#52:メシ友【指輪の過去編・夏樹視点】
今回は指輪の見せる過去のお話で、夏樹視点
28歳になった夏樹と祐樹の関係は……
#49:「サプライズな誕生日【過去編・夏樹視点】」の続きになります。
ふと顔を上げると、テーブルを挟んだ向こう側に彼の笑顔があった。
杉本祐樹、二十八歳、私と同じ日に生まれた彼。
今日で三回目、どうしてこんな事になったのか分からない。でも、全ては二十八歳の誕生日の日から始まった。
そうあれは、舞子の新居を初めて訪れた日、偶然にも私と彼の誕生日だった。その事を知って、私たち二人は周り以上に驚いた。幸せな恋人同士なら、これは運命ねと思ったに違いない。でも、私が思ったのは、なんて皮肉な……と言う事。
私と彼の距離は、近いようでいてとても遠い。
あの誕生日の日、彼はこの前のお詫びも兼ねて二人で誕生日を祝おうと、私を夕食に誘った。
この前のお詫び。彼はお仕置きと称していきなり私にキスをした。突然の事に驚いて、私は何も言わずに逃げ帰ったのだった。あの時、キスをされたことへのショックよりも、簡単に誰でもお仕置きという名目でキスをしてしまえる彼にショックを受けた。彼はこんな男なのだと、気持ちが無くても気軽に女性にキスのできる人なのだと、何度も何度も自分の心に言い聞かせた。忘れてしまえ、忘れてしまえと……。
そんな彼が、この前の事を詫びたいと言った時には驚いた。でも、きっと、あの時の私の態度が尋常じゃ無かったから、気になったのだろう。二十八にもなる娘が、キスごときであんなにも動揺するなんて、彼も相当驚いたに違いない。
最初は断った。わざわざお詫びしてもらうような事ではないと。でも、彼は引き下がらず、それならお互いの誕生日を祝おうと言いだした。最初はどうして、そんなに一生懸命誘うのか分からなかった。
でも、舞子達夫婦の親友と言う近い存在の私達は、これからも逢う機会があるから、キスの一件でぎくしゃくしていては、舞子達に心配をかけてしまうかも知れない。だから彼としては、無かった事にしたいのだろうと思い当たった。私自身だって無かった事にしてしまいたい。
それでも本当はそれ以上に、彼の誘いが嬉しかった。そんな時、浅沼さんの言葉が蘇った。
『その想いを素直に受け止めて、ほんの小さな触れ合いも喜びに変えて、相手の幸せを願えるようその恋を昇華させた方がいい』
そして、私はその夜、彼とフランス料理のお店で向かい合っていた。
フランス料理専門のレストランに入るのは初めてだった。最初に思ったのは高そうなお店。彼と一緒にいる事だけでも緊張するのに、場違いなお店で気後れする。
「夏樹、そんなに緊張しなくていいよ。ここはカジュアルなフランス料理のお店だから、気楽に食べたらいいんだよ」
「でも……、こんな高級そうなお店だと思わなくて……」
高そうな……と言いそうになったけれど、あまりに露骨かと思って言い変えた。
「俺が誘ったんだから、夏樹は何も心配しなくていいよ。遠慮なく食べろよ」
私が言いたい事を分かっている風に返事が返る。
前菜の皿が目の前に置かれて、そのメニューの名前を言ってくれるのだけれど、目の前のどこから手をつけていいのやらわからないほどきれいに盛り付けてあるプレートに意識が引きつけられたままで、うまく聞き取れなかった。
まずは、シャンパンで二人の誕生日を祝って乾杯しようと前菜の皿に釘付けになっていた目を上げれば、彼の視線に捕らえられ0.5秒見つめ合ったと思ったら、いきなりあの私のお気に入りの目元に皺を寄せてクシャッと笑う笑顔で、キューピッドの矢を射られたが如く、私のハートのど真ん中を射抜かれてしまった。
出た!女殺しの微笑み! ……なんて、茶化す余裕も無く、まだお酒も飲んでいない内から、顔に熱がもつのを自覚した。きっと、赤くなったに違いない。これじゃあ、自分の想いを告げているようなものだ。
そして、慌ててグラスを持って手を上げると、彼が笑顔のまま、私のグラスに自分のグラスを打ちつけた。
ああ、浅沼さん。自分の気持ちに素直になって、彼に誘われるままに来てしまったけれど、これは片思いの辛い日々より拷問かもしれません。恋の昇華への道のりは程遠いです。
それでも、食べる事が大好きな私は目の前の初めて食べるお料理に気持ちが移ると、彼と一緒だと言う緊張は薄れていった。
「これ何だろう? 人参みたいな味がするけど……すごく美味しいです」
メニューの説明を聞いていなかった私は、一口、口に入れてその素材が良く分からず、目の前で綺麗な所作で食べている彼の方に顔を上げ、ボソリと呟いた。
「さっきの説明聞いてなかったのか? そうだよ、人参のムース」
「人参のムース? へぇ、そうですよね、色も綺麗な橙色だし、味も人参そのものですものね。でも、人参でムースは意外でした」
へへっと恥ずかしそうに彼に笑顔を向けると、彼の優しい眼差しにぶつかり、なんだかお尻がむず痒くて居心地が悪い。
もぉ、そんな恋人に向ける様な優しい眼差しを向けないでよ!
