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パリサイド 作者:奈備 光

2章

18/82

17 仮面を外せ

「ごめんね……パパ……浮気して……」
「ハハ、そんなのは浮気って言わないよ。君を楽しませようとマスカレードに行ったんだから」
 チョットマの声は、話し始めた時に比べて、少しは強くなったように感じる。
 それでもまだ、時々息をつき、思考が迷っているような間がある。
 未知の病との戦いはまだ終わっていないのだ。

 一つ目のお姉さんは、シャンソンを唄ってくれている。
 チョットマはリンゴをかじり、ソーダー水を口に含んでまた話し出した。


 音楽は終わらない。
 次第にテンポが増していき、ついていけないほどになったかと思うと、一転して重厚な響きを奏で始めた。
 ああっ!
 誰かの声に、すべての目が天井に注がれた。
 描かれた絵に亀裂が入り、光が漏れだしていた。
 階段だ!

 天井に巨大なハッチが開くように、大きな階段が降りてきた。
 おおおっ! すごいぞ!
 歓声が上がる。
 うわ!
 どんな仕掛けなんだ!

 幅三メートルはあろうか、長く緩やかにカーブした階段だ。
 立派な装飾の施された手すりに、ふかふかの赤い敷物。
 その最下段が手の届きそうな位置まで降りてきたとき、再び歓声が上がった。

「誰なんだ!」
 降りてくる者がいる。
 ゆっくりと、力強い足取りで。
 歌っている。
 マスカレードの歌を。
 艶やかなマントを翻しながら。

 うおっ!
 男が剣を抜いた。
 頭上高らかに掲げると、シャンデリアの光を受けてきらびやかに輝いた。

 音楽が消えた。
 男の声が響き渡る。
「畏れ多くも皇帝や姫君、そして、紳士淑女の諸君に申し上げる!」

 ホールのざわめきも消えていく。
「いつもの仮面の上に、新たな今日限りの仮面をつけた気分はいかがだったかな!」
 男が剣を振り払った。
 切っ先から、キラキラしたものが飛び散り、ホールに降り注いだ。

「私からの提案だ! ここで、今日の仮面を脱ぎ捨てよ!」
 男が見下ろしている。
「どうだ! できるか!」と、剣でホールの一角を指示した。
「どうだ! できるか!」と、また違う一角を。

 ホールの人々は静まり返った。
 そんな。今更、仮面を外せと言われても。
 そんなどよめきだけが、漂っている。
「できるものがいたら、そいつを叩き出せ! ここは仮面舞踏会! 羽目を外してこそのマスカレード!」
 どよめきは歓声に変わった。

 男がまた剣を振り払った。
「では諸君! これを!」
 剣はたちまち消え失せ、大量のチョコレートが降り注いだ。
「これが最後の曲だ! 心残りなく踊り給え!」
 と同時に、音楽が始まった。
 哀愁を帯びた曲だった。


 最後の曲、とチョットマは呟いた。
 そして、EF16211892と繋いだ手に思いを込めた。
「約束を違えることになりますが」
「もちろん」

 曲はますます憂いを帯びていく。
 去り難さが募る。
 今日の楽しさを噛みしめるようにチョットマは踊った。


 あっ、雪かしら……。
 誰かの声に振り仰ぐと、チラチラ光る煙がホールの上空を覆っていた。
 見れば、階段はかなりの高さまで上がっているが、男はまだそこに仁王立ちしていた。
「よく聞け! この曲が終わるとき!」
 声が降り注ぐ。
「惨劇は始まる! 元の世界に戻りたくば、速やかにホールから立ち去れ! さもなくば!」
 と言ったきり、階段は天井内に収まり切り、男の声は消えた。
 後に残されたものは、小さな光が渦巻くのみ。


 ふと、EF16211892が囁いた。
「仮面を」
「えっ」
「冗談です」
 むろん、チョットマは仮面を外すことに躊躇はない。
 しかし、ここは仮想空間。
 男が、叩き出せと言った限り、何が起きるか知れたものではない。

「また、お会いできますでしょうか」
「ええ、きっと」
 たとえゲストを喜ばすシナリオだとしても、チョットマはうれしかった。
「きっと会えますわ」
「ありがとうございます。この喜びを胸に、次の舞踏会を待っております。どうか、わたくしをお忘れになりませんよう」
「忘れません。忘れるものですか」


