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パリサイド 作者:奈備 光

4章

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33 鞭打ち症になった気分

 イコマの前にソファが現れた。
 座面も背もたれもアイーナ向けの巨大なものだ。
 向かいに座ったアイーナに隠れて、ブランジールの椅子は見えなくなってしまった。
 まるでブランジールがそこにいないかのような、奇妙なレイアウトである。

 チョットマ用には椅子は出現しない。しかたなくアイーナの横にちょこんと腰かけることになった。
 先ほど感じたイコマの怒りはたちまち萎んでしまった。
 チョットマの表情はそれほど暗かった。


「あなたがパパさん?」
 アイーナの挨拶はそんな言葉で始まった。
「この子、今日はなんだか元気がないみたいで」
 そんなことないですよ、とチョットマは言うがその声もいつもとは違う。

 イコマはアイーナに言われるまでもなく気がついていた。
 今朝からチョットマはふとした拍子に暗い顔を見せる。
 その原因はきっとこうだ。
 昨夜、チョットマはマスカレードに行ったのだ。そして、EF16211892に会えなかったのだ。
 かけてやる言葉はなかったが、チョットマも大人の階段をひとつ登ったということだ、とほほえましく感じたのだった。
 それにしても、コンピュータによって作り出された男に心を動かされるとは、と思いながら。


「さっき、チョットマが報告をしてくれたんだが、地球から来た人たちの不安の元が、私たち自身にあるそうだな」
 アイーナは嫌味で言ったわけではないだろうが、真意を測りかねてレイチェルもイコマも黙っていた。
「私たちが地球に降り立って以来、互いのことを語り合う時間を持てなかったことが原因かな」
 まさか侵略者として地球に戻ったわけではないんだがな、とアイーナは肩をすくめる代わりに腕を広げてみせた。

 実際、この宇宙船に乗り込んでからも、互いに打ち解ける場面はない。
 パリサイドから話しかけられることはないし、地球人類から近付いていくこともない。
「私の失敗だな。歓迎式典でもすればよかったかもしれないな」
 ようやくレイチェルが口を開いた。
「いえ、とんでもない。十分していただいています。なんとお礼を申し上げればいいか……」
「私は今、チョットマのパパさんと話している」

 強い口調ではなかったが、アイーナはレイチェルを無視する態度を見せた。そして悲しい顔をした。
「ああ、地球に戻りたかった……」
 もう二度と、地球には戻れない……、のだろうか。
 その実感がない、ということが人々に不安を呼んでいるのではないだろうか。
 イコマはそんな気がして、自問した。
 覚悟というのだろうか。自分には、それができているかと。


 パリサイドは神の国巡礼教団の一員として地球を離れて四百年。
 望郷の念に駆られて地球への帰還を熱望していた。
 その心情を理解できていただろうか。
 市民を責めることはできない。なにしろ、世界中を混乱に陥れ、肉親を奪っていった憎き団体が、懐かしくなってなどと言って帰って来たのだ。
 歓迎できるはずもない。

 自分の場合はユウという愛する人と再会できたことで、パリサイドに対する憎しみはほぼなくなっていたと言っていい。
 しかし、彼らの気持ちを十分に理解できていたかといえば、そうではない、と思った。

 レイチェルはどう感じていたのだろう。
 そして、アイーナの今の嘆息を聞いてどう感じたのだろう。
 無表情な横顔は、幾分白んでいて、自分の感情を抑えている。


「しかし、もう時間はない。今更だが、講義の時間を増やすくらいしか。どうだ? レイチェル長官」
 硬い表情のまま、レイチェルが頷いた。
「では、一番聞きたいことはなんだ?」

 パリサイドの普通の市民ががどんな暮らしをしているのか、実際のところはどうなのか。
 例を挙げて話してもらえると、少しは理解できるのではないか。
 先ほどブランジールから聞いた話が念頭にあった。
 しかし、レイチェルの返事は違っていた。
「普段はどんなものを食べているのか、どんなところで眠り、一日中何をしているのか。そんなことが気になります」

