#44:ジューンブライド【指輪の過去編・夏樹視点】
今回も指輪の見せる過去のお話です。
夏樹視点で、夏樹・健也・祐樹・舞子・圭吾は27歳。
いよいよ、舞子と圭吾の結婚式です。
「夏樹」
名前を呼ばれて腕を掴まれるまで、その人の近づく気配に気付けなかった。そして、その人に気付いた時、大きなため息を吐いた。
「祐樹さん」
どうしてこうも出会うかな?
神様は私を試そうとしているの?
彼の方を振り返った時、眼が合って一瞬驚きとともに怯んだが、すぐに彼を睨んだ。
「どうしたんだ? 夏樹」
「どうして? どうしていつも現れるの?」
「どうしてって、夏樹が泣いていたから……」
「あなたには関係ありません。私の心配より、彼女や婚約者の心配をされたらいかがですか?」
私はそれだけ言うと、絶句している彼を尻目に、ちょうど通りがかったタクシーを止めて家路に就いた。
何なのよ!!
忘れたい人は、ちょろちょろと目の前に現れるし、忘れるために付き合い始めた人はいきなりプロポーズするし!!
これは何? 運命の悪戯? 神様の気まぐれ?
もう、上流の急流を流れる木の葉のように、流れに身を任せて運命に翻弄される訳にはいかない。
それでも時間の経過とともに頭の中が落ち着いてくると、後悔に似た感情が津波のように押し寄せて来た。
健也君。彼の気持ちを知っていたのに、彼を翻弄させて酷く傷つけたのは私。
わかっていたのに、わかっていた筈なのに。彼と過ごす二人の時間は、私にとってかけがえのない癒しの時間だった。もっと時間があれば、きっと違う答えを出せたと思う。
でも、その時間を作るために、このまま結婚する事は出来ない。
ごめんなさい。
あなたの気持ちを利用しても忘れる事は出来なかった。
もう、素直にこの気持ちを認めるしか無いのかも知れない。いつか、時間が思い出に変えてくれる日まで。
健也君は三月末に一週間ほど準備のために渡英し、四月の初め、本格的に一人でイギリスへ旅立っていった。
あのプロポーズの日の後、もう一度だけ彼と逢った。そして、正直に今の気持ちを伝えた。
彼は苦笑いしながら、わかっていたよ、と言った。
「二人には時間が足りないのは運命なのだとわかってはいたけれど、逆らってみたかったんだ」
彼はポツリと言った。
「運命なんて、無いよ。そんなの最初から決まっていたら、誰も努力しなくなるでしょ?」
私は反論した。
運命だから仕方がない、なんて諦めきれるものなの?
「ああ、そうだね。でも、誰と出会うかは運命なんだと思う。その後の関係はそれぞれの思い次第なんだろうけど。俺の失敗は、何年も片思いを続けずに、もっと早く夏樹に思いを告げていたら良かったんだろうね。今更だけど……」
そうだね、出会いは自分ではわからない。そして、その出会いをどんなふう育てていくかはそれぞれの思い次第だよね。
どうやって育てればいいのか、どんな花が咲くのか、みんな分からなくて手探りで育てているんだよね。花の咲く時期を逃してから、あの時こうしていればと思っても、遅いんだよね。
「夏樹、君の想いはまだ間に合うかもしれないよ? 自分に正直になって想いを伝えてみたら?」
健也君の言葉に驚いて彼の眼を見つめると、優しさと真剣な眼差しがあった。
「どうしてそんなこと言うの?」
「夏樹に幸せになってほしいから。何時も笑っていてほしいんだ。俺は夏樹を幸せに出来なかったけど、夏樹の想いが叶えられたら、それでもいいかなって……」
健也君は優しく微笑むと最後は言葉を濁した。
「私、健也君と一緒にいる時、幸せだったよ。すごく癒されたよ。本当にありがとう。そして、ごめんなさい」
私は自分の心を恨んだ。こんなにいい人を、こんなに優しい人を友達以上に思えなかった自分の心が恨めしかった。
どうして心は、苦しい片思いの方を選ぶのだろう?
どうしてあんな女たらしの奴を、忘れられないのだろう?
