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歴史小説

憤怒海 분노 바다

作者:赤城康彦
 それは、海を埋めるかのような大船団であった。
 大小様々な船が入り乱れながらも、整然と隊列を組み。
 旗をなびかせ、波を蹴り。
 刃は陽光に照らされて閃き。
 獣のごとき咆哮、海より陸に迫りて。
 閃く刃は、血の雨を降らす。

 日本を統一した豊臣秀吉は、燃え盛る野心を抑えられず。
 世界の大王となるべく戦火を日本から大陸へとうつした。
 その第一歩に、朝鮮半島に上陸し。
 防衛線を次々と突破し、北へ北へと進軍する。
 これに驚いた李氏朝鮮の時の王・宣祖ソンジョは都・漢陽ハニャンを捨て、鴨緑江アムノッカンに面した国境近くの義州ウィジュにまで身を避け、明に助けを求めた。
 時の皇帝・万暦帝はこれに応えて援軍を派遣。
 以後、長きにわたる戦争が繰り広げられた。――

 時は経ち、明・朝鮮連合軍は苦戦しながらもよく戦い、日本軍を半島の端まで、海に逃げるしかないところまで追い込んだ。
 日本といえば、大王の夢を抱く豊臣秀吉が死去し。重臣・石田三成は撤退の命令を出した。

「やっと帰れるがか。しょうほんまに、こんな馬鹿馬鹿しい戦らあやれんかったが。もうほんまに、くだらんかったねやこの戦は!」
 故郷の土佐弁丸出しでそう叫んだのは土佐の長宗我部盛親という若者であった。 背丈は高く、岩盤をかみ砕きそうな強い面持ちをし。太い眉がつながって。帷幕にあって策を巡らせるよりも、戦場で槍・太刀を振るうのが似合う男である。
 そばでは、父であり土佐太守の元親はといえば、「ふわあ」とあくびをし。
 朝鮮にゆく途中、病で死んだ弟の香宗我部親泰を偲びながら。
「鰹が食いたい」
 と、つぶやいた。
 盛親は、年を取りやや耄碌したかと思わせる父を眺めながら、家来に命じて撤退の支度をさせれば。
 皆喜んで支度をし、なかには、
「よっちょれ、よっちょれ♪」
 などと、土佐人が祭りで興奮したときに口にする拍子を口ずさむ者まであった。
 やっと帰れる。そんな喜びがところどころで弾けている。
 盛親は「ふう」とため息をついた。次期土佐太守という身であれば、ため息などつくものではないが。
 つかずにはおれなかった。
「おれらあは昔、四国を荒らして。阿波、讃岐、伊予から恨まれちょって。今度は朝鮮から恨まれて。恨まれてばっかりじゃいか。面白うない」
 すぐ目の前は海という、浜辺に陣取り。明・朝鮮連合軍と対峙しながら。こんな馬鹿げた戦はいつ終わるのかと。天すら恨む気持ちで、日を数えるのも面倒くさく感じられていた。

 最初こそ有利な展開で戦いを進められたが、次第に雲行きは怪しくなり。一旦は休戦したものの、また戦争は再開されて。
 次こそはと思うものの。最初のようにはいかず。ろくに前に進めなかった。
 かと言って、豊臣秀吉は帰らせてくれない。噂では重臣の石田三成が秀吉を煽って、出兵した将兵にはっぱをかけさせたと聞く。
 進むも退くもならず。日本軍将兵の士気は下がり、不満が積もる一方であった。

