#70:5年ぶりの恋人(前編)【現在編・夏樹視点】
いつも読んでいただき、ありがとうございます。
またまた、更新が遅れ気味ですいません。
今回も現在編の夏樹視点です。
長くなってしまったので、前編と後編に分けました。
後編は明日、アップします。
私が脳内スイーツの森でまどろんでいた時、携帯電話のコール音がすぐ傍で鳴り響いた。舞子との電話を切った後、携帯電話をベッドの上に放置していたのだった。
私が我に返って携帯電話を手にすると、昨夜からずーと一緒に過ごしていた五年ぶりの恋人からだった。
「夏樹」
なぜかドキドキしながら携帯電話を繋げると、耳に響く低温の甘い声が私の名を呼んだ。
「祐樹さん」
五年も恋愛関係から遠ざかっていた私は、昨夜の彼を思い出して胸が詰まった。
「おまえ……、やっぱりまだ【祐樹さん】なんだな。五年前は【祐樹】って呼び捨てで呼んでいたのに」
私にとって五年前の記憶より、トリップの記憶の方が鮮明だなんて、言える訳も無く。
「ごめん……昨夜も言ったように、祐樹さんに会う前に見ていた夢でそう呼んでいたから、影響されちゃって……。それに、もう五年も呼んで無かったから、また一からって感じ?」
たかが夢ごときで呼び方が変わる程、影響される訳は無いと思うけれど、トリップを夢と言うのならそうだろうと、私は自分の中で言い訳し、最後に付け加えた言い訳が彼には責めているように聞こえるなんて、思いもしなかった。
「はぁ、そうか……そうだよな。五年は長かったもんな。俺にとっても苦しい年月だったなんて言ったって、言い訳にもならないか。でも、こんなふうに意趣返しされるとは思って無かったよ」
意趣返し?
なに、それ?
「ちょっと、私がこの五年間を恨んで、あなたに仕返ししているなんて思っている訳?」
「そう思ったっておかしくないだろ? 【さん】なんてつけられたら、距離を感じるんだよ。それに、他の人に呼ばれているみたいで嫌なんだよ」
はぁーと私は大げさに溜息を吐いた。
この人、本当に祐樹さんなの? と疑いたくなるような、いじけ発言に呆れてしまった。 でも……、彼の気持ちは痛いほど分かっているのだ、私にだって。
この五年間、膨らみ過ぎた想いをお互いに抱え、やっと再会して、変わらぬ想いを確認し合い、お互いにお互いの想いを注ぎ込むように愛し合った後だから余計に。
昨夜の事を思い出した私は、あの燃え上がる様な熱がまた体の中で再燃したように、体が熱くなった。
電話で良かった。……きっと今、私真っ赤になっている。
「あ、あの……努力する。祐樹って呼ぶように。それで許して……」
しょうがないな、なんて言いながら、それでも祐樹さんの声はさっきよりも機嫌よさそうで、「夏樹」とまた甘く呼ぶと、「俺の方こそ、ごめんな」と的外れの謝罪をした。
私はなぜだか急に笑いがこみ上げて来て、クスクスと笑いを漏らすと、「謝っているのに笑うなんてひどい奴だな」と言いながら、彼も楽しそうな笑い声を漏らした。
「それより、何か用だったの?」
私はもう夜の十一時も回った時間なのに、彼が電話をしてきたのは、何か用がある所為だと思った。
「あ……、用がなくちゃ電話しちゃいけないのか?」
「え? そんな事無いけど……。時間が遅いから、何か用があるのかと……」
「夏樹……。この二日間だけじゃ五年の空白を埋められないんだ。これからますます仕事の方が忙しくなると思う。土日だって休めるかどうか……。でも、五年も待ったのに、また夏樹に会えない日々が続くなんて耐えられないんだよ。なぁ、一緒に暮さないか? やっぱり、籍だけでも先に入れてしまおうか?」
ど、どうしてしまったのだ、彼は!? こんな事言う人だったっけ?
いつも余裕があって、私をからかってばかりいるような人だったのに……って、これもトリップの記憶の彼だろうか?
