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おかしな短編

河童の皿

作者:井川林檎
洗面器よりもフライパンよりも、お皿が似合う。
河童には。
 妹のみいこは2歳で、なにを覚えているのか、それとも全部忘れてしまっているのか、とんと分からない。

 みいこは片言で色々と喋るようになって、何を言っているか分からないことが多いけれど、時々びっくりする位、はっきりと物を言う。実は全部わかっていて、しっかり覚えていて、知らないふりをしているだけじゃないのかって思うこともある。
 だから、今回のお皿事件についても、もしかしたら時間がたってから、突然口にするかもしれない。

 

 「四枚セットだったのに。なんで一枚ないんだろ」

 ママは、まだぐずぐず棚を探している。
 一方、パパはネクタイをしめて、今にも出かけようとしていた。もう出勤の時間だもの。
 わたしたちも忙しい。
 わたしとみいこは隣同士に座って、黙々と朝ごはんを食べている。いちごジャムを塗ったパンを、みいこはむしゃむしゃと食べる。牛乳も一緒に飲めばいいのに。

 「ねーっ、あんたたち、割って隠してない」
 と、ママが疑いの目を向けて来た。
 うさぎの平皿のセットは、ママのお気に入りだったもんな。大した値段ではないのは知っている。安物買いのママが、ほくほくと中古の雑貨屋で買いこんできた日の事を、わたしはちゃんと覚えているんだ。

 「おちゃら。うさちゃんのおちゃら」
 と、一瞬、みいこは何かを言いたそうにしたが、その時テレビで朝のアニメが始まった。みいこの興味は全てを置き去りに、テレビに集中した。
 ほうら、半分ほど食べたパンを放置して、歌に合わせて体を揺らしている。

 ママは失われた皿への未練を断ち切れないようだったけれど、パパが会社に行ってしまい、時間も刻々と迫ってきているので、それ以上言うことはなかった。早く食べなさいよとわたしたちに言うと、自分は着替えに行ってしまった。

 わたしはパンをかじりながら、妹の横顔を眺める。
 無心でテレビを見ている。口を半開きにして、「今」に夢中だ。
 (きっと、忘れてしまっているんだろうな)
 仮に、ほんのちょっと前、うさぎのお皿のことについて思い出しかけていたとしても、大好きな朝アニメを見てしまったら、食べかけの朝ごはんのことすら忘れてしまうんだ。

 (大丈夫だ)
 と、わたしは思う事にする。

 昨日あったことを、みいこがべらべらと大人に喋ることはないだろう。
 それに、もしなにかのはずみで思い出したとしても、あんな片言では、何を言っているか通じないのに違いない。

 (約束したもんな……)
 わたしは、昨日見たあの風景を思い出した。
 あの、ぽっかり開いた脳天の穴から覗けた、あれを。
 吸い込まれそうになって、大慌てでお皿を乗せたんだよ。



 昨日はお休みで、だけどパパもママも用事でお出かけして、わたしとみいこはお家で留守番をしていた。
 お風呂場で音がしたから二人で見に行ったら、河童が途方に暮れた顔をして、タイルの上に突っ立っていたのだった。

 黄緑色の痩せっぽっちの体で、情けない顔をして、甲羅を背負って立っている彼は、やっぱりどう見ても河童なのだった。
 アニメで河童を見たことがあるみいこは、風呂場の暗がりで立っている彼を見て、すぐに「かっぱさん」と言い当てた。
 全く怯えず、この事態に疑問を抱かずに、妹は無邪気に指をさし、笑ったのだった。

 泥棒かと思ってフライパンを握りしめていたわたしは、相手の頼りない様子に拍子抜けした。ここで何をしているんだと問い詰めると、河童は見る見るうちに泣きそうな顔になった。

