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#75:アメリカからの電話【現在編・夏樹視点】

お待たせしました。

今回も現在編・夏樹視点。

7月最後の金曜日……35歳の夏樹と祐樹。


今回はいつもより少し長めです。

頑張って読んでくださいね。

 祐樹がアメリカへ行ってから四日、宇宙の果ての様に感じていたアメリカの遠さを実感させたのは、時差だった。

 普通ニューヨークとの時差は十四時間だけど、サマータイムの今、時差は十三時間。

 この時差って微妙なのよね。

 祐樹が仕事を終えてホテルに戻る頃、こちらは仕事時間中だし、私が仕事を終えて帰ってきた頃、祐樹は仕事へ行く前の朝の忙しい時間。

 やっと祐樹と繋がったのは、彼がアメリカへ出発した翌日の夜だった。

 私の方も最近仕事が忙しくて、残業続きで自宅に帰りつくのが午後八時頃。午後六時台から何度か着信履歴が残っていたけど、こちらからかけられないし、もう一度かけてくれるかと、やきもきして過ごしていた。

 こちらの午後六時と言えば、向こうは 同じ日の朝の5時台。早起きしてかけてくれたのだと思うと、申し訳なかった。

 それでもやっと繋がって、彼の声を聞いた時はホッとした。元気な声で今週中に何とか終われそうだと、嬉しそうに話す彼に、昨夜遅くまで電話を待っていた事なんて、どうでもよくなってしまった。

 次の日も同じぐらいの時間に電話があり、お互いの様子を報告し合い、帰ったら一緒に住もうと言う彼の言葉を喜びながらも、国際電話だと思うと落ち着かず、そそくさと切ろうとする自分の貧乏性加減に少々呆れてしまう。

 週末に向けていくつかのパーティに顔を出したら帰れるからと、おそらくそちらに着くのは日本時間の月曜日になるだろうと言っていた彼の弾んだ声に、来週になれば彼に逢えるという喜びが込み上げてきた。


 そして、今日は週末の金曜日。いつもより早く帰れたので、夕食も済ませて祐樹からの電話を待った。昨日も一昨日も午後八時過ぎに電話があったから、そろそろかなと思いながら今日の事を報告しようと、思い返していた。



 今日、私は上司に一身上の都合で会社を辞めたいと申し出た。せっかく昇進の話を頂いたのに、申し訳ないと頭を下げた私を、困惑した顔で見つめる上司がいた。そして探る様な眼差しで「田舎へ帰るの? ご両親に何かあったの?」と質問を畳み掛けられる。

 上司の反応に自分の年齢を思い知らされた。この年になると、結婚より親の介護なのか。ちょっとショックだった。「いえ」と答えると、益々怪訝な顔をして「まさか……」と言いかける上司に心の中で、私の結婚はまさかなの? と突っ込みたくなった。でも、上司の言葉は意外な一言で……。


「まさか、転職なんて事無いだろうね? ヘッドハンティングとか? もしかして……、起業とか?」

 こちらもきっと怪訝な顔をしていたと思う。

 ただの営業事務の私をヘッドハンティングする会社がどこにあるの! 起業って……。どうして話がそんな方向へ行くの!!! 

 この上司の頭の中には、私が結婚すると言う想像すら無いらしい。何気に悲しくなった。そして私は、大きく溜息を吐いた。


「すいません、課長。転職でもありませんし、ヘッドハンティングも起業もありませんので……。申し訳ありませんが、一身上の都合でして……」

 課長の口から、結婚の「け」の字も出てこない事に意地になり、一身上の都合で押し通す。


「そうですか……。でも、仕事を辞めて、これからどうするのかね? 女一人でやっていけるのかね?」

 か、課長! どうして私が一人で生きて行くって決めているんですか!!!

 私は唖然としながら、心の中で盛大に目の前の課長に突っ込んでいた。


「大丈夫です。ご心配いただかなくても、多少の蓄えもありますし……」


「佐藤君。多少の蓄えで世の中渡っていけると思っているのかい? なぁ、もう一度考え直さないか? 総務の方でも君に期待しているんだよ。昇進の話をした時は、何も言っていなかったじゃないか。今頃になって、会社を辞めたいって、理由もはっきり言わずに……。どう言う事なのかな? どうしても続けられないの?」

 なかなか課長もしつこい。どう言えば納得するのだと心の中で悪態を吐く。


「はぁ、どうしても続けられない事態になりまして……」

 こちらも急に辞めると言い出した負い目の所為か、はっきり言えない自分がもどかしい。


「まさか……、結婚なんて言わないよねぇ」

 ううっ、どうしてまさかなんですか! 

 どうして、結婚は全否定なんですか?


