別れ
夜明け前の町は静けさに包まれていた。トンフィーの懐中時計の針は、午前四時二十分をさしている。毎日四時に起きていると言っていたラウルの店の前を通った時も、勿論、家の中からラウルと奥さんの楽しそうな笑い声など聞こえてはこなかった。他の家にも明かり一つついていないし、いびきすら聞こえてはこない。そんな人気の無い家々の間を、レジスタンスの一行は立ち止まる事なく駆け抜けて行く。
目指は――再び、西の森。
東側にいる軍隊を避けて行こうと思えば、自然とそういう事になる。
総勢二十五名なる一団の先頭を行くのは、夜の闇に負けないほどの漆黒の髪をなびかせた、女戦士マリンサだ。自らのペットでもある大きなダチョウの背に跨り、後ろを走る幼き新リーダーを守るように前に立って走っている。トンフィーが見たところ、彼女と同じようにペットを自らの馬代わりに使っている者が他にも数人いた。それどころか馬自体をペットにしている者も少なくなかった。その事を後ろでたずなを握るレジスタンスの元リーダーに言ってみたところ、馬をペットにすればその馬のスピードや体力が上がって、実に便利なものなのだと教えてくれた。もともと馬は人に慣れやすく、わざわざ調教師を使う必要もないし、誰にでも扱えるからペットに馬を選んでいる者はとても多いという。なるほど、とトンフィーは納得した。
自分達の乗った馬の前では、中年らしく余分な肉を蓄えた、ぽっちゃりしたペッコリーナ先生の体が馬の上で揺れていた。ついこの間まで、優しくてちょっとおっちょこちょいなだけのただのおばさんだと思い込んでいた。今では、あの背負いこんだ弓を構えた時の彼女が、この中にいる若く逞しい女戦士達の誰よりも素晴らしい力を発揮するという事を知っている。
決して大柄でもないその背中に隠れて、前に座っているはずのメルメルの姿は全く見えなかった。それ程彼女はまだ小さく、幼いのだという事を今更のようにトンフィーは思った。それなのにも関わらず、国を相手に戦いを挑もうという反乱軍のリーダーになどなってしまったのだ。メルメルがリーダーになる以外の道は無かったのかも知れない。あれは、レジスタンスにとっては最善の方法だったのだろう。そうは思うが、メルメルの背負ったものの重さを考えると、トンフィーはなんともやるせなくなってしまうのだ。つい、恨みがましく後ろを振り仰ぐと、思惑通りメルメルとの感動的とも言えるリーダー交代劇をやり遂げたグッターハイムは、トンフィーの恨めしい視線にも気付かず機嫌良くニヤッと笑った。
「連中、しっかり追い駆けて来ているかな? まぁ、あくまで『ふり』だから必死になる必要はないがな」
そう言われるとトンフィーは少し気になってきてしまって、体を傾け後ろを見ようと試みた。しかし、すぐ後ろを同じように走っている仲間達の向こうに、町の者達が追い駆けてくる松明の明かりなどは全く見えなかった。
軍隊は町の人々に、レジスタンスの者達を殺すように命じてきたのだ。それなのに、故意に逃がした事がもしバレてしまえば何かしらの罰を受けるに違いない。一応追いかける『ふり』くらいしておいた方がいいとグッターハイムは考えた。そうすれば、いまだに町の中をうろついている悪魔の兵隊がそれに気付いて報告してくれるかも知れない。
しかし、それだけでは心もとないと言い出す者がいた。彼は、「少し信憑性を持たせる為に、もう一工夫しよう」とあるアイデアを出して、自らがそれを実行すると言った。
「どうした? そんなに後ろばかり見て」
グッターハイムに言われて、トンフィーはようやく前を向いた。
「ラウルさん……。大丈夫かなと思って……」
「ああ……。ま、大丈夫だろ。致命傷にはならないようにやったからな。少々――痛かったかも知れんがな」
少々では済まなさそうだったな、とトンフィーは思った。
――レジスタンスの者を捕まえようとしたが、抵抗され切られてしまった。そんな者がいたりすれば、必死で「レジスタンス狩り」をした事に信憑性を持たせる事が出来る。
確かに良いアイデアだが、かなり危険な行為だった。
「全く……見上げた根性だな」