 「この家がここに建つ前から、この辺は俺のテリトリー。裏手に用水があるだろ。あれが俺の通路」
 そう言うのだった。

 つうろってなに、と、みいこは言った。
 通り道のことだよと教えてやってから、はあんとわたしは納得する。

 なるほど。
 幽霊が出る場所とか、霊の通り道があると言われているもんな。河童の出る場所には河童の通り道があるんだろう。
 確かにうちの裏手には、田んぼの用水が――というか、ドブみたいなもんだけど――あるのだった。
 あれが通路なら、なるほど、河童はこの界隈は、だいたいどこでも出没できそうだよ。

 それにしても、暗い風呂場のタイルに突っ立っているそいつは、何か恰好がつかないのだった。
 ちょうどわたしと同じくらいの背丈の河童なのだが、どこか変だ。よく見ると、頭の上に洗面器を乗せているのだった。

 ピンクの洗面器が、頭の上に乗っている。
 どう見ても、変だ。

 河童は自分が変なことを分かっている様子で、わたしの視線にいちいち怯えた。まじまじと見れば見るほど泣きそうな顔をする。
 みいこが、くらーい、と不服を訴えたので、わたしは風呂場の電気をつけた。
 パッと明るくなり、とたんに河童はヒイイと変な泣き声を上げたのだった。

 「ああっ、見ないでっ。見るなー、見るなー」
 と、こっち側に甲羅を向けて、貧相な尻を丸出しにして体を丸めてしまった。
 結構激しい動きなのに、洗面器はびくともせずに、頭に乗っている。接着剤でもついているのだろうかと思った。

 「洗面器を返せ」
 と、わたしは言い、みいこもオウムのように「ちぇんめんきをかえちぇ」と言った。
 かえちぇー、かえちぇーと、お祭りのようにはしゃぎまわっているみいこは無視し、わたしは床にフライパンを置いた。靴下をぬいで風呂場のタイルに足を踏み込むと、ぶるぶる震えて怯えている黄緑色の彼の頭に手を伸ばした。

 がっつりとピンクの洗面器をつかむと、取り上げようとした。ところが、全然、びくともしない。
 「ああっ、止めてっ。止めて―、止めて―」
 と、洗面器泥棒のくせに、被害者みたいな泣き声で河童は叫んだ。

 そっちこそ洗面器を返せとわたしは言ってやった。
 くそ、本当に取れない。河童の頭に乗った洗面器は、まるで吸い付いているみたいに取れないのだ。
 (洗面器がないと、いろいろ不便だな)
 わたしは今夜の風呂の事を考えた。

 風呂場のあかりの下で、黄緑色のやせっぽっちの河童は、実に惨めに見えた。
 本来、皿があるべき場所に、うちの洗面器が(しかもピンクが)乗っている。黄緑色とピンク色。なんというか、見た目が気持ち悪いのだった。

 「あー、だめだ取れない」
 河童の頭から洗面器が離れない。困ったわたしは、外出中のママに電話をしようと思った。
 すると、こっちの考えを読み取ったように、今まで丸まっていた河童が立ち上がって、血相をかえて詰め寄ってきたのだった。

 「やめっ、だめっ、いやん」
 と、河童は混乱したように言い続け、血走った目ん玉を見開き、はあはあぜえぜえ言いながら、一歩踏み出した。
 わたしはフライパンを拾い上げると構え、それ以上近寄ったらぶったたくと叫んでやった。

 学校の通学路で、変なおじさんが出たことがあったんだよ。
 クラスメイトの佐々木さんが遭遇したみたいで、みんなに喋りまくっていた。
 「うへへへ、お嬢ちゃん見てごらんって言って気持ち悪いの。あれが痴漢ってやつね」
 大人の階段上ったみたいな得意顔で言ってたな。佐々木さんは、その痴漢の顔を手提げバックでビンタして、ぎゃあぎゃあ叫びながら走って逃げたらしい。

 佐々木さんにならうつもりで、わたしはフライパンを構えたのだった。
 目ん玉ひんむいて息を荒くしている黄緑色だよ。これが痴漢じゃなくて一体なんだ。

 「痴漢とかじゃないから。河童だから」
 と、またこっちの考えを読んだように彼は言い、必死の形相で怒涛のように叫んだのだった。
 「皿をなくした。見つかるまで貸してくれ。なくしたままじゃ、えらいことになるんだよ。あんたらに見られることも想定外だった。絶対俺のこと人に言うなよ。言ったら最後、あんたたちをこの中に吸い込んじまうからな」

