教室の窓を、キャンディーが無邪気に叩いていた。遊んでほしいのだろう。
マリー先生は中指で眼鏡を押し上げて、いつもの神経質そうな顔をした。
「おわかりね、みなさん。私たちは、必要にかられて、キャンディーを使役しているのです」
当のキャンディーを無視して、マリー先生は歴史の授業を続ける。本当は理科なのだが、マリー先生はよくこの手の脱線をするのだ。
「私たちが住む惑星イロルの諸生命は、我々人類とはまったく異なる遺伝体系をもっています。特に気をつけなければならないのは、多くの生物が私たちにとって食用として受け付けられないものであるということです。毒性はありませんが、私たちの消化酵素では分解されません。また、私たちが母星から持ち込んだ植物もこの惑星の土壌では育ちませんでした。つまり、この惑星への移民はかなり難儀である、という結論がいち早く出されたのです」
中学校の理科じゃ、もちろん遺伝子の話なんてさわり程度しか習わない。消化酵素がどうのなんて、さっぱりだ。でも、マリー先生の話はなぜか、聞いていると面白い。
この前、恋愛について話していたマリー先生は面白かった。最近彼氏と別れたらしく、自分を裏切った恋人の話をした後で、男は遺伝学的にも浮気する生き物なのです、と鼻息を荒くしていた。
クラスの女子に泣きはじめる奴まで出て、ちょっとした騒ぎになった。校長先生にさんざんしぼられたみたいなのに、先生の脱線癖は治らなかった。
「私たちがキャンディーを見つけたこと、いいえ、彼らと出会ったことは、まさに、遥か彼方の母星から星星の海を越えて届いた、大いなる主のお導きでした。愛すべき準知性生物であるキャンディーは、私たちが摂取不可能な生物たちを分解し、私たちに恩恵ある栄養分として再構成するという性質をもっていたのです」
そう話しながらマリー先生は窓際へ歩いていき、窓を開けて、教室を覗いているキャンディーに挨拶した。
「ごめんなさいね、今はダメなの。お昼休みになったらみんなが遊んであげるでしょうから、それまでお待ちなさいね」
白い肌のキャンディーは大きなまん丸の黒目をパチクリさせて、うんうんと肯いた。キャンディーはよく理解していないとき、ごまかすようにこういうしぐさをする。
キャンディーは窓の縁を可愛らしい小さな手でつかみ、頭を上げたり下げたりして、キャッキャと笑った。
キャンディーは人間の幼児のような体のバランスと大きさで、顔つきは、鼻こそないものの、二つの大きな目と口の位置は人間と同じだった。
頭髪はなく、頭の上には宝石のように綺麗な玉が乗っている。大きさや色はそれぞれのキャンディーによって違うのだが、このキャンディーは野球ボールぐらいの黄色い玉だ。
特徴的なのは耳で、まるで地球の蝶々の羽のような形をしている。人間の大人が目いっぱい広げた手ぐらいに大きい。この耳はときおり発光し、頭の上に乗せた宝石と同じ色に輝くのだった。
「だめよ」
マリー先生がキャンディーの両手を優しくつかんで外に降ろすと、キャンディーは悲しそうにきゅいきゅいと鳴いた。ようやくわかったらしい。校庭のほうへ走っていく。
「私たちは、この惑星にいる親友を大切にしなければなりません」
窓を閉めて教壇へ戻りながら、マリー先生の声には、さっきキャンディーにかけていた柔らかい声とは打って変わって、硬い緊張感が込められていった。
「愛さなくてはいけません」
マリー先生の話がこれからどう展開するか予測がついたので、僕は少し憂鬱になった。
僕は授業が終わるまで耳を塞いで、外で仲間と遊んでいるキャンディーたちを眺めていた。
帰宅一番、僕はいつものように勉強のことは後回しにして、図書室から借りてきた分厚い本を開き、ベッドに横たわった。
『我が友キャンディー』。マリー先生の推薦図書だった。
『序文』より抜粋
愛すべき我らが親友、キャンディー。
この本を手にとった諸兄には、この言葉だけ残ればいいと思う。
彼らは我々に多くのものを与えてくれる。対して我々が彼らに与えてやれるものは、実にささいなものでしかない。
彼らはほとんど我々に捕らえられ、利用されているというのに、笑顔を絶やさない。
彼らは何者にも敵対しない。信頼しつづけることが彼らの遺伝的性質であり、生存の術となっている。
