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#92:祐樹の過去(7)仮初の恋人【指輪の過去編・祐樹視点】

お待たせしました。

今回も指輪の見せる過去の祐樹視点です。

祐樹と夏樹が付き合っているフリをしていた期間の祐樹側の話です。

今回はいつもの倍の文字数になってしまいました。

でも、途中で切れなくて、このまま更新させてもらいます。

長いので、頑張って読んでくださいね。

 恋人のフリか……。なんて安直な事、考えたんだか……。

 自分自身の想定外の行動に、俺は今更ながらに溜息を吐いた。

 

 圭吾の初めてのデートに付き添った日の夜、予想通り圭吾から電話があった。


「祐樹、どういう事か、きっちり説明してもらおうか?」

 いつにない怒った声の圭吾に、少し怯んだ。このところ俺に頼ってばかりいた圭吾も、怒る事があるんだ。


「説明も何も……。夏樹とはあのパーティの後、何度か会ったんだよ」

 俺は夏樹と決めた通りの説明をする。


「おまえ……、まさか……夏樹さんは、おまえの遊び相手になる様な女性じゃないぞ」


「誰も遊びだなんて言って無い」


「じゃあ、本気なのか? 結婚予定の女性がいるのに……」

 俺は圭吾の言葉に溜息を吐いた。男と女の関係がいつも白黒はっきりできるとは限らないのに……。


「祖父さんが決めた結婚相手の事は、関係無い。まだ婚約もしていないしな。夏樹の事は、これからどうなるか分からないけど、とりあえずお互いに気が合うから付き合い始めただけだよ」

 俺はできるだけさらりと説明した。いろいろと突っ込まれたらボロが出そうだったから。


「祐樹、おまえ……、今まで女性と付き合うなんて言った事無かったのに……。それこそ、リア以来じゃないのか?」

 いきなり出てきた過去の女の名前に、封印したはずの嫌な思い出が零れそうになる。


「嫌な事思い出させるなよ。別に俺が誰と付き合おうが圭吾に関係無いだろ?」

 険呑とした感情をあらわにした声で、俺は突き放す様に言った。


「関係無い訳無いじゃないか。祐樹が僕の事心配してくれるように、僕だって祐樹に幸せになってもらいたいんだ。お見合いした相手と付き合う事もせずに結婚しようとしている祐樹より、真面目にお付き合いして、本当に好きな人と結婚して欲しいんだよ」

 わかっている、わかっているさ。圭吾の言う事は……。

 

「圭吾、先走りするな。夏樹とは友達の延長みたいなものだから……」

 これ以上言ったらボロが出そうだと思い、口をつぐんだ。


「なんにしても、遊びじゃないのならいいよ。舞子さんが、とてもショックを受けていたけど……。きっと今頃、夏樹さんに電話していると思う。僕からもフォローしておくよ。また都合が合えば、一緒にどこかへ行こう」


「ああ、そうだな。舞子さんには、俺が夏樹に口止めしていたって、言っておいてくれよ。じゃあ、またな……」

 何とか、誤魔化し通せたか。

 俺は電話を切って、徐に息を吐いた。


 その後、俺と夏樹は、本当に付き合っているのじゃ無いので、頻繁に会う事も連絡し合う事も無かった。ただ、一、二ヶ月に一回ぐらいの割で、作戦会議と称して、それぞれの友達について報告をし合った。


 圭吾達は少しずつだが、恋愛のスキルを高めて行った。俺はことごとくダブルデートを断り続けていたが、美味しいお店を訊いてきたり、嬉しそうに舞子さんとのデートの話をしてくれたりするようになった。圭吾達の仲が順調に進んでいる事にホッとしていると、おまえたちはどうなんだと訊かれ、その度に、順調だよと誤魔化し続けた。圭吾ははっきり言わないが、俺のお見合い相手との事を心配しているのは分かっていた。それに、俺が自分の正体を告げずに夏樹さんと付き合っている事も……。


「圭吾、舞子さんにも俺の正体は言わないでおいて欲しいんだ。俺が正式に浅沼の後継者としてお披露目されるまでは。お見合いの話も……」


「わかっているよ。舞子さんに言えば、夏樹さんに伝わるものな。でも、真面目にお付き合いしているのなら、いつかは言わないといけないよ。何時までも隠し通せる物でもないし……」