 「この中に」というところで、河童はひょいひょいと、洗面器の乗った脳天を指さすのだった。
 わたしが変な顔をしてみせると、河童は焦ったように視線をうろたえさせた。どうやって、わたしに理解させようかと思い悩んでいるかのようだ。
 河童は思い切ったように、両手を頭の洗面器にやった。
 すぽんと、便器掃除のスッポンみたいな音をたてて洗面器は取れ、丸裸になった頭を、河童はがくんと下げたのだった。

 スライディング土下座されたみたいな状態だ。
 河童はタイルの上にはいつくばり、脳天をこちらに向けたまま、ちょいちょいと手招きした。
 「30秒持たないから早くしてえっ」
 と、やかましく叫ぶので、覗き込んでみた。
 脳天に穴があいており、そのから見た絶景に、わたしは息を飲んだのだった。
 「なんだこれ……」

 はいっ、限界っ。
 そう言って、河童は大慌てでタイルの上をまさぐると、手に掴んだものを凄い勢いで脳天に乗せて、穴をふさいだのだった。
 わたしはあっと言った。
 こともあろうに、河童は今度は洗面器ではなく、わたしが床に置いたフライパンを頭に乗せやがったのだった。

 フライパンの柄の部分が、ちょんまげみたいに前に突き出しているじゃないか。危ない。


 「この穴をふさいでいないと、何でもかんでもこの中に吸い込んでしまうんだよ」
 河童は、やっと落ち着いたようだった。血走った眼はそのままだったが、さっきのように息を荒くして詰め寄ってくることはない。たぶん、もともと目が充血しているんだろう、河童は。
 「気合を入れている間だけ、吸引力がおさまって、穴を覗くことができるんだよ。だけど、気を抜いたら吸い込んじまうし、一度この中に吸い込まれたら、二度と戻ってこれないからっ」
 ごく普通の様子で彼は言った。頭がフライパンだったが。

 ちょんまげー、と、みいこが指さしてはしゃいでいる。ぴょんぴょん飛び跳ねて、今にも風呂場に入ってきそうだ。
 めっ、と雷を落として牽制してから、わたしは再び河童に向き直った。
 要は、今までその変な穴を隠していた皿をなくしてしまったから、何でもいいから代わりのものが必要だと。
 それで、うちの洗面器を頭に乗せて応急処置をしたのだが、たまたま、その瞬間をわたしたちに見られてしまったということか。

 「言うなよー、俺のこと誰にも言うなよー」
 言ったら、穴の中に吸い込んじまうからなーと、さっきまで洗面器泥棒だった、今はフライパン泥棒の河童は言うのだった。
 泥棒に加えて脅迫か。
 なんて黄緑色野郎だ。

 「せめてさー、フライパンじゃないものと取り換えてよ」
 わたしは言ってみた。
 フライパンがなくなってしまっても色々と困るんだよ。だいいち、そのフライパンはママのお気に入りなんだ。
 先月買ったばかりの、油をひかなくても卵がやける奴なんだよ。なくなっていることに気づいたら、ママは大騒ぎするだろうな。

 「おちゃら、おちゃらー」
 みいこが一生懸命に言っている。
 河童には皿だと言いたいのだろう。
 二歳児の目から見ても、フライパンを頭に乗せた河童は変なのだった。

 「でもなー、その大きさの穴をふさぐ皿って……」

 わたしは考え込んだ。結構大きい穴なんだよ。
 あんまり良いお皿を渡しても、ママが騒ぐだろうし。
 河童は、皿があるならぜひともそっちの方がいいと言い始めている。頭を動かすたびに、フライパンの柄も動いて、なにかにぶつかりそうで危なっかしいのだ。
 (こんなもん頭にのっけて、あの狭いドブ……じゃなくて用水路を通り抜けることはできないだろうなあ)

