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パリサイド 作者:奈備 光

5章

61/82

60 息を呑んでばかり

 アイーナは頭を下げてから、
「さっき、言いかけていたことだけど、あの白い霧。昨日今日と、見かけなくなったと思わない?」
 そういえば。
 イコマはもう気にはしていなかったが、確かに見ていないように思う。
「職員に調べさせたわ、念入りに。でも、どこにもいない。これまで、こんなことはなかった」
 白くチラチラ光ることをやめたのか。
 本当にいなくなったのか。
 そもそも、あれは何だ。
 そういえば……。
「オペラ座のマスカレードでも、最後の場面で出てきましたけど。どこかに固まっているんじゃないですか?」
「いいえ、それはないわ。私達の調査は完璧よ。強大とはいえ、ここは閉じられた空間。マスカレードに出現していたとは、初めて聞く話だけど」
 再びキャンティが考え込んでいる。
「そうなんですか……」

「いよいよ、そういうことになるのね」
 アイーナが感慨深げに、にこりと微笑んだ。座ったソファの肘置きを細い指が握った。
「どういうことなんです?」
「イコマさん、時間はまだゆっくりあるわ。それともお急ぎ?」
「いえ」
「じゃ、順番にお話ししますので」
 この宇宙船に乗り込んでから気になったこともある、あの白い霧の正体がアイーナの口から語られようとしている。
 重要なことなのかどうか、今は分からないが、イコマは興味を持った。
 その気持ちは全員のものなのだろう。
 ユウもンドペキも、スゥもチョットマも身じろぎもしない。


「私の推測では、笑わないで欲しいんですけど、もっと強力な力が働いたのじゃないかって思うのよ」
「ブランジールか……」
「いいえ。彼にその力はないわ。それに彼、今はとても衰弱していて、それどころじゃないみたい」
「具合が悪いんですか?」
「思考能力がね。情報整理能力というべきかしら。自分でいることが辛いみたい」
「自分でいる?」
 イコマの反応に、アイーナは急がないでと言わんばかりに、手を広げてみせた。
「さっきの話題に戻しますが、いいですか」
「ええ……」
 異存はない。
 ブランジールが病気であろうと、きっとイコマに関係はない。

「この部屋に今いる皆さんは、奴に汚染されていないわ。だからこうして」
 アイーナが自分の髪を撫でた。
「私もこの身体でいられる。緑髪のかわいこちゃん。チョットマ、ごめんね。あの時、あなたは汚染されていたのよ。だから念のため、私はあの巨大な防護服を着ていた」
「あ、そういうことだったんですか」
 チョットマの脳が何者かに侵入されていたことを、アイーナは知っていたのだ。
 どこかのスキャンエリアで判別されていたのだろう。
 そして、チョットマが神だと言った者が既にチョットマから抜けていったことも、お見通しというわけだ。
 パリサイドの世界ではプライバシーも何もあったものではない。
 分かってはいることだったが、こうもあけすけに言われると、さすがに気が滅入った。

「そう。私は、以前からあの白い霧が怪しいと思っていた。でも、あの霧の正体は分かっていない。捕まえようにも、捕まえられないから」
 微粒子状でチラチラと光っているだけで、質量を持つ物質ではないのだという。
 捕えた途端に、いかなる痕跡も残さず消えてしまう。
「あれは、強い意志が具現化したもの。神出鬼没。どこにでも出現するし、どこにでも入り込む。コンピューターのプログラムの中にも」
 宇宙船であろうが、宇宙のはるかかなた、地球にでも。
 オペラ座のアトラクションの中にも、この宇宙船のシステムの中にも。

「昔、私達がこの星に流れ着いた時にはいなかった。あれが街に出現したのは、まだ百年ほど前のこと。私達の暮らしが食べていくだけで精一杯の数百年間を経て、爆発的に豊かになっていった時期」
 それをウイルスと呼ぶ人もいるが、いたるところで見かけほど蔓延するようになった今、眠り病や夢見る病を起こすウイルスではない、という人もいる。
 こんなに身近にいるのなら、もっと病気になる人が多くなってもいいはずだが、そうはなっていないのだからと。
「それもこれも、捕えて調べなくては何もわからない。でも、ある現象を突き止めたの。それによって、白い霧に汚染された人と、そうでない人を見分ける方法は見つかった」
 その事実はまだ秘密にされている。
 しかし、確実に調査は行われたのだという。

