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無職転生 - 異世界行ったら本気だす - 作者:理不尽な孫の手

第15章 青年期 召喚編

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第百四十七話「慟哭」

 ナナホシが倒れてから、三日が経った。

 ナナホシの意識は、まだ戻らない。
 血を吐いた原因も、まだわからない。


 あの後、シルフィが助けを呼ぶと、すぐにアルマンフィが現れ、ナナホシを医務室へと運んでくれた。

 俺はその間に、他の面々を集めて、事情を説明した。
 ナナホシが体調を崩し、解毒魔術を掛けた所、血を吐いて倒れた事。
 現在医務室で治療を受けているという事。
 正直、唐突すぎて俺も状況が理解できていない、という事。
 他の面々は混乱しつつも、一応は納得してくれた。


 現在、ナナホシは『贖罪のユルズ』の手によって治療を施されている。
 贖罪のユルズには、治癒の能力がある。
 他者の体力を、健康を、別の者へと移し替える能力だ。
 解毒魔術とはまったく別理論の能力であるがゆえ、現在の解毒魔術で治らないと言われている病気でも、ある程度は治してしまう……らしい。
 ただ、一人では扱えないため、誰かの協力が必要であると言われた。
 その申し出に、シルフィが一も二もなく、自分がと申し出た。

 シルフィがナナホシの隣に寝かされ、治療が開始された。
 だが、ナナホシは意識を失いつつも苦悶の表情を浮かべ、咳も止まらなかった。

「カロワンテ。どうだ?」

 ペルギウスはその様子を見て、配下の一人に診察を命じた。
 『洞察のカロワンテ』。
 彼は他人の能力や隠し事を見破るという能力を持っている。
 こうした病気の時にも、その病状を見抜く力を持っているらしい。
 レントゲンのような能力だ。
 そんな彼は、ナナホシの容態を見て、首を振った。

「ユルズの力では、完治はしません」
「では書庫を調べよ」
「ハッ」

 そう言って、ペルギウスとその配下は、治療法と病名を探りはじめた。
 ナナホシの症状と、書庫にある文献とを見比べているらしい。
 俺も手伝うと申し出たが、書庫に入れるつもりはないと突っぱねられた。
 もちろん、その間にもユルズの治療は続けられ、シルフィも医務室から出てこない。

 結果として、俺は手持ち無沙汰になってしまった。

 もちろん、何もできないまま、無為に三日を過ごしたわけではない。
 一度、家に戻してもらい、ロキシーに事情を説明した。
 ナナホシが倒れ、シルフィが治療行為を手伝っている。
 そのため、帰るのに少し時間が掛かる、と。

 ロキシーはそれを聞いて、即座に行動を起こしてくれた。
 学校に連絡をいれて休学の届けを出し、家族への説明も済ませてくれた。
 そして、家の事は任せてください、と請け負ってくれた。
 彼女は俺よりもずっと冷静だったと思う。
 こうした事態に慣れているのだろうか。
 結局、俺が何もしないまま、やるべきことを済ませてしまった。
 俺はノルンとアイシャにもう一度、遅くなると告げて、追加の着替えなんかを持って、空中城塞に戻った。

 もっとも、戻ってきても、もはやすることはなかった。
 できることと言えば、ただナナホシの無事を祈るだけだった。

「……ナナホシ、治るかな?」

 俺と同様に手持ち無沙汰になっている者は、他にもいた。
 その筆頭がクリフである。
 彼は城内に作られた礼拝堂のような場所で、一心に祈りを捧げていた。

「全てはミリス様の御心のままだ」

 クリフは手を組んで眼を瞑ったまま、そう言った。
 困ったときの神頼みだ。
 俺は元々、神なんか信じていない。
 俺がこの世界で信じているのは、俺を助けてくれた人だけだ。
 だが、今ロキシーやシルフィに祈っても、気休めにすらならない事は、俺も重々に理解していた。

