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#65:私と彼の5年間【現在編・夏樹視点】

今回も現在編・夏樹視点です。

夏樹と祐樹、35歳の誕生日から10日程経った頃。



 『待っていて欲しいと、なぜ言ってくれなかったの?』


 言ってしまった。

 裏切ったのは私なのに……。彼を責める権利は私には無いのに……。

 心のどこかで、簡単に引き下がった彼を恨んでいたのだろうか?

 あれきり何も言ってこない彼をずっと恨んでいたのだろうか?

 なんて勝手な私。ついていけないって言って逃げておきながら、追いかけて欲しいって心のどこかで思っていたのだ。

 浅ましい自分にウンザリする。

 舞子から聞いた祐樹さんの気持ちに、良い気になって、二十八歳の時の気持ちになっているなんて調子に乗って……。笑ってしまうよね。

 夏樹、どこまであなたは自分勝手なの?

 お祖父様との約束なんて、言い訳にすぎないことぐらい分かっている。本当は自信が無かった。彼の後ろにある大きな物が怖かった。

 私はやっぱり母の子だね。親子そろって大馬鹿野郎だよ。



 私と祐樹さんは、フレンチのレストランの個室で向かい合った。先ほどから私があんな事を言ってしまった所為か、何となく気まずい空気が二人の間に漂う。

 フレンチの簡単なコース料理を食べながら、私達はぎこちない笑顔でぎこちない会話を申し訳程度に続けた。せっかくの美味しいお料理なのに、気持ちが付いて行かないのが残念でならない。

 そして、最後のデザートを食べ終えると、祐樹さんは私を真っ直ぐに見つめた。


「夏樹……、さっきの話だけど……」


「ご、ごめんなさい。私には祐樹さんを責める資格なんか無いのに……、酷い事言って……」


「いいんだ。夏樹に責められても仕方ないって思っているよ。夏樹が別れを言った気持ちは分かっていたのに、この五年間、夏樹に何も言わずにきたのだから。今更言い訳にしかならないかもしれないけど、この五年間の事、聞いて欲しいんだ。いいかな?」

 私はゴクリと唾を飲み込んだ。そして、ゆっくりと頷いた。


「五年前……、夏樹に一方的に別れを言われた時、正直言ってすぐに理解が出来なかったんだ。俺が浅沼グループの跡取りだと夏樹が知った時から、夏樹の気持ちがどんどん落ち込んで行くのは分かっていたけど、何度も話し合ったし、お互いの気持ちは確かだと信じていたから、まさか別れるなんて考えてもいなかったよ。その時は祖父さんが動いているなんて思いもしなかった。それでも、夏樹が本気で別れようと思っていると実感したのは、携帯電話が通じなくなった事と、引っ越ししていた事。本当にショックだったし、あの時は本気で恨んだよ」


 そうだった……。私はこんなにも酷い事をしたのだった。

 言い逃げの様に別れを告げて、その足で携帯を新しくして、前日に引っ越しが終わってガランとした住み慣れた部屋の鍵を返すと、新しいワンルームの部屋に籠って泣いた。これで良かったのだと……。

 しばらくは舞子にも連絡できなかった。でも、祐樹さんから聞いた舞子は会社までやってきて、つかまってしまった。その頃、もしかしたら祐樹さんが会社の前で待ち伏せしているかもと、いつも裏口からこっそり帰っていた。でも、舞子は元社員。定時直後にやってきて、私のデスクのところまで来られては、逃げようがなかった。

 それから、私の新しい部屋で舞子と向かい合った。彼女は相当怒っていた。


『私が祐樹さんの友達の奥さんだからって、私達の友情まで切らないで!』


『私はいつだって夏樹の味方だから、夏樹が祐樹さんに新しい携帯番号も引っ越し先も教えたくないのなら、絶対に言わない。だから、私を信じて欲しいの』

 私は舞子の友情にまた涙がこぼれた。何もかも失くした訳じゃない。心の底から舞子の存在に感謝したのだった。


『夏樹は祐樹さんの事、嫌いになったの?』

 舞子に問われて、何も答えられなかった。祐樹さんのお祖父様の事は言えなかった。舞子には、母との約束がある事と、御曹司である彼について行く自信がないとだけ言った。

 そして、『もう、忘れようと思っている』と言うと、『祐樹さんの事、嫌いになった訳じゃないのね? それならいいの。思い出まで捨ててしまわないでね?』と言って舞子は淋しく笑った。


