挿絵表示切替ボタン
▼配色







▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる
Journey of Life~戦犯の孫~ 作者:ふたぎ おっと

第4章 変わらぬ故郷の街

51/68

7.八つ当たり

――どうしたものか……。
ベッドのヘッドボードにもたれかかりながら、ヴォルフはため息を吐いた。
 アロイスが部屋を去ってからヴォルフは再び眠りについたが、あまりよく寝付けず、諦めて目を覚ました頃には窓の外がうっすらと明るくなっていた。そのまま動き回りたいところではあったが、鋭い痛みと気怠さが残る身体では思うようにいかない。
 仕方がないので傍らに置いてあった新聞を読みながら、夕べの件を考えていた。
 アロイスの言いたいことは分かる。
 確かに東ヘルデンズにおけるオプシルナーヤのやり方は、かなり汚い。噂でも聞いていたが、昨日付の新聞からでもよく伝わってくる。搾り取るだけ搾り取り、ヘルデンズには苦難を強いる。彼らが否を唱えたいのは当然だろう。
 そんな東ヘルデンズを始めとする東フィンベリー諸国の支配問題について、ブラッドローはオプシルナーヤへ圧力を掛けてきたが、勢力が大きくなるオプシルナーヤをどうすることもできない状態だ。だからこそクラウディア・ダールベルクを探していたのだが、それで得たものを本当に東ヘルデンズのために使うとは限らない。アロイスの懸念は否定しきれないのだ。
 しかし、どんな事情であれ、ヴォルフはブラッドロー軍の一兵士。任務を遂行しなければならない。無理矢理にでも彼女を連れて帰らなければならないのだ。
『君が今ぽろっとうっかり言うた『任務』には、僕らの明日の生活が掛かっとる』
――くそっ。
 夕べのアロイスの言葉が、何度も頭の中で再生され、その度にヴォルフは苛まれる。なまじ彼らの気持ちを共感してしまうからこそ、この件はかなり厄介だ。
 ヘルデンズはヴォルフにとっても大事な祖国だ。その有様に悲しみを感じないはずがなく、そこで暮らしている人たちの苦境を悔しくも思う。そんな自分が、ようやく強国の軍の尉官になれたというのに、結局故郷の人たちを見捨てるしかできないのだ。こんな自分自身に歯痒さを感じないわけがない。
――大体こうなったのも全部――……。
 そのとき、部屋の扉がそっと開けられた。
 はっと目を向ければ、扉の向こう側に、黒いおかっぱ頭の少女が立っていた。色の付いたその髪色は未だ見慣れないが、その顔立ちと右頬に走る赤い火傷の痕、そしてこちらに向けられる深緑色の瞳は、紛れもなくブランカだ。
 彼女はこれでもかというほどに目を大きく見開いた。
「起き……ていたんですね……」
「……見ての通り」
「そうですね……。良かった……」
――良かった、だと?
 ゆっくりと息を吐き全身で安堵する彼女に、ヴォルフは思わず眉をひそめる。
「あの、気分はどうですか? 実はここの家の方に助けていただいて――」
「知ってる。アロイスとヤーツェクだろ? 夕べ少し喋った」
「そう……だったんですね。えっと……包帯、替えます。アロイスさんから消毒の仕方もちゃんと教わったから……」
 ブランカは洗面器を抱えてベッドの側まで寄り用具を準備する。ヴォルフは胡乱げにその様子を眺めていた。
――どういうつもりだ?
 ひとまずヴォルフは彼女に身を任せてみるが、彼の着ていたシャツを脱がす手は非常に辿々しく、不安げにヴォルフの方を伺う様は、相変わらず頼りない。
「具合はどうですか? まだ熱がありそうですが……」
「良くはないが、そんなことより現状とこの辺りの情報を教えろ」
「そんなことよりって……えっと、こうなったきっかけですが……」
と、ブランカはヴォルフが倒れてから今までのことを話し始めた。
 乗っていたトラックがヴォルフの幼馴染みの家のものだったということ。アロイスとヤーツェクの職業と二人の国籍。この辺りにはヘルデンズ人以外に、メルジェーク人やアジェンダ人など、様々な国籍・民族の人たちが住んでいること。彼らは総じてオプシルナーを良く思っていないこと。