「……」

 ふと、昔見た映画のことを思い出した。
 宇宙人が地球を侵略してくる、有名な映画だ。
 宇宙人は圧倒的な科学力で地球人を圧倒し、滅ぼそうとする。
 しかし、ラストでは唐突に宇宙人の全ての機械が止まってしまう。
 宇宙人は、地球の風邪ウィルスへの抵抗力がゼロで、みんな風邪で死んでしまうのだ。

 ナナホシは、トリッパーだ。
 転生者である俺とは違う。
 歳もとらないし、魔力も無いらしく、魔道具の類も使えない。
 もしかすると、魔力だけでなく、免疫も無かったのかもしれない。

 いや、それだったら、もっと早くにこうなっていてもおかしくない。
 あの転移事件から、8年だ。
 ナナホシがこの世界に来てから、8年も経っているのだ。
 今更すぎる。

「……」

 あいつ。
 死ぬんだろうか……。

 なんでこんな事になったんだ。


---


 ナナホシが倒れて四日目。
 俺たちは円卓の間に呼ばれた。
 そこには贖罪のユルズを除く全ての使い魔が集合していた。
 そして、彼らの前に、ペルギウスがいた。
 彼は一人だけ、一際大きくて豪華な椅子に座り、使い魔達は彼の背後に立っている。

「お座りください」

 俺達はシルヴァリルに椅子を勧められ、言われるがまま席につく。
 現在、シルフィがユルズについて治療に行っているため、それを除く七名だ。

「ナナホシ様の病気が判明いたしました」

 俺達が席につくと、シルヴァリルが一歩前に出て、そう告げた。
 とうとう分かったらしい。

「ナナホシ様のご病気は、『ドライン病』です」

 ドライン病。
 聞いたことは無い。
 周囲を見ると、やはり知っている者はいなかった。
 この中で一番病気に詳しそうなクリフですら、困惑顔で首を振った。

「ご存知ないのも無理はありません。
 太古の昔。人の魔力が今よりもずっと少なかった頃の病です。
 当時、魔力を持たず生まれてきた子供が何人もいたそうですが、10歳ほどで例外なくこの病気に掛かり、命を落としたとあります」

 一応、ナナホシの状況に一致しなくもないな。
 ナナホシは十歳ではないが、この世界にきて八年だ。
 そして、魔力を持っていない……。
 ともあれ、シルフィのせいではないらしい。
 よかった。

「文献によると、魔力を持たぬ者は体外から入ってくる魔力を中和する力が弱く、
 10年ほど掛けてゆっくりと魔力を溜め込み、病と化す……とあります」

 魔力を持たぬ者は魔力を中和する力が弱い。
 ちょっと良くわからないが、魔力にも善玉菌と悪玉菌がいるという感じだろうか。
 魔力を持っている奴は、体内の善玉菌が悪玉菌を退治してくれるが、無い者は悪玉菌をそのまま体内に溜め込んでしまう。
 もっとも文献とやらがどこまで信用できるかは分からないが。
 しかし、説得力のある説ではある。

「その文献に、治療法は書かれていないのですか?」
「ありません。7000年ほど前、人の魔力が強くなったことで根絶した病である、と書かれております」

 7000年前というと、第一次人魔大戦の頃だろうか。
 確か、人魔大戦は1000年近く続いたって話だ。
 戦争というのは色んなものを進歩させる。
 人族も何らかの方法で、己を強化したのかもしれない。
 その副産物として、病が根絶された。
 そんな可能性はある。

 それにしても、7000年か。
 そんな昔の事となると、さすがに残っている文献も少ないだろう。
 病名が分かっただけでも奇跡かもしれない。

「それで、どうするんですか?」
「停滞させる」

 俺の問いに答えたのは、シルヴァリルではなかった。
 どっしりと座った、ペルギウスであった。

「時間のスケアコートの力を使い、ナナホシの時間を停滞させる」

 ペルギウスがそう宣言すると、一人の男が前に出た。
 口の部分が突出した仮面を付けた男だ。
 ひょっとこ、いや、ガスマスクが近いだろうか。
 彼が、時間のスケアコートか。

