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桜姫
作:桜希 澪乃


 ――桜の樹の下には、死体が埋まっている。

 と、誰かが云った。
 だから、あんなにも綺麗に咲くのだ、と。


 桜の樹の下を掘り返してみよう。
 と、別の誰かが云った。





 ――掘り起こされた土の中に覗いた、貌。

 やっぱり死体はあったのだ、と、〈彼〉はただ、納得した。


*          *         *


「桜がなんできれいに咲くか知ってる?」
 得意げに言ったのは、クラスメイトのジュンだった。
 放課後、まだ明るい教室には、クラスメイトがだいぶ残っていて、机を囲って、グループごとに輪になって雑談をしていた。
「しらない」
 と、タクミが答える。でも、教えて、とは絶対にタクミは聞かない。
意地っ張りな性格だからなのか、ジュンが尋ねる前に答えるからなのか、ちょっと難しい問題だ。
「桜の花がきれいに咲くのはね、木の下に死体が埋まってるからなんだって」
 結局いつものようにジュンは、タクミが「なんで」と聞く前に言った。
 もったいぶらないから、ジュンの言葉はいつも、みんなが黙って聞く。
「桜の木の下には死体が埋まっていて、その養分を吸ってるから桜はきれいに咲くんだって」
「へぇぇ・・・」
 感心したように呟いたのは、サトシ。サトシは、物知りなジュンを尊敬している。
「それ、本当?」
「全部の木に死体が埋まってるのかなぁ」
「全部だったら、ヤだな」
 だって、そしたら校庭の周り、全部に死体が埋まってることになるしさ。
 と、コウジが言う。コウジは、少しひねくれている。いつも人と違う意見を言いたがる。
「全部なのかなぁ」
 サトシがジュンに聞く。ジュンは首を横に振った。
「そこまでは知らないよ」
「でも、死体が埋まってそうな桜の木なら、あるね」
 ミノルがわくわくした声で言う。
「学校の、裏の丘にある木でしょ」
「そう」
 そして、いつの間にか「桜が何故綺麗に咲くのか」と言う話から、「桜の木の下に死体が埋まっているか確認しに行こう」と言う話になっていた。

 僕たちは、死体を見つけたいのではなく、ただ、純粋に、本当に桜の樹の下に死体が埋まっているのかを確かめたかったのだ。
 気が付けば、話は引き返すことのできないくらい進んでいて、明日の夜、学校の裏にある小高い丘の頂上で、スコップを持参の上集合、ということになっていた。
 僕は、返事をしないまま、参加するメンバーに加わっていた。


*          *          *


 見事に咲き誇る、桜の巨木を前に、〈彼〉は呆然と、立ち竦んでいた。
 満開の桜は、肌では感じられない風に薄紅色の花弁をはらはらと散らす。
 温度を感じさせない雪のようだ、と、ぼんやりと思う。
「じゃあ、始めようぜ」
 と、意気込んでミノルが云い、その声を皮切りに、スコップを地面に突き立て始める。
 ざく。
 ざく。
 と、〈彼〉の友人たちは一斉に、木の根の少し盛り上がった場所を掘り返していく。
 ざく。
 ざくっ。
 〈彼〉は、それをただ、呆然と見つめている。
「なにぼーっとしてんだよ」
 肘で小突かれ〈彼〉は慌てて友人たちに倣い、スコップを握り直した。
 ざく。
 ざく、ざく。
 無言でスコップを繰る。
 固い地面は堀り起こされ、次第に深く掘り進められていく。
(ほんとうに死体なんて埋まっているのかな・・・?)
 わずかに汗ばんだ額に、花弁が貼りつくのが、少し嫌な気分だった。
 ざく、ざく。
 ざく。
 もうだいぶ掘り進んだと、誰もがそう感じたその時。
 かつ。
 スコップの先端に、何かがあたる感触がした。
「いま、かつ、って・・・」
 その言葉を励みに、だれかけていた気分は吹き飛び、誰もが無言で地面を掘っていく。
 ざくざく。
 ざく。
 ざく。
 掘り返すスピードが早まる。こめかみに、汗が伝うのを感じる。噴出す汗に、散った花弁が張り付くのも厭わず、無言で掘り進め・・・・・・。
 土の中に埋まっている、なにかを確認した途端、スコップを放り出し、少年はただひたすらに土を掻き分け始めた。
 はぁ、はぁ。
 少年の荒い息遣いが静寂の中に響く。
 そして。
 掘り進めていた少年の手が、ぴた、と止まった。
「なに」
「みつかった?」
 黙って見ていた他の少年たちは、期待に瞳を輝かせ、土を掘り返していた少年の次の行動を見守る。膝をつき、掘り返した穴の中に顔を突っ込むようにしていた少年の背中を凝視した。
 〈彼〉は、少年たちに混じって、同じように少年の背中を見つめていた。
 静かだな、と、他の少年たちとはぜんぜん違うことを考えながら。
 何でこんなに静かなんだろう・・・・・・。
「う・・・うわあ――っ!」
 静寂を突き破ったのは、手で地面を掘り返していた少年だった。
 叫び、ものすごい勢いで掘り返した場所からあとずさる。腰が抜けたのか、四つん這いで、必死に穴から逃げる様子を、少年たちは不思議そうに見た。
「どうしたんだ」
 云いながら少年たちが、穴の方へ向かう。
「近づくなっ!」
「なにがあるんだ。まさか本当に死体なんて・・・」
 そうして穴を覗き・・・少年たちは、やはり悲鳴に近い叫び声を上げた。
 声にならない悲鳴をあげて、めいめいに逃げていく少年たち。〈彼〉は、ただ、呆然とその姿を見つめていた。
(あったんだ・・・)
 漠然と、〈彼〉はそう考えていた。
 そして、閑散とした桜の巨木の下に掘られた穴を覗き込む。

 ――土にまみれた白い貌が、僅かに覗いていた。

 〈彼〉は、怯えることも、動揺することもなく、ただ静かに土を掘り返す。
 丁寧に、顔の土を払い、埋まっている残りの部分を掘り進めていく。
 そして、ようやくすべてを掘り返してから、ふぅと、小さく溜息を零した。

 音もなく、ただただ散る花弁。
 空には、晧晧と輝く上弦の月。
 そこに、土にまみれた横たわる死体と、それを抱きかかえる少年。

 それは、まるで奇妙な・・・そして美しい絵画のようでもあった。


*          *          *


 死体はやっぱりあったんだ、と、ただ僕は純粋に感じた。
 土にまみれた、きれいな女の人の死体・・・・・・。
 こんな綺麗な死体なら、桜の下に埋まっていても不思議はない。僕はそう思う。
 みんなは驚いて逃げ出してしまったけれど、こんなに綺麗なモノが、こんなにきれいな桜の下に埋まっていることを、なぜもっと感動できないのだろう。
 桜は、風もないのにハラハラと散っている。
 散った桜の花びらは積もって辺りをピンク色に染めている。
 そんな中、僕と死体は二人きりでそれを眺めていた。
 桜はとても綺麗で、死体の女の人は、もっと綺麗だった。
 真っ白い肌。
 顔についた土を指で丁寧に払って、そして気づいた。
(死体じゃない・・・・・・)
 それは、もうずいぶんと昔に廃止になった(と聞いた)〈人型生物機械〉ヒューマノイドのようだった。