心の中で悪態を吐きながらも、彼は意地悪な事も言うけれど基本優しい人なのだと、自分の中でいい訳をしながら、目の前の料理にまた眼を戻した。
その後、魚料理、メインの肉料理と続き、その間もお料理の美味しさに興奮し、素材や調理方法について緊張を押し隠すようにハイテンションでお喋りしていた。
「相変わらず、夏樹は食べ物の事になると興奮するんだな。そんなに美味しそうに食べてくれると、こちらも美味しく食べられて良かったよ。夏樹はまるで食欲増進剤みたいだな」
「なんですか、それは? 褒めているんですか? けなしているんですか?」
「褒めているんだよ」
クックと笑いながら言われると、なんだか馬鹿にされたようで……。そして、その後に続いた言葉に、カチンときた。
「性欲は湧かないけど、食欲は湧くみたいな?」
「や、やっぱり馬鹿にしているでしょ!!!」
思いっきり睨みつけた私の顔は赤くなっていた。
……それって、女性としてどうなの?
そう気付いた時、私のテンションは一気に落ちていった。
「ハハハ、やっぱり夏樹は面白いな」
私の落ち込みに気付かない彼は、相変わらず笑って私をからかう言葉を繰り返していた。
そんな私の気分を再び盛り上げてくれたのは、デザートプレート。
浅沼さんとのスイーツの会の時のような何種類かのスイーツを綺麗に盛り付けたデザートプレート。
サクランボのタルト、桃のコンポート、桃のアイス、グラスに入ったカシスとオレンジのジュレ……。
すっかり目の前のデザートに目を奪われていたら、また、テーブルの真ん中にお皿が置かれた。思わず顔を上げると、それは、蝋燭の立った小さなホールケーキ。いつの間にかバックミュージックがHappy Birthday to Youに代わっている。
「お誕生日おめでとうございます。当レストランからのプレゼントでございます」
あまりのサプライズに驚いて彼の顔を見ると、悪戯っ子のようにニヤリと笑った。
「二人とも誕生日だからと事前に言っておいたんだ。さあ、ローソクの火を消そう」
あまりの驚きと嬉しさで言葉が出ず、コクンと頷くと向こうとこちらからローソクを吹き消した。
途端に周りからも拍手をもらい、なんだか二人して照れてしまった。
「夏樹、おめでとう」
「祐樹さんも、おめでとう。それから、ありがとう。こんな嬉しい誕生日、初めてです」
私はこのサプライズな誕生祝いに、もうこれだけでこの想いは報われた気がした。これ以上を望んだら、それは贅沢だよね。
ありがとう、祐樹さん。あなたを好きになってよかった。
鼻の奥がツーンとなって、眼がウルウルとしだしたので、俯いてそっと眼がしらをハンカチで抑えた。そして、顔を上げると彼に向かって、心からの笑顔を向けた。
ボーイさんが、手際良くケーキを切り分けてケーキ皿に盛り付けてくれた。残りはお持ち帰り用にボックスへいれると、いったん奥へ引いていった。
「夏樹、これ全部食べられるか?」
「はい、大丈夫です。デザートは別腹ですから……」
私の返事を聞いて彼は、またクックと笑って、嬉しそうに「やっぱり、夏樹だな」と呟いた。
私は一体どんな風に思われているのだろう?