グッターハイムの呟きにトンフィーは無言で頷いた。ラウルの、町を愛する気持ちは本当に見上げたものだ。
そう――ラウルは町を愛していたのだろう。だからこそ、あの時口論になったのだ。真剣な思いがすれ違ってしまうと、時に人は争ってしまう事がある。だがあの時、メルメルもラウルもチムニーのママも町長も、自分を含めた全員が、同じようにこの町を愛する気持ちで苦悩していたから、最後には分かり合う事が出来たのだろう。
とても、素敵な町だ。
そう考えて、トンフィーの頭の中に次々と町の人々の顔が思い浮かんだ。トンフィーの場合、母親との二人暮らしを不憫に思って、様々な人達が世話を焼いてくれた。そうした優しい人達の顔。そして、やはり浮かんでくるのは、クラスのみんなの顔だ。メルメルと二人で別れを告げた時、女の子達はみんなメルメルと共に泣きだしてしまった。男の子達だって別れを悲しんで涙ぐんでいたし、頑張れと励ましてくれたりした。
――そういえば。とトンフィーはある事を思い出した。
ドミニクにはすっかり驚いてしまった。なんと、自分もレジスタンスと一緒に行くと言い出したのだ。祖父である町長に、「お前は足手まといになるから駄目だ!」と止められて、結局は彼の希望は叶えられなかったのだが……。
(何故、ドミニクはあんな事を言い出したんだろう?)
首を傾げながらも、トンフィーには何となく理由が分かってしまっていた。でもその理由を言ったら、ドミニクもメルメルも顔を真っ赤にして怒るかも知れない。これは口には出さないでおこうとトンフィーは思った。
「いよいよ旅立ちの時だぞ。トンフィー」グッターハイムが背中で呟いた。
馬の速度がぐっと上がり、前を行くメルメル達の乗った馬の隣に並んだ。トンフィーがぼんやりと考え事をしている間に、一行はいつの間にか町を出て、町と西の森との間にある例の小高い丘を登っていたようだ。トンフィーは、頂に生えた大きな杉の木を見上げ、あの、二人で旅立った日の事を思い出した。
あの時、木の影から飛び出した自分を見て、涙ぐむ程に喜んでくれたメルメルの笑顔が思い浮かぶ。そして、それからおこった様々な出来事の記憶が走馬灯のように頭の中を流れた。
その中で幾度も思い浮かんで消えていくのは、隠れ家で出会った美しい女戦士の顔だった。初め、グッターハイムやペッコリーナ先生の話を聞いた時に、屈強な男の戦士を想像していた事を思い出し、トンフィーは思わずクスッと笑った。その笑い声に気付いた少女がこちらを見て、涙ぐんだトンフィーに気付き、一瞬目を瞬かせた。それからなにかを察したようで、にこっと優しく微笑んだ。
誰が命じるでもなく、一行は杉の木の横で立ち止まり、町に暮らしていた者もそうでない者も、名残惜しそうに後ろを振り返った。見下ろした暗い町の中で、ゆらゆらといくつもの赤い光が動いているのが分かる。あれはおそらく町の人々がレジスタンスを追いかける『ふり』をしている松明の明かりに違いない。
「いつか必ず帰ってこようね」メルメルが隣でポツリと呟いた。
それは、口で言うほど簡単に叶えられる願いではないと、トンフィーには分かっていた。
反乱軍――レジスタンスのリーダーになったメルメルが、こんな偏狭の田舎町に戻ってこられるのは、全ての事を成し遂げた時、――つまり、暗黒王を倒した時だけだろう。果たして自分達は、生きてもう一度この町に戻って来られるのかどうか……。そこまで考えて、トンフィーは自らの弱気な気持ちを振り払うように、大きく首を横に振った。
「勿論さメルメル! 必ず帰ってこよう!」
メルメルは嬉しそうに笑った。
「あったり前じゃないの! メルメルはおじいちゃんと一瞬に、お菓子屋さんをやるんだもの」
いくらか興奮しているようで、丸いほっぺを赤くしながらペッコリーナ先生が言った。
「本当ですかリーダー? それじゃあ、必ずあたし買いに行くわ!」
キーマが嬉しそうに両手を上げた。他の者もみんな、絶対買いに行くぞと言い出して、グッターハイムは嬉しそうにガハハハと笑った。
「おいおい! これじゃあ、整理券を作らないといけないぞメルメル! ……ん?」