愛を理解する知性があるというのに、他者を疑うということを知らない。それは愚かなことだろうか。いいや、気高いものである。
愛すべき我らが親友、キャンディー。
人間の誰も、彼らのようにはなれない。
二年半前、中学へ上がったとき、僕のところへキャンディーが送られてきた。
誰もがこの時期から、キャンディーの世話をすることを義務付けられている。
キャンディーを立派に育てられてはじめて、一人前の大人と認められる。それによって与えられるライセンスが僕に許可する数々の権利はどれもこれも、本当に魅力的なものばかりだ。
学術都市への居住権、Cレベルのネットアクセス権、地球への航行パスポート発行、エアカーの免許取得権、などなど。
これで大人になれる。僕はドキドキした。
睡眠ケースの扉を開くと、頭の上に玉が乗っていないキャンディーが体を起こした。
大きな目を開いたキャンディーに、僕は緊張ぎみに挨拶した。
「お、おはよう。……はじめまして、キャンディー。僕は、ケイタ」
大きなまん丸の黒目をぱちくりさせて、キャンディーは僕の顔の形を確認するようになでまわした。
「きゃい」
キャンディーが満面の笑みを見せると、頭の上に針のようなものが突き出て、輝きはじめた。光の糸が何本も針から飛び出してきて、それはみるみる黄緑の綺麗な玉を形どり、固まった。
僕を友達だと認めてくれたのだ。信頼すべきものだと。
振り返ると、お父さんとお母さんが、嬉しそうに笑顔でうなずいてくれた。
僕も嬉しかった。
これで大人になれるんだ。
『二章・キャンディーの生態1・食物について』より抜粋
キャンディーは惑星イロルの大半を占める半炭素生物であり、その構造は地球生命とは比較にならないほど複雑かつ珍妙である。
惑星イロルの生命は他生物を食すように進化はしていない。むしろ、食されないように進化している。
彼らを分解吸収しうるものは、二万年ほど前まではバクテリア以外になかった。このバクテリアは多様な種があるが、POPと総称されている。
これによりこの惑星の生命の動きは一様に鈍重で、多くは植物のようなものであった。
バクテリアPOPを体内に取り込むことに成功したキャンディー系種の登場はまさに、惑星イロルの全生物にとって青天の霹靂であっただろう。
キャンディーは人類の耳に当たる器官に高度なエネルギー交換細胞を有している。この大きな耳は水と二酸化炭素、そして太陽光によって生命活動に十分なエネルギーを生み出す。これは地球植物の光合成とは似て非なる反応様式である。※P118・12行参照
また、他の多くの生物のように地中の二酸化珪素を食すことによって各種身体器官を形成している。
だがキャンディーは他に、さまざまな生物を経口摂取する。これは、キャンディーの頭上に乗っている象徴的な宝石を形成するためである。これは多糖系球体神経網と呼ばれる。
人類の惑星イロル入植以前、キャンディーの頭上の多糖系球体神経網は、主に特定の状況下で、不要となった知識を捨て去るために使われていたと推測される。
部分的に炭化珪素で形成された頭蓋の強固な防壁によって厳重に守られているキャンディーの脳の最中心に、人間でいうところの脳幹がある。そこから頭の上にまで伸縮する針のようなものが、神秘的な光彩神経である。
この針によってキャンディーの頭上に形作られる綺麗な宝石は、擬似多糖類の重合体で作られた、キャンディーの脳でのみ解読可能な高度な情報集積体となっている。
ここには生命活動に不要な知識、つまり呼吸や筋肉運動、循環系の制御など、生命維持に関わるもの以外の情報が収められている。
例えば、思い出などがそれにあたるだろう。
法律で、キャンディーには名前をつけてはいけないことになっている。
キャンディーたちは愛すべき親友たちだが、一人のキャンディーを愛しすぎてはいけないからだ。
でも、僕は名前をつけていた。違法じゃない。なぜなら、僕がつけた名前は『キャンディー』。種族名じゃない。僕がつけた、僕だけの名前だ。たまたま同じ音が、こいつの種族名なだけさ。そう思えば、特別なものに思えてくるから。
