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Journey of Life~戦犯の孫~ 作者:ふたぎ おっと

第1章 ブラッドローから来たアジェンダ人

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3.手紙とブローチ

――クラウディア、何があっても、お前だけは私の味方であってくれるね?
 そう言って誕生日の贈り物をくれたその人は、とても遠くを見ていたような気がする。よく意味が分からず曖昧に頷いただけだったが、あれが最期の贈り物だと分かっていたら、もう少し違う返事をするべきだっただろう。
 しかし、ようやく状況を理解した時、そんな約束をしたことを後悔した。
 いつも聞こえてくるのは、せっぱ詰まったラジオ放送に、無機質なモールス信号。そしてリビングから聞こえる、喧嘩の声。殴り合いの音すらしていた。
 日常となってしまったそれらを聞きたくなくて、耳を塞いでいた。
 だけどその日は何故か、突然上がった怒鳴り声と大きな物音が気になって、様子を見に行った。
 目に飛び込んできたのは、だらりと手を投げ出し息をしなくなっていた――知らない男の人?
 家の中にいたはずなのに、気が付いたら目の前を数え切れないくらいほど沢山の人が歩いていた。
 みんな、この世の終わりのような瞳をしながら下向き歩き、中には歩けなくなって兵隊さんに銃で撃たれている人も多くいた。底冷えする寒さの中を、何も持たず着の身着のまま、窓も何も付いていない貨物列車の中から、何マイルも先にある収容所まで、まるでアリの行列のようにぞろぞろと続く。
 すると、近くで甲高い銃声が響いた。
 頭から血を流しその場に崩れ落ちた知らない男の人に唾を吐きかけて、その人はこちらに優しい笑顔を向けた。
――いずれお前に最高の楽園をプレゼントするよ。害虫たちがどこにもいない、美しい国を。
 その人の中に初めて見た狂気の色がとても恐ろしく、目を逸らしたら、こちらを突き刺すような瞳と目が合った。
 薄茶色の中で、ごうごうと燃える赤い炎。
 遠くにあったそれは、いつの間にか足下に広がっている。
 早く逃げなければ。
 そう思うのに誰かに首を絞められて動けない。どこからか、凄まじい爆音も響いてきた。
――お願い、誰か助けて。
 視線を向けた先には同じアカデミーの友達がいた。安堵の息と共にその人に手を伸ばした。
 しかし、助けを求めた相手は、にこにこ微笑みながら段々遠ざかっていく。
――どうして行っちゃうの、お母さん!
 自分でもどうしてなのか分からないが、そう叫んでいた。でもやはり、その人は助けてはくれなかった。
 やがて炎の向こうから、こちらに手を差し出す人が見えた。
 自分と同じ色の瞳を冷たく細めたその人は、右手に握る拳銃をこちらに向けていて――。


「――っ!」
 心臓が、バクバクとうるさい音を立てている。肩が激しく上下し、呼吸が荒くなっている。いきなり入り込んできた酸素に、思わず咳き込んでしまった。
 ブランカは鳴り止まない胸を押さえながら、状況を確認する。
 電気の付いていない真っ暗な部屋の中。左右の壁に備えられた二段ベッドから、穏やかな寝息と微かな寝返りの音だけが静かに響いている。彼女がいるのも、その二段ベッドのうちの一つだ。
 何らおかしいことは一つもない。ダムブルク児童施設のいつもの夜の光景だ。
 それなのに大げさに反応してしまって、ブランカはなんだか情けなくてため息を漏らす。思わず額に手を伸ばせば、目の周りがうっすらと湿っているのが分かった。
 外を見れば、空が微かに薄くなってきている。日の出にはほど遠いが、夜明け前と言ったところか。すっかり冴えてしまった頭は、再びベッドに戻ろうにもきっと眠れないだろう。
 ブランカはそっとベッドを抜け出し、着替えを済ませてから、洗面所に移動する。
 早朝の冷たい水で顔を何度か洗えば、目の前の鏡に見るに堪えない醜い顔が映った。
――ブランカのものに触れると、菌が感染る。
 あながち、それは間違いではないかもしれない。ブランカは自嘲気味に瞳を細めた。
 子供たちがブランカを忌避するのは、右頬から右半身に走る火傷だけのせいではない。彼女の姿は何もかもが異質なのだ。
 顎のラインで揃えられている短い髪は、老人のように真っ白。いつも伏せがちな深緑の瞳は、ネコの目のように目尻がつり上がっていて、きつい印象を与える。火傷の痕が無いところは白く透き通った肌をしているが、右頬に赤い火傷の痕がずっと残っているため、左右でひどくアンバランスだ。
「気持ち悪いわよね……」
 ぽつりと呟いた言葉は、夜の静けさに消えていく。自分でもこの姿を醜く思うのだ。子供たちが化け物のように言うのも、無理はない。
