 アトーフェに抱きついたままだが、今にもズリ落ちそうだ。
 あいつは、痛みに対する耐性が薄そうだ。
 電撃で、あっさり意識が落ちたのだろう。

 エリナリーゼは、体をガクガクと震わせながら立ち上がろうとしている。
 ダメージは俺とそれほど変わらないはずなのに、まだやるつもりだ。
 エリナリーゼは諦めていない。
 諦めたらダメだ。
 白髪のコーチもそう言っている。

 俺だってできる。
 やればできる。
 がんばろう。
 帰ろう。
 帰るんだ。

 帰って、帰ったら……そうだな、シルフィとエッチなことをしよう。
 ロキシーともしよう。
 ルーシーもだっこしてやるんだ。
 ノルンには剣術だけじゃなくて、魔術を教えてやって。
 アイシャの作った米を食べるのも、楽しみにしているんだ。
 リーリャ、彼女には苦労掛けてるな……。
 母さんの記憶もきっと戻るし、そうしたら、みんなで父さんの墓参りにいって。
 それで、今までどおり、笑ってくらす。
 楽しい楽しい異世界毎日。
 そうだ、そうしよう。
 それでいこう。

 ……よし、いける。
 動く。
 腕だけでも動けば、魔術は使える。
 杖は、杖はどこにいった。
 俺はあいつがないとダメだ。

 よし、あった。
 体の下敷きにしていた。
 ごめんよ、アクアハーティア、重かったろう。

 よし、いける、助けが来るまで粘る。
 それだけだ。
 勝つ必要はない。
 クリフ先輩、頼みます。
 ペルギウスの事、嫌いだろうけど、お願いします。
 うまいこと説得してください。
 たとえ今すぐは無理でも、一年以内には助けにきてもらえるように、お願い。

「えっ?」

 エリナリーゼの声なき声に、顔を上げる。
 彼女の視線の先を見る。
 クリフがいた。
 ちょうど、地下牢への入り口に到達していて。
 そこから出てきた黒鎧と、鉢合わせしていて……。

 黒鎧が、入り口から、出てきている。

「嘘だろ」

 ……中にも、いたのかよ。

「あぁ……」

 なんで思いつくことが出来なかったのか。
 目の前に穴があれば、いくらアトーフェだって、そこを調べさせようと思うだろうに。

「くっ……」

 胸の内に、黒いものが芽生えてくる。
 叫びだしたくなるような、脱力するような、勝手知ったる感覚。
 絶望だ。

 もう、シルフィに会うことも、ロキシーに会うこともない。
 俺はあのアホみたいな魔王の配下として一生涯、体を鍛えるのだ。
 俺は体から力を抜こうとした。
 諦念が、体をも支配していた。

 その時である。
 驚愕の声が聞こえた。

「なん……だと?」

 その声は、俺が発したものではなかった。
 エリナリーゼでもない。
 ザノバでもない。
 ムーアでも、もちろん無い。

 アトーフェだ。
 彼女が、クリフのほうを見て、言ったのだ。

「あ、アトーフェ様……」

 黒鎧がクリフを押しのけて、よろめきながら、斜面に出てきた。
 何か、様子がおかしい。

「あの、魔法陣の先は、ペル……」

 次の瞬間。
 黒鎧が縦に割れた。


 中身ごと、真っ二つに。


 そして、割れた体の向こう側。
 その人物が姿を現した。

 輝く銀髪。
 金色の三白眼。
 白い服は、返り血で斑に染まっていた。

「不死魔王アトーフェラトーフェか」

 彼は流暢な魔神語を喋りながら、入り口から現れた。

「まさかお前がいるとはな……だがリカリスに転移魔法陣をつなげれば、こうなる可能性も、少し考慮しておくべきだったか」

 彼の後ろから、続々と他のメンツが出てくる。
 光輝のアルマンフィ、空虚のシルヴァリル。
 他の奴らはどれがどれかわからないが。
 総勢、六名。

「貴様の薄汚い兵の血で、我が城が汚れたぞ」

 そうか。
 アトーフェは俺たちより、先にここについていた。
 転移魔法陣への入り口をすでに見つけていた。
 兵士たちにその奥の探索を命じていた。
 そして兵士たちは、転移魔法陣を見つければ、当然、そこに足を踏み入れるだろう。
 だから、出てきたのだ。
 空中城塞を、魔族に荒らされて。