 確か、彼は触れた相手の時間を止める能力を持っている。
 同時に自分も停止してしまうが、それを使えばナナホシが突然死ぬ事も、病状が悪化する事もない。
 どれだけ長い時間止められるかもわからないし、根本的な解決にはなっていないが。

「なるほど、その後は?」
「地上にいる者に連絡をとり、治療法を探させる」

 うん。
 その方法なら、いいだろう。
 ペルギウスの名前で頼めば、ノーという奴はいないはずだ。

「もっとも、ナナホシを助けようとする者がどれほどいるかはわからんがな」
「甲龍王様のご威光で、なんとかしてくださるのでは?」
「我とナナホシは、ただの取引相手だ。我が誰かに借りを作ってまで助けはせぬ」

 ちょっと冷たいんじゃないだろうか。
 けど、ナナホシとペルギウスの関係がわからないから、口を挟みにくいな。

「勘違いするなよ。我が城にいる以上は客人であるから最低限、助けもしよう。
 だが、最大限は助けぬ。
 我はラプラスを見つけ、ラプラスを倒すことのみを目的として生きているのだからな」

 ラプラスを監視するお仕事があるから、必要以上の労力は割けない、って事か。
 誰かに頼めば貸しができる。
 貸しができれば返さなければならなくなる。
 まして、失われてしまった病の治療法だ。
 相手が要求してくるものは大きいだろう。
 ペルギウスがナナホシ相手にそこまでする義理は、無いのだろう。

 いや、十分すぎるほどの義理は払っているといえる。
 ナナホシの生命を繋ぎ止め、維持する。
 自分はそれ以上はやらないが、助けたい者がいるなら、助ければいい。
 ペルギウスはそう言っているのだ。
 間違ってはいない、と思う。

「……ナナホシを見捨てるつもりなのか!」

 そう叫んだのは、クリフだった。
 クリフは立ち上がり、ペルギウスに対して怒鳴った。

「見捨てるとは言っておらぬ」
「うそだ! あんたは、こんなにすごい城を持ち、こんなに有能な使い魔を引き連れている! なら、治療法を探す事だってできるはずだ!」

 クリフの言葉に、ペルギウスはぴくりと眉を動かした。

「出来る者が探さねばならぬ道理は無い」
「ふざけるな! 弱者を助けるのは、力を持つ者の義務だ!」
「ふん、ミリス教の忌々しい教義を押し付けるな」
「なんだと!」

 クリフはただ、感情のままに言葉を発しているのがわかった。
 彼はミリス教徒だ。
 ミリス教はキリスト教とよく似ている。
 困っている子羊には手を差し伸べるべし、なんて教義もあるのかもしれない。

 だが、それをペルギウスに言うのは間違いだ。
 ペルギウスは、ペルギウスの考えで動いている。
 400年も、ただ一つの目的のために動いているのだ。

 確かにペルギウスは、ナナホシの研究した異世界召喚の知識は欲しいんだろう。
 けど、それはラプラスという存在の上位には来ない。
 あくまで、暇つぶしか何かの一環なんだろう。

「お前が言ってるのは、ナナホシを見捨てるって事だ! 助けるならちゃんと最後まで」
「クリフ、おやめなさい!」

 クリフが椅子を蹴って立ち上がった瞬間、エリナリーゼが叫んだ。
 彼女はクリフの肩を強くつかみ、その動きを封じていた。

「クリフ、気持ちはわかりますが、抑えて」
「……」
「こんなことで、あなたを失いたくはありませんの」

 見ると、11人の使い魔が、全員身構えていた。
 ペルギウスは半腰のクリフを見て、嘲笑するように口元を歪めた。

「文句があるなら、自分で動いたらどうだ? 貴様の神もそう言っていよう。人を助けるに、人を頼る無かれ、だったか?」
「くっ……」

 クリフは悔しそうな顔をして、落ちるように椅子に座った。
 彼も、別にペルギウスに食って掛かりたいわけじゃないんだろう。
 ただちょっと、ペルギウスという強大な人物を前にして、何でもできそうだ、助けてくれそうだと思っただけで。