 それに、この姿を敬遠するのは子供だけではない。大人たちだってそうだ。表向きは優しい職員さんの顔をしているが、なんとなくどこか自分を避けている感じがするのだ。ロマンやレオナのような反応の方がむしろ希有な例と言っていいだろう。
――だが、それでいい。
 この醜い姿も周りから距離を置かれていることも、全てこのままでいいのだ。
 ブランカは濡れた顔をタオルで拭い洗面所を出ると、未だ薄暗い廊下を通り、玄関に向かう。
 その時、談話室の入り口に立てかけられた新聞ラックから、昨日と一昨日の新聞の見出しがちらりと覗いていた。片方はフィンベリー大陸戦争におけるA級戦犯の死刑執行について、もう片方はヘルデンズの首都ノイマールのことについて書かれていた。
 昨日聞いたラジオ放送が、耳の奥でハウリングする――どこかからか不吉なモールス信号が聞こえてくるのは気のせいか。
 夕べ見た職員たちの悲愴な顔が、頭を締め付けて止まない――いや、脳裏に焼き付いて離れないのは、昔見た無気力な人たちの顔だろうか。
 嫌な汗が背中に流れる。再び鼓動が早くなり、息が苦しくなる。
 ブランカはたまらなくなって、施設の外に出た。
――あんなラジオを聞いてしまったからだ。
 全て捨て去っていたはずなのに、あんな夢まで見せて。
 息も詰まりそうだったというのに、ブランカは全速力で走った。自分にまとわりつく全てを、とにかく振り払いたかった。
 やがて、彼女は河辺にたどり着いた。
 日はまだ昇りそうにはないが、空はだんだん明るくなり始めている。早朝の散歩をする人もちらほら見えてきた。
 ブランカは河辺の柵に寄りかかり、下に流れる川を眺めた。
 水面に映るのは、プラチナブロンドの長い髪に、薄い萌葱色の瞳をしたケガも何もない綺麗な少女の顔――。
 浮かび上がったそれにハッとして瞬きをすれば、自分の醜い顔がただそこに映っているだけだった。
 ブランカはよろけながら後退し、近くにあったベンチに腰掛ける。両腕に膝を抱きかかえて、しばらくそこに頭を埋めると、縋りつくようにしてスカートのポケットから中の物を取り出した。
 出て来たのは、輝きを失ったゴールドのブローチと、焼け焦げた痕が残る薄い萌葱色の小さな封筒。
 ブランカはブローチを膝に置くと、薄萌葱色の封筒に詰め込まれていた同色の紙を抜き出し広げる。何度も読み返したそれは、紙も文字も随分と色褪せてしまったが、これを受け取ったときのことは今でも鮮明に思い出せる。
――愛する私の天使。十一歳になった可愛い孫に、これを贈ろう。来年こそは、輝かしい王国を贈ると誓うよ。
 そう言われて贈られたこのブローチと一緒に添えられていたこの手紙は、『戦争が終わったら読むこと』という注意書きが為されていた。あの時はよく意味が分からなかったが、結局これを受け取ってから一年もしないうちに、この手紙を開けることになった。
 何度も目にした『ヘルデンズの運命は、お前の手に』というヘルデンズの古代文字で書かれた一文を見て、ブランカは手紙に顔を埋めた。
 頭の中に沢山の光景がフラッシュバックする。
 沢山の規則に縛られ怯えながら黙々と働く人たち。たったひと言、異を唱えただけの人に銃口を突きつけていた兵隊。虫けらのように扱われ、絶滅の檻へと姿を消した無数の民族たち――。
「――何が、ヘルデンズの運命よ」
 あの国が今どうなっているのかも知らないくせに。
 豊かで人に溢れていたあのヘルデンズは、どこもかしこもボロボロで、もはや国としての機能を失った。今では東西の列強に飲み込まれそうになっていて、あの懐かしく美しかったノイマールは、既にオプシルナーヤの好きにされている。
 一体誰のせいでそんなことになったと思っているのか。
「何が……輝かしい王国よ……」
 その輝きを奪っていたのは、他でもない、あなたじゃないか。
 フィンベリー大陸のあちこちで戦争を引き起こして、占領した国で沢山の悪事を働いて、気に入らない民族を排除して。
 お陰で私は、みんなは――。
 ブランカは、きゅっと身を縮こまらせ、深緑の瞳を細める。
――みんな、本当のことを知ったら、どう思うだろうか。
 ダムブルク児童施設の人たちは、誰も知らない。ロマンですら知らないのだ。ここにいる少女が本当は、この手紙の最後にある『M・D』――マクシミリアン・ダールベルクの孫、クラウディア・ダールベルクであることを――。
 五年前に保護されてここにやって来たとき、咄嗟に思いついた名前を言ったら、みんな疑いもせず信じてくれた。以前とすっかり姿が変わり果ててしまったこともあり、それ以来、自分は醜い顔のブランカとして生きてきた。それまでの過去クラウディアを全て捨てて。
 しかし、祖父が残した傷跡は、いつもブランカを罪悪感に苛ませる。
 昨日だってそうだ。