 それだけに、撤退命令が出たときは、久しぶりに人として素直に感情を出した。
「ははは。盛親殿はお若いのう。よくとおる声で怒っておるわい」
 言いながら寄ってきた壮年の武将は藤堂高虎なる者であった。
 その昔、藤堂高虎と父は戦で敵味方として戦っているが。それも昔のことである。多分。
「おう、高虎殿」
 盛親は礼儀正しく一礼をする。
「不満も積もっておろうが、ほどほどにせねばならぬよ」
「それはわかっておりますがな」
「こういう時は、帰ってからのことを考えるとよい」
「ほう、どのような」
「そうさな。帰国後、わしは伊予の今治に転封となる。そこに城でもつくろうかのうと」
「ほう、今治に」
「家来の岡田武之丞という者が今治ゆかりの者で助かっておる。で、盛親殿は?」
「そうですなあ」
 天を見上げ、海の向こうを見渡し。考えを巡らせる。
「昔土佐沖で遭難したポルトガルのサン・フェリペ号の乗員から、いろいろと聞いた。その中で、フトボルという、球を蹴る競技を教えてもらったが。土佐に帰ったら、そのフトボルをやりたいのう」
「ほうほう。フトボルはわしも聞いたことがあるが。今治の若者や海賊衆を集めて、土佐衆と試合をするのも面白いかもしれんなあ」
「それもこれも、帰れたらでござるなあ」
「若いのに現実的じゃな」
「土佐のいごっそうは下手な夢を見れんのでござるよ」
「こりゃ高虎、わしの愛しい息子にちょっかいを出すな!」
 ぷりぷりと怒りながら元親がやってくる。
 長男・信親を戦で亡くし、それから同腹の子である四男坊の盛親を溺愛することはなはだしかった。
 信親と盛親の間に子はふたりいるが、次男の親和は讃岐の香川氏の養子にいっていたのが土佐に帰ることになり、さらに信親を失った元親の心変わりのとばっちりをおおいに受けて、冷たくあしらわれて。
「讃岐に帰りたい、うどんを食いたい……」
 そう悲しくつぶやきながら、心の病から身も壊して、若くして亡くなる有様。
 三男の親忠はおとなしくしているが、心のどこかで、己の命が長くないことを悟っているようだった。
 ともあれ、高虎は「それでは」と自陣に帰り。元親は盛親にべたべたしながら、土佐軍の帰り支度の指揮をとっていた。

 帰り支度を喜々とするのは土佐軍のみならず、日本軍全体が喜々と帰り支度をしていた。
 それを見据える冷たい目。
 物陰に隠れて日本軍の様子を眺めて。ふっと笑って、その場を去った。
 翌朝、和暦にして慶長三年(1598年)の十一月十八日。日本軍の船団は帆を張り、櫂をこぎ、日本目指して海に出る。
 寒い冬の日である。吐く息も白くなる。しかし心は帰れるという希望に燃えていた。
 大小様々な島の間を、狭い海峡を抜けながらの航海であった。
 船の見張り台に立つ武士は、周囲を睨むように見据えて。敵の船が出ぬことを祈りに祈っていた。
 今のところ、怪しい船はない。
 狭い海峡は潮の流れが荒く、渦すら巻かれて、さらに身を切るような冷たい風。操船が難しい。そこに、地の利を得ている朝鮮の船団が現れればひとたまりもない。
 このまま、狭い海峡を抜け、大海原へ出られれば。あとは日本へ一直線だ。