「夏樹」

 名前を呼ばれて、我に帰る。五年前の話を聞いて、あの頃の事が蘇ってしまった。

 慌てて目の前の祐樹さんの顔を見ると、辛そうな表情をしている。彼も五年前の気持ちが蘇っているのだ。


「あの頃、腹が立って自棄になっていたら、親父に言われたんだ。彼女がどんな気持ちで別れを言ったと思うんだって。普通の家庭に育った彼女が、いきなり付き合っている人が大きな企業グループの跡取りだって言われたら、怯まないはずがない。彼女のそんな気持ち理解しているのかと。俺はあの頃、夏樹の気持ちを理解している気でいたんだ。でも、親父にガツンと言われてしまったよ。今のお前ではいくら彼女の気持ちを理解していても守る力が無いって。そんな事無いってずいぶん反発したけど、何にも現実を分かっていなかった」

 祐樹さんのお父様は、そんな事を言ってくださったのだ。みんなに心配かけて……、本当に自分勝手だった。

 祐樹さんの懺悔の様に話す低い声が、五年前の私を責めているようで辛い。私は結局自分一人が楽になりたくて逃げたのだ。


「夏樹から別れを言われてから二カ月ぐらいした頃、ニューヨーク支社立ち上げのための転勤の辞令が出されたんだ。俺は日本から、この街から離れたくなかった。夏樹が会社を辞めずにいる事と俺の事嫌いになった訳じゃない事は、舞子さんから聞いていたから、絶対にもう一度夏樹に逢って話をしようと、夏樹の事は必ず守るから信じて欲しいと言おうと思っていたんだよ。そんな頃に聞いたんだ。祖父さんが夏樹に俺と別れるように言ったって事。俺は腹が立って祖父さんのところへ行ったら、彼女は自分の身の程を知って、自分で別れを決めたんだと、現実を分かっていないのはお前の方だと、言われたんだ。その時俺は、結婚相手は夏樹以外に考えられないし、夏樹と結婚できないのなら一生誰とも結婚しないって言い返していた。そして、祖父さんに対して怒っている俺に、親父は言ったんだ。そんな事で怒っているから彼女を守れないんだ。彼女の事を本当に愛しているのなら、今は彼女を自由にしろと。いつになるか分からない約束で、夏樹の人生を束縛するなと。そして、誰にも文句をつけられない実力をつけた時、夏樹が一人だったら、もう一度プロポーズしに行けと……」


 私は、何も口を挟まずに、ただ聞いていた。

 祐樹さんは何もかも承知の上で、あえて私に何の約束もせず、アメリカで頑張っていた。

 私は、片思いの頃と同じように忘れなくちゃと言いながら、忘れきれずにいた。彼との未来なんて想像もできなくて、諦めきっていたのに、この想いを捨て去る事だけが出来なくて……。

 でも彼は、決して諦める事をしなかった。ずっと私との未来を信じて、頑張り通したのだ。

 この五年間、彼と私の心の中は正反対だった。マイナス思考の私とプラス思考の彼。

 何だか悔しい。

 私の人生を拘束しないためと言いながら何の言葉も約束も無いまま放置して、自分は人生の目標を定めて前向きに頑張ってきたという訳ですか。

 私がさっさと結婚していたらどうするつもりだったのだろう?