 おどおどしながら話す彼女の話を聞きながら、ヴォルフは段々苛々してきた。
「お前はバカか?」
「え?」
「俺が寝ていた二日、一体何をやっていたんだ? それくらい一、二時間あれば分かることだろう?」
「そう……ですが……」
「まさか髪染めてこんな包帯の巻き方覚えるのにそんなにもかかっていたのか?」
 ようやく包帯が巻き終わった肩を高くして言えば、ブランカは唇を噛んで黙り込んだ。何も言わないが、目を大きく見開きじっとこちらを見る様子は、図星と言うことでいいだろう。
 ヴォルフは盛大にため息を吐いた。
――こっちは一体誰のせいで頭を悩まされていると思っているんだ……!
 アロイスとの取引は彼女の身柄を巡るものであるし、彼女が考え無しにアロイスに助けを求めなければ、こんな不利な状況には陥らなかった。そもそもアロイスとの交渉で頭を悩ますような東ヘルデンズの現状だって、結局はマクシミリアン・ダールベルクが国を巻き込んで起こした戦争によるもので、全てはあの独裁者が愛した孫のためだった。
 そう、何もかもこの娘――クラウディア・ダールベルクのせいなのだ。
 この娘のために、ヴォルフは振り回されている。今も、昔も。
 そう思うと目の前の存在に対する忌ま忌ましさが一層膨れあがり、また、そんな渦中にいるはずの彼女がのうのうと時間を無駄にして過ごしていたことに無性に腹が立ってくる。
「だ……っだけど、よく知らないところにヴォルフを置いて出掛けるわけにもいかなくて……」
「それでお前がいてどうにかなるのか?」
「それは……」
「大体俺はお前にこんなこと一言でも頼んだか? いや、頼まないな。こんな甲斐甲斐しく世話してどういうつもりだ?」
 マクシミリアン・ダールベルクの孫である彼女が、かつて滅亡を望んだアジェンダなどを世話して。
「まさかそれで罪滅ぼしのつもりか?」
 ヴォルフは薄く笑って言った。
 視界に映る彼女の顔が、何故かひどく歪んでいるように見えて、それが更にヴォルフの苛立ちを煽り立てる。
「違う……私はただ……」
「ただ何だと言うんだ? こんなことで俺の気が済むとでも? むしろ不愉快だな。俺の目的は言ったはずだ。どうせそんな無駄なことをされるくらいなら、お前一人だけでもブラッドロー陣営に向かってくれた方が遙かにマシだっただろうな!」
 ひと思いに言い切った瞬間、ヴォルフはハッとした。あまりに感情的になりすぎて思ったことをそのまま言ってしまったが、流石にこれは良くなかった。
 ブランカは静かに席を立った。
 彼女はぎゅっと噛んだ唇を震わせ、深緑色の瞳を大きく開いてこちらを見下ろしている。その瞳にはうっすらと膜が掛かっていて、よくよく見れば、目の下も黒くなっている。
 ヴォルフは咄嗟に何か言おうとするが、それよりも早く、彼女がこちらに背を向けた。
「……お薬と、食事の用意を……頼んできます」
 そう言いながら、ブランカは逃げるようにして部屋から出て行った。紡がれた声が、僅かに震えて聞こえた。
 ヴォルフは深々とため息を吐いた。
――何をやっているんだ、俺は。
 今のは完全に八つ当たりだった。
 確かにどれもこれも彼女が深く関わるものであるが、こんな事態になったのはヴォルフの失態でもある。彼女ばかりを責められるわけではない。それどころかむしろ、あの状況でアロイスのところまで辿り着けたことを、褒めてあげるべきだったのかもしれない。
――褒める? この俺がクラウディア・ダールベルクを?
 それはそれで腹立たしい。
 あんな娘に礼だの賞賛だのくれてやろうと考えると、忌々しくて堪らない。反吐が出る。
 いや、そもそも自分は間違ったことは言っていないのではないか?
 彼女が時間を無駄にして過ごしていたことは事実であり、それを指摘したまでだ。そんなことで傷ついた顔をされたところで、知ったことではない。
 いや、しかし――……。
 アロイスとの件を考えなければならないというのに、ヴォルフは何度もそのようなことを考えては、堂々巡りをしていた。
 その都度、肩の傷がヴォルフに痛みを訴えてくるので、彼の苛立ちは一層増すばかりだった。