「ふぅ……」

 どうしたものか。
 ナナホシは助けてやりたい。
 しかし、方法がわからない。

 アリエルや他の面々の顔を見ると、やはり同じように思っているらしい。
 アイシャあたりもナナホシとは付き合いがあるし、死んだら悲しむだろう。
 それにこのまま死んでしまったら、シルフィが責任を感じそうだ。

 何か、俺にできることはないんだろうか。
 何も出来ないのだろうか。

「失礼します」

 と、そこで円卓の間の扉が開いた。
 贖罪のユルズだ。
 彼女は俺たちに向かい、言った。

「ナナホシ様が意識を取り戻しました」

 そういわれ、俺ははじかれたように立ち上がった。

「ど、どうですか?」
「表面的な病状は改善しました」
「表面的な?」
「はい、『ドライン病』にて溜まった魔力は、肉体を変異させ、病気を引き起こすようですので、その病気の方は治癒いたしました」

 そう聞くと、エイズみたいな感じだな。
 今までの咳も、その徴候だったのだろう。
 解毒で表面的な病気は治っていたが、根治には至っていなかったというわけか。

「その、魔力を吸い出したりとかはできないんですか?」
「私には不可能です」
「じゃあ、誰かできる人は?」

 ユルズは俺の問いに、ゆっくりと首を振った。

「そうですか……」

 なんらかの方法で、体内の魔力を吸い出す方法は無いのだろうか。
 例えば、そういう魔道具を使うとか。

 7000年前よりも、今のほうがそのへんは発達しているはずだ。
 だが、どうすればいい。
 吸魔石とか使えば、除去できるのか?
 いや、あれだって、体内の魔力を吸い出せるようなものではない。
 でも、出来ないことは無い気がする。
 作れるか?
 だが、製作にどれだけ掛かる?
 そもそも、できるという確証もない。
 くそっ。

「とにかく、ちょっとナナホシの様子を見てきます」

 俺がそう言って立ち上がると、追従するように他の皆も立ち上がった。


---


 医務室は、寒々としていた。
 家具類は客室とそう変わらない。
 ただ、石材がむき出しで、壁には窓が無かった。
 部屋の中央付近には手術台のようなものがおいてあり、戸棚の中にはナイフや包帯などが備えられていた。

「……」

 ナナホシは部屋の隅にいた。
 彼女が吐いた血は綺麗に拭われて、いつのまにか入院服のようなものに着替えさせられていて、清潔な感じだ。
 だが、生気は無かった。

「ナナホシ、大丈夫か?」

 そう聞くと、彼女はこちらをチラリと見て、言った。

「大丈夫に見える?」
「……」

 見えない。
 彼女の顔は真っ青で、眼の下にはどす黒いクマができていた。
 誰がどう見ても、不健康体だ。
 『贖罪』の能力は、患者のほうも消耗させるのだろうか。

 もう片方のベッドは空だ。
 シルフィは、俺たちと入れ替わりになるように、客室に運ばれた。
 運ばれる時に様子を見たが、シルフィの方もやつれていた。
 ここ4日、ずっとシルフィは治療に参加していた。
 飲まず食わずだったわけではないようだが、やはり体力の消耗は著しいだろう。

「病気、治せないって言われたわ」
「ああ、うん」

 俺は、ベッドの脇にある椅子に座った。
 ユルズ女史は、病気の状態を隠すとかはしなかったようだ。

「まあ、すぐ良くなるさ」
「なるわけないじゃない」

 そう言うと、ナナホシはそっぽを向いた。
 壁の方を向いて、押し黙ってしまった。
 今のはちょっと無責任な言葉だったかもしれない。
 ちょっと、どういう言葉を掛けていいのか、分からない。

