#36:揺れる心【指輪の過去編・夏樹視点】
今回も指輪の見せる過去のお話で、夏樹視点。
夏樹、高田、27歳の年末から1月にかけて。
私と高田君は、初めてのデートの後、次の週末は大掃除のために彼の誘いを断った。その次の週のクリスマスイブには約束通り予約していたレストランでクリスマスディナーを堪能し、その後、街中のイルミネーションを見ながら帰った。
ホテルの予約など無くてホッとしたせいか、彼が歩いている時にそっと手を繋いできたのを最初はドキリとしたけれど、振りほどく事はしなかった。
その次に彼に会ったのは、年明けの仕事始めの日だった。高田君は以前から友達と計画していたスキーに年末から出かけ、私は田舎でお正月を過ごした。お試しの付き合いとは言え、いつも通りのそれぞれの年末年始を過ごす事に、最初は何も思わずにいたけれど、玲子おばさん達と行った近所の神社での初詣で、恋人たちの姿を見た時、高田君は初詣に一緒に行きたいとか思っていたのだろうかとか、もしかしたら、付き合ってみたら私の事思っていたのと違ったと幻滅してあれから誘いが無いのだろうかとか、考えてしまった。
そう言えば、恋人たちのイベントの多い年末年始に誰かと付き合っていた事が無かったなと、今更ながら思い出し、どんなふうに過ごすのが恋人らしい付き合い方なのだろうかと、真剣に考え込んでいた。
「夏樹ちゃんは、お正月に一緒に過ごしたい人はいないの?」
初詣の人ごみの中で、草履で砂利を踏みながら隣を歩く玲子おばさんが、突然尋ねてきた。
玲子おばさんも、周りの仲良くくっついて歩く恋人たちを見て思ったのだろうか?
でも、そう問いかけられて、ハタと思い至った。
一緒に過ごしたい人。
そうだ、付き合っているから一緒に過ごすのじゃ無くて、一緒にいたいから一緒に過ごすのだと言う事に。
と言う事は、私も高田君もお正月を一緒に過ごしたいと思わなかったのだろうか?
「おばさんとおじさんとお正月を一緒に過ごしたかったから、帰って来たのよ」
そう言って玲子おばさんに笑顔を向けると、照れたような顔をしたおばさんが「夏樹ちゃんったら……」と笑って言った。
「夏樹ちゃんは、おじさん、おばさん孝行な娘だな」
私たちの会話が聞こえていたのか、前を歩いていた佐藤のおじさんが笑顔で振り返った。
「でもね、今の夏樹ちゃんの年には、夏子はもうあなたを育てていたんだよ。夏樹ちゃんは、結婚したい人はいないの?」
(うっ、それが言いたかったのか)
「結婚なんて、まだまだ。仕事も面白いし、結婚したい人もいないし」
「じゃあさ、お見合いしない?」
(お見合い!)
お見合いと言うと、舞子達を思い出した。あんな風にお見合いで運命の人と出会えるのであれば……。
高田君は私の運命の人なのだろうか?
まだまだ、同期と言う目でしか見られない自分に、何か焦りに似たようなものを感じた。
玲子おばさんのお見合い話を笑って誤魔化し、小さく息を吐いた。
一月四日の仕事始めの日、本社社員が一堂に集められ、社長の年頭の挨拶があった。その時、社内であまり出会う事の無い高田君に偶然に会った。
「佐藤、あけましておめでとう」
爽やかな笑顔で私を見て挨拶をする高田君を、なぜかまともに見られなくて、俯き加減で「おめでとうございます」と返した。
高田君はすれ違いざまに「今夜電話する」と囁いて、行ってしまった。私は振り返って茫然と彼の後姿を見つめていた。
新しい年の最初の週末、高田君に誘われドライブに行った。お天気はいいけれど、外の風は冷たく、海の見える駐車場に車を止めて、夏は人で溢れ返るであろう海水浴場の砂浜に打ち寄せる大きな波を、車の中から見つめていた。
途切れがちな会話をしながら、車の中と言う狭い空間に二人きりだと言う事を意識しないよう、打ち寄せる波に気持ちを委ねていた。
「佐藤、お正月どうしていた?」
「実家に帰って、両親と初詣に行ったよ。高田君は?」
「一日にスキー場から実家へ直接帰って、地元の友達と遊んでいたよ」
「そっか。初詣は行ったの?」
「ああ、近所の神社へ行ってきた」
「そうなんだ……」
なんだか会話が続かなくて、黙っているのも居心地が悪くて、私何やっているんだろう?ってみじめな気持になる。そんな自分の気持ちを悟られたく無くて、窓の外を見つめていたら、高田君が私の方を見て、ポツリと言った。
「佐藤、俺と一緒にいるの楽しくないか?」
思わず高田君の顔を見た。彼の少し歪んだ表情にはいつもの爽やかさは無い。
「高田君はどうなの? 私と一緒にいて、幻滅しているんじゃないの? 付き合って欲しいって言った事、後悔しているんじゃないの?」
