#98:祐樹の過去(13)グルメの会【指輪の過去編・祐樹視点】
お待たせしました。
今回も指輪の見せる過去のお話の祐樹視点です。
今回はいつもより長くなってしまったので、
読むのに時間がかかってしまうかもしれません。
どうぞ、よろしくお願いします。
#53・#54の頃の祐樹視点になります。
夏樹とグルメの会をするようになってから、普段の外食する時のお店選びの観点が変わった。味・お店の雰囲気・値段、そして夏樹が喜ぶだろうかと言う事。グルメの会のための下見と化した普段の外食。可笑しくなるぐらい、月一のグルメの会を楽しみにしている自分に苦笑する。
もっと楽しくしたくて、お互いが紹介したお店をミシュランよろしく評価する事にした。天邪鬼な夏樹は、強気で受けて立つけれど、俺との外食経験の差か、負けて悔しそうにする彼女を揶揄うのも楽しみの一つとなってしまった。俺ってSの気があったのか?
俺は夏樹との、この距離感を気に入っていた。月に一度、一緒に食事をする。ただそれだけ。食事の後に何処かへ行く事も無い。食事が終われば右と左に別れる。それだけの関係。それ以上の関係になる事は考えてもいなかったし、望んでもいなかった。ただ、夏樹が俺と食事をする事を楽しんでくれたら、それでいいんだと思っていた。
夏樹も俺の事嫌ってはいないのだろうと思う。夏樹の性格からすると、男と二人で食事に行くこと自体避けそうな気がするが、やはり友達繋がりで無碍にできないのもあるだろうし、押しに弱くて俺の強引な誘いを断れないのもあるかも知れない。でも、一番は美味しい物を食べたいと言う食に対する好奇心が、こんなグルメの会を続けている理由なんじゃないのだろうか? 時々、もしかして俺の事、意識している? って思う事もあるけれど、俺が笑いかけると同じような反応をする女性は沢山いるから、その程度なんだろうと思っていた。
二十八歳の十月、今月は夏樹がお店を紹介してくれる予定だ。先月、俺が大学の頃から行きつけにしていたイタリアンのお店に連れていったら、何種類もの料理を頼んだのにもかかわらず、夏樹は美味しそうに俺と二人で完食した。いつもなら、男と行った時に食べる量だ。夏樹の食べ物は絶対の残さないという信念(本人曰く、食いしん坊なだけらしいが)の様な食べっぷりは、思わず見惚れてしまう程だった。そして、彼女は素直に星三つを付けてくれ、来月は任せてと強がる。
自分でレベルを上げている事に気付いているのだろうか?
グルメの会の一週間前の週末土曜日、得意先に呼び出されて休日出勤をしていた俺は、昼食をその得意先の近くで取った。食事を終えてテーブルの間をレジに向かって歩いている時、丁度ドアが開いて楽しそうにお喋りしながら中へ入って来た男女に目が行った。
……夏樹?
一緒にいた男に向ける笑顔にドキリとした。
誰だ? アイツ……。
夏樹が俺以外の男性と二人きりで食事に行くなんて、考えもしなかった。あんな笑顔を男に向けるなんて思いもしなかった。
入口付近で案内を待つ夏樹と目が合うと、彼女は一瞬怯んだ。俺はさっき感じた感情を全て飲み込んで、夏樹に向かって営業用の笑顔を貼り付けニヤリと笑った。
「珍しいところで逢ったね、夏樹さん」
俺はわざと白々しく挨拶をした。彼女も社交辞令の様な挨拶を返す。そして、彼女の斜め後ろにいた男性を一瞥して、さらりとデートなのかと訊いた。慌てて否定する彼女に、その男は俺の事を尋ねた。
夏樹に紹介されてお互いに会釈し、これから食事をする二人に「ごゆっくり」とその場を離れた。しかし、思い付いて振り返り彼女の名を呼ぶと、最後に一言付け加えた。
「夏樹さん、このお店は候補から外した方がいいよ」
夏樹は唖然とした顔をして俺を見た。俺は笑い出したいのを我慢して、クルリと背を向け遠ざかった。
このお店は星二つぐらいのレベルだったけれど、目の前で夏樹が他の男と来たお店に案内されてもね。
そして、その一週間後に夏樹が案内してくれたお店は、彼女と会ったあのお店よりはるかにレベルの低いお店だった。俺があんな事を言ったから、あのお店は辞めたのだろうけど……。あのお店より落とすってどうなんだ? あの男との方が、美味しいお店へ行くと言う事なんだ。
