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パリサイド 作者:奈備 光

6章

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70 さざ波

 ンドペキは黙って小屋に入っていったが、チョットマは、その後ろから「パキトポーク!」と元気よく声を掛けて暖簾をくぐった。
 あれ、と思った。
 この小屋も他の部屋同様、何もない。
 パキトポークはこの街を治めているのではなかったのか。
 それなのに、あまりにも簡素だった。

 ベッドがひとつきり。
 そこに横たわった男が、体を起こそうとしていた。
「よう! ンドペキ! 遅かったじゃないか」
 痩せ細った腕が、薄っぺらで薄汚れた服から出ているが、震えている。
 毛むくじゃらの顔には血の気がない。
 目だけが炯炯として、人を射すくめる力を持っていた。

 やつれて、見る影もない。
 しかし、声がパキトポークのものだった。
「パキトポーク」
 ようやくンドペキが声を絞り出した。
「苦労を掛けたな」

 ヌヌロッチに助けられて、ようやくベッドの上に座り、にやりと笑って白い歯を見せた。
 見た目より元気なんだ、とチョットマは少し安心した。
 懐かしい笑顔だった。
「苦労か……。まあ、見ての通りだ」
「すっかり、なんて言うのか、萎んでしまったな」
「隊長。そりゃないぜ。こんなところに、三年も居りゃあな」
「ん? 三年?」
「三年と九カ月だ」
「そうか。それはすまなかった。それに、俺はもう隊長じゃない。スジーウォンだ」
「スジーが隊長か。懐かしい女だぜ」
「隊員達は無事か?」
「ああ。一応、全員生きている」

 やっと安心したはずなのに、チョットマは涙がこぼれそうになった。
 こちらの次元では三年以上の月日が流れていたのだ。
 食料も水も乏しい中、しかも、街が崩壊してしまうほどのエネルギーの波に飲み込まれながら。
 人一倍馬力のあるパキトポークでさえ、ひとりで起き上がれなくなるほどの辛苦を超えて。
「我々は何とか持ちこたえることができるのですが、マトやメルキトには辛いようです」

 ヌヌロッチの言い方に違和感があったわけではない。
 マトやメルキト。
 その呼び方に、懐かしい響きがした。
 地球を離れてわずか数か月の間に、その意識はすっかり薄れてしまっていた。忘れていたと言っていい。
 ここではまだ、人類を分類するそんな言葉が生きている。
 そう思うと、チョットマは少し気が遠のくような感じがした。
 飢餓の中で、肉体を消耗する巨大な重力が襲い来る中で、その分類に何か意味があったのだろうか。
 争いでもあったのだろうか。
 そんなとき、パキトポークはどう振る舞っていたのだろうか。
「俺の手を握ってくれ」
 と、パキトポークが差し出した手をンドペキが握る。
 その上にチョットマの手も。

「いい気持だ……。何ていうか……、心が穏やかになるような……」
 微笑むパキトポークの目線の先に、いつも身に着けていた装甲が置かれてあった。
「俺らしくないな。ンドペキ、チョットマ、よく来てくれた。本当に。待っていたかいがあった」
「すまない。遅くなった」
「すまなかない。きっと、そっちの時空では最短日程で来てくれたんだろ。いや、事情なんて説明いらないぞ。来てくれただけで、俺はもう十分だ」

「ところで」
 と、ンドペキがパキトポークの手を放して、声音を改めた。
「迎えに来たんだ。しかも、今すぐ。もう時間がない。立てるか」
「そうか」
 パキトポークが立とうとする。
 チョットマは、今度はニニにそう告げる番だと思った。
 ヌヌロッチが、「では、隊員の皆さんに伝えてきます」と、飛び出していった。
「ああ。頼む」


 と、その時、背後から声がした。
「パポー!」
 呼ばれたパキトポークの目が見開かれた。
「ん?」
 振り返ると、美貌のアイーナが立っていた。
「……、こちらの別嬪さんは?」
 パキトポークの目をくぎ付けにしたアイーナが腕を組んで突っ立っている。
「俺をパポーと呼んでいいのは……」
 アイーナが怒鳴った。
「おい! 忘れたか!」

 えっ。
 知り合いだったの?
 チョットマの驚きより、パキトポークの驚きの方が数倍大きかったようで、わっ、と言うなり、べったりと床に座り込み、両手をついた。
「思い出したか?」
「忘れるはずもございません!」
 ついた両手がわなないていた。

 意外なことの成り行きに、ンドペキもチョットマも、そしてヌヌロッチも二人のやり取りを見守るだけだった。
「アイーナの姉御!」
「そうだよ」
 パキトポークの声はうわずり、アイーナはいつものハスキーな声に磨きがかかって、むしろどすの利いた声になっている。
「よくぞご無事で!」
「おまえこそ」
「お会いしとうございました!」
「そうだね」
「ウォ、ウゥ、ウッウ」
 嗚咽を上げ始めたパキトポークが肩を震わせている。
 言葉にならないのか、顔を上げたパキトポークの口からは、あ、う、お、の声しか聞こえてこなかった。

 アイーナは依然として腕を組んでパキトポークを見下ろしている。と、振り向いて、席を外して欲しいという視線を送ってきた。
 従わざるを得ない雰囲気だった。
 まさかアイーナがパキトポークを成敗してしまうということでもないだろう。
「パキトポークを連れて帰ろうと思っている。手短に頼みます」
 と、ンドペキが釘を刺したが、アイーナは微妙に笑っただけだった。


 小屋の外に出たチョットマはンドペキに言った。
 ニニを探してくると。
「なんとなく思うんだけど、さっきヌヌロッチが言ってた、カイロスに入った異物。それってニニのことかもって。アンドロかもしれないって言ってたし」
「なるほど。でも、池はどこだ? 分かるのか?」
「うん。そこ」
 路地の突き当りに水面が見えているのを知っていた。
「すぐに戻るから」

 急がなければ。
 十分以内に戻らなければ。どんなに遅くなったとしても、十五分が限界だ。
 池を見て、チョットマは直感的に、ここだ、と思った。
 かなり広い池だ。
 周りに建てこんだ小屋のみすぼらしさとは裏腹に、不思議なほどに水は清涼で、さざ波ひとつたっていなかった。

 この水は飲めないのか、とちらと思ったが、もはやそんなことはどうでもいい。
 サンダルは?
 そもそも水辺というものがほとんどなかった。
 三年以上が経って、あるはずもない。

 誰に憚ることもない、とチョットマは大声を張り上げた。
「ニニ!」
 水面にさざ波がたった。
「ニニ! チョットマよ!」
 耳を澄ませど、応えるものはない。
「ニニ! チョットマよ! 返事をして!」

 ニニは近くに居るし、すぐに返事をしてくれるはず。
 そう確信していた。
 しかし、三度呼ばわってもなんの物音もしない。

 やはり、そうなんだわ。
 この池の中に、ニニはいる。アンジェリナやセオジュンと共に。
 そして今度は池の縁に屈みこみ、水面に向かって呼びかけた。
「ニニ! ここにいるの!」
 再びさざ波が立ち、今度はそれがいくつもの輪になって広がっていった。

 チョットマは暫く耳を澄ましていたが、返事がないことを悟ると、指先を水面につけた。
 指先から発した水紋が消えると、また指先をつけた。
 どうして返事をしてくれないの……。
 指先だけではなく、手首までつけて水を掻き回した。
 はっとするほど、水は冷たかった。
 その冷たさに手首を掴まれたような気がした。
 どうして……。
 きっとここにいると思うのに……。
 ニニ、どうしたの……。
 チョットマが来たよ……。
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