 〈人型生物機械〉ヒューマノイド
 今はもう使われることのなくなった、人型の機械ロボット
 昔の本や、歴史の教科書でしか、知ることができなくなったもの。
 今、ロボットと言えば、人型であっても僕たちのようによく似た姿ではない。
 二足歩行をしている、積木ブロックで作られたような形のものだ。
 だから、どうして廃止されることになったのかは、僕たちは分からない。だれも教えてくれない。
 僕は、この人型生物機械にとても興味を覚えた。
 どうしてこんなところに埋められていたのか。
 ほかにもまだ、人型生物機械は埋められているのか。
 ほかの人型生物機械は存在するのか。
 いろいろ知りたくなった。

 僕は、この冷たい、僕たちの姿によく似た機械をぎゅっと抱きしめた。
 ――ちょっぴり、硬かった。



 人型生物機械は、そしてとても重かった。
 すべてを掘り出して気づいた。
(お、おも…い……)
 ずるずると、地面を這わせるようにして土の中から引き摺り出す。
 それは、ハダカ?(僕たちの感覚でいえばハダカ)の機械だった。
 ほんとうによく似ている。
 図鑑でしか見たことがなかったけれど、近くで見なければわからないくらい、それは僕たちに似ていた。
 女の人の体に…とても恥ずかしいけれど、女の人の裸の姿と同じだった…似た機械の体。
 真っ白くきれいな肌と、長い黒髪。少しふっくらとした…胸。
 ちょっとドキドキしながら、そして僕は何も考えていなかったことに気づいた。
 この、死体と間違えて掘り返した人型生物機械をどうすればいいのだろう?
 人型生物機械は、いま、あってはいけないものだ(と、学校で習っている)。それが見つかれば、どうなってしまうのだろう?
 処分されてしまうのか、それとも……?
 僕は、自分がどうなるか(きっと、ものすごく怒られるだろうし、それだけではすまないかも知れない)よりも、この目の前にある人型生物機械のほうが気になった。
 本当なら、あってはいけないはずの機械。なのに、ここに埋められていたのはなぜだろう?それも気になった。
 誰かに見つかったら、きっと(絶対)処分される。スクラップになってしまうかもしれない。
 抱きしめている腕に少し力を込めて、どうすればいいのか考えていたら。

 ……ぶん。

 そんな音が聞こえてきた。
 そして――。
〈う…ん〉
 誰かがそう呟く。腕の中の機械が、ぴく、と動いた。
〈ここ、は…?〉
「え?」
 びっくりして、手を離した。すると、機械はゆっくり動き出し、立ち上がる。
 僕より、背が高かった。
〈ここは、どこ〉
「う、動いた」
〈あなた…ダレ?〉
 マスター?そう、機械は続けて聞いた。
「ぼ…ぼく、は……」
 じっと僕を見る機械の瞳の色は闇だった。
〈マスター?〉
「マスター?」
 僕が聞き返すと、機械は少し、首を傾げた。本当に、人間そっくりの動きだ。
〈マスター・・・じゃ、ないの?〉
 人型生物機械は、僕を見てまた聞く。意味がわからない。
「マスター・・・って、ナニ?」
 頭が混乱しそうだ。
 人型生物機械が突然動き出して・・・言葉を話した。僕らの使っている言葉と、まったく同じ言葉だ。そして、僕の言葉も通じている。
 いまやっと、そのことに僕は気付いた。
〈マスターは、マスター。わたしの・・・支配者〉
「マスター。・・・し・・・支配、者?」
〈そう。わたしの支配者。主〉
 支配者・・・主?
 どういうことなんだろう。
〈あなたは・・・ダレ?〉
 じっと、闇色の瞳で僕を覗き込むように見つめる。吸い込まれそうな瞳だ。
「ぼ、僕は・・・」
 なんと言っていいか、分からない。
「キミを掘り出した、だけで・・・僕・・・」
〈わたしを起動したのは〉
「キドウ?」
〈わたしを、動かしたのは?あなた?〉
「僕は・・・なにもしてない。キミが突然動き出して・・・」
〈嘘。スイッチを入れなければ、わたしは起動することはできない〉
「スイッチ?」
 そんなものに触った覚えもなかった。
〈ハグ、した?〉
「はぐ?」
〈・・・わたしのことを、ギュってした?〉
「・・・した」
 僕がそう言うと、人型生物機械は、ふわ、と笑った。
〈では、あなたがわたしのマスター〉
「僕が・・・マスター・・・」
〈そう。あなたがわたしの主。わたしはあなたのために起動しせいをうけた〉
 言っている意味がほとんど分からなかった。けれど、僕がこの、人型生物機械のマスターだってことだけは分かった。
 でも、マスターってなにをすればいいんだろう。どうすればいいんだろう。
 結局、ちっとも分からなかった。
 ・・・・・・風に舞った桜の花びらの散る音が、聞こえるようなほど、丘の上はとても静かだった。


*          *          *



 彼は、色々な意味で途方に暮れていた。
 仲間と一緒に桜の木の下に埋まっているであろう死体を掘り起こすため、家を抜け出し丘へやって来たが、まさかそこで死体ならぬ国家の機密事項に抵触するであろう〈人型生物機械〉を掘り起こすことになるとは、思ってもみなかったことだ。
 そして、彼を除く仲間のすべては、掘り起こしたモノの正体を知らずとも「桜の木の下に埋まったナニカ存在」を知ってしまっている。
 それだけでない。
 起動してしまったこの〈人型生物機械〉をどうするべきか。
 なにもかも、彼の予想の範疇外で――桜の木の下に死体が埋まっているということすら、彼は予想していなかった――なすすべなく、ただ呆然と立ち尽くすしかできない。
 彼の頭の中は既に飽和状態で、〈人型生物機械〉はそれを理解していた。
 桜の巨木が、また花弁を散らす。
 まるで無限であると錯覚するほど、花弁は辺りをその色に染めている。
〈マスター。望みを〉
「え?」
 呆けたように口をぽかんと開け、彼は人型生物機械を見つめる。それに、淡い笑みを返し
〈マスター・・・あなたの、望むように〉
 そう、続けた。
〈わたしは、マスターの希望を叶えることができる。だから、あなたの望みを言って〉
「僕の、望み?」
 彼は鸚鵡返しのように聞き返す。
〈あなたは、どうしたいの?〉
 問われ、彼は再び呆然とする。本当にどうしていいのか、彼にはまだ分からないから。
 それを理解していて、それでも尚、人型生物機械は問う。
〈望みを。マスター〉
(望み・・・? 僕は・・・どうしたい?)
 彼はようやく、思考を始める。どうしたいのか。でも、なにを?
(僕は・・・どうしたい?)
 目が回りそうなほどいろいろ考えて、彼はしばらく黙り込む。
 微笑を湛えて、人型生物機械はそれを見つめている。
 しばらく逡巡していた彼は、内心でなにかを言い聞かせるかのように、こくん、とひとつ頷いて眼前で沈黙を守っている人型生物機械を見据えた。
 すぅ、と息を吸い込んで。
「僕は・・・キミがいなくなるのはイヤだ。ずっと一緒にいたい」
 はっきりとした意思を持った瞳で、そう言った。
〈承りました、マスター。では、登録を〉
「とうろく?」
 笑顔のまま、人型生物機械は軽く頷く。
使用者ユーザー設定を。・・・いえ。マスターのお名前をわたしに教えてください。そして〉
「まだあるの?」
〈難しいことはありません。わたしにナマエをつけてください。それだけです〉
 そう彼に言い、人型生物機械は黙り込む。
 彼は再び黙り込んだ。
(ナマエ・・・僕がつけるの?)
 そんなこと、考えたこともなかった。
 名前とは「はじめからついているモノ」で「自分でつけるモノ」だなんて考えても見なかったからだ。
「えっと・・・」
 彼は場繋ぎのために言葉を紡ぐ。
「僕の名前は・・・ワタル」
〈マスターのお名前は、ワタル・・・〉
「うん。そう。キミのナマエは・・・」
 悩みながら、彼は人型生物機械を見つめる。微笑み返されて、ちょっとドキリとした。
 はらはらと舞い散る・・・花弁。
(さくら・・・)
 彼はほんの少し前の出来事を思い出す。
 桜の巨木の下に埋まっていた、眼前の人型生物機械の姿を。
 土にまみれ、覗いていた白い顔。
(とっても・・・綺麗だった)
 掘り起こして、その美しさにさらに息を呑んだ。
 すらりと伸びた四肢。綺麗に切り揃えられた黒髪。
 起動し、立ち上がった姿。
 その背後に・・・・・・。
 降り注ぐ、数多の花弁。桜吹雪。
「さくら・・・」
 そう、桜の木の下から掘り起こされた彼女?(と読んで良いのかすら分からなかったが、彼は少なくともそう表現するしか手段を知らなかった)のナマエには「さくら」は不可欠だった。
 でも、違う。それだけではない、と彼は心の隅でずっと考えている。
「さくら・・・」
〈さくら? それが、わたしの・・・ナマエ?〉
 違う。まだ足りない。
 そして。
 ふっと、涌いた言葉。
「ひめ」
 口に出して、しっくりきた、と彼は感じた。
 そう。
 学校での授業で観た昔の映像ビジョンの中に、色の白い綺麗な黒髪の女性がいて、彼女は「ひめ」と呼ばれていたのだ。
 それを思い出した。
〈ひめ・・・なの?〉
 少し困惑した表情で、人型生物機械は問う。彼は首を横に振った。「違う」
「キミのナマエは・・・さくらひめ。・・・『桜姫』」
〈桜姫〉
「そう」
 彼は、はっきりと頷く。
「桜姫・・・それがキミのナマエ」
〈・・・・・・〉

