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#82:これは現実?【指輪の過去編・夏樹視点】

まだまだ、指輪の見せる過去のお話で、夏樹視点です。


 


「痛い!」

 いきなり鼻を思いっきり摘ままれて、大きな声が出てしまい、一気に現実に戻った。

 誰? 私の鼻を摘まんだのは? せっかく良い夢を見ていたのに。

 薄っすらと眼を開けると、目の前に誰かの顔があるのに、近過ぎて焦点が合わずぼやけている。


「夏樹、大丈夫か?」

 思いっきり鼻摘まんでおいて、大丈夫かも無いでしょ! それよりも私の夢。

 

「よかった。気を失ったかと思ったよ」

 さっき大丈夫かといった声が、安堵の息を吐いた。

 気を失った? ううん、失って無かったって……私夢見ていたんじゃないの? 寝ていたんじゃないの?

 いきなり全ての感覚が覚醒した。私のぼやけていた焦点がすっきりと合うと、目の前には、……本当にすぐ目の前には……祐樹さん! ええっ? 夢じゃないの? それに、私、彼の腕に抱かれている? 頭を彼の胸に持たせかけて……。


「キャー!!!」

 私はパニックに陥った。「離してー!」と暴れると、彼は腕を解放した。私はすぐさま彼を押しのけると洗面所から飛び出した。そして、寝室に飛び込むとリビングと隔てる両開きの引き戸をピシャリと閉め、ヨロヨロとベッドの傍まで行くと座りこんでしまった。寝室の外では彼が私の名を呼んで捜しているみたいだったけれど、今の私の耳には届かない。私の頭の中は、現状を理解しようと無意味に空回りしているだけだった。

 夏樹、落ち着いて考えるのよ。祐樹さんは何か食べさせて欲しいとやって来た。それは、私が昼間電話したから、着信記録が残っていたからで、私の事を約二ヶ月ぶりに思い出してやって来た。それで、浅沼さんのショックで混乱していた私は、祐樹さんに酷い事を言ってしまった。それなのに彼は、私にプロ……ああ、ここから先を考えようとすると、頭がフリーズしてしまう。


 その時、スーと寝室とリビングを隔てる引き戸が開けられた。遠慮がちに「夏樹」と呼ぶ彼。ベッドの横に座って上半身をベッドにうつ伏せて考え込んでいた私は、勢いよく体を起こすと彼の方へ振り返った。


「なあ、こっちへ出てきてくれないか?」

 彼は寝室から出てきて欲しいと、困り顔で言うけれど、私はすぐさま首を左右にプルプルと振った。


「落ち着いて話がしたいんだ。それに、ケーキもまだ食べてないだろ? 甘いものを食べて落ち着いて話をしよう?」

 ケーキ? あっ、レアチーズケーキがあったんだ。それもあの雑誌で有名なパティスリーのレアチーズケーキが……。

 私はレアチーズケーキに惹かれるようにふらりと立ち上がると、寝室を出てキッチンへ真っ直ぐに向かった。そして、お湯を沸かして紅茶を入れると、レアチーズケーキを取りだした。涼しげな可愛いグラスに入ったレアチーズケーキ。ブルーベリーのフルーツソースがのったそのレアチーズケーキは冷たくて、とても美味しかった。

 甘い物の威力ってすごい。さっきまでカオスな世界に陥った頭の中に、温かい血が巡って行くように、だんだんとクリアになって行く。そして気持ちまでも落ち着かせると言う効果を発揮したのだった。


 ああ、本当に美味しいと頭の中を甘いもので一杯にして、うっとりと食べていると、急に目の前で食べていた彼が、抑え気味の笑いを漏らした。なんだか馬鹿にされた様で、彼の方を「なによ?」と言いながら睨むと、彼は「夏樹らしい」と言ってまだ笑い続けていた。


「私らしいってどういう事?」


「いや、美味しいそうに食べるなって思ってさ」


「どうしてそれで笑うの?」


「ホッとして嬉しくて笑ったんだよ。さっきパニくっていただろ?」

 そう言われて、先ほどの事を思い出して、頬が熱くなった。考えないようにしていたのに。

 