俺は訳のわからぬイライラに、無表情で「星一つ」と評価を下した。そんな俺の評価にいつにない落ち込みようの夏樹を見て、我に返った。夏樹を落ち込ませるために評価をしていたんでも無いし、そのためのグルメの会でも無かったはずだ。夏樹と楽しく食事がしたかっただけなのに……。本末転倒だなと心の中で苦笑し、慰めるように彼女の頭を撫でると、「次、期待している」と一言だけ声をかけた。
それでも、落ち込んでいた筈の夏樹が、無理に笑って「任せて」というのを見て、何とも言えない罪悪感を覚えた。
夏樹が男と一緒にいるのを見てから、あいつと付き合っているのだろうかと疑惑が心の中に沸き起こった。夏樹が誰と付き合おうが、俺には関係ない事じゃないかと自分を諫めるが、それじゃあこのグルメの会はお終いだなと嘲笑うような声が頭の中で響く。
今までこんな事は想定していなかった所為か、酷くうろたえている自分に驚いてしまう。夏樹の性格なら、誰かと付き合い始めたら、必ずグルメの会は辞めたいと言うだろう。夏樹が言い出すまでは、考えなくていい事だと自分に言い聞かすが、また同じ事をグルグルと考えている自分に辟易とした。
そんな十月の終わり頃、懐かしいあの人からの電話があった。でも、携帯に彼女の名前が表示された時、一瞬出るのを躊躇してしまった。
「お久しぶりです。智恵美さん」
俺はいつもと変わらぬ調子で挨拶をした。彼女からの連絡はだんだんと間が空いて、今回は一年と四ヶ月ぶりぐらいか……。また、会おうと言う電話だろうか? いくら智恵美さんでも、もうあんな関係は続ける気は無い。
「本当に……ご無沙汰しちゃったわね」
「智恵美さん、俺はもう……会えません」
「あら、彼女でもできたの?」
「いや、そういう訳じゃないですけど……」
言い淀む俺にお構いなしに、明るく元気な声が返って来た。
「あのね、今日は会いたくて電話したんじゃないの。報告とお礼とお別れを言うために電話をしたのよ」
「えっ?」
「ふふふっ、私ね、とうとう運命の人に出会ったの。祐樹には、辛い時にいろいろと慰めてもらって、癒してもらって、私立ち直る事が出来たから、お礼が言いたかったの」
「ええっ? 運命の人ですか?」
「そうなの。こんな仕事をしているから、いろんな人の出会いを聞く機会が多くてね。それぞれの出会いにはやっぱり運命を感じるのよ。だから、信じていたの。私にも必ず運命の人がいるんだって。最初の人は違ったけど、今回は絶対運命の人なの。一目見た時から運命を感じたのよ。……あのね、私、来月結婚するの」
智恵美さんの明るく元気な声が、最後は恥ずかしそうに、彼女の運命論の結末を告げた。
良かった。心からおめでとうを言いたい。彼女の一番辛い時を知っているから余計に、嬉しい報告だった。
「智恵美さん、おめでとうございます。良かったですね。俺も嬉しいです」
「ふふふ、ありがとう。……それで、祐樹は運命の人に出会えたの?」
「いいえ、俺には運命の人は用意されていないようです」
「祐樹……信じれば本物になるのよ。祐樹は今、好きな人もいないの?」
「好きな人……ですか? ……いませんね」
「本当に? じゃあ、どうして私と会えないなんて言ったの?」
「それは……、もう女性とそんな付き合い方をしたくなかったので……」
「ふ~ん。でも、あなたにそんな事を思わせた誰かがいるんじゃないの?」
思わせた誰か?
一瞬脳裏に浮かんだ顔は……。いや、彼女は関係無い。
「いませんよ」
俺はややぶっきら棒に言葉を返した。
「ふふふ、本当の事を言われると腹が立つらしいのよね。図星だった?」
智恵美さんは俺を揶揄するように、笑いながら言う。それが余計に腹立たせるのを分かってしているのか?
そういえば、俺が夏樹を揶揄う時も、彼女はこんな気持ちになるのかな……。こんな時に夏樹を思い出した事に戸惑った。
「そんな事ありません」
今度は冷静に、落ち着いて答えた。
「ねぇ、祐樹、あなたはもう恋愛はしないと言っていたけど、今でもそうなの?」
恋愛?
