#79:クッキーの真実【指輪の過去編・夏樹視点】
今回も指輪の見せる過去のお話で夏樹視点です。
29歳の誕生日の一週間前の夏樹。
いよいよ真実が明らかになってきます。
「電話しなきゃ……」
スイーツの会から帰ってきたのは午後二時前だった。浅沼さんに背中を押され、決心した事を実行するために、すぐに行動に移した。
土曜日だし、仕事はお休みだよね?
昼間だから、どこかへ出かけているかな?
とにかく電話をかけてみない事には、相手の現状も都合も分からないのだからと自分に言い聞かせ、彼の携帯番号をメモリーから呼び出した。数回コールした後、留守電に切り替わる。
今電話に出られないのかな?
勢い込んで電話をかけてみたのに、出鼻をくじかれた様だった。
恥ずかしくて留守電にメッセージなんて残せない。着信記録は残っているだろう。
こちらから何度も電話して、急用だと思われても嫌だから、二度目はまた夜にでもかけてみようと諦めた。もしかしたら、私の着信に気付いて電話をかけてくるかもしれない。
電話をしたものの、彼が出なくて良かったと思った。電話する事ばかりを考えていて、何をどう話すかなんて、考えてもいなかった事に気付いたから。彼に思いを告げると決めたけれど、どういうシチュエーションで言えばいいかとか、どんな理由で誘いだせばいいのかとか、何も考えていなかった。
私の部屋へ来てもらう? それとも外で待ち合わせて会った方がいいかな? 話があるからなんて言うベタな理由でいいのかな? それとも……。
とにかくこの一週間のうちに彼に会う事が先決。……でも、言えるのかな? なんて言えばいいのかな? メールじゃダメだよね?
なんだか、途方に暮れる。思えば自分から告白なんてした事が無かった。
「好きです」って言うだけでいいのかな?
「付き合ってください」なんて言うのかな?
これじゃあまるで学生みたいだよね?
大人の女性はどんなふうに告白すればいいの?
浅沼さんも雛子さんも、簡単に想いを告げろっていうけど、どんなふうに告白すればいいのか教えて欲しかった。
どれだけ考えても、答えなんて見つからない。もう、行き当たりばったりで、当たって砕けろ的に行くしかないのかも知れない。告白初心者には難しい駆け引きなんてできるはずもないし、変に気取っても、準備し過ぎても裏目に出そう。それに……俄仕込みの技巧が通用するような相手でもない。きっと彼は百戦錬磨とは言わないけど、女性に告白される事なんて慣れたものだろう。それを上手にあしらう事も……。
気が付くと、もう夕方の六時前になっていた。夏の夕方はまだ明るいので、そんなに時間が経ったなんて気付かなかった。結構な時間、一人悶々と考え込んでいたようだ。そろそろ夕食の用意をしようと立ちあがり、冷蔵庫を覗いた。お昼に豪華な食事をしたので、夜はあっさりとした物をと思い、野菜室のトマトを見て、リゾットを作ろうと思いついた。一人分だから小さな鍋でいいなと流しの下から鍋を取り出しながら考えていると、明日の朝の分も作っておこうと思い直し、もう少し大き目の鍋を取り出した。鼻歌を歌いながら、材料を切ってご飯と一緒に煮込む。料理をしている間、さっきまでの苦悩の原因について綺麗に忘れ去っていた。
もういい頃だと火を止めようとした時、電話が鳴っているのに気づいた。もしかしたら、祐樹さんかもと思い、慌てて火を止める。ソファーの前のローテーブルの上に置いた携帯電話掴み、発信者の名前を見ると、浅沼さんだった。
今日会ったばかりなのに、何だろう? まだ何か言い忘れたメッセージでもあったのだろうか? そんな事を思い巡らしながら、通話ボタンを押す。「はい」と言うと、「夏樹ちゃん」と呼びかける優しい声。今日の浅沼さんとの会話を思い出すと、先ほどまでの苦悩まで思い出した。
そうだ、浅沼さんに相談してみようと、心の片隅でそう決心すると、「伯父様、こんばんは」と挨拶をした。
「今日はご馳走様でした。いろいろとご心配ばかりかけて、本当にすいませんでした」
「いやいや、私も雛子も君のプライバシーに首を突っ込み過ぎかなぁって反省していたんだよ」
「いいえ、親身になって頂いて、とてもありがたいです。それより、何かまだ言い忘れたメッセージでもありましたか?」
「いや、違うんだ。……あの、君が帰りにくれたクッキーだけど、作り方は誰かに教えて貰ったの?」
「えっ? クッキー? 母から教えてもらったんですけど……」
なぜクッキー? そんな事を聞く浅沼さんの意図がさっぱり分からない。
「お母さん? お母さんは誰かに教えて貰ったのかな?」
あのクッキーはお母さんが本に載っていたのを自分流にアレンジしたって言っていたけど……。でも、どうして?