「なあ、夏樹? 来週の日曜日は俺達の誕生日だろ? 両親に紹介したいんだけど……」

 え? と心の中で言ったけれど、声にはならなかった。目が点になるってこんな時だろうか? 私は驚いた顔のままフリーズしているに違いない。

 ええっ? なぜ? どうして? と頭の中でグルグルと言葉が駆け巡るが、結局空回りのまま何か言おうとパクパクと口を動かすけれど、声が出ない。


「去年の誕生日は、両親に誕生日を祝うから実家へ帰れって言われていたのに、ドタキャンして夏樹とレストランへ行っただろ? 今年は絶対に帰って来いって言われているんだよ。日曜日と重なるのも珍しいから余計だと思うけど……」

 彼は私の驚きなど気にも留めていないのか、私の反応をスルーしたまま話し続けている。でも、どうして、付き合ってもいないのに、いきなり両親に紹介などと言う事になるのか?


「どうして……? いきなり両親に紹介するなんて……」


「さっき、夏樹の結婚相手に立候補したんだけど……、わかっているか?」


「え? さっきの、やっぱり現実だったの?」

 私の言葉に彼は溜息を吐く。私はフリーズした記憶を、少しずつ解凍しながら思い出すと、ボッと音がするぐらい頬が熱くなった。

 ……私、祐樹さんにキスされた? 


「覚悟を決めて言ったのに、現実だったの? はないだろ?」

 まだ記憶解凍中の私は、祐樹さんの苦笑交じりの言葉に顔を上げた。目が合うと彼は笑顔を見せた。

 やっぱり本当にプロポーズしたの?


「あの……どうして、付き合っても無いのに、いきなり結婚なの?」

 記憶がすっかり蘇ったけれど、どうして? という疑問が消えない。さっきよりは甘い物のお陰か気持ちは落ち着きつつあるので、頭の中に溢れる疑問を、恐る恐る聞いてみた。


「夏樹は、結婚しなきゃいけない年齢だと思っているんだろ? このままだと、お見合いして結婚してしまうかもしれないだろ? だから、覚悟を決めたんだよ」


「……えっ、……私がさっき、実家へ帰ってお見合いするって言ったから、結婚する気になったの?」


「そうだな、まだ具体的には考えてなかったけど、そんな事もありかなって言うのは思っていた。だから、夏樹も覚悟を決めろよ」

 

 覚悟……。彼の事はいつも覚悟のいる事ばかりだ。婚約者のいる彼を想う気持ちを、自分自身が受け入れる覚悟。結婚してしまうかもしれない彼への恋をきっちり諦める覚悟。自分の想いを告げて砕け散る覚悟。今まではマイナス思考な覚悟ばかりだったのに、今度は180度も違う覚悟。


「あの……、私なんかでいいの?」

 綺麗でもないし、スタイルがいい訳でもないし……。だいたい、私を選ぶ理由が分からない。


「夏樹だから、覚悟を決めたんだろ。だから、来週の日曜日、予定開けとけよ」

 私だから……。祐樹さんも私の事、想っていてくれるの? それらしい言葉は何も言わなかったけれど、信じていいんだよね?

 来週の日曜日……、二十九歳の誕生日。あっ、浅沼さんと雛子さんとの約束が……。でも、今更行けないよ。もう断るつもりだったんだから、いいよね?


「わかった」

 そう答えると、やっと笑顔を見せる余裕ができた。彼も微笑み返しながら、最後の紅茶を飲みきると立ちあがった。「ご馳走様」と言いながら、ガチャガチャとティーカップとソーサー、そしてケーキ皿とレアチーズケーキの器を持って流しへ運んだ。こんな事はいつもこまめにしてくれる。私も同じように紅茶を飲みきると食器を流しまで運んだ。


「夏樹、いつも食べてすぐに帰って悪いと思うけど、まだ戻って見ないといけない資料があるんだ。明日も仕事があるし、来週も多分来られないと思う。来週の日曜日、朝十時頃迎えに来るから用意して待っていて」

 そう言いながら、食器を洗おうと思って流し台の前にいた私の傍まで来た彼は、近づく彼をぼんやりと見ていた私をいきなり引き寄せ抱きしめた。


「今まで夏樹に触れたくても我慢してきたんだ。これからは我慢しないから……」

 耳元でそう囁かれ、パニくる私の顎を片手で持ち上げると、彼の唇が私のそれを塞いだ。

 私の思考は無限ループのようにこれは夢だと呟き続けていた。


               ****


 祐樹さんが帰った後、後片付けをしてお風呂に入り、湯船の中で今日一日の事を思い返す。あまりにいろいろな事があり過ぎて、現実味の無い一日だった。

 本当に浅沼さんは私のお父さんなのだろうか? 