 談話室で和気藹々と過ごしていたところに流れた、ヘルデンズに関するニュース。それを聞いた途端に険しくなった、職員たちの顔。啜り泣く声。やりきれない怒りに震える、硬い拳――。
 みんな、戦争で家族を失ったのだ。施設の子供たちも、職員たちも、レオナたちも、みんな。ロマンはあまり自分のことを話さないが、昨日の様子に思い詰めた表情を浮かべていたところを見れば、彼だって例外ではないだろう。
 全て、ヘルデンズが――祖父が奪ったのだ。偽りの『正義』を振りかざして、大陸中を傷だらけにしたのだ。
 それでいて祖父は、孫の未来も奪った。
 ブランカは手紙を握る右手の火傷を見ると、衝動的に河辺の柵に駆け寄った。
「こんなもの……っ」
 彼女は手紙とブローチを握っていた右手を、勢いよく振り上げる。
 こんなものをいつまでも持っているから、いつまでも過去クラウディアが付きまとうのだ。
 いつになっても、祖父を忘れられないのだ――。
 ブランカは勢いのままに、右手を振り下ろす。
 しかし、それは叶わなかった。
 後ろから伸びてきた手が、いつの間にか、ブランカの右手を掴んでいた。
 視線を上げれば、かなり高い位置にその人の顔が見える。
 短く刈り上げられた鳶色の髪に、彫りの深い精悍な顔立ち。髪色を少し薄くした切れ長の瞳は、ブランカの姿を映したまま、僅かに見開かれている。
 突然現れた知らない青年にこんな風に腕を止められて、こんな視線を向けられて、ブランカはきゅっと瞳を瞑る。
「――驚いた。後ろ姿しか見てなかったから、こんなに若い娘だと思わなかった」
 やや間が開いてから、彼の声が聞こえてきた。低く、深みのある声。紡がれた下手くそなフラウジュペイ語には、ただ純粋に驚いた様子が伺える。
 ブランカは、恐る恐る瞼を上げた。
 どこか怯えたような深緑色の瞳を向けたブランカに気が付くと、その人は小さく息を吐いてから、彼女の身体を反転させる。
「大事なものなら、捨てるなよ」
 そう言って、彼は掴んでいたブランカの右手を、彼女の胸元へと運んだ。その際、僅かに細められた彼の瞳に、ブランカは咄嗟にもう片方の手で右手を隠した。
 すると彼は少しだけ片口角を持ち上げて、満足げに頷いた。ブランカは彼の笑みの意味が一瞬よく分からなかったが、彼がさっき言ったことと今の自分の状況を照らし合わせて理解した。
「別に……こんなの大事じゃないです」
 自分のばつの悪さと彼の発言に、そんな言葉が口をついて出た。初対面の人相手に、やけに棘のある口調になってしまったことに自分でも驚くが、言ってしまったものは仕方ない。
 ブランカはそのまま、彼の瞳を睨み付けた。
 彼は目を丸くしてブランカを眺めると、ハッと笑った。
「嘘こけ。大事そうにずっと眺めていたくせに」
 そう言って、ブランカの髪をわしゃわしゃと乱暴に撫でる。
 瞬間、何故か胸が締め付けられるような気がした。
 何故だろう。瞳の奥に、優しく微笑みかけてくれた祖父の顔を思い出すのは――。
 思い詰めたように下を向いたブランカに、彼は小さく息を吐いて、距離を取った。
「さて、日も出てきたことだし、家出してきたんなら、君もそろそろ家に帰った方がいいぞ」
 言われて東の空を眺めれば、ちょうど眩しいオレンジ色の光が昇り始めているところだった。
 ブランカは眩しそうに瞳を細めると、彼に視線を戻した。
 彼は少し離れたところに置いていた自分の荷物を取りに行っている。大きいトランクを持っていると言うことは旅人だろうか。
「……何も聞かないんですか?」
 何も聞かれない方がいいというのに、こちらに向けられた背中に、気が付いたらそんな言葉をかけていた。少なくとも封筒の文字を見たはずなのに、ブランカの姿だって気持ち悪く感じているはずだろうに、彼はどちらに関しても何も言わなかった。
 とても、不思議だった。
 すると彼は、顔だけこちらを向けて、寂しげに笑った。
「もしそれが誰かの形見なら、ちゃんと大切にしろよ。世の中には、形見すらないヤツもいるんだからな」
 ブランカの質問に答えずただそれだけ言うと、彼はそのまま町の中心部の方へと去っていく。
 それを呆然と眺めながら、自分の変化に気が付いた。
 さっきまでささくれ立っていたはずの気持ちが、いつの間にか穏やかになっている。
 とても、不思議だ――。
 どう処理したらいいのか分からない気持ちに、ブランカは朝日に照らされた知らない人の背中を、見えなくなるまで見送っていた。
 数時間後にまた彼と会えるとは、まったく思いもしないままに。
番外SS集あります
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カクヨムにも掲載しています。
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