 仮初の恋人にはそんな心配はいらないんだよと、心の中で言い訳して、圭吾に秘密を守る事を約束させる。俺は杉本祐樹でいる事に馴染み過ぎて、肩の荷が無い今の気楽な立場に安心しきっていた。いつかは浅沼祐樹に戻らないといけない事はわかっていたが、何処か異次元の話の様な気さえしていた。

 

 それでも現実は追いかけてくる。祖父さんは俺を呼び出すと美那子さんとは上手くやっているのかと訊いて来る。俺は適当に誤魔化すが、俺が美那子さんと会っていな事はバレバレなんだろう。そして、三ツ星のレストランを予約してあるからと、強制的に美那子さんと食事に行くよう仕向けられる。

 美那子さんに会う度に思うのは、彼女の目は俺を映す事があるのだろうかと言う事。話しかければ答えるが、まるで別世界にでもいるような儚さがある。彼女と結婚すると考えても、その先が想像できない。俺の立場ではこんなものだと思ってはいても、圭吾の幸せそうな顔を見る度、苦い思いが心の中に広がって行く。


 こんな事は考えてはいけない。

 大きな会社のトップに立つためには結婚に幸せなんて求めちゃいけない。結婚は企業同士の結びつきのため、子孫を残すため……。


 美那子さんに会った後はいつも、現実を思い知らされてどっぷりと疲れる。以前なら、ストレスが溜まった時は憂さ晴らしのように飲みに行って女性に声をかけたりしていた。そんな杉本祐樹としてなら楽しめた事も、ここのところ、浅沼祐樹としての自覚の所為なのか、美那子さんへの義理立ての所為なのか、圭吾の事や仕事の忙しさで気持ちの余裕を無くしている所為なのか、女性と遊ぶ事さえ面倒になってしまっていた。


 しかし、そんな時の気晴らしにと言う訳でもないけど、夏樹に会って、また揶揄いたくなる。顔を赤くしながらも言い返してくる彼女を見ているだけで、(すさ)んだ心が癒されていく気がした。

 彼女と会うのは一時間程。喫茶店やカフェで待ち合わせ、コーヒーや紅茶を飲む間の会話。彼女がコーヒーを苦手にしている事も、この時に知った。

 そして、やはり頭の中で近づきすぎるなと警報音が鳴る。仮初とは言え、付き合っている事になっている所為で、これ以上近づいて彼女の中に特別な感情が生まれては、どうしようもない。自惚れている様だが、麗華の前例もあるし、他の女性でも、ちょっと優しく笑顔で接すると、勘違いしてズカズカとこちらのテリトリーに侵入して来るような、女もいる。夏樹がそんな女達と同じとは思わないが、圭吾と関わりがある以上、二人の距離を必要以上に近づけるのは良くない。でも、付き合っているフリする事自体、もう充分近づいているのだが……。こんな面倒な事を始めた自分自身の気持ちが、良く分からなかった。


 夏樹も、もしかしたら同じような事を思っているのかもしれない。彼女の方から連絡が入る事は無い。会う時はいつも俺から連絡している。だから、それ以外で会うことも無かった。

彼女は俺達の関係を充分(わきま)えているのか、俺の事をまったくの恋愛対象外としか見ていないのか。それならそれでいいのに、どこか悔しく思う自分が不思議だった。


 美那子さんとお見合いをしてから一年が経とうとしている六月の土曜日、久しぶりの人からの電話を着信した。


「お久しぶりです。智恵美(ちえみ)さん」


「あら、まだ私の事覚えていてくれたの?」


「忘れるはずありませんよ」


「もう、一年ぶりぐらいかしら? 祐樹に忘れられちゃったんじゃないかって、心配していたのよ。どう? 会えないかしら?」


「わかりました。いつものところですね。じゃあ、今夜八時に」


 智恵美さんは、俺が大学生の頃に知り合った八歳年上の女性だ。デザイナーで自分のお店を持つオーナーだった。

出会った頃の俺は攻撃的だった。近づく女性達にウンザリとしていたし、冷めた目で見ながら、復讐のように女性と関係を持って行った。それでも心満たされる事は無く、いつもイライラとしていたような気がする。