将軍サングン! 日本軍が近づいてまいります!」
 波を蹴る船の、船橋にて。将軍と呼ばれた武将は、うむと頷く。
 島嶼部を抜ける海峡部分にて、日本軍の船団が渦を避け、波を蹴って進む。
「明や朝鮮の水軍はおらんようだな」
「ああ、李舜臣イ・スンシンの船団がどっかへ行っちまったおかげだな」
「明との連携がうまくとれておらず、でたらめな方向にわしらがいると勘違いしたそうじゃ」
「間抜けじゃのう」
「わっははははは!」
 もうすぐ海峡を抜けられるという安心からか、日本軍船団の中に気のゆるみがあるのは否めなかった。
「敵襲! 朝鮮水軍だあー!」
 見張り台の武士が絶叫する。
 見れば、島陰から朝鮮の水軍の船団が数え切れぬほど、姿を現したではないか。
「馬鹿な、なぜここにいる!」
 多くの者が驚き、戸惑う。
「でたらめな方向へ行ったというのは、嘘だったのか!」
 盛親は血を吐くほどに叫んだ。どうも朝鮮水軍、李舜臣の策にはまってしまったようだった。
 島陰から多くの船が姿を現したが。その中に、亀を思わせる丸い甲羅のようなものが乗っている船がある。
 その亀の甲羅の船から、くうを引き裂くような轟音がとどろきわたり。同時に日本軍の船が木っ端微塵に破裂するではないか。
亀甲船コブクソンを前へ!」
 船団を率いる将軍・李舜臣は叫んだ。
 船首には龍の首があしらわれて。背には鋼鉄の装甲の甲羅。まさに海を走る大きな亀のようであった。それだけなら愛嬌もあったが、この大きな亀の横っ腹には大砲が何門も積まれて。
 砲丸の嵐を巻き起こした。
 この亀甲船、史書によれば伝説の大王・世宗セジョンのひとつ前の大王・太宗テジョンの発案とされる。
 李舜臣はその有効性を認め、このたびの戦いに用いることになったのであった。
「撃て、撃って撃って、撃ちまくれ! 逃げようとも容赦はせん。侵略の恨みを、思い知らせてやれ!」
 十数隻ある亀甲船のひとつ、李舜臣水軍の旗艦とする亀甲船もずんずんと前に進み出て。波を蹴って、日本軍に迫る。
「応戦せよ!」
 やられっぱなしではないと、日本軍の船団も少ないが大砲に、鉄砲や矢を加えて応戦する。
 しかし、甲羅の厚い装甲には、砲丸はともかく矢や鉄砲は利かなかった。
「おのれ、亀甲船をつくれる職人がおれば……!」
 小西行長や脇坂安治は歯噛みする。
 亀甲船は早い段階で出てきて、大型船にふさわしい安定性は大砲を多く積め。さらに厚い装甲に守られて。攻守ともによくできた軍船であり。李舜臣は運用もたくみにして、亀甲船には散々苦しめられた。
 これが有利な展開を抑えて雲行きを怪しくして、一旦の休戦に至らせることになった。
 日本軍でもこれを重く見て。職人をとらえて、亀甲船をつくらせようとしたが。
「お前らに手を貸すくらいなら、死んでやる!」
「朝鮮万歳!」
 そう叫びながら、職人はつぎつぎと自決する有様にして。建造もままならず。結局亀甲船を手にすることはかなわなかった。 
「このまま異国の海に散るか……」
 キリシタンでもある小西行長は思わず十字を切った。
 そうしながらも、亀甲船はどんどん近づいてくる。
 その先頭の一隻に、立派な口ひげを蓄えた武将が見える。
