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#58:浅沼夫妻の秘密の過去【指輪の過去編・夏樹視点】

今回も指輪の見せる過去のお話で、夏樹視点です。

28歳の夏樹。


 あの日から、初めて浅沼家へお邪魔してから、二週続けて週末に手芸の会が開催されている。浅沼さんはいらっしゃる時もいらっしゃらない時もあるけれど、雛子さんとはずいぶん前からの友人のように楽しい時間を過ごしている。

 パッチワークの方はランチョンマットの作り方を教えてもらっている。パッチワークのパターンを決め、布選びのために一緒に買い物に出かけ、少しずつ手ほどきを受けている。

 小さな布を一枚一枚縫い合わせていく作業は、私の中の彼の思い出や小さな幸せや悲しかった事までも繋ぎ合わせて、大きな想いへと形作っていくようで楽しい。ランチョンマットが出来上がったら、彼を招待して手作り料理をご馳走しよう。そんな小さな夢も一緒に縫いこんでいるような気になる。


 十一月の第一土曜日、先週に引き続き浅沼邸を訪れていた。今日、浅沼さんは、取引先とのゴルフとの事。社長さんは大変だね。私は雛子さんと一緒に昼食の用意をし、楽しいランチタイム。

 今日のメニューはビーフストロガノフとサラダ、スープ。二人でお喋りしながらお料理をしていると、母と一緒にお料理やお菓子を作っていた日々の事を思い出す。こんなに穏やかな満たされた気持を再び味あわせて貰えるのも雛子さんのお陰だ。


「雛子さん、前から気になっていたのだけど、雛子さんと浅沼さんはどんなふうに出会ったんですか?」

 いつも私の恋バナばかり聞いてもらっていたけれど、雛子さん達の出会いから結婚までもとても気になっていた。浅沼さんは私の話にいつも優しくアドバイスしてくださる。いろいろな恋愛を経て、雛子さんと出会い、結婚に至ったのだろう。雛子さんは浅沼さんと出会うまで、どんな恋愛をしてきたのだろうか? 浅沼さんとの結婚を決め手は何だったのだろうか?

 考えだすといろいろと訊きたくなったけれど、とりあえず今は出会いを訊いてみたい。


 私の質問に、雛子さんの食べる手が止まった。そして、私の顔を見て少し思案顔した後、ふっと優しい笑顔になった。


「私と雅樹さんはね、小さい頃からの許嫁だったの」

 そう話し出した雛子さんは、過去の記憶を手繰り寄せるように遠い眼をした。


 え? 許嫁? それって……小さい頃から結婚が決まっていたと言う事?


「驚いた?」と雛子さんは呆けた顔をしている私に悪戯っぽく微笑んだ。

 考えたら、雛子さんはきっといいところのお嬢様だろうと思えるような雰囲気があるから、お金持ち同士の繋がりのため、小さな頃から結婚を決められていたとしても不思議は無い。

 でも……、浅沼さんは雛子さんと言う許嫁が居ながら、別の人を愛したのだろうか? 辛い恋をしたような事を言っていたもの。


「いいえ、そう言われたら、すんなり納得しました。じゃあ、そのまま大人になって結婚したのですか?」

 そんな私の問いに、雛子さんはフフフっと笑った。


「私達は許嫁と言うより、幼馴染か兄妹と言う感じで育ったの。親同士が仲良くて、良く行き来していたから、いつも一緒に遊んでいたわ。あまりに傍にいすぎた所為か、許嫁とか結婚とか言われてもピンと来なくてね。私が大学へ入った頃に雅樹さんが『親が決めた許嫁だから気にする事無い。好きな人が出来たら、その人と結婚していい』って言ったのよ」


「ええ? 二人は結婚する気は無かったのですか?」


「お互いにそれなりの年頃になっても、大切な存在には違いないのだけど、それは兄弟愛とか家族愛みたいな感じで、恋愛感情にはならなかったの。そして、そのうちにお互いに恋人が出来て、お互いに恋の相談をしたり、応援したりしていたわ。あの頃、二人が許嫁なんて事、すっかり忘れていた。周りも何も言わなかったし……」


 浅沼さんのその時の恋人が、あのお菓子作りの上手な人だろうか?