 曲が終わった。
 ホールからそそくさと立ち去る人々の上で、光が激しく渦巻いていた。
 不吉なほどに。

「私たちも離れましょう」
「何が起きるんですの?」
「存じません。さ、早く」

 EF16211892は慌てているようだ。
 引っ張られるように、ホールから出た途端、後ろで激しい音がした。
 悲鳴が上がった。
 シャンデリアが!
 叩きつけられたシャンデリアはものの見事に砕け散り、辺りには一瞬にして暗闇が襲ってきた。

「皆様、ご安心ください」
 ホールボーイや掃除係が一斉に松明を掲げた。
「危険はございません!」
 係員達は笑みをたたえている。
 人々の悲鳴は次第に収まり、人騒がせな演出だよ、という声も聞こえた。

「まだ、十分にお時間はございます。ゆっくりとご準備ください!」
「お帰りの際には、宮殿入口にてご案内を差し上げます。どうぞ、そのままの姿でおいでくださり、一言お声掛けくださいませ!」
 一陣の風が吹いた。
 チラチラしたものが巻き起こした風だった。
 微細な粒子がそれぞれに光っているように見えた。
「本日はご来場、まことにありがとうございました!」


 EF16211892は、三階の貴賓席まで送ってくれた。
「ひとつ、わたくしと約束をしていただけませんでしょうか」
 途中、手を離さない。
「はい。なんでしょう」
「お互いに理解し合おうと努力すること。これを人は愛と呼びます」
「はい……」
「次にお会いするときには、もう少し、わたくしのことを」

 この男は最後まで、こうやって気分を盛り上げてくれる。
「そうですね。喜んで」
 チョットマも、仮面舞踏会が完全に終わり、オペラ座の小さなペア用ブースに戻るまでは、姫君になりきっていようと思った。


 イコマは、リンゴをかじるチョットマを見て思った。
 よかった。あの番組に連れて行って。
 大仕掛けで時代がかったプログラムだが、こんなにチョットマは楽しんでくれていたのだとうれしかった。

 そう。
 あれから少しして、チョットマは頬を紅潮させて貴賓席に戻ってきた。
 パパ! ただいま! 楽しかった! と抱き付いてきたものだ。
 いい青年そうじゃないか。
 などと言って、チョットマをからかったものだ。
 もちろん、EF16211892は実在の人物ではない。プログラムが作り出したチョットマ好みの男。
 チョットマを喜ばせるシナリオをなぞっていくバーチャルな存在。

 しかし、チョットマは何とも言えない顔で、がっかりもしていた。
 貴賓席に戻って抱き付いてきたそのすぐ後に通路を覗いたが、すでにEF16211892は影も形もなかった。
 お役御免というわけだ。
 わかってはいるが、なんとなく寂しい気持ちがしたのは仕方のないことだ。
 あれほど持ち上げられた後では。


 チョットマは話し終えて、余韻に浸っているように、ライラが口元で持ってくれているソーダ水のストローを舌で弄んでいる。
 もっと話をさせる方がいいのだろうか。
 違う話でも。
 たどたどしい話し方で、かなりの長時間、話し続けていた。
 疲れているだろうが……。
 イコマはユウを見たが、ユウの口は、今はこのままでいいと思う、と動いた。

 チョットマの病気。
 厄介な病気だ。
 ユウははっきりそうは言わなかったが、いわば、精神を乗っ取られるということではないか。
 乗っ取られるとまではいかなくても、歪められてしまう。
 そんなウイルスとの戦い。
 宇宙にはなにが潜んでいてもおかしくない。それが人にとっては未知の病原菌となる。
 そんな世界に飛び出してきたニューキーツの人々。
 今更、強烈に恐ろしいと思った。
 しかも、パリサイドにはすでにある程度の耐性が備わっていたとしても、地球人類はむくの赤ん坊のような無防備を晒しているのだ。
 チョットマの瞳や唇を見つめながら、イコマは不安を消せないでいた。


 と、扉が開き、レイチェルが飛び込んできた。
「チョットマ! 大丈夫? 気分は?」
 入ってくるなり、レイチェルはチョットマに覆い被さるようにして抱きしめた。
「ゴメン! 来るのが遅くなって!」
「来てくれて……、あり……がとう……」
 まだ流暢に話せないチョットマを、レイチェルはもう一度抱きしめて頬ずりした。
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