 たたっとみいこは走ってゆき、またたたっと戻ってきた。
 目をきらきら輝かせ、皿を一枚握りしめている。妙にはっきりした口調で喋った。
 「さらさらっ、おさらさらっ。ねーちゃん、これっ」
 と、差し出したのが、うさぎの柄が描いてある、安物の大皿だった。
 四枚一組の皿だが、高いもんじゃないし、この際これでいいやと思った。

 それに、もうずいぶん時間がたっている。
 今にもパパとママが帰って来るかもしれない。
 (見られた瞬間に、この黄緑色野郎が自棄を起こして、頭の穴をこっちに向けて掃除機みたいに何でもかんでも吸い込み始めるかもしれない……)
 ぞっとした。
 あの、穴からみえた絶景は、また、とんでもないものだったから。

 河童はうさぎの皿を見ると「ぱあっ」と表情を輝かせ、いきなりわたしの手からふんだくった。
 そして、フライパンをすっぽんと取ると、かわりにそのお皿を頭に乗せたのだった。
 吸い付くようにうさぎの皿は河童の頭におさまり、とりあえず格好はついたようだ。やっぱり、洗面器よりもフライパンよりも、河童にはお皿が似合うのだった。

 「俺の皿が見つかったら返しにくるから。約束は守るからっ」
 河童はまた、血走った目玉を剥きだして、くわっとわたしに詰め寄ってきた。寄るんじゃないよ、妖怪め。
 「だからっ、おまえらも約束は守れよ。言うなよー、俺のこと言うなよー」

 言うなー言うなー。
 こだまのように、彼の声は風呂場で反響した。
 河童はそのまま、床の給水口に、まるでスライムみたいに「にゅるん」と流れ込んだ。どういう魔法が働いたものか、頭に乗せたうさぎの皿も、割れたりしないで、一緒ににゅるにゅると消え去ってしまったようだ。
 なにごともなかったかのように、無人の風呂場が目の前にある。
 足元にはフライパンと洗面器が転がっていた。

 河童は頭の皿から花を咲かせているべきだと思い込んでいる妹が、テーブルの花瓶からチューリップを抜き取って「おはなーおはなー」と戻ってきた。
 そして、「あれ、かっぱがいない」と、きょとんとした。

 パパとママが帰ってきたのは、ちょうどその時だった。



 なくなったうさぎの皿は、ママもそのうち諦めて忘れるだろう。
 その後、ママがうさぎの皿の事を口にする回数は減った。
 もともと滅多に使う事がない皿なのだ。四つ揃っていなくても差し障りはない。

 ただ、わたしは時々、どきりとする。
 アニメで河童の姿が出てきて、みいこがそれを見る時。
 河童が出てくる絵本を、みいこが持ってきた時。

 (あのこと言うなよ)

 祈るような気持で、妹を見守るのだった。

 みいこは、あの出来事を覚えているのやら、綺麗に忘れてしまっているのやら、分からない。
 にこにこと、いつもと同じように笑いながら、時々とんでもないやんちゃなことをしでかす。その度にママが悲鳴をあげ、もう、みいちゃんをちゃんと見ててよと、何故かわたしが叱られるのだった。


 (みいこ、あのこと絶対に言うなよ……)

 河童との約束を破って、あのことを誰かに喋ってみろ。穴に吸い込まれてしまうんだ。
 あの穴に吸い込まれてしまったら、大変なことになる。

 河童の頭にぽっかりと開いたあの穴からは、理科の教科書で見たまんまの、銀河系やらアンドロメダ星雲やらが見えており、こうこうと今にもそこに、何でも吸い込んでしまいそうだったのだ。

 皿。河童の皿よ。
 広大な宇宙空間と、この現実の世界をきっちりと分けている、大事なお皿だったんだ。あの皿は。
 不思議なのは、どうやったら、頭の皿を紛失することができるのかということだが、今となっては知る由もない。

 さらさら、お皿。河童の、おさら。 
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《さらさらな話》
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