#49:サプライズな誕生日【指輪の過去編・夏樹視点】
今回も指輪の見せる過去のお話で、夏樹視点。
夏樹、祐樹、共に28歳の誕生日。
……ああ、やられた。
その時、咄嗟に思ったのは、その一言だった。
舞子の結婚式から約一ヵ月後、私と同期会のもう一人の独身女性である中野深雪(なかのみゆき)は、舞子と圭吾さんの新居を訪れた。
と言うのも、約一週間前、舞子からお誘いの電話があったからだった。
「そろそろ生活も落ち着いてきたから、一度新居に遊びに来ない? 来週の土曜日は夏樹の誕生日でしょ ?家でお祝いしてあげるから、深雪も誘っておいでよ。ケーキもこちらで用意するからね。手ぶらで来ていいからね」
そんな気軽なお誘いだったので、私は喜んでOKした。
手ぶらでいいからと言われても、お邪魔するのに何も持たずには行きにくいので、深雪と相談して、暑い時期だからとシャーベットやアイスの詰め合わせを途中で買って来た。
そうして、舞子達のマンションの玄関のドアが開いて一歩中へ入った時、嫌な予感がした。玄関に男物の靴が三足。圭吾さんのなら三足も出しておくはずがない。
「あ、今日はね、圭吾さんの前の会社の同僚も来ているの。祐樹さんも来ているわよ」
私が玄関に置かれた靴を凝視しているのに気づいた舞子が笑いながら言った。
ああ、やられた。
私は運命に試されているのかもしれない。
この間、浅沼さんがアドバイスしてくれたようにこの想いを昇華しようと決心したけれど、実際のところどうしたらいいのか分からなかった。ただ、祐樹さんと逢う事の無い日常が心穏やかな時間を取り戻させてくれていた。
二人の間にあった事も、だんだんと過去の事と記憶の引き出しにしまいこむ事ができそうだった。このまま、ずっと逢わずにいたら、きっと、この想いは昇華できるはずと、自分の中ではそんなふうに考えていた。
けれど、そんな私の思惑など百も承知と言わんばかりの現実は、何の心構えも無い私を容赦なく祐樹さんと引き逢わす。あの人の姿を見てしまうと、また叶わぬ恋を思い知らされ、あたふたと動揺する愚かな自分を思い知らされる。
運命は私の心を弄ぶように、思わぬところにトラップを仕掛ける。
でも、浅沼さんの言うように、この想いから逃げていてはいけない。本当はあの人に逢える事は、嬉しい事だもの。辛さの方が先んじて、嬉しさを感じる間もなく、祐樹さんに心にも無い言葉をぶつけてしまって、自己嫌悪に陥る事ばかり繰り返していては、何時まで経っても昇華などできない。
私は小さく深呼吸して、「舞子の結婚式以来ね」と笑って返した。
舞子についてリビングに入って行くと、そこは想像以上の広い空間で豪華な応接セットに四人の男性が談笑していた。私たちが入って来た事に気付いた四人は、一斉に私たちの方を見た。その中に祐樹さんの笑顔を認めると、途端にあの日のキスの事が思い出され、胸がドキドキしてきて思わず俯いた。
私と深雪が四人の男性が座るソファーに近づくと、祐樹さんの同僚の一人がニコニコと声をかけて来た。
「中野さん、佐藤さん、お久しぶりだね。」
「こんにちは、あの時はお世話になりました。」
深雪もニコニコと挨拶をしている。私は、心の動揺を抑えながら、何とか笑顔を貼り付け「こんにちは」と皆に向かって会釈し、空いた席に座った。
「あれ、君たち知り合いだったの?」
圭吾さんが驚いた顔をして皆の顔を見回す。
「そうなんですよ。結婚式の二次会で皆さんとお会いして、三次会もお世話になりました」
相変わらず明るいテンションで深雪が答える。私は二次会で彼らが合流した時にはすでに酔っていて、正直なところ良く覚えていない。それでも、何とか皆に調子を合わせて笑っていた。
「そう言えば、佐藤さん大丈夫でしたか?結構飲んでみえたようだったし……。帰り、杉本は送り狼になりませんでしたか?」