 その事を考えると、胸が痛んだ。あんなに優しくて、私の恋を一生懸命応援してくれた浅沼さんが、どうして……。若い頃はプレイボーイだったとか? そんな事無いはず。母の作ったクッキーを今でも覚えていてくれるような人だ。母を一途に愛してくれていたと信じたい。でも、現実は私と同じ誕生日の息子がいると言う。

 もう浅沼さんにも雛子さんにも会えない。会っちゃいけない。会えば何処かでボロが出るかもしれないから。父は娘の存在さえ知らないのだから。

 来週の日曜日の約束。先約は浅沼さんとの約束。でも、断って祐樹さんのご両親に会うのだ。

……何て言って断ればいい? 先約を断るにはどんな言葉なら納得してくれる? 私は頭の中で断り理由のシミュレーションを繰り返した。


 浅沼さん、雛子さん、今までありがとう。同い年の息子がいなかったら、浅沼さんが父親だなんて、嬉しくて、指輪を見せて告げていたかもしれない。母は亡くなってしまったから、雛子さんは第二の母のような存在。第二は玲子おばさんだから、第三か……。たとえ、父が母と同時期に雛子さんとも関係をもったのだとしても、雛子さんの事は恨む気持ちにはなれない。本当に素敵なあこがれの人だから。


 いつの間にかまた涙が頬を伝っていた。バシャバシャと顔を洗って、フーと息を吐く。こんな事にならなければ、今頃浅沼さんと雛子さんに、彼といきなり結婚なんて言う話になった事を、上機嫌で報告していただろう。もう、言えない。もう彼らとの関係をここで断ち切らないと……。それこそお家騒動になりかねない。それとも、財産目当てだと言われてしまうのだろうか。


 お風呂から出て、髪を乾かすとベッドに横になり、お風呂の続きの今日の出来事の反省を始めた。

 どうしても浅沼さんの事ばかり考えてしまって、夢のように過ぎた祐樹さんとのひと時は、現実として考えにくい。本当に結婚するの? 付き合いをすっ飛ばして、結婚だなんて……。あっ、玲子おばさんたちにも報告しなきゃ……。でも、ご両親に会って反対されたら。もう少し確実になってから言おう。


 どんなご両親なのだろう? 確か、隣の県でサラリーマンをしている家庭だと言っていたっけ。

そう言えば、私の今の両親は養父母である事を、祐樹さんには言っていない。結婚するなら、そんな話もしなくちゃいけないよね? でも、実の父の事は、やはり言えない。父も母も亡くなったと、そういう事でいいだろう。私の実の両親の事を知っているのは舞子だけ。舞子は口が堅いから……。結婚する事になったら、言わないでってお願いしておかなくちゃ。それより、浅沼さんの事は舞子にも言わないでおこう。そう言えば、スイーツの会の事さえ舞子に言ってなかったっけ……。雛子さんの事も、舞子の妊娠やつわりなんかで話す機会を逃してしまった。もう、舞子には言わないままで、浅沼さん達との関係を断とう。


 ……あっ、私、祐樹さんの事さえ舞子に話していない。片思いだったから、変に気を使われたくなくて、話せなかった。祐樹さんも圭吾さんに話していないのかな? 話していたら、舞子から怒りの電話があるよね、きっと。なんだか秘密が多過ぎて、身動き取れなくなって行くようで辛い。でも、結婚が決まったら、祐樹さんと舞子達のところへ報告に行こう。

 なかなか寝付けなかったけれど、寝付けなくなる様な出来事は、記憶の奥に封印し、いつの間にか眠りの世界に旅立っていた。


2018.2.2推敲、改稿済み。

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