 ユーザートウロク
 マスターネーム ワタル
 コードナンバー トリプルゼット
 ユーザーメイ サクラヒメ
 トウロク カンリョウ

 どこからともなくそんな音が聞こえてきて、耳鳴りがした。
 突風が吹く。
 そして・・・人型生物機械は。

 突風は、人型生物機械が起こしている。
 彼にはそう思えた。
 人型生物機械を中心に、ものすごく強い風が吹き荒れている。
彼は飛ばされないよう、足をぴったり地面につけ踏ん張った。
 風に煽られて花弁は勢いを増し、散っていく。
 桜の猛吹雪は、人型生物機械を取り巻いて・・・。
 その中で、地面から少しだけ足を浮かせた人型生物機械は、まるで桜を従えているようでとても綺麗だった。


 ――風がやみ。気が付けば月はだいぶ遠く感じるようになった頃。
〈わたしは、桜姫。マスター ワタルの・・・ドール
そう、彼に言う。
 晧晧と照らされる月明かりの中、それは夢よりも綺麗な一場面だった。


*          *          *


 ――ゆめ?
 目覚まし時計がジリジリと鳴っているのを止めながら、僕はぼーっとしたままそう呟いた。
 なんだか、とっても長い夢を見ていた気がする。
 とっても、綺麗な夢。
 月明かりに照らされる大きな桜の木と、とても綺麗な・・・お人形のような女の子の出てきた夢。
 とっても不思議な気分だった。
 まだ手に持ったままだった目覚し時計をサイドボードに戻して、僕はベッドから起き上がる。
 くしゃくしゃのパジャマを脱いだ。

 身支度を整えて下に降りると、キッチンでお母さんがいつものように目玉焼きを作っていた。
 ベーコンは、カリカリというより、こげこげの一歩手前だ。
 お父さんはテレビのニュースを聞きながら新聞を広げている。
「おはよう」
「ん」
 お父さんは新聞を読んだまま挨拶をする。そして・・・。
「ダメでしょ、パパ。ちゃんと挨拶しないと」
 と、お母さんがお父さんに文句を言う。僕は、お父さん、お母さん、と呼ぶのに、二人はなぜか「パハ」「ママ」と呼び合っている。それがいつも不思議だと、毎日、この言葉が繰り返されるたびに思う。
 テーブルには、いつものようにベーコンエッグのお皿が4皿。
 サラダボウルも4つ。コーヒーカップも4つ。
 テーブルに並べられたお皿を眺めて、僕はなんだか変な気分になった。
 イワカン。
 いつもと違う、という感じ。
(なんでだろ?)
 首をかしげながら椅子に座ろうと思ったら
「ワタル。ヒメちゃん起こしてきて」とお母さんが言った。
「ヒメ・・・ちゃん?」
「おい、なんだワタル。まだ寝ぼけているのか」
 新聞をたたんで、お父さんは笑いながら僕に言う。
「従姉妹のヒメちゃんだよ。昨日から叔父さんの都合でいっしょに暮らすことになっただろ」
「従姉妹?ヒメちゃん?」
「アラヤダ。ちゃんと顔洗ったの?」
「洗ったよ!」
「じゃあ、早くヒメちゃんを起こしてきて。部屋は、パパとママの隣の部屋よ」
 チンプンカンプンなまま、僕はお母さんの言葉に従った。

 階段を昇って、お父さんたちの部屋を通り過ぎる。お父さんたちの部屋の扉には「パパとママの部屋」と書かれたプレートがついている。
隣の部屋の扉にはなにもかかっていなかった。扉をじっと見たあと。
 トントン、とノックした。
「ヒメ・・・ちゃん。起きてる?」
 すると、すぐに扉が開く。
 すらりとした背の高い女の人が、扉の中から出てきた。
 白い顔、真っ黒くて、長い髪。闇色の瞳。セーラー服を着ている。
「おはよう、ワタルくん」
 にっこり笑って挨拶する。どこかで見た・・・不思議な感じ。
 そうだ、夢でみた綺麗な女の子に似ているんだ。
(チガウ)
「あ・・・ごはん、準備できたから。起こしに来た」
「ありがとう」
 にっこり、もう一度笑う。
(チガウ・・・ユメジャ、ナイ)
「ヒメ・・・ちゃん?」
「なに?」
 階段を折り始めている〈ヒメちゃん〉に、声をかける。振り返って〈ヒメちゃん〉はまた笑う。
「・・・ヒ、メ・・・」
(姫・・・)
「さくらひめ」呟いて、僕は目の前が一瞬、不思議な感覚になった。
 ものすごく明るくて、ものすごく暗い。そんな感じ。
 明るいのか、暗いのか分からない。目がチカチカする感じ。
 ――思い出した。
 あれは・・・夢なんかじゃなかったんだ。
「桜姫」
 僕が呼ぶと、〈ヒメちゃん〉は笑った。さっきのような「にっこり」の顔でなく、「ふんわり」という感じの、優しい笑いだ。
〈はい。マスター〉
「やっぱり・・・夢じゃなかったんだ」
〈はい。『ずっと一緒にいたい』と言う、マスターのお言葉を叶える為に少し記憶の改竄をいたしました〉
「キオクノカイザン?」
〈簡単に言うと、私がマスターの従姉妹だということになっている、ということです〉
「そんなことができるんだ」
〈はい。マスターと二人きりでないときは、わたしはヒメという名の、マスターの従姉妹です〉
「そっか。じゃあ、普段はどうすればいいの、僕」
〈お気になさらず、いつもどおりで大丈夫です〉
 言って、ふんわりと桜姫は笑った。
「ワタルくん。さ、下に降りましょう。ごはん、冷めてしまうわ」
「あ・・・う、うん」
 また「にっこり」の笑顔を作って桜姫は階段を降りていく。
 なんだか、とても不思議な感じだった。