僕の家に訪れたキャンディーはすぐに、家族のようになった。僕は一人っ子だったので、弟ができたみたいで嬉しかった。いや、見た目の可愛らしさや声の高さからして、妹だろうか。キャンディーには性別がないらしい。生まれてすぐに、なくなるそうだ。
「キータ、キータ」
ケイタだ。ケイタだよ。何度言ったらわかる。この、この……、可愛い奴め。
キャンディーは勉強中の僕をよく邪魔した。フォログラムの格闘ゲームが好きで、最初は僕の連戦連勝だったのに、すぐに要領をつかんで、勝てなくなった。
「きゃっきゃ」
キャンディーが笑うたび、蝶の羽のような耳が黄緑に輝く。そして注意深く頭の上の宝石を見れば、ほんの少しだけ大きくなったのがわかる。
キャンディーの笑顔と綺麗な宝石の輝きは僕の心を穏かにする。ゲームで打ち負かされても、いつだって後味は悪くなかった。
こいつの綺麗な宝石が立派に成長したとき、僕は大人になるんだ。
『四章・キャンディーの至宝』より抜粋
親愛なるキャンディー。我々は彼らの起こした奇跡に感謝する。
キャンディーの頭の上の美しい宝玉は、我々の合成食品にとってなくてはならない原材料である。
多糖系球体神経網と呼ばれるキャンディーの至宝は、そのままでは非消化性である。また、名前からこの球体を多糖類だと勘違いする人が少なくないが、これはまったく異なる。この球体を厳密に定義しえる言葉は、我々の辞書には存在しなかったのだ。
キャンディーの宝石は超低圧下での水と二酸化炭素との段階的な化学反応を経て、元の体積の数千倍のタンパク質、炭水化物、脂肪、ビタミン、ミネラルといった、人間にとってのあらゆる栄養素と化すことが可能である。
この合成手法を可能にしたキャンディーの至宝の生成過程については未だ明かされていない。その魔術的な化学組成は、まさに奇跡の産物である。
この謎が解き明かされれば、銀河地球星系にキャンディーの名は大きく轟き、その名声は半永久的なものになるだろう。
そして何より、我々の悲しみもなくなるのだ。
キャンディーが我が家に訪れてから二年が過ぎた、夏休みだった。僕は課題の植物収集をかねて、家族と山へキャンプへ行った。もちろん、キャンディーも一緒だ。
僕とキャンディーはテントの設営をお父さんに押し付けて、森を散策しにいった。
惑星イロルには危険な野生生物などいない。不用意に草花を口に入れたりしなければ、安全な森だ。
「はぐはぐ、はぐはぐ」
キャンディーは手当たり次第に草花や昆虫を食べていた。キャンディーは僕らと違って、ほとんどのものを口にしてかまわないのだ。土だって食べられるぐらいなんだから。
キャンディーがキノコのような形をしたものを僕に差し出した。笑顔で、あげる、と言っている。
食べろと言っているのだろうか。それとも、綺麗な色をしているから、花を贈るようなつもりでいるのだろうか。とにかく僕は、ありがとう、と言って苦笑いした。
キャンディーは、きゃは、と笑ってから、今度は大きな木に登りはじめた。巻きついているツタを伝って素早く高い枝まで辿り着くと、
「ひゃーい、ひゃーい」
と楽しそうに声を鳴らして手を振る。
「すげー!」
とても真似できない。体が軽いとはいえ、抜群の運動神経である。
褒められたのが嬉しかったのか、キャンディーはさらに高いところへ登っていく。
僕は少し不安になりながらその様子を眺めた。もう下りてこい、と言ったが、聞こえないようだ。
落ちたらどうしよう。僕はだんだん怖くなりながら、ずんずん登っていくキャンディーが視界の外へいかないように手の平を目の上にかかげ、大木からゆっくりと後退した。
落ちたのは僕だった。
「うわあっ!」
植物たちに囲まれて暗いのもあって、まったく気がつかなかった。大きな草の葉に隠れて、僕の足元に崖が迫っていたのだ。
反射的に周りの植物や岩壁をつかもうとしたが落下の勢いで上手くいかず、僕は絶叫を上げながら滑り落ち、小さく突き出た岩に尻を叩きつけたところでようやく止まった。
安堵よりも先に、めちゃくちゃに痛い尻で頭がいっぱいになった。骨が折れたかもしれない。だが、そう思ったのも束の間、先に折れたのは、僕を支えていた岩のほうだった。
瞬時に押し寄せた恐怖は尻の痛みをふっ飛ばし、足元から頭までを電撃のようにしびれさせた。
