#56:浅沼家ご訪問【指輪の過去編・夏樹視点】
今回も指輪の見せる過去のお話で、夏樹視点です。
夏樹28歳の10月。
「初めまして、ご招待いただき、ありがとうございます。佐藤夏樹です。よろしくお願いします」
「こちらこそ初めまして。浅沼の家内の雛子です。よろしくね。よくいらしてくださったわ。今日はゆっくりとしていってね」
初めてお会いした雛子さんは、想像以上に素敵な女性だった。年代的には玲子おばさんと同じぐらいの年齢の様だけれど、可愛らしくって、それでいて凛とした美しさがあって、品のある育ちの良さみたいなものが滲み出ている。この人もやはりお嬢様なのだろうな。それでいて、あたたかい笑顔に親しみを感じる。
昼食のご招待と言う事で、お昼前に浅沼さんの車でご自宅へ連れてきてもらった。閑静な住宅街の一角の広い敷地に、落ち着いた洋館が建っていた。庭はバラとハーブが揺れるイングリッシュガーデン。
「素敵なお庭ですね」
声をかけると、振り返った浅沼さんが「妻の趣味でね」と優しい笑顔で言った。きっと、この家全てが奥様の趣味の世界なのだろうと、想像できた。玄関へ入ると、広い玄関ホールに圧倒され、壁に掛けられた手作りの大きなタペストリーに目が釘付けになった。
「奥様が作られたタペストリーですか?」
尋ねると、ニッコリと頷く浅沼さん。
ああ、私が夢見たマイハウスを実現化したらこんな風と言う見本そのままが、ここにあった。
奥様に出迎えられて、リビングへ通される。外国のアンティークな家具が、その雰囲気にしっくりと収まっている。ところどころに奥様手作りのキルト作品が置かれていて、思わず見て回ってしまった。
「キルトに興味があるのかしら?」
ふいに後ろから声を掛けられて振り向くと、お盆にティーセットを載せて奥様が優しい笑顔で立っていた。
「はい、こんな風に自分の手作りのもので家の中を飾るのが夢なんです」
私がそう答えると奥様はニッコリと笑ってソファーに座るよう促すと、テーブルにティーカップを並べ、自分もソファーに座った。
「じゃあ夏樹さんも何か手芸とかされているの?」
「いえ、してみたいとは思っているんですけど……。編み物ならした事があるんですが、パッチワークやキルトはした事が無くて、何から始めていいのか分からないんです。やはり、教室とかへ習いに行った方がいいですか?」
「私も最初は自己流だったのよ。たまたま、良い先生をご紹介してくれる方があって、それから本格的に習ったの。自分のものぐらいなら、自己流でもかまわないと思うけれど……。良かったら、私がお教えしましょうか?」
「ええ?! いいんですか? 私みたいなものに。それに、まったくの未経験ですし……」
「夏樹ちゃんと私も呼んでもいいかしら?」
私が「はい」と答えると、またニッコリ笑って話を続けた。
「夏樹ちゃんの事は主人から良く聞かせてもらっているの。だからかな、今日初めてお会いしたのに、初めての様な気がしなくて……。私が作る手芸品も気に入って頂いているって聞いて、嬉しかったわ。主人はね、スイーツの会と言いながら、夏樹ちゃんとプチ親子を楽しんでいるの。スイーツの会へ行った後は、嬉しそうに話してくれるのよ。だから、私も夏樹ちゃんとプチ親子したくなっちゃって……。私と手芸の会でもしない?」
悪戯っぽく笑う奥様に、「おいおい」と慌てる浅沼さんが可笑しかった。
「嬉しいです。そんな風に言って頂いて……。あの、私も雛子さんとお呼びしてもいいですか?」
「もちろんよ。私達の手芸の会は、主人のスイーツの会みたいに半年に一回なんて言わないわよ。毎週でもかまわないから……。一緒に手芸して、一緒にお料理して、お庭でお茶を飲んだり……。時にはお買い物にも付き合ってくださるかしら? 娘がいたらしたかった事、たくさんあるのよ」
雛子さんは夢見るようにフフフと笑いながら言った。浅沼さんは苦笑いしながら「やっぱり、夏樹ちゃんは取られてしまいそうだな」と呟いていた。