 また、普段真面目な智恵美さんは、見知らぬ男性と関係を持つなんて考えもしない人だったと思う。しかし、その時は、結婚まで考えていた恋人が、上司の娘さんとの縁談を決め、振られてしまった時で、やけになっていたんだろう。同じような心の傷を持った俺と慰め合うように関係を持った。だからと言って、付き合っていた訳じゃ無い。俺はできるだけ、同じ人と関係を持つ事を避けている。執着されるのが嫌だったからだ。だけど、彼女だけは違った。お互いの傷を癒し合っていたのかもしれない。確かに俺は彼女に出会ってから、攻撃的な部分は影を潜めた。そして、女性に復讐をするような関係も辞めた。同じように彼女も振られた相手への想いを昇華して、仕事に前向きになり、忙しくなって行った。約束した関係では無かったけれど、忙しい彼女が今回のように連絡してきた時だけ、都合が合えば会うと言う関係が年に一、二度の割で現在まで続いていた。彼女に特定の彼がいるのか、俺と同じような関係を持っている奴がいるのかは、知らない。お互いの事を詮索しない事と、束縛しない事が暗黙の了解だった。そして、俺の方から連絡しない事も、俺の中のルールだった。


 俺はいつもの喫茶店で彼女と落ち合い、ホテルの中にあるレストランに車で向かった。彼女は三十代半ばに差し掛かって来たが、出会った頃よりずっと魅力的で綺麗になった。何より仕事が今乗りに乗っている所為なのか、自信みたいなものが余計に彼女を輝かせているようだった。


「智恵美さん、仕事の方忙しそうですが、俺なんかと会っていて良かったんですか?」

 最近テレビや雑誌などでもその名前が取り上げられている程の活躍ぶりの彼女だから、素直に訊いてみた。


「お陰でね、沢山注文がくるようになって毎日目も回る忙しさよ。でも、息抜きも必要でしょ? そうじゃないと良いデザインを思い浮かばないし……」

 そう言って、にっこりと笑った。そんな彼女を見ていて浮かんだ疑問は、最近圭吾の事にとらわれ過ぎていた所為なのか、自分自身の現実の所為なのか……。


「智恵美さんは、結婚はしないのですか?」

 やけにストレートに訊いてしまってから、慌てた。でも、彼女は大人の女性の余裕なのか、笑いながら睨んで「それ、セクハラ発言よ」と(たしな)められ、咄嗟に「すいません」と謝っていた。


「私はまだ、運命の人に出会っていないんだと思うの……」

 彼女は窓から見える夜景を見つめて、突然に話し始めた。


「こんな年になって乙女な事言っているって思うでしょ? でもね、まだまだ白馬の王子様を諦めきれないのよ。絶対この世界のどこかに、私の心の片割れを持った人がいると信じているの。そんな思いがデザインにも出るのだと思うわ。女性にとって愛する人と結ばれる事は、永遠の願いでもあるのだもの。その象徴であるウェディングドレスは、女性の夢と希望と愛が形になった物なのよ」

 そう、彼女はウェディングドレス専門のデザイナーだった。いくつになっても、女性としての夢を持ち続けているから、あんなに支持されているのだと思う。目の前の三十四歳の女性が、夢見る少女のように見えた。


「智恵美さんの若さの秘訣は、結婚への憧れを持ち続ける事ですか?」


「そうね。でも、それだと、なかなか結婚できそうにないわね? 願いがかなってしまったらお終いだもの。……どうしたの? いきなり結婚なんて……。今までそんな事、訊いた事無かったのに」

 彼女はクスクス笑いながら答えると、笑顔のまま俺の目を見て、探るように訊いて来た。


「最近友達がお見合いしたからかな?」

 彼女に尋ねられて、はじめて自分でもどうしてそんな事聞いたのかなって考えてみると、やっぱり、圭吾の事のせいなんだろうって結論付けた。


「祐樹と同い年の男性がお見合いしたの?」


「そうですけど……早いかな?」


「そうね、二十六歳だっけ? 男性にしたらお見合いより恋愛の時期なんじゃないのかな?」


「彼は高校の頃のトラウマがあって、女性恐怖症みたいなところがあったんです。女性には一切近づかない彼だったんですけど、父親の命令でお見合いしたら、その相手の人に恋してしまって……。彼の初恋なんですよ。だから、うまくいくように応援しているところなんです」


「へぇ、その相手の女性はどうだったんだろう? 彼女も彼を好きになってくれたら、お見合いでも恋愛みたいなものだよね」

 この話に興味を持ったのか、智恵美さんは目を輝かして訊いてくる。


「相手の女性もまんざらじゃないみたいなんですよ。でも、相手の女性も恋愛初心者の様で、まるで中学生の様な付き合い方をしています。今の中学生の方がもっと進んでいるぐらいかな?」


