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salamander
作:柳岸カモ



3



(「おっと…」)

先生がまた僕のほうを見ていた。やばい、やばい。ノートをとるフリをしなきゃ。

あの教師せんせいは、特に僕を馬鹿にする。
不具の有機物を認められないのだろうか。
気持ちはわからないではない。
だからってわけじゃないけど、今はペンを握って彼の注意に従うまでだ。

「!」

突然の違和感。
左の掌がねっとりとしている。

わずかに液体がもれ出てきていた。

(欲求不満…? まさか)

さっき、女の子の足を見ていたせいなのか。
さっと机の上に掌を拡げる。

まじまじと見るまでもなく、じくじくと粘液があふれ出ていた。
困った。
誰にも見られまいと、さっと膝の上に手をやって机で隠す。
今は授業中。
処理しようにも、無理だ。
しかも授業はあと三十分はある。

(嫌だな。どうしたら…?)

きょろきょろとまわりを見るけど、僕を助けてくれる人なんていない。

でもいつもは、確かにいる。

今はたまたま、あの笑顔がないだけで…


黄金色の髪。
朗らかな声。
「ジョー」の笑顔。

(もしかしてジョーがいないから? だから欲求不満なのか? )
 


そう思い当たって、先週の金曜のことが色鮮やかに甦った。
 

学校の傍の小高い山の上に、屋根の高い教会があった。
それはジョーが最初に見つけたやつで、
先週の金曜「今度そこに行ってみよう」と二人で約束した。

だけど、それからずっとジョーには会えないでいる。

今日はもう金曜。
あれから一週間、ジョーはずっと学校を休んでいる。

昨日、心配になってジョーのママに電話したら、
ジョーは家には帰っていないという。

ジョーのママは豪快な人で、
「旅にでも出たんでしょ、これでバカ高い学費を納めなくて済むわ。
 食い扶持も減って助かるし」
と言ってからからと笑っていた。

僕はそれを聞いて泣きたい気持ちになった。


(ジョー……どこ行ったんだろ。)

とまぁそんなわけで、一週間でジョー失踪の噂はひそやかに広がっていった。

事故にあったとか、入院したとか、自殺したとか、そういうごくありきたりな「噂」としての「噂」で。

女の子達は噂が好きだ。

僕は女の子達のそういうところが、嫌いじゃない。
むしろ、好き。

噂話をしているときの女の子達は可愛い。
集まってひそひそと話す仕草は、とても女らしいと思う。

「ひそひそ、ひそひそ」

本当にそんなふうにきこえるから不思議だ。
僕は自然体な女の子が好きだ。
だから、彼女達の作る噂は可愛いんだ。


でも、その他愛もない噂が、完全に否定されてしまうとは、ね。



――ここ最近、無気力の生徒様が増えておられます。
具体的に申し上げますと…
二回生の生徒様の中で、一週間の自主休学をなされた方がおられます。
こちらとしては誠に残念なことではございますが…
生徒様の御意思を尊重し、
自主性を重んじ、
ひいては保護者様の教育観に配慮いたしました結果、
自主休学を認めることとなりました。
期間は一ヶ月といたしまして、
満了となった際は、
更新手続きの有無により、
生徒様の管理の在り方を決定してゆく方針でございます。

また、期間中の学費・共益費・雑費等につきましては通常通りの御支払い額を請求させていただきます。
よって生徒様への詮索や捜索は控えていただきますよう、よろしくお願いいたします――

そう。
昨日の朝礼でジョーは、「自主休学の生徒様」という烙印を押されたのだ。

話にならない。
全部でたらめだ。

ジョーは家に帰っていないだけだ。
それなのに自主休学なんて、どうかしてる。
これは「見せしめ」にすぎない。
学校のたくらみなのか?
疑う気持ちが膨れ上がっていった。
 

僕は14歳。
もうだいたいのことが、わかる。

ジョーは学校から一時的に切り捨てられたのだろうか。
いや、切捨てられただけならまだいい。
学校は「ジョー失踪」を利用して、
自主休学処分の妥当性を示し、
かつ自主休学を生徒の脳に印象付けた。

「自主休学」

甘い罠だな、と思った。
この学校の「生徒様」が安易にくいつきそうな罠だ、と。






そして、また一週間経った。
案の定、ジョーに影響されて自主休学を言い出す生徒が相当数出て、
7回生のある教室が学級閉鎖になったらしい。
噂は、どこからともなく耳に入ってきた。

しかしそれとは全然別のところで、
とんでもなく根も葉もない噂が広がっていた。

『トカゲと付き合ってたから、ジョーは焼かれちまった』

噂を広めたのは、ドーイだ。

「ほら吹きドーイ」
「いじめっこドーイ」

ドーイが「ほら吹き」だの「いじめっこ」だの、
そんな生優しいやつじゃないことは、みんな知っている。

ドーイの理念は

「やる時は徹底的・いじめる時は殺す時」

ドーイはやっかいなやつなんだ。


粘つく掌をズボンに擦りつけながら、苦々しい気持ちになった。
ドーイと同じくらい、この手は本当にやっかいだ。
所構わず粘液を吐き出す。

でも、今にはじまったことじゃない。
僕が十歳になった時から、ずっとなんだ。


僕の左の掌は突然、液体を出したり、火を吹いたりする。

ただでさえ僕は、右手がないせいで馬鹿にされている。
なのにこんな左手のことがみんなに知られたら、それこそおしまいだと思う。
 
だから、どれだけ馬鹿にされても、この左手のことがバレなければいい。
とにかく、知られるわけにはいかないんだ。
もしもバレたら……

いろんな意味で、本当に僕はここにいられなくなる。


そう思ったら、掌からまた粘液が溢れた感じがした。
こうなるのは火をふき出したくなる前触れで、
はやく手を拭いてやらないと、意思に関係なく火がふき出てしまう。

もう、ズボンでぬぐうのには限界があった。

とめどなく溢れてくる粘液は、今まで見たこともないほどの量で、僕を不安にさせた。

一刻もはやく授業が終わることを祈る、それだけだ。














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