彼の呟きにふと思ったけれど、きっと悪くは思われていないと、どこか自信めいた確信があった。これだけで充分だ。
目の前のデザートをゆっくりと幸せな気分で食べていた。
本当に美味しいなぁと食べている時、浅沼さんとのスイーツの会を思い出した。
浅沼さんにも食べさせてあげたいなぁと思いながら、今度会ったらこのスイーツの話をしようと考えていた。
「夏樹は本当にスイーツが好きなんだな。蕩けそうな顔しているぞ」
「ふふ、好きだからしょうがないですよ。スイーツを食べているとこんな顔になっちゃうんです。私ね、友人とスイーツの会を作っているんですよ」
「スイーツの会?」
「はい。半年に一回ぐらい、ちょっと高級なスイーツを食べに行くんです。もう、それが楽しみで……」
「へぇ、スイーツの会ねぇ」
「ふふ、私の今の一番の楽しみは、そのスイーツの会なんです。友人は忙しい人でなかなか会えないのだけど、スイーツの情報を集めるのが得意で、いつもいろんな所へ連れて行ってくれるんですよ」
私は浅沼さんと食べたスイーツを思い出して、また幸せな気分になっていた。
「じゃあ、俺とグルメの会でも作るか?」
あまりに予想外の言葉が帰ってきて、「え?」と呆けた顔をしてしまった。
「だから、スイーツは苦手だから食事なら、一緒に食べにいけるぞ。どう? 美味しいところへ連れってやるよ」
な、なに? どうしてこんな事になっているの? 祐樹さん、どうしちゃったの?
もしかして、これは夢?
でも……。
「何ポカーンと口あけているんだ? 俺と一緒じゃ嫌なのか?」
「いいえ、とんでもない! でも……私なんかと食事に行ったら、怒られないですか? 嫌な想いされるんじゃないですか?」
「え?何の事?」
「だから、婚約者の方が、嫌な思いをされるでしょう? 女性と二人で食事になんか行ったら……」
「そんな事、俺の方の問題で夏樹に関係無いだろう?」
「関係無い事無いです。私だったら嫌です。自分の婚約者がいくら友達だからと言っても、二人だけで食事に行くのは嫌だと誰でも思うと思います。自分がされたら嫌な事、人にできません」
「その婚約話なら、断ったから。祖父さんが勝手に決めた許嫁だから、俺は相手の事何とも思って無いよ」
「ええ? もうすぐ結婚するんじゃなかったんですか? 舞子達の婚約パーティの時、圭吾さんのお父様が祐樹さんはもうすぐ結婚するって言っていたじゃないですか。そんな簡単に断れるものなんですか? ……あ、それはお付き合いしている彼女のために断ったとか?」
「何言っているんだよ? 婚約者とか彼女とか。俺がいいって言っているだろう? 俺が誘っているんだから、一緒に食事する気があるかどうかって事だよ。別にベッドに誘っている訳じゃないんだから……」
彼はそう言ってニヤリと笑った。
べ、ベッド???
また、私の反応を見てからかおうと思っているんだ。なんだか複雑な心境だけど、きっと祐樹さんにとって、私は女と認められていないのだろう。それなら、同性の友達だと思って一緒に食事したっていいかもしれない。
しばらくの間、この贅沢をお許しください。
誰に許しを乞うているのか分からないけれど、心の中で手を合わせた。
「それに……俺だって、夏樹に付き合っている奴がいたら、こんな事誘わないけど、別れたんだろう? 前に映画館で逢った奴とは……」
彼は続けて何気ない風に爆弾を落とした。
「ど、どうして、それを?!!」
「圭吾達の結婚式の二次会の時、夏樹が寝ている間に夏樹の同僚たちが話していたよ。お前アイツにプロポーズされていたんだって? 断ってよかったのか?」
ええ!!!
もう、そんな話、関係無い人が居る所でしないでよ。
心の中で同僚たちの顔を思い浮かべ文句を言う。
「そんな事、あなたには関係ないでしょ!!!」
「ほら、俺と同じだろう? 俺たちの関係はお互いの結婚問題とか恋愛問題とか関係ないところで成り立っているんだよ。でももしも、お互いに特別な相手が出来たら、その時に止めればいいだけだろう? 夏樹だって、今日の誘いに乗ったのは、今は特別な相手が居ないからだろう? だから、いいんだよ」
彼は言い終わるとニッコリと笑った。
何がいいんだよ、だ。
彼の話は今一よくわからなかったけど、とにかく今はお互いに特別な相手が居ないから、一緒に食事しても問題無いって言う事なのだろう。
そうして私たちは、なぜか毎月第二土曜日のランチかディナーを一緒に食べる事になった。話し合って、毎月交互に食事をするお店を決める事と、割り勘を約束してもらった。
それで、今日が三回目、九月の第二土曜日。彼が連れてきてくれた、イタリアンの店でテーブルを挟んで向かい合っていた。
恋心は心の奥の引き出しにしまって、ただ、友達として彼といる事に慣れようと思っている。
こうして一緒に食事できる幸せをかみしめながら。少しはあなたとの距離は近づきましたか? と、目の前の彼の笑顔に心の中で訊ねていた。
2018.1.30推敲、改稿済み。