あの日から、舞子たちの六月の結婚式まで、祐樹さんに会う事は無かった。
健也君が行ってしまった後、会社の中でいろいろと陰口を言われていたようだったけど、気にしないようにしていた。何を言われても仕事をしている方が良かったから。仕事を一生懸命していれば、いろんな事が忘れていられたから。
******
六月の第二土曜日、舞子と高藤さんの結婚式。
のさばった高気圧のせいで梅雨入り宣言が遅れている六月の日差しは、もう夏の日差しだ。
「花嫁さんは、ウェディングドレスだからいいけど、高藤さんはタキシードでしょ? この暑さ、大変ね」
結婚式の前に舞子の控室にお邪魔している私は、今日の暑さに高藤さんが気の毒になった。それでも、鏡に向かって座り、メイクの仕上げ真っ最中の彼女は、鏡の中で幸せそうにニッコリと笑って、静かに首を振った。
「彼がね、自分から六月にしようって言ってくれたの。六月の花嫁は幸せになるって言うだろって……」
「ごちそうさまです」と頭を下げれば、鏡の中の舞子がクスッと笑いながら「どういたしまして」と答えた。
美容師さんがベールとティアラを頭に載せると、「さあ、出来ましたよ」と言って、舞子を立たせた。
私はしばらく言葉も無く見惚れていた。それから「舞子、綺麗だよ」と声をかけた。
本当に綺麗だった。内から滲み出るような幸せオーラが、彼女をますます輝かせていた。そんな彼女を見ていると、彼女と出会ってからの事が走馬灯のように頭の中を過ぎて行く。
親の決めた人と結婚するから、恋はしないと言っていた彼女。そんな彼女が、お見合いの相手と恋に落ちた。理想的な恋愛。理想的な人生。私には叶わない事ばかり。私って親子そろって男運無いよね。
いよいよ式が始まり、私は教会の中バージンロードを父親と歩く舞子を見ていた。バージンロードの先に立つのは、初めて見かけたセレブパーティの時よりも何倍もイケメン度がアップした高藤さん。背の高い高藤さんはタキシードが良く似合っていた。二人が壇上へあがると、高い位置にあるステンドグラスを通して太陽の光が、二人を祝うように降り注いでいた。
誓いの言葉、指輪の交換、そして誓いの口づけ。
映画のワンシーンを見ているような感動が、涙と共にあふれ出て来たのだった。
披露宴はホテルの大広間で行われた。さすがに大きな会社の社長の子供同士の結婚とあって、招待客の数が半端じゃない。会社の友人で招待されたのは同期会メンバーの独身女性の私ともう一人だけで、同じテーブルには大学の友人と言うセレブなお嬢様達が座っていた。
この会場にきっと祐樹さんもいるのだろうと思ったけれど、あえて捜す事はしなかった。
披露宴の後、若い人たちだけの二次会があり、披露宴に招待されなかった同僚たちが参加していた。
二次会はホテルのバーラウンジを借り切って行われた。披露宴の時には舞子に声もかけられなかったけれど、二次会でやっと話す事が出来た。
「舞子、高藤さん、おめでとう。良い結婚式だったね。本当に良かったね」
そこまで言うと、また涙が溢れてきて、花嫁の舞子に涙を拭かれる始末。
「夏樹、ありがとう。夏樹のおかげだよ、今日の日を迎えられたのは。本当にありがとうね」
そう言う舞子もまた新たな涙を溢れさせ、お互いに抱き合って喜びの涙を流し合った。
高藤さんは少し困ったような、それでいて幸せいっぱいの微笑みを湛えて、二人を見つめていた。
高藤さんと舞子は来てくれた皆に挨拶に回るため離れて行ったので、私は会社の同僚たちと喜びのお酒を酌み交わしていた。
普段あまりお酒が強くない、はっきり言って弱い私が、今日は嬉しくて飲まずにいられないとばかり、勧められるまま杯を交わしていた。
私は飲むと途端に眠くなる。目元がショボショボしてきた頃、同期の彼女が「飲みすぎじゃないの?」と忠告してくれたけれど、「こんな嬉しい日に飲まなくてどうするの?」と取り合わなかった。
そんな時だった、彼が声をかけて来たのは。
「夏樹さん、今日は良い結婚式だったね。」
祐樹さんは友人数人を引き連れて、私たちのテーブルにやって来た。結構イケメンぞろいだったのか、同僚たちが色めき立った。祐樹さんが新郎の友人だと紹介してテーブルの空いた席にそれぞれが座った。まるで、合コンのように女性と男性が交互に座っている。しかし、思考能力が落ちている私には、そんな事はまるで気付きもしなかった。
「杉本さんは夏樹とお知合いなんですか?」
同僚の誰かが祐樹さんに聞いた。
「ああ、以前に今日結婚した二人を通じて紹介された事があったんだ」
「紹介って、お付き合いするための紹介ですか?」
「いやいや、純粋にお互いがそれぞれの親しい友人としてだけど……」
「じゃあ、夏樹とは知り合い程度なんですね?」
「ああ、そうだな。知り合い以上、友達未満ってとこか?」
そんな会話がなされていた事も、頭の片隅を流れていくだけだった。
「夏樹さん、大丈夫?眠いの?」
トロンとした眼で、横に座る祐樹さんを見上げると「だい、じょうぶ」と答えた。
「夏樹は飲みすぎると、すぐに眠くなっちゃうのよ。騒ぐ訳じゃないから、ほって置いていいから」
同僚たちは、普段の飲み会での私を知っているので、またかという感じだった。
ぼんやりした意識の中で、やっと隣にいる人が祐樹さんだと認識した途端、今まで感じていた幸福感が消え、無性にイライラした感情が湧きあがって来た。
「祐樹さん、言いたい事があったんです」
私が据わった眼で祐樹さんを見て言うと、なに? という表情で彼は唇の端を少し上げた。
「祐樹さんは、いつ結婚するんですか? この間、また違う女の人と一緒のところを見かけましたよ。あの人が婚約者ですか? それとも、あなたの言うお友達なの? たいがいにして、落ち着かれたらどうですか? とっかえひっかえ、本当に女たらしなんだから!」
「君には迷惑かけてないと思うけど?」
祐樹さんは笑いを堪えながらそう言った。
お酒に酔っているせいか、何時もなら言わない言葉がするすると口から飛び出してくる。
「迷惑です。早くサッサと結婚しちゃってください。いろんな女の人といるところを見せないでください。諦めつかないじゃないですか」
「え?」
祐樹さんが聞き返した時には、私はもう夢の世界にいた。
2018.1.29推敲、改稿済み。