「本当に私なんかでいいんですか? 息子さんがお嫁さんを貰われるまで、娘がいたらの楽しみは取って置かれた方が良いのじゃないですか?」
私には雛子さんの言葉があまりに光栄過ぎて、その期待にこたえられるか不安になった。それに、いつか現れるお嫁さんの特権を奪ってしまうようで、少し罪悪感も覚えた。
「あら、そんないつになるかもわからない事、待てないわよ。それに、趣味の合う人かどうかも分からないし……。本当に息子はつまらないわね。あっ、そうだわ。夏樹ちゃん、うちにお嫁に来る気はないかしら?」
雛子さんはさらりと驚くような事を言った。浅沼さんは驚いた顔をしたが、「それは良い話だねぇ」と笑っている。
ちょっと待ってほしい。こんなお金持ちの家にお嫁になんて来られませんよ。
「とんでもないです。私は、こんなお金持ちの家にお嫁に来られるような身分じゃないですから。それに、息子さんだって、私なんか相手にもしてくれませんよ」
私が一生懸命訴えると、雛子さんはぷっと吹き出した。
「夏樹ちゃん、あなたいつの時代の人? 身分違いなんて言葉、今では死語よ。そんな事は気にしなくていいの」
「まあまあ、夏樹ちゃんの言いたい事も分かるけど、それ以前に夏樹ちゃんには好きな人が居るから、駄目だよねぇ」
浅沼さんは、優しく雛子さんを諫めてくれた。
それにしても、雛子さんは最初のイメージの物静かな感じが崩れ、結構言いたい事をポンポンと言う、快活な人だった。でもそれがちっとも嫌味じゃ無くて、返ってさっぱりとしていて周りに気を使わせない人だった。
「あら、片想いなんでしょう? それに、もう忘れたいとか思っているって聞いたけど。忘れるには新しい恋が一番! でも、息子はそれほどお勧めできる男じゃないなぁ」
すっかり私の事は雛子さんに筒抜けになっているんだと思うと、嫌な感じはしないけれど、浅沼さんを少し睨んでおいた。それにしても、雛子さん。言いたい事言い過ぎです。
「おいおい、君はもう少しお客様の前なんだから猫を被りなさい。すっかり地を出して、くつろぎ過ぎですよ」
また、浅沼さんが自分の妻を諫めた。
えっ、猫を被りなさい?
なにそれーーー!!
私は盛大に噴き出してしまった。
私の笑いが止まらないのを見て、浅沼さんと雛子さんは顔を見合わせ、浅沼さんは肩をすくめ、雛子さんは「あなたの所為よ」と笑っている。
浅沼さんも雛子さんもおもしろ過ぎる。
こんなご両親のお家なら、お嫁に来たいかも……と思ったけれど、口には出さなかった。そんな事、あるはずが無いのだから。
その後昼食をと言う事になり、用意をすると雛子さんが立ったので、私もお手伝いをさせて欲しいと後をついて行った。社長さんのお家なのだからお手伝いさんが居るものと思っていたら、お手伝いさんは土日はお休みなのだそうだ。今日のお料理は雛子さんの手作りだと言うので驚いた。お金持ちの家には専属のシェフが居るのかと思っていたら、昔は家族も多くて居たらしいけれど、今は二人家族なので平日だけお手伝いさんが居るらしい。息子さんは大学から一人暮らしなのだそうだ。
「ホント、息子なんて家に寄り付きもしないのよ。夏樹ちゃんは実家に帰っているの?」
雛子さんは揚げたてが一番だからと天麩羅を揚げながら、息子の愚痴を言いだした。
私は揚げられた天麩羅をお皿に盛りながら、「お盆とお正月だけしか帰っていないです」と答えた。
「遠いから仕方が無いわよね。息子なんか近くにいるのに、年に一、二回顔を見せるくらいよ。この間もね、誕生日だからごちそうを作って待っているから、帰っていらっしゃいって言ったのよ。そうしたら、当日になってドタキャンよ。もう、息子には何も期待しないわ」
そう言えば祐樹さんも誕生日に母親に呼ばれている様な事を言っていたっけ。息子を持つ母親は辛いものだな。
「そう言えば、息子さんと私、同じ誕生日らしいです」