「ペェェルギィウゥスゥゥ!」

 アトーフェが叫んだ。

 ペルギウス・ドーラ。
 『甲龍王』が、そこにいた。


---


 アトーフェはペルギウスの姿を見た瞬間、気配を変えていた。
 今までのように、戦いを楽しむものではない。
 先ほどとは比べ物にならないぐらいの殺気を放ち、
 親の仇を見つけたように、牙をむき出しにしてペルギウスを睨みつけていた。

「ペルギウス、お前ェェェ!」

 アトーフェは、しびれて動けない身体をよじらせ、ザノバを押しのけた。
 ザノバは力を失い、ズルリとずり落ちた。
 アトーフェはペルギウスへと向き直り、ブルブルと背中の羽を動かし。
 大きく溜めて跳躍しようとして、その膝をガクンと落とした。

「ハッハァー!」

 ペルギウスがそれを見て、愉快そうに笑った。

「なんだ、随分と愉快な事になっているな、アトーフェラトーフェ。また油断をしたか? 油断をするのは貴様ら不死魔王の血族のお家芸だったな?」
「こいつらはお前の差し金かぁ! オレを殺すために、こんな小細工を……カールとの盟約はどうしたぁ!」

 ペルギウスは笑いながらアトーフェを見下ろしている。
 アトーフェは怒気だけで構成された声で、叫んでいる。
 ムーアがよろよろとアトーフェに近づこうとするが、それも叶わない。
 この場で満足に動けるのは、ペルギウスたちと、クリフだけだった。

 ペルギウスは絶好の獲物を見つけた虎のように、アトーフェを見ている。

「勘違いするな。そやつらはただ、友を救わんと我に助力を願い出たというだけのことよ」
「嘘をつけぇぇ! うがぁぁぁぁ!」
「カールとの約束は守るさ。奴とは親友だからな」
「お前がカールの親友でも、オレはお前が嫌いだぁ!」
「…………我も貴様のような話の通じない愚か者は嫌いだ」

 ペルギウスはそう言うと、手のひらを上にしつつ、両手を持ち上げた。
 アトーフェが顔色を変えた。

「お、お前、まさか……」

 アトーフェの問いに応えず、ペルギウスは口を開いた。

「その龍はただ忠義にのみ生きる。
 両の爪は長く、鋭く、決して拳を握れない」

 その出だしは、どこかで聞いた気がした。

「かの龍が怒りしとき、拳は握られん。
 爪は折れ、牙は抜け、しかし思い知るだろう。
 忠義を握りし龍が、いかなる思いで忠義を捨てたかを!」

 一つ一つの言葉をかみ締めるように。
 そして、一つの言葉が出るごとに、周囲の魔力がペルギウスに集まっていくのを感じた。

「三番目に死んだ龍。
 最も鋭き瞳を持つ、白銀鱗の龍将。
 甲龍王ペルギウスの名を以って召喚する――」

 気づけば、アトーフェの左右、俺たち全員を挟み込むように、二つの門が現れていた。
 その門には、どちらも精緻な龍の姿が彫り込まれていた。
 装飾華美な白銀色の扉。
 装飾華美な黄金色の扉。
 ずるずると、地面から生えるように、門は生まれ出でた。

「開け『後龍門』」
「招け『前龍門』」

 ペルギウスのつぶやきと同時に、扉が開いた。

 風が吹いた。
 右の門から左の門へと。
 しかし、風ではなかった。
 何か流れのようなものが、できていると。
 だが、俺は知っている。
 この召喚魔術は、魔力を吸い込むものだ。

 俺の体の表面から、ズルズルと魔力が剥がされていくのを感じる。
 オルステッドの時とは違う。
 あの時よりもずっと早く体の魔力が、体力が、吸い取られていくのを感じる。

