#11:想定外の現実【現在編・夏樹視点】
今回は現在のお話です。
夏樹、35歳の誕生日の翌日。
誕生日は7月14日です。
気がつくと、ソファーで居眠りをしていた。右手には指輪がしっかりとはめられている。
(夢? それにしては、リアルすぎる。もしかして……)
そう、薄々気づいていた。もう三度目だ。いくら私だって気づく。
この指輪をはめる度に過去が蘇る。そう、思い出しているだけにしては細部までリアル。それとも夢を見ていたのだろうか。それにしては、立ったまま我に返るときもある。
一番しっくりくるのは、過去をもう一度体感している感じ。そう、過去に戻っている気がする。
(そんな訳ないよね。あるはずが無い)
しかし、忘れていた事を思い出させるには充分で、この指輪は過去を思い出させようとしているのだろうか。何か大切な事を思い出させようとしているのだろうか。
もう一度、さっきまで体感していた過去を思い返した。
そうだ、彼との出逢いは、彼のペースに巻き込まれて翻弄された。後から聞いた話では、あのパーティー会場へ来た時、受付の所で私たちの後ろにいて、舞子が私の名前呼ぶのを聞いていて、名前を知っていたらしい。
ずるい奴だよね。知らないふりして、まるで偶然に名前を当てたようにして、私から携帯番号を聞き出したんだから。でも、そんな彼を憎めなかった。
そして、初めからなぞる様に過去を思い返していると、重大な事に気づいた。
(もしかして、私、あのパーティーの時、指輪をしていなかった?)
ありえない。あの頃はもう、指輪を失くしていたはずだ。今日手元へ返って来るまで、指輪は無かったはずだ。
舞子に指輪の話はしたけれど、見せた事は無い。それなのに、舞子に指輪を見せて、パーティーにも指輪をして行っている。
本当の過去と違う過去。どういう事だろう。
まさか、この指輪は、指輪を失くさなかった場合の過去を見せてくれるの?
(まさか……)
私はもう一度指輪を抜いてはめ直してみた。でも、何も起こらなかった。
(一日三回が限度とか?)
この指輪があったら、私の過去は違っていたと言うのだろうか。それでも現在の私は変わる事はない。
そうだ。どんなにこの指輪が違う過去を見せてくれても、今の私の現状を変えてくれる訳じゃない。
なんだか余計にがっかりして、指輪をはずして眠りについた。
****
翌日、いつものように出社した。指輪はチェーンに通して首にかけている。昨日の事を考えると、ドップリと疲れてしまうので、考えないようにしている。
あまりに、いろいろな事があり過ぎて、過去と現在が入り乱れて、どれが本当の事なのかよく分からなくなってしまった。
とにかく今しなくちゃいけないのは、課長に会社を辞めると告げる事。
そんな時に限って、課長は朝一会議でずいぶん遅れて営業部へやって来た。課長に声をかけて応接室で話を聞いてもらおうかと、パソコンに向かいながら思案する。すると、私の気持ちが通じたのか、課長の方から私の名前を呼んだ。
「佐藤君、ちょっと来てくれないか。話があるので応接室へ入ってくれ」
応接室で課長と向き合って座ると、嬉しそうにニコニコとしている。
「課長、私も後からお話がありまして……」
一応言っておくと、課長は「わかった」と答え、本題に入った。
「佐藤君、先程の会議で君の昇進が決まった」
「え?昇進、ですか?」
嬉しそうに話しだした課長の言葉が、どうにも理解できず、呆けたような顔で聞き返す。
「そうだよ。総務部の主任だ。本当は五年前に出ていた話なんだが、あの頃、営業部のベテラン事務員達が続けて寿退社してしまって、入社一、二年の子たちばかりになってしまったんだ。それで急きょ人事部へ事務のベテランをまわしてほしいとお願いしたら、君に白羽の矢が立ったと言うわけだ。長い間すまなかったね。君は期待通りの仕事をしてくれたよ。あの頃新人だった子たちも、しっかり成長したから、もうそろそろ返してほしいと総務の方から言われてね。引き留めたいのもやまやまなんだが、昇進するのだから、喜んで送り出そうと思っている。とにかく、良かったな、佐藤君」
課長の話は右の耳から左の耳へ流れていくだけで、その意味を考える余裕が無かった。
会社を辞めると言おうと思っていた矢先に、これだ。
(なに? ショウシン?)