 ごはんをすませ、学校へ行く準備をする。
 ヒメちゃんと呼ばれている桜姫・・・〈人型生物機械〉は僕より先に学校に行くため、ご飯を食べてすぐに家を出る、と言った。
「ワタル。せっかくだから一緒に行きなさい」
「え、でも、まだ早いし・・・」
「ヒメちゃんは初めてだから、道とか教えてあげなさい」
 台所で洗いものをしながらお母さんが言う。
「はーぁい」
「返事は短く」
 お父さんがすかさず言う。
「・・・はい」
「じゃあ、ワタルくん。一緒に行きましょう」
「う・・・うん」
「ヒメちゃん、ワタルのこと、よろしくね」
「はい」
 にっこり笑って返事をして、ヒメちゃんは僕と一緒に玄関に行く。
 くつを履き、かばんを持って、ドアを開けた。
「いってきます」
「行って来ます」
 玄関をでて、学校に向かう。僕が通う学校は歩いて10分くらいのところにある。
「本当に学校に行くの?」
〈いいえ〉
「そっか。じゃあ、これからどうするの?」
〈マスターが学校を終えられるまで待っています〉
「ここで?」
〈いえ・・・〉
「ならよかった。ずっとここで待ってたら疲れちゃうもんね。あのね、ここからもう少し先に行ったところに、公園があるんだ。結構広い公園。池もあるんだ。そこなら少しは時間潰せると思うよ」
〈わかりました〉
 桜姫はふんわり笑って、言った。
「あ、あのさ・・・」
〈なんでしょう〉
「昨日の夜のこと・・・なんだけど」
〈はい〉
「昨日、桜姫を見つけるのにさ、友達と行ったんだ。あの丘まで。みんなで一緒に、桜の木の下を掘り返して・・・」
 僕は、そこで言葉をとめた。なんて言っていいか分からなかった。
 どうやって言えば分かるのか、分からなかった。
「えっと・・・あのね。僕たち・・・僕と、ジュンと、タクミ・・・サトシと、コウジと、ミノル。全部で6人で行ったの、あの丘に。ジュンが『桜の木の下には死体が埋まっている』って言うから、本当かどうか確かめに行ったんだ。そしたら・・・」
 また僕は言葉に詰まる。なんて言って続けて言いかわからなくて、僕はうつむいた。
「あ・・・あそこの丘のさ、桜の木。大きいでしょ。とってもきれいに咲くし。だから、その・・・」
 あんなにきれいに桜が咲くから、絶対に死体が埋まっていると思ったんだ。
 ・・・そう思ったけれど、言えなかった。言ってはいけない気がした。
〈わかりました〉
 頭の上から、やさしい声がした。
〈マスターのお友達。ジュンくん、タクミくん、サトシくん、コウジくん、ミノルくん・・・5人は
わたしの存在を知ってしまっているかもしれない、ということですね〉
「う、うん。そう。そうなんだ。だから・・・」
 桜姫は、僕をぎゅってした。お母さんと違って、あったかくないけれど、でも、心の中がぽわんとした。
「僕・・・ずっと、桜姫と一緒にいたいよ。でも、桜姫は人型生物機械でしょ。きっと、みつかったら、大変なことになるの。でも、僕はどうしていいかわからないんだ。でも、コウジは桜姫のこと知ってるかもしれない。穴掘って桜姫のこと見つけたの、コウジなんだ」
 僕は思いつく限りのことを一気にしゃべった。しゃべりながら、不安はどんどん増えていって、僕は震えていた。
 桜姫はもう一度僕をぎゅっとした。
 やっぱり、あったかくない。ヒトではないから・・・機械だから、体はあったかくない。でも、心の中がぽわんとした感じになるだけで、震えはとまった。
〈大丈夫です。わたしは、いつまでもマスターのおそばにいます〉
「ほんと?」
〈はい〉
「ずっと、一緒にいられる?」
〈はい〉
「なら、安心だね。よかった。・・・・・・あ!もうこんな時間。学校、遅刻しちゃうや。じゃぁ、あとでね」
〈はい。お気をつけて、マスター〉
「うん。いってきます」
 僕は、ホッとしながら、学校までダッシュした。


*          *          *


 予鈴とともに彼は教室へ駆け込んだ。
 ぜいぜいと、肩で息をしながら彼は背負っていたカバンを降ろし、机の上に乗せる。
「ワタル遅かったな」
「ギリギリセーフだね」
と、クラスメイトであり、昨日の出来事を知っている(と思われる)友人たちが声をかける。
ドキ、と彼の心臓は跳ね上がる。
「う・・・うん」
「ネボウか?」
「違うよ。ちょっと・・・」
 いつもより早く打つ鼓動を感じながら彼は、曖昧な言葉で返答を避けた。
「そういえば、昨日・・・」
 友人の一人・・・そして彼の言うところの、人型生物機械・桜姫を(彼を除いて)唯一知っているだろう人物、コウジがぽつりと呟くように言った。
 その言葉に、彼の鼓動はますます早く打つ。心臓が口から飛び出そう、という表現を彼は心のうちに思い描いていた。それくらい、彼は驚き・・・そして恐怖していた。
 チャイムが鳴る。
「あ。授業始まっちゃうや」
 コウジはそう言って話を中断し、じゃ、休み時間に、と小声で言って自分の席に着いた。
彼は束の間ほっとしものの、恐怖は1限目の授業が終わるまで続いた。