「うわ~、なんかいい感じだね。二十六歳で、初恋で、中学生の様な恋愛か……。私は中学の頃、どんな恋愛感情があったのかさえ、もう思い出せないなぁ……」

 智恵美さんは遠い目をして、記憶のかなたへ意識を飛ばしていた。


「それで、祐樹はそのお友達が羨ましくなったとか?」

 智恵美さんは悪戯っぽく笑いながら訊いて来た。


「俺は……、もう恋愛なんていいです。お見合いでもして、結婚するんだと思います」

 そう、これが俺の現実……。


「ねぇ、祐樹。もうそろそろ自分を解放してあげたら?」


「え?」


「だから、過去の恋愛の呪縛から、自分自身を解き放ってあげたらどう?」

 智恵美さんに初めて会った時に、自分も恋人に裏切られた事があると話したっけ。


「別に、過去に囚われて恋愛しない訳じゃないですよ」

 そう、本当は過去の恋を言い訳にしているだけ。いくら恋愛したって、近い未来にその恋は止められてしまう事を知っているから……。俺が、浅沼祐樹で有り続ける限り、その運命からは逃れられないのだから……。


「そう? 本当は怖くて恋愛できないだけじゃないの? また裏切られるのが怖いだけじゃないの?」


「そんな事……」

 彼女の真剣な表情を見て、言いかけた言葉を飲み込んだ。


「祐樹、私はね、運命の人だと思った人に裏切られたわ。でも、もう恋をしないなんて思わないの。今度こそリベンジしてやるって思っているの。どんな困難な運命が待ち構えていようが、私は私の夢を捨てないって決めているの。怖がっていたら、先には進めないわよ。結局運命は自分の手で切り開いて行くものだと思うから」

 そう言いきった彼女は、やっぱり自信に輝いていた。


「そうですね」

 俺は彼女を眩しそうに見つめながら、やっと一言返した。

 俺は彼女のように強くなれない自分を知っていた。でも、自分の運命を嘆きたくは無い。仕方ないと只受け入れるのじゃ無く、もっと前向きになりたいと俺の中に小さな願いが芽生えた。


 何処か責められている様で居心地が悪くなったので、話を変える事にした。


「そう言えば、最近話題になった梨園のプリンスと今話題の女優との電撃結婚、結婚式に彼女が着たウェディングドレスは、智恵美さんのデザインだそうですね?」


「あら、詳しいのね?」


「インターネットのニュースで見たんですよ。あなたの名前が出ていたから……。最近芸能界御用達のウェディングデザイナーだって載っていましたよ」


「マスコミはオーバーに書くから……。でも、ウェディングドレスのショーの時に出て貰ったモデル達の口コミから芸能界に広まったみたいで、結婚式も挙げないって思っていたジミ婚のカップルが、私のウェディングドレスだけは着たいって言ってくれるのよ」

 智恵美さんは嬉しそうにふふふと笑いながら、少し自慢気に話す。でも決して嫌味じゃない。それだけ頑張ってきた人だから……。


「芸能人が着てくれたら、良い宣伝にもなりますよね。益々忙しくなりますね」

 

「そうなのよ。結構いろんなところで取り上げてもらえるようになったのよ。それでね、ついに大財閥のお嬢様のウェディングドレスの予約も入ったのよ。元華族の流れをくむ西蓮寺財閥のお嬢様のウェディングドレスなの」

 え? なんて言った? 西蓮寺財閥のお嬢様?

 いつ結婚式が決まったんだよ? 婚約もしていないのに……。


「祐樹? どうしたの?」

 黙り込んだ俺を心配して声をかける智恵美さん。彼女には何も関係無いのだから、普通にしていなきゃ……。


「ああ、それはすごいですね。あの西蓮寺財閥ですよね?」


「そうなの! お母様が私のドレスのファンだったそうで、お嬢様の結婚式には絶対に着せたかったんですって……。お嬢様はお人形みたいに美人で可愛らしい人なの。でもね……」

 俺は一生懸命ポーカーフェイスを保ちながら聞いていた。すると、急に彼女は暗い表情になった。


「でも? どうかしましたか?」


「う……ん。お母様はとても嬉しそうなのに、お嬢様は全然笑わないのよ。最初は緊張している所為かなって思ったんだけど……。結婚前って幸せの絶頂の頃じゃないのかな? それともマリッジブルーかしら?」