「ど、どうして、結婚だとまさかなんですか?」

 思わず訊き返してしまった。課長は私のリアクションに驚いた顔をしている。


「えっ? 佐藤君、佐藤君は高田君と仲良かったのに二度もプロポーズを断ったから、きっと結婚はしたくない主義の人なんだって噂を聞いたけど……。見た目も良くて仕事もできる高田君を断るぐらいだから、結婚自体が嫌なんだと思っていたんだが……。もしかして、その主義を覆すような人にプロポーズされたとか?」

 高田君に二度もプロポーズされてないし……。でも、思い返してみれば、あれもプロポーズの内に入るのかも……って、違うじゃない! 突っ込むところはそこじゃ無い!

 結婚したくない主義って……。

 それにしても、どこからそんな噂が……。


「課長、そんな噂、真に受けないでください! 結婚したくない主義ってなんですか?!」

 私の剣幕に課長が怯む。怯んだ課長を見て、ハッと我に返った。

 いけない、いけない。興奮している場合じゃない。

 私が自分を落ち着かせている間に、目の前の課長も冷静さを取り戻したようだった。


「佐藤君、まさか……、もしかして本当に結婚すると言うのかい?」

 まだこの期に及んでも、それほど私の結婚は意外なんですか?!

 私は小さく息を吐いて、「はい」と答えた。

 目の前の課長も溜息を吐き出すと、首を振った。


「佐藤君、結婚しても仕事は続けられないのかね? 結婚相手は仕事を辞めろと言っているのかい?」

 どうしてこんなに引きとめてくれるのだろう?

 私の代わりなんていくらでもいるだろうに……。


「課長、すいません。引きとめてくださる気持ちは嬉しいんですが……、続けるのは無理だと思いますので……」


「佐藤君……。今君に辞められては、総務の方に申し訳なくてね。無理を言って営業に来てもらって、総務の部長が大変君を気に入っていてね。やっと君にも元の部署へ帰ってもらえると思っていたんだが……」

 課長……、それが本音ですか。総務の部長に睨まれたくないのでしょう?

 

「大変申し訳ございません。昇進の辞令の出る前に辞める事をお伝えしなければと思いまして……。部長の方にも私から謝罪しておきます」

 私は深々と頭を下げた。目の前の課長は又溜息を吐き、何を言っても変わらない私をやっと諦めたのか、仕方ないと言うような苦笑を漏らした。


「そうか……、佐藤君もやっと結婚するか……。心配していたんだよ。本当に結婚するつもりが無いのかと思って。でも良かったよ。相手はこの会社の奴じゃないんだろう?」

 さっきとは打って変わって課長は優しい眼差しになった。私はやっと分かってもらえた安堵で、「はい」と笑顔で答えた。


「それでも急な事だったんだな? 引き継ぎが済み次第退職したいって……。本当なら一ヶ月前には辞める旨を伝えないといけないんだが……。昇進のためとは言え、引き継ぎをしていた訳だから、早く終わりそうだね。それで、結婚式はいつ頃の予定なの?」

 結婚式?! 何の予定も立っていないって言っても納得してくれるのかな?


「本当に申し訳ございません。ご迷惑ばかりおかけして……。結婚式とかはまだはっきり決まっていなくて……」

 ふと、本当に結婚できるのかな? と言う思いが、脳裏をかすめた。

 いけない、いけない。弱気になっちゃいけないよ。

 課長に話しながらも、結婚についてはっきりした事が言えない自分が何となく情けなかった。




 今日の課長とのやり取りを思い出すと、どっと疲れが出てしまう。あんなにしつこく引きとめられると思っていなかったので、困ってしまったけれど嬉しくもあった。

 私が急に仕事を辞めたいと言い出したのは、祐樹に辞めて欲しいと言われたからだけじゃ無く、舞子の言葉からだった。

 昨日やっと、舞子に報告のために電話をした。彼に母の話をした事を舞子に言うと、「伝えられて、良かったね。それに、祐樹さんも気にしないって言ってくれたんだし……」と嬉しそうな声が帰って来た。そしてその後、舞子は当然のように言った。「ねぇ、会社はいつ辞めるの?」と……。

 辞めるのが当たり前に様に言う舞子に「どうして?」と尋ね返すと、「夏樹は、誰の奥さんになるつもり?」と又訊き返された。


「夏樹、わかっているの? あなたは浅沼グループの次期総帥の奥さんになるのよ? グループ傘下には、あなたの会社と同じ業種もあるの。奥さんがライバル社で働いていてもいいと思うの?」

 考えてもみなかった……。

 祐樹も祐樹の両親も私に面と向かって仕事を辞めろって言わなかったけど、本当は辞める事なんて当たり前の事だったんだ。

 それにしても、まだピンとこない。祐樹が浅沼グループの次期総帥?