もう、そんな事、考えもしなかった。
「ああ、そうだな。俺にはできそうにもないな。結婚も無理かもしれない」
恋愛もそうだけど、祖父さんの決めた許嫁を断ったのだから、結婚も無理かもしれない。
下手に恋愛したって、どうせ親父の時みたいに祖父さんの反対にあって、相手を傷つけるだけだろうし……。
その時、智恵美さんが溜息を吐いた。
「祐樹……、あなたはどうして自分の人生を諦めるの? これからの長い人生をパートナー無しで過ごすつもりなの? それがどんな孤独な事だか、分かっているの?」
人生を諦めている?
諦めたく無くて、愛の無い結婚を白紙に戻してもらったのに……。
それでもまだ、諦めていると言うのか。
……そうかもしれないな……自分には運命の人はいないと諦めていたし……。
祖父さんの反対が怖くて、恋愛する事さえ避けていた。
「そうですね。諦めていたのかもしれない。実は俺、決められた許嫁がいたんです」
俺は、祖父さんの決めた許嫁がいた事と、自分の人生を諦めたく無くて、その許嫁との愛の無い結婚を白紙に戻してもらった事を話した。
「それなら、どうして恋愛も結婚も諦めている訳?」
「諦めていると言うより、自分には無理だと思っていたんですよ。それに、たとえ恋愛して結婚したいと思っても、必ずお祖父さんが俺から相手を引き離すだろうと言う事は分かっているんです。親父の時もそうだったらしいですから……」
「祐樹、それを諦めているって言うのよ。どうして、何も始まっていない内から、諦めるの? あなたが運命の人だと信じれば、道は自ずと開かれるわよ。でもね、幸せは待っていても来てくれないの。自分から努力して掴み取りに行かないと、ねっ」
智恵美さんは、最後にクスリと笑った。
智恵美さんが運命の人との結婚が決まるまで、相当頑張った事が窺えた。
俺は自分が恥ずかしくなった。結局祖父さんの所為にして、自分で努力なんてしていなかった。最初から浅沼に生まれたのだから、仕方ないと諦めていた。
「智恵美さん、俺、お祖父さんや家の所為にばかりしていました。そうですね、自分の幸せは自分で努力して掴まないと、誰も責任なんかとってくれないんですよね」
「そう言う事。だから、祐樹も頑張りなさいね。あなたの女性との付き合い方を変えさせた誰かさんのためにもね」
「だから……そんな人、いませんよ」
「ふふふ、祐樹はまず、自分の心に素直になる事から始めないと……。自分の胸に手を当てて、よく考えなさい。じゃあ、あなたの幸せを祈っているわ。もう電話はしない。今まで本当にありがとうね」
「あ……、智恵美さんこそ、幸せになってください。俺の方こそ、今までありがとう」
電話を切った後、良かったと言う安堵の気持ちと、運命の人に出会えた彼女を羨ましく思う気持ちが交錯して、落ち着かない。その上、女性との付き合い方を変えさせた誰か、だって?
女性と後腐れの無い付き合いを頻繁にしていたのは(それも、ほとんどがその場限りだ)、もう二年以上前の事だ。そんな風に遊ばなくなったのは、お見合いした頃からだったろうか? 別に美那子さんに義理立てしていたつもりは無かったけれど、変なうわさが立って迷惑をかけてはいけないとは思っていたかな? どうだろう? そんな事、あの頃は考えてなかったような気がする。
とにかく、そんな気が起こらなくなったのは確かだよな。俺、もう枯れているのかな? 面倒くさいと言う事もあるし……。でも、今は……一つ思っている事がある。もう、女たらしだと思われたくないと言う事だ。以前なら笑って流せたのに、今は言われる度に、拒絶されている気がしてしまう。でも、これも自業自得なのかな?
****
時の過ぎるのは早いもので、もう十一月、晩秋といったところか。今月のグルメの会は俺の当番で、もう行き先は決めてある。紅葉の綺麗な山手の方の料亭を予約している。少し値段は高いが、夏樹に食べさせたいと思ったのと、たまには遠出するのもいいかなと思ったからだった。ただ、値段が高いから、俺が支払いは持とうと思っている。
そんな事を考えていると、また夏樹が一緒にいた男の事が気になった。今度のグルメの会の前に、夏樹に辞めたいと言われたら? そうなったら、仕方ないよな。……仕方ないで済ませられるのか?