「どうしてそんな事を訊くんですか?」
「いや、あのね、以前に話した事があったと思うんだが、結婚する前に付き合っていた人の話をした事があったよね? お菓子作りが得意で、私をスイーツ好きにさせた人だって言う話。その時、彼女の作るクッキーが忘れられ無くて、夢にまで見るって話したと思うんだだが……」
そう言えば、クッキーモンスターの夢でも見るのかと、心の中で突っ込んだっけ。
えっ? もしかして、私が作ったクッキーがそのクッキーだと言うのじゃ……。
私はその可能性を考えた時、嫌な胸騒ぎがした。しかし、浅沼さんに悟られないように、一生懸命冷静になるよう自分自身に言い聞かせた。
「あっ、お、覚えています。とても美味しいクッキーでその味を捜しているって……」
「そうなんだよ。そして、今日その味を見つけたんだ」
まるで宝物を見つけたように、とても嬉しそうに話す浅沼さんを想像して、辛くなった。
「もしかして、私が作ったクッキーの事ですか? でも、何十年も前に食べたクッキーの味を本当に覚えていらっしゃるんですか? そんな気がしただけじゃないんですか?」
私は否定して欲しくて、喜んでいる浅沼さんの気持ちを傷つけるような質問をぶつけた。
「いや、忘れる訳が無い。彼女の作るお菓子の中で一番好きだった夏子のクッキーだから……」
えっ? なんて言った? まさか……。
「えっ?」と声を出したまま、私は絶句してしまった。
嘘でしょう? 嘘だと言って……。
「夏子と言うのは彼女の名前でね、彼女の作るそのクッキーを夏子のクッキーって呼んでいたんだよ。彼女が試行錯誤してその材料の配合を考えたって言っていたから、彼女オリジナルなんだよ。企業秘密なんて言っていたのに、そのレシピを誰かに教えていたんだな。巡り巡って夏樹ちゃんにそのレシピが伝わっているなんて……。運命を感じるね」
私はもう、浅沼さんの言葉が聞こえていなかった。お母さんの恋人は浅沼さんだったの?
そう思った途端、頭の中にバラバラにあったパズルのピースが一瞬にしてカチリと揃った。
あなたは、私の父親なの?
本人には決して訊けない質問を心の中で呟く。
でも! 私と同じ誕生日の息子さんが居るじゃない!
まさか、母と雛子さんを二股かけていたなんて事……。違う、違う! 雛子さんだって恋人がいたじゃない! でも、母が話していた父親は、浅沼さんにピッタリだった。そうだ、名前も同じだし……。
「夏樹ちゃん?」
黙り込んでしまった私を、訝しむ様に浅沼さんは私の名を呼んだ。名を呼ばれてやっと我に返った私は、上ずった声で「はい」と返事するのが精一杯だった。
「夏樹ちゃん、もしかして……」
え? 何か気付いたの? 私の反応が変だったから?
浅沼さんは少し言い淀んで、それからまた話し出した。
「お母さんにレシピを教えた人を知っているの? その人はもしかして、夏樹ちゃんが以前に話していたお母さんの友達で身分違いの恋をして反対されたって言う人じゃないのかな?」
ええっ? そんな話をした事をすっかり忘れていたけれど、そうあの時話したのは母の友達の話では無く、母自身の事……。でも、言えない。これだけは言っちゃけない。私の胸にしまっておかなくてはいけない事。
「いえ……、よく知らないので、また母に聞いておきます」
それだけやっと言った。浅沼さんはその言葉を信じたのか「よろしく頼むよ」と答えた。
怪しまれてはいけない。落ち着いて、落ち着いて……。電話で良かった。目の前にいたらポーカーフェースなんてできなかったから。
でも、浅沼さんは今更それを知ってどうするつもりなのだろうか?
「あの……、一つ聞いてもいいですか?」
私は訊かずにいられなかった。今更、もう何十年も経っているのに、母の消息を知りたいのだろうか?
「うん? 何だい?」
「伯父様は、今更それを知ってどうするつもりなんですか?」
「そうだね。彼女が幸せでいてくれるか知りたいんだよ。彼女を幸せにしてあげられなかった罪悪感から、そう思うのかもしれないけれどね」
少し自虐的な苦笑いと共に浅沼さんはそう答えた。
浅沼さん、お母さんは幸せでしたよ。愛する人の子供を産んで育てられたから……。
だから、裏切って欲しくなかった。その時、雛子さんと浅沼さんの間にあった物が、お母さんに対する気持ちと同じものだとは信じたくない。男女の間の体の関係は必ずしも愛が伴わなくても成立するものだから。でも、お母さんの愛した人がそんな軽はずみな行動をする人だとは思いたくなかった。
真実は残酷だ。自分の親と同じぐらいの親しみと信頼を持っていた二人が、もうとても遠い存在になってしまった。
「そうですか……また母に聞いたら、連絡します。じゃあ又……」
私は心の一部がどんどん冷めて行く様な感じがした。そのお陰で冷静になれて、落ち着いて電話を切る事が出来た。とにかく、浅沼さんに知られてはいけない。今後の事を考えなくちゃ……。もう平気な顔して二人と今までの様に親しくできる自信は無かった。
2018.2.1推敲、改稿済み。