「残念ながら、リアルタイムというわけではないわ。今、汚染されていなくても、次の瞬間には白い霧に入り込まれるかもしれないから。実は、パリサイドの全市民を調べたわ」
「えっ」
 キャンティが驚いた声を出した。
「そうよ。数十億人をね。そしたら、どうだったと思う」
「わかりません……」
「汚染されていない人は、百万人に一人以下」
「ええっ。そんなに!」
「驚くでしょ。ほぼすべての人が汚染されていた。その中には、奇妙な病を発症したことのない人も大勢いた。というより、発症した人の方がごく少数派ね」
「どういう……」

「地球に帰りたい。これは私達全員の思い。そうされてきた。でも、実際は違うと思うの。なんていうのかな……」
 アイーナが言葉を選んでいる。
「少なくとも、この船に乗り込んだ人は強くそう思っていた。でも中には、神とやらに後ろから支配されている社会に我慢がならない、という人もいた……。実は……」
 アイーナが、自分もその一人、と言った。強い言葉で。
「意識が乗っ取られ、いずれ意のままに操られる命なんて……。許せない」
 キャンティは目を輝かせていた。
 チョットマは当惑した顔を見せていた。
 そしてイコマは、隣に座ったチョットマの手に自分の手を重ねた。
「私は断言できます。証拠はないけど。あの白い霧、それがステージフォーが言う神、あるいはその化身なのです」


 アイーナが、改まった口調で言った。
「チョットマ。キェンティ。イコマさん、JP01……」と、順に名を呼んでいく。
「この船は、今や、そいつから逃れるための船なのです」
 このオオサカの乗船資格が与えられたのは、地球に帰りたいという望郷の思いが特に強い人たち。
 それが最大の基準だったという。
「ご想像通り、その中にあれに汚染された人はいませんでした。イコマさんの愛するJP01も、JP01の部下達も。そして私も、警察省長官イッジも、治安省長官ミタカライネンも軍のトゥルワドゥルーも。そしてもちろん、船長ブランジールも」
「なるほど……」

「逆の意味で言うと、パリサイドの星には、もう汚染されていない人は残っていません。全員が乗り込んでいます」
「ほとんどのパリサイドは帰還船に乗ったのじゃなかったのか……」
「そうです。乗りました。でも」
「でも?」
「星には帰っていません。この母船から少し離れた位置に停泊しています。グラン―パラディーゾを正しく起動させるために」
 次元の扉を正しい位置に開くために、この母船とは別に、その帰還船と地球人類が乗るはずだったオーシマンの船の三艘でフォーカスを撮るはずだったのだという。
「このこともまた、私は皆さんにお詫びしなくてはいけません。元々、皆さんをあの星にお届けするか、あるいは私達と行動を共にするのか、皆さんと、皆さんの代表であるレイチェルとゆっくり話し合わなくてはいけなかったのです。ですが、そうする機会がなかなか見つかりませんでした」
 この母船の中で、完全にセキュリティに守られた部屋は、アイーナの市長執務室と、ブランジールの司令室だけ。
 だが、本当の意味で秘密が守られるのかどうか、不安な要素があったのだという。
「まず、プリブが囚われました。そしてアヤさんが。我々にとっては、敵に人質を盗られたようなものでした。そしてンドペキやスミソが汚染され、とうとうチョットマまで汚染されてしまっては、どこから情報が漏れるか危惧せざるを得なかったのです。なにしろレイチェルは、それらの方々に全面的な信頼を置いていますから」

「そういうことだったのですか……」
「本当にすみませんでした」
 イコマは、レイチェルに辛く当たっていると考えていたが、それは少し違っていたのだ。
 アイーナは焦り、そして苛ついていたのだ。
 レイチェルに本当のことを話せないことを。
「グラン―パラディーゾの方はご心配なく。オーシマンはどこかに消えましたが、他の船長に命じて既に出港させていますから、支障はありません。乗船客のいない船ですが」
「乗船客のいない船……」
「グラン―パラディーゾを正しく起動させるのに、乗船客が必要だというわけではありません。本当に申しわけないのですが、カムフラージュです」
「……」
「すみません」
「いえ……。お気遣いなく……」
「あ、それから、このお話は、レイチェル長官にもお伝えします。もうしばらくしたらお見えになるはずですので、皆さんからしていただく必要はありません。その点はお気になさらないでください」
「わかりました……」