 旗艦のようで大将にのみ許された龍の旗が掲げられて。分厚い装甲の甲羅に船橋が特別にこしらえられて。
 そこに、その武将がまっすぐこちらを見据えていた。
「い、李舜臣……!」
 水軍の総大将である。それが、一兵卒のように突っ込んでくるではないか。
「船をぶつけて、白兵戦に持ち込む気か!」
「李舜臣自らか!」
 ずうん、という強い衝撃が走る。船がぶつかったのだ。
 朝鮮の兵が、李舜臣が迫ってくる。そう身構えたが。ぶつかったのは、亀甲船ではない。日本軍の船、しかもかたばみの旗がかかげられている。
「と、土佐!?」
 小西行長と脇坂安治は素っ頓狂な声を上げて目を見張った。
 それから、土佐の船に李舜臣の亀甲船がぶつかった。
「かかれー!」
 槍を振りかざし、盛親はへりを飛び越え。亀甲船の横っ腹の、大砲が覗く大窓をくぐり抜けて、降り立った。
「!!」
 李舜臣は目を見張った。まさか身を挺して味方をかばう船があろうとは。しかも、こっちに乗り込んでくるではないか。
「男が、おったか」
 李舜臣はそうつぶやくと、腰に佩く剣を抜き、振り返って船橋を下りた。
 その背中に、
「将軍、あぶのうございます!」
 という叫びがぶつけられるが、意に介することもない。
「ただでさえ無茶をしておるというのに」
 家来たちは主の無茶ぶりに度肝を抜かれる思いだった。大将の船が先頭を走り、そのうえ敵の船とぶつかって白兵戦に突入である。
 戦を知る者の戦いではない。船こそ亀の姿だが、その性質はまるで荒ぶる虎であった。
 が、それを先に敵にやられたのである。無茶が無茶を呼ぶというか。
「うおおー!」
「どりゃああー!」
 獣のような咆哮が轟き、刃は閃き。
 血が舞った。
 李舜臣にも敵兵が襲い掛かるが、これことごとく剣で斬り払った。
 船は揺れる。波に揺れる。だが荒ぶる魂、ことにこの戦争で死んだ者の怨念が船を揺らしているようにも、李舜臣は思えてならなかった。
 足を踏みしめ、前を見据えれば。
 丸い甲羅の内側にて、獣が相食む様が展開されていた。
「大将はどこじゃあー!」
 槍を振るい敵兵を薙ぎ払う若武者がいる。
「加藤清正か?」
 と思ったが、違う。
 その槍さばきは豪快だが粗削りである。しかもまだ若い。
「我は李舜臣! お前、名前は!?」
 そう叫べば、気付いてこちらを向く。
「なんじゃあ、日本語で喋れ!」
「李舜臣である! お前、名前は何という!」
「なんじゃあ、日本語ができるのかあ! おりゃあ長宗我部盛親じゃあ!」
 若武者は槍を振るいながら、李舜臣向かって駆けた。
「長宗我部!? 秦の始皇帝の子孫を名乗ると聞く」
「よう知っちゅうねや!」
 盛親の槍の穂先が李舜臣の顔面向かって突き出される。
 周囲の者はその刺突の鋭さから、そのまま顔面を貫かれると思ったが。
 李舜臣は顔をわずかにずらして槍をやりすごし、そのまま剣を突き出す。
「うおお!」
 槍をすんでのところで交わされただけでも驚きなのに、同時に剣が繰り出され。盛親は慌てて後ろに飛び下がった。が、揺れる亀甲船の中である。着地とともに姿勢を崩し、尻もちをついてしまった。