私は、携帯電話から流れる彼の甘い声に、戸惑いを覚えた。昨夜からそうだった。私にとって一番新しい祐樹さんの記憶は、直近のトリップの二十八歳の彼。三十五歳の彼がこんなに情熱的になっているなんて……、嬉しさを通り越して、戸惑いの方が大きい。それでも昨夜は、彼の気持ちが嬉しくて、自分の気持ちも開放してしまったけれど……。
「ちょ、ちょっと待って! まだ、実家には何も話していないし……」
焦って口走った言葉に、私はまた今日の浅沼家での会話を思い出した。
浅沼家の居間のソファーで、四人が二杯めの紅茶を飲んでいた時、私と浅沼さんの間でひとしきり盛りあがったスイーツ談義が途切れた頃、雛子さんがにこやかに口を開いた。
「ねぇ、あなたたち、夏樹ちゃんのご両親には、報告したの? …と言うより、祐樹、夏樹ちゃんのご実家へ行って、娘さんをくださいってお願いはしたの?」
「母さん、俺達、昨日再会して、結婚をしようと決めたばかりだよ。でも、夏樹のご両親に会いに行かないといけないな」
ご両親……。この言葉に私の心は冷えた。そして、すっかり忘れきっていた事をいきなり思い出した。
「あっ!!」
突然大きな声を出した私に、そこにいた全員が私の顔を見た。その場にふさわしくない声に、祐樹さんは怪訝な顔をして「どうした?」と私の顔を見つめた。
「あ、あ……あの……」
落ち着け私!
益々祐樹さんの眉間のしわが深くなるのを見つめながら、私は小さく深呼吸をして口を開いた。
「あの……私、母に会社を辞めて実家へ帰るって言っちゃったんです」
「はぁ~?」
祐樹さんは意味が分からないとでも言うように声を上げた。彼の両親も言葉を出せないまま、様子を窺っている。
「あの……祐樹さんが結婚するって聞いて、その上に誕生日に偶然に再会して、その夜食事に行く約束をしたけど、ドタキャンされてしまって……。やっぱり縁が無かったんだって、今度こそ諦めなきゃって……。だから、この街にいるのが辛くなって、勢いで実家へ電話して会社を辞めて帰るって言ってしまったの……」
「夏樹……」
祐樹さんは私を見つめたまま、言葉が続かなかった。彼はおそらく心の中で自分を責めている事だろう。
「夏樹ちゃん、バカ息子が振り回してばかりで、ごめんなさいね」
二人の様子を窺っていた雛子さんも親として責任を感じたのか、優しく謝罪の言葉を述べた。
「とんでもない」と首を振る私の横で、不機嫌顔の祐樹さんが「誰がバカ息子だよ」と言い返していた。
「それで、その後ご実家の方には連絡していないの?」
雛子さんは、私の隣でぼやいている息子を無視して、話を続けた。私は、祐樹さんと母親の力関係を垣間見た気がして、噴き出しそうになったが、質問に答えるためにどうにか思いとどまった。
「はい、いろいろありすぎて、実家にそんな電話した事をすっかり忘れていました」
「じゃあ、会社を辞めるって話はどうなったの?」
「それが……電話をした次の日、上司に辞める事を話しに行ったら、反対に昇進を告げられて、言えなかったんです」
「昇進?!」
思いもよらない答えに祐樹さんは驚いて私の顔を見た。
「あの……、主任にと……」
「それで、夏樹は仕事を続けたいのか?」
私は祐樹さんのやけに真剣な眼差しに怯み、「どうしようか、な…?」と曖昧に尋ねるように答えた。すると、祐樹さんはしばらく考え込んでから、ゆっくりと話し出した。
「今まで頑張ってきた夏樹の事を考えると、せっかく昇進したんだから、応援したいって気持ちはあるんだ。でも、結婚する事を考えると、できるだけ早く子供も欲しいし……。昇進して、すぐに産休で休むのも無責任な感じがするし……。俺としてはやっぱり、できれば辞めてもらいたいって言うのが、正直な気持ちだよ」
子供……結婚するという事は、そういうことも考えなくちゃいけないんだよね。
私は、今抱えている秘密が重くて、二人のこれからについて考えが及ばなかった。それにまだ心のどこかで、本当に結婚してもいいのだろうか? という思いが燻り続けている。
「私も早く孫の顔が見たいわ。ねぇ、あなた」
重苦しくなりそうな空気を吹き飛ばすような明るさで雛子さんが口を挟み、問いかけるように横に座る浅沼さんの方を向いた。
さっきから何も言わずにソファーにもたれて腕組みをし、なにやら考え込んでいたような浅沼さんが、妻の問いかけに気づき、顔を上げた。「なんだい?」と妻の顔を見返した浅沼さんに、話も聞かずに何を考え込んでいたんだと、彼女は怪訝な眼差しを向けた。
「祐樹、会長の事だが、何か動きがあったか?」
会長とは祐樹さんの祖父の事だ。浅沼さんにとっては父親だが、二人は会社でも私生活でも、反目し合っている。父親である浅沼さんに問われた祐樹さんは、一瞬顔を歪ませた。そして、私の顔をチラリと見た。
「ああ、まんまと祖父さんの企みにハマったよ」
2018.1.31推敲、改稿済み。