「さっき言ってた・・・昨日ってナニ」
 ――1限目が終了すると同時に、彼はコウジにそう尋ねる。教室の中は既にざわついて、彼の小さな声は掻き消えそうなほどだった。
「へ?」
「さっき・・・・・・予鈴のときに言ってた、昨日・・・て、なに?」
 彼は再び尋ねる。コウジはあぁ。と呟く。その間に、いつものようにジュン、タクミ、サトシ、ミノルの4人が集まってきた。
「なに」
「昨日・・・?」
「あぁ」
 既に、数名はそれだけでおおよそは理解できたのか、納得したように頷く。それだけで彼はまた恐怖を覚える。
(もしかしたら・・・本当は全部バレてるんじゃ・・・・・・)
 彼はわずかに顔を青褪めさせてそう思う。
彼が一番怖いと感じるのは、桜姫の存在が知れたことではなかった。国家機密である人型生物機械の存在そのものが明るみになって困ることは多い。が、彼が恐怖の対象としたのは、そんな大きな視野ではなく・・・ただひとつ。純粋な願い。それが打ち砕かれること、それだけだった。
「どうしたんだ、ワタル。朝からずっと具合悪そうだけど」
「ほけんしつ、行く?」
「ううん。大丈夫。それより・・・さっき言ってた、昨日って?」
 心配そうに彼の顔を覗き込む友人たちに少しだけ笑顔を向けて、彼は再度、問うた。
「昨日?」
「・・・・・・ワタル。お前・・・」
「・・・え、ナニ?」
「もしかして・・・」
 どき。
また鼓動が跳ね上がる。
「まだねぼけてんじゃないのか?」
「そんなことないよ!」
「だったらなんで・・・」
「だって、コウジ、朝ヘンなとこで区切って話やめちゃうから。気になって。昨日ってなに、なんのこと」
「だから、昨日のことだよ。覚えてないのか」
 少し苛ついた態度で、コウジは声を荒らげる。対照的に彼はまたもや恐怖で胸が締め付けられる。
もう、このまま恐怖があと1分でも続いたら死んでしまう、と思うほどの・・・・・・。
「昨日の夜、みんなで裏の丘に行ったろ、そのことだよ。まさか、覚えてないのか」
「・・・お・・・・・・覚えて、る・・・よ」
 途切れ途切れに彼は言う。どうしよう、どうしよう・・・と心の中で呪文のように繰り返しながら。
「ぜったい死体があるって、せっかく意気込んでたのにさ」
「そうそう」
「あんなにがんばって掘ったのにね」
「そう。結局なんにも見つからなくって・・・」
「え?」
「・・・え?」
「ワタルどうしたの」
「・・・やっぱり具合悪い?」
「大丈夫。そんなんじゃないよ」
 何度も心配そうに声をかけるミノルに返事をしながら、彼は混乱し始めた頭の中を整理しようと試みた。
(昨日みんなで裏の丘に・・・桜の木の下に死体がうまっているかどうか、調べに行ったんだ。それはみんな覚えてる。でも・・・)
 本当は、掘り返した土の中から桜姫・・・人型生物機械は発見された。
 しかし・・・。
 友人たち4人の共通認識では「何もなかった」ことになっている。
(と、いうことは・・・・・・)
 ばれていない、ということだ。と、彼は確信する。
(桜姫が言ってた、キオクノカイザン・・・てヤツだ、きっと)
「ワタル・・・ワタル?」
「やっぱり本当は具合悪いんじゃないのか。さっきから顔色がコロコロ変わる」
「やっぱ、ほけんしつ・・・行く?まだ休み時間だから、間に合うよ」
「ううん、本当に大丈夫。・・・じゃない、かも」
「どっちだよ、ソレ」
「まだ少し・・・ねぼけてるのかも」
 彼は些細な嘘をつく。
 なんとか言い繕うために、彼はめったにしない嘘をついた。
「すこしかぁ?」
「思いっきり、ボケボケだよねぇ」
「そ・・・そうかな。でも昨日、家を抜け出したのがばれて、いっぱいおこられたから・・・」
「あ、やっぱりワタルも」
「え、じゃあタクミもおこられたんだ」
「おこられた・・・というか、なぐられた、ゲンコで」
「うわあ」
「うちは・・・今日のオヤツぬきだって」
「そっかぁ」
「ホント、つまんないよなぁ。せっかく夜ぬけだして死体さがしに行ったのに」
「ほんとほんと」
「なんの収穫もなかったもんな」
「おこられぞんだよ」
 そう言いながら、存外不満げな様子を見せない友人たちと混じってぎこちない笑顔をみせながら、彼は誰にも気づかれないよう、胸を撫で下ろしていた。
 チャイムが鳴る。
 彼と友人たちは目で合図をしながらめいめいに席に着いた。彼は心配事が解消され、ようやく真面目に授業を受けられるようになった。


 午前3限、昼食、昼休みを挟んで午後1限の授業を終えると、下校時刻となる。
 放課後、いつもなら友人たちと少し話をしてから帰る彼も、今日だけは違っていた。
 彼は、確かめたかった。
 今日一日、友人たちと話をしていて、本当は・・・もしかしたら昨日の出来事はすべて夢だったのかも知れない。もし夢だったら・・・いや、夢でなかったら・・・。
 すべてが曖昧ではっきりしない、このぼやけたものに決着をつけたかった。
(公園に行く前に・・・あの丘に行こう)
 そこに何があるのか、分からない。
 掘り起こした跡があるのかも。
 それでも、きっかけとして、その元になった桜の木の下を確かめたかった。
 カバンを背負い、まだ教室に残ったままの友人たちに先に別れの挨拶を述べて彼は、学校の裏に聳える小高い丘に向かう。
 まだ芝生の生え揃わない、まだらに土色が残る緩やかな坂を、彼は一気に駆け上がる。
 その頂上。
 微風に花弁を散らす、桜の巨木を目指して――。


*          *          *


 桜の木は本当に大きかった。
 ちょっとだけ吹く風でも、花びらがいっぱい降ってきて木の下はほとんど、花びらでピンク色になっている。
 なのに、見上げると桜の木にはまだ、いっぱい花がついていて、どんどん、どんどん花びらが降ってくる。
「え・・・っと。昨日掘り起こしたとこは・・・・・・」
 思い出しながら僕は木の根っこを見回す。すぐに見つかった。
 一か所だけ、ぼこん、とへこんでいる部分があったから。
「そっか・・・掘り返したのはそのままなんだ」
 桜姫がいない(ことになっている)から、僕はてっきり掘り起こしたことすら「なかったこと」になっているのかもしれないと思っていたけど。
「あ、そうだ。あのときみんなも言ってたっけ」
 あの時は、本当はばれてるんじゃないかとドキドキしてたから気づかなかった。でも本当に大丈夫みたいだ。
 でも?
 実は・・・本当はそれも全部ウソで、本当にただ寝ぼけているだけで桜姫っていうのは夢の中に出てきた、きれいな女の子だったのかも知れない。
 そう考えると、僕はまた怖くなった。なぜか分からないけれど、怖くて体が震えた。
「こ・・・公園にいかなきゃ。だって、朝・・・桜姫は言ってた。ずっと公園で待ってるって」
 声に出して言う。心の中で呟いているだけなら、信じられないから。
 本当はウソで、夢だったかもしれないから。
 だから、僕は急いで公園に行こうとした。すると。
〈マスター〉
 突然、声がする。女の子の声だ。
 ものすごくびっくりして、最初その声がだれだか僕は分からなかった。
 だって、もしかしたらあの女の子は・・・。
〈マスター〉
 もう一度、声がする。
「だ・・・誰?」
〈わたしです、マスター〉
「さ・・・さくら、ひめ」
〈はい。そうです、マスター〉
 女の子の声・・・桜姫は、そう言いながら桜の木の反対側から出てきた。
 朝、一緒に家を出たときと同じ、新品のセーラー服を着た、かっこうだった。
「いつからここにいたの?」
〈今さっき、ここに着きました〉
「でも、いなかったよ」
〈マスターがこの木へ向かうのが分かったので、追いかけました〉
「なんで・・・」
 呟くと、桜姫はふんわり笑った。
〈マスターのおられるところが、わたしの居場所です〉
「じゃあそれまでは・・・」
〈公園にいました。ですが、マスターは公園ではなく、この木へ向かったので〉
「そうだったんだ。びっくりしたよ」
〈そうですか〉
 桜姫はふんわり笑う。
「でも、なんで僕が公園に行かないって分かったの?」
ドールはマスターの居場所が分かるのです〉
「そっか。すごいんだね」
〈マスターのおられるところが、わたしの居場所ですから〉
「そうだよね。ずっと一緒だよね。これからも、ずっと」
〈はい、そうです。マスター〉
「でも、本当は怖かったんだ。もしかしたらウソだったんじゃないかって。本当はやっぱり全部夢で、桜姫は本当はいないんじゃないかって」
 そうだ、僕はそれが怖かったんだ。
 そう、気づいた。
〈わたしはマスターの僕。マスターの願いがわたしの願い。いつまでも一緒にいます〉
「本当?」
〈はい〉
「約束だよ、絶対だよ」
〈はい〉
 桜姫は、また、ふんわり笑った。