「……」

 俺が黙った後、アリエルたちが口々に声を掛けた。
 慰める者、気をしっかりもてという者、必ず治ると言う者。
 言葉は様々だったが、元気づける言葉ばかりだった。

 しかし、こういう時、こういう言葉は逆効果になるかもしれない。
 本当に辛い奴にとって、上っ面だけの言葉ほど、聞きたくないものはない。

「……」

 やがて、言葉が切れた。
 反応のないナナホシに、誰も何も言えなくなってしまった。
 重苦しい沈黙が場を支配して、居づらい空気が流れた。

「ではナナホシ。私は先に部屋へと戻らせていただきます。またお見舞いに来ます」

 アリエルを皮切りに、一人、また一人と部屋から出て行った。
 最後にクリフが残っていたが、エリナリーゼに促され、出て行った。
 彼らが出て行く時、エリナリーゼが「……掛ける言葉が、ありませんわ」と言ったのが聞こえた。
 まさにその通りだ。

 そして、俺が残った。
 なぜ残ったのか、俺自身もわからない。
 だが、もう少し、側にいてやる必要があると思った。
 一人にするのは危ないと、なんとなくだが、思ったのだ。

「……」

 だが、掛ける言葉は無い。
 病気の相手。
 治らないかもしれない相手。
 何を言っても、上っ面だけの言葉になりそうだ。

 ナナホシは、不安だろう。
 召喚魔術の方は順調だった。
 第一段階で少し詰まったが、第二段階、第三段階はうまくいった。
 第四段階もペルギウスに聞く限り、すでに方法は確立されている感じだった。
 第五段階はまだ分からないが、延長線上の話だ。
 あと1年か2年もすれば帰れる。
 そう思っていた矢先、いきなり癌を宣告されれば、不安になる。
 癌は不治の病ではなくなったとはいえ、しかし致死率の高い病気であることには変わりはない。

 いつかみたいに、暴れだしてもおかしくはない。

 けど、本当に治らない病気ってんなら。
 もう未来は無いというのなら、暴れるのもいいかもしれない。
 俺も付き合ってやろう。
 なんかこう、スカっとする何か……。

「私、もともと、あんまり体強い方じゃなかったのよね」

 俺が黙っていると、ナナホシは溜息を付くように言葉を発した。
 その声音は、俺が思っているよりも元気そうに聞こえた。
 だが、それが空元気であることは、明らかだった。

「病気がち……って程でもなかったけど、年に1回は風邪とか引いてたし」

 ポツポツと語りだした。
 俺はそれを、黙って聞く事にした。

「成績は良かったけど、別に運動とか出来る方でもなかったし。どっちかというと、インドア派だったし」

「こっちの世界って、あまり医学って発達してないじゃない?」

「知ってる? こっちの世界の人って、魔術があるせいか知らないけど、傷口を洗う事すらしないのよ? それで手遅れになって死んだり、手足を切り落としたりする人が大勢いる。馬鹿よね。ちょっと飲水で傷口を洗うだけで予防できるのに」

「私、自分が魔術を使えないってわかってから、結構色々予防してたのよ。病気をうつされないために、人のいる所に行かないとか。よくわからない食べ物は食べないとか」

「確かに、あなたから見ると不健康に見えたかもしれないけど、一応、部屋の中で運動もしてたし、自分なりに気をつけてたつもりだったのよ」

「だって、病気とかしたら、治らないかもしれないし」

「ていうか、病気になったら、多分、治らないだろうなって思ってたし」

「だって、掛かるとしたら、私の知らない病気だし……」

「……大体さ、この世界って、おかしいじゃない?」

「なんか、自重で潰れちゃいそうなぐらい大きな獣は出るし、魔術か何かしらないけど、物理法則は無視するし」

「そりゃ、私だって、来たばっかりの頃は、ちょっとは面白いなって思ったよ?」

「私だって、結構ゲームとかやるし、剣と魔法とか、嫌いじゃないし。ワクワクしなかったって言ったら、嘘になる」

「あなたみたいに、この世界で生きていけるのは、ちょっとうらやましいなって思ったことも……」

 そこで、ナナホシはふと、言葉を切った。
 肩が震えた。
 ゆっくりとこちらを向く。
 その顔は、クシャクシャに歪んでいた。
 真っ赤な目には、大粒の涙が溜まっていた。