***


「ブランカ、もう起きてんのか? 夕べまであれだけ無理してたのに、早すぎだろ」
 キッチンで朝食の準備をしていると、寝ぼけ眼のヤーツェクが起きてきた。彼の少し長めな黒髪は強い寝癖が付いているが、おそらく今日も彼はそのまま仕事に出掛けるのだろう。
 ちなみにここに居候する間、ブランカはひととおりの家事を任されることになっていた。特に料理についてはこれまでアロイスが担当していたが、彼の作る食事はあまりに適当すぎて不評だったらしい。かく言うブランカも施設生活で身に付けた質素な料理しか作れないが、それでも二人には好評だったようだ。
「あぁ、そう言えば知ってるか? あんたの連れ、昨日ようやく起きたんだぞ!」
 良かったな、とヤーツェクは嬉しそうに知らせてくるが、ブランカはどう反応すればいいのか分からなくて、ぎゅっと身を縮めてしまった。
『まさかそれで罪滅ぼしのつもりか?』
 つい先程言われた言葉が、胸に深く突き刺さっている。まさかあんなことを言われるとは思わなかったが、考えてみれば当然の話だった。
 ブランカは彼に憎まれている。その彼が、憎い仇に世話されて不快に思わないわけがなかったのだ。目を覚ました彼があんな風に言うのは、最初から分かっていたことだった。
――だけど私だって……っ!
 罪滅ぼしのつもりなど、一切ない。甲斐甲斐しく世話していたつもりもないし、彼に感謝されようとか、昔の過ちを許してもらおうとか、そんな気持ちは一切なかった。そんなことを考える余裕すらないほどに、ブランカは必死だった。どうすればヴォルフを救えるのか、そればかりを考えて必死だったというのに。
「どうした? なんかあんた、めちゃくちゃ泣きそうな顔してんな? 何かあったのか?」
 ヤーツェクが目ざとくブランカの不自然な反応に気が付いた。じっとこちらを伺うヘーゼルグリーン色の瞳は真剣で、ブランカは反射的に首を横に振った。
 こんなのはただの言い訳だ。ヴォルフは何も悪くない。
「何でもないです」
「何でもないって、はぁ。またそれかよ。本当か?」
「本当です。少し……彼の意識が戻ったことに、身体の力が抜けてしまって……」
 ブランカはヤーツェクの目から逃れるようにキッチン台の皿に視線を落とした。これが誤魔化しだと言うことはヤーツェクにはばれてしまっているだろうが、下手なことを言ってヴォルフの印象を悪くするわけにはいかない。
「そうか。まあ、あんたもずっと気が気じゃない数日間だったしな。頑張ったな」
「いえ、私は特に何も……してないですから……」
 ヤーツェクはぽんぽんと頭を撫でて言ってくれるが、ブランカは首を横に振る。自分が出来たことは、せいぜい髪を染めて包帯の巻き方を覚えるくらいだったのだから。
「いーや、俺はちゃんと見ていたからな。あんたはよくやっていたよ。そうだ、ご褒美に帰りに何か買ってきてやるよ」
「え? いえ、そんなことは……」
「遠慮すんな、俺がしたいだけだからさ。何がいい?」
「いや、だからあの、そんな大層なことは私してませんし……」
 どうしてこういう話の流れになってしまったのか、ブランカは困ってしまった。ヤーツェクの気持ちはありがたいが、彼にそんな金銭的余裕があるとは思えず、かなり気が引けてしまう。
 しかし、ヤーツェクの口ぶりは本気だ。果たしてどう断ればいいものだろうか。
 ブランカが必死に言葉を探したときだった。
「ごきげんよお」
 深みのある艶めかしい声が、玄関から聞こえてきた。
 好機とばかりにそちらへ向かえば、扉の前に背の高い女性がいた。明るい花柄のワンピースからでも分かるグラマラスなスタイル、頭から巻いたスカーフからは綺麗に揺れる赤茶色の髪がはみ出ていて、持ち上げたサングラスの下には赤茶色の魅惑的な瞳が覗いている。
 ヴォルフの幼馴染みであるゼルマ・ヨアヒムだ。
「おいおい、お前も人んち来るのに朝早すぎだろ。つーか、すぐ近所の家来るのに何だその格好は。派手過ぎんだろ」
「人のお祝いに汚らしい格好で来るだーれかさんよりはマシだと思うけれどお?」
 目一杯言葉を間延びさせて顎をしゃくるゼルマに、ヤーツェクはやれやれと肩を竦めた。
「あの、ゼルマさん。きちんとお礼に伺えなくてすみません。何から何までお世話になっているのに」
 ブランカはゼルマに向かって頭を下げた。
 今ブランカが着ている服は、昔ゼルマが着ていたものを借りている。他にもヴォルフの着替えについても彼女の父ティモに貸してもらっていて、何から何までヨアヒム親子には世話になりまくりだ。
 ゼルマは顔の前で手を横に振った。
「いいのよいいのよお、あんたも事情があるんでしょうし、最悪全部ヤーツェクに払わせるから気にしないでえ」
「はあ? 何でそうなる……いや、まあいいけどさ」
「それより、差し入れ持ってきたのよぉ、男所帯で色々と大変だろうと思ってねえ」