「それは、政略結婚だからじゃないんですか? 相手の事、好きでも何でもないから幸せそうに見えないんですよ」

 俺は心の中で自嘲気味に笑った。

 あの無表情のお嬢様に感情なんてあるものか。人形の様じゃ無くて本当に人形なんだよ。

 俺は、自分の知らない所で現実が動き出している事に怒りを覚えた。


「ええ? そうなの? 祐樹は何か知っているの?」


「そんな大財閥のお嬢さんの結婚なんて、そんなものですよ。きっと、相手も何処かの財閥の跡取りじゃないんですか?」


「そうなの。浅沼財閥の御曹司だって……。でも、祐樹、良くそんな事知っているね? 確かに財閥同士だから、お見合いだと思うけど……。だからと言って、好きじゃないなんて断定できないでしょう?」

 相手の名前まで出しているのか。

 婚約もしていないとは言え、結婚は決まっているものな。

 俺もそれを認めていた筈なのに、現実に結婚へ向かって動き出していると思うと、心の中に抗いたい気持ちが沸き起こって葛藤する。


「でも、そのお嬢様は幸せそうじゃ無かったんでしょう? きっと相手はいけすかない奴なんですよ」

 俺の言葉に、智恵美さんは驚いた顔をした。そして、納得したのか、大きな溜息を吐いて「お嬢様って大変ね」と呟いた。

 そう、お嬢様にとって、俺はいけすかない奴なんだろう。

 俺の事を見ようともしない彼女にとって、この現実は苦痛なんじゃないのだろうか?

それなのに、嫌とも言わず、ただ流されているだけ……。まるで人生を諦めているみたいだ。


       *****



 あれから約一ヶ月後、俺は二十七歳になった。智恵美さんの話を聞いてからも、祖父さんからは何の呼び出しも無かった。俺も仕事が忙しくなって来ていて、すっかりその事を忘れていた。

 誕生日の夜、祖父さんとお祝いを兼ねて一緒に食事をする事になった。祖父さんが贔屓にしている料亭で、予想していた通りの話が持ち出された。

「祐樹、そろそろ一年経つが、もう準備はできているだろうね?」


「準備、ですか?」

 準備って何だよ。心の準備って奴か? 


「そうだ。今の会社を辞める準備と浅沼へ入る準備だ」


「え? 会社を辞めるんですか?」

 俺はそこまで具体的に考えていなかった。自分の現実認識の甘さに舌打ちしながら、今会社を辞めるなんて考えられないと思っている自分がいた。


「そうだ。浅沼に入るには、そちらは辞めないとな。高藤には世話になったから、良く礼を言うんだぞ」


「ちょ、ちょっと待ってください。俺はまだ辞めるつもりはありません。大変お世話になったのに、何も恩返しをしていないし……。この間昇進したばかりで、今大きな仕事に関わっているから、それを放っぽり出して辞めるなんて、とてもできません。それに、跡取りと言うだけで浅沼に入っても反感を買うだけでしょう? 今のところである程度の実績を積んでからの方が良いのじゃないですか?」


 俺の話を聞いて、考え込んだ祖父さんは、「祐樹の言うのも、一理あるな」と呟いた。

「それじゃあ、後半年待とう。それで結果を出すんだ」


「そんな……、半年は短いですよ。せめて一年下さい」

 俺は真剣に頭を下げた。俺の頭の中は今抱えている仕事の事を考えていたが、片隅で結婚への執行猶予を少しでも引き延ばそうと言う気持ちもあった。

 こんな中途半端な気持ちでまだ人生を決められない。


「わかった。一年待つ。その代わり一年だけだぞ。一年後には美那子さんと結婚してもらう。その二ヶ月前に、おまえを浅沼の後継者としてのお披露目と婚約発表を行う。もう決定だからな」


 祖父さんの声がまるで死刑宣告のように聞こえた。



「#24:これって修羅場?」の夏樹の回想シーンで、仮初の恋人期間に2度祐樹が女性と一緒のところを見ています。1回目が車に乗った二人で、2回目が三ツ星レストランから出てくる二人となっていますが、今回の祐樹視点では時期が逆になってしまいました。

夏樹の記憶違いと言う事で……お許しください。


2018.2.8推敲、改稿済み。

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