いきなり触れてほしくない事を、祐樹さんの同僚が言ったので、内心慌てた。
「そうそう、あの時は杉本さんに大変お世話になりました。夏樹はよく寝ていたから、起こすのは大変だったでしょう?」
深雪までもが、この話を広げるので余計に困った。
不味い……。深雪たちにはたたき起こされて、マンションの前で降ろしてもらったと言ってあるのだった。
でも、その事を祐樹さんは知らない。
「あ、そう、杉本さん、あの時は大変お世話になりました。たたき起こしてくださったので、無事に帰れました。ありがとうございました」
私は祐樹さんの目を、わかって! と願いを込めてじっと見た。
「ああ、そんな女性を叩いたりしないよ。体をゆすったら起きてくれたから……。ちょっと時間はかかったけどね。そんなに気にしなくていいよ」
祐樹さんはニヤリと笑って私に視線を返してきた。話を合わせてくれた事に安堵したが、その笑みの余裕に不安なものを感じた。
ちょうどその時、舞子が飲み物を持ってやって来た。私には紅茶を、深雪と自分にはコーヒーを置いて、空いている場所に座った。
「夏樹、二次会の後、祐樹さんに送ってもらったんだ?」
舞子は少し困惑した顔をして聞いて来た。
「え? ああ、そうなの。言って無かったっけ?」
話していないのは充分承知で惚けた。一番の親友なのに、祐樹さんの事だけはなぜか話せない。舞子が祐樹さんに近しいポジションにいる所為だとは思うけれど。心の中でごめんねと手を合わす。
私は舞子達が結婚する前になってやっと、祐樹さんとは舞子達の結婚を後押しするために恋人のフリをしていた事を告白した。それに、祐樹さんには別に恋人がいるのだと言う事も。
「聞いてないよ。……祐樹さん、夏樹がお世話になってありがとうございます。夏樹はお酒を飲むとすぐに寝ちゃうから、ご迷惑をおかけしました」
まるで、私の保護者のようにお礼と謝罪をしている舞子。なんだか、皆に迷惑をかけてしまった自分が恥ずかしくて居心地が悪くなって顔が上げられない。
「いいの、いいの。どうせ杉本はあの場から抜け出したくて、佐藤さんを送る事を引き受けたんだろうから。本当に付き合いの悪い奴だよ。あの後、三次会で女性陣からどうして杉本さんが来ないんだと責められたんだぞ」
祐樹さんの同僚のもう一人が、愚痴のように話す。
え? そうだったのか。抜け出したかったからだったのか。
それにしても、祐樹さんはやっぱりモテるのだと、変な関心をしてしまった。
言われた祐樹さんは、少し不機嫌な顔をして、「悪かったな」とちっともそう思っていない口調で言う。
私は皆が話している間、この話題が早く終わる事を祈って、じっと俯いていた。
その話題を変えたのは舞子だった。
「そうそう、今日はね、夏樹の誕生日なの。だから、一緒に祝ってあげてね」
私は驚いて顔を上げた。
ここで言う?
このタイミングで言う?
私の気持ちなんてわかりようもない舞子が、能天気にニコニコと皆に告げた。すると皆もこのサプライズに喜んで、おめでとうと言ってくれた。
そんな中、祐樹さんだけが驚いた顔のまま私を見ていた。
「そう言えば、祐樹も七月生まれじゃなかった?」
圭吾さんが思い出して言いだした。祐樹さんはそんな圭吾さんを軽く睨んで「ああ」と短い返事をした。
「何日だっけ?」
祐樹さんの不機嫌さを読めない圭吾さんが、続けて突っ込んだ。
「14日」
ぼそっと呟いた祐樹さんの言葉に、同僚の一人が噴出した。
「14日って、今日じゃん」
「え~~!! 夏樹と杉本さんって同じ誕生日なんですか? 何歳になったんですか?」
相変わらずのテンションの深雪が、大きな声を出した。
皆も驚いたが、私と祐樹さんが一番驚いているだろう。
同じ誕生日。確か、年も同じはず。
生まれた年も、生まれた日も同じなんて……。なんて皮肉なの?