頭の中で「シュニン、ショウシン」と言う言葉がぐるぐる回って、さっきまで考えていた会社を辞めると言う話はどこかに飛んで行ってしまった。
しばらくぼんやりとしていると、もう一度名前を呼ばれて我に返った。
「正式には今月末に辞令が下りる。九月から総務の方へ移る事になっているから、それまでにしっかり引き継ぎをして欲しい」
「は、はい」
笑顔を作る余裕もなく、只々緊張したような返事を返すのが精一杯だ。
「それで、君の話と言うのはなんだい?」
そう尋ねられて、パニックになっている頭の中はまとめる事も出来ず、とりあえず全てを保留する事にした。
「すいません。先程の話に驚いてしまって、何を話したかったのか忘れてしまいました」
私は情けない顔をしたまま、頭を下げた。
****
考えなければ。頭の中を整理して、きちんと順序立てて、一番良い道を選ばなければ。
それでも、自分一人でいくら考えても出口は見つからなかった。自分の想いと周りの想い、理想の未来と現実の立場。優先すべきは何なのだろうか?
こんな時は誰かに話した方が、選ぶべき道が見えてくる事が多い。しかし、親友にさえ自分の中の想いを隠している今、私の相談は重すぎないだろうか?
この年になると、話す前から相手のリアクションを考えすぎて、何も言えなくなってしまう。いや、年には関係ない。これは私の性格だ。肝心な事はいつも言ってくれないって舞子にもよく怒られたっけ。
けれど、やっぱり話すとしたら舞子しかいない。私がどんな話をしたって、舞子は受け止めてくれるとわかっているし、信じている。それでも、話す事を戸惑わせるのは、彼女のご主人が祐樹の親友だと言う事。あまりに近すぎて、私の事もこの想いさえも伝わってしまいそうで、怖いのだ。
私の想いは彼の人生を狂わせているのかも知れない。彼には最初から決められた婚約者がいたらしい。それでもそれを突っぱねて私と結婚したいと言ってくれた。でも、彼が大きな会社の御曹司だと知った時、二十歳の誕生日に母と約束した事がまるで呪いのように私の心を蝕み、それ以上進むことを阻んだ。私さえ諦めれば、彼は決められた人と決められた結婚をするのだろうと思っていたのに、三十五歳の今まで結婚しなかったのは、少しは私の所為かも知れない。
心のどこかで彼が結婚せずにいる事を喜びながら、申し訳ないとも思う。私なんかと出逢ったせいでと考えてしまう。
(いけない、いけない)
また、違う事を考えてしまった。今考えるべき事は、会社を辞めるか続けるかと言う事。とりあえず、その点を相談してみよう。
夕食を終えた私は、ソファーにゆったりと座りながら、今の時間は電話しても大丈夫だろうかと考えながら、舞子に電話をかけた。
「もしもし、舞子。夏樹だけど、今電話していてもいい?」
「あ、夏樹。どうしたの? 今大丈夫だよ。子供達はね、お義父様とお義母様の所へお泊りなの」
「じゃあ、夫婦水入らずなんじゃないの、電話していてもいいの?」
「大丈夫よ。もう新婚じゃないんだから。それより、深刻な話? だったら、今から泊まりに来ない? 週末だし、子どもたちはいないし、何なら旦那もどこかへ行ってもらうけど」
「いや、ちょっと相談したい事があって……」
「なら、泊まりにおいでよ。じっくり聞いてあげるから」
「いいの?」
「もちろん。旦那も実家へ行ってもらうから、ゆっくり泊まりに来て。今日は一晩中ガールズトークしよう」
「ガールズトークって、いくつだと思っているの?」
「同い年なんだから、わかっているわよ。でも、いくつになっても、女の子の部分はあるでしょ」
「迷惑かけてごめんね。じゃあ、お言葉に甘えて、用意したらすぐに行くから」
舞子はいつも私の足りない言葉でも、私の気持ちをくみ取ってくれる。そんな親友に感謝しながら、急いでお泊りの用意をした。帰って来てすぐにシャワーを浴びたので、洗面で簡単に化粧をする。ふと、洗面カウンターを見ると、シャワーを浴びる前に外した指輪を通したチェーン。舞子に指輪が見つかった事報告しなくちゃと指輪をチェーンから引き抜くと右手の薬指にはめた。指輪をはめたらどうなるかなんて、すっかり失念していた。
指に通しかけた時思い出したけれど、時すでに遅く、目の前が真っ白になると、私の意識は過去へと落ちていった。そう、指輪がある過去へ。
2018.1.26推敲、改稿済み。