僕は岩に爪を立てた。無理だ。落ちる。そう思ったとき、太いツルが流れ落ちてきた。無我夢中でそれをつかむ。助かった。
「きゅーっ! きゅーっ!」
頭の上で高い声を上げていたのは、他ならぬキャンディーだった。僕にツルを投げてよこしてくれたのだ。
キャンディーは小さな手に懸命に力を入れて、今まで見たこともないような必死の形相をしていた。
無理もない。自身の四倍はある体重の僕と、太いツルの重みを引っ張っているのだ。
「キャイ!」
キャンディーの体が倒れたように見えた。上半身が僕のほうへ引き寄せられている。ずる、ずる、とツルが下がってくる。僕は下を見た。崖下までは、学校の屋上からよりも高い。
「キャンディ……」
僕の声は情けないほど震えていた。
ふいに、雨粒のようなものが顔に当たった。僕は青い筋が白いツルを伝ってくるのに気づいた。キャンディーの血だ。硬いツルを握っているキャンディーの小さな手は、もう限界なのだ。
このままではキャンディーも落ちてしまう。
「キャンディ! どこかへ巻きつけろ! お前まで落っこちるぞ!」
言ってみてわかった。そんな力はもうキャンディーには残っていない。
僕がこの手を、離すしか……
「キィイイイイイッ!」
キャンディーは僕に向かってこれまで聞いたこともないような大きく高い声で叫び、左右に首を振った。
「お前……」
聞いたことがある。キャンディーには人の心を読む力があるって。
キャンディーは無理やりとも思える笑顔を作って、うんうんとうなずいた。
か弱いキャンディーの手は血で真っ青に染まっている。もう肩だって限界のはずだ。
「離せ! もうやめろ!」
僕からは離せなかった。キャンディーは笑顔こそ消えたものの、僕に向かってうなずきつづけている。
僕は忘れていた。こいつは僕らと違って大バカなんだ。よくわかっていないとき、キャンディーはこうするのだ。
「ごめん、キャンディー……」
「キィイイイイイイイーッ!」
キャンディーの大絶叫と共に、僕が手を離しかけたツルがぐいと引っ張られた。
「大丈夫か!」
キャンディーの高い大声を聞いて駆けつけてくれた男の人は、誰だか知らないオジサンだった。
『最終章・キャンディーをどう思うべきか』より抜粋
もしも君がキャンディーをはじめて育てている少年少女だったら、きっと深刻な経験をすることになるだろう。
だがそれはけっして悲惨な思い出とはならない。いや、そうしてはいけないのだ。
君たちはキャンディーと共に大人になる。だから、悲しまないでほしい。
山奥の星空の下、僕はお父さんと肩を並べて焚き火にあたっていた。
キャンディーは疲れ果ててテントで眠っている。静かな夜だった。
「どうしてずっと一緒にいちゃダメなの?」
わかっているのに、僕はお父さんに訊くんだ。
お父さんは星空を見上げてゆっくりと間を置いてから、僕に顔を向けた。
「みんな、平等にそうしているんだ。そうしなくてはいけない」
わかってる。
誰かがそうしてくれたから、今、僕と家族は生きている。
今日食べたバーベキューだって、キャンディーの魔法の宝石からできているんだ。
僕だけが手を汚さないわけにはいけない。
そうだ、僕は、大人になるんだ。
『四章・キャンディーの至宝』より抜粋
キャンディーは信頼できる他者と出会ったとき、頭の上に宝石を形作る。キャンディーはこの者を信頼しつづけ、けっして裏切ることはない。
頭上の宝石は高度な記憶媒体である。キャンディーはここに生命維持とは関係のない情報を集積させる。ゆえにキャンディーはあらゆる経験をしていくにしたがって頭の上の宝玉を肥大化させていく。
これは一定容量を超えると成長が止まる。それ以後にキャンディーが得た情報は優先度の低いものから上書きされるか、情報がより洗練されるということが推測されている。
キャンディーが宝玉を完成させるのは、地球年にして二年半前後である。
基本的に簡単には外れないものだが、キャンディーの宝石を無理やり取り去ることは、その脳神経に多大な損傷を起こすきっかけとなる。
もっとも容易にその宝石を外す方法は、キャンディーの信頼を裏切ることである。
キャンディーが宝石を生み出すきっかけとなった者がキャンディーの心から離れるとき、同時に宝石が頭から離れる。