 そのころ、船に残った元親は。
「釣り竿じゃ、釣り竿を持ってこい!」
 と言う。
「鰹の一本釣りじゃ!」
「お屋形様、今はそれどころではございませぬ!」
 家来の桑名弥次兵衛が諫める。
「何を言う、信親が言うのじゃ、鰹の釣り時じゃと。親泰もおる、太閤殿下もおられる!」
(ああ、秀吉公のご逝去に接し、正気を失くしてしまったようじゃ!)
 元親は豊臣秀吉よりすこし年下で、兄のように慕っていた。だが、その気持ちが大きすぎたようで、帰れるというという安堵よりも思い人を失った衝撃がまさっているようだ。
「おお、鰹がこちらに向かって走ってくるぞ!」
「お屋形様、あれは敵兵でござる!」
 弥次兵衛は冷や冷やする思いで同僚とともに元親を守らなければならなかった。
 小西行長と脇坂安治の乗る大将船をかばい亀甲船とぶつかり、白兵戦にもちこむことを決めたのは、盛親であった。
 弥次兵衛は元親の護衛を命じられたのだが……。
(この無茶ぶり、お家の将来が心配じゃ!)

「あんにょんはせよ!」
 盛親は自分でも何を言っているのかわからないまま、慌てて立ち上がった。朝鮮半島に滞在し、いくらか朝鮮言葉ハングルも覚えてはいたが。
 対する李舜臣は聡明にも日本語を理解しており、おかげで話ができる。
「なぜおれを討たなかった」
 李舜臣は盛親をじっと見据えている。姿勢を崩す不覚を取り、討つ機会であったはずだ。
「必要以上に相手の不覚を突くは、士道に背く」
「朝鮮にも、士道はあるのだな」
「日本、いや、長宗我部の本貫の地である土佐なる国にも、士道はあろう」
「あると思うけどねや……。……このままお喋りをするつもりではなかろうな」
「否、士として、改めて決闘を申し込むものなり!」
「そうだろう!」
 仕切り直しとばかりに、双方の刃が激しく激突した。
 盛親の槍は唸りを上げ、上下左右から激しく李舜臣を攻めようとする。それを剣で弾き、あるいは受け流し。
 一瞬の隙を突いて、閃く剣は迫り。咄嗟に避ける盛親の鼻先をかすめた。
(なんちゅう腕前じゃ!)
 李舜臣は常に日本軍の目の前に現れては、これとよく戦い。ことに兵法に長けたところをよく見せられたものだったが。こうして渡り合ってみれば、武人として武芸に秀でていることもよくわかる。
 李舜臣の剣、閃きやまず。自在に空を泳ぐように盛親に迫り、懐に飛びこんだ。が、盛親もさるもの、咄嗟に槍を捨てて己の肩を李舜臣の肩にぶつけた。
「むうッ……!」
 意表を突く体当たりに、さすがに姿勢を崩し、後ろによろける。
(やられる!)
 そう思ったが、刃は来ず。揺れる船の中、足を踏ん張り体勢を立て直した。
「おぬし」
「これで貸し借りなしじゃ」
「そなた、まこと武士よ」
「そう思ってくれるか」
(隣国ですら、おれたちを武士とは思ってくれぬというのに、朝鮮の者にそう思われるとは、皮肉やねや)
 思えば長宗我部氏は地方の覇者にしては不遇であった。父が四国をほぼ統一したかと思えば、豊臣秀吉の征伐を食らって、土佐一国に押し戻されて。
 征服をしてから内政をする暇がなかったため、阿波、讃岐、伊予には土佐への恨みだけが残り。四国一のもののふであったなど過去の栄光でしかなく、自慢よりも未練を大きくして語るものになってしまった。
「惜しい。お前のような若者を討つのは」
「お互い、愚かな王を持つと苦労するのう」
「言われてしまったな」
 李舜臣は苦笑する。
 戦いの功績は大きいものの、戦がはじまるや一目散に逃げた国王の宣祖は後ろめたさもあってか、李舜臣の功績を称えるどころか嫉妬して、何かにつけて冷たくあしらわれる。
 彼にとって一番厄介なのは、日本軍ではなく、自国の王であり。この戦いで日本軍を追い払ったとて、果たして国王は褒めてくださるだろうか?
「なんなら、土佐にゆくか? お前のような男は、おれも家来にほしい」
「お前、立場が逆であれば、どうする?」
「……ふむ。それもそうだな」
 ふたたび、刃が交えられる。
 盛親は槍を失い太刀を抜き、李舜臣の剣と渡り合う。
 周りは気が付けば、主の一騎打ちに夢中になり、戦を忘れたかのように見物を決め込んでいた。