 五年なんて一口に言うけど、とても長い時間だよ。この気持ちをどうする事も出来なくて、この五年間地獄の様だったよ。……それなのに、彼は有名な会社の御曹司だから、たとえアメリカにいても、ネットで簡単に彼の事は知る事が出来た。注目の若手後継者として、経済コラムなどでも度々紹介されていた。ゴシップ的な話題もあった。パーティに美しい女性をエスコートしている写真入りで紹介している記事も見た事があった。

 なんだか無性に腹が立ってきた。

 全て思惑通りに進めてきた彼は、もう一度プロポーズすれば、必ず私が頷くと思っているのだ。

 私は悔しさを露わにした眼差しで、彼を睨んでいた。


「夏樹?」


「祐樹さんは、私が他の人と結婚してしまったら、どうするつもりだったんですか?」

 祐樹さんは私の固い声と距離を感じる敬語、そして、温かみの無い眼差しに少し怯んだようだった。


「夏樹? 怒っている? この五年間何の連絡もしなかった事、怒っているのか?」


「だから……。この五年間に私の気持ちが変わっているって思わなかったの?」


「それは……、舞子さんからずっと夏樹の事を聞いていたから……。でも、三年ぐらい前に、海外転勤になった元カレが帰ってきただろう? 一緒に食事に行ったりしているって聞いて、やばいと思って日本に帰ってきたんだよ」

 少し照れたように話す彼の言葉を、信じられない思いで聞いていた。


「帰ってきていたの? でも、私とは会わなかったよね?」


「夏樹にはまだ会えないと思って……。でも、夏樹がアイツを選ぶのなら……、アイツの気持ちと言うか覚悟を聞いておかなきゃ、簡単に譲れないと思っていたんだ」


「譲るって何? 私は物じゃないよ。それに、祐樹さんの物でもないし……。まさか、健也君と会ったの?」

 益々怒りに油を注ぐような発言に、怒りの炎が燃え上がる。

 そう言えば、舞子には祐樹さんの話はしなかったけれど、健也君の話はしたっけ。健也君にもう一度プロポーズされたら、今度こそ受けようかな……なんて、話した様な気がする。あの時舞子は、一時の気持ちで決めちゃだめだよって、よく考えなさいって言ってくれたけど、それは祐樹さんの気持ちを知っていたからだったのだ。舞子は祐樹さんの動向は時々話してくれたけど、彼の気持ちについては何も言ってくれなかった。私も自分の本当の気持ちを言わなかったのだからおあいこだけれど……。まあ、祐樹さんに口止めされていたのだろうけど、私の方の事は筒抜けで、その上私の事に口を出そうとしていたの? わざわざ帰ってきてまで!


「ああ、本当にアイツが夏樹を幸せにできるかどうか見極めないと安心できないから……。でも、反対に怒られたよ」

 そりゃー怒るでしょう。他人の恋路に相手の元カレが口を出してきては!!


「怒って当たり前でしょう? 関係無い人が口を挟んできたら……」


「いや、違うんだ。君たちはお互い想い合っているくせに、どうしてさっさと結婚しないんだ。未成年でもあるまいし……って怒られたんだよ」


「えっ? 健也君、そんな事一言も言わなかった。……あっ。」

 思い出した。


『夏樹、君の心には相変わらずあの男が居るんだな。心の中にもう誰もいないのなら、今度こそ君を連れて行きたかったけど……。あの男も君の事思っているんだったら、もういい加減身分違いなんて本人以外の条件に振り回されずに、ぶつかってみろよ。一人では無理な事でも、二人ならなんとかなるんじゃないのか?』


 あの時はもう祐樹さんに会った後だったんだ。そして、健也君は見抜いていた。私がまだ祐樹さんを忘れきれずにいた事を……。


「アイツ、夏樹にも何か言ったんだろ? いい奴だったよな。夏樹の事、本気で心配していたから、怒ってくれたんだろうな。アイツと約束したんだよ。必ず夏樹を幸せにするって。俺の方も、もう少ししたら夏樹を迎えに行けるって言うところまで来ていたんだ。最初から二、三年のつもりだった。その予定通り、何とか成果を上げつつあったから、そろそろ日本に戻してほしいと親父には言っていたんだ。まさか、経済情勢があんなに簡単に崩れ去るなんて思わなかったから……」

 健也君の話はそれっきりで終わってしまった。

 健也君は本当にいい人だった。最後まで私の幸せを考えていてくれた。

 でも、私は相変わらず祐樹さんの事を思い切れずにいて、健也君は呆れていたのかな?