「許嫁って言うのは小さい時の口約束だけのもので、周りの大人は忘れてしまっていたんですか? でも、それなら、今別の人と結婚していますよね? やっぱり、反対とかされたんですか?」

 自分でもやけに突っ込んで訊いているなという自覚はあったけれど、疑問が次々湧いてきて、止める事が出来ない。御曹司である浅沼さんとお嬢様の雛子さんのそれぞれの恋愛がどうして成就しなかったのか。……やはり母の恋のように身分違いの所為?


「夏樹ちゃん、あなたは私達の恋が身分違いだったのかと訊きたいの? 確かに私も雅樹さんも親が会社を経営していたわ。小さい頃から経済的に不自由な思いはした事が無かった。でもね、精神的に自由になる事は少なくて、いつも何かしらの我慢を強いられてきたの。だから、私も浅沼も心を自由に開放してくれる恋を手放すつもりなんて無かったの。一生一度の恋だった。自分の命と引き換えにしてもいいぐらい相手の事を想っていたわ。身分差なんてそんな事、何の障害にもならなかった」

 あまりに真剣な雛子さんの眼差しに怯んでしまった。

 雛子さんのその想いの深さに、私はひれ伏す思いだった。

 私はそこまで彼を想っているだろうか?

 雛子さんは少し興奮して、眼が潤んでいるのがわかった。


「ごめんなさい。雛子さんの気持ちも考えずに、根掘り葉掘り訊いてしまって……」

 あまりに想像を超えた話に、話の途中だったけれど、もうこれ以上訊いてはいけない気がした。

 だけど、雛子さんの話に少しだけ反抗心が湧いた。

 雛子さんは身分差なんて関係ないって言うけれど、それは経済的優位の人だから言える言葉。私の母のように経済的下位の者にとって、身分差は大きな壁。結局、母はその壁を乗り越えられずに恋を手放した。愚かだったのかも知れない。でも、それが想いの小ささとは言えない。母はその想いゆえに、彼の立場を考えての行動だったはず。……そう信じたい。


「夏樹ちゃん、こちらこそ興奮して喋ってしまって、ごめんなさいね。あの頃の気持ちとリンクしてしまったみたいで……。話途中だから、あなたも気になるでしょう? 貫きたかった恋を諦めて、どうして雅樹さんと結婚する事になったか。夏樹ちゃんには話したいの。聞いて欲しいの。なぜだかわからないけれど、今まで誰にも話した事が無いんだけれどね。息子にさえ言った事が無いのよ」


「ええ?! そんな息子さんさえ知らない過去を私なんかに話していいんですか?」


「いいの。もう三十年近く経っている事だもの。もう、時効よ。それより、夏樹ちゃんに聞いてもらって、今後の参考にしてもらえれば……って、あまり参考にもならないかな?」

 雛子さんは苦笑いすると、また、食事をしだした。それを見て、私も食事の手が止まっていたのに気付き、慌ててビーフストロガノフをひとすくいして口にほり込んだ。

 雛子さんは聞いて欲しいと言いながらも食事の手を休めず、最後まで完食した。そして、二人が食べ終わると、場所をテラスのテーブルに移動して、紅茶を用意してくれた。そして、雛子さんは一口紅茶を飲むと口を潤して、また話し出した。


「さっきの続きだけど……、私が大学を出る頃に周りがそろそろ、私と雅樹さんの結婚話を進めようかと言いだしたの。周りから見たら、私達はとても仲が良かったから。その時になって、改めて私と雅樹さんは許嫁だった事を思い知らされて、愕然としたのよ。私達二人の間では、許嫁の話は無かった事になっていたから。それからは、逢う度にいかにしてお互いの恋を成就させられるか、その作戦会議ばかりしていた。そして、いよいよ雅樹さんは両親に別に結婚したい女性が居る事を告白したの。でも、両親にその女性を紹介する前に、女性の事を調べられて、その女性を遠ざけられてしまったの」