 途中、家の近所にある公園で少し遊んで、お日様がオレンジ色になり始めて、僕は桜姫と一緒に帰った。
 家に着くと、いつものようにお母さんがエプロン姿で「お帰りなさい」という。
「ヒメちゃんも、お帰りなさい」
「ただいま帰りました」
 桜姫(家の中ではヒメちゃん)とお母さんのやりとりが、なんだか、とてもくすぐったく感じた。
 そして、きっとこのくすぐったい感じはずっと続くと思って、僕はものすごくうきうきした。


*          *          *


 それからの彼の生活は、とても華やかだった。
 実際は、生活そのものが華やかになったのではなく、桜姫と彼が名づけた人型生物機械がいるということが、彼の生活に華を添えていたのだった。
 一緒にいるだけで気分が向上し、楽しく感じる。だから華やかに感じる。
 ――彼は、桜姫に淡い恋心を抱いていた。
 それを彼自身は意識していなかったが。


「ワタル・・・今日の放課後、いっしょにサッカーやろうぜ」
「ごめん、ダメなんだ」
「ちぇー。最近ワタル、つきあい悪いよなぁ」
「もうさそうのよそうぜ」
 友人の誘いも断り、彼は学校が終わると一目散に公園へ向かう。そして公園で待っている櫻姫と他愛のないおしゃべりをして――それは、一方的に彼が今日の出来事を櫻姫に聞かせるだけだったが――、そして日が暮れる頃に一緒に家路につく。
 そんな日々の繰り返しが、彼には楽しくて仕方がなかった。
 しかし――。
「なぁ、最近ほんとうにワタルのやつ、おかしくないか」
 いつものように授業が終わり放課後になったところで、遊びの誘いを断られた友人の一人が、慌てて教室を飛び出した彼の後姿を見つめながら呟いた。
「ここ最近、ずっとあんなだよな」
「付き合い悪くなったよね」
「最近なんかヘンだよな、ワタル」
「そうそう。ホラ、桜の木の下に死体が埋まっているか確かめに行った次の日からヘンだったよね」
「・・・・・・なんかあるのかな」
「まさか・・・」
 友人たちは額がくっつきそうなほど顔を付き合わせる。声までが、ひそやかになった。
「もしかして・・・見つけちゃった、とか?」
「・・・・・・なにを」
「だから・・・」
「でも、まさか・・・・・・」
「うーん・・・。どうなんだろう」
 口に出る言葉は、確信の持てないものばかり。
「でもさぁ・・・最近のワタルって、なんだかウキウキしてない?」
 ふと、気づいたように一人が言った。
「してるしてる」
 頷きあいながら、返事をし。
「なんか、たまに授業中でも、ぼーっとしてることあるよな」
「そうそう。で、今日も先生におこられてた」
「もしさぁ、死体なんか見つけちゃったら・・・ウキウキはしないよな」
「できないよ。怖くて学校これないよ」
 彼らが赴いた桜の木は、学校の裏の丘に立つ。それを知っているからこそ、友人たちはそう答える。もし本当に(そして自分が)あの桜の木の下から死体を掘り起こしたら、どうするか、を。
 想像して、少しの間、沈黙が降りた。
「・・・・・・ってことは、死体じゃないんだ」
 また、そこで黙り込む。そして考える。彼の行動に適しているものを。
「なにか、他のものを見つけた・・・とか?」
 ぽつ、と呟く。「お宝・・・かも」
 その一言は、すんなりと友人たちの間で確信に変わった。
「お宝?」
「どんなお宝かな」
「そりゃあ・・・すごいお宝だよ、きっと」
「ずっりー。もしかして、ひとりじめしてるんじゃないか」
「だからウキウキしてるのか」
 友人たちは、不快感を抱く。そして一人で黙って(もしかしたら宝を独り占めしているであろう)彼に対して、不信を募らせる。
「どんなお宝、かくされているのかな」
「いまから見に行こうぜ」
 そして友人たちは慌てて裏の丘へ向かう。
 ・・・・・・桜の巨木前に息を切らせてたどり着き、カバンを放り投げて地面を手で掻く。
 掘り起こした跡の残る地はまだ柔らかく、難なく掘り返すことができた。
「・・・ない!」
「まさか、もう一人で全部もってっちゃったんじゃないか」
「ずるいよ、あいつ」
「最初に桜の木の下を掘ろうって決めたの、サトシじゃん」
 お宝は山分けだよな、と一人が呟き、残りの全員が頷いた。
「今からワタルんち 行こうぜ」


「ごめんなさいね。ワタルまだ帰ってきてないのよ」
 ・・・・・・勇んで彼の自宅へ押しかけた友人たちだったが、彼は帰宅していなかった。落胆し、途方に暮れた表情を見せた友人たちに、彼の母は
「多分もうそろそろ帰ってくる頃だと思うから・・・お部屋で待ってみる?」と言った。
「はい、すみません。ありがとうございます」
「おじゃましまーす」
 友人たちは、喜んで彼の部屋で待つことにした。
 もしかしたらお宝を独り占めしているだろう・・・そして、そのお宝を眺めて喜んでいるだろう彼が、友人たちと顔を合わせた瞬間、どんな表情をみせるのか。
 それを想像して、友人たちは加虐的な笑みを浮かべた。