 周辺海域では激しい海戦が繰り広げられて。燃える船あらば、傾き乗員を海に落とす船あり。
 渦すら巻く潮の流れは落ちた者を巻き込み、呑みこんでゆく。
 耳をつんざく騒音が海を覆い、冬の澄んだ空を突き。太陽はもの悲しげに下界を見下ろすのみ。
「憤怒じゃ、憤怒の海じゃ……」
「Fury ocean...」
 小西行長と付き添いの南蛮人の神父が、周囲を見渡し、十字を切る。
「アウグスティヌス様(小西行長の洗礼名)、日本で戦争がなくなったと思ったら、外国に攻め込んで、この有様です。豊臣家も危ないですよこれは」
 南蛮人の神父が小西行長に言う。
 滅多なことを言うなと言うが、心のひだに残るのは否めない。
「……ん? 脇坂安治は?」
 気が付けば、脇坂安治がいない。近くの者に聞けば、「亀甲船に乗り込みました」と言うではないか。
「何を考えておる」
 このどさくさに紛れて、何をするというのか。
「長宗我部の若造などほっといて、退避を優先せねばならぬというのに」
 土佐の船と亀甲船は熊手やかすがいを打ち込み、離れないように接舷している。だが潮の流れがどういう悪戯をしているのか、自分の乗る船も離れない。
 脇坂安治はそれをいいことに亀甲船に飛び移ったという。
「もう、知らぬ。船を出せ。土佐船と亀甲船を引き離せ!」
 号令が下り、将兵らは槍の石突などをもってして船と船を引き離そうとして。どうにか海峡を抜け出ようとする。
 亀甲船の装甲の中では、盛親と李舜臣が渡り合っている。それを遠くから眺める脇坂安治。
 火縄銃を持っている。
「おのれ、わしとて賤ケ岳の七本槍の一本。なめくさりおってからに」
 朝鮮攻めと言えば、どいつもこいつも加藤清正である。虎退治がなんだ。機会があれば自分もできることだ。
 安治は膝立ちの姿勢で火縄銃を構え、李舜臣に狙いを定めようとするが。銃口の先には盛親もいる。
(恨みはないが、当たってしまえば運が悪かったとあきらめてくれ!)
 空を引き裂くような轟音がとどろく。
 しかし、ふたりはぴんぴんし、一騎打ちを続けている。外れたようだ。
「ああ、もう、やってられるかあ!」
 安治は嫌気がさして火縄銃を捨てて駆け出し、亀甲船の尻から自分の乗っていた船に飛び移ろうとするが。なんと、遠くへと離れてしまっているではないか。
 しかし、土佐船とは密着している。やむをえぬとそれに飛び移ろうとするが。
「おおう、鰹じゃ!」
 そんな声がしたかと思えば、何かが頬にひっかかり。激痛が走る。
「痛ッ、釣り針がなんで!」
 慌てて頬から釣り針を外すが、弾みで姿勢を崩してしまった。
 手を伸ばし、何かにつかまろうとするが、手はただ空をつかむばかりで。ついには引力に引っ張られるままに落下し、飛沫を上げて海に落ちた。 
「あ、あれは脇坂安治殿にござるぞ、えらいことをしてしもうたもんじゃ」
 桑名弥次兵衛は焦りを禁じ得なかった。お屋形様が人を鰹と見間違えたために、一本釣りをしようとした弾みで、海に落ちてしまったなど、どうであろう。
「やむを得ぬ、見なかったことにしよう!」
 亀甲船と接舷しているために朝鮮の兵と戦わねばならぬ。元親を守らねばならぬ。他のことにかまっている余裕などない。
 それもこれも、ひとりの妄想狂の老人(豊臣秀吉)のために……!
「しょうまっこと、てこにあわん!」
 ほんとうにたまったものではない、という旨の土佐弁が飛び出る。
 混乱はひどくなるばかり。
「おれらあの帰る邪魔をする奴は、誰であろうと許さん!」
 そう叫んで。眼前に現れた亀甲船を目にして、盛親はぶち切れて、己の乗る船をぶつけさせ、白兵戦におよんだ。
 相手にせずに逃げればよいものを、短気を起こしてしまって。
 おかげで亀甲船と接舷し、逃げるに逃げられず。中で何をしているのか見当もつかぬまま、迫りくる敵兵を追い払うのが精いっぱいだ。
「あ、あ、ああー!」
 悲鳴が聞こえる。頭上から。
 なぜだと思って悲鳴の方へ目を向ければ、元親に一本釣りされて宙を舞う脇坂安治の姿。
 今度はうまく鎧の肩紐に釣り針がひっかかったようだ。
 どしんと弥次兵衛のそばに落ち、腰をさする。
「いたた」
「なんじゃ、脇坂安治ではないか。鰹と思って釣り上げたのに」
「なんとひどいことを」
 濡れ鼠になりぶるぶる震える脇坂安治はあまりのことに悲しさを禁じえず。元親は、知ったことかと、釣れたのが目当てでないことに怒っている。
「お屋形様……」
(もうこの家は終わりじゃ……)
 桑名弥次兵衛は途方に暮れた。