 ああ、私の母と同じような事が、浅沼さんの昔の恋人にも起こったんだ。


「私、浅沼さんから聞いた事あります。浅沼さんを甘いもの好きにさせた女性の事。その人がその時の恋人ですか?」

 なんだか、どこか他人事じゃない話に、私は興奮していた。


「ええ、雅樹さんはそんな事を話していたの。スイーツに関係あるものね。私もお会いした事も名前も知らないのだけど、彼女の作るお菓子は最高なんだってよく話していたわ」


「でも、やっぱり、その女性は身分差があって身を引いたんじゃないんですか?」

 私の母親のように……と言う言葉は飲み込んだ。


「そうね、彼女の理由はそうでしょうね。でもね、彼の両親が反対したのは身分差もあっただろうけれど、どちらかと言うと私と結婚させたいがための反対だったと思うの」

 そうか……、それなら今二人は結婚している訳だから、きっとご両親も喜ばれただろうな。

 ……って、雛子さんの恋はどうなったの?


「それじゃあ、雛子さんの恋はどうなったの?」

 私は思わず顔を上げて雛子さんを見た。雛子さんは笑った様な泣きそうな様な情けない歪んだ表情を見せた。そして、一つ息を吐くと、またゆっくりと話し出した。


「雅樹さんは自分の恋を失くして落ち込んでいるのに、私の恋の応援をしてくれた。いよいよになって、二人で逃げろって、知り合いの別荘を借りてくれて、一旦そこへ身を隠せって……。そして、彼と待ち合わせて逃げる日、彼は待ち合わせの場所に来なかった」

 雛子さんは遠い過去をうつろな目で見つめていた。彼女の意識は今、過去のその瞬間へ舞い戻っているのだろう。

 彼は、裏切ったの?

 それとも誰かに妨害された?

 また、親達が引き離したの?

 いろいろな事が私の頭の中を廻ったけれど、何も口を挟めなかった。

 ただ、雛子さんの口が再び開くのを、じっと待つしかなかった。


「彼は……、待ち合わせの場所へ急ぐあまり、カーブを曲がり切れずセンターラインを越えたの。小さな軽自動車だった。対向車は大きなトラックで……」

 雛子さんの頬には涙が流れている。私は思わず「雛子さん」と呼んで、テーブルに置かれたその手を握った。冷たい手に驚きながら、過去の辛い思い出に心を取り込まれないで! と心の中で祈りながら、ただただ、手を握り続けた。


 ゆっくりと雛子さんの顔がこちらを向き、柔らかい笑顔を浮かべた。


「ごめんなさいね。こんな話聞いてもらって……。あらあら、夏樹ちゃんまで泣かなくていいのに……。もう、昔の事だから……。もう、綺麗な思い出だから……」

 雛子さんはそういいながら、私の涙をハンカチでそっと拭ってくれた。

 一生一度の恋って言った。その恋の結末はあまりにも悲しくて、私は言葉も無かった。


「それから、私も彼の後を追おうと何度も自殺を試みたの。その度に雅樹さんが心配して止めに来てくれて、こんなことしても彼は喜ばないって叱ってくれて、そして言ったのよ。『このまま君を放っておけない。僕達は夫婦にはなれなくても、良い家族にはなれるんじゃないか』って……」


 ああ……、この二人は一生一度の恋を失って、寄り添うように家族になったんだ。夫婦にはいろんな形があるけれど、こんな夫婦の形もあるんだ。

 この二人は恋人同士の燃えるような愛は無いけれど、穏やかな家族の愛で結ばれているんだ。

 悲しい思いを胸に秘めて……。





2018.1.31推敲、改稿済み。

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