 それにしても、目の前の人は、二、三年のつもりが五年になってしまった言い訳をしている。

 リーマンショック? 新聞やニュースで何度も聞かされたその言葉。

 そんな世界同時不況に、彼の予定は大幅に狂わされたのだと、説明していた。


「やっと持ち直したと思ったら、もう二年近く経っていて慌てたよ。そろそろ、戻らせて欲しいと親父に言っていたんだ。そうしたら祖父さんから、帰ってきたら正式に後継者としてお披露目するから、その時に婚約発表もするといきなり言われてしまって……。最初は反発したよ。祖父さんの決めた人といきなり婚約発表ってとんでもないと思ったから。でも、それを受け入れないと、本社には戻せないって言われてしまって……。それには親父も驚いて、いろいろ動いてくれたらしいんだが、まだまだ社内での祖父さんの力が大きい部分があってね。親父もとりあえず、祖父さんの命令を聞く形で帰って来いと言うので、帰ってきた訳なんだよ。親父が祖父さんの方は何とかするから、お前は夏樹さんの心を取り返して来いって……。本当に親父には頭が上がらないよ。まだまだ俺は小さいなと思うけど、夏樹の事は絶対に守るから、だから、夏樹、結婚して欲しいんだ」

 なんだか少し、気が抜けてしまった。

 さっきまで心を支配していた怒りも、自分の中にあった罪悪感も、どこかへ行ってしまった。

 ネガティブ思考の中でぐるぐる思い巡らしてみても、悲観的な三十五歳の私には悲観的な答えしか見つからない。

 私には会わないくせに、健也君と話をするためには帰国するって、どうよ?

 結局彼は、私に何も言わないくせに、舞子を通じて私を監視していたのだ。私の気持ちがよそへ向かないように。

 彼のその一生懸命さを、愛おしく感じている自分にも呆れたけれど。やっぱり私はこの人が好きなのだ。

 そう思って、もう一度目の前の人を見つめた。

 彼の真剣な眼差しの奥に不安な気持ちが揺れているのが見えた。いつも自信にあふれて、私をからかう彼からは想像もつかない。

 ここまで目標を定めて頑張りぬいてきた彼にとって、ここで私がNOと言うなんて思いもしないだろうけど、不安はあるのだ。なんと言っても、悲観的な私だもの。

 まだまだ、障害はある。これからお祖父様がどのように出てくるかわからない。

 でも、私達はこれだけの時間をかけ、距離も隔てても、変わらない気持ちを持ち続けたのだから、これからも変わらないだろう。

 確かにまだ怖い。彼の後ろにある大きな物が……。でも、この辛かった五年間に比べたら、彼が傍にいてくれるのだから、何とかなるような気もするの。

 ねぇ、お母さん、もういいでしょう?

 たとえ彼がどんなにお金持ちでも、二人の気持ちさえしっかりしていれば、乗り越えられるよね?


 私は、真っ直ぐに祐樹さんを見つめると「よろしくお願いします」と笑顔で言った。





今回の話に会わせて、#19:ガールズトーク(1)の舞子のセリフの一部を改稿しました。


今回の話で祐樹さんのヘタレ度が露呈してしまった様な気がします。

なんだかお父さんの言いなり?なんて、思われてしまったかな?

長年お祖父さん(浅沼さんからしたらお父さん)と戦ってきた人だから、

いろいろと策があるんですね。

祐樹さんもやっぱりお父さんを頼っている様な所があるし……


それから、夏樹は現在編では祐樹さんの事、心の中や舞子さんに話す時とかに「祐樹」と呼び捨てで言っていたのですが、今回は「祐樹さん」と呼んでいるのは、トリップの時の影響なんですね。


2018.1.31推敲、改稿済み。

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