#25:二人の間の隔たり【指輪の過去編・夏樹視点】
今回も指輪の見せる過去のお話です。
夏樹、舞子、祐樹、圭吾、27歳の秋。
「あの、私だったらいいですので、また電話しますから」
私は冷たい目で彼女を見る祐樹さんと私を睨む彼女の間で、居たたまれなくなって慌ててそう言った。
「いや、いいんだ。夏樹は気にする事無いから」
(気にしますから……)
「祐樹、どういう事よ?」
彼女は訳が分からないとばかりに、祐樹さんににじり寄った。
祐樹さんは彼女に「ちょっと来い」と言って、私にここで待つよう告げると彼女と共に商業施設の外へ行ってしまった。入口のガラス越しに外を見ていると、何か話した後、タクシーを止めて、彼女だけを乗せ、踵を返してこちらへ戻ってくる祐樹さんの姿が見えた。
(本当に、彼女を帰してしまった。よかったんだろうか? 恨まれていないだろうか?)
「悪かったな。」
「悪かったのは、私じゃなくて彼女に対してでしょ? 先約だったのに、いいの?」
「いいんだ。誘われて暇だったから出かけてきただけで、急用ができたらそちらを優先するって言ってあったから……」
「でも、彼女、すごーく怒っていたよ。女性にあの冷たい態度は無いんじゃない? それに、きっと私の事を誤解していると思う。睨んでいたもの」
私だったら、あんな冷たい目で見られたら泣き出してしまう。祐樹さんって、案外冷たい人なのかな? 男友達の事はあんなに大切にしているのに。
「誤解も何も、あいつはただの友達だから、いいんだよ。いつもあんな態度だから。あいつは俺の財布を当てにしていたから、腹立ったんだろ?」
何? 財布を当てにしている? そんな眼じゃなかったわよ。私のものを取らないでって言う眼で睨んでいたわよ。女の気持ち分からないの? それとも分からないふりしているの?
その上、今度は女友達ですか。従姉妹の次は友達で、次はどんな関係の女性が出てくるのやら。
私は大げさにため息を吐いた。
「なっ、美味しいものでも食べに行こうか?」
まるで私の機嫌を取るように、笑顔でそんな事言われても、なんだか腹が立つ。無性に腹が立つ。いくら友達だからって、あの冷たい態度はどうなの? その変り身早さに祐樹さんが女性の敵に見えてきた。
「ちょっと話をするだけだから、そこのハンバーガーショップでいいよ」
商業施設の1階入り口横にあるハンバーガーショップを指さした。彼は少し驚いた顔をしたけれど「わかった」とそちらへ向けて歩き出した。
コーヒーを注文して、二人掛けのテーブルで向かい合った。
「舞子の事だけど、高藤さんから一番大事な研究を取り上げたくないから、結婚を止めようかなって悩んでいるみたい」
私は心の中にまだ怒りがあるせいか、何の前置きもなく淡々と舞子の様子を話した。
「え? それどういう事? いつの間にそんな事になっている訳?」
「最近高藤さん、研究が忙しいらしくて、ほとんど会えていないみたい。会えない原因になっている彼の研究を恨む気持ちと、彼の研究を応援したいと言う気持ちが心の中でせめぎ合っているみたいで、ここのところ、ずっと舞子の様子がおかしかったの。それで、この結婚を辞めれば、彼は研究を続けられる。彼のためにはその方がいいんじゃないかって悩んでいるみたいなの」
「どうして今更そんな事で悩むわけ? そんな事、お見合いした時点で分かっている事だろ? あいつもそんな事とっくに覚悟しているさ」
「うん。舞子もそんな事は分かっていると思う。だけど、あの恋愛宣言の後、舞子は期待していたんだと思うの。もっと、高藤さんに近づけると。なのに、この忙しさで、全然会えて無いし、話もろくにできてないみたい。恋する女性なら、毎日だって会いたいと思うし、たまには仕事より自分を優先して欲しいって思うと思うの。だけど、舞子はそんな事は言わないし、相手の事を思って我慢しちゃうから」
「あいつ……」
目の前で腕組みをしながら考え込んでいる祐樹さんは、高藤さんの事を思い出したのか、一言言いかけると、チッっと舌打ちして、また考え込んでいる。
「ねぇ、高藤さんにとって研究って、やっぱり一番なんでしょう。あの恋愛宣言は、研究を諦めきれずに、いつでも結婚を断れるように、婚約を引き延ばすための言い訳だったんじゃないかなって思うんだけど……」
「何言っているんだよ。圭吾がそんな奴だと思っているのか?」
私の言葉を聞いたとたん、彼は私をまっすぐ睨み、さっきの冷たい顔とも違う怒った顔で勢い良く斬り返した。