彼の質問は、私の一番痛いところを突かれた気がした。その動揺を気付かれたくなくて、自分の中で渦巻いていた疑問を矢継ぎ早に彼に突きつけていた。
そんな私の様子に驚いた顔をした彼は、やがて少し恥ずかしげな表情をしてボソリと呟いた。
「後悔している訳ないだろ」
「え?」
声が小さくてうまく聞き取れなくて聞き返すと、今度は高田君の方が質問返しをしてきた。
「後悔しているのは佐藤の方だろ?」
「そんな事、ないよ。」
そう答えながら、私は後悔しているのだろうか? と自分に問いかけていた。
「佐藤は優しいから、俺が誘えば拒まないけど、本当は嫌なんじゃ無いのか? いつも一緒にいても、困ったような戸惑っているような感じだし、笑顔も元気が無いし、俺焦って自分の思いばかり押し付けて、迷惑だったんじゃないのかなって、クリスマスイブに会ってからずっと考えていたんだ。それで、電話もなかなかできなくて……と言うか、しなかったんだ。でも、仕事始めの日に佐藤に会ったら、やっぱり自分の気持ちは佐藤しかないって思って」
高田君は話しながら恥ずかしいのかだんだんと俯いて、声も小さくなっていった。そんな高田君を見ていたら、心の中に温かいものが流れ込んで来たようだった。
「高田君、ごめんね。私が戸惑ってばかりいるから、悩ませてしまったよね。なんだか慣れなくて。同期会の仲間だと思っていた高田君と付き合っているって事に。二人きりでいる事にまだ気持ちがついて行かないって言うか、どうしていたらいいのかよくわからないの」
「こっちこそ、佐藤にその気が無いのを無理に付き合って欲しいって言っておきながら、一緒にいると自分の方を見て欲しいって、佐藤も俺の事同じように思って欲しいって、考えていた。ちょっと焦りすぎていたと思う。本当にごめんな」
高田君は情けない顔をして告白した。
「ううん。私ね、ある人に相談したの。そうしたら、まずは彼と一緒にいる事に慣れなさいって、言われたの。それなのに、私ったら、慣れるためには、どんな付き合い方をしたらいいのかって事ばかり考えて、形から入ろうとしていたの。お正月の間、ずっと考えていた。恋人同士なら一緒に年越ししたり、初詣行ったりするのじゃないだろうかって。でも、母にお正月を一緒に過ごしたい人はいないの? って聞かれて、気付いたんだ。付き合っているから一緒にいるんじゃなくて、一緒にいたいから一緒にいるんだって。ただ、今の私に一緒にいたい気持ちがあるかって言われると、有るとも無いとも言えない。一緒にいるのは嫌じゃない。高田君の気持ちも嬉しいの。こんな私でいいのっていつも思うぐらい。今はまだ、これだけしか言えないけど、こんな私でも本当に後悔しない?」
私はずっと考えていた事を吐きだしていた。高田君を見ると、さっきまでの情けない表情は消え、穏やかな優しい笑顔で見つめている。
「充分だよ、佐藤。俺との事、そんなに真剣に考えてくれていたんだ。後悔するはず無いよ。ゆっくりと二人の関係を深めていければいいと思う。佐藤もそう思ってくれるか?」
私は黙ったまま頷いていた。私たちは一つの壁を乗り越えたような気がした。
その日からゆっくりと私は高田君と一緒にいる事に慣れていった。
その後も週末ごとにデートをした。その間に、高田君は私の事を「夏樹」と呼ぶようになり、私は高田君の下の名前の「健也君」と呼ぶようになった。彼は「健也」と呼び捨てで呼んでほしいそうだったが、男の人を呼び捨てで呼ぶ勇気が無かった。
私達の交際は、男女の付き合いというより友達付き合いのような感じだった。お互い一人暮らしをしていたけれど、お互いの部屋に招くことも無かった。そんな雰囲気が私を安心させていた。
私はゆっくり、ゆっくりと高田君といる事に慣れていった。その内、社内でも皆の知るところとなり、始めのうちは同期会の男性メンバーから、あいつは抜け駆けしただの、本当にあいつでいいのかなどと言われたり、社内の彼にあこがれていた女性社員からは、彼女がいると思って遠慮していたのに、いつの間に……と、まるで泥棒猫のように噂されたりもした。もう会社には舞子がいないので大いなる味方がなくて少し心細かったけれど、仲良くしている同期の子や後輩たちに励まされ、いつか変な噂も消えていった。
そして、いつの間にか高田君と一緒にいる事が当たり前になると共に、私は祐樹さんの事を心の奥底に封印したまま、思い出す事もあまり無くなっていた。
そう、彼に再び会うあの日までは。
2018.1.28推敲、改稿済み。