「死にたくないよ」

 ぼとりと涙が落ちた。
 決壊した。

「こんな所で、死にたくない! 
 こんなおかしな世界で死にたくない!
 なんで! なんでよ!
 おかしいよ!
 ねえ知ってる!?
 あたし、8年前から何も変わってない!
 背も伸びてない、髪もそのまんま!
 お腹は減るし、ご飯も食べてうんちもするのに、爪も伸びなきゃ、生理もこない!」

 ナナホシはすぐ側にあった水差しを掴んで、投げた。
 水差しは壁にぶち当たり、大きな音を立てて割れ、床を水浸しにした。

「私はこの世界の人間じゃない!
 この世界では生きてない!
 死体みたいになってる!
 なのに、なんで!
 なんで病気にだけ掛かるの!
 おかしいじゃない!
 なんで私がこんな目に合わなくちゃいけないの!
 死にたくない!
 こんな、こんな変な世界で死にたくない!」

 ナナホシはボロボロと涙をこぼしながら、喚いた。

「だって、私まだ、キスすらしたこともないのよ!
 好きな人もいるのに、好きだって言えてもない!
 羨ましいわよ! あなたが!
 毎日楽しそうで、充実してて!
 なんなのよ!
 お父さんが死んだって!?
 お母さんが病気で大変だって!?
 だから何よ! いいじゃない!
 私はこのままじゃ、お父さんの死に目にすらあえない!
 私が死んでも、お母さんはそれを知ることすらできない!
 会いたいよ! お父さんに! お母さんに!
 覚えてる! あの日の朝の事。
 お父さん、今日は早く帰ってくるって言ってた。
 お母さん、今晩は秋刀魚を焼くって言ってた。
 私はお父さんに、友達が来るから遅くなってもいいとか言って、
 お母さんに、もう秋刀魚は飽きたって文句言って、
 なんで、あんな事。
 きっと、お父さんも、お母さんも、心配してる。
 会いたい、帰りたい。
 死にたくない。
 こんな所で死にたくない……うっ……ひっく……」

 ナナホシは膝を抱えて、顔を埋めた。
 もう言葉は無かった。
 聞こえてくるのは嗚咽だけだ。
 ひっくひっくという嗚咽と、悲痛な泣き声だけだ。

「……」

 胸に刺さった。
 俺は、ナナホシの辛さが分かってしまった。

 この世界に来た当初だったら、きっと響かなかっただろう。
 会いたい、帰りたい。
 家族に会いたい。
 そんな事を言われても、俺はきっと分からなかっただろう。
 そんなものは忘れて、この世界を愉しめばいいとか、そう思ったかもしれない。

 けど、今は違う。
 帰りたいという気持ちも、会いたいという気持ちもわかる。
 何気ない日常ってのは、大切なものだ。
 なくなってからでは、取り返しが付かないのだ。
 ……()なくなってからでは、取り返しが付かないのだ。

 パウロは死んだ。
 ゼニスも記憶は戻らないかもしれない。
 ブエナ村での、あの暖かい家族は、戻ってこない。
 俺はこれから、自分の家族と、生活を守っていかなきゃいけない。
 シルフィ、ロキシー、ルーシー。
 リーリャ、アイシャ、ノルン、ゼニス。
 彼女らと離れ離れになったら、きっと胸が裂けるほど辛いだろう。
 彼女らの誰かがいなくなったら、きっと死に物狂いで探すだろう。

 もし、俺が今のまま、元の世界に戻ってしまったら。
 例えそこで、今のような魔術を使えて、どれだけちやほやされても。
 俺はこの世界に戻る事だけを考えるだろう。

「ヒッ……ヒック……」

 ナナホシは膝を抱え、震わせている。

 彼女はクリフともザノバとも、シルフィとも、必要以上に仲良くはしなかった。
 けれど、俺の言葉は拾ってくれた。
 俺の頼みも聞いてくれたし、俺の開催する催し物にも参加してくれた。
 記憶をたどってみても、彼女に邪険にされた事は、あまりない。