 亀甲船の中では、盛親と李舜臣がやや間を開けて、肩で息をしている。
 互角の勝負をし、決着がつかず。さすがに疲れは否めなかった。
 だがその目は、きらきらと輝いていた。遊びに夢中の悪童のように。
「男として男と戦えるは、男の本懐なり!」
 李舜臣は叫んだ。男として、武士として、この凄惨な戦争の締めくくりにふさわしい決闘ができ、喜びに堪えられなかった。
 互いに火花散るかと思われるほど睨み合う両者であるが、周囲の者たちはさすがにじっと見ることにこらえられなくなった。
 ことに土佐側の武士は、
「もう帰りたいちや」
 とこぼすことが多くなった。
「なら帰れ。おれは残る」
 しっかりと聞こえていた盛親であった。
 土佐武士たちはそれを聞き、
「それじゃあお先に!」
 素直に亀甲船から出てゆき。さすがに朝鮮兵も李舜臣も、あっけにとられて、ぽかんとしている。
「土佐は変わっちゅうきねや」
 盛親はやや自嘲気味に苦笑する。
 李舜臣も釣られて苦笑する。日本は日本で大変そうである。
「お前も、帰りたくば帰れ、と言いたいが」
「おう、帰ってたまるか!」
 白刃が踊り、李舜臣はこれを受け流し。懐に入り、刺突を繰り出す。
 剣先が盛親の顔面に迫る。
「なんのッ!」
「……ッ!」
 李舜臣は目を見張り、刺突が止められた感触を感じながら。ふっ、と不敵な笑みを浮かべた。
 あろうことか、盛親は歯で挟み込んで、剣先を食い止めたのだ。
 太い顎の顔つきだが、まさか顎の力でもって刺突を止めようとは。李舜臣も想定外のことだった。ゆえに、らしくもなく、隙を見せてしまった。
 すかさず閃く刃。
 咄嗟に剣から手を放して後ろに下がって刃を避けようとするが、やや遅れて、飛びのいて身構えるとともに鎧の胸当てが落ち。
 切り傷を負い、流血あることを知る。
「将軍!」
 朝鮮兵は叫んで駆け寄ろうとするが。李舜臣は烈火のごとく顔を真っ赤にして、
「来るな!」
 と叫んで。朝鮮兵らは金縛りにあったように動かなくなった。
 鎧そのものを脱ぎ捨て、胸に手を当てれば、痛みが走り。手に着く血のぬめり。
「さすがだ」
「あばよ!」
 口を開けば、剣は落ちて。一緒に血も漏れ落ちて。口内を切られて、口の中が己の血でぬめって気持ちが悪い。その不快感を抑えて、盛親は口から血を漏らしながら背を向けて駆け出す。
 李舜臣を討たず、亀甲船から出ようというのか。
 朝鮮兵は追いかけようとするが、それを止めた。
「傷は負ったが、致命傷ではない。……まったく、面白い若者だ」
「ですが将軍」
「怒っているところを見せかっただけなのだ。それができれば、あとは帰るのみなのだろう」
「日本、いや、土佐の武士は、わかりませんねえ……」
「まことに、わからん。しかし、面白い」
 李舜臣は変にこみあげる笑いを抑えられず、「わっはっは!」と呵々大笑し。朝鮮兵もぽかんとしていたが、やがて釣られて笑い声をあげた。
「くだらぬ戦争だが、最後に楽しい思いができたのは救いであった」
 それから、逃げる者には構わず。日本軍を追い払って、制海権を握ることに専念するよう号令をくだした。

「何を笑いゆうがな?」
 亀甲船から土佐船に飛び移るとき、笑い声が聞こえて。盛親は不思議であった。
 しかし深く考えることはせず、すぐに土佐船と亀甲船を引き離して。一目散に逃げ出した。
 幸いにも朝鮮の船は追ってこない。おかげで余裕をもって逃げられる。
「ああ疲れた」
 盛親は船の縁にもたれながら座って、足を延ばした。その横に、「愛しい我が子よ」と父の元親が座して、べたべたしてくる。
 それを、家来に命じて父を引きはがさせて、船内の個室で休んでもらうことにした。
 それと入れ替わりに、弥次兵衛は、盛親に「御曹司としてのご自覚を云々」と家臣なればこその説教をしてくる。
「ああうるさい。こんなことなら李舜臣に討たれるんだった」
「なんですと」
「李舜臣はいい武士だった。おれの家来にほしかった。ああ、いい奴に限っ縁がない」
 そう、うっとうしそうに盛親は言い。弥次兵衛はかんかんになって、
「将来若に刃を向けることあろうと、文句なしですぞ」
 などと言い。
 盛親もさすがに己のあまりな発言にはっとして、苦笑しながら、「わかったわかった」と頷かざるを得なかった。

おわり 

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