 多くの事柄が一度に流れ込んできて、アヤ回復のお祝いとお礼のムードは完全にどこかに行ってしまった。
 アイーナの話す言葉の表面のみを捉えれば、失礼な話だ、と憤ってもいいようなことも多かったが、噛みしめて考えれば、動きのとれなかった彼女の立場も見えてくる。
 そして、アイーナにできる限りの決断を市長として下し、精一杯の対処をしてきたのだということがわかる。
 あの巨大クッションの体で、つまり防護服を常に身に纏い、チョットマに優しい声を掛けながら、そしてアヤを気遣いながら、頭の中では様々な難題に取り組んでいたのだ。
 イコマはアイーナのその原動力が何か、がまだピンときているわけではない。
 つまり、グラン―パラディーゾを起動させ、以前ベータディメンジョンと呼んでいたアンドロの次元、今はパキトポーク達、地球から避難した人々がいると思われる次元を調査することの本当の意味。
 それが理解できているとは言えない。
 ただ、アイーナは並々ならぬ決意を持って、これを実行しようとしているのだった。

 
 その張本人は今、言葉を切って、考え、あるいは話すべき内容を整理している。
 イコマは思った。
 彼女の思いに心を馳せてみた。
 神の国巡礼教団と共に宇宙に飛び出す以前、つまり六百年前、地球で暮らしていた彼女は……。
 そして、宇宙に放逐されたも同然の教団内での立場。そこであったであろう様々な辛苦。
 教団崩壊後は生死の境を彷徨い、ようやくパリサイドの星に流れ着いたものの、そこは人類にとって不毛の地だったはず。
 あの体を得たものの、人々の心は荒み。希望という言葉は誰の口からも聞こえることはなかっただろう。
 彼女自身の口から出た、食べていくだけで精一杯の数百年間。
 しかしやがて、アイーナは人々の代表となり、地球への帰還を目指した。
 その間、六百年。
 ユウと同じように、アイーナにも、深くゆるぎない思いがあるのだろう。
 それは、死んでもいいから、というような軽い言葉では言い表せない、強くしたたかな、そしてこんなに短い時間では到底言い尽くすことなどできない膨大な熟慮の果てにある意志のはずだ。

 イコマはユウの顔を見た。
 見返してくるユウの顔には、満足と喜びが色を成して現れていた。
 ユウも同じ気持ちなのだ、とイコマは確信した。
 これまでのことを聞きたがる自分に」、ユウはよく、少しづつ話すからね、と言っていた。
 それが当然なのだ。
 記憶の人、アギとなって、ただ毎日を繰り返し思い出に浸ることだけで過ごしてきたイコマとは違うのだ。
 ユウやアイーナは。
 狂信者集団の中で、想像することもできない絶望の経験を幾度も潜り抜け、滅亡の危機を目の当たりにし、体の組成を根本から変え、生身の人間では数秒も生存できない宇宙空間の只中を旅してきたのだ。

 六百年間も!
 正気を保って!
 記憶も失わずに!
 そして、地球に住んでいたころと同じように、笑って!


 イコマは自分の唇が震えていると感じた。
 やっと分かった!
 ユウやアイーナの心の中にあるものの膨大さが!
 イコマは気付いた!
 ユウの愛!

 イコマは立ち上がっていた。
 隣に座っているユウの前に屈みこんだ。
 ユウの膝に顔を埋めた。
 何を言ってよいか、見当もつかなかった。
 イコマの頭をユウの手が優しく撫でた。

 ユウも何も言わなかった。
 ただ、撫で続け、イコマは涙を流し続けた。

 
 どれくらいそうしていただろう。
 ようやくユウの声がした。
「ノブ。私のこと、少しづつ話すからね」
「ああ」
「さあ、そろそろアイーナのお話が再開」
「ああ。すまなかった」

 振り返ると、アイーナがユウと同じような表情で笑っていた。
 そして確信に満ちた声で言った。
「このオオサカに乗り込んだ人達の中に、異質な人々も含まれていました。申告者の中には、白い霧に汚染された人も含まれていたということです」
 そうだった。
 汚染されていない、そして地球への望郷の念の特に強い人々がこの宇宙船に乗り込み、地球への帰還の旅をスタートさせたという話だった。
「しかし私は、彼らを排除せず、乗船許可を出しました。敵に我々の本当の意図を隠しておきたかったからです」
 アイーナはもうためらうことなく、本当の意図、という言葉を強調した。
「もちろん、汚染された者を厳密に特定し、監視もしていました。地球から戻ってくる帰路につくまで、なんの動きもありませんでした」
 アイーナの声に自信が漲っている。
「そして、とうとう私達の推測は当たっていることがわかったのです。ステージフォーの構成員として捕えた者は、全員が白い霧に汚染された者だったのです。白い霧が彼らを操っていたのです! そしてもうひとつ、あなた方にとっても重要なこと。その中に、プリブとオーシマンの姿はありませんでした」