 虚を突かれたような気分だった。
 確かにこの宇宙船の中では、普通の食事が供されている。
 パリサイドの市民も、地球の街でするように日常を送っている。
 しかし、パリサイドの本拠ではどうなのだろう。
 確かに、彼らの肉体で消費するエネルギーは、宇宙空間で羽を広げることによっても獲得することができる。
 おいしい食事をしているとは限らないのだ。
 この宇宙船で見る光景は、地球での暮らしに順応するための準備だったといえるかもしれないのだ。


 アイーナにとっても意外な質問だったようで、一瞬ぽかんとしたが、すぐに、
「なるほど。そこから話さなくてはいけなかったのか」と、膝を打った。
「しかし、そんなことから話すとなると、長い話になる」
 レイチェルは平然として、視線をチョットマに当てた。
「どう思う?」
 チョットマの返事は明快だった。
「市長、たとえ何日もかかる話でも、そうしてください」
 人々は、パリサイドを化け物か何かのように思ってはいないが、同じものを食べ、同じ言葉を話す人類、つまり自分たちの未来形のひとつだという実感はない。
 いわば自分たちとは違う特殊な人型生物なんだと考えている人が多いと思う、と言った。

「わかった。そうする。我々には多くの亜種がある。亜種というより進化の度合いが違う。誰もが空を飛び、宇宙線からエネルギーを摂取しているわけではない。そういうことも説明しよう」
 地球に降り立った者だけを見て判断するのは早計だという。
「それに、これだけは理解しておいて欲しい。我々はれっきとした人類だということを」
 敵か味方かという以前に、人として生きてきた者なのだ、と込めた。


「さて、この話はここまでだ」
 アイーナが宙を睨んだ。
「ブランジール。この方々に、プリブの件は話したかい?」
 声が返ってきた。
「ああ、したよ。しかし、あんたが期待しているようなことじゃない。それは、あんたの部下、軍の総帥トゥルワドゥルー、あるいは治安省長官ミタカライネン、ないしは警察省長官イッジ、または彼らを配下においているあんたの仕事だからだ」
「ふん。水臭いね」
「当たり前だ。私は私の仕事をするだけで満足だ」
「そういうもんかね。関わり合いになりたくないだけだろ」

「それで、なにか分ったんですか」
 イコマの問いに、アイーナがまた腕を広げた。
「進展はない。オーシマンの船の名簿にプリブの名がないということだけ」
「えっ、どういうこと?」
 チョットマが飛び上がった。
「言葉どおりの意味さ」


「他の船には?」
 アイーナは応える代わりに、また宙を睨んだ。
 そして大声をあげた。
「どうしたんだい! ブランジール!」
 声は返ってこない。

 そうか、その調査がある。
 イコマはにわかに、アヤの名があるのかどうか、気になってきた。
「その名簿、見せていただくわけにはいきませんか」
 しかし、アイーナの返事はがっかりするものだった。
「さあね。私には答えられないね」
「しかし」
「乗船許可は、この船のキャプテンの専権事項だからな。普通は全員に許可が出るはずのものだし、それなりに配慮された船に乗ることになる」
「そうなんですか。では、ブランジール船長!」


 ブランジールはまるでそこにいないかのように、沈黙したままだ。
「機密事項かどうか知らないけど、あんたしか分からないことだろ! かわいこちゃんが聞いているんだよ!」
 アイーナに促されてようやく声がした。
「ない」
「そんな! まさか」
 チョットマが息をのむのが分かった。
 まさか、死んだっていうんじゃ……、という言葉と共に。

「アヤの名前はありますか! あるいは、フミユという名は!」
 イコマは叫んでいた。
「教えてください! 私の娘なんです!」

 しかし、それきりブランジールは一言も発しなかった。
 アイーナは、ちらりと気の毒そうな表情をしたが、すぐにそれを消すと、自分の仕事に取り掛かった。
 レイチェルに話さなければならないこと、そして相談しなくてはいけないこと。
 イコマは苦々しい気持ちと不安で、鞭打ち症になったかのように、聞いてはいるが深くは考えられなくなった。
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