そしてキャンディーは裏切られたことを忘れ、記憶を白紙にし、再び宝玉を形成する。
どうやら本を読んだまま眠ってしまったらしい。
昔の思い出を夢で見たような気がする。
もう朝の九時を過ぎているが、日曜日だから気にすることはない。
憂鬱だし、部屋の外へは行きたくなかった。
朝からゲームをやっているキャンディーは無視だ。日曜日だからめいっぱい遊んでくれるだろうと思ってるんだろうが、残念だったな。
もう遊べなくなるんだよ。
この間の日曜日、遊園地行っただろ。あれが最後だったんだ。
そう、今日だ。
……僕が大人になる日だ。
「きゃいきゃいっ」
楽しそうだな。二年半で、お前にはもうどのゲームでもかなわなくなったよ。
キャンディーはベッドに飛び乗り、僕を引きずり出そうとした。
「やめろよ。気分じゃない」
僕を引っ張る二つの手のひら。すっかり治った傷跡がある。
「お前に助けられたときの夢を見たよ」
「きゅ?」
キャンディーは大きな黒い目をパチクリさせて、笑顔になり、うんうんとうなずいた。
わかってるよ。お前がよくわかってないってことは。
いや。
キャンディーは涙を流していた。どうしてだろう?
「お前……」
そういえば、心が読めるって迷信があったっけ。
お母さんとケンカしたとき、お父さんに怒られたとき、友達ともめたとき、失恋したとき、何だかやる気がなかったとき、何にもわかってないはずのお前が、ただそばで笑顔でうなずいてくれたな。
あれってけっこうなごむんだぜ。今もしてくれてるけどな。
「ケイター! 下りてきなさい! 局員さんがいらっしゃったわよ!」
行きたくないよ。気分じゃない。
そんな目で笑うなよ。うなずくなよ。ほんとはわかってないくせに。
どうしてなんだろうな。大人になりたいのに。
僕らは、何かを犠牲にしなけりゃ生きていけない。地球じゃ、生き物を殺して食うんだぜ。それに比べりゃ、たいしたことじゃないだろう。
どうしてこんなに嫌なんだろう。大人になりたくないんだろう。
悲しいよ。世の中は悲しい。どうして生きなきゃいけないんだ。
大切な友達を、なくしてまで。
キャンディー、お前は命懸けで僕を助けてくれた。
なのに。
さっきまでしつこく叫んでいたお母さんの声は、もう聞こえなくなった。
僕に任されたのだ。だから、僕は出ていった。
外の道に停められたエアカーは、キャンディーの移送専用のものだった。
後ろは両開きの頑丈なドアで、これに入ったらいかに見た目以上の力持ちで身軽なキャンディーといえど、抜け出すことはできない。
「きゃっきゃ」
キャンディーは楽しげだった。デパートにでも出かけるんだろうと思っているのかもしれない。でも僕の浮かない表情を見ては、目をパチクリさせている。
背広姿の局員さんが後ろのドアを開けた。僕は崖に落っこちたときのように急激な恐怖を覚えた。
すいません、明日にしてくれませんか? そんな冗談みたいな言葉が出かかる。
局員さんはキャンディーを導きもしなかった。僕の役目なのだ。試練だ。
僕はキャンディーの小さな肩をつかみ、普段は恥ずかしくて家の中でだってしたことないのに、キャンディーを抱きしめた。
「きゅ」
ブービークッションみたいに、キャンディーがか弱い声を漏らす。
「大好きだよ」
こんな恥ずかしいことは言わない奴のはずなのに。ちくしょう。
キャンディーとずっと一緒にいたいと思うこの気持ちは、キャンディーのためなのか。それとも、自分のためなのか。
大人になんかなりたくない。でも。
僕はキャンディーの背中を優しく押して、エアカーに乗せた。
僕らは……、僕は、生きなきゃいけない。
キャンディーはぎゃあぎゃあ泣き出した。わかっているんだろう。
生きるためには。
僕は扉を閉めた。キャンディーのわめき声が聞こえなくなる。
頭を扉にぶつけて、耳を押しつける。何にも聞こえない。
振り返ると、家の前でお父さんとお母さんが、渋い顔で微笑んでいた。
僕がどんな顔をしているかは、想像したくない。
さよなら。
ありがとう。
最高の親友、キャンディー。
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