 別世界だよ。私には異世界の話みたいだ。

 これが身分違いって言うものなのだろうか。なんだか背中にゾワリと寒気が走った。

 私、やっていけるのだろうか? 祐樹だけを見つめているだけでは駄目なのだろうな。


 五年前にお祖父様に言われた言葉が蘇る。


『君の様な平凡な庶民には想像もつかない世界なんだよ。愛とか恋とかだけではやっていけないんだ。君はそんな世界でどれだけ祐樹を助けられると言うのかね?』


 また挫けそうになる。今度は何があっても諦めないって決めたでしょう?

 夏樹、同じ人間、やってやれない事は無い!

 私は自分自身を鼓舞して、やっと仕事を辞める決心をしたのだった。




 ふと時計を見ると、もう午後十時前になっていた。随分長い間物思いにふけっていた。

 どうしたのだろう? いつもなら、もうとっくに電話がかかっていてもおかしくない時間。

 今日はそんな余裕が無かったのかな?

 いつ電話があるかも分からなくて、お風呂へも入れずにいる。

 そろそろお風呂へ入る準備だけでもしておこうと、携帯電話を持ったまま洗面へ行き、クレンジングで化粧を落として洗顔した。その時、首元から飛び出したチェーンに通した指輪に気付き、チェーンを外した。歯磨きをし、部屋着に着替えた後、部屋へ戻る。いつ電話があるかも分からないと思って、着替えもせず、何もかも後回しにしていたのだった。

 ベッドに座って、手にした指輪を見つめる。この指輪の事はまだ祐樹には言っていない。

この指輪の不思議を祐樹は信じてくれるだろうか? でも、指輪の話をするという事は、父の話もしなくてはいけない。それなのに……。

 私は再会した土曜日の事を思い出していた。お互いに変わらない思いを確かめ合い、結婚の約束をしたあの日、食事の後祐樹のマンションへ行った。その時、私の手を握った祐樹が、右手の薬指の指輪に気付いた。あの日お昼前までトリップをしていて、指輪をはめたまま祐樹に会いに行ったのだった。


「この指輪、どうしたの?」

 握った手にはめられた指輪をじっくりと見た祐樹が、戸惑ったように訊いた。そんなに大きくは無いけど、宝石が3個ついた指輪は、シンプルなのにどこか特別な感じがする指輪だ。


「えっ?あ、母に貰ったの」

 私が答えた後も、じっと見つめる祐樹に、信じてくれなかったのだろうかと不安になった。


「どこかで見た様な気がするんだ……」

 ポツリと言った祐樹の言葉に、デジャブを感じた。この言葉……、以前に聞いた事がある。そう、それはトリップで祐樹に言われた言葉。


「良くあるようなデザインだから、誰かがしているのとか、宝石店で見たのかもしれないよ?」

 私はトリップで答えたのと同じような言葉を返した。


「そうか……。そうかもな……」

 そう言って、彼は私の手を離した。そして別の話題を持ち出して、その後二度と指輪の話は出なかった。


 この指輪に何かを感じたのだろうか?

 この指輪が発している不思議パワーを感じたとか?

 私は、トリップと同じように、指輪の事は誤魔化してしまった。

 話せるだろうか? この指輪の言い伝えについて……。




 その時、携帯電話が着信を伝えた。発信者は祐樹だ。時間は午後十時半。ニューヨークは午前9時半。


「もしもし、祐樹」

 飛びつくように電話に出ると、相手の声を聞く前に呼び掛けた。


「夏樹……」

 いつもと違う低いトーンの声。疲れているのだろうか?


「祐樹、どうしたの? 疲れているの?」


「いや……何でもないよ。それより、今からイギリスへ行く事になった。いつ帰れるか分からない。はっきりしたらまた連絡する」

 祐樹の声は何処か固い。いつものような甘い響きが無い。

 その時、電話の向こうで女性の声が聞こえた。「祐樹さん、急がないと」と。

 彼は慌てて携帯の通話部分を手で押さえたのだろうが、その女性に返している「君は先に行っていてくれ」と言う言葉が漏れ聞こえてきた。

 女性と一緒にイギリスへ行くの? それも日本人だ。

 彼がいつも行動を共にしている秘書は男性だ。それなのに今回は女性秘書を同行したのだろうか?

 

「悪い、じゃあ、また連絡する」

 こちらの返事も聞かないまま、電話は切れた。急いでいたのだろう……とは思うけれど、心の中にもやもやした物が生まれていた。


 気にしちゃいけない。秘書はたくさんいるんだろうし……。

 それでも私は、彼の仕事の事や彼の周りの事を、何も知らないと言う事実に打ちのめされていた。

 再会して一週間、仕方ないよと自分を慰めるけれど、なんだかとても惨めになった。


 さっき慌ててサイドテーブルに置いた指輪を、もう一度取り上げた。そして、私はどうしようもない不安から逃れるように、指輪のトリップへと旅立ったのだった。






いつもより長いお話を最後まで読んでくれて、ありがとう。

次回から又、過去編へと移ります。

過去の話を思い出してくださいね。


2018.2.1推敲、改稿済み。


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