「そうだってね。もう、息子の誕生日は夏樹ちゃんを呼べばよかったわ。来年からは夏樹ちゃんだけを呼ぶから、来てね」
雛子さんは相当息子さんに対して腹を立てているようだ。
「私だけって、息子さんも呼んであげてください。でも、誕生日は彼女と祝われたんじゃないんですか?」
「彼女が居るなら誘わないけれど、一応確認はしたのよ。彼女が居るのかどうか。居ないって言うから家でお祝いしてあげるって誘ったんだけどね。本当に息子は何を考えてるか分からない……」
息子を持つ母親ってこんな風なのかと思いながら、なぜだか微笑ましくて笑みがこぼれてしまう。
そうして、テーブルにすべてのお料理が並べられ、三人は席について食べ始めた。今日のメニューは和食だった。栗や茸の入った炊き込みご飯、茶碗蒸し、天麩羅、青菜のお浸し、お吸い物……なんだか母を思い出すメニューだった。
「美味しいです。とても……雛子さんはお料理も得意なんですね」
「あら、夏樹ちゃんだってお菓子がお得意でしょう? お料理だって得意じゃないの?」
「いえ、得意と言う程じゃないです。ただ、基本自炊なので、毎日お料理はしています」
「それは本当にいいお嫁さんになれそうね。うちの息子にお嫁さんが見つからなくて、夏樹ちゃんにも好きな人が居なかったら、考えて欲しいなぁ」
「君も諦めが悪いね。息子の嫁は息子が見つけるさ。それより夏樹ちゃん、その後どうしていましたか?」
浅沼さんは雛子さんを諫めながら、私の恋のその後を訊いているのだろう。心配してくれているのは嬉しいけれど、親と同じぐらいの年の夫婦に恋の話なんて、少し恥ずかしい。玲子おばさん夫婦には絶対話せないのに。これも浅沼さんの持つ癒し効果の所為かな。
「あの……誕生日に彼と一緒に食事をしました。なんと、彼も私と同じ誕生日だったんです」
「え? それって……。もしかして夏樹ちゃんの好きな人って、うちの息子じゃないの?」
「いえ、違います。彼のご実家は他県でサラリーマン家庭らしいので……」
「そう……残念だわ」
雛子さんの残念に思ってくれる気持ちは嬉しいけれど、それはありえない。
「私、もし彼が浅沼さんの息子さんだったら、きっと恋していないと思います。私、母と約束しているんです。お金持ちの人は好きにならないと。どうしても結婚と言う事になったら、反対されるからって。釣り合わぬは不幸の元だって言われています。だから、彼にもご実家の事をそれとなく聞いてみたんです。ごめんなさい。別に浅沼さんや雛子さんが嫌な訳じゃないんです。母は一番の親友が大きな会社の御曹司と知らずに恋をして反対されて諦めて、自殺しそうになった経緯を見て来たから、言うのだと思います。だから、申し訳ないですけれど、息子さんと結婚と言うのはありえないんです。浅沼さんと雛子さんのようなご両親のところへお嫁に行けたら嬉しいですけれど、やはり、大きな会社の社長さんのお家だと思うと、無理なんです」
私は雛子さんが私をお嫁さんにと期待してくださる事は嬉しかったけれど、はっきりと言っておかなければと母との約束の話をしたのだった。母自身の事だけど、今は母の親友の話と言う事で、今後二度とこの話が出ないように、釘をさすために。
「ごめんなさいね。夏樹ちゃんの気持ちも考えずに変なことばかり言って……。でもね、身分が違うとか、社長の家だからとか、今の時代そんなに気にしなくていいのよ。私達は、息子がどんな女性と結婚したいと言っても、反対はしないつもりなの。息子が本当に愛する人なら、大歓迎するわ」
私の話を聞いて雛子さんが謝ってくれた事が心苦しかった。
「あの……、さっき話していた君のお母さんの親友と言う人は、今どうされているのかな?」
私の話を聞いてしばらく思案顔だった浅沼さんが、思いもよらない事を訊いてきた。
その時私は思い出した。そうだ、浅沼さんは母の事を知っているのかもしれないと言う事を……。もしかすると、父の事も……。
2018.1.30推敲、改稿済み。