「夏樹さんと同じ二十八歳。俺は誕生日なんて祝ってもらわなくてもいいよ。夏樹さんだけ祝ってあげて」
祐樹さんが照れ隠しのように、不機嫌そうな表情のまま言った。
「何言っているのよ。めでたい事じゃないの。それなら、二人まとめてお祝いするわよ」
舞子は思わぬ展開に喜んで、急に張り切りだした。
そろそろ昼食をと言う事でダイニングのテーブルの上に並べられた料理の種類に驚いた。
ケータリングサービスを利用しているらしく、数人のスタッフが料理を用意したところで引き揚げていった。さすが、セレブだ。舞子も料理はするが、人数が多くなったために急遽ケータリングを頼んだらしい。
皆が席に着くと、私と祐樹さんの誕生日を祝って、シャンパンで乾杯をした。
これって、まったくの誕生会のノリじゃあ……。
皆が声をそろえて「誕生日おめでとう」なんて言うものだから、なんだか急に恥ずかしくなって、皆の顔が見られない。祐樹さんはと言うと、どこか不機嫌顔。
せっかく舞子が張り切って祝ってくれているのに、これじゃあダメだよね。そう思って、笑顔でありがとうと言った。この年になって、お誕生会をするとは思わなかった。
賑やかに食事は進み、最後のデザートは私たちが持参したシャーベットとアイス。誕生日のケーキは、午後のお茶の時間にねと舞子がウインクした。まだ、お誕生会のイベントが続くのかと、胸やけがしそうだった。
****
私がトイレを済ませてリビングに戻ろうと廊下を歩き出した時、リビングと廊下を隔てる格子にガラスの嵌ったドアが開いた。誰かが出て来てドアを閉める音に思わず顔を上げると、不機嫌そうな顔した祐樹さんがいた。
一瞬視線が絡まったけれど、先日の事が思い出され、すぐに目を逸らす。俯いたままやり過ごそうとスピードをゆるめずにリビングに向かって歩き続ければ、ちょうど彼とすれ違う時、「夏樹」と呼ばれて、いきなり腕を掴まれた。
……な、なに?
思わずアイツの顔を見上げる。
「この間は悪かった」
一瞬何の事を言われているのか分からなかった。彼のいつに無い真剣な眼差しに、あの時の私が逃げ出した原因の事を言っているのだと気付いた。
「……もう済んだ事だから、いいです」
「良くない。夏樹を傷つけた事には間違いないから……本当に悪かった」
「もういいんです。犬にでも舐められたって思っておきます」
「俺は犬かよ!」
私は思わずクスッと笑ってしまった。それを見た彼の丹精な顔が目元にクシャッと皺を寄せて笑っている。私の好きなあの笑顔。
「夏樹、お詫びと言ってはなんだけど、今晩食事に行かないか?」
え? 私を食事に誘っているの? お詫びのため?
そんなのいいのに……。あの事を気にして食事に誘ってもらっても、嬉しくない。
「いいです。そんなお詫びしてもらう程の事でもありませんから……」
「そっか。しかし、同じ誕生日だったのには驚いたよな。じゃあ、二人の誕生祝いのディナーはどう?」
え? それって……理由はどうであれ、私と食事したいと思ってくれているの?
でも、誕生日なら、婚約者の方が祝ってくれるものじゃないの?
「誕生日ですから、誰かと約束しているんじゃないんですか?」
そう言うと、彼はハッとした表情をし、チッと舌打ちをした。
ほら! やっぱり先約があるんじゃない!
そもそも、婚約者のいる人が、誕生日にほかの女を誘うってどうなの?
やっぱり彼は、救いようのないプレイボーイなのだろうか?
「いいんだ。俺は夏樹を誘っているんだから、夏樹は気にしなくていいよ。それより、夏樹の方は予定があるのか?」
「私は何も予定はないけど……。でも、気にします! だいたい、婚約者のいる人が自分の誕生日に違う女を誘うってどうなんですか? きっと、婚約者の方はお祝いしようと待っていらっしゃると思うけど……」
ああ、毎度同じような会話をしていないだろうか?
何気に婚約者を庇っている自分にも、虚しさを感じる。
「約束なんかしていないし、俺の誕生日なんか知らないはずさ。ただ、お袋が毎年誕生日にお祝いしたいから実家へ帰って来いと言っているだけで」
え? どういう事? 結婚する相手の誕生日も知らない婚約者がいると言うの?
「俺の方の事情は、夏樹が気にする事は無いから。俺は夏樹と誕生日を祝おうって言っているんだけど? お詫びも兼ねてね」
ああ、そうか。ここで食事にでも誘って、あの日の事を無かった事にしたいんだ。それなら、彼の誘いに乗った方が、何時までも彼が負い目を感じなくていいのかも。
『そんな言い訳考えなくても、素直に行きたいと言えばいいんだよ』
頭の中で浅沼さんの言葉が聞こえた気がした。
「ありがとう。私なんかでよかったら、よろしくお願いします。」
私は顔中火照るような気がしながら、俯き加減で言うと頭を下げた。頭の中の浅沼さんが「それでいいんだよ」と笑ってくれた気がした。
2018.1.30推敲、改稿済み。