又答えの見つからない疑問が、俺の頭の中でグルグル回り出す。最近、こんな自分が嫌になる。
そんな自分を持て余しながら出社すると、社長から呼び出された。慌てて社長室へ行くと、笑顔の社長に迎えられた。
「呼び出してすまなかったね、祐樹君」
そう、社長は圭吾の父親で俺の親父の親友だから、昔から知っている所為か、いつもの知り合いモードの呼び掛けだった。仕事の話なら姓で呼ばれるだろうが、下の名前で呼ばれるのはプライベートな話と言う事だ。
「いえ、かまいません、社長」
すると、社長はニッコリと笑って、思いもしなかった言葉を言った。
「祐樹君、おめでとう。君のお祖父さんと父親から話は聞いているから……。なかなか具体的な話を聞かなかったから、心配していたんだよ。いよいよ本決まりなんだって?」
「え? 何のことでしょうか?」
俺は社長の言葉に面食らった。全く思い当たる事の無い話を、全て分かっているよと言わんばかりの笑顔で話す社長に、怪訝な顔で問いかけた。
「照れる事無いだろう? 圭吾と君はずっと一緒にいたから、君の事も息子の様に思っているのに……。君の口から報告して欲しかったよ」
俺は益々意味が分からなくて、眉間のしわを深くした。
「だから、いったい何の話なんですか?」
俺は社長相手だと言う事を忘れ、キレた様に声を荒げた。
「な、なんだい? 何を怒っているんだい? 君の婚約発表の話じゃないか……」
え? ……俺の婚約発表? どう言う事なんだ?
祖父さんと親父が関わっているのは確かな事だ。
でも……誰と婚約するんだ? まさか……。
あの話は白紙になったんじゃないのか?
俺に何も言わずに話を進めているのか?
「どうしたんだい? 何か悩んでいるのかい?」
驚いた顔をして黙り込んだまま逡巡している俺の様子に、普通じゃない物を感じた社長が、俺の顔を覗き込むように訊いた。
こんな事、社長に言っても関係ない人を巻き込むだけだ。でも、今否定しておかないと、ますます話が広がるかもしれない。
「俺、その婚約話、聞いていません。相手が誰かも知りません。おそらくお祖父さんが勝手に決めた事だと思います」
「なんだって? 相手は君がお見合いした西蓮寺財閥のお嬢さんに決まっているじゃないか」
社長は俺の言葉に驚き、信じられないと言った顔をした。
「俺は半年前に、西蓮寺との話はお祖父さんに断りました。お祖父さんもそれで納得してくれたのだと思っていました」
「ええっ? 断った? 私は先週、お祖父さんから電話をもらってこの話を聞いたんだぞ。それで、君を今年度一杯で辞めさせて欲しいと言われたんだが……」
「お祖父さんはそこまでお願いしているんですか。そんな事も聞いていません。もしかして、俺はもう辞める事になっているんですか?」
「私の中では、そのつもりでいるんだが。でも一応本人から上司に話をした方がいいと思って、そちらから話が上がって来るのを待っていたんだが……。なかなか話が上がって来ないから、君を呼んだわけなんだよ」
「俺は辞めるつもりありません」
俺はここで負けてはいけないと思い、きっぱりと言い切った。しかし、目の前の社長は困った顔をして、途方に暮れている。
「とにかく、この話は浅沼家のプライベートだから、お祖父さんやご両親ときちんと話しをして、それからもう一度報告してもらえるかな?」
目の前の圭吾の父親は、さすがに伊達に社長はしていない。すぐに気持ちを切り替えて、適切な対応をしてくれた。
「わかりました。ご迷惑をおかけしてすいませんでした」
「いや、いいんだよ。君もお祖父さんには苦労をさせられるな」
そう言って、薄く笑うと、俺の肩をポンポンと叩いた。
俺は社長室を後にして、自分の部署に戻る間、気持ちの整理をつけようと思った。本当なら今すぐ祖父さんの所へ行って、問いただしたいが、仕事を放り出していける訳も無く、定時まではしっかりと仕事をし、時間になると飛び出した。
祖父さんに逃げられるといけないので、直接、浅沼コーポレーションへ向かった。しかし、浅沼の息子だと公表していない今の俺にとって、アポが無いと言う事で、丁寧に会長との面会は断られてしまった。
しかたなく、祖父さんの秘書の足立さんに電話を入れた。すると何と言う事か、祖父さんと一緒に今イギリスに来ていると言うのだ。十二月の始めまで帰国しないし、今も手が離せないので電話に出られないと、冷たく告げられた。
俺はこの時になって、まんまと祖父さんの陰謀に嵌められた事に、ようやく気づいたのだった。
2018.2.11推敲、改稿済み。