*          *          *


 学校が終わってすぐに学校を出て、家の近所の公園に行くのが、とっても楽しかった。
 別に、タクミやジュンたちとサッカーをしたりゲームをしたりしていないのに、なんだか桜姫と一緒にいるのがすごく楽しいと思った。
 桜姫は、公園へ走っていく僕をみつけると、ふんわり笑ってくれる。
 それから、いろんなことを話すと、ふんわりの顔のまま話を全部聞いてくれる。
 それが本当に嬉しくて、そして楽しい。
 なにもしていないのに、ただ話をしているだけなのに、ゲームの攻略よりも、サッカーでゴール決めたりするよりも楽しいなんて、不思議だ。
 そして今日も学校が終わって、ミノルたちのさそいをことわって、公園に向かう。
 ぜいぜいしながら公園へ着くと、いつものように桜姫はベンチで待っていて、僕の顔をみるとふんわり笑った。
〈お帰りなさい、マスター〉
「・・・・・・ただいま」
 ぜいぜいしている息を落ち着かせて、僕は桜姫の隣に座る。
〈今日はなにがありましたか〉
「今日はね・・・」
 それから僕は桜姫に今日あったことを話す。国語の先生がうっかりねぼうして授業が自習になったこと、給食で大嫌いなピーマンがでたこと、休み時間にふざけてプロレスごっこをやっていたら
パンチがぶつかってタクミが鼻血をだしこと・・・。
 気が付くとあたりはもうオレンジ色になっていた。
〈もう、帰らないとですね〉
「うん。続きは家に帰ってからね」
 言って、僕は桜姫と一緒に家に向かう。歩いて5分くらいで家に着いた。
「ただいまぁ」
「・・・・・・お帰りなさい、ワタル」
「うん、ただいま」
「あぁ、ワタル。お友達が来ているわよ。部屋で待ってもらってるからね。早く手を洗ってうがいをしなさい」
「え?う・・・うん、分かった」
 僕はドキドキしながら手を洗ってうがいをしてから部屋へ行った。
 桜姫がやさしい顔で頷いてくれたから、少し心強かった。
 ・・・・・・階段を登って僕の部屋のドアを開けると、タクミ、ジュン、サトシ、ミノル、コウジが怒ったような顔で僕を待っていた」
「ワタル・・・いままでどこに行ってたんだよ」
「え・・・なんでそんなこと聞くの?」
「オレたち、知ってるんだぜ」
 コウジがイバって言う。
「本当はお前、桜の木の下からお宝見つけたんだろ」
「で、ひとりじめしてるんだろ」
「どこにかくしたんだよ、お宝」
 コウジの後にジュン、ミノル、タクミが続けて言う。サトシは悲しそうな顔で僕をじっと見ていた。
「ち・・・ちがうよ。お宝なんて見つけてないよ」
 僕が言うと
「うそつけ。じゃあなんでここ最近いつも、授業終わるとすぐ帰っちゃうんだよ」
「ほんとうは見つけたお宝見に行ってんじゃないのか」
「だから、ちがうよ。ホントだよ」
 僕が言うと、みんなはにらんだまま「あやしい」と言った。
 もう、どう言っていいか分からなくなって・・・だって、実際はお宝じゃないけど桜姫は見つけちゃってるし、でも、それはきっとバレたら大変なことになるかもしれなくて・・・。
 すると、トントン、とノックする音がした。
「ワタルくん。お友達にジュースよ」
 そう言って、桜姫が部屋に入ってきた。
「あ・・・ありがとう」
「テーブルないから・・・はい」
 お盆にはコップが6つ乗っていて、それをひとりずつ手渡しすると桜姫はにっこり笑って部屋をでていった。
「・・・・・・」
「・・・おい。ワタル」
「な、なに?」
「いまの女のひと・・・」
「・・・・・・が、どうしたの」
 ドキドキしながらそう聞くと、コウジが少し照れたような顔で
「誰だ」
と聞いた。
「え・・・っと。あの人は・・・ヒメちゃん。僕のイトコ」
「いままで、いなかったよな」
「う、うん。つい最近、一緒に住むようになったんだ。それがどうかした?」
 ドキドキしたまま僕が言うと、みんなぽーっとした顔で
「キレイだった・・・」
「なんか、いいにおいした」
「かみのけサラサラだった」
 と、わけ分からないことを言い始めた。
「なに、どうしたのみんな」
「・・・・・・なんでもない」
「ひめ・・・ちゃん、って言うんだ・・・」
 なんだか、僕もわけが分からなくなった。
「で、みんなは何しにきたのさ」
「・・・イヤ・・・・・・ほら、ワタル最近なんかヘンだったろ。きっとこの前桜の木の下でお宝みつけて、それを独り占めしてるんじゃないかって思って・・・」
「だって、最近お前、放課後に遊ぼうってさそっても全然ノッてこないし、なんだか一人でウキウキしている感じがしたから、絶対お宝かくしてるんだって思ったんだ」
「ちがうよ。そんなんじゃないよ。学校終わって、ヒメちゃんと一緒に帰ってきてるんだよ」
 僕がそう言っても、なんだかみんなはあんまり聞いていない感じだった。
 顔を赤くして、ぽーっとしたまま、全然動かない。
「何の用だったの?」
「だから、お宝隠してひとりじめしてたらずリーと思って、文句言いにきた」
「でもって山分けしようって、言いにきた」
「だからお宝なんて隠してないって」
「そうだよな」
 なんだかよく分からないけれど、みんなは納得したみたいにうんうん、と言って、結局ジュースを飲んだら帰って行った。
 その後、コップを下げに部屋に入ってきた桜姫がふんわり笑っていたから、多分キオクノカイザンをしたのかもしれなかった。
 でも、桜姫をみてポーッとなったみんなのことを思い出すと、なんでか少し、心の中に変な気持ちができた。


*          *          *


 ――月が満ちていく。
 小高い丘の頂上に聳える桜の巨木の麓に、長い黒髪の美少女が物憂げな表情で立っている。
〈マスター・・・〉
 そう、呟いた。


 月が完全な円を描くとき・・・時が、満ちる。
そして終焉が訪れる。


 満月まで、わずかな時間しか残されていなかった。


*          *          *


 いつものように彼は学校の授業を終え、人型生物機械・桜姫の待つ公園へと向かう。
 いつもと違うのは、ここ数日は彼以外にも彼の友人までもがついてくることだった。
 公園に着くと彼らはめいめいに桜姫に向かって話をはじめる。それが最近、彼にとっては不快な出来事だった。
(なんで桜姫は黙ってみんなのはなしを聞いてあげるんだろう)
 心に湧く疑問。
(桜姫は僕がみつけたのに・・・僕だけの、なのに)
 子供らしい独占欲だと知らず、彼は不満げに・・・・・・でも絶対に口には出して言わず・・・・・・そう思う。
 日が暮れ、彼の友人たちが「じゃあ、また明日」と笑顔で手を振るのを憮然と眺めながら、彼は桜姫と一緒に帰路に着く。
 その道すがら。
〈マスター。どうかされましたか〉
 桜姫は彼に言った。
「なにが?」
〈いえ・・・最近マスターがお元気ないと思って〉
「そんなこと・・・ないと思う・・・よ」
〈そうでしょうか〉
「う・・・うん」
 言いながら、彼は迷う。正直に自分の気持ちを伝えようか、それとも・・・?
〈なら、いいのですが・・・・・・〉
「うん・・・・・・」
 沈黙のまま、彼は桜姫と歩く。
 玄関前で立ち止まり。
「えっと・・・あのね。桜姫」
 意を決して、彼は口を開いた。
「あのね・・・僕・・・。桜姫のことが・・・」
 そう言って、自分よりも背の高い桜姫を見上げる。
「桜姫のことが・・・、僕・・・・・・」
 最後の一言。自分の素直な感情を告げようとしたとき。
 ガチャリ、と、玄関の扉が開いた。
「あら、ワタル、ヒメちゃん。お帰りなさい。なにやってるの?早くお入んなさい」
 彼の母がエプロン姿でそう言った。
「お母さん・・・どうしたの」
「調味料切らしちゃったから、いまからスーパーに買い物に行って来るわね。ワタル、ちゃんとお留守番しててね。ヒメちゃん・・・悪いけど、ワタルのことよろしくね」
 言うなり、パタパタとサンダルを鳴らしながら駆けていく。
 彼は、言いそびれた言葉を飲み込んで、黙って家の中へ入った。


〈マスター、先程はなにをお話したかったのでしょうか〉
 ――夕食も済み、風呂に入り終え、後は寝るだけ、という準備をした時点で、桜姫は彼にそう尋ねた。
 時間がない。
 桜姫は彼に思惑を知られることなく、内心でそう考えている。
「・・・・・・うん」
 彼は――桜姫の支配者――は、意気消沈した表情で、力なく呟く。
〈なにか言いかけていましたね、マスター〉
「うん・・・・・・」
〈外でお話しましょうか?〉
 すると彼は黙って首を縦に振る。
 ふわりと笑んで、桜姫は彼を抱えて窓から外へ出た。