 と、チョットマのすぐ後ろで声があった。
「お見事だね! その通り!」
「あっ」
「えっ!」
 その声の主は、ここにはいないはずの女性の声だった。

「ライラ!」
「おばあさん!」
 いつの間にか、小さなチョットマのすぐ後ろに隠れるようにしてライラが座っていた。 
「どこから入ってきたの?」
 チョットマの問いに、ライラは朗らかに笑った。
「さっき、市長が言ってただろ。私の体は別のことろに置いてあるのさ」

 唐突にアイーナが立ち上がった。
 と見るや、深々と頭を下げた。
「ライラ……」
「ん?」
「もっと早くお話ししなくてはいけなかったのですが、申し訳ありません」
 何が起きたのかわからなかった。
「どういうことだい」
 ライラがぶっきらぼうに返す。

「サブリナは貴女の娘さんだったとか」
「……」
「さぞ、お悲しみのことと存じます」
「……」
「お詫びを言わせてください」
 アイーナは再び頭を垂れた。
「私達の至らなさで、サブリナは私達の中で、地球でのあの作戦の中で唯一、帰らぬ人となってしまいました」


 パリサイドのひとり、サブリナは両親に会わんがために、カイラルーシの街からニューキーツへ、逃避行さながらにやって来たのだった。
 そして、それが叶わぬと知るや、次元を移動し、ライラが追いかけるも空しく、この次元に戻ってくるときに死んだ。
 イコマもチョットマも、そしてユウもすっかり忘れていたあの出来事を、アイーナはなぞっていく。
「本当に申し訳なく思っています。私達がもっと気をつけておれば、彼女は死なずに済んだかもしれません」

「どういうことなんだい」
 ライラが乾いた声をだした。
「私達は、万一の時に、体を再生するためのカプセルと、記憶を一時的に保管するカプセルをそれぞれが所持しています。その二つがあれば、命を繋ぐことができるのです。でも……」
「……」
 黙ってその先を促しているライラに、アイーナは苦渋の表情を浮かべた。
「皆さんの前では言いにくいことですが、サブリナはそれをその時、持っていませんでした。なぜなら、サントノーレという村でカイロスの刃というものに襲われ、危機に陥った、ニューキーツ東部方面攻撃隊の隊員、スミソという男性の命を救うことに使ってしまっていたからです」
「えっ!」

 イコマもチョットマも、そしてンドペキも息を呑んだ。
「私達は、サブリナがそれを持っていないことを承知しておきながら、彼女に予備のカプセルを渡すことができませんでした」
 もちろん、パリサイドの隊としては、サブリナのニューキーツ行きは違反行為ではあった。
 私情を挟んで、地球人類との共生、ないしは救出に支障をきたしてはいけない、という考えからだった。
「だからといって、仲間を危険に晒していいはずがありません。しかし、残念ながら、力及ばず、サブリナにカプセルを手渡すチャンスは巡っては来ませんでした」


 サブリナはニューキーツ到達後、すぐにアンドロの次元に向かっている。
 パリサイド側として、ユウを含め、数名が後を追ったが、結局は出会うことなく、サブリナは帰ってくる途中、オーエンのチューブの一角で命を落としてしまったのだった。
「まことに申し訳ございません! 市長として、この宇宙船の責任者として、そしてこの旅の責任者として、衷心からお悔やみを申し上げ、そしてお詫びを申し上げます」
 アイーナは頭を下げたまま、微動だにしない。
 イコマの思考も停止したような状態だった。
 そんなことになっていたのかと……。
 スミソが……。
 ライラの娘、サブリナ……。
 そういえば、あの時……。巨大太陽フレア襲来によるニューキーツで起きたあの大混乱の中での出来事が、ひとつひとつ思い出された。
 チョットマにしても同じことだろう。
 あの頃、スミソと行動を共にることの多かったチョットマ。
 目を見開き、視線を床に落として、彼女なりの様々な記憶に、思いを馳せている。


 身動きもしなかったライラが、細い息を吐き出した。
 アイーナはまだ首を垂れている。
「市長。それでもう十分だよ、あんたの気持ちは。あいつは、サブリナは死ぬ気だったんだ。そういうことだよ。娘に死にたいと思わせてしまった。母親として失格なんだよ。あたしが」
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