「だって、そうじゃない。どんなに忙しくったって、二人の時間を作ろうとするのが本当じゃないの? あんな恋愛宣言をしておきながら、お互いの気持ちをもっと話し合って、確かなものにするのが本当じゃないの?」
「舞子さんも、そう思っているのか?」
「ううん。私が勝手に思っているだけ。舞子は純粋だから、相手の気持ちを疑うと言うより、どうする事が高藤さんにとって一番良いのか、ばかり考えているの」
「で、君は、圭吾が自分の事しか考えてないような奴だと思っているんだ?」
そう言った時の祐樹さんの眼は、さっきの彼女に向けた冷たい眼と同じだった。一瞬怯んだ。友達思いの彼に、友達の悪口を言うのは禁句だ。
「そう言う訳じゃない。あなたが高藤さんの事を思うように、私も舞子の事を思うから、悲しんで欲しくないの。だから、いろいろ邪推してしまう。でも、高藤さんは舞子にとって大切な人だから、私も信じたい。ねぇ、高藤さんは舞子の事、舞子との結婚の事をどう考えているの?」
「あいつは最初から何も変わってないよ。自分の大事な研究を捨ててでもいいくらい、舞子さんの事を思っているんだと思うよ。ただ、あいつは不器用なんだよ。特に女性の事に関しては。肝心な事をうまく言えないんだと思う」
さっきの彼の冷たい目が、少しずつ穏やかな眼差しに変わっていく。私は心の中でほっと息を吐いた。
「本当にそうだと信じていいのね? それなら、舞子が黙って身を引いてしまわないうちに、高藤さんにその気持ちを舞子に伝えるように言ってくれないかな? それで、もっと話す時間を作ってあげて欲しいと……」
「わかった。あいつに舞子さんをあんまりほっておくと嫌われるぞと脅しておくよ。不器用だから、仕事も恋もってうまく立ち回れないんだよ。でも、そんな事言っている場合じゃないんだな。できるだけ早く、圭吾に話すよ。最近あいつは忙しいから、俺ともあまり会ってないし、話してないんだ。泣きついてこないから、うまくいっているんだと思っていたよ。よかった。夏樹に話が聞けて。本当に手遅れになる前に何とかしなきゃいけないな」
そう言って笑った彼の笑顔に、またドキリとしてしまった。
こんな時の彼の目尻に皺を寄せた屈託のない笑顔が、少しずつ心の中に降り積もり、私の中で大きな存在になっていく。でも、その時、思い出した。さっきの彼女に向けた彼の冷たい眼差し。もしも今、祐樹さんと二人でいる今この時に、私よりも優先したい女性が現れたら、今度は私がさっきの彼女のように冷たい眼差しで見つめられ、「帰って」と冷たく言われてしまうのだろうか。そう想像しただけで、苦しくなってしまう。
私っていつも、マイナス思考だなって思う。高藤さんの事を邪推したように、祐樹さんの事も邪推してしまう。仕事の事は結構プラス思考なのに、恋愛事になると、いきなりマイナス思考だ。
「ありがとう。よろしくお願いします」
「わかった、任せておいて。それから、さっきは悪かったよ。急に怒ったりして」
「ううん。こちらこそ、高藤さんの悪口言ってごめんなさい」
私は彼が謝ってくれたので、素直に謝る事ができた。祐樹さんは私の前では、めったに怒らない人だけど、高藤さんの事になると素になると言うのか、感情がそのまま出る。でも、私が先に悪口言ったのに、怒った事を先に謝ってくれる祐樹さんは、やっぱり良い人だ。
だから、さっきの友達だと言う女性への冷たい態度が、妙に気になって、彼と言う人が分からなくなる。きっと、私に見せているのはほんの一面で、彼の全てを知る事は出来ないのだろう。目の前にいる祐樹さんと私の間にテーブル以上の隔たりを感じてしまった。
「そろそろ、出ようか?」
祐樹さんが、そう言いながらコーヒーの入っていた紙コップを乗せたトレーを持って立ち上がった。「はい」と言って私もそれに続く。紙コップを捨てて、トレーを置き場に戻すと、直接外へ出る出入口から外の通りへ出た。
九月の終わりの昼間はまだ夏の名残があるのに、夕方になると秋の気配が漂い出す。この時期の午後五時半過ぎは、もう薄暗くなり始めていた。
私達は駅に向かって歩きながら、お互い黙って前を向いていた。私は祐樹さんと偽りの恋人同士になってからずっと言おうと思っていた事を、今こそ切り出そうかと思案していた。
「ねぇ、祐樹さん」
呼びかけると、彼は『何?』と言う表情をしてこちらを見た。
「私たちの恋人設定、解除しませんか?」
2018.1.28推敲、改稿済み。