 辿り着いたのは、桜の巨木の聳える丘。
 彼と桜姫が初めて出会った場所。
 彼が桜姫をみつけた場所。
「うわぁ・・・」
 彼は簡単の声をあげる。
 あの日――。
 友人たちとこの丘に登り、死体を見つけると意気込んでいたときには気づかなかった桜の美しさに目を奪われていた。
「桜・・・きれい。すごくきれい・・・」
 晧晧と輝く月の明かりに照らされる桜は幻想的で。
 そこに立つ人型生物機械・・・・・・人ならざるモノ・・・・・・がその美しさを引き立たせている。
 彼はただ、その情景に見蕩れた。
〈お気に召しましたか〉
「うん・・・うんっ、すごい・・・すごい・・・・・・きれい・・・。桜姫、ありがとう」
〈マスターに喜んでいただいて嬉しいです〉
 ふわりと笑うその姿が儚く美しく、彼は切なさを感じる。
 じわり、と広がる、えもいえぬ不安。なにかの・・・予感。
 美しいからこそ、悲しい。そんな眼前の風景。そしてそれは・・・・・・。
 ――無意識の直感。
〈マスター・・・お話が・・・〉
 紡いだ言葉に彼はビクリと身を震わせた。
 何故・・・気づかないまま、いや、気づいていて、気づきたくなくて、彼は意図して彼は桜姫を見上げた。
 ふんわりと笑むその表情に胸が痛む。
 だからこそ、彼は・・・・・・。
「桜姫」
〈はい〉
「・・・僕。・・・・・・僕、桜姫のことが・・・」
 最後まで言い出す勇気が、彼には持てない。
 見上げて見つめる、見つめ返される桜姫の表情に何かを感じ取って、彼は俯く。
 ・・・・・・月明かりに、彼と桜姫の影が伸びる。
〈マスター・・・・・・〉
「・・・・・・・・・・・・」
〈マスター。お話が・・・あるのです〉
 黙ったまま俯いている彼を見つめ、桜姫は続けた。
〈実は・・・私は・・・〉
 桜姫は語る。
 彼女の、彼女自身のことを。
 彼は黙っている。黙ることしかできずにいる。


 ――長い、長い(と、彼は感じた)話は終わった。
 月が中天に差し掛かっていた。
 丘の上に立つ巨木。その上に輝く満月。
 桜はただただ、無限に感じるほどの花弁を散らし、彼と彼女に降り注ぐ。
〈もう・・・時間がありません〉
 全てを伝えた後、桜姫はそう言った。
 彼は弾かれたように桜姫を仰ぐ。
〈もともと欠陥品であったわたしには・・・長い間稼動し続けることはできないのです・・・長くて10日・・・そして・・・もう・・・時間が・・・〉
「ヤダよ!」
 彼は心の限り叫んだ。
「ヤダよ。だって・・・ずっと一緒だって、言ったじゃないか。そう約束したじゃないか。いつでも一緒だって・・・」
〈マスター・・・〉
「ねぇお願い。ずっと一緒だよね。そうだよね。そうだって・・・言ってよ桜姫」
〈・・・・・・すみません〉
「う・・・嘘つき!桜姫の嘘つき。じゃあなんでさ。なんで僕のお願い聞いてくれないのさ。ずっと一緒にいたいって・・・お願いしたのに。なんでもお願いかなえてくれるって言ったのに。ずっと一緒だって言ったのに。なんでさ、なんで・・・・・・」
 彼は思うまま桜姫に向かってそう怒鳴り、怒鳴りながら涙を零した。
〈本当は・・・マスターの願いを叶えたかった。でも・・・わたしは欠陥品・・・なにもできない、ただのガラクタ。だから・・・〉
「そんなことないよ!」
 彼は桜姫を見つめてそう言った。
「そんなことない。桜姫はガラクタなんかじゃない」
〈ありがとうございます。でも、そう言ってくださるのは、マスターだけです〉
「そんな・・・っ、そんなこと、ない・・・っ!」
〈・・・・・・・・・・・・〉
 桜姫は笑む。儚い笑みで、彼を見つめる。
〈もう・・・時間が・・・ありません。わたしは・・・そろそろ・・・〉
「桜姫っ」
 彼の呼びかけに、桜姫はただ笑みだけを返す。
 そして。
 がくり、と膝を折った。
「桜姫っ」
 彼は慌てて桜姫を抱きとめた。
桜姫は、力ない笑みを浮かべ
〈すみません・・・マスター〉
「いいよ。もういいよっ。ごめんなさい。僕がひどいこと言ったから・・・」
〈いいのです。マスターの願いを・・・叶えられなかったのは・・・事実・・・ですから・・・〉
「もうしゃべっちゃだめだよ。苦しいの?どうすればいいの?どうすれば桜姫は・・・」
 泣きながら尋ねる彼に、桜姫は黙って首を振る。
〈いいのです・・・わたしはこのまま・・・朽ちていくだけの・・・ガラクタ・・・です・・・から〉
「そんなことない。桜姫はガラクタなんかじゃないよ。ホントだよ。だって・・・僕は・・・桜姫がいて・・・ほんとうにうれしかったんだ。毎日楽しかった。タクミやコウジや、ジュンたちとサッカーやるより楽しかったんだ。桜姫と一緒にいて、いろんな話して、一緒にご飯食べたり・・・楽しかったんだ」
〈・・・・・・・・・・・・〉
「死んじゃうの・・・桜姫。やだよ。どうしたらいいの。どうすればいいの」
〈死・・・ではありません。機能が・・・停止・・・するだけ、です・・・〉
「また・・・また動くようになるの」
〈それは・・・わかりません〉
 言葉を継ぐ、桜姫は・・・人型生物機械はすでに事切れる寸前だった。
それでも残りの力を振り絞るように、彼に向かって言葉を紡ぐ。
「・・・死んじゃ、やだ。やだよ・・・」
〈マスター・・・では・・・わたしから『お願い』があります・・・〉
「なに。僕でできること?できることならなんでもするよ」
 彼の言葉にふんわりと・・・最後の力を振り絞るように、しっかりと笑みを刻んで。
〈また・・・マスターのドール僕に・・・。次に起動するときも・・・マスターの僕で・・・ありたい・・・〉
「うん。うん。わかった。絶対だよ。桜姫は・・・僕の・・・」
〈はい・・・マスター・・・〉
「桜姫・・・僕・・・。桜姫のことが・・・」
 風が吹く。
 強く、轟と唸るように風が吹き・・・。桜の花弁が吹雪く。
「すきだよ。桜姫・・・」
 彼の小さな呟きは、風の音に掻き消されてしまったが。
 桜姫は、こくん、と頷いた。
 彼女の耳には、その呟きは届いていなかった。それでも、彼女は頷いた。
〈はい。マスター・・・ワタル〉
 頷いて。
 首はそのまま上を向くことはなかった。


 彼は、動かなくなったその美しい人形を抱きしめたまま、大声を張り上げて泣いた。
 桜の花弁が降り注ぐ。
 浩浩と輝く望月に照らされて、音もなく、熱もなく、ただただ静かに、花弁は降り注ぐ。
 このまま彼等を埋め尽くさんばかりに・・・。


 ――次の日。
 桜はすべて散っていた。



*          *          *



 時は巡る。
また桜の花咲く時期が訪れる。


 小高い丘に聳える、ひとつの伝説を持つ桜の巨木は、風もなくはらはらと花弁を吹雪かせる。


 ――ねぇ、知ってる?


 耳に残る、思い出の言葉。


 ――桜がなんできれいに咲くか知ってる?


 ――桜の花がきれいに咲くのはね、木の下に死体が埋まってるからなんだって。


 伝説は色褪せない。
 色褪せず、ただ鮮明に、美しいまま語り継がれ・・・。
 人の心を魅了する。


 ――桜の木の下には死体が埋まっていて、その養分を吸ってるから桜はきれいに咲くんだって。

 ――全部の木に死体が埋まってるのかなぁ。

 ――全部なのかなぁ。


 想い出は、色褪せない。
 克明に刻まれたそれは、いつまでも美しく・・・・・・。


 ――でも、死体が埋まってそうな桜の木なら、あるね。

 ――学校の、裏の丘にある木でしょ。



 小高い丘の頂上、そこに聳える桜の巨木の前に立ち、青年は桜の樹を仰ぐ。
 はらはらと、熱も音もなく、微風に降りしきる花弁を慈しむように眺め・・・。



「・・・・・・桜姫。迎えにきたよ」














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