やけに静かだと、グッターハイムが不思議に思って隣を見れば、メルメルはなんだかぼんやりと遠くを見ていた。
「どうした、メルメル?」
「プラムのお菓子屋メルメルメルヘン」
メルメルは小さな声で呟いた。グッターハイムはその言葉を聞いて、思わずはっとした。
「それ、お店の名前ですか?」キーマは首を傾げた。
「…………」
「リーダー?」
黙り込んでしまった少女に、キーマは更に首を傾げた。すると急に、メルメルはにっこりと笑った。
「そうよ! お店の名前は、――プラムのお菓子屋メルメルメルヘン。――とっても素敵でしょ? おじいちゃんのお菓子は最高に美味しいんだから! みんな必ず買いに来てね。た~っぷりサービスするから!」
オー! と歓声を上げる人々。ペッコリーナ先生は呆れ顔で笑った。
「こらこら! そんな大声出したら敵さんに見つかってしまうわよ! ――さあ、行きましょう!」
「よっしゃ! 行くか!」
グッターハイムが叫ぶと、ようやく皆森に向かって丘を降り始めた。
「待って!」
突然の叫び声に、皆今度は一斉にピタリと動きを止めた。トンフィーなど、急停止した馬から転げ落ちそうになってしまった。
「どうしたのよメルメル……」首を傾げるペッコリーナ先生。
メルメルは右前方をじっと見つめている。その視線を追って、ペッコリーナ先生も周りの者も、あっと口を開けた。
「――スリッフィーナ!」
メルメルの見つめる先から、赤毛の豹がゆったりと駆け上がってきた。
「――あ! メルメル!」
メルメルがぴょんと馬から飛び降りて、ペッコリーナ先生はちょっと驚いてしまった。構わず駆けて行くと、向こうも真っ直ぐに駆け寄ってきて、あっという間に一人と一匹は坂の途中で向かい合った。
「スリッフィーナ……」
メルメルは、じっとその金色の目を見つめた。言葉は通じなくとも、お互いの気持ちは深いところで確実に通じ合っている気がした。
「…………」
太い首に両手を回しぎゅっと抱き締めた。柔らかい毛並みが頬をくすぐる。スリッフィーナはされるがままに大人しくしていた。メルメルは暖かい温もりをたっぷり味わってから、探るように手を動かしてその首輪をゆっくりと外した。名残惜しい気持ちで体を離し、その美しい金色の目をもう一度覗き込んだ。
「……さあ。自由に生きなさい」
スリッフィーナはその言葉を聞いて、ピクリと耳を動かした。くるりと背を向け、走り出す。
メルメルの目には、遠ざかって行く美しくてしなやかな赤い獣の背に、一人の女性が跨っているのが薄っすらと見えた。赤い髪をふわりと風になびかせ、ゆっくりとこちらを振り返った。
その驚く程澄んだ、青い瞳。
――さぁ。行こうメルメル……。
込み上げてきた涙のせいでメルメルの視界がぼやける。一度瞬きをしたら、その姿は月明かりにゆらりと溶けて消えてしまった。
赤毛の豹が森の中へと入って行くのを見届けて、メルメルはくるりと後ろを振り返った。ぼんやりと見守っていた人々に、にっこりと笑いかける。
「さあ! 行こうみんな!」
―― 第一章 戦士ライン 完 ――
小説家になろう 勝手にランキング
評価
ポイントを選んで「評価する」ボタンを押してください。
ついったーで読了宣言!
― お薦めレビューを書く ―
※は必須項目です。
+注意+
・特に記載なき場合、掲載されている小説はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
・特に記載なき場合、掲載されている小説の著作権は作者にあります(一部作品除く)
・作者以外の方による小説の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。
この小説はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この小説はケータイ対応です。ケータイかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。
小説の読了時間は毎分500文字を読むと想定した場合の時間です。目安にして下さい。