 言いながらゼルマは家に入り、リビングのテーブルに持っていたバスケットを置いて、ソファに座り込んだ。まるでその振る舞いは家主のようで、ヤーツェクは尚も呆れたようにため息を吐いた。
 ゼルマが手を広げて指示を出してくるので、ブランカはバスケットの中身を確認した。入っていたのは、ひととおりの食材と調味料、そして焼き菓子が端っこに詰められていた。
「すげーな、これ。どうしたんだよ?」
「お店のお客さんからのお裾分け。だからお裾分けのお裾分けみたいなものかしらねえ。人数も増えたし、ちょうど良いと思ったのよぉ」
「それでもこんなに……ありがとうございます」
「そう堅くならないでえ。それで、ヴォルフの具合はどうなのお?」
 ゼルマは期待の籠もった目でブランカとヤーツェクを見た。ブランカは思わず目を逸らしてしまった。
 彼女のお陰でヴォルフを助けることが出来たのだから、彼が意識を取り戻したこともそのまま言うべきだろう。しかし、先程ヴォルフに言われたことが頭に鮮明に残っていて、口が上手く回らない。
 そんな様子を知ってか知らずか、ヤーツェクが親指を寝室の方へ向けて答えた。
「夕べ目を覚ましたぜ」
「あら、本当ぉ? 良かったぁ」
「だよな。にしてもゼルマ、お前よく分かったよな、あいつがお前の幼馴染みってさ」
 ヤーツェクが心底不思議そうに尋ねれば、ゼルマは満面の笑みで答えた。
「当然じゃない。だって彼はあたしの初恋の人だったんだもの!」
 瞬間、その場の空気が固まった。
 ヤーツェクは口をあんぐりと開け、ブランカは目を丸くしてゼルマを見つめる。
――今、なんて……?
「ねえ、会いに行っても大丈夫?」
 ゼルマは再びブランカの顔を覗き込んで聞いてきた。ブランカは彼女の魅惑的な瞳を見ながら、今ゼルマが言ったことを頭の中で反芻する。
 いや、おかしいことはない。昔の彼については全く知らないが、ヴォルフのような人に惹かれてしまうのは、仕方のないことだと思う。
 それにゼルマがヴォルフに会うのを断る権利はブランカにない。
 未だ頭に何かが引っかかる感覚がするが、ブランカは数回首を縦に振った。
「あの、それなら食事も持って行ってくれませんか? きっと喜ぶと思います」
 少なくとも自分が行くよりは確実にヴォルフの機嫌はマシになるだろう。
 ブランカはキッチンに用意していた朝食の盆をゼルマに差し出せば、彼女は目を丸くしてブランカと盆の上の皿を見比べた。
「ふぅん? ま、それくらいお安いご用よ。それじゃあ、行ってくるわねぇ」
 ゼルマは悠然と笑いながらそれを受け取ると、ヴォルフの部屋へと向かって行った。
 ヤーツェクが気まずそうにブランカの顔を覗き込んでくる。
「お、おいおい、あいつ、あんなこと言ってたけどいいのかよ? つーか、ようやく目が覚めたんだろ? 本当はあんたもゆっくりあいつと過ごしたいんじゃないのか?」
「いいんです、私はいつでも……。それにほら、ゼルマさんだって十年ぶりなんですよね? きっと彼女の方が積もる話もありますから……」
 言いながら、ブランカはゼルマに受け取った食材を片付けに行く。
 ヤーツェクがまだ何か言いたげにしているが、これでいいのだ。彼とゆっくりなんてブランカに出来るわけがないし、どのみち自分が行ったところで彼を不快にさせるばかりだ。ゼルマが行く方がずっとかいい。
 ブランカは無理矢理そう自分に納得させて、この話を考えないようにした。
 しかし、そう思った矢先、ブランカはゼルマに薬を預けるのを忘れたことに気が付いた。起きたからにはちゃんと飲んでもらわないといけない。
 気が進まないが、ブランカはヴォルフの部屋に届けに行くことにした。


 このときのブランカは、ゼルマが言った意味を、きちんと理解していなかった。
番外SS集あります
20150729205925b59.jpg

カクヨムにも掲載しています。
20150729205925b59.jpg

気に入ったらぽちっ
cont_access.php?citi_cont_id=5037817&sizlove-search.jpg fantasy.jpg
+注意+
特に記載なき場合、掲載されている小説はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている小説の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による小説の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この小説はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この小説はケータイ対応です。ケータイかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。
小説の読了時間は毎分500文字を読むと想定した場合の時間です。目安にして下さい。
↑ページトップへ