「あ、アトーフェ様、お逃げください……」

 こちらに近づこうと這いずっていたムーアがつっぷした。
 アトーフェは足をガクガクと震わせ、ペルギウスをにらみつけた。

「ペルギウスゥゥ!」

 その体は、先ほどより、少し小さくなったように見えた。
 もしかすると、あの門で闘気が拭い去られたのか。

「盟約を破る気かぁ!」
「破らんさ。ただ、このような千載一遇、滅多にないゆえな」

 ペルギウスが右手を上げた。
 手が白く染まっていく。
 やがて右手は発光しだし、眩しいぐらいの白が周囲を埋め尽くした。

「甲龍手刀『一断』」

 ペルギウスの手が、振り下ろされた。
 光はまっすぐにアトーフェへと飛び。抜けた。

「憶えていろ、ペルギウスゥゥ!」

 アトーフェはビクンと硬直した。
 そして、一瞬のタイムラグの後、後ろへと吹っ飛んだ。
 縦に体を真っ二つにされながらぶっ飛び、あっという間に俺の視界から消えた。

「ふん、どうせ死なんのだろう」

 ペルギウスはそう呟くと、興味を失ったかのように踵を返した。

「シルヴァリル。四人を回収し、手当てをしろ」
「他の兵は?」
「捨て置け」
「魔界大帝キシリカの姿も見えますが」

 シルヴァリルがそう言うと、俺の視界の端でうつぶせに倒れているキシリカがピクリと動いた。
 知らない間に電撃に巻き込まれていたらしい。
 ごめんよ。

「捨て置け」
「はっ」

 どうやら、キシリカも見逃してもらえるらしい。
 よかった。

「ふぅ」

 俺はシルヴァリルたちが近づいてくるのを見て、ほっと息を吐いた。

 ……助かった。


---


 それから。
 俺たちはペルギウスの配下によって城内に運び込まれた。

 クリフ以外は全員、肩に担がれての移動である。
 その間、クリフはキシリカと話をしていたようだ。
 俺が見た時、キシリカはいつものように笑い声を上げて、どこかへと消える所だった。
 次はもう少しわかりやすい所にいて欲しい所だが……まあいいか。

 全員が転移し終わった後、シルヴァリルが転移魔法陣を停止させた。
 もう、魔大陸への道は無い。
 ロキシーの両親に挨拶にいくのは、また今度になりそうだ。


 感電によって傷を負った俺たちは、医務室へと運ばれた。
 治療を担当したのはクリフである。
 彼は、自らすすんで治療を申し出てくれた。
 クリフは「こんな火傷、見たことないな……」と言いつつ、俺達の電撃傷を治癒魔術で綺麗に消してくれた。
 死ぬほどではないが、火傷が肉の奥まで浸透しており、かなり重症だと教えてくれた。
 放っておけば後遺症が残る、とまで言っていた。
 でもそれぐらいでなければ、不死魔王を行動不能には出来なかったかもしれない。

 クリフは、特にエリナリーゼの傷を丁寧に治していた。
 傷でも残ったら大変だと思ったのだろう。
 エリナリーゼはそんなクリフにキュンと来たらしく、治療が終わり次第、クリフを担いで何処かへと消えた。

 ザノバは気を失ったままだった。
 今回はこいつに助けられた。
 感謝してもしきれない。
 友情はプライスレスだが、礼を欠けば目減りする。
 起きたら、きちんとお礼を言っておこう。



 俺は治療が終わって動けるようになった後、シルフィの元へと向かった。

 シルフィはベッドに横たわったまま本を読んでいたが、部屋に入ってきた俺を見て、顔をあげて首をかしげた。
 どうしたの、と聞く彼女の問いに答えず、俺は無言でベッドに潜り込んで抱きついた。
 シルフィは小さな悲鳴を上げた。
 やや拒絶するような悲鳴に、悲しい気持ちになりながら、俺はシルフィの身体を強く抱きしめた。
 そこに彼女の身体がある事が、何よりも大事に思えた。

 アトーフェの笑い声が耳に残っていた。
 しびれて動けなくなった時の絶望が心に残っていた。
 あの戦いで死ぬことは無かっただろう。
 アトーフェは手加減していたし、黒鎧たちだって果敢に攻撃してくることは無かった。
 ムーアが使おうとしていた魔術も、殺傷力の高いものではない。

 けれど、怖かった。

 もし、ペルギウスが来てくれなければ。
 アトーフェに捕まり、契約とやらをさせられていれば。
 こうしてシルフィに抱きつくこともできなかった。
 ルーシーが大きくなっても、その姿を見れなかったかもしれない。
 ロキシーとも、ノルンとも、アイシャとも、誰とも、もう……。

 ただその事が怖かった。
 震えが止まらなくなるぐらい怖かった。

 ふと、頭をなでられた。
 シルフィの手が俺の髪を梳くように撫でていた。
 彼女の指は細くて、暖かくて、柔らかかった。

 シルフィは嬉しそうな顔で抱きしめ返してくれた。
 なんの説明もいらなかった。
 彼女は、ただ抱きしめてくれた。
 それだけで十分だった。

 俺はシルフィの腕の中で、安心して眠りに落ちた。
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