 ナナホシは、俺と日本語で話すとき、うれしそうにしていた。
 彼女にとって日本語を喋れる俺は、唯一の癒しだったのかもしれない。

「誰か、助けてよ……」

 ナナホシの小さな声に。
 俺は立ち上がった。


---


 円卓の間に戻ると、ペルギウスはまだそこにいた。
 他の部下はいなかった。
 ただペルギウスだけが、俺を待っていたかのように、そこにいた。

「どうした?」
「……俺も動きます。ペルギウス様の業務に支障が無いレベルでサポートをいただければありがたく思います」

 そう言うと、ペルギウスは大仰に頷いた。

「ほう、動くか。貴様が。よかろう。我としても、ナナホシが死ぬのは、忍びないからな」
「ありがとうございます」

 しかし、どうするべきか。
 大昔、7000年も前に根絶した病気、その治療法。
 皆目、見当もつかない。
 解毒や治療魔術で治らないのは間違いない。
 それで治るなら、ペルギウスだってそうしているはずだ。

 魔道具。
 これもできるかどうかはわからない。
 体の中への作用というのなら、クリフの魔道具が近いかもしれない。
 だが、今のところ、クリフの魔道具はエリナリーゼ専用だ。
 エリナリーゼの容態を見つつ、少しずつ調整している。
 効果は出ているが、完成はしていない。
 あるいは、ナナホシ相手でも、少しずつ調整すれば、病気を抑えることはできるかもしれない。
 だが、体を調べ、体調の変化を確認しつつ調整していく時間は、おそらくナナホシには無い。
 今回は血を吐いた。
 表面的な症状は治ったが、きっとすぐに再発する。
 そして、次は即死するかもしれない。
 また、時間を停止している状態では、実験もできまい。

 魔道具はダメだ。
 いずれ作るのはいいかもしれないが、今はもっと即効性のある治療法が必要だ。

 治療法。
 誰か知らないのか。
 例えば、人神とか、オルステッド。
 あのあたりなら知らないだろうか。

 人神とは連絡が取れない。
 今晩寝れば、あるいは助言の一つもくれるかもしれないが。
 しかし俺の側からコンタクトを取ることはできない。

「ペルギウス様。龍神オルステッドに連絡は取れないでしょうか」
「不可能だ。奴がどこにいるかなど、把握しておらん」

 オルステッドとも、連絡は取れない、か。

「だが、おそらく、奴も知らんだろう。奴が現れたのは約100年前、賢い男であるが7000年前の病気の事など、知るまい」

 オルステッド、100歳ぐらいなのか。
 もっと長生きしていると思ったが、ペルギウスに比べると、まだまだ若いのか。
 いや、俺よりは十分年寄りだが。

「そうですか、しかし7000年前の事を知っている人物となると……」

 いや、まてよ。
 7000年前。

 一人いたな。
 そのぐらいの長さを生きているであろう人物が。
 病気のことについて詳しい印象は無かったが……。
 しかし、話を聞くだけなら、タダだ。

「一人、心当たりがあります……」
「ほう」

 そもそも、見つけられるかどうかもわからない。
 前に会ったのは偶然だった。
 偶然会ってそのまま別れた。
 繋がりは無い。

 しかし、何かしなければいけない。
 何もしなければ、何も起こらない。

「俺を魔大陸に送ってもらう事は、可能ですか?」
「魔大陸? どうするつもりだ?」

 俺が会ったのは、過去に一度だけ。
 ロキシーも会ったらしいが、今はどこに居るのかわからない。
 だが、彼女の名前は昔から知っていた。
 まだフィットア領があった頃、歴史の勉強をして、覚えていた。
 一度会った後も、忘れたことはない。

「魔界大帝キシリカ・キシリスを訪ねてみようと思います」

 7000年前。
 人魔大戦を勃発させた人物の名前を。
+注意+
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